3月のつれづれ

徒然集INDEX


3月31日(土)
昼12時に起きて、友人と朝食を取る。(もちろん友人は昼食だが)。
しかし、先日HPアップの執筆の為、無理やり思考と感情を引き上げる為に、ウィスキーをボトル半分も飲んでしまった為に、二日酔い状態。アルコールが抜けていない。更に、鼻炎も再び悪化。ボロボロ状態。鼻炎の原因は、どうやら花粉ではないようだ。猫を飼って5年経つが、今更、猫アレルギーだったりして?(笑)
仕方なく、心療内科に向かう時刻まで再び仮眠を取る。

3週間ぶりに心療内科での受診。今までの経過を報告する。朝の立ちくらみは、どうやら食べてない事による血圧の低下によるものらしい。
また、近頃の感情や思考の低下は、鬱の状態である事が判った。今までの、鋭敏な感情や高速思考、やり出したら止まらない行動等は、いわゆる躁の状態であった事も判った。もともと躁鬱の傾向にあったのだが、監禁のPTSDによって、その振幅が大きくなってしまったらしい。
でもって、また、更に薬が増えてしまった。薬漬けの状態も余り好きではないんだが。今は仕方ないか。


3月30日(金)
朝8時に目覚め食事をし、ダンベル体操で基礎体力アップをする。
ダンベル体操は、2週間ほど前から始めたのだが、確実に体が引き締まり、体も軽く、動く事が楽になった。ドロンとした疲れやしつこい肩凝りも、一気に改善された。

只、昨日の余韻で、緊張感が抜けず、メールやHPのアップで、心の深い部分を書こうとすると急に手が震えだす。パニック障害の薬を飲んでやり過ごすが、やはり相性が悪いのか、めまいがする。くらくらするので、仕方なく、昼から夕刻に掛けて、昼寝をする。


3月29日(木)
脱会者関係の友人達と、お花見の予定であったが、朝からの雨でお花見は出来ず。
だが、監禁のPTSDを持ったメンバーだけが3人集まる事になり、監禁やPTSDのそれぞれの症状、そこに至ったまでの経過など、他の人にはいう事の出来なかった、それぞれの胸の内を吐き出すように、深く話し合った。
私自身も、フラッシュバックとパニックに襲われ、カタカタ震えだしたが、今までの思いとかだいぶ話せた。

私達の監禁自体が、監禁者の(保護とは密閉空間で監禁して行わねばならないという)マインドコントロール上で行われ、本来の保護とはかけ離れた異常な状態で行われたことを改めて再確認する。そして、監禁後解放された後も、そうした監禁マインドコントロールに掛かっている人々の影響で、心の監禁が未だに続いている事も知る。

そうした監禁が本来の保護とは違う事、監禁がどんなに苦しかったかを、監禁実行者達に訴えても、特別扱いされ、監禁時の苦しみから解放されていない私達を、特別だからと言う理由で、誰もその心の苦しみを理解せず、なおざりになっている事。

3人とも、そうした無理解によって、PTSDがどんどん悪化していった事を確認する。


3月28日(水)
朝5時に寝て、3時間ほど眠ったところで目が覚める。いきなり花粉症に襲われ、鼻水が止まらない。微熱も有り、だるいので、もう一度寝なおし、昼3時に起きる。

友人に、花粉症用のマスクを買ってきてもらい、鼻うがいをしてマスクをつけたところ、夜には花粉症は完全に治ってしまった。もしかして、只の風邪だったのか?


3月27日(火)
細切れで2,3時間の浅い眠りを続け、いくら寝ても疲れている。一日24時間の内、トータルで17時間は眠っていた。特に何もせず、一日が終わる。
3月26日(月)
昨日の寝貯めのおかげで、朝6時に目覚める。朝起きて食事をし、一日を始めるのってなんて気持ち良いんだろう。掃除洗濯したりして過ごす。

昼食は友人と日頃の情況を伝え合う。
その後、土曜に行けなかった心療内科に薬を貰いに行くが、一気に花粉症に陥り、くしゃみが収まらず苦しむ。


3月25日(日)
眠り姫?(嘘)のように、ひたすら眠る。一日24時間のうち、16時間眠り、残りの数時間で、食事、洗濯、掃除を済ます。食べる量が少ない分、疲れる。
3月24日(土)
今日は心療内科に通う筈だったが、先日のアルコールで起きれず、また自己嫌悪の為に行けず。
3月23日(金)
アルコールを止めようと思いつつ、結局飲んでしまう。起きたら夕方6時。
自己嫌悪で精神状態は最悪。

夜に更に飲んでしまう。これって、自傷行為だわ。判っていながら、私って、本当に馬鹿。


3月22日(木)
近くの友人と3人で昼から、市内にある「スーパー銭湯」に行く。400円ほどの銭湯料金で、7〜8種類の銭湯を楽しむ。この金額で、これほどの金額でこの設備には感動する。

その後、ファミレスでお互いの近況を話しながら食事をする。
それぞれが、その人生を苦しみつつも、或いは安らかな時を得つつ、前に前に進んでいる事を肌で感じる。

それぞれ、環境や感じる事は違っても、みんな、一緒に生きようね。
それだけが、私の願い。


3月21日(水)
先日、親に郵送した日記の返事が届いた。
だが、パニック傷害を抑える薬の為か、その内容を読んでも、喜びも悲しみも怒りも何も感じない。何だか、薬で無理やり感情を押さえ込んでいる事が、はっきりと判る。本当に何も感じず、どうして良いのか判らない。

本来ならば、すぐに返事をくれた事、今の私の現状を少なからず理解してくれた事への喜びと、しかし、伝えたい内容と親の意識とのギャップに怒りを覚えるところだが、頭の中に霧が掛かった様で混沌としてよく判らない。
意識の奥底では複雑にいろいろと感じているのは感覚的に判るが、意識に上ってくるのを抑えて込んでいて、言葉にもならない。喜びも悲しみも、何も感じない。
確かに、薬でパニックにならずに済んでいるが、感情が湧き出ず、従ってこの事態に対処する方向性を考える思考も鈍くなっている。

この薬、嫌だわ。今度変えて貰おう。


3月20日(火)
夜にアルコールをこっそり?飲み始めて、1週間ぐらいたつが、これによって体重の減少が収まる。やはり、一日の総カロリーを、アルコールで補っていたのね。。(苦笑)
どおりでアルコールを飲んでない期間、毎日寒くてゾクゾクして、体がだるかったわけだわ。という事は、日々の食生活のカロリーをもっと増やして、アルコール量を減らさなくちゃいけないって事か。

しかし、睡眠導入剤を飲んでいるにも関わらず、アルコールを飲んだ日は更に覚醒作用が強まって、眠れなくなってしまう事も判った。私の場合、アルコールと睡眠薬の併用では、死ねないって事ね。(笑)


3月16日(金)〜19日(月)
睡眠記録を正確に取って見ると、毎日3時間おきに飼い猫に起こされ、浅い眠りをずるずる続けている事が判る。誰かに引き取ってもらう事も考えたが、これだけ飼い主依存症の猫を引き取ってもらうのは無責任だと思う。
問題は、猫の飼い主依存症をなのだ。一人で勝手に餌を食べれるようになれば、良いのだが。どうしたら良いんだろう?

薬のせいか、このところ、うわあっーと怒りが増して、思考が高速に巡る事が無くなったが、その反面、とても怒りや苦しみに対する感性や、思考回路が鈍くなった気がしてならない。今までは、特に、人間本来の尊厳を侵す物事について、鋭敏に反応していたのに、そうした物事に対しても、自分がどう感じているのか判らなくなってきた。
薬は、確かにパニックを抑える働きをしていると思うが、鋭敏な感性や緊急時の高速思考を、押さえ込んでしまうのはとても悲しく、また不安にも感じる。

今までの私は、そうした高速思考によって、自分の弱みを見せない様に難関を潜り抜け、生き長らえてきた部分が大部分を占めていた。そして、その様な苦しい状況を乗り越える事で、初めて生きていると感じていた。
既に、「常に苦しい情況でないと生きていると感じない」という、感覚になっている。

こうした身には、今の感覚は何だかとても変な感じ。頭にもやが掛かっているような感じだ。私が、私で無くなってしまうような気がする。

パニック傷害を抑えるには、今の薬は必要かもしれない。しかし、感性もまた抑えられてしまう。どうしたら良いか、悩むところ。


3月15日(木)
先日の真夜中に親から留守電が入っていた。前に、私がPTSDで未だに精神的に苦しんでいる話をした事で、心配しているようだった。

だが、私の現在の状況やそれに至るまでの内容を、詳しく話すだけの余裕は今の私には無い。どうしたら良いのか、数日気に病んでいたが、実際に会ったり、会話したりするよりも、日々の有り様を書き連ねたこの日誌を読んで貰う方が良いと思った。
そこで、昨年10月から今年2月までの、この日誌をコピーして親に郵送する。

私が、本来伝えたい相手に送る、メッセージである。果たしてどれだけ理解できるだろうか。


3月14日(水)
雛祭りの会でメニューを考えた自然食品の知識に豊富な友人から、味噌作りに招かれて、その方のお宅に伺う。
メンバーは、その方のお母さんの日本語学校の先生、バングラディッシュを救う会の方、韓国人留学生で哲学を学んでいる方、と多種多様であったが楽しく過ごす事が出来た。味噌を作り終えお茶会になり、それぞれの食文化について話しに花が咲く。

日頃は片手で数えるほどの食材しか口にしていない私は、私より遥かに食事制限の多い友人の、日頃の食生活の豊かさを改めて思い知らされた。その方が、工夫して作ったおかずの数々に、それぞれの食材本来の様々な香りと食感を感じる。
なんて豊かで、生き生きとしているんだろう。

それらを、単なる肉的エネルギーでなく、心と精神のエネルギーとして食から取り入れている事に、感動すら覚える。
私は只、生物として「生きる」為だけにどうにか食べて生きている。だが、彼女は「活きる」為に、自然本来の豊かさを取り入れて生きている。

それに対して私は、なんて貧相で脆弱で狭い世界を生きているんだろう、と思う。


3月11日(日)〜3月13日(火)
薬のお陰か、だいぶん食べれるようになって来た。体も、食べれれば暖かいので、動きやすく、だるさも少ない。只、動けるのに何もする事がない、興味が持てない事に不満が増す。

また、眠っていても、毎日3時間おきに飼い猫に起こされてしまう事も、日々のイライラ感に繋がっている。もう一緒に生活するのは限界かもしれないと感じている。
猫も、私がそう思って人に預けて手放す不安を感じているようで、私の気持ちを確かめるかのように、数時間おきに擦り寄ってくる。
多分、猫も飼い主依存症に掛かっている。悪循環だわね。

日々の不毛な感覚に耐え切れず、夜に少しずつアルコールを飲み始める。これだけが唯一、気を紛らわす手段とは情けない。


3月10日(土)
夕方から心療内科に行く。
少しずつ、動けるようになってきたが、何もやる事が無く、部屋をうろつくばかりである事を医師に話す。この間の雛祭りほど盛大でなくても良いが、予め何かしらの予定を入れておくと良いと、医師に助言される。
何かしなくちゃと焦りつつ、何も手につかないでイラついているよりは、その方が良いのかも知れない。

この医院のデイケアのプログラムのストレッチも一回行っただけで、それ以降行っていなかった。楽まなくちゃいけないと思うと、無理やり楽しむのがしんどくて、行くのが面倒になってしまうのだ。
医師は、楽しむ為に来なくても良い、仕事だと思えばいいのだ言う。なるほどね、それなら出来る気がする。さすがは医師だわ、誘い方が上手い。

でも、他にもう一つ、外に出れない大きな理由が有るのだ。それは、都内に近づけば近くほど、私は、親類縁者、過去の友人職場の同僚に会うのではないかと不安になる事。
心療内科に行くのも、その意味では怖い事なのだった。

親類縁者は、未だに何をされるか判らないという恐怖が付きまとい、絶対に会いたくない。
過去の友人には、「今どうしているのか」とか「何故急に居なくなったの」と、聞かれるのが嫌で、やはり会いたくは無いのだ。
監禁されて今にいたる事を話さなければならない事、監禁の恐怖が今になっても癒されていない事、それらを話す事態を招く恐れのあるところには行きたくないのであった。
だから、そういう人に出くわしても、私だと判らなくしてしまう為に、顔を整形してしまおうと、本気で思っている。

取り合えず、住んでいる地域に、精神福祉健康施設が割と充実している為、そちらに参加してみる旨を医師に話し、徐々にその方向性で動く事にする。


3月6日(火)〜9日(金)
春の陽気のせいか、増やした薬の作用か、毎日やたらと眠い。昼近くに起きるように心掛けているが、気力も体力も未だに不十分で、掃除洗濯の家事が終わるとぐったり疲れ、他に何もやる事も無く、何もしたくなく時間を持て余す。
うつらうつらと、昼寝をして過ごす。
3月5日(月)
昨日の余韻で、さすがに疲れる。17時間ぐらいひたすら寝る。起きたら夕方6時。こういう時間に起きると、いつも自己嫌悪に陥る。これからまた食事をして夜寝るか、明日の夜までずっと起きているか迷うところ。
しかし、起きていても何もやる事が無い。どうしようと、次第にイラついてくる。仕方なく、朝5時に睡眠導入剤で眠る。
3月4日(日)
昼近くから雛祭りの会のため、アトピー関係の友人が集まり始める。アトピー用の自然食を意識している訳ではないが、季節感溢れる春らしい手料理になり、近頃コンビニ食で済ませている私としては、嬉しい限りだ。

桜葉入りのゴマ豆腐とか、どんぐり餅、桜葉ピザ、うどと蕪の苺ドレッシングサラダ、菜の花ワンタン、アボガドの白和え、花豆、ちらし寿司と、何とも豪華な季節物のフルコース。
このメニューは全て、アトピーが酷くて食事制限が多く、食べれる物の少ない友人が考えたのだが、もともとの料理好きと自然の物の本来の美味しさを、一般人よりも敏感に感じる感覚を持てたからこそのメニューだと、非常に感心する。
フラダンスの出し物まであって、子供の頃の雛祭りよりも、数段ランクアップされた、洒落た大人のパーティーとなった。

私自身はいつもは動けない体なのだが、こういう時には頑張れてしまう。いつもの孤独感漂う部屋も、華やいだ雰囲気になり、気分転換にもなって良かったと思う。んん〜、でも、働きすぎちゃったかな。明日が心配。(苦笑)


3月3日(土)
余りに食べる気力も無い事を、心療内科の医師に伝え、気力を高める薬を増やす事になる。
明日は、ネット関係の友人で雛祭りの会を私の部屋で行う事になっている為、部屋のセッティングをし、折り紙でお内裏様とお雛様金屏風を作り、明日に備える。
こんな体調で動けるのか不安だが、こういう事も見せないよう大丈夫な様に振舞ってしまうのよね。

2001/2   2001/4