櫻井氏への質問の詳細14

M宗教をやめさせる自由なんてあるのでしょうか。
 =引用部分はLと同じ。

「信仰をやめない自由」と「脱会させる自由」―――。
 あまにも堂々とした書き方だったので、私の感覚、知識が間違っているのかと不安に思い、友人の弁護士に確認したのですが、
「宗教をやめさせる自由?脱会させる自由? はあぁ? そんな自由なんて聞いたことないぞ。おまえの読み違えじゃないのか」
 と驚かれました。 「脱会させる自由」とは「脱会を説得する自由」の間違いではありませんか。もしそうだとすると、2つの自由が相克することはありませんし、「一方の自由度を高めると他方の自由度が低くなるというジレンマ」も生まれません。
 しかしながら、誤記ではなく、櫻井さんは信者家族には説得の自由ではなく「脱会させる自由」があると考えていらっしゃるのかもしれません。だとすれば、ぜひ、教えてください。信仰をやめる自由・やめない自由は憲法にも明記された基本的人権に基づく自由ですが、「宗教をやめさせる自由」「脱会させる自由」とはそもそもどんな自由に基づくものでしょうか。
 また、教団が現信者をやめさせない自由についても初めて耳にした自由です。こんな自由を主張している団体はあるのでしょうか。組織をやめることには小指を詰めさせるなどことのほか厳しい態度を取っている指定暴力団とて「組織をやめさせない自由」なんて、ホンネでも思ったことなどないでしょう。これも教団が信者をやめさせないように説得する自由の間違いではないでしょうか。
 2つのことを想像します。
 ひとつは、拉致監禁、監禁下での説得をオブラートに包んだ形で擁護しようとするあまり、奇天烈な自由を思いつかれたのでないか。もうひとつは拉致監禁か話し合いかという実に生々しい問題を、学問としてもっともらしく取り上げるためたいがために(昇華させたいがために)、自由という概念を思いつかれ、それで拉致監禁する親や牧師の側には「脱会させる自由」、教団には「脱会させない自由」があるという奇天烈な自由を生み出したのではないか。
 それはともかくこれについては今まとめている本でも言及するつもりです。ぜひ、回答してください。「間違いだった」と言われるのであれば、触れることはしません。