囲碁心理の謎を解く


囲碁の素晴らしさについて触れてみたいと思ってましたが、下記の著書を読み、まとめてみました。 引用が多いですが、碁を趣味として持っている人が碁を打つこと以外で知っておくのが良いと思わ れることです。共通認識になったらいいですね。

参考図書  囲碁心理の謎を解く
          著 者:林 道義  東京女子大学文理学部教授
          出版社:兜カ芸春秋


  囲碁は文化である

囲碁は創造力を養い、発想を柔軟にし、集中力を高め、感情をコントロールし、人格を磨くことを助ける。 高度な精神的営みであり、その意味で十分に文化であると言うことが出来る。

これだけの効用があるから、林教授は大学で「囲碁の文化と歴史」という科目を新設し、教えていられるとのことです。大学の授業に取り入れられたのは、30年以上前に昭和薬科大学でありましたが、碁を覚えられて、単位が取れるという大学がここにもあったわけですね。東京女子大学という学校は楽しい学校ですね。僕も入学したい。


<囲碁の魅力は変化無限>
「ヒカルの碁」が契機で、囲碁がブーム(ネット碁で出会う人は感覚的に70%が未成年)になっています。 テレビゲームとの比較において初期段階では多少とっつきにくいが、囲碁の楽しさを分かった子供たちは 口を揃えて「囲碁の方が遥かに面白い」と言うそうです。
これは、当たり前のことで、変化無限の碁が他のゲームに負ける筈がないのです。負ける要素は、初期の 「とっつきにくさ」以外にはないと思います。この点は9路、13路の碁が簡単に打てることによって、30 年前と随分状況が違ってきました。
テレビゲームと違って相手が人間であるということも、棋風とか、心理状態によって打つ手が多様で意外性 がある。対局することによって、相手と話し合う(碁を「手談」と呼ぶこともある)ことが出来る。素晴ら しいゲームです。


  囲碁の効用

<右脳、左脳を同時に鍛える>
子供の脳の発達にとっては、左脳と右脳がバランスよく発達することが望ましい。
左脳は、計算したり、大きさの比較をしたり、また感覚から入って来る情報を整理したり、現実の問題を処理したりする能力に関わっている。
それに対して右脳は、目の前にない事柄をイメージしたり、空間的な認識をしたりすることや、感性や直感、芸術的創造などに関わっている。
碁を打つ時には、両方の分野を使ので、碁を打つと頭が良くなる(脳の使い方の訓練)ということが出来る。


<現代人一般の脳の使い方は左脳に偏っている>
碁を子供の頃からやっていれば、自然に右脳を使う習慣がつき、左脳だけが偏って発達するという弊害を防ぐことが出来る。また、攻め合い、ヨセでは左脳を十分使わなければならないので、バランス良く発達する。

受験勉強を経てきた大学生は左脳が発達して、右脳は未発達(退化ではないかとsmile_aceは考える)なので、小中学生と大学生を比較すると、碁が打てるようになるまでの時間は大学生の方が時間がかかる。 右脳を働かせることが下手なので、「空間的な把握が下手」なためである。
碁は実際に盤の上に石を置いて考えることは許されず、打つ前に打ったと仮定して、「それに対して相手がこう来る、自分はこう打つ」という具合に、イメージの中で図を作り、判断した上で打たなければならない。 つまり、打つ前にイメージの世界で打ったと仮定して考えることが要求される。その為右脳を働かせる部分が多い。


<テレビゲームの悪影響による「ゲーム脳=β波の低下」の恐怖>
昼間起きている時は集中を即すβ波が、リラックスを即すα波の3倍出ているが、テレビゲームをしている時は、β波がα波と同じ量に低下する。また、一定時間以上にテレビゲームをやっていると、やめた時でもβ波は低下したままになってしまう。これをゲーム脳と呼ぶが、この脳の状態は痴呆症患者の状態と同じ。


<構成力を高める>
人格の発達にとって構成力(異なる諸要素を組み合わせて、総合的に使う能力)が重要で、囲碁による構成力アップが効果的である。
碁は、石を取りあう部分的な戦闘から、全体的な戦略、今有利か不利かに応じて積極的に打って出るか譲歩するかの判断、細かい計算をして形勢を判断する能力等々、色々な能力を必要としており、それらを組み合わせて使わなくてはならないので、構成力を養成するゲームということが出来る。


  右脳棋士と左脳棋士

プロ棋士は当然右脳も左脳もよく使用するが、その中でも平均的な線から比較すると、下記の表の様に分類できる。心的エネルギーを創造的な面、着想面に向けている人は右脳棋士、読みの深さ、形勢判断に向けている人は左脳棋士ということになる。

着想型の棋士
 =地を囲う要素重視棋士
 =右脳棋士
藤沢秀行、武宮正樹、山下敬吾
現実型の棋士
 =石を取る、計算や形勢判断重視棋士
 =左脳棋士
趙治勲、淡路修三、小林光一



  碁好きの清少納言と紫式部

ともに、碁を愛し、相当な打ち手だったのは作品の中で囲碁について論じたり、囲碁が登場する場面が多い ことから推測出来るとのこと。

<清少納言>

枕草子「心にくきもの」の段
 夜遅くまで、碁石の音がして、何局も対局している様子を「いと心にくし」と表現している。
枕草子「したり顔なるもの」の段
 碁を打つ時に欲張りな相手が、自分の石が危険だと気がつかないで、稼ぎまくっている時に、相手が予想しなかった眼形つぶしにより大石を取り上げた時の嬉しさは格別。ただの勝ちより誇らしく、笑ってしまう。
堺本枕草子「あへなきもの」の段
 相手の石が死んでいるのに、上手ぶって置いた手が間違っていて、相手が生きて、自分の石が死んでしまった時の気持ちといったら・・・。
  清少納言の乱戦好き、陽気で才気活発、負けん気の強い性格が出ている文章です。
枕草子「このやよい晦日」の段
 バリバリの若手貴族に置かせていたということから、清少納言の実力は初段以上と考えられる。

<紫式部>
紫式部の描く碁の世界はただひたすらに美しく、情趣豊かで、彼女の囲碁に対する原体験は感じの良い、美しいものだったらしい。自殺しようとした女性を助けた時に、慰めようと囲碁を打つことに誘う段などは、傷心を慰めるものとして、女性同士でひっそりと楽しむものという位置づけのようだ。 男性と派手に打っていた清少納言とは対照的です。

<棋力比較>
林教授は紫式部の方が上ではないかと言っているが、説明されている根拠からは判断出来なかった。
棋風は清少納言が喧嘩碁、紫式部が本格派ということらしい。

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