櫻井氏への質問の詳細5

Dルポの記述を曲解していませんか。
 =(p106)

櫻井:「脱会には、物理的脱会(脱会カウンセリングへ移る)、精神的脱会(脱会カウンセリングを受けたことの意味と意義に納得する)、自己の再構築(家族や精神的支援をしてくれる人たちとの関係の中で、新しい職場や家族との生活を再開する)の段階がある。脱会カウンセリングの後遺症として見られる症状は、精神的脱会の段階でつまずいてしまった事例と考えられる」
「たしかに、第1段階への導入と第2段階への移行がうまくいかなかったということがPTSDの原因であったかもしれない」

「脱会カウンセリングへ移る」という物理的脱会とはどういうことなのか。「脱会カウンセリングを受けたことの意味と意義に納得する」という精神的脱会とはどういうことなのか。前後の文章を何度読み返しても、よくわかりません。p115の「脱会カウンセリングをめぐる誤解」の記述と照らし合わせて考えると、こういうことをおっしゃっているのでしょうか。(間違っていたら教えてください)

 信者が何らかの説得によって親や牧師(脱会カウンセラー)との話し合いに応じる。その過程で統一教会の間違いに気づき、脱会の決意をする。(物理的脱会)
 しかし、脱会したものの、統一教会への信仰や信者時代の生活が一方的にまた急激に断たれたため、元信者には不安や恐怖心が残る。それを家族や牧師がケアすることによって、脱会カウンセリングを受けたことの意味と意義を再確認し、心から自分の脱会が間違っていなかったことを納得する。(精神的脱会)
 理性レベルと感情レベルのことを物理的、精神的と表現されているのでしょうか。もしそうなら、認識には理性的認識と感性的認識の2つがあるという認識論の基本とも合致し、納得できます。ただし、それは認識論の基本ですから、特殊、統一教会からの脱会ということには限りませんが。

 問題は、後者の引用文についてです。
櫻井:「第1段階への導入と第2段階への移行がうまくいかなかったということが(3人の女性の)PTSDの原因であったのかもしれない」(カッコは引用者)
 これはどういうことでしょうか。
 私の先の読解が正しければ、3人の女性は物理的脱会、理性的認識レベルでの脱会には納得したものの、精神的脱会、感性的認識レベルでの脱会への移行は十分な「家族やカウンセラー側のケア」がなかったためうまくいかなかった。そのために、PTSDが発症したのではないかということになります。
 しかし、ルポにはそのように解釈できるような記述はひとつもありません。櫻井さんの言葉を借りれば「元信者たちは実名で登場し、路上で拘束され、マンション等で説得を受けたことを生々しく回想」しているのです。そして、その衝撃的な体験によってPTSDになったと記述しています。
 櫻井さんが自分の理想的な「物理的脱会」「精神的脱会」「自己の再構築」という学問的裏付けも、事実の裏付けもない(後述)“理想的物語り”をモデルとしてつくられるのは自由ですが、ルポの記述を曲解していませんか。