祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。婆羅雙樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらわす。おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王ほう、梁の朱い、唐の禄山、是等は皆舊主先皇の政にもしたがはず、楽をきはめ、諌をもおもひいれず、天下のみだけむ事さとらずして、民間の愁える所しらざしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。ちかく本朝うかゞふに、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信ョ、おごれる心もたけき事も、皆とりどりにこさありしかども、まぢかくは、六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と申し人のありさま、傅承ること心も詞も及ばれぬ。
平家物語 四之巻 信連
宮はさ月十五夜の雲間の月をながめさせ給ひ、なんの行方もおぼしめしよらざりけるに、源三位入道の使者とて、ふみをもっていそがしげでいできたり。宮の御めのと子、六条のすけの大夫宗信、これをとって御前へまいり、開いてみるに、「君の御謀反あらはれさせ給ひて、土佐の畑へながしまいらすべしとて、官人共御むかへにまいり候。いそぎ御所をいでさせ給て、三井寺へいらせおはしませ。入道もやがてまいり候べし」とぞかいたりける。「こはいかゞせん」とて、さはがせおはしますところに、宮の侍長兵衛尉信連といふ物あり。「たゞ別の様候まじ。女房装束にていでさせ給へ」と申しければ、「しかるべし」とて、御髪を乱し、かさねたる御衣に、市女笠をぞめされける。六条の助の大夫宗信、唐笠をもって御ともつかまつる。鶴丸という童、袋に物いれていただいたり。青侍の女をむかへてゆくやうにいでたたせ給いて、高倉を北ゑ落ちさせ給うに、溝のありけるを、いと物がるうこえさせ給えば、みちゆき人がたちとどまって、「はしたなの女房の溝のこえやうや」とて、あやしげにみまいらせければ、いとど足速にすぎさせ給ふ。
長兵衛尉信連は、御所の留守にぞおかれたる。女房達の少々おはしけるを、かしここゝへたちしのばせて、見ぐるしき物あらばとりしたためんとみる程に、宮のさしも御秘蔵有ける小枝と聞こえし御笛を、只今しもつねの御所の御枕にとりわすれさせ給たりけるぞ、立かへっても取らまほしゅうおぼしめす、信連これを見つけて、「あなあさまし、君のさしも御秘蔵ある恩笛を」と申して、五町がうちに追っついてまいらせたり。宮なのめならず御感あって、「我死なば、此笛をば御棺にいれよ」とぞ仰せける。「やがて御ともに候へ」と仰せければ、信連申しけるは、「只今御所へ官人共が御むかへにまいり候なるに、御前に人一人に候はざらんが、無下にうたてしう覚候。信連が此御所に候とは、上下みな知られたる事にて候に、今夜候はざらんは、それも其の夜は逃げたりけりなんどいはれん事、弓矢とる身は、かりにも名こそ惜しう候へ。官人共しばらくあいしらいて、打破て、やがてまいり候はん」とて、走りかへる。長兵衛が其の日の装束には、薄青の狩衣の下に、萌黄威の腹巻をきて、衛府の太刀をぞはいたりける。三条面の惣門をも、高倉面の小門をも、ともに開いて待ちかけたり。
源大夫判官兼綱、出羽判官光長、都合其勢三百余騎、十五日の夜の子の剋に、宮の御所へぞ押寄たる。源大夫判官は、存ずる旨ありとおぼえて、はるかの門前にひかへたり。出羽判官光長は、馬に乗りながら門のうちに打入り、庭にひかへて大音声をあげて、申しけるは、「御謀反のきこえ候によって、官人共別當宣を承はり、御むかへにまいって候。いそぎ御出候へ」と申しければ、長兵衛大床に立って、「これは當時は御所でも候はす。御物まうでで候ぞ。何事ぞ、事の仔細を申されよ」といひければ、「何条、此の御所ならではいづくへかわたらせ給べかんなる。さな言はせそ。下部共まいって、探がしたてまつれ」とぞ申しける。長兵衛尉これをきいて、「物もおぼえぬ官人共が申様かな。馬に乗ながら門のうちへまいるだにも奇怪なるに、下部共まいって、さがしまいらせよとは、いかで申ぞ。左兵衛尉長谷部信連が候ぞ。ちかうよってあやまちすな。」とぞ申しける。聴の下部のなかに、金武といふ大力の剛の物、長兵衛尉に目をかけて、大床のうゑゑ飛びのぼる。これをみて、どうれいども十四五人ぞつゞいたる。長兵衛は狩衣の帯紐ひっきって捨つるまゝに、衛府の太刀なれ共、身をば心えて造くらせたるをぬきあはせて、、さんざんにこそ切ったりけれ。かたきは大太刀・大長刀でふるまえ共、信連が衛府の太刀に切り立てられて、嵐に木の葉のちるやうに、庭へさっとぞおりたりける。
五月十五夜の雲間の月の現れいでて、明かゝりけるに、かたきは無案内なり、信連は案内者也。あそこの面道におっかけては、はたと切り、こゝのつまりにおっつめては、ちやうどきる。「いかに宣旨の御使をばこうはするぞ」といひければ、「宣旨とはなんぞ」とて、太刀ゆがめばおどりのき、おし直し、ふみなおし、たちどころによき物共十四五人こそ斬りふせたれ。太刀のさき三寸ばかり打ち折って、腹を切らんと腰をさぐれば、さやまきおちてなかりけり。力及ばず、大手を広げて、高倉面の小門より走りいでんとするところに、大長刀もったる男一人よりあひたり。信連長刀にのらんととんでかゝるが、のり損じて股をぬいざまに貫かれて、心は猛くおもへども、大勢のなかにとりこめられて、いけどりにこそせられけれ。其後御所をさがせ共、宮わたらせ給はず。信連ばかりからめて、六波羅へ率てまいる。
入道相國は簾中に居給へり。前右大将宗盛卿大床にたって、信連を大庭にひっすゑさせ、「まことにわ男は、宣旨とは何んぞ」とて斬ったりけるか。おほくの聴の下部を刃傷殺害したん也。せんずるところ、糺問してよくよく事の仔細をたづねとひ、其の後河原にひきいだいて、かうべをはね候へ」とぞの給ひける。信連すこしもさはがず、あざわらいて申しけるは、「このほど夜な夜なあの御所を、物うかがい候時に、なに事のあるべきと存て、用心も仕候はぬところに、鎧うたる物共がうち入りて候を、「なに物ぞ」ととひ候えば、宣旨の御使」となのりけり候。山賊・海賊・強盗なんど申すやつ原は、或は、「公達のいらせ給うぞ」或は、「宣旨の御使」なんどなのり候と、かねがねうけ給わって候えば、「宣旨とはなんぞ」とて、きった候。凡者物の具をも思うさまにつかまつり、かねよき太刀をももって、候ば、官人共をよも一人も安穏ではかへし候はじ。又宮の御在所は、いづくにかわたらせ給ふらむ。知りまいらせ候はず。たとひ知りまいらせ候とも、侍品の物の、申さじとおもひきってん事、糾問に及んで申べしや」とて、其の後は物も申さず。いくらもなみいたりける平家のさぶらい供、「あっぱれ剛の物かな。あったらおのこをきられんずらん無残さよ」と、申あへり。其のなかにある人の申しけるは、「あれは先年ところにありし時も、大番衆がとどめかねたりし強盗六人、只一人おっかかって、四人きりふせ、二人生け捕りにして、其の時なされたる左兵衛尉ぞかし。これをこそ、一人當千のつは物ともいふべけれ」とて、口々に惜しみあへりければ、入道相國いかがおもはれけん。伯耆の日野へぞながされける。
源氏の世になって、東國へ下り、梶原平三景時について、事の根元一々次第に申けれは、鎌倉殿、神妙也と感じおぼしめして、能登國に御恩かうぶりけるとぞきこえし。