黒鳥氏への質問文1

質問INDEX


1.「黒鳥・清水裁判(個人と家族を守る横浜裁判)」の表現について

2.牧師の名称について

3.米本氏の記事について

4.守秘義務について

5.私自身の病状について

6.統一協会のマインドコントロールについて

7.反統一協会のマインドコントロール(牧師の脱会者に対する心の操作)について

8.脱会途上と言う言葉について

9.カウンセリングについて

10.拉致監禁について

11.牧師としての働きについて


添付文書:『全国弁連通信2005年4月20日』の『脱会後の自立と家族のかかわり』黒鳥栄牧師


日本基督教団
戸塚教会
牧師 黒鳥 栄 様

拝啓
 初春の候、時下ますますご清祥の段、お喜び申し上げます。
 さて、私の友人である中島裕美さんから、貴方が私との関係をより良くしたいとの旨を伺いました。
 一度だけ、貴方から電話連絡がありましたが、私はこの時、拉致監禁によるPTSDを患っておりました。また、拉致監禁の関係者である貴方と話をしたくないと言う思いから関係を断ってきました。
 しかし、2005年4月20日付の「全国弁連通信」より(2005年2月18日全国霊感商法対策弁連主催全国京都集会にて)発行されました、「題名:脱会後の自立と家族のかかわり」「講師:黒鳥 栄 牧師」において、私が見聞した事実と違うと思われる疑問点が、数々浮上してまいりました。
 そこで書面の上で、貴方と話し合う機会を得たいと考えました。私とのかかわりを持つ事を、貴方も望んでいたようですから、色々と私の感じてきた事、疑問に思った事を忠実に書面にて伝えたいと思います。誠に恐縮ではございますが、貴方の講演録を引用しながら、以下、質問させていただき、文章による対話を望む次第であります。
 つきましては、内容をご確認の上、誠実で明快な回答を請求するものでございます。
 私としましては、誠心誠意を持って、この関わりを大切に保ち、貴方の思いも真摯に受け止め、意見も尊重する姿勢で臨むつもりです。
 なお、自筆による文章では、解読の際に誤解を招く可能性が有りますので、できることなら、ワープロによる文書の作成で、プリンタで印字されたものを送って頂けます様にお願い申し上げます。

・文中、赤字は:「脱会後の自立と家族のかかわり」黒鳥 栄 牧師 を引用
・添付文書:「宿谷麻子殿の病状経過について」とよたまこころの診療所 堀内慶子

敬具
2006年3月6日
宿谷 麻子

質問状

1.「黒鳥・清水裁判(個人と家族を守る横浜裁判)」の表現について

 1 貴方は横浜裁判を「個人と家族を守る裁判」と表現されていますが、この裁判が起こされたのは、原告の今利理絵さんが拉致監禁によって人権を蹂躙されたと感じたからです。確かに統一協会も人権を奪うものですが、統一協会からの脱会を目的とする拉致監禁も人権を無視する行為であり、刑法(注1)に触れる行為であります。拉致監禁時の今利理絵さんの「個人」の人権は守られていたと思いますか。
 横浜裁判を「個人と家庭を守る」と命名されたのは、具体的に言えば、「今利理絵さんと理絵さんの家族を守る」という事からでした。貴方が「守る」という今利理絵さんは、貴方たちによって拉致監禁されたとして、「個人の人権を守る」ために、貴方たちを裁判に訴えたわけです。
 訴えた人を訴えられた人が「守る」とは、どういう事なのでしょうか。

 注1:刑法第220条 1 不法に人を逮捕又は監禁したる者は懲役3月以上5年以下の懲役に処す。
              2 自己又は配偶者の直系尊属に対して犯したるときは6月以上7年以下の懲役に処す。

 2 今利さんは拉致監禁が違法行為だとし、貴方や清水牧師、自分の家族・親族を訴えました。自分は拉致監禁の被害者であり、家族はその加害者であるという訴えです。あえて裁判にまで訴えたのは、被害者としての声を、家族に真剣に聞いてもらいたかったからです。ところが、貴方たちはこの裁判を統一協会との闘いと位置づけ、家族にもそのように思い込ませてしまいました。それによって、今利さんの「もう拉致監禁なんかしないでくれ」という心からの叫びに家族は耳を傾けようとせず、そもそも拉致監禁などなかったと主張するばかりでした。これによって、今利さんとその家族の関係は悪化してしまいました。被害者の心の痛みを聞こうとしないで、何故「家族を守る」と表現するのか理解に苦しみます。どのような意味で、「家族を守る」と言うのか、お聞かせ下さい。

 3 「次女だけが脱会しましたが、長女によってこの裁判が起され、末娘とはこの六年間、電話の連絡すら取れない状況です。」
 この裁判は、繰り返しますが、今利さんが拉致監禁の違法性を訴えたものでした。ところが、貴方や清水氏、家族、親族は口裏を合わせて、拉致監禁などはなかった。親子の話し合いをしていただけだったと主張しました。とすれば、末娘さんが「自分も親子の話し合いという名の監禁下での説得のために拉致されるかもしれない」と怖がるのは当然の事です。裁判の判決は拉致監禁の事実を認めませんでした。末娘さんが、新たな拉致監禁の被害者になる事への不安と恐怖を持つのは自然ではないでしょうか。電話連絡すら取れない事は、明らかに拉致監禁の恐怖に拠るものです。末娘さんの不安と恐怖は、貴方には伝わっていないのでしょうか。

 4 「そうした両親の悲痛な叫びも裁判所に伝わりました。そのような素晴らしい弁護団のお働きを目のあたりにする事ができたのも感激でした。」
 拉致監禁の被害者である今利理絵さんの悲痛な叫びは、貴方には伝わらなかったのですか。

 5 「横浜裁判で裁判所は、娘の幸せを思う親の愛情を認めてくれました。」
 今利理絵さんは、拉致監禁という両親からの人権侵害によって、傷つけられ、その為に不幸を背負いました。幸せを願うという言葉と裏腹に、人を不幸に追いやる事について貴方はどう思いますか。

2.牧師の名称について

 1 この裁判が始まった以前から、貴方は牧師ではなく伝道師(注2)(注3)でした。何故、正牧師となる前から、牧師と名乗っていたのですか。

  注2:2001日本基督教年鑑の408ページ、黒鳥栄氏は1983年に補教師の准充を受け、伝道師と表記されている。
  注3:日本基督教団教憲教規及び諸規則2001年改定版43ページ、第103条教会担任教師が正教師であるときは牧師、補教師であるときは伝道師という。

 2 正牧師となる以前より牧師と名乗る事は、その当時に戸塚教会に集うあらゆる人々を欺く行為だったとは思いませんか。

3.米本氏の記事について

 1 「統一協会のシステム化された教え込みの本当の意味の悪質さ、個々にもたらす深刻な影響を彼は理解しようとしていない」
 貴方は弁護士山口氏の言葉を肯定的に引用していますが、米本氏が理解していない根拠について教えてください。

 2 米本氏自身も数々の記事の中で、統一協会やその他のカルトについて厳しく糾弾しています。その事を貴方は無視していませんか。

 3 米本氏のこの月刊現代の記事では、「信者を脱会させるには保護説得(拉致監禁)しかない」という牧師による信者の親へのシステム化された教え込み、拉致監禁の手順の実態、更に拉致監禁しかないと思い込まされた親への深刻な影響、被害者本人の拉致監禁の後遺症などを詳細に記述しています。この記述に関して、貴方はどのように思われますか。

 4 また2004年11月号の月刊現代の記事は、私を実名で、話の中心に据える事を、私自身が承諾しています。何故、私が実名で登場する事を、私の拉致監禁を指導した貴方が、心を二重、三重に痛めるのですか。貴方のその言葉に私は心を痛めます。

 5 「それだけに脱会者に接する時に、本人がどのような状況にいるかをよく知って配慮しなければ、更なる苦しみを経験させられる事になると考えます。」
 米本氏は、私たちの病名を知り、PTSDついて調べ、どのような環境がインタビューに望ましいかを聞いてから、その環境を設定した上で、私のインタビューに望んで下さいました。それを、あたかもその様な配慮をしてこなかった様に記述する事は、読者に反感を買わせる誤解を生むものです。意図的にそうされたのですか。誤解が生まれた場合、どのように責任をとるお考えですか。

 6 「山口弁護士が上記の記事の中で記されているように『この号だけ統一協会信者は大量に購入して、親元を含むあっちこっちにバラまいて宣伝』しているとしたら、今回のようなマスコミを利用したキャンペーンによって、統一協会に対する救出の歯止めに利用される事に、重ねて憂いを覚えるものです。」
 記事の中で、米本氏は統一協会に対してはっきりと否定しています。貴方が言われる救出と言うのが、実は拉致監禁であって、統一協会と同じように信者の人権を蹂躙し、主従関係(貴方と私の家族との関係)を利用し、「拉致監禁しかない」というマインドコントロールにかける事である―これが、この記事の趣旨です。貴方はこの趣旨を歪曲して、読者に伝えていませんか。

4.守秘義務について

 1 「今回の記事に関して米本氏の取材の過程では、私にも取材の申し出がありました。しかし、私たちはどんな事がありましても守秘義務を理由にその依頼をお断りしています。」
 守秘されるべき私自らが、ルポライターである米本氏にインタビューを受け、それを雑誌にする事を了承した時点で、貴方に守秘義務は発生しません。その事をご承知でしょうか。

 2 貴方は守秘義務を主張しながら、その一方で何度か「教会に通っている○○さんは、痔の病気だったのよね」とか、「○○さんは気が狂っている」とか、祈りの中で、名を伏せながらも、聞いている人がその人であることが判る様に、その人の批判をしていました。また、家族と分籍した脱会者の家庭の事を、貴方から実名で聞いて!知った事もあります。これは、教会に集うすべての人々の守秘義務を無視している事(牧師としての守秘義務違反)だとは思いませんか。

 3 貴方が私の守秘義務を守るというのならば、何故、「平常心で対外的に発信できる心理状況にない脱会者の話を実名で中心にすえた」と事実と違う私の症状を公の場で話すのですか。理解に苦しみます。

5.私自身の病状について

 1 「山口弁護士の文言をお借りすれば、『平常心で対外的に発信できる心理状況にない脱会者の話を実名で中心にすえた事であり』に、心を二重、三重に痛めるものであります。」
 同封した主治医の意見書にあるとおり、私は平常心で対外的に発信できる心理状態ではないと言うのは、明らかに誤りです。  山口氏は弁護士であり、精神科医ではありません。山口氏は私の心理状態を知る立場にもありません。山口弁護士の文言をお借りしたとありますが、この文面では貴方もそのように判断した事になります。貴方は、何の根拠を持って、PTSD患者を「平常心で対外的発信できる心理状況にない」と判断したのですか。

 2 これは、平常心で対外的に発信できる心理状態にある、全てのPTSD患者を侮辱する言葉です。私自身もこの発言には憤りを感じます。こうした怒りに、貴方はどのように思いますか。

6.統一協会のマインドコントロールについて

 1 「その事については次の四項にて記しますが、本人達が受けたマインドコントロールはとても深いものがあります。それだけに脱会者に接する時に、本人がどのような状況にいるかをよく知って配慮しなければ、更なる苦しみを経験させられる事になると考えます。」
 マインドコントロールの深さは、統一教会員個々によって違います。十羽一絡げにするのは危険な発想です。貴方は、すべての脱会者及び信者のマインドコントロールは深いのだと思っているのですか。「とても深いもの」と誇張することによって、子供の脱会を願う信者家族を不安がらせ、マインドコントロールのことがわかるという牧師に依存させようとしていませんか。

 2 私にとっては、統一協会のコントロールは恐怖感を与えられる事が全く有りませんでした。従って、統一協会に献金した金額で神の傍に近づける事も、合同結婚しても神の子になる事も出来ないと悟った時点で、統一協会のマインドコントロールから簡単に抜ける事が出来ました。しかも、その後遺症は有りません。この事についてどのように思われますか。

 3 「その後、様ざまな所から、『脱会はしたけれどもなかなかすっきりしないので、会ってほしい』という依頼が増え、脱会者(自主脱会者、家族との話し合いによる脱会者等)の方々と出会う機会を多く与えられてまいりました」
 すっきりしないと言うのは何故でしょう。私にはマインドコントロールが抜けていないのに脱会してしまったとしか考えられません。これは、カウンセラーという立場にあり、マインドコントロールを理解しているはずの貴方に、責任があると考えています。貴方は、この責任についてについてどのように思われますか。

 4 「本人を親から引き離す操作をする。」
 「その時に聞かれるのは親の悪口でした。生い立ちの中での親のマイナスイメージしか私には伝わってきませんでした。」
 統一協会は本人を「氏族メシア」と位置づけ、親や親族との仲をより良好にし、親を伝道させようとしました。従って親から離れるような指示は一切出されませんでした。反対に家族の上で「氏族メシア」として親との関係を良くするようにと言われ続けました。どこから、親から引き離す操作をするという情報を得たのでしょうか。
 また、戸塚教会で通っていた元信者で、「統一協会は親と引き離す操作をする」と話していた人は一人もいませんでした。統一協会を必要以上に邪悪な集団だと思わせ、信者家族をして牧師に引き寄せる(邪悪な集団から子どもを"救出"できるのは牧師だけ)セールストークに聞こえますが、いかがでしょうか。

 5 「救出の難しさは、本人が統一協会でこれまで経験しなかったほどに気持ちを分ってもらえ、とてもいい出会いをした、と思わされているところにあります。」
 思わされるのではなく、実際にマイクロなど一人で歩んでいる時の人との出会いによって、良い思い出が沢山できるのです。それは、言われたから、良い思い出になった訳でもなく、自然と自分の気持ちに沸き起こるものです。
 貴方は、人の気持ちまでも、全てマインドコントロールされているように言いふらしますが、それは誤りです。何故、貴方は殊更に全てを統一協会のマインドコントロールのせいのように、言うのですか。

 6 戸塚教会に通っているとき、貴方に「統一協会のマインドコントロールについて教えて欲しい」と頼んだ事があります。そのとき貴方の答えは「そんな事私が知っているわけがないでしょ」と怒りながら言いました。貴方はそもそも「マインドコントロールとは何か」について知っているのでしょうか。

7.反統一協会のマインドコントロール(牧師の脱会者に対する心の操作)について

 1 「そしてそのように心情を操作した後から理論が植え付けられてくるのではないかと思うんですが、そういうような心情の部分が置き去りにされていって、先に理論から離れるときに今話したような心情的な内容がなかなかきれいに抜けきらないケースが多いのです。」
 当時の私は、統一協会の恐怖よりもより深い恐怖感を感ずる貴方に、従属するようになっていきました。戸塚教会で貴方の嫌う言葉を言ってしまうと、私はまた、「この子は未だ駄目ね(マインドコントロールが抜けていない)。」の一言で監禁されるのではないか、そんな恐怖心が生まれ、私は心を閉ざしていました。いくら侮蔑的な言葉を貴方が言ったとしても、それによって、私の心の奥底の悲鳴は蓋をされ、更に従属するようになっていきました。
 「黒鳥牧師(その後伝道師と判明)のみならず親の会の人々、他の脱会者によって、いつでも私は見張られている。」
 その恐怖はいつでも心から離れないで私の心を縛り付けていました。私は、貴方によって植え付けられたマインドコントロールの後遺症、及び意見書にあるとおり、拉致監禁によって受けたPTSDによって苦しめられています。この事をどのように思いますか。

 2 「心が開放されてくると『自分の親は普通の親』だったんだと気づき、上記のような自分の状態が客観的にみえてきます。それが本来の脱会だと知らされました。」
 私は、貴方からマインドコントロールを受け、拉致監禁のPTSDを呈している事に気づきました。それによって、貴方のマインドコントロールの悪質性が統一協会よりもずっと酷い事に気づきました。統一協会の傷よりも、貴方から受けたマインドコントロールの傷の方がずっと酷かったのです。私は貴方のマインドコントロールから抜け出たおかげで、自分が客観的に見えてきました。また、貴方に依存する事が無くなり自分で物事を判断できるようになりました。貴方はこの事をどう思いますか。

 3 「マインドコントロールの後遺症によって社会復帰が困難になっている事例で多く見られました。」
 私は、貴方のマインドコントロールからの離脱及び、拉致監禁のPTSD及び、それを原因とするアトピーの悪化によって、10年近く社会復帰が出来ませんでした。貴方は、この責任をどうとるつもりですか。

 4 戸塚教会で私と同じように社会復帰が出来ない元信者がたくさんいましたが、その多くは、マインドコントロールの後遺症ではなく、拉致監禁によるものだと私は思います。貴方はこの事をどう思いますか。

 5 「仕事に就いても長続きしない、人間関係が上手くいかない、親元には気持ちの上で近づけない、周りが風景になっている、という内容が多かったと思います。」
 私は、自分を監禁した親に近づけないのは当然の心理だと思います。私と親兄弟は、被害者と加害者の関係にあります。その事実を、親兄弟親戚一同認めています。貴方はこの事をどう思われますか。

 6 貴方のマインドコントロールとは、簡潔に言えば、監禁された被害者が、監禁した人物に依存し、親密になり、貴方の言う事は全て正しいと思わせる症状の事です。私は貴方のマインドコントロールに掛かっていました。貴方はその様な私の症状を知っていましたか。

 7 私は貴方や清水牧師のマインドコントロールにかかって、主従関係の上で貴方の意のままに現役信者を拉致監禁する脱会者たちを知っています。この事についてはどのように思われますか。また、教会員の中島裕美さんはその様なマインドコントロールの症状があると訴えています。貴方はそれをどのように思いますか。

 8 また、統一協会でなく、明らかに拉致監禁によって家族関係が上手くいかなくなった事例や、家族と分籍した家族も知っております。私の両親もため息をつきながら話している事ですが、そもそも、脱会後(私の知っている限り二人を除き全て拉致監禁による脱会!)、戸塚教会に通い、貴方の"ケア"(?)を受けていた元信者で、その後、家族関係、社会関係がうまくいった人はほとんどいません。この事についてどう思われますか。

 9 「脱会イコール解決とはいかない深刻な統一協会での教え込みといいますか、すり替えといいますか、思いこまされてしまう、そういう後遺症があるという事であります。」
 「様々な後遺症を背負って、五年、十年、十五年という脱会後の生活であります。そのような方々がやがて就職や結婚、子育てと言う段階にきた時に今申し上げたような様々な問題が出てきて、数多くの親が私のもとを訪ねてこられております。捉え方によっては統一協会での教え込みや心の拉致、精神的な拉致によって心が囚われた状態にあり、その結果が人格破壊と繋がっていく。」
 「自分の親を親と思っていない姿、また『親はサタンだ』という言葉を強く思い起こさせるような態度に触れたときに、親子の関係修復をどのようにするのか、今後の大きな課題になる事を被告席にいながら気づかされました。」
 「親子関係が変えられた結果生じた親子の断絶は、本人の今後の行き方に大きな影響を及ぼします。」
 鬱々とした心理状態に落ち込む、家族に合いたくない、結婚してもうまく行かない、子供の事を見てやれない、仕事に就けない等の後遺症は、貴方が指導した拉致監禁のPTSDの典型的症状です。貴方は、このような全ての事柄が統一協会のマインドコントロールのせいだと決め付けています。しかし私は、そのような心理状態にある人は、拉致監禁のPTSDにかかっていると考えます。貴方はこの事をどう思いますか。

 10
「これこそまた違った意味での犯罪だと考えます。その為に本人が脱会後の生活に大きな支障になり、悲しみ苦しんでいる親がまた多くおられるのです。」
 「脱会後の人たちの自立に目を向けたとき、統一協会で受けたマインドコントロールの後遺症で悩む方々があまりにも多く、また深い事を知らされ、また新たな課題を与えられたと思っています。」
 この生活の支障が、拉致監禁のPTSDからくるものだとしても、監禁された者は、反統一協会のマインドコントロールによって拉致監禁が良い事のように思わされたり、或いは拉致監禁が嫌だったとしても、怖くて言い出す事は困難を極めます。このような場合、責任は、統一協会でなく、拉致監禁の中心的役割をし、反統一協会のマインドコントロールを更に与えた貴方自身に責任が在ります。貴方はこの責任をどう思いますか。

 11 「しかし、統一協会によって生い立ちから家族関係をいじられていますので、本当の親との修復がなされないと、いろんな人間関係も思うようになっていかないという事を知らされました。」
 先に述べたように、親との関係は良好になるように統一協会は指導します。親との修復がうまくいかないのは、拉致監禁によって、親と子が、「加害者」と「被害者」と言う立場になるからです。この様な立場の親子が共に住む事は、当事者同士、心の壁を作ります。また、そのような関係であるにもかかわらず、仲良くする振りをする事は当事者同士の人間の信頼感を歪めたものにします。従って、この様な心を抱えたままで、他の人間と関わりを持つ時、人間への不信感が出てきてもおかしくありません。この事実を貴方はどのように思いますか。

8.脱会途上と言う言葉について

 1 「これまでの相談ケースからみますと、一般的に脱会者の方々は、この統一協会の教義や原理の間違いに気付いて脱会したとしても、脱会途上の方々です。」
 過去に貴方は「あの人脱会している?」と私を含めた脱会者に尋ねなければ、脱会しているかどうか判らない状態でした。貴方自身は、どのようにして、脱会しているかどうか判断するのですか。

 2 脱会途上とはどういう状態の事を指しますか。

 3 脱会を表明しているにもかかわらず、脱会途上というのは脱会者に対して失礼な言葉だと思いませんか。何故、普通の脱会者と脱会途上者と差別されるのですか。私はこの差別に憤りを感じます。この事に関してどう思われますか。また、どのような状態を脱会途上から抜けたというのですか。

9.カウンセリングについて

 1 「ゆえに、その色々な意味でケアを受けて心を整理していく時間が必要なわけであります。」
 通常、心の病を抱えている人は、カウンセリングによってその心の問題を解決していきます。私は、脱会カウンセリングを受けた後にケアが必要ならば、それはカウンセリングではないと考えます。貴方はこの事をどのように思われますか。

 2 また、貴方自身が行っているカウンセリングとケアの違いについてご説明下さい。

 3 通常カウンセラーとは、「臨床心理学に基づいて、心理的な問題の援助をする(専門的な訓練を受けた)人」といった意味でとらえられます。貴方は、どこでそのような専門的訓練を受けたのですか。聴講生として大学で講義を聞いただけではありませんか。

 4 「心理的な問題の援助」とは心の問題の解決の手助けという事で、問題解決を通じての人間的な成長を援助するという意味合いも含みます。大事なのは、解決のためのとっかかりを見つけるのはカウンセラーではなく、来談者(クライアント)本人だという事です。しかし、貴方は私が問題意識を感じていないにもかかわらず、戸塚教会の伝道師である事を隠しカウンセラーを自称して、監禁現場に入ってきました。これは、カウンセラーとして行ってはならない事です。貴方はこの事をどう思いますか。

 5 また、貴方はカウンセラーを自称しながら、反統一協会の本を私に渡して、一方的に情報提供を行いました。これも一つの価値観(たとえば反統一)を教え込んではならない事を絶対の原則とするカウンセラーとしてはあるまじき行為です。この事を貴方はどう思いますか。

 6 貴方は、カウンセラーという立場で、監禁現場に入ってきました。この時点で貴方はカウンセラーではありません。何故なら、カウンセリングと言うものは、クライアントがカウンセラーの元に通う事が前提だからです。なおかつ、クライアントが心から安心できる環境であり、決して監禁時のような緊迫した状況では無く、クライアント自身が自由に出入りでき、クライアントが会いたいと思ったときに、カウンセラーの元に通う事が鉄則です。貴方は自分をカウンセラーだと名乗りましたが、この事をどう思いますか。

 7 私が閉じ込められた空間に居る事、自由に出入りできない事を知った上で、何故カウンセリングできると思ったのですか。

 8 貴方はカウンセラーと名乗ったのにもかかわらず、名前を偽りました。これも、カウンセラーとして、成すべき行為では有りません。貴方はこの事をどう思いますか。

 9 貴方はカウンセラーとして、第三者的立場で私の前に現れました。私が監禁状態にあるのを知った貴方は、カウンセラーとして、何故それを止めさせる手段を講じなかったのですか。

 10 カウンセラーとしての3条件として次のものが挙げられます。(注4)

 条件(1)自己一致
    カウンセラーは、来談者と面接しているとき、カウンセラー自身の体験(感じている事)に敏感に気づき、
    一致するようにします。自己概念と体験との不一致がないという事です。
 条件(2)無条件の積極的関心
    来談者を一人の価値ある人間と認め、来談者の瞬間瞬間の体験すべてを、受け入れる事です。
    来談者が、カウンセラーの価値観に合わないような事や失礼な事を言ったとしても、ゆがめる事なく
    そのまま受入れる事です。
 条件(3)カウンセラーは、来談者の私的な世界を、あたかも自分自身の事のように感じ取り、しかも決して
    来談者の感情に巻き込まれない事です。

 注4:「カウンセリングの基本と実践がわかる本」

 しかし貴方は、条件(1)において、私の心に敏感に気づいていません。私が監禁をやめて欲しいと心から願っている事に耳を傾けませんでした。この点で、貴方はカウンセラーの条件と一致しません。この事を貴方はどう思われますか。

 11 条件(2)において、貴方は価値観が合わない私を拒絶しました。貴方は私の信仰に対して、「貴方の信仰は間違っている」と言いました。貴方の信仰と私の信仰の違いを、受け入れなかったのです。この点においても、貴方はカウンセラーの条件に当てはまりません。貴方はこの事をどう思いますか。

 12 条件(3)において、貴方は私の感情に巻き込まれています。監禁中の私の苦しみを知った貴方は、私の感情に巻き込まれ家族に当り散らして、怒鳴りつけました。この行為の為に、貴方が来るたびに、家族中がさらに緊迫した空気に包まれました。この様な行為も、カウンセラーとして失格です。貴方はこの事をどう思いますか。

 13 本来あるべきカウンセリングの大まかな流れは次のとおりです。(注5)

  (1)申し込み:何がしか心の問題を抱えた人が電話で問い合わせをしてきます。
  (2)インテーク(受理)面接:来談者が最初にクリニックに訪れた時にまず面接を行ないます。受付で申込書が
   渡され記載項目を記入する事を求められます。面接の担当者はこの記載事項をもとに話を詳しく聞いていき、
   大まかな見立てをします。この段階で、状態や話し方、話す内容などから、来談者の訴える心の問題が
   どのようなものか大掴みします。
  (3)アセスメント(臨床心理査定):インテーク面接で大体の見立てをしますが、更に心理テストを行なう事が
    あります。これによって、来談者のパーソナリティや心の状態をより深く、多面的に把握しようとします。
   アセスメントの結果によっては、インテーク面接での見立てを修正する事もあります。このアセスメントの結果
   をインテーク面接の資料と合わせて、治療の方針を決めます。
  (4)治療契約:治療方針が決まったら、これを来談者に説明し、治療について同意を得ます。
   いわゆる「治療契約」と言うものです。来談者が治療方針に納得しなかったり、治療方針を拒んだりする事も
   ありますが、その場合は、治療は断念する事になります。
  (5)治療セッション:来談者によっても、どの治療を用いるかによっても、治療の過程は様々です。
   治療初期、中期、終結期によってさまざまな問題が起こる事がしばしばです。カウンセラーは来談者を担当
   するに当たっては、すべてを一人で抱え込むのではなく、節目節目で、経験豊かな先輩から指導を受け
   ながら進めていきます。
  (6)終結:治療は最初から「○回の治療を行なう」とはっきりと決める事は余りありません。普通は目標が達成
   されてきた時、つまり心の症状や問題となっていた行動が改善されてきた事が、カウンセラーにも来談者にも
   はっきりと実感として共有され、円滑に終結に至る事もあります。かなり改善されてきたという頃に、来談者が
   治療に来なくなって終わりと言う事も有ります。一度改善されたかに見えても、しばらくして再び同じような問題で
   クリニックを訪れると言う事もあります。したがって、なかなか「〜となると終結」と定式化して示しにくいものだと
   言えましょう。

 注5:「カウンセリングの基本と実践がわかる本」

 私には、貴方がこのカウンセリングの流れを知っていたとは到底思えないのですが、貴方は、この流れを知っていましたか。貴方はカウンセリングにおいて、これらの手順をすべて踏みませんでした。

 14 まず、(1)の申し込みの段階で、私はその申し込みを監禁場所において無理矢理、強要されたものであり、本来の自分の意思ではありません。私は、カウンセラーに相談するような心の問題を一切抱えていませんでした。貴方はこの事をどう思いますか。

 15 また、私は貴方から(2)のインテーク面接を受けませんでした。申込み用紙などは一切ありませんでした。貴方はこの事をどう思いますか。

 16 また、私は貴方から(3)のアセスメントを受けませんでした。どのようにして治療方針を決めたのですか。

 17 また、私は貴方から(4)の治療契約を結びませんでした。その様な取り決めは、一切無かったからです。貴方はどのような理由で、来談者の承諾なしに勝手に治療をするという事を、決めたのですか。

 18 また、貴方は(5)の治療セッションにおいて、経験豊かな先輩から、指導を受けていましたか。

 19 また、私は何度も、監禁を止めてもらうように頼みましたが、貴方はそれを無視し続けました。(5)の治療セッションにおいて、来談者の状況を診ずに、自分勝手に治療を進めていると言う事はありませんでしたか。

 20 また、貴方は私が貴方の言うように本(反統一の本)をよく読まなかった為に、勝手に自分の治療を終結し、清水牧師に私を引き渡しました。貴方は(6)の終結において、治療途中にもかかわらず、勝手に自分の治療を終結したと思いませんか。

 21 「そういう意味で新たなカウンセリングのスタートの時だと知らされます。」
 「そのように変えさせられた本人にどう向き合うのか、どう向き合えるのかが、救出前後のカウンセリングの中で、家族にもカウンセラーにも求められてくると思います。」
 「そのような呻き、叫びをどのように受け止めていくか。脱会した本人と共に今後のカウンセリングのポイントがあると思われます。」
 以上述べたように、貴方にはカウンセリングの基礎さえ、全く知らないと考えられます。それは貴方が、来談者の語る言葉に耳を傾けず自分勝手な意思を押し付ける事がカウンセリングだと思っているからです。貴方は、これまでと同じような、カウンセリングと呼べない手段で、更にカウンセリングを続けるつもりですか。

 22 「家族が救出に当たり、牧師なりカウンセラーに依存する事ではなく、親が子を救うという親の自立した主体的なかかわりが大事だと思います。」
 「そういう意味でも、周りのものもそれなりの配慮とかかわりが必要だと、特に強く感じます。」
 両親及びカウンセラーの貴方を含め、カウンセリングの条件に合わない人が、さらにカウンセリングの流れどおりにカウンセリングの治療を行なわない場合、来談者にとって、大きな負担になります。これは治療にはならないどころか、尚一層、来談者の心の傷を深くするものです。貴方はこの事をどう思いますか。

 23 「カルトの問題は、私がこれまで関わってきた不登校の問題や、引きこもり等の問題となんら変わるところはないと考えております。」
 実際、貴方は統一協会に入信するのも、引きこもるのもすべて親子関係に問題があると決め付けていますが、通常カウンセリングに訪れる来談者は一人一人独自の問題を抱えています。すべての来談者に対し、問題は同じところにあると言う発想を持ち、同じ治療を行なう事は、カウンセラーとしてあるまじき行為です。貴方は、カウンセリングに対しどのような考えをお持ちですか。

 24 「牧師やカウンセラーはその救出に当たり、その事の専門家だと思われる事がありますが、最後まで責任を負えるのは、両親や夫という家族なのです。」
 「脱会後のケア、また脱会後の自立の問題について、始めも終わりもそういう意味で親が主体であり、そういう角度からスムーズに解決しているケースもたくさんあります。」
 「そのような方々をおささえするのが私たちの存在と考えています。」
 「いろいろなケースを整理する中で子どもや妻を救出するとはどういう事なのか。マインドコントロールされた子ども、また妻と向き合うとは・・・。もう一度原点に立ちながら考えていくときではないでしょうか。」
 カウンセラーとして、(4)の治療契約を交わしたからには、カウンセラーは来談者の治療の終結まで全責任を負います。親はカウンセリングの治療に当たって責任を負いません。貴方はカウンセラーとして、この責任から逃れてはいませんか。

10.拉致監禁について

 1 戸塚教会の牧師館に私がはじめて出席した時、貴方は私を他の親に始めて紹介する時に、「麻子さんの監禁期間は4ヶ月だったけれども、もっとやっても良かったのよ。」と誇らしげに言いました。これは貴方が、4ヶ月も監禁した事を、貴方自身が自らそれを指揮した事の証であり、親兄弟にそれを指示した中心的役割を務めた証拠です。貴方はこの責任についてどう思いますか。

 2 この言葉は、監禁、と言う行為で他人の人格を奪った者が、奪われた者への最大の侮辱の言葉であると私は確信しています。貴方の言葉には、罪悪感も、人の人権の尊厳を大切にするという人間性の心も、微塵も感じられません。このような人間性をもっている事は、牧師としてあるべき姿なのですか。

 3 家庭の中に、被害、加害の関係がある事を、月刊現代の記事により、親も兄弟も理解し、親族までも謝罪してくれました。それまでに10年もの歳月を費やしました。拉致監禁の中で指示を出し、中心的役割をした貴方に、最大の責任があると私は思っています。貴方の指示によるのは、貴方の電話から受け取った私の妹のメモで証明されています。その事について貴方はどう思われますか。

 4 また、拉致監禁については、私の家族中でそれを封印する事なく話し合いが持たれています。その事により、私の家族は統一協会に入る前よりも親密になり、お互いの気持ちを理解しあいます。拉致監禁の事についても、今利さんが裁判で訴えてから、前よりもずっと深く話せるという意味で、絆も深くなりました。貴方の周りに、拉致監禁について話し合いを行える、脱会者家族はいるでしょうか。

 5 いないとすればそれは何故でしょうか。「救出」がもしその人にとって幸福を呼び起こすものであるとするならば、何故、家族の中で話し合われないのでしょうか。封印するという事はそれが、監禁された者(被害者)、及び監禁した者(加害者)両方にとって苦痛であった事だからであったとは、考えられませんか。

 6 貴方は父母の会で怒鳴り散らしながら、「保護(拉致監禁)は本当はしてはいけない事だけれども、相手が統一協会員であり、緊急性を要する事であれば、それは許される事なのです。」と言った事があります。
 私には、この言葉は衝撃的でした。「子供が統一協会に取られて韓国に言ってしまう。」と親兄弟が慌てている姿を指して、貴方は「緊急性」という言葉を使っています。もしある個人に、法的に罪を犯すか、犯した事実があるという意味での「緊急性」があるのならば、それは法で裁かれ、法によって執行される事が、憲法の基本的人権において強調されている事だと私は思っています。私は貴方自身が、そうした法的手続きを一切取らずに、監禁を指示しています。貴方は「緊急性」についてどう思われますか。

 7 「その影響から、娘を合同結婚式に行かせたくないとか、相手が韓国人は嫌だとか言う民族差別があったりとか、統一協会は社会悪で嫌だ、世界宣教へ行かせたくない。また結婚式後、実際の夫婦生活にはいってしまう、それまでに何が何でも、と止むに止まれない気持ちで乱暴な形で救出せざるを得なかった家族もありました。」
 その様な家庭に対してだけでなく、貴方は相談に来たすべての信者の家族に拉致監禁するように、準備計画させ、実行するように指示を出しました。その中心的役割を担う貴方は、どんな乱暴な救出になろうと、監禁の指示を出したのです。こうした偏見に満ちた理由で両親や家族に監禁される側は、大きな傷を受けます。その事の責任は指示を出した貴方にあります。その事を貴方はどう思いますか。

 8 「人生を目茶目茶にされた我が子を、支えていく親は物理的にも精神的にも肉体的にも、言葉では言い表せない茨の道をたどることでしょう。」
 拉致監禁は、被害者に親や家族への強い恐怖心を生みだし、それまで培ってきた親兄弟の絆を引き裂いてしまいます。
 そればかりか、被害者は「また何かあればいつでも監禁されるのではないか」というトラウマを長く引きずることになります。
 そのために、監禁被害者は親や兄弟の顔色を伺いながら生活するようになります。監禁被害者は自分が思っていることや、やりたいことを素直に話すことはできなくなります。また、このことを言えば親や兄弟からどんな反応が返ってくるのかと、いつも考えながら話すようになります。
 こうした監禁被害者特有の心的反応は、すべて拉致監禁のPTSDの症状です。拉致監禁の中心的役割をしてきた貴方には、この症状を呈している全ての脱会者に対して責任があります。貴方はこの責任をどう取るつもりですか。

11.牧師としての働きについて

 1 「そのとき以来、牧師の牧会活動の一環として、同じ悩みに苦しみ、死に物狂いで教会に助けを求めてこられる方々と歩みを共にして参りました。」
 貴方は、その忙しさのあまり、拉致監禁の終わった家庭に、その監禁場所からすぐに立ち退くように指示し、次々と同じ場所で次の統一協会信者の家庭を入れ、まるでマニュアル化されたベルトコンベアー式に拉致監禁を指示してきました。これは、両親の証言でも明らかです。こうした方法を私には救出と思えません。その事に関し、どのように思われますか。

 2 月刊現代の記事にあるように、拉致監禁時に貴方は私に「貴方の心の責任は全て私が持つ」と言いました。この言葉を信じたからこそ、脱会後、貴方に心を委ねるようになりました。私は脱会後、教会から貴方が何時でも来られるように、戸塚教会から歩いて5分ほどのアパートに住まわされました。そして私は教会にも通うようになりました。
 私は貴方が訪ねてくるのを心待ちにしていました。しかし私からのSOSがあってはじめて話し合う予定をもってくれただけで、貴方から私を気遣う連絡は全くありませんでした。その間私がどんなに苦しんでいようと、ほったらかし状態でした。私は幾度となく電話しましたが、今忙しいからと断られた事が何度もありました。私がSOSを出すのは、監禁のPTSDでフラッシュバックや鬱に陥り、死ぬほどの精神状態のときだけです。しかし、その時にあっさりと断られる事は、私には私の生きる道の最後の救いさえばっさりと切り捨てられた気持ちでした。今利さんの裁判が始まると、私が教会に来ても、貴方は見向きもしなくなりました。
 それで、教会に顔を出す事もなく、アパートにひとり閉じこもるようになっていきました。それにもかかわらず、教会から歩いて5分の距離の私のアパートに、貴方は顔を出す事も、「どうして教会に来ないの。調子はどう」といった電話をかける事もありませんでした。貴方は「責任を持つ」と言った言葉について、牧師として正しい事をしてきたと思いますか。

 3 私は数少ない貴方との会談の中で、「今にも死ぬ気になれば死ねるような、いかに今生きている状態が精神的に苦痛で、孤独な状態か」を訴えました。「自由に暮らしているように見えても今も私の心は監禁され監視され、独房に縛り付けられて一歩も外に出られない状態」である事を話しました。 すると貴方は、「苦しくても今生きているからいいじゃない。」と事も無げに私の苦しみを切り捨て、真面目に聞こうとはしませんでした。生きているからこその苦しみで、それも生殺しの状態である事を訴えているのに、貴方は、そんな、生殺しの状態の人間を目の前にして、にこやかに笑ってそう言いました。私は、貴方に、不誠実で残酷な人柄を感じ、不信感を抱かずに居られませんでした。そんな人間性を持った貴方の働きは、牧師として良い働きだと思いますか。

 4 私が鬱で苦しみ、死にそうなときにSOSの電話を入れたときの事です。かねてから、貴方には私がSOSの電話を入れるときの状態は、どうしようもなく助けを必要としている時だという事を伝えており、貴方はそれを理解したと言っていました。しかし、貴方は私のこのときのSOSに「こういう苦しいときはいつもどうしているか」と質問し、私が「アルコールを飲んでふて寝します」と答えると、「アルコール代」と言って5000円渡し、「今忙しく行くところがあるから」と何の心の救助も無く別れてしまいました。それっきり貴方から改めて話を聞く事もありませんでした。私は、SOSの電話をかけたのに、お金を渡す事が牧師の働きなのかと、改めて不信感と虚しさを感じました。貴方は牧師として、この働きをどう思いますか。

 5 私は、戸塚教会の牧師館で毎週行われる「統一協会の父母の会」に出席し、拉致監禁の苦しみを度々訴え、拉致監禁のない脱会活動の必要性と確立を求めてきました。しかし貴方は、「麻子さんはもともと親子関係が悪かったから」と、皆の前で平然と言ってのけ、拉致監禁によって親子兄弟の信頼関係が崩れたにもかかわらず、もともとの親子関係のせいであるとすりかえました。私が拉致監禁による心の傷が深い事も訴えましたが、貴方は「麻子さんのケースは失敗した特別な例だから、みなさん耳を傾けないように」と父母の会の人や他の脱会者に指示しました。このような指示は、牧師の行為として正しいものですか。

 6 私は、脱会者関係の人間には人間の尊厳が冒された苦しみが判らないのだという事に気付き、脱会関係者ではない戸塚教会を訪れる一般のクリスチャンに、私の苦しみを訴える事にしました。すると、貴方は、「私の悪口(拉致監禁の事)を他の人に言わないで」と話し、クリスチャンとのコミュニケーションを禁じてしまいました。貴方は、何故、自分のしている事が悪い事だと思ったのですか。 教会の中で、一般のクリスチャンに拉致監禁により人権を奪われた苦しみを訴える事が、何故いけない事なのですか。牧師の行為として、この様な命令は、許される事なのですか。

 7 私は、子どもが統一協会に入信しているという問題を抱える親が、貴方に家族の現状を話した時に、「貴方はもうこの教会に来なくて良い」と言ったのを、知っています。重荷を背負う人々の重荷を軽くする事が教会の役割です。牧師として、この発言は適正でないと考えられますが、貴方はこの事をどう思われますか。

 8 「麻子さんの保護に関わる傷は全て私に責任がある」と断言しました。私は恐怖の中でも、その言葉を信じるしかなかったのです。この世界に、脱会の為の拉致監禁の傷を聞いて理解できる人間が他にいるとは、到底考える事が出来なかったからです。私にとって貴方が、この日常社会で、監禁という異常環境を理解できる唯一の存在で、反面また、この監禁状態を作り出す権威をもった人物と映っていたからです。
 しかし、最後となった話し合いの場で、私がPTSDは拉致監禁が原因だと指摘すると、貴方は突然「貴方の重荷を今始めて背負わされました。」とカッとなって怒りました。私は貴方が怒る姿に「今になってはじめて責任を背負ったのか」と唖然とし、また、人の重荷を背負った事に怒る姿を見て、この人は本当に聖書を読み牧師として働く人の姿なのかと不信に思いました。これほど人の重荷を背負う事が嫌なのならば、初めから、「貴方の重荷を背負います」などと約束しなければ良いのではないか。牧師という職に就く事もしなければ良いのではないか。わざわざ人の重荷を背負うと言う嘘をつく事もしなければ良いのにと思います。貴方は、「麻子さんの保護に関わる傷は全て私に責任がある」と言う言葉に、牧師として責任を持っていますか。

 9 ある日の父母の会の後、私が貴方に「色々な親の悩み事を聞いて背負って、大変ですね。」と言うと、貴方は事もあろうにこう言いました。
「あら、大丈夫よ。一人一人の内容なんて聞いていないから。重荷を背負って家に帰れないもの。内容は聞かずにその人がどういう状態か見ているだけよ。」
そう、貴方は脱会者自身の相談にも耳を傾けていないどころか、父母の会の親たちの心の傷も、全く聞いていない事を明らかにしていたのです。それは、牧師として、人の重荷を背負う役目を担った人がとる行動だとは思えません。貴方はこの事をどのように思いますか。

 10 私は両親から貴方とお金にまつわる証言を聞きました。それは、私が何か貴方に相談事をすると、その度に、集会で顔を合わせたとき、「麻子さんから相談事を受けた。」と親に話していた事でした。親にとっては、それが暗黙のうちに「献金をしろ」という合図となっていました。両親は「そのたびに月定献金の他に特別感謝献金をした」と証言しています。この様な献金は、教会活動の献金として、正しい行いなのですか。

 11 また、これらの度重なる献金や謝礼金の事は、私に話すなと口止めをされたと言う事でした。なぜ、貴方は、私の親に口止めさせたのですか。私に知られてはならないという事だったのでしょうか。
 そればかりか、私が脱会したとき(20万円)、また両親が個別に貴方に相談するたびに「謝礼金」(少なくとも2万円、多くて5万円)を払っていたそうです。貴方は牧会活動として統一活動問題に取り組んでいると公言しています。それならば謝礼金は戸塚教会の会計に入れるべきではないでしょうか。
 謝礼金は何に使われたのでしょうか。

 12 また、私が脱会した際に、貴方に直接にお金が渡っていた事も、私には納得が出来ません。貴方の相談も、監禁中の指示も、全て教会活動として行ってきた事です。ボランティアを名乗ると言う事は、お金を貰わない事が前提です。監禁中、貴方は私に「私はこの仕事を手弁当でやっているのよ」と、ボランティアであることを強調しました。何故、両親にお金を要求したのですか。

 13 聖書の出エジプト記23(13)に「あなたは賄賂をとってはならない。賄賂は目のあいている者の目を見えなくし、正しい人の言い分をゆがめるからである。」とありますが、私の親から、謝礼金と称して、お金を受け取っていました。この事は、この聖句に反する事ではないですか。

 14 貴方は裁判において、今利理絵さんの監禁の際に車を誘導して手伝った、元信者のS君のことをまったく知らないと証言しました。しかし、私は実際、今利理絵さんの監禁時の前から、S君と両親が戸塚教会の父母の会に参加している事、S君が個人的に度々、貴方と話しているのも目撃しています。何故、牧師である貴方が嘘の証言をするのですか。

 15 聖書の出エジプト記23(11)に「あなたは根拠のないうわさを流してはならない。悪人に加担して、不法を引き起こす証人となってはならない。あなたは多数者に追随して、悪を行ってはならない。法廷の争いにおいて多数者に追随して証言し、判決を曲げてはならない。」出エジプト記23(13)に「あなたは訴訟において乏しい人の判決を曲げてはならない。偽りの発言を避けねばならない。」とありますが、貴方の証言で、この聖句をことごとく破っています。貴方は牧師として或いは聖書の言葉に生きる者として、正しい行いをしていると思いますか。

 16 貴方は「聖書研究会」と称して、拉致監禁に関わる父母の会を組織していました。そこで、貴方は最初に聖句を読み、それを引用して拉致監禁の方法や手順を説明していました。健全な聖書研究会は、聖句によってキリストを証しいていくというものです。しかし貴方はこの会合で、キリストの証をする話は全くしませんでした。聖句の後に続く言葉は、どのように拉致するか、どのような説得の手順を踏むのか、そればかりです。貴方は自分の拉致監禁の方法を父母の会で説明する為に、聖書を悪用していませんか。

 ・参考文献
 「六法全書」
 「2001日本基督教年鑑」
 「日本基督教団教憲教規及び諸規則2001年改定版」
 「カウンセリングの基本と実践がわかる本」高橋美保著 明日香出版社
 「教会がカルト化するとき」ウィリアム・ウッド著 いのちの言葉社
 「聖書」

 繰り返してのお願いですが、誠実に回答してください。
 なお、この質問書は私信の形を取っていますが、誰にお見せになってもかまいません。
 質問は回答とともに、私のホームページにアップする予定です。
   HP「夜桜餡」アドレス:http://www1.cts.ne.jp/~qubeleyh/


・以下に黒鳥栄氏の『全国弁連通信2005年4月20日』の『脱会後の自立と家族のかかわり』を添付します。

(二〇〇五年二月一八日全国霊感商法対策弁連主催全国京都集会にて)

脱会後の自立と家族のかかわり

講師 黒鳥 栄 牧師

一、はじめに

 黒鳥・清水裁判(個人と家族を守る横浜裁判) では六年が経ちました。この間多くの方々の暖かい、こ支援をいただいておりますことを心から感謝申し上げます。
 私の統一協会信者の救出活動は、一九八八年に姪が入信していることが分かり、救出したのがきっかけでした。その時私は、被害家族と救出者の双方の体験をし、多くの方々の助言やお支えの中で姪を無事救出しました。 その時以来、牧師の牧会活動の一環として、同じ悩みに苦しみ、死に物狂いで教会に助けを求めてこられる方々と歩みを共にして参りました。

二、裁判の経過とその影響

 そうした中一九九九年一月、東京と横浜で個人と家族を守る二つの民事訴訟が起されました。それは統一協会員を原告として、本人の救出に関わった両親や牧師を、暴行、脅迫、拉致、監禁、強制改宗等で訴えたものです。横浜の事件では両親を含む親族六名と私(黒鳥)と清水牧師の八名が、東京の事件では両親と清水牧師の三名が訴えられました。その他、関連する裁判がもう一つ あります。上記二つの事件をも含めて全国に展開されている救出活動について、事実に基づかない誤解と誹講中傷の記事が雑誌「創」に掲載され、浅見定雄先生が原告となって私たちの裁判をバックアップする形で、雑誌杜とライター、室生忠氏を名誉棄損で訴えてくださったものです。
 まず浅見先生の裁判が最高裁で全面勝訴。また東京裁判も最高裁で全面勝訴しました。横浜裁判は二〇〇四年一月二三日に横浜地裁で、そして八月三一日に東京高裁で全面勝訴し、目下最高裁の判決を待っています。
 私たちの裁判は、この六年余、全国で繰り広げられた違法伝道訴訟、物品訴訟、婚姻無効訴訟、青春を返せ訴訟が次々と勝利して統一協会の違法性が浮き彫りにされていく中で進められてゆき、それらが私たちの裁判を後押しする大きな力となりました。非常に恵まれた環境の中で行なわれたことを思い、これらの裁判と地道に取り組んでくださる弁護士の先生方に深く感謝しております。
 横浜の裁判で私自身が祈り願っていることは、私たち二人の牧師だけでなく、最高裁で両親を含む被告八名全員での全面勝訴を勝ちとることです。この、こ両親には三人の娘さんがあり、三人全員が統一協会に取り込まれてしまったのです。 次女だけが脱会しましたが、長女によってこの裁判が起され、末娘とはこの六年問、電話の連絡すら取れない状況です。 そうした両親の悲痛な叫びも裁判所に伝わりました。そのような素晴らしい弁護団のお働きを目のあたりにすることができたのも感激でした。
 しかしこの裁判が、全国で救出を願う家族に対してプレッシャーとなり、昔だったらもっとスムーズに救出が行なわれたと思われるケースが手付かずになっている場面に多く接してきました。もし何かあったら裁判になるのではないかと、躊躇してしまう家族の悲痛な状態を目にしますと、裁判の勝敗は別としても、統一協会は思惑通りの成果をおさめることができたと思います。

三、「月刊現代」記事について

 次に「月刊現代」の昨年一一月号の記事についてお話をします。そこに載せられた米本和広氏の記事も同じ影響をもたらすものと非常に憂慮されます。この間題につきましては、二〇〇五年一月一八日発行の「全国弁連通信」一〇〇号に、私たちの代理人の一人である山口広弁護士のコメントが載りました。「お粗末な内容の米本論文」と題して山口弁護士は「少なくとも平常心で対外的に発信出来る心理的状況にない脱会者の話を実名で中心にすえたこは彼の良心を疑わしめる。 統一協会のシステム化された教え込みの本当の意味の悪質さ、個々にもたらす深刻な影響を彼は理解しようとしていない。 この号だけ統一協会は大量に購入して、親元を含むあちこちにばらまいて宣伝している」と記しておられます。 山口弁護士の文言をお借りすれば、「平常心で対外的に発信出来る心理的状況にない脱会者の話を実名で中心にすえたこと」に、心を二重三重に痛めるものであります。 これまでの相談ケースからみますと、一般的に脱会者の方々は、この統一協会の教義や原理の間違いに気付いて脱会したとしても、脱会途上の方々です。 ゆえに、その色々な意味でケアを受けて心を整理していく時間が必要なわけであります。 そのことについては次の四項にて記しますが、本人たちが受けたマインドコントロールはとても深いものがあります。 それだけに脱会者に接する時に、本人がどのような状況の中にいるかをよく知って配慮しなけれぱ、更なる苦しみを経験させられることになると考えます。 今回の記事に関して米本氏の取材の過程では、私にも取材の申し出がありました。しかし、私たちはどんな事がありましても守秘義務を理由にその依頼をお断りしております。 山口弁護士が上記の記事の中で記されているように「この号だけ統一協会信者は大量に購入して、親元を含むあっちこっちバラまいて宣伝」しているとしたら、今回のようなマスコミを利用したキャンペーンによって、統一協会に対する救出の歯止めに利用されることに、重ねて強い憂いを覚えるものです。 その影響は、裁判とはまた違った形の圧力で家族に働きかけてくる「反牧対策」として利用されることが予想されます。統一協会に入ってしまった被害者を日夜心配している全国の家族の皆さんのことを思いますと、とても残念な思いです。

四、脱会後の自立と家族のかかわり

@脱会しても親元に近づけない…「後遺症」

 今日は「脱会後の自立と家族のかかわり」という題をいただきましたが、脱会と、また脱会後の家族の関わりを考える上での新たな課題と、その解決のための方向性をお話をしたいと思います。
 「救出」につきましては、特に一九九二年から一九九五年前後は統一協会の合同結婚式等で連日マスコミに報じられたことで、とても沢山の相談が殺到した時期でもあります。 その後、様ざまな所から、「脱会はしたけれどもなかなかすっきりしないので、会ってほしい」という依頼が増え、脱会者(自主脱会者、家族との話し合いによる脱会者等)の方々と出会う機会を多く与えられてまいりました。 その結果、 マインドコントロールの後遺症によって杜会復帰が困難になっている事例で多く見られました。 仕事に就いても長続きしない、人間関係が上手くいかない、親元には気拷ちの上で近づけない、周りが風景になっている、というような話の内容が多かったと思います。 これは統一協会の教義の内容の誤り、社会悪等は分かって脱会しているのだけれども、なんとなくすっきりせずに「心が止まって」いる状態の深刻さを感じさせられます。 心が開放されてくると「自分の親は普通の親」だったんだと気づき、上記のような自分の状態が客観的にみえてきます。それが本来の脱会だと知らされました。
 今回の横浜裁判を通して強く感じましたことは、原告本人が、自分の親を親と思っていないことでした。横浜裁判は二四回のうち一九回は、原告である統一協会の祝福結婚をした娘さん夫婦が毎回法廷に来ていました。 自分の親を親と思っていない姿、また「親はサタンだ」という言葉を強く思い起こさせるような態度に触れたときに、親子の関係修復をどのようにするのか、今後の大きな課題になることを被告席にいながら気づかされました。 脱会イコール解決とはいかない深刻な統一協会での教え込みといいますか、すり替えといいますか、思い込まされてしまう、そういう後遺症があるということであります。 そこに焦点を合わせて、そのためにいかに脱会後のカウンセリングを行なうかということも考えさせられています。
 親子関係が変えられた結果生じた親子の断絶は、本人の今後の生き方に大きな影響を及ぼします。 親御さんはどの家庭でも手塩にかけてお子さんの成長を楽しみに育てられます。その娘さん、息子さんがある日突然家を出たり、また嘘をついたり、また合同結婚式で相手は誰でもいい、自分達の親は偽りの父母で、文鮮明夫妻が真の御父母様だという言葉に本当に驚かれて、血相を変え て、相談に来られます。普通に話が通じないのです。 そのように変えさせられた本人にどう向き合うのか、どう向き合えるのかが、救出前後のカウンセリングの中で、家族にもカウンセラーにも求められてくると思います。 そういう意味で新たなカウンセリングのスタートの時だと知らされます。
 統一協会では、生みの親は偽りの親、真の御父母様は文鮮明夫妻と教え込まされる過程で、本人をこの親から切り離す操作がなされます。まず生れて初めて自分の心の中を、生い立ちから含めて丁寧に引き出された上で、統一協会に出会うまでの今までの自分の生き方を否定するような内容を沢山、知らないうちに植えつけられるわけです。 本人を親から引き離す操作をする。 しかしそれは、操作されていると本人も気づいていない。その結果、脱会しても、親はサタンであるために親元に近づかないようになってしまうのです。これまで育った現実が悪で、架空の世界が善と思い込まされます。 そしてそのように心情を操作した後から理論が植えつけられてくるのではないかと思うんですが、そういうような心情の部分が置き去りにされていって、先に理論から離れるときに今話したような心情的な内容がなかなか綺麗に抜け切れないケースが多いのです。
 抜け切るとはどこまでなのかということにも議論があるかと思いますが、就職にしろ、社会生活に溶け込まない例をたくさん知らされたりします。 様々な後遺症を背負って、五年、一〇年、十五年という脱会後の生活であります。そのような方々がやがて就職や結婚、子育てという段階にきた時に今申し上げたような様々な問題が出てきて、数多くの親が私のもとを訪ねてこられております。捉え方によっては統一協会での教え込みや心の拉致、精神的な拉致によって心が囚われた状態にあり、その結果が人格破壊と繋がっていく。 これこそまた違った意味での犯罪だと考えます。その為に本人が脱会後の生活に大きな支障になり、悲しみ苦しんでいる親がまた多くおられるのです。 そのような呻き、叫びをどのように受け止めていくか。脱会した本人と共に今後のカウンセリングのポイントがあると思われます。
 残念なことに親はだんだんと老齢に近づきます。 しかし、統一協会によって生い立ちからの親子関係をいじられていますので、本当に親との修復がなされないと、いろんな人闇関係も思うようになっていかないということを知らされました。 本当に我が子と心から向き合える時を持っていただきたいと願わずにはいられません。

A脱会後の自立を目指して…「依存から主体的なかかわり」へ

 自分の親は普通の親だったんだと言えるほどに回復した方に出会うことがあります。結婚して子育ての過程で、見えていなかった三歳の我が子が自分の視野にやっと入ってきたという事例もあります。
 横浜裁判で裁判所は、娘の幸せを思う親の愛情を認めてくれました。 統一協会間題で悩む家族は是非この点を考えて、救出の新たな準備に入っていただきたく思います。希望を持ち続けて救出できる希望を捨てないでいただきたい。親が子を思う思いを優先させてください。今まで大事に育ててこられた親の思いが生きる時でもあります。私は、一人一人の脱会者の話を聞いて、その内容を生かしながら次の救出に当たりました。 そのときに聞かされるのは、親の悪口でした。生い立ちの中での親のマイナスイメージしか私に伝わってきませんでした。 はじめは、統一協会に出会う家族の親子関係は本当に悪いんだと私もそういう思いを植え付けられました。そういうふうに思い込んできました。しかし、皆がそういうことを異口同音に言うことで疑問を感じるようになったのです。
 統一協会から我が子を救いたいという親ほど、子どものことを思っていない親はないということを、声を大にしてお伝えしたいと思います。愛情が深い故に、本当に救出したいと願っているその親の姿を子どもたちが一日も早くわかる日がくることを願っています。
 一九九二年からしばらく合同結婚式がマスコミなどで大きく取り上げられました。 その影響から、娘を合同結婚式に行かせたくないとか、相手が韓国人は嫌だとか言う民族差別があったりとか、統一協会は杜会悪で嫌だ、世界宣教へ行かせたくない。また結婚式後、実際の夫婦生活にはいってしまう、それまでに何が何でも、と止むに止まれない気持ちで乱暴な形で救出せざるを得なかった家族もありました。 そういう中で、親の子に対する思いというよりも、世問体にこだわった相談が多かったように思います。でもやはり親は統一協会と向き合ってしまい、父と子、母と子というレベルになかなかなりにくい。 救出の難しさは、本人が統一協会でこれまで経験しなかったほどに気持ちを分ってもらえ、とてもいい出会いをした、と思わされているところにあります。 その内容からすると、親はマイナスのところから救出に着手しなければならないということです。そういう意味では、そこに大きなギャップがあります。私が、先ほど申し上げたように、やはり親の子を思う思い、子として思う姿を優先させていただきたいと強く望んでおります。
 カルトの問題は、私がこれまで関わってきた不登校の問題や、引きこもり等の問題となんら変わるところはないと考えております。 家族が主体となるような救出であってほしい。統一協会間題に関わってずっと、私はそのことを大事にしながら取り組んできました。 家族が救出に当たり、牧師なりカウンセラーに依存することでなく、親が子を救うという親の自立した主体的なかかわりが大事だと思います。 従来の傾向として、親にそこを分かっていただくことがとても難しかったように思います。

五、最後に

 牧師やカウンセラーはその救出に当たり、そのことの専門家だと思われることがありますが、最後まで責任を負えるのは、両親や夫という家族なのです。 脱会後のケア、また脱会後の自立の問題について、始めも終わりもそういう意味で親が主体であり、そういう角度からスムーズに解決しているケースもたくさんあります。 最終的に本人が安心して親元に戻れる環境作りは、その関わり 方にかかっていると思います。 人生を目茶目茶にされた我が子を、支えていく親は物理的にも精神的にも肉体的にも、言葉では言い表せない茨の道をたどることになるでしょう。 そういう意味でも、周りの者もそれなりの配慮とかかわりが必要だと、特に強く感じます。そのような方々をおささえするのが私たちの存在と考えています。
 脱会後の人たちの自立に目を向けたとき、統一協会で受けたマインドコントロールの後遺症で悩む方々があまりにも多く、また深いことを知らされ、また新たな課題を与えられたと思っています。 いろいろなケースを整理する中で子どもや妻を救出するとはどういうことなのか。マインドコントロールされた子ども、また妻と向き合うとは…。もう一度原点に立ちながら考えていくときではないでしょうか。 家族もカウンセラーも救出に関わる者がそこを再度確認し、整理していくときだと思っています。(完)

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