1月のつれづれ

徒然集INDEX


○1月24日(水)
引継業務を淡々と行う。こんなに膨大な量を担当者は果たして覚えてくれているだろうかと、不安がよぎる。午後に派遣会社の人が来て、この会社で、2月2日までいて欲しいと言われる。この会社の運営は本当に綱渡りだと感じる。いつもその場になって、その場を凌いでいる感じ。私がこの会社を去ることになったのも、去年の年末に急遽決まったことだし、引継担当者にも、先週末に無理矢理、押し付けた感じだった。今になって、引継が大変だってことが、ようやく分かったらしい。一般事務という契約条件だったのに、完全に営業アシスタント及びCADオペレーターの内容だったから、当然だ。会社は随分と人を良いようにこき使ってる。本当は、一月いっぱいでさっさと引き上げたいくらい。会社の都合で二月二日までこの賃金でいてあげるなんて、感謝して欲しいくらいだ。
○1月23日(火)
月曜までに、引継資料のマニュアルを作り上げ、午前中にその引継の説明をする。引継担当者は、先週金曜に急遽決まったらしく、この会社の運営は、何だか慌しい。人の出入りも激しくいつも、その場凌ぎという感じがする。午後から、早速引継を始める。担当者の飲み込みが早いので、次々と、作業を伝える。でも、余り覚えていない感じ。こんなんで大丈夫だろうかと、不安がよぎる。でも、私はやるべきことを淡々と伝えるだけでいいのだ。月末までに一通り教えてしまえば、私の作業は完了したことになる。会社は、自分がいないと動かないと言うのは、大きな勘違いだ。私の代わりなんか誰にだってすぐにできてしまう。一ヶ月もしたら、十分この担当者が、私の代わりを果たしてくれるだろう。人材と言うのは、使い捨てのような気がする。
ゲームでは、何故かテクニック(魔術)が使えず、困っていたので、今日も知らない人に、教えを乞う。すると、テクニックが使えるのはある一定の人種に絞られているということを、教えてくれた。結局最初のキャラクター設定からやり直しとなる。せっかくレベル上げしてたのに、また一からのスタートになる。でも、だんだん慣れてきた。コントローラーでの使用方法も分かった。早く誰かのチームに入れてもらって、一緒にゲームをやってくれる人を見つけたい。他の人達のグループが仲良しげに話していたりすると、孤独を感じてしまう。
ニュースで、ネットゲームのアイテムやゲームで使えるお金が、ごっそり盗まれてしまう、という報道を前に聞いたことがある。ゲームのアイテムやお金が盗まれるなんて、今の時代だからこその、犯罪だと思う。それだけのお金を蓄えるのには、何百時間もの、時間と労力を費やさなければならない。それを狙われて奪われたら、ゲーム愛好家にとっては、それまでの労力が全て水の泡となり、相当がっくりするだろう。もはや、ゲームのお金も、現実の金銭と変わらなくなってきているのだ。実際にゲームのお金も現実の金銭で買える様になっている。バーチャルな世界の金銭を現実の世界で売り買いするなんて、おかしな世の中になったと思う。
○1月22日(月)
昨日、ネットゲームで○○さんに教えてもらった場所で、一人でレベル上げする。なるほど、ここなら、低いレベルでも、一人で十分戦えるわけだ。とは言え、相手もレベルが低いので、そう簡単にはレベル上げできない。このポイントをクリアし、もう少し上のレベルを挑戦する。ちょうど××さんという人が、そのポイントで、ミッションしてたので、参加させてもらう。こちらも、「こんばんはー」と声をかけてくれる。ここでも、「ちゃんと手付けしてる」と気にかけてくれるので、「なんとかー」と答えた。私が、一通りの敵に一撃当ててから、××さんが倒して、お互いに経験値をもらう仕組み。「みんな優しいね」と××さんが言うので、「そうですね。ありがたいです。」と答えた。戦闘ゲームというより、チャット状態。このゲームに女性の人が多いのもよく判る。殺伐とした、殺戮が楽しいのではなく、こうした、人とのふれあいを楽しんでいるのだ。お互いに知っている情報を交換し、低いレベルの人には、助言をして、レベルを上げさせてあげる。と言うところが、このゲームの魅力なのだ。こうしたところで、人のぬくもりを感じられるなんて、面白い時代になったと、つくづく感じる。人は毎日ちょっとした感動が必要なのだ、と思う。
○1月21日(日)
4ヶ月ぶりくらいにネットゲームをする。自分だけの好きな顔だちとプロポーション、髪型、目や眉の形、色、声まで、事細かく設定できる。今のゲームは進化したなと思う。でも、はじめてみると、やたらとアイテムが多く、どう使っていいのかも分からない。どこの場所から始めたらいいのか、どのタイプにしたらいいのかも、何もかも判らない。とりあえずレベルが低いところで、○○さんというレベル70ぐらいの人がやっているミッションに参加させてもらう。○○さんが、見ず知らずの私に「今晩はー」と声をかけてくれ、一緒にミッションに参加させてもらった。戦いながらいろいろと教えてくれるの。私が一撃あてて、○○さんが倒してくれるだけで、私は経験値を貰える。落ちたアイテムもレア以外のものは、全て譲ってくれた。「私も先輩たちから、いろいろ教えてもらったから。」と○○さんは言う。そう、この手のゲームは、知らない人から知らない人へ、覚えた様々な事柄を伝授しながら、発展していくゲームなのだ。だから、人とのふれあいの大切さを感じる。こちらも感謝の気持ちで、挨拶を忘れない。きちんとお礼して、(ちゃんと画面上で頭を下げるポーズも出来る)別れた。今日だけで、○○さんから色んな情報を得られたので、明日からのゲームに役立てると思う。もし、PSUやってる人がいたら、一緒にやりませんかー!ていうか教えてください。
○1月18日(木)
昨日、引継ぎ資料を作成したものを、工場長に説明する。案の定、私のやっていた業務が予想以上に複雑で驚いた様子だった。説明も1時間を予定していたが、その倍も掛かってしまった。私が居なくても分かるような、もっと細かなマニュアルを作って欲しいと頼まれた。だが、細かなマニュアルとなると、とても一日で終わりそうも無い。こんなものを引き継いだ人は、余程大変だと思う。私を正社員としてこのまま雇って欲しいと、言いたくなったが止めた。それは会社が決める事なのだ。私が居なくても大丈夫なように、黙々と綿密に作業する。
派遣会社からは、続々と次の仕事を紹介され、安堵する。どれも、今の時給よりは高い。すべて「OKです」、と答えておいた。とにかく、何でもいいから、切れ目無く仕事を続けられればいいと思う。
昨日の帰宅の電車の中で、隣に座っていた人が、かわいいペットのシャンプーの仕方、なんてページを熱心に読んでいた。きっと自分の飼っている犬を、相当愛情こめて育てているんだろうと想像がつく。なんだかいいなあと思った。私も猫を飼っていた頃、そのしぐさに心を和まされていた事を思い出した。その猫は知人に預けてしまったのだけど、預けに行くときの猫の状態は、まるで私が拉致された時を髣髴とさせるような、可愛そうな状態だった。座席の奥の奥に潜み、ひたすら悲しげな声をあげていた。私は自分の過去の姿を見ているようで、とてもすまなく思っていた。拉致する側ってこんな心境なんだろうか。猫もPTSDにかかるんだろうか。私のことを恨んでいないだろうか。今も元気にしているだろうかと、思いが次々とよぎる。
○1月17日(水)
今月で会社が終了するということは、今の私にとって、とてもストレスになっている。今までOA業務の他にも、CAD図面を描いていて、それを出力してファイリングする。描いてきたCAD図面は200枚にものぼる。これだけCAD図面を描いているのなら、CADオペレーターで、今より時給は200円高いはずだった。これをOAオペレーターの時給で雇ってきたのだから、会社は随分得をしたと思う。結局、私はいいように使われたって事だ。しかし、これ以降、この会社にCAD図面も描けて、OAオペレーター兼任の後継者は来るのだろうかと、心配になる。CAD図面を描ける人ということなら、当然時給は今の私より高い賃金で無いと、そうは居ない。でも、会社が決めた事だから、私が心配する事ではないと、気持ちを切り替える。
でも、今までやってきた仕事をファイリングするのって、とても寂しい。私は会社でもっと愛されたかったんだと、今更ながら気づく。派遣社員は悲しいし、寂しい。正社員のように、会社から愛される存在で居たい。私は社会での存在意義を求めている。
この前、心療内科に通院したときに、医師に「自分を粗末に扱っていませんか」と訊かれた。私は答えられなかった。私は、自分を粗末に扱っている、と内心確信している。自分の身もいつ死んでもいいと思っている。自分の心も、干からびて痩せっぽちになっているのを感じる。そして、飢え乾いた心は、他の誰かとの潤い求めている。それさえも私は押し殺そうとしている。私は、自分の身と心を、自らがんじがらめにして痛みつけているのだと思う。自らの存在否定ほど辛いものは無い。これもPTSDの影響なのか。なんだか凄く切ない。
○1月16日(火)
先週の木曜日まで、全く仕事が無かった。仕事をしている振りをするのも、ストレスが溜まる。金曜日から、ようやく引継ぎの資料作成を指示され、その作業にはいる。これでもかと言うほど、今まで自分の与えられてきた業務内容を事細かに打ち込む。このぐらい綿密にやっておかないと、後任の担当者が、困るだろうと考えたからだ。しかし、こういう作業をしていると、本当にここから去ってしまうのだ、という意識を新たにさせられる。ものすごく居心地が悪い。なんか居るだけで、罪悪感を感じてしまう。
ただ、ほっとさせられたのは、先週中に派遣会社から、次の仕事を早々に貰えそうな打診があったこと。派遣会社からはまだ見捨てられていないと思うとちょっと安心。でも油断は禁物だ。実際にその職場で働いて、まず三日持つかどうか、その次は三ヶ月持つかどうかが重要になる。派遣という職種は、その場に来て、すぐにその職場のソフトに対応し、その日から働けないと話にならない。それでもって、正社員より優秀でなければならない。そうでないと、すぐに首になる。派遣と言う職種は、その賃金と同様に、それだけのスキルが要求される、怖い職種なのだ。でも、自分で仕事を見つけるには、もう無理に近い事は十分すぎるほど知っている。たいていの場合、年齢35歳までだし、情報誌に載っている情報など、既に多くの求人が埋まっているのだ。今は派遣に頼るしかない。また、面接するのかと思うと、動悸が激しくなる。

○1月10日(水)
宇宙は広大である。今私たちが住んでいる地球を抱く太陽系は、天の川に見られる銀河に内包されている。また、この銀河も、無数に存在する銀河群の一つに内包されている。更に、こうした無数の銀河を含んだ宇宙自体が、無数に存在している。こうしたことを考えると、人間と同じような、知的生命体がいるとしてもおかしくはない。私は、神の存在は、人間が人間だけの為に、また人間が義人として生きるに作り出したものだと思うようになってきた。人間だけが特別に知性を与えられたとは考えにくい。この宇宙空間に、人間以外の知的生命体にも、それぞれにそのような神は存在するのだろうと考える。
知的生命体は、その死後に(或いは生前にも)救いを求める。これは、他の動植物には無い思想だ。救いは神によって得られると思っているのだ。
○1月8日(月)
地球の大自然を捉えた映像をテレビで見る。北極も南極も人類の繁栄に伴う地球温暖化の影響で、ここ100年で5度も気温が上昇していると言う。人類の繁栄には、地球の自然を犠牲にして成り立っているのである。地球の自然破壊は、発展途上国が、より高度な繁栄を求めて発展していく限り、続いていく。地球はより高温になり、それによって今までの生態系が失われて、絶滅していく動植物が激増するだろう。極地の氷は解け、水位が上がり、埋没する都市も出てくるだろう。100年後200年後を見据えた時、地球の人口を満たすだけの食料や、エネルギーは残されるのだろうか。それともアニメに見るように、人類は、宇宙に生きていく場所を見出していくのであろうか。
アニメの機動戦士Z・ZZガンダムは20年も前の番組にして、そんな未来を想定したものだった。地球にへばりついている人間によって自滅していく人類と地球。「人類全体に人の生きる道を示して、無駄なく、正確に、人の変革の道を進むべき時代だと思わないか?」 「急がなければ人類は地球を食いつぶす」と悟り地上人に粛正を図ろうとするハマーンに対し、主人公たちは、「人間が信じられないのか、人は変わっていくものだ」と主張する。そうした人間と地球の未来を想定した話なのだが、今人類は、そうした話し合いが一番必要な時期に来ているのではないかと思う。今後100年もしないうちに、地球の自然は一変するだろう。そう、既に地球の自然は、微妙なバランスを崩しつつあるのだ。毎日放出される化学物質の量だって相当な量にのぼる。その量は、生命体が未知の物質に適応していくスピードを遥かに超えている。
数年ほど前に見たドキュメンタリー番組で、枯葉剤を撒かれたカンボジアで、世代を超えて奇形児がたくさん出生しているという報告を聞いたことがある。また、微量の化学薬品によって汚染された動物たちの生殖活動が、鈍っていることも聞いたことがある。化学物質の氾濫は、今に多くの種の生存を脅かすことになるだろう。これは、動物だけに限らない。種の頂点に立つ人間にとっても、最も危険なものになるだろうと私は予測している。救世主が現れて、これらを全て解決するなんて夢物語は、私は信じていない。近未来はもっと現実的にやってくる。
○1月5日(金)
昼過ぎ、派遣会社の担当者が私に話があると言うことで、会社に訪れる。嫌な予感がする。予想どうり。私の部署の業務縮小のため、契約を今月1月いっぱいで打ち切るという事だ。見かけは体裁の良い言葉だが、要は、私はもう必要無いと言う事だ。その言葉を告げられて、私は少なからずショックを受ける。だが、顔には出さず、はいわかりました、と言う。私がここに居て、やってきたことは、無駄ではなかったし、会社にも大きく貢献したと思うが、私の仕事は、事実上、殆ど無くなった。今月分の仕事も今日中に終わってしまったし、後は、私の部署の仕事の捗り具合で、30分も在れば終わってしまう入力作業だけだ。もう、ここら辺が潮時だな、と自分でも薄々感じていた。
職場では、私のショックを受けた感情などは、入り込む余地が無い。上司も工場長も専務も多分、皆11月の時点で、そのことを決めていたのだと、内部の事情から知る。それでも、皆そのことには一切触れず、私に関わってきたのだ。忘年会で、来年も皆さんよろしくと言う言葉は、私以外に向けられた言葉なのだと知る。職場の空気は冷たい。私もその空気に紛れるように、淡々と、一月末まで、何も言わずに仕事をし、二月から突然居なくなる事に決めた。私もビジネスライクには慣れている。派遣社員の宿命と言うのは、そういうものなのだ。
次の仕事をどうするかと、担当者から聞かれたが、次の仕事など、多分やってこないだろうと予測する。40代の派遣社員を雇う会社が、そう在るものじゃない。私は次の仕事が来るのを、半ば諦めているし、次の職場に慣れるのも、辛くなってきている。面接も苦手だ。しかし、毎日何も無い生活は怖い。私は一人、体が震えるのを感じる。
○1月4日(木)
私は、死後の世界を望まない。死後に神よって救われたいと思わない。私にとって、神は居ても居なくても良い存在になった。神は居ても愛されているとは思わない。神は人間一人一人の命の存在に対して、介入しているとは思えない。毎日如何に多くの人間が、何の罪もなく飢餓や戦争や災害で死んでいくのかを考えると、神は余りにも不平等すぎる。たまたま、日本という先進国に生まれたから、こうして何の苦労もなく、生きていられるのだ。神の栄光は私には見えない。神を崇める宗教も、私には必要ない。もし神がいるとしたら、神と人間との間に、聖句も聖者も必要がないと思う。本当に、人間の尊厳だけを守ってくれるものを神としたい。
しかし、魔の存在は、はっきりと認識できる。自分の心の中に、人の心の中に、魔が存在しているのが分かる。人を高みに立たせ、人を差別し、侮蔑し、傷つけ、殺すもの、それが私にとっての、魔である。他の神を異端と称してそれを信じる人間を殺す神は、魔だと思う。私は、キリスト教団もイスラム原理主義も統一教会も同じ穴の狢だと思っている。
○1月2日(火)
昨日妹家族が帰り、弟家族が残った。一緒に朝食、昼食を食べる。昨日と同じく、子供中心で、他には何の話題もない。居たたまれなくなる。子供が話しかけたときだけ、私は笑い顔を作る。後は、テレビを見ている事に集中する。他の誰とも視線を合わさない。無意味だ。弟家族が夕方頃、帰る。妹も弟もやっと居なくなり、ほっとする。しかし、何も話さないでいる、私のことを、皆はどう見ているのだろうか。私の心は、妹や弟やその子供たちから、完全に離れてしまっていると言うのに。私は、両親の死後どうなるのだろうかと想像する。妹や弟と一緒に暮らすのだけは避けたい。そう思うとぞっとする。私は、一人で早めに死ぬ事を望む。
そういえば、今日の初夢は、地球最後の日だった。選ばれた人々だけが、宇宙に逃げる為に、ロケットで旅立つ。しかし、そのロケットも、急速に重くなった地球の重力によって旅立てない。飛び立つまもなく、地に沈むロケット。それを見ている私。というもの。破滅的だ。生きていても希望がないのを象徴しているかのようだ。
○1月1日(月)
大晦日は、何もすることなく、紅白も見ずに寝てしまった。会社に行っているときのように、何度も眠りなおし、朝7時には目が覚めてしまった。妹弟の家族、総計7人が来たのが、11時頃。昔のように、妹に会うときに、動悸はしなくなったが、別段、嬉しくもない。笑う振りをして、皆に挨拶をし、食卓を囲む。おせち料理がずらりと並ぶ。特に食べたいものはないのだけれど、そこにいて、何もしないわけにはいかない。こういうとき子供がいると、皆の視線が子供に向けられて、楽だ。話題も子供のことが中心となる。私のことなど話題に入らない。皆、私の話題になると、重い内容になる事がわかっているようだ。決して、私の今の状況など誰も訊かない。私も誰とも視線を合わせないように、なんとなくそこにいて、仕方なく食べる。別にそこに居たい訳ではない。特にその場の雰囲気に波風立てず、そこに座っていれば良いだけの話だ。私にとっては、お正月の家族の団欒も、家族ごっこに過ぎない。
年末にフセイン元大統領の死刑が執行されたのを知る。とても大きなニュースだと思うのだが、年末のあわただしさに紛れ、そのニュースも事実だけを伝え、すぐ終わる。テレビの番組は、新年のたわいない、私にとっても家族にとっても、どうでも良い内容が目白押しだ。テレビは、その場にいる人間を集わせているようだが、そこに会話は生まれない。あたかも、皆で楽しんでいるかのような雰囲気を作り出す。でも、誰も喋らない。ときたま、笑う程度。フセイン元大統領の死刑などという重い内容は、どうでもいいのだ。テレビの幅広い情報から、重要な内容を取り出し、皆で議論するなどという事は、団欒には要らないのだ。私はフセイン政権の復活が完全になくなったことは、イラク政権にとって、世界情勢にとっても、とても重要な意味のある内容だと思うのだけれど、誰もそんな事、口にはしない。
私の近況も誰も聞こうとしない。何の為の新年会なんだ。私には、ただ集まって一緒に食べているだけに感じる。とても無意味に思えてくる。

2006/12  2007/春