櫻井氏への質問の詳細12

Kルポによって家族の絆が強まったことをご存知でしょうか。
 =(p108)

櫻井:「彼女たちは数年後にも、同じような思いを抱いているのだろうか。抑鬱状態を抱えた人たちの気持ちやその表現には波がある。その人たちを支えている家族の精神的疲労の度合いも相当なものであり、また変わっていくものだ。それを考えると、彼女たちが家族に向けた鋭い言葉をそのまま残してよかったのだろうか。家族はもとより、本人にも痛みが残るのではないか」

 人の思いや感情や認識は時間の経過とともに変わっていく。子どもでも知っているあたりまえのことです。人の気持ちや表現に波があるのも、なにも抑鬱状態を抱えた人たちだけでなく、櫻井さんも一般の人も同じで、あたりまえのことです。
 あたりまえのこと(否定できない一般論)をさも真理風に表現し、「それを考えると」、3人の女性の「現時点での」気持ちや表現はルポに記録して残すべきではなかったと断定しているわけです。(だろうか。ではないか−という反語の乱用も目立ちます。反語の乱用は、創価学会や共産党の活動家の演説によく見られる)
 櫻井さんの文章を簡単にまとめれば、他者を批判するような気持ちは時間の経過とともに変化する。だから、他者を批判するような表現は記録として残すべきではない−ということになります。であれば、極論すれば戦争の批判、戦争時の上官(実名)への批判も記録として残すことができなくなってしまいます。

 ところで、櫻井さんの心配をよそに、宿谷家の現実はルポをきっかけに親子の絆はより深まっています。
 宿谷麻子さんを拉致監禁した家族や親戚は、ルポを読んで、彼女の「鋭い言葉」を知り、彼女が拉致監禁によって深く傷ついていることを理解し、彼女に謝罪しました。一人の親族は「一度謝っただけで済むものでははない。これからは何度も顔を出すから、いろいろ話を聞かせてね」と語ったそうです。
 今では拉致監禁される前と同じように親子一緒に暮らしています。宿谷麻子さんは仕事に復帰できる状態にまで回復しています。昨年の夏も自宅にお邪魔しましたが、三人で仲良く暮らしていらっしゃいました。
 櫻井さん、この現実を踏まえ、自分の文章を読み返してください。自分が物知り顔の講釈師に見えてきませんか。
「ルポのあと、宿谷家はどうなったのか」と私に電話で聞けば恥をかくことはなかったのにと思うと、残念でなりません。しかし、読者には宿谷家の絆の深まりなど知りようがないから、先の一文を読んで、家族の今後を悲惨だなあ、ルポの書き手は家族の今後のことに配慮しない奴だという印象を抱いたままでしょう(まさかそれが櫻井さんの狙いだったとは思いませんが、この部分だけでなく、第3章全体が読者に誤った印象を抱かせるように書かれています)。
 そこで、増刷される際には、先の記述を削除されるか、あらためて宿谷家を取材されたうえで補筆されるかのどちらかにされるべきだと思います。