「岡目八目」とはよく言われます。これは、一般的には
新星出版社実用国語新辞典より
岡目八目(傍目八目と書く場合もある)
はためで見ているものの方が、当事者より事の良し悪しや得失がわかること
という意味に使います。
皆さん、どう思いますか?
観戦者が、他人の打っている碁について、対局者以上に良く理解していたり、読みが深いと思いますか?
私の答えは NO です。とんでもない話です。ある人がプロの場合は対局者の方が深く読んでいるといいました。でも、それは違います。アマだって対局者の方が深く読んでいるものなのです。
では、局後の検討で、観戦者が対局者の読んでなかった手を指摘するのは、なぜか? それは次の様な理由だと思います。
100の変化があるとして、対局者は90考え、観戦者は50のことを考える。観戦者が、対局者の読みにないことを指摘するのは、たまたま、対局者が読まなかった10の中に、観戦者の読みがあっただけなのです。
つまり、観戦者より40も多くのことを対局者は考えるのです。
だから、もし、局後に、それぞれが読んでいた内容を全て披露すれば、対局
者は観戦者が読んでなかったことをたくさん指摘するはずです。
つまり、一般論として、この4字熟語の意味は成立しても、こと、碁に関しては正しくない意味で使われていると私は思います。
<「格言小事典」の注目に値する事柄の説明>
日本棋院発行の格言小事典で「対局の見学者は対局者の棋力を推定する場合、対局者の棋力を3子くらい過少評価する」という指摘がありました。
例えば、見学者が対局者を自分と同等だと感じたとしたら、対局者は見学者より3子程度強く、見学者が対局者を自分より3子くらい弱いと感じる程度だと、対局者と見学者の棋力はほぼ同じ程度であろうということです。
このことは、最近、思い当たることがありました。
つまり、対局した結果、その相手の棋力に十分手ごたえを感じていたのに、第3者との碁の棋譜検討してみると、その手ごたえあった人の手が悪い手ばかり打っている様に感じたことです。
つまり、棋譜検討の段階(上の見学者と同じ立場)では、実際より3子前後弱く見えてしまうということです。
自分と打った時と比較して、随分弱くなっていると、相手に伝えたのですが、どうも、それは訂正しないといけないようです。
Mr被棋譜検討者どの、大変失礼しました。訂正し、お詫びします。