11月のつれづれ

徒然集INDEX


11月29日(水)
昨日から20時間ぐらい寝て、やっと疲れが取れる。夕方、友人と買い物と食事に出かける。睡眠導入剤のおかげで、深い眠りが取れるためか、近頃は目覚めてから体がぐったりすることが無くなった。

が、反対に動きすぎてしまい、こんなに動けてしまうと、自分がPTSDなのか、それとも、只の社会に出たくない怠け者なのか、自信が持てなくなる。
どうやら少しずつ、躁から鬱へ、気持ちが傾いてきたようだ。

食事をしながら、友人に、何をしているときが楽しいのか、と聞かれる。
私はまだ、なるべく多くの人とは接したくない。出来たら、物とか、動物と向き合っていた方が楽だし、気を使わないで済むから、そういう時にだけ初めて、楽しむことが出来るのだ。

やはり、自分の気持ちのまま、素直に行動したり、表現するのには、一般の場では難しい。でも、苦しい部分を、自分の中にだけ、押し込めておくのは、更に苦しいのだ。
だから、一般的に広く浅く、友達を作るのでもなく、深い部分で理解できる人を、少しづつでも、探していきたいと思う。


11月28日(火)
昼近く、メンテナンス作業から帰り、お風呂に入り、睡眠導入剤を飲んで寝る。
私の場合、睡眠導入剤は、6時間ぐらいで切れて、すぐに眠りが浅くなってしまう。
疲れが残っており、もう少し眠りたかったので、8時間目で軽く食事をし、もう一度薬を飲みなおして、眠る。
11月27日(月)
朝に用事が有ったので、昨日からずっと起きていた。昼近くに寝て、夕方目覚める。
それから、知人のパソコンのメンテナンスに行く。夕方8時から翌朝10時まで、14時間ぶっ通しで、作業を進める。

OAオペレーター兼パソコンインストラクター兼カストマイザー、今でも十分働ける自信がついた。う〜ん、でも、この調子じゃあ、働きすぎで、また体を壊すわね。


11月25日(土)
少ない睡眠時間で、昼過ぎに起き、疲れを残したまま、心療内科へ通う。

今日は、1時間以上も待たされ、待ちくたびれてぐったりしてしまう。
しかし、人と話す時は疲れを見せないという癖なのか、医師と話し始めると、元気に振舞えてしまう。
どうやら、自分から疲れていると言わなければ、人には私が疲れていることを理解されないらしい。(初めて気が付いた。私って馬鹿。)(^^;

今週も、ずっと疲れているのに働き続けてしまった事を、医師に話す。トータルで、3週間は躁の状態であった。
今年は夏あたりから、暑さでアトピーも悪化し体もだるく、ほとんど横になって過ごし、動けずにイライラしていた反動もあって、躁状態に入ってしまったようだ。

余りに躁の状態が長く、体にも負担が掛かっているので、今度は躁と鬱の上下の波の大きさを小さくし、興奮を抑える薬を処方してもらう。

昨日メールを送った方から、早々に返事が有った。
病んでいる部分や症状は違うとはいえ、同じ気持ちを共有していることを確認しあうことが出来、とても嬉しかった。
監禁についても、本人が監禁としか感じられないなら、監禁は監禁と、理解してくれ、とても話が早い。

今の状況や苦しみを、身内がなかなか理解してくれないことが、更に苦しみを深くしていること。(私の場合、同じ脱会者に、つまらぬことは忘れて、早く社会復帰しろと言う意識、であり、彼女の場合、さっさとステロイド塗って、直してしまえば良いのにと言う、周りの意識)
何故、わざわざ、苦しい道を選んでいるの?って回りの奇異な目を浴びつつも、それが自分にとって、本当の癒しになると知っているから、やっている。お互いに、自分の本質の叫びを、ごまかすことが出来ないのだ。

私たちは、怠けているのではない。自分の心に、真っ直ぐに、逃げることなく、本心を見つめ続けている。そして、その心の叫びに、前向きに立ち向かっているだけなのだ。
また一人、理解してくれえる人が増えたようで嬉しかった。

インターネットは、心を通じ合わせる仲間を見つけられる事が唯一の利点だと、彼女は言う。(100人に一人か、1000人に一人か?だが)(笑)
HPを公開して、もっと同じ問題に対して、きちんと話し合える仲間を多く募るべきだと助言を頂く。
確かにそうだと思う。もう少しHP公開に向けて、前向きに考える事にする。


11月24日(金)
今日は、アトピー関係の友人と会う予定だったが、昨日の疲れが出て、さすがにダウン。お腹が痛くて夕方まで動けず。鎮痛剤で痛みを抑えたが予定はキャンセルとなった。

夕刻、いつも閲覧しているアトピーの掲示板で、このような内容の意見が載せられており、とても共感を覚える。

>以下、抜粋。
『そして、こういう簡単には治らない傷を人生に負った人たちの存在がもっと知られなければ、ステロイドに対する意識の変革は望み難いでしょう。
ステロイドは薬害エイズなどと違い、絶対悪(投与された誰にとっても悪いもの)ではないことが、問題をとても難しくしています。使っている内に良くなってしまった人に、ステロイドを、
「楽にしてくれた有り難い薬」と思うなというのは無理なことでしょう。
ステロイドが「害」になってしまった人たちの明確な存在が周知されることが変化の大前提です。そして、それはとても難しいことです。』

私はこの文章を読み、症状は違うとはいえ、現在の自分のPTSDの状況と照らし合わせ、非常に良く似ていると思った。

つまり、私にとっての監禁とは、アトピーのステロイドのようなものだということ。
監禁で、カルトという病は治せたけど、その後遺症が強く残ってしまい、長期化してしまったこと。
もちろん、監禁とは感じず、保護として、カルトの傷も早々に癒し、PTSDにもならずに、保護した人々の期待通りに、社会復帰した人も大勢いることも事実である。

しかし監禁としか受け止められず、その後遺症がPTSDとして残り、それを誰も認めてくれず、正当化され、それ故に、更に症状が悪化してしまったこと。そして、カルトによる心の傷も含め、PTSDという後遺症も、自分で責任を負う事になったこと。

私の思いも、こうしたステロイドの後遺症で、治療法も分からず、社会で認められずに、長期間苦しみ、生きる意味を探し出さねばならぬ程、もがき続けているステロイド被害者の叫びと、非常に良く似ている気がする。

アトピーでも、カルト脱会でも、何にせよ、人を救うと言う大義名分のもと、良かれと思って行った行為であったとしても、「害」になり、傷ついてしまった人が居た時に、その行為を行った者が、責任を持って欲しい、せめて、謝って欲しい、理解して欲しい、と思う。
もし、それが出来ないのであれば、それは、救ってやっているんだと言う者の、傲慢さからの驕りであり、善意という大義名分の元に行われる、只の自己満足に過ぎないと思う。

掲示板へ先の意見を書いた人物に、私のPTSDの状況も含めて、こうした私の気持ちを、投稿意見への返事として、メールで書いて送る。
果たして、どう思い、どう感じてくれるだろうか。


11月23日(木)
友人の新築祝いの為に朝早く起きて、遠出する。(普通の人には、普通の時間帯だが。)

友人に前もって聞いた話だと、その家の完成までには、設計図通りに作られてないとか、締めるべき梁の金具を、2本を1本にケチられていたとか、まともに基礎のチェックもしていない等々、今騒がれている欠陥住宅の問題そのもののような、建築業者とのいざこざが有り、しかも、まともな回答の一つも得られなかったそうだ。とても、憤懣やるかたない、と言った印象だった。
しかし、実際にそこで暮らしている友人たちは、取り合えず無事に完成し、一段落したのか、穏やかで喜びに溢れていた。彼らの安住の地を、物理的にでも作り出せたのかもしれない。

この日、集った面々は皆カルト脱会者と言う共通点が有るが、私と同行した友人一人を除いて、皆結婚し、家庭を持ち、子供が出来たりして、いわゆる一般的な幸せな時間を過ごし、希望に満ちながら生活しているという事が、手に取るように感じられる。
同じカルト脱会者でも、人それぞれ生き方、感じ方、みな違うことを、改めて感じる。
そして、幸せや希望を未だに持てない私には、それが、とても大きな隔たりに感じてしまう。

「○○さんは(私のこと)、いい人できた?結婚しないの?」とか、「これからどうするの?」と聞かれても、今の私には、答える術がない。
何気なく質問するその言葉の裏に、もうカルトから脱会して5年も経つのに、社会に復帰しないのは、良くないんじゃないかと言う、意味が込められているように感じ、私は苦しくなる。責められている気分になる。

これからどうする?と言われても、好きで怠け者をしているのではない。出来ないから、困っているのだ。と、説明しても、大抵あまり理解されない事が多くて、疲れる事が分かっているので、やめておいた。

カルトを脱会して、脱会させてくれた人々に感謝しながら、清く正しく普通の社会人になることが、脱会者に引かれたレールなんだと感じる。それに乗らずに、屁理屈ばかり言って、社会復帰しない私は、やっぱり、変にみえて当然なのよね。


11月19(日)〜22日(水)
未だに、ハイの状態が続く。とにかく体を動かし続けていて、止められない。特に鬱状態で無いので、抗不安剤は飲んでいないのだが。何故なんだろう?

日にち毎に、何をしていたか、はっきりとは思い出せないが、この数日で、家事で働いた内容を抜粋。
・机の引き出しの書類の整理、医療費などの領収書の整理と分類。
・押し入れの中の整理。布団干しもする。雑貨の整理と、不要品を分類。
・洋服ダンスの整理。着古したもの、使わないものを分類。
・食材の整理。使用期限切れの食材を捨て、保存場所を確認してそれぞれ保存しなおす。また、足りない食材や調味料の買いだめ。
・食器棚の整理。使い勝手の良いように、工夫する。(更に、板を買ってきて、棚の幅も広くする予定。)
・食器具の修理。包丁も、改めて5本砥ぎなおす。汚れたり壊れた鍋や炊飯ジャーなどの錆と汚れを落とす。(更に、冷蔵庫と電子レンジとトースターと換気扇を、内外ともに、掃除する予定。)
・掃除、洗濯、アイロンがけを、まめにやる。ごみも沢山出たので、山ほど捨てる。
・今日は、部屋中のカーテンの洗濯を12枚。2層式の洗濯機なので、手動でいちいち洗いとすすぎを繰り返す。(更に、部屋中の窓ガラスと網戸の掃除もする予定。これも、15,6枚ほど有りそうね。)
(更に余裕が有ったら、自転車の錆落としと修理もしたい。)
(それと、知人のパソコンが壊れたんで、こっちもWinの再インストールに行かなくちゃ)

・パソコン内部のデータの整理、要らないソフトの削除と、必要なソフトのインストール等、使い勝手の言いようにカストマイズ。
・HPの掲示板の仕様を更新。HP上に、ゲストブックを新たに入れる予定なので、掲示板の変更と共に、ゲストブック作成にも奮闘。電話を繋ぎっぱなしで、ひたすらHTMLのプログラミングと更新、テストを繰り返す。HTMLの分厚いマニュアルを読みつつ、手動で書きかえる。
・この間、いろんな人からのメールにもまめに返信し、人に会う約束も一杯立ててしまう。

いきなり、こんなに動いて良いんだろうか?そのうち倒れると思うんだが、止まらないぞ。っていうか、次から次えと、次はああしようこうしよう、と思い立ったらやらずには居れない。

今までは、監禁時や監禁後に言われた言葉に対して、どう切り返そうか、という事ばかりの思考で、この思考回路だけが高速に働き、ぼうっとして動けなかった。
体自体も、普段から緊張状態が抜けないため、疲れが取れずぐったりし、それによっても、動けなかった。

今は、その事を考えたくない為に、反対に体を動かす為の思考をしている気がする。しかし、思考の内容が別であっても、同じような速さで、次にやる事をがんがん考え出している。
でもその通りに身体を動かして、身体が付いて行けるんだろか?ハイになりすぎて、疲れを感じなくなっている。ちょっとやばい感じ。

危ないなあ。明日も、あさっても、人と会う約束で、外出だわ。その次も、通院の為、外出だし。土曜まで、もつかなあ?このままだと、いきなり倒れて寝こみそうだ。


11月18日(土)
心療内科を再び訪れる。今日は、最初に詳しく話しをした、担当の医師だと知っていたので、今日は何から話したら良いんだろうかと、また緊張する。

取りあえず、初診から今日まで2週間の、行動や精神状態などを話し、深入りせずに済んむ内容だったので、緊張もややほぐれる。今日も1時間ほど時間をとってもらえた。
この2週間は、鬱から抜けた、いわゆるハイの状態にあった事を話す。

外出して人に会う機会も多かったため、どうしても気をハイテンションに持っていき、この為、落ち込んで、抗不安剤を飲む必要が余り無かった。
また、物理的に進める作業が有ると、苦しい事を考えずに動けてしまう。

しかし、ハイならハイで、いくらでも動けてしまうのだが、体の疲れをほとんど感じ取れない状態になり、体を休めさせる事を忘れてしまう。
従って、一日の長さが異様に長く、一般的な生活リズムなら、一週間に7回寝るのだが、私の場合、一週間に4回ぐらいしか寝なかったりする。
お陰で、寝る為にお酒を飲む回数も減ったが、睡眠導入剤も数回しか使わなかった。

従って、起きる時間・寝る時間という生活のリズムも、毎日変わり滅茶苦茶である。トータルして、睡眠の量も少ないし、浅い。
タフと言えばタフよね、と言う医師の言葉に、おもわず笑った。そ、そうね。体に良いのか悪いのか、良く分からない。(笑)

日頃、鬱のときや、体が動けないとき、何も出来ないでいる事への罪悪感がとても強くあるようだ。動けるときは、何か仕事を見つけて、動いていないと落ち着かない。
しかし、それも、自分が楽しむ為の事は決して出来ず、必ず、誰かの為という理由が無ければならない。

自分が純粋に楽しむ行動には、どうしても負債感、罪悪感が伴ない、自分の為には楽しめない。今のように何も出来ない自分が、楽しんではいけないと思っている。
カルトの精神の回復の為に、お金を貰って生き長らえている身は、楽しんではいけないのだと、思ってしまう。
やはり、親からの仕送りは、私を縛りつける要因になっているかもしれない。

医師に、治療の一環として、デイケアのプログラム(音楽を聴いたり、物を作ったり、歌を歌ったり、とにかく好きなことする)を、勧められる。これは、楽しめたり、リラックスできる感覚を取り戻し、今後の治療をスムーズにする為のもののようだ。
しかし、まだ、自分が自分の為に楽しめるか疑問に思う、と言うより、楽しんで良いんだろうかと不安な気持ちが先に立ち、これについては、返答できなかった。

もう一つ、通院医療費の公費負担(精神保健及び精神障害者福祉に関する法律第32条に基づく)の申請を、勧められる。これによって、この医院での治療費用が公的に負担され、患者は最大でも5%負担になるとの事であった。

私自身も本質的なところからの治療となると、長期戦になることは間違いなさそうだと考えているので、これは申請することにした。
いや、内心自分の為には、なるべくお金を使ってはいけない、という心理が働いてしまっている。相変わらず、自分の為には生きれない感覚なのね。(笑)

でも自分の状況が、公的にでも認められ、保証を受けられる事は良い事だと思う。
今までは、カルト脱会の為の監禁PTSDの脱会者が、そんな保証をされるべき人間として、社会が絶対に認める筈が無いと思っていた。

何故なら、「カルトに入っている人間は、一生、座敷牢でも良いんだ。」って過去に言われた言葉を思い出すたびに、私は、社会から保証を受けられない、人権を剥奪された存在に、未だに置かれていると感じてしまうから。
そして、法も、警察も、政府も、社会全体の民意も、本質的には、誰も私を守り、助けてくれるものは無いんだと、ずっと思い続け、実際そうだったと、感じているから。

う〜ん、だんだん、重い内容になってきた。笑えないぞ。ハイの疲れから、鬱に突入する予感がする。

昨日、ある脱会者に、朝寝て昼起きるような、そんな生活していて、社会復帰する気有るの?って言われた。
その方から見ると、脱会者って境遇は、社会復帰の為のステップで、一人前の人間じゃあないのね、やっぱり。私は、ただ怠けているようにしか見えないんだわ。
同じような状況を味わった者の言葉として、これって、結構落ち込む要因だったりする。

ま、鬱は鬱で、身も心も、寝て休めって事か。今、朝九時なんだけど、薬飲んで寝る。


11月16日(木)
昨日から、パソコンのメンテナンスを本格的に始め、昼頃、ようやく作業を終える。

ネット関係者で、MS社大嫌いのLINAX信者の方が居るのだが、その方の気持ちの一端を知る気がする。
だって、MS社って、いつまで経っても、ちょこっとづつ直しを入れた改訂版を、バージョン何とかって売り出して、儲けてる感じなんだもん。
でもって、ユーザーは、毎回それを買い換える。OSに左右される、いろんなソフトも、改訂版用に売り出される。相変わらず、良い商売してるわね。

しかし、論理的に思考を働かせる物理的作業って、とても楽。ちょっとした感情の揺らぎで、苦しい思考にはまらずに済むから。

こうした作業が終わると、カルト脱会の為の監禁によるPTSDについて、内容をまとめる作業だけが残されたようで、憂鬱になる。このHPの趣旨を、明確に打ち出すことを考えると、苦しい思考でも、少しずつやらねばなるまい。

この作業をやりだすと、本当に薬がいるって感じだわ。

PTSDって、思い起こさなければ良い、考えなければ良い、忘れてしまえば良いのよ、って考えるかもしれないけど、それが出来ないから苦しいのよ。
それに、忘れて許してしまうなんて、苦しむ側の泣き寝入りに過ぎないように思う。苦しみを与えた側に、何も伝わらず、何も変わらず、仕方がなかったで済んでしまうのは、それはおかしい。

昨日テレビで、犯罪被害者が加害者との対談によって、被害者の苦しみを加害者が知ることによって、被害者は少しずつ癒され、加害者は罪の意識を知る、と言うアメリカで開発されたプログラムを知った。

少年犯罪でもそうだが、日本では加害者に罪を意識させない、加害者に犯した罪の傷を負わせない事が、人間としての心遣いのように思われてる。
でもそれって、本当の思いやりなんだろうか。加害者へのそうした思いやりは、罪を認識する機会を奪っている気がする。

犯罪被害者の会で、正しい少年の育成にも活動している方が居たが、その人の意見も、罪は罪として学ばせる事、自分の与えた苦しみを苦しみとして感じさせることが、本当の人間の育成だと語っていたことを思い出した。
まさに、その通りだと思う。


11月14日(火)
友人のご家族のお葬式に出席。

とても由緒正しきお寺で、格式の有る○○殿とかを幾つか通り過ぎた、一番奥のお屋敷でのご葬儀。亡くなられた方の社会的地位と、社会への貢献の高さがうかがえる。
一般的な喪服を着て行かなかった私は、あきらかに場違いであった。喪服のひとつでも用意しておけ!と肝に銘じた。

今回の葬儀に参列して、未だに親に対して関わりを持てないでいる私は、自分の場合だっらどうだろうと、考える。

最後まで、親と心が通じ合うことが出来なかった私は、親に対し「ふん、ざまあ見ろ」と思うか、「人間として可愛そうな人ね。」と哀れむのか。それとも、いつまでも許すことの出来ない、そんな自分に対して、「なんて寛容力の無い人間なのか」と、自分を責めるのだろうか。

どちらにしろ、それらは全て、私をちゃんと見て接して欲しい気持ちの裏返しなのね。未練たらたらだわ。悔しいから、無視してやる。って、これもそうか。(苦笑)


11月13日(月)
連日の外出で疲れたのか、ひたすら横になる。
11月12日(日)
昼から、アトピー関係の講演会で飯田橋まで出る。久しぶりに、通院仲間やネットを介しての友人と会うことができ、楽しく過ごすことができた。
特に、オフで初めて会って話す方だが、いろいろな療法を試して、結局、薬で外から治されるんじゃなく、自分で体の中に自然の力を取り戻すことが必要なんだって気が付いた方と、いろいろな内容の事を話せて、とても有意義だった。

その方は自費でお料理の小冊子を出しているのだが、その冊子の内容も含め感じていることが、とても興味深かったのだ。
その方自身は、未だに食事の制限が多く、食べれる食材が少ないけれど、それはそれで無農薬の野菜や淡白な食事に、本当の美味しさを感じられるようになったとのこと。
味覚や臭覚も敏感になり、自然に体に良いものと悪いものとが分かるようになったこと。
そして、今のステロイドのリバウンドの状態も、体が良くなっていこうとする、自然な過程なんだと感じていること。

私は彼女と話していて、アトピーって、体は不自由だけど、普通の人よりもずっと自然の味覚の美味しさとか、香りとか、体への良し悪しとかに敏感になれるんだと感じた。

得体の知れない未知の遺伝子食品や、毎日多種多様に生産され、人間社会に放出され続けている化学物質とかに汚染されているこの生活文化の中で、そうした物に反応せずに、体に取り込めてしまう一般的な体の人に比べたら、敏感に反応するアトピー患者のほうが、ずっと自然なのかもしれない。

私は、100年後とかには、食事や空気や水など、体に取り入れるものに、敏感に注意して生活していたアトピー患者だけが、無事に生き残れるんじゃあないかと、人知れず心配している。

異物質を取り入れ続けておかしくなった肉体を、更に薬によってのみ生き長らさせる脆弱な生物となるか、或いは非文化的生活を敢えて選び、本来の生物としての機能を復活させて生き延びる生命体となるか、人類全体として、早いとこ、その選択をした方が、良いと思うんだけどな。100年後じゃあ、遅いわね。

それとも、とうとう遺伝子異常を起こし、どんな化学物質に対しても耐性を持った人類の進化を期待するか。そんな生命体、怖すぎる。(笑)


11月11日(土)
ずっと眠っていないまま、心療内科に行く。今日は先週の担当医はお休みで、別の医師が、薬の効き具合を確認して薬の処方をしてもらう。
その医師に、カルテを見てもらい、監禁時のPTSDについて、「じゃあ、ゆっくりと整理していきましょう。」と軽くと言われ、そんなこと分かってるから来てるんじゃん。と思いつつ、「そうですね。」と明るく答えてしまう。

私って、もっと深く傷ついてる筈なのに、人の前では明るく振舞えてしまう。そのくせ、軽く対応されると、腹が立ったりする。とても矛盾している。
本当は、感情を押し殺して、泣けなくなってしまっている代わりに、誰かに泣いてもらいたいのね。

眠らずに居られることは分かったが、体の調子は相当良くない。特に、胃はほとんど消化できず。胃腸薬を飲んで、さすがに今日は寝る。


11月10日(金)
パソコンの調子が悪く、システムのモニタリングに付き合って、木曜の昼から土曜の夕方まで、48時間以上、ずっと眠らずに過ごすことになる。

眠ると、ずっと眠りつづけるが、起きていれば、これまたずうっと頭が冴え起きつづけられる事が判明。抗不安剤って、眠くなる作用も有る筈なんだけど、ぜんぜん平気だわ。

さすがに、お酒で鍛えただけはある。薬への耐性も、相当強くなってしまったか。(笑)


11月9日(木)
いくら寝ても、疲れが取れないのか、水曜昼から、合計20時間以上寝た気がする。日にちの感覚無し。
11月7日(火)
どうやら、精神科に行って過去のことを話したことが、また更に興奮を強めてしまったようだ。話したことが、本当にこれからも信用して貰えるのかとか、マインドコントロールの後遺症を、監禁のせいにしているんじゃないかと言われるんではないかと、勝手に不安に思う。
そして、どうしたら解って貰えるだろうかと、頭の中でぐるぐると、一生懸命考え始める。いつもこうして、不安による、取り留めない思考が始まる。

監禁時、何をどう言っても否定される、解った振りをしても理解されてない、心の中で馬鹿にされている、そうした処遇に怒りなどの感情を表すと、コントロールに掛かっていると言われた為、私は、怒りや不安などの負の感情をそのままストレートに表すことが出来なくなってしまった。
その代わり、そうした感情が頂点に達すると、感情も表情も押さえ込まれて、その負の感情を如何に論理的に説明しようかと、頭の中で超スピードで考え始めて、止まらなくなってしまう。

取り合えず、抗不安剤を飲んでみる。
薬なんてみんな、そのものの薬効ではなく、プラセボ(心理的暗示的)効果で、効いているようなもんだわ、と薬不信の私なのだが、なんとなく、不安は和らいだ気もする。(と思えれば良い訳か。私って、なんて可愛くない患者だ。)

しかしなあ、抗不安剤って、飲んでも余り楽しくないなあ。アルコールは、飲んでいる行為そのものが、楽しいんだけど。
その点を考慮して、医師はアルコールを全く止めろと言わなかったのか?(笑)

今日も、睡眠時間の関係で、起きたら、もう夜。
生活時間が、大幅にずれ込んでしまっているが、ぐっすり眠れて、不安や緊張の少ない生活を第一優先と考えて、今のところ、これで良しとしよう。


11月5日(日)
緊張のせいで、疲れが溜まっていたのか、眠り始めると、疲れがどんどん出てきて起きられない。悪夢にうなされつつも、12時間ぐらい眠る。起きても疲れが取れていず、ぐったりとして、肩こりが酷い。
起き抜けから、背中じゅうと頭に湿布薬を貼って、横になって過ごす。そろそろ、相性の良いマッサージ師も探して、肩こりも治したいと思う。

それでも食事をし、銀行と買い物に出かける。しかし、食品売り場でいろんな食材を見ているだけで、気分が悪くなり、早々に引き上げる。


11月4日(土)
緊張した面持ちで、心療内科を受診する。
閑静な住宅街の中にある、とても綺麗でお洒落な雰囲気の病院。受付で待っている患者さんも、近くに住む、清楚な奥様方といった感じ。
土曜にも関わらず患者さんは多く、女性ばかりだった。この近辺で精神科に女医が居るのは、この医院だけなのだそうで、そのせいかもしれない。

簡単な精神的な症状のアンケートを取った後、看護婦さんに手短かに症状を話し、その後医師の診断を受ける。医師には一時間近くかけて詳しく聴いて貰った。

具体的には、毎日の極度の興奮状態と鬱、イライラと不安、怒り、これによる睡眠障害と悪夢、この症状を避けるために飲んでしまう、アルコール。これにより生活が成り立たなくなり、自己嫌悪と、自殺願望、無気力感、外出恐怖、対人恐怖もあること。
更に、これれらの症状が監禁以降から始まり、アルコールの量もどんどん増えていったこと。毎日、監禁時のいろんなことがイライラの原因となっている事を、話したところ、監禁によるPTSDと診断された。

この診断結果が出て、とても当たり前の結果なのだが、なんだかとてもほっとした。だって今まで誰も監禁によるPTSDだと気が付いてくれなかったし、信じてもくれなかったんだもん。

カルトからの監禁の後、普通脱会者はどうしているのかと、医師に質問され、4、5年ほど、精神的回復の為に自由に生活できる環境は与えられる。と答えたが、では何故、監禁のPTSDの為の治療を行わないのか、更に質問される。監禁時の苦しみを訴えたところで、それは親子の問題として捉えられてしまうと答えると、それはおかしいと医師は言う。

そうなの。私だって、親子の問題は親子の問題で、別だと思う。それはそれ、これはこれなのよ。

だけど、今抱えている私の苦しみを、周りの人間にどう訴えても、今までの過去のすべての親子の問題として、違うくくりで捉えられてしまう。
さらに、そんな事いつまでも言っていると、ではカルトから抜けなければ良かったのか、と言う頓珍漢な議論に発展する。
果ては、コントロールが抜けてないのか、という疑いの眼差しで見られる。

そして、この疑いの目は私にはとても恐怖であった。
何故なら、まだコントロールが抜けていないと言うレッテルを貼られると、監禁されるのではないか。そうでなくても、何かしら、人権が無い立場に、否が応でも、立たされるのではないかと感じてしまうからだ。
監禁が終わっても、未だに、精神的に監禁されているような、閉塞感、恐怖、不安を、私の周りに居る人たちから感じてしまい、私はいっこうに自由になれない。
そして、私の精神的助けを求められる人が、どんどん少なくなってしまった。

こうして、ケアしていると思っている立場の人達に、監禁によるPTSDの理解が無く、それが新たなイライラの材料になり、孤独感と不安と怒りも更に募り、残念なことに私の症状を更に悪化させている。

「救出」が私の精神を救うことを目的としているのなら、話を摩り替えることなく、監禁によるPTSDも存在することを理解して欲しい。
そして、PTSDの治療も、勝手に「救出する」側の責任として、当然、もって欲しいと思う。
そうでなければ、私には「救出」は、救ってやってるって言う側の、只の自己満足とエゴのように思える。
私には、これらの「エゴ」を感じるから、恐怖なのよね。

病院での今後の診療方針として、薬の処方と共に、更に心理的カウンセリングが付くとの事。
私の求めていた治療方針に、だいぶ合いそうだと感じたので、暫くここで治療を受けてみることにする。

更に、生活上で親の仕送りが苦痛に感じ、治療の障害になるのであれば、生活保護を受けられるという話も聞いた。カルト脱会時の監禁によるPTSDの患者が、社会で認められたようで、嬉しかった。


11月2日(木)
今日も、ほぼ12時間ぐらい寝て、昼3時頃に目がさめる。働きもせず、アルコールばかり飲んで、昼過ぎに起きる生活が続くと、罪悪感と自己嫌悪で、自分を責め始めるということが分かっているので、せめて朝方の生活にしようと思う。

今日も、心の奥底にある苦しい感覚をどうにかしなくちゃ、と漠然と考えつつ、何も手につかないまま、一日が終わる。

一人で居ると、この気持ちを転換して、楽しい方向に向かうことが、なかなか出来ない。こんな生活を、もうカルトを出てからずっと続けているが、未だに解決できていない。
だが何をどうすれば良いのか、見いだせない。
楽しいと思う行動をしても、心の根底にはいつも苦しみが横たわっていて、楽しむことに没頭できない。楽しい感情さえ、刹那的なものとして処理され、否定してしまう傾向にある。

本当に、生きていても、苦しい感覚だけなのよね。まいったなあ。

精神科に行こうと思ったのは、もういい加減この苦しい状態に耐え切れなくなって、どうにか楽な方向に改善して、早く次のステップに移行したいと思ったから。

私の性格として、二つのことをいっぺんに出来ず、例えば働きながら自分の心の清算をする、とかは出来ない。自分で働いて、自分の生活に自分で責任を持ちたいと思っているので、まず納得のいく程度に、心の問題をきちんと片付けたいと思う。

だから、薬を飲みつつ働けるようになっても、本質的に問題は残されているわけだから、それはしたくない。私としては、今働いていないこの時期に、できれば根本的な解決に導くような治療をしたいと思っている。

とは言え、根本的に深い苦しみの部分にまで、治療のメスを入れることに自分が耐えられるんだろうか。
診察を土曜日に控え、何をどの程度話せば良いんだろうかと、今からちょっと緊張。
まあ、医者もいろいろ居るから、取り合えず無難な線で探りを入れてみるか。


11月1日(水)
昨日はお酒を飲んで爆睡。12時間以上は寝る。アルコールを入れると、緊張状態が麻痺されるらしく、普段よりずっと深く眠れて体はすごく楽。
疲れが取れるまで、意地でも寝てやるとムキになって眠り倒したので、どうにか異様なだるさは少し抜けたようだ。
しかし起きた時点で、既に昼3時過ぎ。あっという間に夕方になり、一日が終わる。

今後アルコールの代わりに、精神安定時と睡眠導入剤をずっと飲み続けるのって、なんだか同じように思えて、すごく疑問に思う。
私の場合、やっぱり対処療法ではなく、根本治療をしないと治療の意味が無いと思う。

相互リンクしている友人、某M女史から、性格診断のメールが送られてくる。これ↓
http://homepage1.nifty.com/apartment/shindan/
暇つぶしに、私もやってみると、こんな診断結果が出る。
・あなたは、一般的な男性の脳の持ち主です。
・あなたは、一般的な男性の特徴を平均以上に持っているといえます。
友人Mも、そっくりこれと同じ診断結果が出たそうで、思わず笑ってしまう。私たちって、男同士だったのね。

ま、でも、女が一人で、この社会を生きていこうとすると、男よりも更に男性的に、観察して、分析して、論理的に生きていく、という部分を研ぎ澄ましていかないと、無理じゃん。男性の社会に入って、男並に収入を得るには、もともと女性というだけで、まず絶対的にマイナス要因だもん。
専門知識や論理的思考、技術的感性、問題把握力、感情を論理的に説明する能力なんかを、普通の男性より、意識して更に高く付けていかないと、女性は一人では生き残れない。
ってえのは、いい訳か。(笑)

ま、お互いに、恋愛したり結婚したりって言う一般的な希望を、全く持っていず、幸せを感じる生き方も希望として持てず、とにかく物理的に生きる道を選んでいるから、機械的な脳みそでも仕方ないか。(苦笑)

でも、普通以上にずっと繊細であると自負しているのだが、違うのかな?


2000/10   2000/12