2月のつれづれ

徒然集INDEX


2月25日(日)〜3月2日(金)
ポジティブな気分は昨日のほんの数時間だけで、それ以降は、またずどんと落ち込む。いきなりダンベル体操なんかやったおかげで(2日だけなのに)、体中の疲れが一気に出て、毎日だるくて動けず。
しかも食欲も無く、空腹感も無い。取り合えず、一日一食〜二食、頑張って三食、って感じ。だけどカロリー的には1400キロカロリー(ダイエットで最低限必要な量)ぎりぎりだと思う。これって、拒食症に近いかも。この5ヶ月で5キロ体重が落ちている。
まあ、ダイエットと思えば、筋肉じゃなく脂肪が落ちているから最適のやせ具合と考えて良いけど、どこかで、歯止めを掛けないとまずいな。

日々、12時間は横になって過ごしているのに、体はだるくて重くて動けず食べれず何もする事が出来ない。本でも読もうとしたが、意識が集中せず、テレビも何も興味が持てず、ただ部屋の中をうろうろするのみ。不毛な毎日。意欲を高める薬は、なかなか効かない。


2月24日(土)
2週間ぶりに心療内科に行く。
近頃の体のだるさと、精神的な情緒不安定等の症状を話す。今まで動きすぎていた反動で、軽い鬱傾向に有ると診断され、薬の種類を変えてもらう。薬局で新しい薬の説明書を貰い、その効能に「意欲を高める薬です。」とあり、思わず笑ってしまった。
そうなの。食べたいとかの本質的な、生きると言う「意欲」が今のところ欠如しているのよね。先生、良く判ってらっしゃる。食べないと死にそうだから、無理やり食べてるって感じか。

この薬の効能が十分発揮されるまでには、一週間掛かるそうだが、帰ってから薬を飲んでみると、体調も復調しつつある事も幸いしてか、割と良いかんじ。思考がポジティブになって、動きやすい。「ターミネーター2」を見つつ、ダンベル体操をする。私って意外と単純だったのね。


2月22日(木)
仕方がないので、昨日の夕刻から起き続けて徹夜し、一日の時間調整をする。体調的には、背中に10枚ほどシップ薬を貼って体の疲れとだるさを誤魔化し、精神的には情緒不安定のアップダウンの激しさを、抗不安剤で何とか乗り切ろうとする。
食事は、取り合えず3食ともコンビニ食だけど、どうにか買いに行って食べれる状態ではある。

心配した友人が電話をしてきてくれた。こういう時には、ちょっとした心遣いが嬉しい。本当に有難うね。

もっと色々、感じた事、思った事、書きたかった事は有ったんだけど、今日は文章にまとめられない。
と言うよりも、些細な出来事に敏感に感じすぎて、その都度だああっと思考が巡る。そうした感情と思考の変化を、文章化するには、未だに精神的なパワーが欠如している。

でも、只一つ今日書ける事。
私は、もう、子供同然に共に暮らしてきた猫と、これから一緒には生きれないかも知れないと思っている。自分の不安感で一杯で、猫に意識を向けてあげられない今の私よりも、愛情の豊かな家庭に引き取られた方が猫も不安にならずに生きられて、猫の幸せの為にその方が良いのではないか。
そうした迷いが、更に猫を不安にしている事も判っている。

子供を里子に出した方が、その子にとっては幸せなのではないかと迷う親の心境。


2月21日(水)
余りの睡眠不足で切れてしまい、火曜の夜は睡眠導入剤を飲んだ上に、更にお酒を飲んでしまう。しかし、お陰で、ぐっすりと12時間は眠る。
が、起きたら夕刻過ぎ。お酒を飲んでしまった罪悪感と、今日の一日が不毛に終わってしまった事に、自己嫌悪に陥る。もう夜なのに、これからどうしよう。
2月20日(火)
17日(土)から体調を崩し、殆ど動けず。
日々、トータルでは10時間ほど睡眠は取っているが、猫の為に、2.3時間ずつの細切れの睡眠で、体も精神も全く休めてはいない。
しかも食事も、作る気力も体力も、買出しに行く体力も更に無く、このところ、ろくにな物を食べて居ず、まさに体力の限界。ぐったりとした疲れも増幅され、呼吸して生きているだけでも苦痛。悪循環。
睡眠導入剤で、いくら寝ても、細切れで起こされるので、疲れも全く取れない。

もう、いい加減、疲れた。ぐっすりと休みたい。死にそう。


2月16日(金)
何だか、ずっと心が重いままだ。特に今日という日は、私には特別な意味を持ち、複雑な心境。。。苦しい。

こうして、溜まっていた心境を日記としてUPしたものの、気分は晴れない。今日はお酒を飲んで寝ちゃおう。(薬と併用しない様に注意しているから、その点は大丈夫よ。)


2月14日(水)改:(2月20日(火))
親から電話が有り、今後の生活費用が、この金額で大丈夫なのかと心配される。と言うのは、昨月から、親からの生活援助を5万円減額したので、親は親なりに心配したようだ。
だが、私は、親からの援助で生活している事に、恐怖と苛立ちを感じてしまう状況にある。その為、徐々に親からの援助で生活を減らして、自分自身の手で生活していきたいのだ。

話している内に、自分の日々の生活がままならなくなっている事の原因が、監禁のトラウマであることを、初めて親に打ち明ける事となってしまう。
深く話す度に動悸は激しくなり、体中も言葉もガタガタと振えだす。
私は、今まで極度の恐怖の余り、監禁者に対して(たとえ肉親であっても)あからさまに苦痛を訴える事すら出来なかったであった。。

だが震えつつも、現在の精神状況を大まかに話し、大筋は納得してもらう。両親にある程度の状況は理解はして貰ったが、何故か不安は増大する。
震えてパニック状態で説明した為に、細かくは話す事は不可能だったのだ。

取り合えず、PTSD関係の本を読んで勉強する様に親に指示したが、現在の私の状況を市販されている書籍で説明するのは不可能であろうと思う。
何故なら、カルト脱会と言う公には認められてしまう大義名分の下に行われる「監禁」のPTSDを記した書籍や、文章は今までに全く存在しないからだ。

だが、監禁による人権無視、人権・人格の破壊は現実として存在している。
監禁によって脱会した友人に、「白い部屋に入ると、体が震えだして入れない」とか、「親にナイフで脅されたので、ナイフが怖くて見ることも、触る事も出来ない」とか、「監禁場所から逃走した自分に、獣狩りのように狩をされた事。」を、私は生々しく、実際にこの耳で聞いている。

また、監禁実行者(クリスチャンの牧師)が、カルト入信者に、「手錠をして、さるぐつわをするぞ、と言ったら、大人しくなったぞ。わっはっは。」と誇らしげに笑った姿と、屈辱にまみれた監禁者の姿も見ている。

私自身も、「あなたを理解しよう」と好意的に近寄ってきた親族と、私の救いの為という大義名分で呼ばれた牧師によって、私の人権そのものをその根底から覆され、亡き者にされてしまった。
私は今現在、悲しい事に、人を信じる事、愛する事に恐怖と不安を感じ、誰も信頼する事も期待する事も、出来なくなってしまっている。

誰をどの程度信用し、私の感じる事をどこまで話しても安全か、細かくチェックを入れ無ければ不安で仕方が無い。それでも、どうやって人を信じたらいいのかが、全く判らなくなってしまった。
もう本質的に、人を信じ愛する事、ましてや家庭や子供を持つことも、未来の自分が幸福に向かう事すら、全く信じられなくなってしまった。

電話で、「あなたが私達から離れてしまう事が寂しい。」と親は話すが、そんな親の為に、身を削ってでも付き合ってきた私は、もう限界なのだ。
あなた方の存在と言葉そのものが、脳にインプットされた記憶として、監禁の時点で、信頼できないものになっている。これ以上あなた方の為に生きることは、私が私の為に生きることを妨げ、私自身が私の為に生きる「生」を妨げてしまう。
もうあなた方の為に、「仲良しごっこ」の我慢をし続けることに限界に来てしまったのだ。

とりあえず、現在の自分の状況を、カタカタと振るえつつ、なるだけ論理的に話したつもりだが、どれほど理解してもらえただろうか。


2月14日(水)
相変わらず、ビデオ鑑賞しつつ、家事をこなす。しかし、いつもの日常と精神状態は、親からの電話一本で、一変する。。。

だけど、もう、これ以上書けない。後日に、改めて書きます。


2月13日(火)
旅行から帰ってから、何もやる事の無い不安感を消し去るかの如く、前々からもう一度見たいと思っていたビデオを、片っ端からレンタルして、見まくっている。

見たビデオは、人間の真の存在性を問う物や、今のこの日本が平和であると過信する日本人の無知の愚かさを問う物だったり、或いは、どんなに優しい人間として生きようとしても、その根底には獣の血が流れ、人をたやすく傷つけ殺せる存在として、生々しく描いた物であったりする。

そんな重い内容を見たい人にお勧めのビデオは、「人狼(殺戮シーンがリアルな為R15指定)」「PATLABOR The Movie」「PATLABOR2 The Movie」「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」。
どれも、押井守監督のアニメ作品。宣伝マンのつもりはないが、この人の、人間の心理の奥底を鋭く描き、見る人に人間性を問うメッセージ性と、映像の美しさが好き。

宮崎駿監督の夢と希望の冒険活劇も好きだけど、対象年齢を低く設定している為に、人間の本性を問うメッセージ性は乏しい。こうした物事を深く追求した作品は「もののけ姫」と、漫画版(アニメじゃない)「風の谷のナウシカ」ぐらいしかないのよね。

しかし、どれを見ても、重いなあ。単に楽しんだり、心和んだりする内容は、とうの昔に興味を失ってしまい、こうした重い内容にばかり共鳴するので、仕方ないか。
無垢で純朴な子供の魂よりも、薄汚れた大人の小賢しさと欺瞞にばかりに、反応し、面白いと感じなくなっている。
判ってはいたが、見終わって、心が重い。(苦笑)


2月12日(月)
昨日久しぶりに連絡の有った友人と、会う事になり、近くの友人と3人で食事をする。3人とも同じカルト脱会者であり、脱会の際に家族によって監禁されたという、似たような経歴を持つ。
それぞれが、脱会後(監禁後)、苦しみ、もがきつつ、生きていた事を改めて感じる。

私達は、カルトに入っていると言う理由だけで、人権を剥奪されても良い、カルト脱会の為になら傷けられても良い、人権を無視される存在なのだろうか。

ある脱会監禁支援者が、「カルトに入っている者は、一生、座敷牢(監禁)に入っていてもいいんだ。侮蔑され、人権を否定されても、仕方の無い人間なんだ。」と断言し、そうした意識で私に関わった。そして、その人物が、私の監禁と解放の権限を持っていた事を、私は知っている。

そうした言葉と意識が、カルトからの「救助」では無く、「監禁」として、彼らの言う正義と愛の名のもとに、カルトと同じように、個々の人間性を踏みにじっている事を、彼らは知らない。
そうした彼らの意識は、自らの正当性を強調して、当然の如くに、人の存在そのものを否定し傷つける。
私には、カルトも、脱会監禁支援者も、同質の意識を感じる。

更に、脱会監禁支援者は、監禁行為の正当化の為に、社会的法的な正義を大義名分としている。その事に、本人達も社会も気が付いていない。
明らかに社会悪であり、人の精神と物質を略奪するカルトよりも、カルト脱会支援の牧師達の方が、より性格が悪くずっと巧妙なコントロールであると、私は思っている。

こうした監禁により、自分の存在を全面的に根底から否定された心の傷が、未だに各々の心の奥底に有り、更に、それぞれの家族を含めた過去の人間関係までも、全て打ち壊されているのを感じる。
過去の記憶。過去の人間関係。過去の自分。それさえも、捨てねばならないと迷う程に、自分の全てが否定されてしまった。

そうした全面的に否定された傷を持つ自分の心と、自分を取り巻く現在の社会的状況を、まっすぐに見据え、どのように修復し、これからどう生きたら良いのかを、おのおの模索している。
監禁のトラウマを見直すことは、それぞれが監禁前に抱えていたAD(アダルトチルドレン)の状態をも掘り起こす事に繋がり、各々理解者の少ない中で、必死に頑張ってきたことを感じる。

カルトから個人を解放すると言う事に、私は異論は無い。
只、その為に、監禁を肯定する事。
監禁され、全人格的に否定された心の傷を、余りにも過小評価している事に私は異論を唱えたい。


2月11日(日)
不安だったせいか、徹夜して過去数年分の家計簿の整理をする。終わったのが、昼過ぎ。しかし、この時間まで起きてしまうと眠る気にならず、くらくらしながら家事をこなす。

夕刻、かつてOL時代に購入した絵を画商に売却する為に、下取り価格を調べてもらうよう画商に手紙を書く。
この絵画は、私がOL時代やはり誰にも心の痛みも苦しみも見せられず、友達と言える人も無く、勿論親兄弟の誰も私の心を知るものが居ず、孤独だった頃に買った物だ。
人気の少ない夜、教会の寺院の外壁が、街の灯りでぼうっと、夜の闇に浮かび上がっている。まるで、孤独で、怖くて、弱虫のくせに、外面ばかり強く固めていたその頃の私を象徴するかのようだ。
そんな自分を思い起こすのが嫌で、とっとと売って、目の入らないところにやってしまいたかった。

でも、ある人の言葉で変わった。この絵の中には、人が描かれている。構図的には人を配置すると邪魔だと思うのだけれど、ちゃんと人間の生活を入れている。人の生活を愛して、大事にしている画家なのね。とその人は言った。

そう、私もそうだった。孤独だったけれど、どこかで人のぬくもりを求めていた。そんな過去の自分を再発見した私は、絵を売ることをやめた。
過去の自分を捨ててはいけない。捨てられない。

過去の私は、私よりも小さい者を守る事で生きてきたが、「監禁」はその守るべき者も、奪ってしまった。私が守っていた筈の、兄弟や従兄弟までが、私を監禁する側に居たから。

だから、監禁後、私は何をもって生きていけば良いのか判らなかった。
でも、近頃の私は、小さく弱く傷だらけの過去の自分を、見捨てず守る事で、生きようとしている。


2月10日(土)
久しぶりに、心療内科での診察を受ける。
視察旅行の結果と、自助グループを作る方向性を考えている事を話す。医師は、私が順序立てて論理的に前向きな方向で話すので、頼もしいわねと、安心するのだが、私自身は不安で一杯だったりする。
実は、旅行の後、引越し先を探すところからまた始めなくちゃと、気が抜けて不安になっているのだが、そうした不安や苦痛を、どんなに辛くても人には見せないようにしてしまう。反対に、喜ばせる役割を務めたりする。

小さい頃から、そういう役割を果たしてきた。辛い事、苦しい事は全て、私が、犠牲になるんだと思って生きてきた。私の兄弟や従兄弟達に、親や親族がその個人の人間性に踏み込んで、苦痛をもたらすような事は、私が率先して犠牲になろうと思っていた。

かつて、親も親族も、守っている、愛している、と言う言葉で、私の生活に土足で踏み込み、私の自由を奪い、存在を無視された。私は、愛されているように見えて、実は誰からも守られていない事を、小さい頃から良く知っていた。
だから、そんな親や親族から兄弟達(私よりも小さい物)を守ろう、愛そうと思う事で、生きていた。それによってしか、私は生きれなかった。
その為、小さい者たちにも、親達にも、私は弱みは見せてはいけないのだ。辛くても、苦しくても、悲しくても、笑って大丈夫なふりをしなければならなかった。
私は、ずっと孤独だった。

医師は、もうみんなを喜ばせる役割はしなくて良いと言う。
それも判っている。でも、身に付いちゃっているのよね。頑張らなくて良いんだと、相当意識しないと出来ない。


2月8(木)〜9日(金)
友人と引越し先の地域の視察。なるべく、お互いのトラウマのフラッシュバックを引き起こさない地域で、かつ当面現在の通院先で治療できる範囲で、今後の生活(仕事)面も考慮し、都市に近い地域として、選んだ地域だ。

だが、地図で見るのと、実際にその土地を歩いて見てみるのとは大きく違う。その昔、宿場町だった町は一昔前の昭和初期のたたずまいなのだが、商店街と言うほどの賑わいも活気も無く店自体も少ない。
不動産屋をチェックしたところ、住むところは何とか有りそうだ。だが、食料、服飾品等の物資も、本屋・CD・レンタルショップ等のレジャー施設も少ない。
都市型の生活に慣れきってしまった私には、更に、部屋から一歩も外に出なくなってしまいそうで、苦痛になりそうな気がする。不健康だと知りつつも、都市から離れられないように、私の体は出来てしまったのかも知れない。

宿の電話帳で心療内科・精神科の医院のチェック。これも非常に数が少ない。将来的に掛かりつけの医院を、こちらの地域に移すつもりでいたが、市内に数件、隣接市でも数件しかなく、ここで、トラウマ(PTSD)に詳しい医院を探すのは、困難だと感じる。

更に、今後の地域援助がどの程度受けられるのかの調べる為に、市役所の精神福祉課に行ってみる。
私が現在PTSDで仕事につけない状況で、今後この地域に引っ越す予定が有る旨を、福祉課の係りの人に話した。ところが、福祉課の人でも、PTSDという言葉さえ知らなかった。トラウマで仕事に就けない状態なので、医療費負担と生活保護が受けられるか?なんて相談は、まるで初めてと言うような顔で聞いていた。こりゃあ、無理だわ。

そりゃあ、そうだわ。PTSDやトラウマという病自体が、やっと都市で認定され始めた病だから、この地域では、そんな症状を訴える人自体が少ないし、医療も行政も、まだ遅れているのね。福祉課の小冊子の棚にも、「子育て相談」ぐらいしか置いていなかったし、心の病を支える為の自助グループの活動なんてのも無かった。

県庁の有る市に行けば、もう少し福祉課の活動も、都市型に充実しているのだろうが、それを望むならば、現在住んでいる地域の方が、余程進んでいると言える。今後、自分達で自助グループを作って活動するとしても、活動拠点として、現在の居住地域の方が、交通手段、地域援助の点からしても、優れている。

と、結局、現在住んでいる地域の便利さや優れている点に、改めて気付かされてしまった。双六で「振り出しに戻る」って感じ。。。(苦笑)
ああ、がっくり、気が抜ける。

旅行から帰り、猫を引き取りに動物病院に行く。猫は、この二日間、緊張の余り、殆ど何も食べれなかったそうだ。猫にとっては、動物病院に預ける事も、拉致監禁に近い事なのかも知れない。
私が「この場所」で生きていて、そこに寄り添うように生きる事が、この猫にとっては、一番幸せなことなのか?だとしたら、猫にとっても、引越しは、人(猫)生を左右する、重大事だわね。ますます、引越ししにくい。(苦笑)


2月7日(水)
明日から、引越し先の地域の視察を兼ねて、友人と旅行に行く事になる。
この間の猫のホテルを色々と探し、緊急時に対処できるところとして、結局掛かりつけの動物病院に、預ける事にする。一泊二日で5000円。私達人間用のシティホテルよりも、ずっと高い金額。(苦笑)
しかし猫は、明日一番嫌いな場所に無理やり連れて行かれ、2日間、私と離れてしまう事を、敏感に感じ取ったのか、更に落ち着かない。何か居たたまれない様子で、そわそわし、しばしぼうっと佇んでいる。

う〜ん、猫にも、抗不安剤と睡眠導入剤、飲ませちゃおうか。(笑)


2月6日(火)
私自身が、そわそわして、落ち着かない事を、飼い猫がいち早く察知しているのか、猫も落ち着いてくれない。
先日は徹夜だった為、昼11時から薬を飲んで寝たが、猫が2時間おきに私を起こしに来るので、結局殆ど眠る事ができなかった。猫の身としては、私が生きているのか死んでいるのか、いちいちチェックしないと、心配なのかもしれない。(笑)
2月5日(月)
先日、リラックスするどころか、更に重く考え込んでしまう内容に出会った為か、昨日今日と、目覚めても肩が重く体中がだるく、頭痛がしてなかなか起き上がれない。
更に、何も出来ない不甲斐ない自分に嫌気が差し、自分を痛めつけたい思考に陥る。抗不安剤が余り効かず、鬱の悪い方向に思考がはまり、抜け出せない。

何とかして、気分を落ち付かせようと、久しぶりに折り紙作品を作ってみるものの、切羽詰った精神状態では、職人として、完成度の高い洗練された作品を作る事が出来ず、不満足な出来となる。しかし、幾つか作って、何とか気持ちをまとめられる状態にまでなってきた。

やっぱり、私は焦っているのだ。先日、HIVの方々や、私より重度のステロイド後遺症の友人との関わりで、私などよりも、ずっと生き生きと生きている事。「生」に向かって、真剣に立ち向かって生きている事を、肌身で感じてしまったから。
そう、私の方が、ずっと自らの「生」を主張し勝ち取る事に逃げ腰で、真剣に闘う事を避けている。死を口にしたり、人を非難する前に、私はそれだけ十分闘い続けているのだろうか。
毎日、「ああ今日はもう駄目、苦しくて何も出来ない。」ってのと、「これからのことを冷静に考え、前向きにもっと頑張らなくちゃ。」っていう思考が交互に繰り返され、そのギャップに悩まされ苦しい。

しかし冷静に考えると、まだ自分自身の心の解放は、ようやく始まったばかりだ。焦らずに、一つ一つ、できる事をやっていこう。そして、精神的にもっと余裕が出来てきたら、最終的にはこのHPも公に前面公開して、同じ悩みを持つ人々と共に、きちんと苦しみを声に出しお互いに分かち合う事で、共に生きていく方向を見出していきたいと思う。
今は焦らずに、自らを癒す事が先決なんだ。と、こうして冷静な時は考えられるが。。。鬱な時は駄目ね。パニックになって、やたら焦る。(苦笑)


2月3日(土)
昼から、心療内科のデイケアで、ヨガ式ストレッチをしに行く。体をリラックスさせる目的なのだが、なかなかリラックスできる心境になれない。
先生の言うとおりに、寝転んで腹式呼吸の練習をするのだが、その間にも、昔の嫌な事を思い出てしまう。それでも回りに気を使い、表面的には明くるく、にこやかに振舞ってしまう。これじゃあ、リラックスには程遠いわ。(苦笑)
でも、普段使っていない筋肉を伸ばしたりするのも、日々の肩凝りの解消や、ぐったりした疲れには必要かもしれないと思うので、暫くは続けてみる事にする。

その後夕方、ネットの友人からのお誘いで、HIV感染者の集いのボランティアに参加する。途中からの参加だったが、今日は会報の冊子を郵送する為の、宛名シールを貼ったりの内職作業のお手伝い。作業をしながらだが、感染者自身の生の声を、実際に会ってじかに聞くことが出来て良かったと思う。

一緒に参加した私の友人は、ステロイドの後遺症でまだ相当しんどい状態に有るのだが、今のところ何の医療も受けずに、自分の体の力を信じて(或いは、病気とずっと付き合っていくつもりで)自然食を心掛けながら生活している。しかし、脱ステした重症患者の闘病生活に対して、現在社会的な保障は何も無い。
友人は、そうした状況を踏まえ、HIV感染者との関わりの中で、ステロイド重症患者の未来に何か良い方向に向かうきっかけを探しているようだった。

私自身は、心療内科でPTSDという病気が認められ、医療費負担という恩恵を受けているのに、もっと体力的にはずっときつい筈の、ステロイド重症患者に対しては何の保障もされないと言う事に、なんだか大きな矛盾を感じる。
HIVやPTSDのように、社会的に問題視され、原因が確実に外部から受けた被害であれば、保障は受けられるが、そうでなければ社会は助けてくれない。勿論そうなる為には、HIVもPTSDも、多くの被害者を出しつつ、外部からの被害であると認めさせる苦しい闘いの結果、勝ち取ってきたものだと思う。

脱ステ患者が、本当に自らの健康を取り戻す為の援助を受けるには、医療も厚生省も、より本質的に個人の健康を守る事を、根本的に考えを改める必要があると思う。
しかし、死なない病気に対しての医療の改善には、薬の必要の無い本質的な健康についての声が、民衆の側から余程たくさん出てこない限りは変わらないだろう。
患者だけでなく、市民全体が、どのような医療環境で、どのような「健康」的生活を生きるのか、自らの生き方について、一人一人が真剣に考えねばならないと思う。
これからの時代が、そうした方向に進む事を願いたい。

帰り際に、HIV感染者の人達の会報(もう67号にもなっている)を貰ったので、帰ってから読んでみる。非加熱製剤という薬の投与により、死を見つめ続けなければならない病に侵された人々の、現実の悲しみと怒り、その中から希望を見出そうとする願い、それらの慟哭が赤裸々に綴られている。
読んでいて、そうした慟哭の叫びが胸に染みて辛く、とても全部は読みきれなかった。数ページ読んだだけで、胸が一杯になり、冊子を閉じてしまう。

でも、こうして、自分達はここがこのように苦しいんだと、きちんと外に向けて表明している事にとても感銘を受ける。私自身は、単に自分の殻に閉じこもり、被害者意識の塊になって、自分の中だけで、愚痴を述べているだけに過ぎない。言うべき事を、言うべき所にきちんと言っていないで、不満で一杯になっている。
判って貰うには、私も、傷口を切り開くような、苦しく身を切る作業を何度も繰り返さなくてはならないとしても、きちんと声に出して、「苦しい」と言う事を、伝えねばならないんだと思う。
その為の、強さがもっと欲しい。精神的にも、体力的にも。

今の私には、自分自身の生活の中から、そんな強い意志を湧き出させるのは、難しい。HIVの情報誌を自ら出して、仲間を増やし、希望をもって、強く生きようとする彼らに比べれば、私は、ひよっこの弱虫だ。


2月1日(木)
やる事が無いと、毎日が不安で居たたまれない。何かをしなくちゃと焦るが、何も出来ない。何をしても、楽しめない。

更に、先日の中学生の監禁のニュースをちらと聴いただけでも、自分の時の事を思い出し、一気にフラッシュバックを起こす。余り、抗不安剤が効いていないようで、飲んでも緊張感が収まらない。
昨日、抗不安剤の種類を変えて貰ったのだが、これも余り効いていないような気がするが、こうして淡々と文章まとめて、日記をアップ出来るぐらいだから、まだましなのか?

心の中は不安で一杯なのに、パニックになったり、落ち込む様子を見せず淡々と生活していると、傍からは何の問題も無いように見えてしまうんだろうね。

この間友人に、意地を張って苦しいのを我慢しちゃ駄目って、言われた。そうなの。意地っ張りで、辛いところを絶対見せないのが、まずいのよね。だから、私の精神状況を、周りが理解できなくて、更に自分を苦境に追いやってしまう。
って判るんだけど、やった事無いから、どうやって、感情表現したらいいのか判らない。感情を押さえ込んで殺して、ずうっと生きてきてしまったから。近頃、笑う事も少なくなったが、自分の為に、泣くことも出来なくなっている。近頃、、、じゃないな、昔からだ。

でも自分では、こうして「辛い」って文章に書いて、気持ちを人に見せられるようになっただけでも、かなりの進歩だと思うんだけど。

今日のテーマソング「♪昨日の為に涙、明日の為には愛」


2001/1   2001/3