櫻井氏への質問の詳細8

GPTSDのことを全くご存知ないと思うのですが。

櫻井:「たしかに、第1段階への導入と第2段階への移行がうまくいかなかったということがPTSDの原因であったかもしれない」

 この記述は何度も取り上げるわけですが、それは櫻井さんがPTSDのことを全くご存知ないと思えるからです。
 PTSD(心的外傷後ストレス障害)は治療は難しいようですが、阪神大震災の被災者のPTSDに関する報道でもわかる通り、複雑な病気ではありません。
   心が外傷と同じように傷つけられる。ところが、心的外傷は外傷と違ってすぐに症状が表れないことが最大の特徴です。外傷は、傷ついた瞬間に血が出るとか痛みが生じるとか骨折するとかすぐに症状が表れます。これに対して心的外傷は心が傷を受けた「後」に様々な症状・障害(不眠、鬱、悪夢、吐き気、過覚醒、フラッシュバックによるパニックなど)が出るわけです。だから、本人たちにとっても自分のこの不快な症状は何によるものか理解できない場合が多いのです。ベトナム戦争の帰還兵の症状が社会的な問題となったアメリカで、精神科医を中心に臨床単位としてPTSDが提唱されたのが、その象徴的出来事です。

 これを前提にして、引用した文に戻りますが、まず検討したいのは「第1段階への導入がうまくいかなかったがゆえにPTSDが発症した」かどうかです。
 櫻井さんがいう「第1段階」「物理的脱会」が、信者の納得を抜きにいきなり拉致監禁し監禁下で“話し合い”をすることを意味するのであれば、それは宿谷さんたちの精神科医の診断と同じです。ところが、前後の文章やあとの「脱会カウンセリングの誤解」を読むと、この「第1段階」はそのような意味合いでは使われていません。
 櫻井さんの本はきちんと読めば読むほど理解できなくなるところが出てきます。それは用語の使い方(その象徴は「脱会カウンセリング」という用語)があいまいであること、前の文と続く文との連関がはっきりせず、ときに前の記述ブロックと後の記述ブロックが矛盾したりしていることからくるものです。ですから、教えてもらたいのは、この「第1段階」「物理的脱会」が何を意味するのか、具体的に言えば、信者が納得して話し合いに応じる段階のことを意味しているのか、それとも信者を拉致し監禁下で脱会説得をする段階のことを意味しているのか、どちらなのでしょうか。
 後者であれば精神科医の診断と同じですから問題はないのですが、前者だとすればトンチンカンなことになります。「信者が納得して応じた話し合い」によってどうして心的外傷を受けるような衝撃的な体験を経験しなければならないのか、解釈不可能だからです。

 次いで「第2段階への移行がうまくいかなかったからPTSDが発症した」かどうかです。
 私が失礼も省みず、櫻井さんのことをPTSDについては無知であると判断したのはこの部分です。「脱会カウンセリングを受けたことの意味と意義に納得する」という第2段階への移行がうまくいかないことで、どうしてPTSDが発症するのか理解不能だからです。
 こういうことをおっしゃっているのかもしれません。
 理性的なレベルで教団の教義やあり方の問題点に気づき脱会したが、人間関係や過去のいい思い出に引きづられることもあって感情的なレベルでは脱会そのものがしっくりしない。平たくいえば、理屈の上では脱会に納得はしているのだが、気持ちの上ではすっきりしない。そういうケースは大いに考えられることです。これは統一教会の脱会者に限ったことでなく、理性と感情が切り裂いた状態になっていれば、精神的には不安定になり、鬱々とした日々を送ることになります。
 しかし、鬱々とした日々を送ろうが、抑鬱症と診断されようが、それはPTSDとはまるで関係のない話なのです。PTSDの発症要件はひとつだけです。心に大きな傷を受けるほどの「衝撃的な体験」があったかどうかです。
 第2段階への移行過程で、どんなにうまくいかないことが生じたとしても、脱会を表明した信者(物理的に脱会した信者)が「衝撃的な体験」を受けるような要素は何一つないはずです。櫻井さんのPTSDに関する論述にはもっとも重要なこの「衝撃的な体験」のことが抜け落ちていることです。
 櫻井さんはどうも抑鬱症状とPTSDを同一視している、としか思えません。PTSDの症状のひとつには抑鬱がありますが、逆は真ならずで、抑鬱状態の人がすべて過去に衝撃的な体験をもつPTSD患者とは言えません。