櫻井氏への質問の詳細17

Pカウンセラーがカウンセリングをしたあとに、カウンセリングのケアが必要だという話は寡聞にして知りません。
 =(p115)

櫻井:「第2に、現在の脱会カウンセリングとは、『カルト』視される教団に入信した信者を抱える家族の精神的サポートを第1段階として、第2段階には家族の話し合いの支援、第3段階で脱会した信者のサポートを行う一連の、長期間にわたるカウンセリングを指す。第2段階だけをことさらに取り上げるのはバランスを欠いており、実態にも即していない。つまり、第1段階で留まる家族へのサポートがじっさいには多いのであり、第2段階への移行は、本人が家族の元へ一時的に帰ってきて、話し合いに合意しない限り不可能である。室生は第1段階、米本は第3段階のケアがじっさいに行われている事実を軽視している」

 これも頭が痛くなるようなオカシナ記述です。
 第2段階は、本人が合意したうえで家族の元へ一時的に帰り、家族との話し合いをする。それを脱会カウンセラーが支援する−段階だと書いています。支援には話し合いの場に脱会カウンセラーが信者の同意を得てカウンセリングすることが含まれています。なんだか良さそうな段階ではないですか。それなのにどうして「第2段階だけをことさらに取り上げるのはバランスを欠いており、実態にも即していない」ということになるのでしょうか。
 ルポは、<櫻井さんのいうような第2段階>をことさら取り上げるような記述は一切していません。Kで書いたように、信者の親や脱会説得者が信者を拉致し、監禁下で脱会説得が行われているという事実を書いているだけです。「家族の話し合いの支援」という第2段階が事実として存在しているのなら、肯定的に取り上げていたでしょう。

 第2段階で信者のカウンセリングをする。そして第3段階で長期間にわたって信者のケアをする。
 一読すればもっともらしく感じられますが、頭を働かせてよく考えると実に奇妙です。カウンセラーはカウンセリングによってクライアント(相談者)の苦悩を軽減したりなくしたりするのが仕事です。カウンセリングのあとに、そのカウンセリングをケアするような仕事はありません。もしカウンセリングのあとにそのケアが必要だいうことになれば、、最初のカウンセラーは職業人として失格です。
 つまり、カウンセリングの過程で第3段階は必要とはしません。
 しかし、こと脱会カウンセリングの過程で第3段階を必要とするというならば、第2段階のカウンセリングは本来のカウンセリングではないということになります。
 櫻井さんが牧師など脱会説得者をカウンセラー、脱会説得をカウンセリングと、本質を糊塗せんがための表現をするから、話がややこしくなるのです。
 脱会説得者が心理的圧迫を含め何らかの強制力(信者にとっては心理的圧迫)をともなうような脱会説得を行えば、確かに脱会後のケアは必要となります。櫻井さんの記述を「強制力をともなう脱会説得」と表現されるのであれば、第3段階が必要という櫻井さんの指摘は正しいでしょう。カウンセラーとかカウンセリングという言葉を使うから、首をひねることになってしまうのです。

 また、カウンセラーやカウンセリングに関する基礎的テキストを読めばわかるはずですが、特定の思想信条とか価値観をもった人はカウンセラーになることはできません。受験戦争に勝ち抜き東大に合格することに価値を置くカウンセラーのところに、受験勉強に悩む学生が相談にいけばどういうことになるか。それを考えれば、理解できるはずです。
 統一教会は間違いで福音主義が正しいと考えるプロテスタントはカウンセラーになることはできません。もし牧師がカウンセラーを自称しているならばそれは詐称です。
 大学などでカウンセリングを専門に習得したカウンセラー(つまり社会が認める普通のカウンセラー)のところに、統一教会信者の親が子どもを脱会させたいのだがと相談にいけば、どういう態度を取ると思われますか。特定の教団の是非を判断する職業にはないから、あるいは脱会説得を職業とはしていませんからという理由で断ります。万々が一、相談に応じ、信者本人が面会に応じることに納得したとしても、カウンセリング室でなはく、“親子の話し合いの場”(監禁場所ないしは社会から遮断された場所)にのこのこ出かけるようなカウンセラーはこの世に一人としていないでしょう。
 このように縷々説明しても、それでも櫻井さんは信者の脱会活動を行っている牧師などをカウンセラー、脱会説得のことをカウンセリングと表現されるのでしょうか。教えてください。