1月のつれづれ

徒然集INDEX


1月31日(水)
久しぶりに心療内科に通院。前回は、実家に帰る前日にだったので、その後の経過を報告する。

実家に帰った日の事については、余りにも無理をしすぎで、体に相当負担が掛かっていると指摘される。とは言っても、家人との距離を置き過ぎる事も恐怖感が増すとうい面もあり、私としてはあれでも最良の選択だった。そうした事情を、医師も納得してくれる。
只なるべく負担を掛けないように、家人とは一緒に食事を採らないで済むようにしたらどうか、とアドバイスを受ける。私自身も、今の精神状態で監禁時に一緒に居たメンバーと食事を採る事は、相当苦痛だと再認識したので、これからは気をつける事にする。

その日以降も気の重い仕事を次々とこなし、ほぼ終わりに近づいている事も話す。余りにも緊張状態を続け、睡眠時間も一日のリズムも滅茶苦茶になっている。その為そろそろ自分を癒す時間を作ったらどうかと、デイケアのプログラムを薦められる。

私自身は、自分の為に楽しむ気分はまだ殆ど無く、そういう場所に身を置く事が反対に苦痛を伴い、人に気を使って無理をして疲れそうで、余り気乗りがしなかった。
だが、予定を先に入れる事が、日々のリズムを作るという目的も有るとの事で、試しになるべく人と関わらなくて済む、ヨガ・ストレッチ(体をほぐして、リラックスさせる)を、隔週でやる事にした。
余り、気持ちが楽になる事は期待していないので(笑)まずは肉体面からの癒しから。朝から晩まで(寝てても)痺れと痛みの続いている、しつこい肩凝りが治れば良いかな、ってところ。

現在、昨年の12月からのこの医院での医療費(診察費、カウンセリング費、デイケア費、薬代)が、公費負担で、全額免除になったので、こうした治療を物理的な負担にならずに受けれるという事は、とても有り難い。気持ちに無理の無い程度に、少し続けてみようと思う。

それと、カルト時代に婚約者から貰ったネックレスと、カルトのシンボルマーク入りのリングを売却処分してきた。これらを、金歯のかけらと一緒に持っていく人なんて、普通居ないわね。絶対怪しすぎ。(笑)
はあぁ〜、でもこれですっきり。婚約者関係の物で、もう思い残す品物は無い。少し気持ちが軽くなる。


1月28日(日)
精神的に重い作業や、細かい根気の要る作業はほぼやり終えて、やっと余裕が出来る。

そして滞っていた日記を綴る。
気持ちの上では、いろいろ書き留めておきたい内容は沢山有ったのだけれど、時間的にも精神的にも体力的にも、全く余裕が無くて出来なかった。

日記を綴るというのは、内に秘めている思いを客観的に見直し言葉に表す事で有り、心の叫びを内から外に出す事であって、実は一番重く精神的な体力の要る作業だったりする。


1月25日(木)
情緒不安定に陥る気持ちを打ち消すかのように、過去に集めたカセットテープやレコード等のアナログの音楽を厳選し、MDに落とし音楽データ類の整理をする。 

過去に集めた音楽を聴き直し、そのテーマに改めて気が付く。私は、永遠無償の壮大な愛と希望を求め続け、信じ続けている。その愛とは、自己の幸せを犠牲にし、他の為に命を掛ける物であったりする。男女間の恋愛は、ほぼ皆無。(笑)
そして、その様に自己を犠牲にして生きる私に、誰か気が付いて、とか、共に生きよう(闘って死のう)、という内容。更に(苦笑)
「♪宇宙の果てまで〜、愛を探してくれますか〜」とか、「♪優しい眼をした誰かに会いたい〜」とか、「♪私が死のうとも、君が生きている限り〜、命は続く永遠に、その力の限りどこまでも〜」って感じ。(笑)

そして今も昔も、歌の好みは変わっていない。私の心のテーマは、純粋にそのまま生き続けている事を実感する。


1月23日(火)
ほぼ何もやる事が無くなり、次第に不安になる。とにかく、やる事を見つけては処理しようとする。

今までの事を整理して、不安や恐怖を減らす為に引っ越して、生活を新たにして、一体そこに何が始まるんだろう。

昨日友人と話したときに、不安や恐怖が取り除かれた自然の笑顔の私を見てみたいと言われた。でも、不安や恐怖のない自分って、それも私には怖い事なのだ。

大まかに喜怒哀楽の感情に分類すると、今まで、自分の為の「喜」や「楽」を殺し、反面、「怒」や「哀」、或いは「恐」の感情だけに強く反応し、それさえも、押さえつけて生きてきた。その怒りや哀しみ苦しみが無くなってしまう生活を生きるなんて、私が私でなくなってしまう気がする。
人間としての怒りを無くして安らかに生きていくなんて、生きている感じがしない。それこそ今までの自分が、人間としての自分が死んでしまうような気がする。

確かに現在不安に感じる要因を減らして、パニックにならず自分で働いて自活できるようになってはいきたい。

でも、人間としての尊厳を侵す事への怒りには敏感で居たいと思う。そうした痛みや苦しみを敏感に感じる感受性を持ち続ける為には、自ら痛みに身を浸しながらでも良いと思う。
自分の痛みだけでなく、人の痛みにも気付く人間で在りたいと思うから。

私がしようとしている事は、矛盾しているのかもしれない。


1月22日(月)
弁護士とのやり取りの件で困り果て、友人に相談する。

友人はかつてその弁護士と関わった事がある。その友人との会話で、今回の弁護士の私への対応は、友人のケースよりも、ずっと丁寧で、私には相当気を使ってくれている事を知る。 
お陰で、私に対し悪い感情を持っていない事を知りほっとする。
だいぶ余裕が出来たのか、弁護士に対しこちらも事務的に淡々と、依頼者としての要望をメールで返事を出す。
パニックも収まり、取り合えず一件落着。有難うね。本当に助かった。


1月21日(日)
前日に友人と夕食を取って、少し安心したのか、弁護士への返事をどう書くか心に引っかかりつつも、実家から持ってきた洋服の整理をする。
と言うより、物理的に作業することで、自分を落ち着かせようとする。

余りにも古いモードで着れない物ばかり。更にみなサイズが合わない。
サイズが合わないのは、近頃、過去最高の痩せ具合のせい。 カルト時代の7日断食や、ステロイドの後遺症で、体から蛋白質がどろどろ出まくって、よれよれで死にそうだった時期よりも、体重も体脂肪率も落ちている。もっと、まともに食べてまともに寝ないと駄目ね。

捨てるのは勿体無いので、全て実家に送りつけてしまい譲渡処分とし、作業を終える。


1月19日(金)
昨日のノックアウトが響いている。起きても動揺は続いており、イライラしている。起床後にお酒を飲んで、もう一度眠る。薬を飲んで更にアルコールは良くない事は、勿論判っている。
が、もうどうでも良い。フテ寝に近い。眠る。17時間、ひたすら眠る。
1月18日(木)
前日まで、ほとんど眠らずに作業をしていたので、肉体的にも精神的にも限界に来ていた。そこに早くも弁護士から郵送で返事がきて、とても動揺する。

私は、弁護士に対してもフラッシュバックでパニックを起こしてしまうのだった。
返事は相変わらずとても事務的で、勝手に私に関する事柄を運び、私自身を依頼者としても人間としても、無視されているように感じる。
普段の対応からも、権力を持って上から押さえつけられているような傲慢性を感じ、それらが監禁時の怒りと恐怖の感情を呼び起こしてしまう。

怒りと不信感の感情が、反面恐怖にもなる。私からメールを書くのも、何か気に触る事をしたら、嫌な事をされるのではないかと勝手に恐怖に感じてしまうのだ。
弁護士事務所に行って話をするのも、不安と緊張が必要以上に高まり、震えるの。だが、こうして郵便やメールでやり取りをする事も、返事が来る度に次にどう対処し返事をしようかようかと、パニックに陥る。

肉体的にも、精神的にも疲れ果てていたところへ、¥最後の一撃でノックアウト。さすがにもう何も対処できず、睡眠導入剤で眠る。


1月17日(水)
かつて人から貰った手紙や年賀状の整理。
これも、中学時代からOLの時のものだが、もう二度と会わない(会えない)であろう人のとの過去のやり取りなんか、取っておいても仕方が無いので、まとめて捨ててしまおうと思っていた。
だが、もう二度と会わないからこそ、これを捨ててしまえば今まで全ての人との関係、過去の私の歴史が無くなってしまう様な気がして、やはり捨てられなかった。
結局それらも、年ごとに分類しファイリングされ、また引き出しの奥底に封印する事となる。

とにかく、これらの精神的に重い、過去の人との関係や悲しい記憶を掘り起こす物の整理を一通り終える。

そして、弁護士に、兼ねてから疑問に思っていた内容をメールにして送り、一段落して眠りにつく。


1月16日(火)
12時間寝て、どうにか体はすっきりする。しかし、精神的な緊張状態はまだ続いていて、持ち帰った物の整理を始める。

昔の写真と過去に自分の書いた作文や文書の整理。
まるで、過去の自分の生き様を整理する様な作業。それを振り返るのが苦痛で、今まで手を付けられずにいた。

私は今まで、小学、中学、高校、大学、OL時代の写真を、自分で整理してアルバムに収めた事が無かった。その頃から、自分の写真を見るのが嫌だった。嬉しくも楽しくも無いのに、無理して笑って写真に収まっている自分の姿を見るのが嫌だった。
だから、その頃の写真は、貰った時の状態そのままに紙に包まれ、束になって引出しの奥底に封印されてきたのだった。

しかし、引越しを決めてから、とにかく早くすっきりさせたいと焦っている為、今は淡々と仕事をこなせる精神状態にある。

写真の整理。
過去、物心つくまでの写真は、悲しげな不安に満ちた表情で、自分でも嫌なのだが、小学校ぐらいから、頑張って笑顔を作っている。その一生懸命に笑顔を作って頑張っている姿に、何故かほっと安堵する。

そして文書の整理。
親が勝手に、私の作文や日記をストックしていた。この文章の内容も、私はずっと嫌で、中身も見ずに、全て捨ててしまうつもりでいた。
何故なら、「私は嫌なんだけど、みんなの為に、頑張って勉強したいと思います。」なんて事を、小学校時代から書いていたり、「何で毎日辛いんだろう。もう嫌だ。」と日記に書かれている事を知っているから。

だが、写真は年代ごとに初めてアルバムに貼り付けられ、結局文書も捨てられなかった。

だって、それでも頑張っていたんだもの。頑張っていた自分を捨てられなかったのだ。


1月15日(月)
昨日の疲れと、お腹の中のものを出し尽くしてしまったのでどんよりと疲れ、なかなか起きれず。ようやく動けるようになったのが、夕方近く。起きてもふらふらするので、取り合えず食べる。

今日はこうして日記を書くだけで、精一杯。後はお風呂に入って休みたい。


1月14日(日)
朝から、昨日からの怒りを引きずってイライラし、監禁されるんじゃないかと言う不安と緊張も拭いきれず、興奮状態で一日が始まる。只、不安と恐怖よりも、怒りの方が圧倒的に強い為、恐怖で怯える事無く動ける。恐怖感を家人に悟られない為には、私には都合が良い。

予め抗不安剤を飲んで、何も感じないようにして淡々と作業をする。
朝9時くらいに親が来て、要らない荷物を実家に運ぶ為に、荷物を詰めて一緒に車に乗り込み実家へ行く。
実家に着き、車から要らない荷物を出し、実家に残してきた自分の荷物の中で、持って帰るものを車に詰める。後は廃棄処分か、誰かに譲っても良い譲渡処分とし、私の管轄でない物にする。
「私の物」を置いておく事で、私が居た痕跡を実家に残さないようにする。
そして、もう二度と、実家に帰る必要をなくす為にも。

午後から、パソコンのメンテナンスを頼まれていた家人が来て一緒に昼食を採り、インターネット接続などの設定を行う。上手く行かず手間取るが、どうにか夕方には作業を終え、また一緒に夕飯を食べて、それから帰る事になる。
車で送って貰って、私の所に帰り、必要な荷物を運んで、親達には帰ってもらう。自分の部屋で一人、運び込んだ荷物の片付けを始める。一段落して終わったのが夜3時。

「やっと、終わった、ほっとした。大丈夫だった。何も起こらなかった。」と、緊張が解けたところで、急激にお腹が痛くなる。
物凄い痛みで、冷や汗が出て、吐き気もしてくる。しばらく、床に伏せってうんうん唸って、もだえ苦しむ。結局、お腹の中の物を、全て出し尽くす事でどうにか痛みは治まる。どうやら、家人と一緒に食事をした事が、体には受け入れられなかった様だ。

心は薬でごまかせても、体は正直だ。

家人との昼食、夕食時、いかにも仲の良い家族を演じつつ、美味しいと感じられる意識の状況じゃない事を、ふと感じる。味は不味くは無いけれど、気持ちは砂を食むような、冷え冷えとした感触。
監禁時も、こんな感じだったことを、思い出した。
一緒に食べていて、美味しいと感じられないのだ。只、一緒に食べる事が義務で、そうしないと許されないので、そうしているだけだ。食べ物が、古くなっているとか、味が不味いとかではない。
それらの感じを、ふと思い出しつつ、そこに要る事への義務感で食べてしまった。でも、体は受け付けられなかったらしい。

そんな体の反応を感じて、体はぐったり疲れているのに頭が冴えて眠れない。
明け方、吐き気が収まってきた頃、睡眠導入剤を飲んで、やっと眠りにつく。


1月13日(土)
明日、実家に荷物をとりに行って、更に実家で家人のパソコンメンテをするという事が、怖くて仕方が無い。一人で居ると、恐怖感はどんどんと膨らんでしまい、昨日は全く眠る事が出来ず、恐怖はこの日いっぱいずっと続く。

私はカルト脱会の為の監禁に2度も遭っているが、一度目の監禁で脱走して、カルトに戻った後、2度目の監禁に遭うまでに、異様な緊迫感の中にずっと身を置いていた。
一度目の後も、家人との関係を絶たない様にと言う、私自身の気配りから、なるべく家族に会うように心掛けていた。そして、私も家人も、会っている時の態度や話す内容は、表面的には仲の良い親子を演出できるのだ。
しかし私の内面では、この家族が優しい顔で、いかにも嬉しそうに接近して来ながらも、いつまた狂人に豹変し私を監禁するか分からないと言う過去の経験から、緊迫感と恐怖と不安と不信感、そして、こうして不信の塊になっている自分への自己嫌悪で、生きている心地がしなかった。

そして、明日の予定。家人が、仲良しなんだから良いじゃんという気分で、わざわざ私を頼って、パソコンのセッティングを頼み込み、その日を私が実家に戻る日に決めたり、と言う状況が、過去の監禁される時の状況と、感覚的に非常に良く似ている。
家人の動向が、感覚的にあの時の感触にそっくりで、かつての異様な感覚を鋭く感じてしまう。

まさに、「今から監禁されるぞ、もう二度と生きて社会に帰れない。殺されたも同然になる。心の準備をしておけ」、という、かつての緊迫感と極度の緊張と恐怖を呼び起こし、体も心も緊急異常体制のスイッチがONに入る。
不安と恐怖で、泣き叫びそうになるが、そんな事しても私は助からない事を知っているので、そういう感情は抑えこみ、論理だけの思考を始める。緊急異常体制なので、頭の回転だけが目まぐるしく動き、部屋にじっと佇んで、危険を避ける為の思考を次々と考え始める。
相手にこういう素振りが有ったら気を付けようとか、監禁されたら、この次社会に出るのは私が死んだ時ぐらいだ、とか、ドライバーとか工具をそっと忍ばせて行こう、とか。

明らかにフラッシュバックを起こしている。

夕刻、心療内科で状況を話す。医師は明日、そこまで嫌な心境に陥る悪い状況に有るなら、上手く言い逃れて荷物運びだけにしてみたらどうか、と薦める。
が、私には、家人の事を恐怖に感じ避けている事を、家人に悟られるのも怖いのであった。

そんなことを悟られたら、何をされるか分からない。
「あの子、変じゃないか」と思われたら最後、裏で勝手に何かを企てられ、どこかに連れて行かれ、二度と生きては社会に帰れない。
精神的にも社会的にも、束縛と抑圧を受けた身となりつつも、そんな監禁状態の中でも、表面的にはあなたの為なのよと言う愛に満ちた言葉で、仲の良い親子関係をみんなで演じ続ける。ぞっとする。まるで、極端な異常愛で閉鎖された家庭を描いたホラー映画のようだ。

それを、あなたの為とか、愛しているからとか、仕方ないからと居直られ、また繰り返すのではないか。そんな不信感と恐怖が、今でも心の奥底に強く有るのだ。
だから私は、「あの子、変じゃないか」と思われないように、意識的にも無意識的にも、表面的には仲の良い家族ごっこを演じ続けてきた。
だから明日、私から予定変更する事も、怖くて出来ないのであった。

医師は監禁されても、殺されはしないでしょうと言われたが、私には監禁=死を意味するのだ。何故なら、監禁されたら、監禁者の意図や思考、感情を同質なものにさせない限り、私は社会に帰れない。したがって、私は、私が感じる心や思考、人格全てを抹殺しなければならないのだ。
仮に、監禁を解かれることを許されても、何度も同じ事は繰り返されるのではないかという不安に怯え、いつも監視されている気分になり、監禁後も、監禁者の思考や感情に合わせるように生き続けねばならない。物理的に監禁が解かれても、心は監禁されたままだ。
もちろん、監禁者の思考に合わせる事を否定すれば、監禁は死ぬまで続く。
つまり、じかに殺されはしないが、生きては帰れない。監禁状態とは、殺されたも同然の、生殺し状態で生き続ける事だ。いわゆる、死刑ではなく、無期懲役ってところか。

結局、医師との話し合いでも、明日私がどうしたら良いかを、決める事が出来なかったが、その後、友人と食事をしている内に、恐怖感を十分話す事が出来たのか、ずっと緊張で疲れた心の糸が、プツッと切れたようで、少し落ち着く。。。じゃなく、更にハイに突入してしまう。(苦笑)
恐怖感で一杯だった心が、更にテンションが上がってしまった。明日はこんな意識の状態だから、行くのを止めようとも思っていたが、もし明日監禁されたとしても、もうどうでもいい、行って何でも良いから終わらせよう、と思えてしまった。

今までの不安と恐怖感は、更にワンランク上のレベル、強い怒りに変異していた。
明日は予定通りに、行く事に決めたが、なんで家人は気軽に好きなように生き、その為に私だけがいつもこうして苦しみ、犠牲を払っているのかと考えると、怒りでイライラが収まらない。


1月12日(金)
あっと言う間に、週末になっている。サラリーマンでも主婦でも無いのだが、日々労働をこなす。特に、重労働だったのが、ロフトベッドとADラックとAD機器、パソコン機器、本棚、机、タンスの移動と整理。(総重量200キロは軽く有ると思う)
更に、古本とゲームソフト、CDを整理して、古本屋と図書館を回って処分。押入れダンスを購入して、衣料の整理。喘息気味の猫を動物病院へ連れて行く。合間を縫って、友人宅へパソコンのメンテナンス、等々。
押入れの中の物の整理も、ほぼ終わってきたので、来週末あたりには、引越し準備の為の荷物整理は、だいぶ楽になる見込み。

只、日曜に実家に荷物を取りに行くついでに、実家で家人のパソコンのメンテをする事になってしまった。年末に、年賀状作成を頼まれて、監禁中一緒に居た家人が揃った時に相当な重圧感を感じていたので、その事を思い出し今から緊張する。
また、薬を飲んで、気分をハイテンションに上げて、嫌な気分を無理やり我慢して仕事をこなし、更にお互いの関係が改善されたかのように、一緒に居ると楽しいとお互いに思えるように、無理やり笑ったりして頑張ってしまうのか。

どう見ても、相当無理してると自分でも思う。こういう状況を、物理的に不可能にする為にも、なるべく早く引っ越したいと思う。そしてその前に、この心理状況を、せめて両親ぐらいには理解して貰いたいと思う。
その為には、両親と話し合いの場を設けねばなるまい。これもまた、気の重い作業だ。


1月7日(日)
このところ毎日10〜12時間睡眠で、一日24時間だと、家事をこなした後の自由な活動時間がとても少なく感じられ、従って、だんだんと眠りにつく時刻がずれてしまった。しかも、睡眠導入剤を使用しても、なかなか眠る事が出来なくなっている。
良くないと知りつつも、薬を飲んだ後に更にお酒を飲んで、無理やり寝るのであった。明け方近くに眠り、夕方起きる生活になりつつある。んん〜、まずいな。薬を変えて貰おう。
薬で無理やり一日24時間生活を作っていたが、28時間周期ぐらいで慣れてしまった体のリズムは、そう簡単には変えられない様だ。

そろそろ大掃除も部屋のリフォームも終了して暫くは休養するつもりでいたが、何もしないでいると、反対にそわそわして落ち着かない。

自分の為に楽しむ事、例えばゲームとかしてみるが、リラックスして楽しむことが出来ない。ゲームをしている時の自分は、かつてSEの仕事をしていた時のように、如何に作成者の意図を汲み取り、完了させるかという作業を、完成度を高く、かつ合理的に達成する事が出来るかという感覚。まるで、今の生活で、自分に課した仕事のように黙々と、「こなす」。決して「楽しむ」のではない。

趣味の折り紙も、人にあげて如何に喜んで貰えるかの為であって、自分が楽しむ為ではない。その為、作品を頼まれた時とか、人にあげる事を想定した時以外は、創作意欲が湧かないし作りたいとも思わない。
今の大掃除やリフォームも、次にこの部屋を使う人の為という意識が働いている。

何故なんだろう?
自分が楽しむ事を、無意識のうちに拒否している。いけない事のように思っている。自分が自分の為に楽しむ事に、罪悪感さえ感じてしまう。
そして、日々ひたすら、「誰かの為」に働きつづける。


1月5日(金)
昨日今日と、余りに疲れてほとんど動けなかった。一日中横になって、過ごす。

先月の弁護士からの振込みの件が気になって、今月分の振込みを調べてみた。すると、前回の手数料840円を、手数料500円引かれての振込みになっていた。何故500円なのかの理由が、説明も何も無いのでさっぱり分からない。
だが、弁護士としては安くしてやったんだからこれで文句ねぇだろっ、て感じなのだろうか。思わず苦笑してしまう。

私のメールには何の返事もせずに、勝手に手数料を適当に安く決め、勝手に私の分から引いている。
余程、依頼者と会話をするのが嫌なのか、そんなくだらない質問に応じる暇は無いって事なのか。つまり顧客として相手にしてないって事ね。
なんだか、まともにやり取りするのが馬鹿馬鹿しくなってきた。

カルトと闘って10数年という救出関係者であると正義の味方のようだが、正義の味方づらして人の人権を無視する意識が垣間見えて、カルトの傲慢な正義感の意識と変わらないように思えてならない。

ミイラ取りが、ミイラになったのか?
それとも、両者とも、もともとミイラだったのか?
或いは、日本一億、総ミイラ化しているので、みんな判らないだけなのか?(笑)


1月3日(水)
正月三が日も、年末と同じく障子張りをしたりカーペットを洗ったりして過ごす。

しかし、カーペットの洗濯なんてやるもんじゃないわね。4畳半分のカーペットが水を吸ったときの総重量は、半端なもんじゃなく、まじに重い。(10キロは軽くあると思う。)風呂桶の中で、足踏み洗いしたが、これが相当に重労働。一度思い切り滑って転び、お尻をしたたかに打ってしまい、暫く動けず。洗った後も、脱水機にも入りきらず、そのまま干し場まで運んで干すも、なかなか持ち上げる事ができない。すべての作業が終わって、へとへとになる。
もう二度と、カーペットの洗濯はしないと、固く固く心に誓う。(私ってやっぱり馬鹿)(苦笑)

でも、カーペットが無いと、とたんに部屋は寒くなる。やはりカーペットの保温と保湿の効果は相当有ったようだ。只、その分カーペットと畳の間の空間は、ダニの温床になっていたようで、カーペットを剥がした時の埃は凄かった。

時代劇に出てくる映像で、タンっと障子戸を開けると外は雪景色。って感じの畳とふすまの木造建築をよく目にするが、あんな寒い建築構造で、よく生きていられるねって感心していた。
でも、あんな建築だからこそ、今の住環境のように、保温と保湿の機密性が高くないから、ダニも埃も少ない。もちろん化学物質も充満していないから、アトピーなんて病気は、無かったのね。暑さ寒さに耐え、ある程度の湿度を保持し、機密性を保った住環境って、人間にとっては、とても便利になっているけれど、これはダニカビ君にとっても、もちろん快適の筈。と、今更ながら、うんうんと納得する。

とか何とか言いながら、壁に防カビ剤入りのペンキ塗っているようじゃあ、駄目ね。もう既に、機密性の高い構造で住宅が作られているから、防カビ防ダニ剤入りの化学物質を取るか、それともダニカビに囲まれて過ごすか、部屋が寒くてもカーペット無しで過ごすか、難しいところ。

人間は、現代の科学物質文明で、いろいろと不自由しないで済む環境を作ってきたけれど、暑さ寒さ湿度の微妙な変化にも、他の微生物にも弱くなり、化学物質にも囲まれないと生きていけず、その化学物質で、更に生物的にどんどん脆弱になっていく。

この21世紀、世代ごとに蓄積された化学物質によって、DNAに遺伝子異常をもたらした子孫が生まれてくる可能性が増大する事は、既に前から十分予測されている。
人為的に、遺伝子異常の子孫を、生まれる前に減らして(殺して)いったとしても、それを文明の発達と誇って良いのだろうか。
科学文明(医療も含めて)の発達が、人類の脆弱さを促進している方向に向かっているように思えてならない。

それとも、偉大なる自然は、人間ごときの作った化学物質で汚染されきった環境にも、見事に対応した生命体を、生み出していくのだろうか。
DNAが環境に適合させる為に、絶えず変異して新たな個体を作り出し、環境に適応しない者を自然に淘汰していくのだとしたら、現在、人間社会で奇形児として呼ばれる子供達の方が、より化学物質に耐えられる可能性を持っているのかもしれない、と私は思う。


1月1日(月)
先日は、とうとう紅白も見ずテレビさえつける事無く一日が終わった。しかし、世の中が喧騒の中に有り、自分の気持ちとのギャップを感じでそわそわして落ち着かない。薬を飲んでも寝付けず、結局残っていた日本酒を飲んで、明け方眠りにつく。 昼に起きると、もう年賀状が届いていた。

今日まで、何を忙しそうに動いていたかと言うと、戸棚や押し入れなどの収納なのだが、これが、収納フェチのようで(笑)、一度目に付いて始めると止まらない。
しかし、目に付くところは一通り済んでしまった。やる事が無くなってくると、途端に不安に襲われる。

そう、こうして日記を書いたり、自分の気持ちをしっかり見据えて文章にする作業が、自分でもとても怖いのだ。だから、他の作業で気を紛らわそうとする。


2000/12   2001/2