夏のつれづれ

徒然集INDEX


○9月4日

薬を飲んで一日寝たら、一変して心境が変わっていた。昨日が欝のどん底だとしたら、一気に躁になった。不安はまるで感じない。それどころか、ハイテンションだ。薬の効き目ってこんなにも、人の気持ちを変えられるのかと驚くばかりだ。両親に、「薬が効いているから、もう大丈夫」と伝えた。これなら、今からでもキャンセルした会社に行っても大丈夫だと思えるほどだった。仕事が無いと、日中私は手持ち無沙汰になる。その為、11時からカラオケに行った。もう外に出て、人に会うことなんて出来ないと昨日は思っていたのに、見違えるばかりだ。店員さんとも普通に対応できる。言葉もちゃんと話せるし、字も震えずに書ける。11時から3時間、ハイテンションで歌いまくり、その後、美容院で髪を切る。店員さんと最も近づく距離に置かれる美容院に行ける事自体、昨日の状況だったら有り得ない事だ。私は、薬のおかげで、本当は怖くて出来ない普通の人の日常を行えるのだ。それだけでも凄い事だ。薬の効き目に感服。


○9月3日

土曜日に重要な用事があって、病院に行くのを忘れた。その為に、土曜日の夜から薬が無くなった。今まで薬を切らしたことは無かったが、日常生活に支障をきたさないぐらい、精神状態も安定していた。その為、薬が切れても大丈夫だと高をくくっていた。土曜の夜は少量余っていた薬と焼酎を飲んで寝た。日曜は、なんとなく不安になったが、どうにか乗り切れた。そして日曜の夜は焼酎だけで寝た。
3日月曜は、新しい職場に始めて行く日だった。しかし、薬が切れているせいで、体中が振るえだした。心は不安で一杯になっていた。顔面は昨日のアルコールが残り、少し赤みを帯びている。しかし、表情が明らかに変わっていた。鏡で自分の顔を見ると、まるで別人を見るようだった。明らかに顔が強張っている。精神状態は最悪で、欝の酷いときと似ていた。とにかく気持ちが苦しい。体は硬直している。このまま会社に行っても失敗すると思った。とてもじゃないが、まともに業務説明を聞く余裕も無かった。仕事をしていても、ぶるぶる震えていては変な人に思われるだろう。頭の中は訳の分からない不安で一杯になる。この思いだけは止められなくて、最終的には死にたくなった。
薬が切れただけで、私はこの状態なのだ。私はPTSDの病の重さを再認識した。今日はこの状態では仕事は始められない。8時前、仕事に行く時間ぎりぎりになって、やっとそう決断した。判断力も相当鈍っている。それまでの時間震えながら居間に居たので、両親もその様子を見て、「震えているじゃない。それじゃあ会社は休んだほうがいい。」と言われた。私もこんな姿を両親に見られて悔しいが、今の私の精神状態を判ってもらう為に、言葉では伝えず、表情と体の反応で示すことした。薬なしでは、心は不安で一杯になる。家に居てもいたたまれない。自分の部屋でさえいたたまれない。とにかく気持ちが不安で一杯で苦しい。生きているだけで、息をしているだけでも辛い。こんな気持ちでは人との対応も出来ない。もちろん集中力が持たない。人との会話で体が絶えず震える。絶えず緊張している。体が硬直して振るえる。頭の中はいやなことで一杯だ。仕事なんてとんでもない。仕事の業務内容を頭に入れる余裕は無い。
結局、苦しい気持ちで一杯で家の中で私の居場所を見つけられず、8時ごろ近所のファミレスに行って、派遣会社の担当者に留守電を入れる。そして、その担当者から連絡があるのを待ち、仕事をキャンセルした。次回から、この派遣会社から仕事が無いことも覚悟した。ファミレスでは、体が硬直しながらも、9時過ぎまで、コーヒーを飲みタバコを3本ほど吸った。少しでも緊張が収まるのを和らげようと思った。しかし、緊張は時間ごとに増すばかりで、体が震える。ファミレスでも周囲の目が気になって、一時間ほどで、家に帰ってきてしまった。
とにかく、すぐに医者に行って薬をもらって飲まなくては、この辛い状況からは抜け出せない。通院時間の10時まで待つのも苦痛だった。部屋の片隅で、震える体をぐっと抑えながら、ひたすら、時間が過ぎるのを待った。10時になり母親に病院に同行してもらうことにした。同行してもらうことで、母親に私の症状うが悪いことを、話さずに理解してもらおうと思った。とにかく、今は話すことさえ精一杯、自分の症状を的確に客観的に具体的に話すことなんて、とても無理だ。「気持ちがとても変だから」と母親に話しておいた。そして、私と少し離れて同行してもらうことにした。
電車の中でも、人と目が合うと震える、何もしていないのに体が小刻みに震えている。動悸が非常に激しい。電車の中の人ごみで、一気に気分が悪くなった。こんなに周りに人が居るのが耐えられない。それでも、病院に行かねば、薬は飲めない。市販の睡眠薬なんて、効き目が弱すぎて私には役に立たないくらいのことは知っている。とにかく薬が一刻でも早く欲しい。そんな思いで周りの人ごみを我慢して、発狂しそうになるのを押さえて、病院に向かう。
病院では、診療を待っている間に、朝飲んだコーヒーを吐いた。それでも、吐き気がおさまらず、唾液だけを吐いた。診療所は狭い。その狭さも私を苦しめた。狭い中で人が密集しているのは、それだけで辛い。わあっと叫びそうになるのをこらえた。診療では、土曜日曜と薬を飲んでいないことだけを伝えた。それだけ言うのが精一杯だった。それでも、医師は理解し、これだけの量の薬を一気に絶つのは無茶だといわれた。それもその筈だ。私は毎日20錠近くの、精神安定剤、抗不安剤、抗欝剤、睡眠導入剤、睡眠剤を飲んでいるから、日常何の支障も無く、無難に過ごせているのだ。それを、こうして薬を絶った事でようやく理解した。薬無しでは、私は生きている居場所が無い。死にそうな気持ちになることも再確認した。病院では、毎日の薬のほかに、とにかく今すぐ飲む薬を処方してもらい、すぐに飲んだ。医師は、薬が効きだしてくれば、自分の部屋が居場所に思えるようになるし、不安感がなくなると言われた。とにかく、薬が効くのを待つしかなかった。
家に帰るまでの電車の中の時間も長く、辛かった。家に帰ってもまだ薬は効かず、自分の部屋で居たたまれずに、近くの公園に散歩に出た。なるべく人気の無いところに行きたかった。人が居るだけで心が落ち着かない。私は重症のPTSD患者なのだと再認識した。一時間ほどで家に帰り、派遣会社数社にお休みの連絡を入れる。それだけは小まめに普通の業務のようにこなせた。そして、夜7時頃、今日の出来事の相当深い精神的なダメージの為に、心身ともに疲れ切っていたので早めに薬を飲んで寝た。夜12時に一度おきて、もう一度寝なおした。私のPTSDは重度なのだ。そう実感した一日だった。


2007/春