櫻井氏への質問の詳細11

J櫻井さんと私は、ほぼ同じ時期に2人の女性と会っていますよ。
 =(p107〜108)

櫻井:「事例に取り上げられた元信者の訴えは、現時点ではリアルなものである。しかし、脱会後しばらくの間、これほど強烈な否定的な感情を家族やカウンセラーに向けていたのだろうか。数年前、3人のうちの2人に会ったことがある筆者にも、彼女たちの主張の方向性は当時と変わらないが、その強さが増していいるように思われる」

「事例に取り上げられた元信者の訴えは、現時点ではリアルなものである」。これが櫻井さんの独特な記述です。前の叙述では元信者の訴えをそのまま受け取らず、「この問題を示唆しているように見える」「元信者の言葉を米本はその通りに受け取っている。しかし(表現の裏にあるものを考えるべき)」と解釈しておきながら、今度は前との関連性を示すことなく、いきなり「現時点ではリアル」だという。どうもはっきりしない。
 95年のマインドコントロール論を批判されたときの論文は秀逸だと思っていますが、それ以後の櫻井さんの文章はこうした「いったい何が言いたいんだ」(周囲の声)と言いたくなくなるような文章が増えています。どちらの側(反統一教会の運動家と宗教学会・宗教社会学会)にも気を配り、どちらからの批判も避けるような文章。私は内心で<風見鶏的リスクヘッジ文体>と表現しています。
 話を元に戻します。
 櫻井さんが宿谷麻子さんと高須美佐さんに会われたのは01年の12月頃のことです。2人はマインドコントロール研究所のパスカル氏のもとを訪問した。そのときにグループミーティング(10数人)があり、そこに2人は出席した。2人を含め悩みを抱える数人が現状報告し、質疑応答したり、感想を述べあったりした。そこに、櫻井さんも同席されていた。
 一方、私が2人に会ったのは、その約半年後の02年の夏のことです。
 ほぼ同時期に会っているにもかかわらず、櫻井さんは、彼女たちの訴えをそのまま書いたルポに対して「(私が訴えを聞いたときより訴えの)強さが増している」ような印象をもったと書いている。
 冷静に考えればわかる通り、2人は初対面の10数人という集団の中で、悩みを抱える数人のうちの1人として拉致監禁された事実、拉致監禁のひどさを訴えた。それに対して、私はPTSDに配慮し彼女たちが安心して話ができる環境を整え、2人にインタビューした。2人がどちらの場で感情を抑制することなくホンネで訴えをぶつけることができたと思われるのでしょうか。
 彼女たちの否定的な感情や訴えの強さが、私が聞いたときと櫻井さんが聞いたときとでは全く変わっていないのは、彼女たちのホームページを読めば明らかでしょう。櫻井さんが2人に会ったときにはもう存在していたホームページです。しかも、本を書くにあたって参照されたはずのホームページです。
 櫻井さんは、米本という介在者によって、2人の女性の否定的な感情や訴えの強さが増したのではないかと行間に漂わせていますが、そうだとすれば間違いです。

 私は櫻井さんのように集団の中の一員として彼女たちの話に耳を傾けたわけではありません。しかも、取材は一回だけでなく、それこそ2年間かけて10回以上は会っています。会うたびに、話の内容が変わったり、訴えの強弱が変わったりすることはありませんでした。記事に書いた通りの訴えを最初から繰り返していました。
 一度会っただけで、しかもその後、本を書くまで4年間の期間があったにもかかわらず一度として取材することなく、「強さが増したように思われる」なんて、どうして書けるのか不思議でなりません。これも党派性ゆえのことだと推測しているのですが、間違っているのでしょうか。