4月のつれづれ

徒然集INDEX


4月24日(火)
昨日から、妹への手紙をどう書くかという不安で一杯になっているようで、何をしても居たたまれない。昨日の夜は、アルコールを相当量飲んでしまい、爆睡。朝起きて、メールの返信などしたが、やはり不安と緊張感でどうにもならない。
更に昼からもアルコールを飲んで、5時間ほどふて寝する。起きると、今度は、アルコール依存の自分に嫌気が差し、ひどい自己嫌悪に陥る。あああ、私って馬鹿。これじゃあ、薬を貰っている意味が無い。
この気分から抜け出すのに、更に時間が掛かる。

改めて、冷静に、手紙をどう書くか考える事と、HPのUPの仕事に取り掛かろうとするが、どれも気の重い仕事で、精神のパワーを蓄えようとするが、気持ちが焦るばかり。結局何一つ手につかないまま、一日が終わる。 どうやら、軽い鬱の状態にある。


4月22日(日)
先日、北海道で初めて会った脱会者の方から、メールを頂く。脱会者と言ってもそれぞれ違う環境なのだがの、HPをじっくり読んで下さり、とても有り難く嬉しく思った。
お互いに、脱会時の家族やカウンセラーの理解は、違う部分は有るけれど、その時に受けた心の傷で、いろいろな症状をを引き起こし、毎日苦しみながら、頑張って生きている事を知る。

彼女のメールにも書いてあった様に、今の有るがままの自分を、まずは自分が認め受け止めて、焦らず、できることを一つ一つやっていくしかない。
こうして、共に生きる仲間がまた少し増えたようで、嬉しく思う。

夜に、妹から会いたいとのメールが有り動揺する。妹も監禁現場にいたので、私は妹に会う事すら怖くなっている。そして、そうしたPTSDを持っている事を妹に伝える事も怖くて、未だ出来ないのであった。
しかし、そろそろ話すべき時が来たのだと思う。手紙で、私のPTSDを伝えようと決心した。取り合えず、話したいことが有るので、改めて手紙を書くねとだけ、返信をした。

しかし、そう冷静に返信したものの、みるみる緊張感が襲ってきた。思わず、ダンベル体操を無理やりこなして、その場を凌ぐ。


4月18日(水)〜20日(金)
友人と、北海道のマインドコントロール研究所のPさんに会いに行く。

初日の夕方、早速Pさんと話をする時間を取ってもらうが、Pさんは普通の脱会者と同じく私たちが脱会後の心のケアの為に来たものだと思ったらしく、カルト以前の親子の問題、特にそれぞれの人格形成に至るまでの経過を話す事になった。
本来話したい目的とは違い、このままでは目的を果たせないと思ったが、疲れていた為にそのまま初日の会談は終わる。

次の日、カルト救出の為の監禁と、その後の不適切なケアの為にPTSDで病んでいる脱会者の為の自助グループを作る旨を話し、その為に相談に来た事を納得してもらう。どうやら、その様な相談は始めてだったらしい。
また、そうしたPTSDの自助グループを考えている人も、未だかつて居なかった事を改めて知る。

しかし、私の周りだけでも、脱会時とその後のPTSDで病んでいる人は、私を含め4人も居る。きっと、孤独にPTSDに病んで居る人や、PTSDと気づかずに躁鬱やフラッシュバック、パニック障害を繰り返している人も居ると思う。
少しでも、そうした人々との輪を作ろうと思っていることをPさんにも納得してもらう。

この日の夕刻は、早速、監禁ではないが、脱会時に受けた家族のいじめや暴力がもとでPTSDの症状を持っているカルト脱会者を紹介された。それぞれお互いの症状や、その時の環境などを話し合う。脱会時のPTSDと言っても、いろいろなケースが有る事を思い知らされる。

救出脱会の方法、それぞれの家族環境、みんな一人一人違い、PTSDで病む事はその人が「特別な」環境に有ったからではないと改めて思う。みんなそれぞれ家庭環境は違うし、カルトに入っていた思いも違うだけだ。
やはり、監禁のPTSDを持った人だけを「特別」な目で見るのは、おかしいと思う。

18、19日と、24℃と暖かく汗をかく程だったのに、20日は3℃と寒く雪も降り、桜もまだ咲くどころではなく、草木の緑も無い寒い「北海道」を実感する。

連日、Pさんは話す時間を取ってくれ、とても有り難かった。脱会時の苦しみや、それによるフラッシュバックを認め、受け止めてくれた事で、始めて脱会後に受けるべき、心のケアを受けたように感じ嬉しかった。

ただ、毎日12時間以上の眠りを取らないと疲れてしまう私には、少々ハードスケジュール。観光は、殆どできず、すすき野、時計台、旧北海道庁舎を見て、味噌ラーメンを食べると言う、定番のコースを、どうにかこなすだけで精一杯。
小樽で寿司を食べそこなった事が、悔いに残る。それでも、連日三食も食べたので、2キロ太った。(笑)

帰宅したら、行く前は蕾だったツツジや、藤が咲き揃っていた。こちらは、暖かったのね。


4月17日(火)
毎日、眠りが浅い。悪夢ではないが、不思議な夢を見る。

私の住んでいるSFチックな世界から、飛び上がって空に向かう。何故かSMAPの仲居君も一緒。(私的には稲垣君が良いんだけど。)彼は飛べないので、私の首にしがみついている。私は、夢の中ではいつも空も飛べるのだが、今回は更に物体の壁もすり抜けるという特技も身に付けた。

そして建物をすり抜けながら、空へ空へとどんどん高度を上げると、空には天井があった。いつもは、空の天井を破れないのだが、今回は鉄筋の階層構造で頑丈にブロックされている「空の天井」をすり抜けて、「外の世界」に出る事が出来た。

そして、今まで居た私の世界を振り返って見ると、それは、、、より巨大な世界の中にある建物のフロアに置かれた、只の一つの小さな「球体」でしかなかった。私は、その小さな「球体の世界」の中に、封じ込められていたのだ。

その小さな球体の世界を打ち壊し、その中に未だに封じ込まれ取り残されている人を救わねばと思い、その「鍵」を探しに、出てきたこの巨大な世界の探索を中居君と一緒に始める。

だが、その小さな世界を開放した時に、私たちを閉じ込めたこの巨大な世界の中で、解放された人々は生きられるんだろうかと悩む、というお話。

夢って、今の私の深層心理の情況を明確に暗示している様で、改めて感心する。


4月15日(日)
昨夜、薬を飲んで布団に入るのも、これから何をすべきか、特に自分が不安に感じる個所を取り除くには、何をしたら良いのかなどと考えていたら、すっかり目が冴えてさっぱり寝られず。2時間経っても寝れないので、お酒をちびっと飲んで、寝直す。

すると今度は、浅い眠りで、またもや悪夢にうなされる。枕もとで、悪霊さんたちが、ガオーワオーと吼え捲くり、頭の中にバシーンと閃光と衝撃が幾度も走り、体が急激に冷えたり熱くなったり、とてもじゃないが寝れない。
そこでむっくり起き上がり、夢の中で対抗する為に、悪霊退治の専門家、日本最大の陰陽師、安部清明様に悪霊退散の祈願をし、ついでに神にも、救われぬ魂の解放の祈りまでして、もう一度眠る。

どちらの祈りが通じたのか良く判らないけど。今度は、よく眠れた。

後の問題は、やっぱり3時間おきに起こす、飼い猫のみーちゃんね。


4月12日(木)
今日は、意外と明るい気分で過ごせる。

毎日の食生活が、余りにも不毛な為、少しは改善し、少しでもビタミン類を取ろうとようと、雑穀入りご飯に挑戦してみた。
先日買った「あわ」「ひえ」と、今日は「胚芽押麦」を買い、更にうちに有った「黒胡麻」の4種類を適当にブレンドして、お米に混ぜて炊いてみた。
これが、思ったよりも美味しく、噛み応えも有るが、ご飯だけでも十分いける。思わず、ご飯のお代わりをしてしまった。ちょっと癖になりそう。


4月11日(水)
微熱は下がって平熱に戻ったが、眠り病は治らない。悪夢にうなされつつ、17時間ぐらい眠る。

昼過ぎに、アトピーのときの通院仲間で、このHPを公開した友人から電話が有り、駅の近くで(夕方4時だけど)一緒に朝食(二人とも)を取る(笑)。

食事しながらの話題は、主に私のHPの内容になった。本人が監禁と感じれば監禁よと、とてもよく理解してくれる。
特に、正しい事をしていると言いながら、こうしたPTSD患者を作り出して、それを認めない部分などは、脱ステロイドしてきた我々にとって、ステロイド推進派の皮膚科医と照らし合わせて、同じだよね。と笑う。
PTSDなんか認めず、何だか一人で苦しんで社会復帰できない者を、脱ステの場合に当てはめると、勝手にステロイドを止めて、更に悪化し治療が長引いている、不適切治療患者と見なされるんだろう。

世の中の先生と呼ばれる人は、自分が正義の「立場にある」という事と、正義の立場で行う事が「全て正しい訳ではない」事の、区別が出来ないらしい。(笑)

でも、こうして深く理解してくれる人がまた増えて嬉しかった。
やっぱり、いろいろと場数を踏んで苦労してきた人は、人の苦痛に対しても敏感だし、鋭い感性と物事を正確に見る目を持っていると思う。


4月10日(火)
昨日まで、眠り病のように、12時間以上も連日寝ていたせいか、今朝は殆ど眠れず。1時間で目が覚めてしまった。微熱はまだ続いているが、だるさが少ない為、朝から庭の手入れ、風呂場の掃除、洗濯をこなす。

先日、「夜桜の憂い」の文章を印刷して、親に読んで貰う為に郵送した。少しでも、拉致監禁が、親が牧師の言いなりになり、反カルトのマインドコントロール上で行われている事。
それは、保護ではなく、まさに正義の味方面した拉致監禁であり、その恐怖からPTSDという病を発症している人間が居る事も知らせたいと思ったからだ。

その返事が親から届く。
返事の内容によると、両親とも私が文章を送る前から、それぞれの視点からその牧師のコントロールに掛かっていた事に気が付いていたようだ。
監禁時、いやそれ以前、救出活動をしている教会の牧師の所に通うようになってから、その牧師のコントロールに掛かり、救出と言う正義の名のもとに人の痛みを与える事に気付かない愚かな者になっていた。すまなかった。申し訳なかった。と書かれている。

前回の手紙だと、余りの事の重大さに、動転し泣きながら謝るだけの内容で、謝られても私としては困るだけだったが、今回の手紙では、自分達のしてきた事が、客観的に理解できたようで、私としても安心した。

夜桜の憂い」で訴えたかった内容が、両親に理解された事で、私の不安感も少しは減少した気がする。一つの山は越えたように思う。

後は、その牧師にどのように、私のPTSDの苦痛の訴えを理解してもらうかが、大きな課題となる。


4月9日(月)
微熱は余り下がらず、相変わらず体がだるくて、起き上がれない。取り合えず、夕方5時ごろに、起き上がり、今まで溜まっていた日記を綴る。でも、なんで、こんなに疲れているんだろう。風邪かなあ。

4月8日(日)
体のだるさと微熱(36.8分〜37度)は続いているが、起きている間は、メールの返事書きと、HP作成作業を進める。特に、ステロイド後遺症で長年苦しんでいる方に返信しながら、ふと自分のしている作業の意味を見い出す。

HPを作って公開しようとしてるのには、苦しんで生きている者の声をきちんと残していきたいと言う思いがあるからだ。
このHPで社会が変わるとは思っていない。そんな事は、とても無理だし、社会も何も変わらないかもしれないけど、苦しんでいる者の声を言葉として、どこかに残していく事は必要だと私は思っている。

私の、このHPのページで心の苦しみを訴え叫んでも、聞いて欲しい者の誰にも届かず、社会も何も変わらないかもしれないけれど、こうして生きている者が居ると言うことを表明する為に、書き続けて行きたいと思う。そして、いつかは、公にしたいと思ってる。

HIVの会報のように声だけでも残して、それによって少しずつ、世間の見方が変わってくれれば良いなあと思う。

韓国の従軍慰安婦達のように、40年以上経った今、やっとその叫びが、加害者側に届こうとしている日本社会では、こうした心の叫びは、苦しんだ者達が、ひたすら苦しみの心をこじ開けて叫び続け、長い時間を掛けて表していかねばならないんだと思う。

その為の、基礎の一粒の石ころに成れれば良いなあと思う。


4月6日(金)〜7日(土)
無理やり、苦しい監禁の部分を書き上げた疲れが出たのか、微熱が出て(37.2分)体がだるい。起き上がれないし食べれない。毎日12時間以上、悪夢にうなされつつも、寝て過ごす。

しかし土曜の夜は、友人達と季節物の自然食にこだわる小料理屋さんに行って、夜の定職を頼み、久しぶりに自然の豊かな味と香りと食感を楽しむ。
菜の花はしゃきしゃきだし、食べたかった土筆のお浸しも嬉しかった。里芋の木の芽と明太子和えも絶品だったし、何よりも、玄米ご飯の歯ごたえと、3年寝かした八丁味噌ほどに熟成された赤出汁の味噌汁が感動するほど本当に美味しかった。

メニューは、お煮しめと、里芋のクリームコロッケと、ちょっとした小鉢が数種と、いわゆる野菜中心の家庭料理なのだが、どれも季節の素材の味と香りを存分に生かしていて、嬉しかった。こうしたものを毎日食べていれば、身も心も芯から本当に元気になれそう。


4月5日(木)
昨日の疲れからか、一日中やたらと眠い。昼過ぎに、HP書きの作業をしていたら、近くの友人がフラッシュバックを起こしているのか居たたまれないと言う事で、私の部屋に来る。
私は、監禁時の様子などをまとめていたのだが、薬のせいか、或いは、鬱で何も感じないせいなのか、フラッシュバックを起こさずに、どんどん作業を進める。

しかし、暫く書いているうちに、眩暈がしてきたので、となりでビデオを見ている友人を尻目に暫く横になって眠る。その後、二人で外食した後、再び、HP書きを続けてUPする。疲れているにも関わらず、よく働いたわ。


4月4日(水)
地下鉄で1駅の近くの公園に、脱会者仲間3人とその子供達2人と、ピクニックに出かける。ちょうど桜の木も有ったので、その下でそれぞれ持ち寄ってきたお弁当を広げ、お花見となった。
食事の後、やはり、お互いのPTSDについての話し合いとなり、お花見でする話題としては、相当暗い話なのだが、それぞれの体験を聞きあうことで、とてもリラックスする。場違いな事は確かだが、一般的な話で楽しむより、過去の辛い体験を聞きあうことで、お互いが癒されているように思う。

とても広い公園で、田んぼや畑まで有り、近くには牛や豚、鶏まで飼っている農場が有り、田舎に遠足に来た気分だった。
多分一人で来ては、楽しめないのだろうが、子供が居ると、その素直な感性に和まされる。草や虫や動物達、小さな川のせせらぎに、夢中になり体中で喜びを表している。
私がとっくの昔に忘れ去ってしまった感性と、豊かな表現を、持っていることに羨ましく思う。自分は何時から、こんな気持ちを失ってしまったのだろう。

夕食も外で済ませて、家に帰ると、ネットで知り合った人から電話が有った。先日、私のHPを公開した人からの電話だった。私の日記を読んで、心配してくれたようだ。

日記を読んだ感想とか、電話でいろいろと話す。親の愛と言っても愛情じゃない愛も有るし、保護と言っても、親のエゴが本質に有れば、それは監禁となる。そうした抑圧や圧迫で後で、体に症状が出てもおかしくない事。等々。

やっぱり、いろいろと体験している人は、話が通じやすい。話していてほっとする。

彼女のほかにも、ネットで知り合った数人の方に、このHPを公開したのだが、それぞれ好意的な返事を貰ってほっとする。
私は、友人に少しずつこのHPを公開する事で、監禁のPTSDから、カミングアウトしようとしている。


4月3日(火)
今日は珍しく午前中に起きる事が出来たので、朝から掃除、洗濯、布団干し、食料の買出しと、目一杯家事をこなす。血圧を上げる薬が効いているのか、朝の立ちくらみも無い。

昼過ぎにダンベル体操とスクワットをこなし、昨日のPさん宛てへの手紙の続きを綴る。監禁が二度も有る為、その時の情況を心理面まで詳しく書こうとすると、膨大な量になる。
鬱状態の為か、フラッシュバックを起こさずに淡々と書ける事は良いのだが、なかなか感情が湧き上がらない。
恐怖で手や体が震えださずに済んでいるが、怒りも悲しみも何も感じない。感情的文章にならずに済んでいるので、これで良しとするか。

ちなみに、これらの過去の歴史に関する文章は、その後HP上にアップする予定です。


4月2日(月)
睡眠導入剤で眠るように心掛けているが、余り眠れず、また、昨日の心霊悪夢が今日も襲ってくるのでは無いかという恐怖感から、やはりアルコールを飲んで寝る。朝8時に眠りに付き、夕方6時に起きる。殆ど昼夜逆転生活だわ。
これをどのように、普通の時間帯に戻して行くかが今後の課題ね。

精神的に、まだ鬱状態が続いている為か、感情も思考も鈍く、何も感じない。何をやろうという気力も起きない。無理やり、納豆ご飯と野菜ジュースを胃に押し込めて食事を終える。

私も、友人と一緒に、マインドコントロール研究所の所長さん(Pさん)に会う為に、来月、北海道行きとなったので、その方とメールのやり取りを始める。
Pさんも私の事を、詳しく知りたがっているようなので、今までの経緯を書こうと思うのだが、上手く文章にまとめられそうにない。これから薬で、引き上げなくちゃ。


4月1日(日)
昨日、久しぶりにアルコールを飲まずに睡眠導入剤で寝たのだが、余りに浅い眠りで悪夢にうなされつづけ、2時間おきに目が覚める。
金縛り状態で、ほとんど心霊現象。余りに怖くて、近くの友人宅で、眠らせてもらう。友人宅でも、悪夢は続き、朝7時まで、殆ど眠れず。

眠れなかった事に、腹が立ち、その後、アルコールを飲んで爆睡。10時間もたっぷり眠る。ざまあみろって感じか。(笑)
でも、これじゃあ、睡眠導入剤を貰っている意味が無いわね。さあ、今日は、アルコール無しで眠れるでしょうか。


2001/3