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長編ドキュメント統一協会信者「脱会」後の重い十字架

書かれざる「宗教監禁」の恐怖と悲劇

「合同結婚式」「霊感商法」で世の指弾をうける統一教会。
しかし、信者教出の名のもと行われる違法な監禁は許されるのか。
拉致を先導する家族と信者の切れた絆は恢復するのか。
カルトを追い続けるライターの異色レポート

米本和広(ルポライター)


 家族や親戚から親しみをこめて、「あーちゃん。」と呼ばれていた宿谷(しゅくや)麻子(40歳)が、アパートに閉じこもるようになって、どれだけの歳月、が経つのだろうか。
 私が麻子にはじめて会ったのは2年前の夏だった。彼女の肌は、首まわりと手首から二の腕にかけてアトピーによる赤茶色の湿疹で覆われ、皮膚のところどころが鱗状に固まっていた。思わず目を背けてしまったことを、今でもよく覚えている。
 麻子の一日は、大半が抑鬱状態で、「なにかあると突然、頭が高回転して止まらなくなる」という。精神医学で「過覚醒」(脳の異常興奮)と呼ばれる症状である。アトピー、過覚醒以外にも、吐き気、悪夢、動悸、不眠などの症状があり、「とても苦しい」と訴える。
 麻子の2人の友人も同じような症状に苦しんでいた。高須美佐(36歳)も同じ鬱状態だが、暇な時間ができたりすると、かつての忌まわしい「過去」がフラッシュバックとなって甦ってくるため、無理をして昼間は派遣社員の仕事を入れ、夜はお好み焼き屋で働いている。それでも深い眠りにつくことができず、睡眠薬を飲んで2〜3時間寝ては覚醒し、また薬を飲んでうつらうつらしてから会社に出かけるという辛い生活を繰り返していた。
 中島裕美(41歳)は離婚して、小学校・保育園に通う2人の子どもを育てているが、やはり鬱状態で仕事に就くことができず、生活保護を受けていた。かつてはアルコール依存、現在は過食症に苦しんでおり、ときどきパニック発作を起こすこともあるという。裕美が悲しそうな顔をしながら話す。「朝、起きられないんです。子どもを学校に送り出すのが10時ごろになることもしばしばあります」
 3人はいずれも精神科にかかっており、精神科医が下した診断名は一致してPTSD(心的外傷後ストレス障害)である。飲んでいる薬は導眠剤、睡眠薬、安定剤、抗鬱剤など10種類に及び、公的な精神障害認定も受けている。
 麻子の主治医である「めだかメンタルクリニック」(横浜市)の担当医は、私の質問に次のように答えている。「麻子さんの場合は、災害のようなワンポイントの出来事による単純性のものとは異なり、長期に持続・反復する外傷体験(心が傷つく衝撃的な体験)によってもたらされた、より重度の『複雑性PTSD』だと考えられます」
 3人には忘れたくても忘れられない共通の過去がある。かつて「統一教会」の信者だった彼女たちは、ある日突然、実の親に拉致監禁され、長期間にわたる説得を受けた後、脱会を余儀なくされているのだ。主治医の言葉を借りれば、それは「信仰の自由を強制的に奪われ続けた」という衝撃的な体験だった。その結果、彼女たちは今も深い奈落の底でもがき続けている。

警察も助けない拉致事件

 今から9年前の95年11月25日―。東京・早稲田通りで、パトカーが出動するほど大きな騒動があったことを知る人は、今ではほとんどいない。
 当時31歳だった麻子は、この年の夏に韓国で開かれた統一教会の合同結婚式に参加しており、近く韓国人男性のもとに嫁ぐことになっていた。そのお別れの挨拶をかねて、妹や弟と高田馬場駅そばのレストランで食事をとることにしていたのだ。
 麻子は複雑な思いで会食に臨んだ。1年ほど前、信仰に強く反対する家族や親戚によってマンションに監禁された経験があったからだ。麻子が所属する統一教会・新宿教会の教会長たちは「再び監禁されるおそれがある」と、会食に反対した。しかし、幼い頃から 可愛がってきた妹と弟にはどうしてもひと目会っておきたい。そこで、両親から「この前のような酷いことは絶対にしない」と約束を取りつけ、レストランでも先輩信者に周囲を見張ってもらうことにしていたのだった。
 麻子はラザニアを食べながら、弟妹に優しく語りかけた。「私はここ(統一教会)が理想の場所だと思ってる。韓国にお嫁に行くけ ど、ときどきは帰ってくるからね」
 弟妹が「うん、うん」と相槌を打っているとき、険しい表情で目をしばたたいている先輩信者の姿が遠くに見えた。慌てて席に近寄ると、「下に大勢の人がいる。とっ、取り囲まれているよ!いま応援部隊を呼んだから―」
 また家族に裏切られた!青ざめた麻子が2階から転げ落ちるように階段を降り、通りに飛び出すと、そこには父親や親戚ら9人が待ちかまえていた。後ろからは弟妹が駆け下りてくる。総勢11人が一斉に襲いかかってきた。
「きゃー、何すんのよ!」「離してよ」
 引きずり倒された麻子が父親の股ぐらを蹴り上げると、これまで怒ったことのなかった穏和な父が鬼のような形相となって覆い被さってきた。
「何すんだ、この野郎!」
 麻子のベージュ色のセーターが破れ、ストッキングが引き裂かれ、壊れた靴のヒール部分が転がっていく。狭い早稲田通りにはクラクションの音が鳴り響き、野次馬は300人以上に膨れあがった。周囲から怒声が飛んだ。
 麻子が無理矢理バンに押し込まれると同時に、パトカーがサイレンを鳴らしてやってくる。瞬間、麻子は「助かった」と思った。事情聴取のために関係者全員が戸塚警察署の駐車場まで移動する。車の中から麻子は「拉致されているんです。」と警察に訴えた。
 ところが・・・。「これは家族の問題です」と親戚一同が口を揃え、車から降りた妹が「姉は、いま問題になっている『統一教会』に入信しています。これから家族で話し合うつもりなんです」と説明しただけで、警察は納得し、矛を収めてしまったのである。
 麻子は「見てください!私は羽交い絞めにされています。助けてください」と必死に叫んだが、警察は一瞥しただけで取り合おうとはしない。法治国家なのに統一教会員には人権も認められないのか―。悔しさと同時に絶望感が襲ってきたという。
 戸塚署をあとにした車は、統一教会側の追跡をまきながら、次第に東京を離れていった。2〜3時間ほど走っただろうか、車が停まったところは2階建ての小奇麗なアパートの前だった。
 1階の一室に両腕を抱えられ強引に連れ込まれた麻子は、怒りも露に靴のまま部屋にあがった。奥の窓に近づくと二重鍵がかけられ、外から中が見えないように色つきのシートが隙間なく張り付けられている。言いようのない悲しみと怒りが込み上げてきた。
 監禁はこの日以降、じつに5ヶ月間にわたって続くのだが、麻子だけでなく、家族みんなにも疲労の色が濃くなり始めた3ヶ月目のある日、突然1人の女性が部屋を訪れた。一瞬、緊張した雰囲気が室内に漂い、麻子は身体が強張るのを感じたという。目の下の たるみが目立つ、縮れ毛のその女性は、怯える麻子の緊張をほぐそうとしてか、不自然と思われるほど笑顔を満面にたたえ、手土産のゼリーを渡しながら、優しい口調で語りかけた。
「津村と申します。私はボランティアのカウンセラーです。・・・」
 だが、この自己紹介は偽りだった。彼女の本名は黒鳥栄(56歳)。ボランティアなどではなく、プロテスタントの国内最大組織である「日本基督教団」に所属する戸塚教会(横浜市)のれっきとした副牧師だった―。

『宗教戦争』の様相も

 統一教会は、「世界基督教統一心霊協会」を正式名称とし、64年に宗教法人として認可を受けた、文鮮明を教祖とする韓国生まれのキリスト教系新興宗教―だが、こんな説明を長々とするよりも、元新体操選手の山崎浩子や、歌手の桜田淳子が参加した合同 結婚式や”霊感商法”キャンペーンで有名になった、あの宗教団体、といったほうがわかりやすいだろう。
 ところで、私は過去にヤマギシ会、法の華三法行など、様々な「カルト」(反社会的性格を持つ擬似宗教団体)の批判記事を書いてきた。そのため、カルト陣営からは”反カルト派”のライターと目されている。統一教会の機関紙では2ページにわたって顔写真つきで批判されたことがあるし、これまでに4つの団体から裁判に訴えられたこともある。その私が、いまなぜ、このような記事を書くのか首を傾げる方もいるかもしれない。そこで、麻子の話を続ける前に、統一教会に関する私の見解と、今回の記事を執筆するに至った経緯 について、触れておくことにする。
 私は、「カルト」「反カルト」、あるいは「統一教会」「反統一教会」のいずれの側に与するものでもなく、どんな人間や組織であれ、社会的に批判されるべき問題点があれば、それを記事にすべきだと考えてきた。立場を問われれば「是是非非」というしかない。
 統一教会の問題点は、これまでの報道や数々の訴訟・判決文でもはっきりしている。もっとも批判されるべきは、「高額な信者献金」だろう。
 同教団によれば、統一教会の組織は世界186ヶ国・地域にあるが、教義の上で「エバ国」(=罪深き国)とされる日本の組織が集める献金(物品販売も含む)の額は、他国と比較しても目を見張るほどの高額だ。統一教会に反対する「全国霊感商法対策弁護士連絡会」によれば、同会に寄せられた相談の被害総額(87年〜01年分)は、じつに870億円に達する。私のところにもこれまで4件の相談が寄せられているが、そのうち3件が1000万円を超えている。客観的にみれば、統一教会は信者の財産を収奪している、と言わ ざるを得ない。
 また、「正体を隠しての伝道活動」についても批判は免れない。彼らは現在も「統一教会信者」という正体を隠して勧誘を行っている。勧誘の際には、まず、アンケートや手相診断などによって「ビデオセンター」へ誘い、そこでビデオによる講習を行う。それが終わると「2日間合宿」、次いで「4日問合宿」に誘う。彼らが正体を明かすのは、4日間合宿の最後に入ってから、というケースがほとんどだ。
 これらの間題点について、日本統一教会総務局長の岡村信男は語る。
「献金は自由意思で行われていますし、教団では統一教会の名称を明らかにして伝道するように指導しています」
 だが、信者のところには献金を要請するファクスがいまも頻繁に送られているし、教団名を明かした上で信者に勧誘された経験のある人は皆無といっていい。説得力にまるで乏しい。
 ただし、これらの問題点をもって、統一教会を犯罪者集団だと一口に論じ、「彼らは犯罪者だから、何をしてもよい」と考えるのは間違っている。彼らを擁護しようとは思わない。だが、過去に統一教会や信者が、殺人や傷害といった犯罪で「刑事被告人」として処罰された事実はない。民事裁判では数々の違法判決を受けており、その意味では彼らは「反社会性を帯びた集団」と言えるだろうが、「犯罪者集団」というレッテルは冷静さを欠く。
 一方で、信者を搾取するような組織に可愛い我が子が入信してしまった親の身になってみれぽ、「どんな手だてを講じてでも脱会させなければ」と思うであろう、その心情は理解できる。しかし、だからといって、子ども―子どもといっても成人であり、なかにはすでに結婚し家庭を築いている人もいる―を強引に拉致監禁し、強制的に説得するという行為が許されるはずはない。「拉致監禁」は刑法220条の「監禁罪」=懲役3ヵ月以上5年以下に相当する犯罪であり、たとえ親でも免責されるわけではない。
 より間題なのは、こうした拉致監禁行為が一部のキリスト教の牧師たちによって組織的に支援されている、あるいは主体的に取り組まれているという点だ。彼ら牧師は、統一教会に入信した子どもの親に、子どもを”保護”(拉致監禁)するように仕向け、連行された子どもたちに密室で”説得”を行い、脱会させる。あるいは、脱会後に”正統派”クリスチャンに改宗させる。つまり、拉致監禁による脱会説得は、正統派対異端派という「宗教戦争」の色彩を内包しているのである。

統一教会信者が拉致監禁された事例

氏名 説得者(牧師) 事件の概要と経過
88年 中島裕美(当時25歳) 黒鳥栄 自宅に戻る途中、横浜市内で両親らに拉致される。同市内のマンションに2週間監禁。後日、脱会
95年 高須美佐(当時27歳) 黒鳥栄・清水与志雄 実家に戻る途中、両親らに拉致される。横浜市、群馬県太田市内のマンションに合計6ヵ月半監禁。後日、脱会。
95年 宿谷麻子(当時31歳) 黒鳥栄・清水与志雄 東京早稲田通りで家族らに拉致される。横浜市、群馬県伊勢崎市内のマンションに合計5ヶ月間監禁。後日、脱会
97年 小林宗一郎(当時25歳) 清水与志雄 東京・北千住の路上で家族らに拉致される。大田市内のマンションに7ヶ月間監禁。後日、脱出。監禁は3回目
97年 今利理絵(当時26歳) 清水与志雄 川崎市で家族に拉致、6ヶ月間の監禁後に偽装脱会。98年に牧師、両親を提訴するも一審・二審敗訴。上告中。刑事告訴するも起訴されず
97年 富澤裕子(当時31歳) 高澤守 統一教会・鳥取教会にて母親と面談中、父親や支援者ら20人に襲撃され、拉致。徳島市ほか3ヶ所で合計1年2ヶ月間監禁後に偽装脱会。99年に牧師・両親を提訴し、一部勝訴。牧師を刑事告発し、起訴猶予処分に
98年 アントール美津子(当時26歳) 清水与志雄 東京・昭島市内のアパートで両親らに拉致、太田市内のマンションに2ヶ月間、監禁。後に脱出。98年に牧師・両親を提訴するも一審・二審・最高裁すべて敗訴
01年 寺田こずえ(当時28歳) 高澤守 韓国から高知県の実家に帰省したところを両親らに拉致。大阪市内に2ヶ月間、監禁後、夫が救出。02年に牧師・両親を提訴し一部勝訴。両者控訴するも棄却。牧師を刑事告訴中
02年 元木美恵子(当時32歳) 松山裕 韓国から山形市の実家に帰省したところを拉致。秋田市の教会に2週間監禁後、警察が救出。牧師・両親を刑事告訴し、松山は不起訴、両親は起訴猶予処分に

 表は、私が実際に取材した事例を含め、拉致監禁などの被害を受けた信者が告訴、民事事件に発展したケースを中心にまとめたものだが、これらは氷山の一角でしかない。前出の岡村が語る。
「統計としてはやや古いのですが、90〜92年の3年間で拉致監禁された当会の信者は941人。うち退会した人は601人、監禁先から逃げ帰ってきた人が233人。残りは消息不明です。山崎浩子さんの退会が報じられた翌93年には1年間だけで400人を超えて いる。これまでに”拉致監禁”によって退会した信者は、少なく見積もっても4000人はいるでしょう。現在もこのような行為は続けられています」
 現在も脱会活動に関わっているある牧師も、次のように語っている。
「私が保護(拉致監禁)説得したのは230人です。MさんやFさん(いずれも牧師の名前・インタビューでは実名)だったら、それぞれ800人はやっている。すべての牧師を合わせれば、最低でも5000人はいるでしょう」
 実質的な信者数が現在約5万〜6万人といわれている統一教会で、これだけ多くの人々が拉致監禁の被害に遭っている。にもかかわらず、この闇の部分に追及のメスが及ぶことはこれまでほとんどなかった。
 正直に告白するが、私はカルト取材の過程で、拉致監禁の噂を聞いていた。しかし、その当時は「献金活動に明け暮れる統一教会の信者は洗脳されており、その洗脳を解くには多少荒っぽいやり方を用いても仕方がないだろう」という、漫然とした思いしか湧かなか った。実際、99年には、信者の今利理絵(表参照)が牧師を相手取って裁判を起こした際に、事実を確かめることなく、要請されるままに牧師支援のカンパに応じたほどである。
 だが、実の親に監禁説得を受けた信者たちと知り合い、いまだ癒えることのない深い傷に苦しみ悩む彼らの姿を見続けるうちに、私は徐々に認識を改めていった。「信者救出」の名のもとに行われる拉致監禁は許されるのだろうか―本稿で私が問いたいのは、ま さにそのことに尽きるのである。

”保護説得”をすすめる牧師

 時計の針を、早稲田通りでの騒動から1年ほど前に戻す。
 94年6月頃のことだ。麻子の家族は苦悩していた。3年前に娘の統一教会入信がわかって大騒ぎになったとき、宗教に詳しいという親戚が「教団の影響が及ばないところで説得すれば脱会させることができる」ともちかけてきた。ところが、いざ実行してみるとすぐに逃げられ、それ以来、娘が行方不明になってしまったのだ。茫然自失の両親に代わって妹が麻子の行方を探し、統一教会に関する情報を必死になって集めていた。
 そんな折、「全国原理運動被害者父母の会」という会の存在を知り、その会合に両親が参加し、前出の副牧師、黒鳥を紹介されたのである。
「麻子を取り戻したい私たちにとって、黒鳥先生は藁にもすがる思いで頼った救世主のような存在でした。先生は『教会で勉強することから始めなさい』と言われ、私たちは週2回、必死で教会に通ったんです」
 日曜日は礼拝、水曜日は”聖書研究会”という名目で行われる父母の会(勉強会)である。勉強会は黒鳥を中心に、脱会した元信者、脱会に成功した家族、現役信者を抱える親の三者で構成され、常時30〜40人の出席者がいた。そこでは脱会の成功事例が報告さ れ、元信者による体験談が話され、現役信者の親たちは今の苦しみを口々に訴えた。脱会方法としての「拉致監禁」は”保護”、「監禁説得」は”保護説得”という言葉で語られていたという。再び麻子の両親の回想。
 「勉強会で発言をされた元信者の家族の方は、それぞれ”保護説得”に成功された方たちでした。自宅に座敷牢を作り、そこに子どもを閉じ込めた方、他の人の息子さんの”路上保護”を手伝って、車に押し込んだという方もいらっしゃいました。保護するのは当た り前といった雰囲気で、言葉のイメージからも”保護”が悪いことだとは、当時はまったく思いもしなかった」
 この種の勉強会は、脱会活動をしている教会ならばどこでも行われている。拉致監禁を”保護”と言い換えるのも同様である。ときに牧師は自らを”救出カウンセラー”と名乗り、脱会は”救出”と表現される。だが、救助を求めていない人間の意思を無視して強引に拉致し、監禁下での説得によって脱会させる行為を「保護」「救出」と言い換えるのは、事の本質を糊塗するものと言わざるをえない。
 反統一教会側は”保護説得”を正当化するためか、同教会の問題をことさらデフォルメしてアナウンスする傾向にある。取材中に知り合ったある母親は、息子を保護、強制説得により脱会させた。そのこと自体は喜びつつも、監禁という手段については「間違いだったのではないか」と悔やんでいる。
 「結局のところ、牧師さんに煽られたんだと思います。『統一教会は犯罪者集団だ。おたくのお子さんもやがて加害者になって、別のお子さんを傷つけることになる。親として保護しなくてどうするんだ』と。そして、脱会させるには保護説得しかないと、何度も言われましたから」
 麻子の両親も同様だった。所在の判明した娘から「合同結婚式に参加する」という連絡が入るに及んで、”路上保護”を決意する。そのことを黒鳥に話すと、彼女は計画を実行に移すための「経験者」を紹介したという。Sという名前のその男性は、自らも息子の脱会に成功し、勉強会にも顔を出していた。黒鳥は、そのSに実行計画の作成と当日の指揮を頼んだのである。
 ちなみに、牧師のなかには拉致行為そのものまで手伝う牧師もいるが、通常、牧師は直接関与せず、経験者を紹介するのが一般的だ。牧師が姿を見せるのは、あくまで”保護”後の説得役として、「家族に頼まれ、本人も会うことに同意した」という形式を整えた上であることが多い。これは、拉致監禁行為の法的責任(教唆・共謀)を回避するためではないかと思われる。
 <実行に加わるのは全部で16人。このうち身内以外のS以下5人は、統一教会側の邪魔が入った際の「応援部隊」とする。監禁場所は、戸塚教会と同じ横浜市内にあり、直前まで別の信者(冒頭に記した高須美佐)を保護していたアバート。アパート内にはテレビ電話は設置しない。インターホンも取り外しておく・・・・>
 計画は徐々に具体化し、そして早稲田通りで実行されたのだった。

遠隔心理操作

 舞台を再び、監禁直後の部屋に戻す。
 怒りに震える麻子に、両親は土下座するのみで、代わりに妹が説明した。「こんなことをしてごめん。統一教会の影響を受けない場所で、じっくり、家族だけで話し合いを持ちたかったの。それにはこうするほかなかった。本当にごめんなさい……」
 黒鳥の指示どおり土下座はしたが、その時、母親には麻子の怒りが何によるものかわからなかったという。監禁された子どもが怒り暴れるのはマインドコントロール……勉強会でそう繰り返し聞かされてきた親には、子どもの心が理解できない。それどころか「(監禁中に)わざと洗剤を飲み込んで救急車を呼ぼうと図るケースがあるので、(飲み込めないよう)固形石鹸にする」「トイレで消毒剤を飲んだ子どももいるので、トイレの鍵は外す」
 など、子どもの気持ちを逆撫でするようなことを、経験者から教わったとおりに忠実に実行していくのだ。
 数日後、麻子が落ち着きを取り戻すと、さっそく”保護説得”が始まった。妹が語りかける。
「あーちゃんが信じている統一教会の『原理』について、私たちも勉強したいから、説明してよ。それが終わったら、解放するから―」
 そう言われた麻子は、組織のバイブルである『原理講論』をテキストに講義を始めた。時計もカレンダーもない狭い空間に家族4人が閉じこもり、麻子の話にずっと耳を傾ける。寝るときは6畳間に女性3人、4畳半に父親。食事のときは、ことさら明るく振る舞い、麻子の気分を盛り上げる。当時の様子について、父親がボロボロになっ一冊の辞書を取り出しながら、暗い表情で振り返った。
 「『原理講論』を読んでも、麻子の話を聞いてもよく理解できない。眠くなるのを必死でこらえました。新聞もテレピもなく、太陽にあたることもない。緊張感で体がおかしくなった。(保護説得を支援する父母の会から)唯一、持ち込みが許された『漢和中辞典』を読み耽ったこともありました」
 母親も涙をこぼしながら語った。
「私たちは生鮮品を扱う小売店を営んできました。朝早くから夜遅くまで、休日なしで働きどおしで、子どもの運動会にも一度も顔を出せなかったほどです。家族が一緒に団欒するなんてお盆と正月くらい。それがあそこでは毎日……。奇妙な共同生活でした」
 まさに、鉄格子の中での家族団欒だ。
 保護説得が辛いのは監禁された信者だけではない。家族は生活のすべてを犠牲にして監禁生活に加わらなければならない。麻子の両親は祖父の代から続けてきた小売店を畳み、妹は会社に退職届を出した。生活の糧を失うことへの不安は計り知れないものがある。躊躇すれば、「仕事を取るか、子どもを救出するか」と、牧師によって決断を迫られる。実際、保護説得を実行した家族の中には、乳牛を泣く泣く手放した酪農家や、その年の葡萄の収穫をすべて諦めた果樹園経営者もいる。
 麻子の講義は1ヵ月以上かかって一とおり終わったが、「もう一度」「もう一度」と、家族は解放の約束を引き延ばした。さらには、「今度は反対派の本(統一教会を批判する本)も読んでくれ」と麻子に懇願するようになった。
 実は、これらはすべて黒鳥牧師の指示によるものであった。監禁直後から買い物などで外出していた麻子の妹は、そのたびに電話で状況を黒鳥に報告し、指示を仰ぐ。そしてその指示を小さな紙にメモしては、麻子に気付かれぬよう、両親に渡していたのであ る。そのときのメモが今も残っている。<今は黙って原理を聞き、家族が聞いてくれているという満足感を十分に与えること><(麻子が少し甘えた素振りをする、と報告したところ)それなら、昔の話を聞き、幼稚な子どもにさせてあげる。もっともっと、心をほぐすようにと、白に言われた>
 「白」とは、家族間で用いた黒鳥の符丁である。監禁が長くなるにつれて、指示がより具体的になっていく。<(元信者のS・ハッサン著の)『マインドコントロールの恐怖』を玄関先に置く。みんなで読むようにとのこと><本日から『六マリアの悲劇』(朴正華著・統一教会教祖の文鮮明を批判した本)を入れる。麻子には次のように話すように。『私たちは真剣に原理を受け入れたいと思っている。しかし、世間で悪く言われているので不安だ。どちらがほんとうなのか判断できないので一緒に検証したい。だからこの本を読もう』>(括弧内は筆者)
 鉄格子の外側からの遠隔心理操作というしかない。自由が閉ざされた辛い生活が続き、麻子は徐々に鬱々とした気分になっていく。そんなときに、前述のとおり、黒鳥が登場するのである。
 偽名で麻子の前に現れた黒鳥は、以後週2回のぺースでアパートを訪れているが、麻子は疲れていたこともあって、なかなか反対派の本を読もうとしなかった。その様子を見た黒鳥が、やがて妹に言った。
「マインドコントロールが固い。すごい反対対策が施されている。清水先生にお願いしてみよう。(彼なら)1ヵ月ぐらいで落とす(脱会させる)」
 そして、麻子にはこうもちかける。
「統一教会の間違いをきちんと教えてくれる牧師さんがいる。その人に会ってみないか―」麻子の脳裏を脱会後の自分がよぎった。たとえ脱会することになっても、自分を裏切って2度も監禁した両親のところへは戻る気にはなれなかった。「(牧師さんと会ったあとは)自由で安全な場所が欲しい」と訴えると、黒鳥はその場ではじめて本名と職業を明かし、牧師らしく励ますような声でこう話したのである。
「そのことは私が保証します。麻子さんの今後のことについては、最後まで私が責任を持ちます」

脱会の果てに

 数日後の夜、黒鳥が突然現れ、「移動」を告げた。母親と妹に両腕を抱えられた麻子が両親の車に乗ると、傍らに止まっていたもう一台の先導役の車が静かに走り出し、父親はその後を追うようにしてアクセルを踏んだ。
 再び、両親が語る。
「車には簡易トイレも積んでいました。なんでも以前、公衆トイレに行くふりをしてそのまま逃げてしまった例があったようで、移動の際には準備するように指示されていたんです」
 かつて、私が会った別の男性信者も、「移動の際の簡易トイレ」について語ってくれたことがある。
「トイレに行きたい、といくら言っても降ろしてくれない。仕方ないので、簡易トイレに流しましたよ。家族や知らない人もいる車の中で用を足す。あの屈辱は一生忘れません」
 2台の車は、神奈川から東京、埼玉をノンストッブで走り抜け、利根川を渡り、群馬県伊勢崎市に到着した。午前1時過ぎのことである。
 麻子が市内にあるマンションの一室に入ると、やはり窓という窓には二重鍵がかけられ、壁の一部が大きく凹んでいた。あとで分かったのだが、以前、監禁されていた女性が暴れたときにできたものだった。
 部屋に入ってまもなく、でっぷり太った中年の男性が、5〜6人の若者を引き連れてどかどかと入ってきた。同じ県内の太田市にある太田八幡教会の牧師・清水与志雄(49歳・現名古屋東教会牧師)と、彼が脱会させた元信者たちである。ちなみに清水自身統一教会の元信者で、自主脱会した後、牧師の資格を取っている。所属は黒鳥と同様、日本基督教団である。
 清水が大声で統一教会を批判し、脱会者に相槌を求める。すると、脱会者は一様に「先生、そのとおりです」と頷く。麻子にはまるで教祖と従順な信者のようにしか思えなかったという。そんな光景が毎晩続いた。
 たまに麻子が批判的な意見を述べると、「まだ原理など信じているのか」といった哀れみの籠もった目を脱会者から向けられた。
「それが侮辱されているようで、たまらなく嫌だった。屈辱的でした。群馬に行ってからは、脱会者の人たちの態度が一番嫌でした」
 インタビューに答える麻子の手が痙攣したように強く震えはじめた。「最も思い出したくない出来事」だという。清水に反発すれば監禁生活から解放されない。逆に、自分の心を抑えて従順な態度を示せば、いつかは解放される…。このような二律背反の状態が 続けば精神は不安定化し、ときには分裂状態さえも引き起こしかねない。
 とにかく自由を手に入れたかった麻子は、清水の言葉に耳を傾け、彼が差し出す資料や書物に目を通すようになる。やがて統一教会への疑問が次々と芽生え、強い信仰は徐々に揺らいでいく。この頃の彼女の日記には「統一教会の神は聖書の神より小さい」「統一教会は神を知っていると言いながら、その実、信じていない」といった文言が出てくるようになる。統一教会への疑念は確信へと変わっていった。
 2週間後、麻子は脱会の意思を清水に伝えると、監禁を解かれ、太田八幡教会の”聖書研究会”に顔を出すように指示された。早稲田通りで拉致されてから150日目、脱会と引き換えに、ようやく得た「自由」だった。
 家族は清水から脱会の報告を聞いて涙を流して喜び、これでようやく昔の麻子に戻ってくれると胸を弾ませた。事実、麻子は今日まで統一教会には戻ってはいない。しかし、不幸なことに、麻子は、家族が望むような麻子にも戻らなかったのである―。

差別語と包丁

 他の悲惨な「監禁」事例についても触れておきたい。
 東京に住む現役信者の小林宗一郎(32歳)は、過去3度にわたり拉致監禁を体験している(表参照)。3度目の監禁では、彼はロープ で縛られたままの状態が続き、ついには血尿を垂れ流すまでに至った(ちなみに彼の両親も戸塚教会に通い、監禁場所での説得にあたったのは清水である)。当時の様子を小林はこう振り返る。
「泣きながら両親に『病院に連れていって欲しい』と頼みました。ところが、『(清水牧師が来るまで)2日間待て』と言うばかり。清水牧師は両親に『親戚の人数は揃っているか』『(病院を監視するため)親戚などのつながりのある病院はないか』と、私を逃がさないようにすることばかり喋っていました」
 我が子の病気よりも牧師の言葉を優先させるような親を、その子は再び信じられるようになるだろうか。
 今回の取材で、私がもっとも「荒っぽい」と感じたのは、神戸市にある神戸真教会(福音派系)の牧師、高澤守(62歳)である。表に掲げた富澤裕子(38歳)、寺田こずえ(32歳)の2人は高澤から説得を受けたが、その際、差別語を含んだ聞くに堪えない文句を次々と投げかけられている。
<完全に原理が正しいと思いこんでいるこの姿が精神異常者だ><知恵遅れ><人を殺すような人間だ><6月のナメクジみたいな顔しやがって><殺虫剤で死にかけているゴキブリ><屋根裏部屋にいるネズミ>
 言葉だけではなく、高澤は20人を超える信者に対し、包丁を机に突き刺して凄んだこともあるという。
<あなたが話を拒むのはおかしい。私は命をかけて聖書を立てようとしている。あなたがもし命がけで原理をやっているんだったら、この包丁で私を刺してから、堂々とこの部屋から出ていけばいい>(法廷証言より引用)
 富澤・寺田が起こした裁判では、高澤はいずれも監禁の事実を否定している。だが、私の手元にある<取り組みについて>と題された「計画書」によれば、計画策定の打ち合わせには高澤も参加していることになっている。
<(連れ出すときは)猿ぐつわをし、胸の周りをさらしで括る。マンションに入る時は、猿ぐつわをして、毛布をかぶせて両方から腕を組んで歩いて入る。歩かなければ、足を括り、引きずるか、担ぐかしなえればならない><(統一教会の)尾行に気をつけ、おかしいと思ったら、無理にマンションに近づかないこと!人混みを何度か抜けるか、遠回りなどで尾行を撒いてからマンションに近づき、エレベーター も直接3階を押さず、上の階を押してから3階に降りるなど工夫する>
 これはもはや犯罪の計画書とさえ言えるだろう。この計画は98年7月にほぼ”取り組み”どおりに実行され、高澤本人が監禁場所に赴いている。私が心底恐ろしいと思ったのは、このとき監禁されたのが信者夫婦であり、8歳と5歳にたる2人の娘は9ヵ月問にわたって両親から引き離されていたという事実だ。監禁中、母親が子どもに会いたいと高澤に訴えた。それに対して彼はこう答えたという。
「原理の親に育てられるぐらいなら、孤児院に入れたほうがマシだ」

”保護説得”の原点

 いったい、このような野蛮な拉致監禁はいつ頃から始まったのか―。拉致監禁に前史があるとすれば、それは信者を「精神病院に隔離、入院させた」暗い歴史であろう。弁護士の上野忠義の調べによれば、1986年までに17人の信者が強制的に精神病院に入院させられている。少なくとも6名が同じ病院に入院させられていることから、組織的犯行の疑いが強い。
 80年代後半になると、さすがに「精神病院入院」は影をひそめるが、それと入れ替わるように増えはじめたのが、「牧師による強制説得」だった。その先駆けとなったのが、福音派である荻窪栄光教会(東京)の牧師・森山諭(故人)である。統一教会をはじめ、モルモン教やエホバの証人など、キリスト教系の信者に次々と教義論争を挑み、”正統派クリスチャン”に改宗させたことで知られる人物で、83年に自費出版した『タベ雲燃ゆる』では、次のように記している。
 <最も激しい異端との戦いは、統一協会のそれである。1966年から83年までの間に、北海道から九州まで、相談者は九〇数人にのぼる。私は両親なり兄弟なり三、四人に逃げられないように監視して欲しいと頼んでお迎えする>(注=反統一教会側は、統一教会をキリスト教と区別するため、通常、「統一協会」と表記する)森山とて最初からこのような物理的な力による説得を家族に勧めていたわけではない。一対一の教義論争がうまくいった時期もあったが、次第に困難になったようだ。その日は納得したように見えても、数日後に再び親に連れられて来ると、先輩信者に説得されたためか、「元の信者」に戻っている。こうした苦い体験から、統一教会から の影響を受けないように監禁下で説得するという手法が編み出される。
 森山のこの手法は、次第に他の福音派の牧師にも伝授されていく。76年3月の『クリスチャン新聞』(福音派の機関紙)は、「再臨待望同志会」なる団体が統一教会間題対策のセミナーを3日間にわたって開いたことを報じている。同セミナーでは「47人が全国から集まり、森山諭師の指導を受けた」とされている。この森山の教え子たちがやがて全国で”保護説得”を実践していくことになるのである。
 一方、組織を挙げて統一教会問題に乗り出したのが、黒鳥・清水両牧師も所属する日本基督教団だ。86年11月の総会で統一教会に対する声明を発表するとともに、家族の相談に対応するため、全国16の教区(現17教区)に相談窓口を設置した。山崎浩子を脱会させたことで一躍有名になった西尾教会(愛知県岡崎市)の杉本誠は、97年に「日本脱カルト研究会」(現・日本脱カルト協会)で次のように報告している。
「基督教団に属する3000人近くの牧師の内で、少しでも救出に関わったことのある牧師は200人ぐらいいると思う」
 福音派も日本基督教団も同じプロテスタントだが、前者が聖書原理主義的な色彩が強いのに対して、後者は聖書の一字一句には拘泥せず、リベラルな立場をとっている教会が多い。また、脱会後の統一教会信者に対するスタンスも異なり、前者は脱会(信者救済) を伝道活動の一環ととらえ、”真のクリスチャン”の改宗に積極的である。事実、福音派の高澤は裁判の証言で悪びれることなく、「私の教会の信徒100人のうち、半分は元統一教会信者です」と語っている。
 このような違いはあれ、プロテスタント各派の牧師が組織的に取り組むようになった80年代後半から、”保護説得”は全国規模で行われるようになり、多くの統一教会信者がある日突然、姿を消してしまうといったことが頻繁に生じるようになったのである。

マインドコントロール論の限界

 注目すべきは、このような非合法な行為がいまだに行われているのは、先進国では日本だけだという点だ。
 アメリカでも、一部宗教の信者などに対し、「ディプログラミング」と呼ばれる拉致監禁説得が、70年代から活発に行われていた。実行するのは、家族から雇われた「ディプログラマー」と呼ばれる、脱会のプロである。
 ところが、相次ぐ裁判を契機に、水面下で行われていたディプログラミングの実態が暴かれ、「犯罪行為」として社会の批判にさらされるようになる。80年代に入るとディプログラミングは徐々に衰退し、新たに臨床心理士や精神科医などが中心となって、信者の自 主性を尊重した「強制力を伴わない説得」が模索されるようになった。
 これにはアメリカの風土も影響している。同国はプロテスタントが主流の多宗教国家だが、カトリックから迫害を受けたプロテスタントの歴史を教訓に、「自派とは別の宗教を弾圧する行為」には批判的で、国内の代表的な宗教団体である「全米キリスト教会協議会」は、早くも74年にディプログラミングに反対する決議を採択している。
 一方、ヨーロッパでは、カルトに厳しいのにディプログラミングという行為自体はほとんど行われていない。フランスはカルトを取り締まりの対象とする「反カルト法」を制定している。にもかかわらず、たとえカルトであっても信者を直接説得するのはあくまで家族が基本で、カウンセラーは信者本人に会うことはなく、もっぱら家族に助言を行う役割に徹している。「カルトは人権侵害団体だが、そのカルト信者をディプログラミングするのもまた人権侵害」というわけだ。
 このように見てくると、日本の特殊性が浮かび上がってくる。統一教会信者だけ(数年前までは一部「エホバの証人」信者にも)を対象に強制説得が行われ、そこにキリスト教の一部牧師が積極的に関わっている―という特殊性である。
 では、アメリカで衰退したディプログラミングがなぜ日本では逆に活発に行われるようになったのだろうか。
 おそらくそこには「マインドコントロール論」が影響している。93年に「私は統一教会にマインドコントロールされていました」と山崎浩子が記者会見で脱会宣言をして以降、オウム事件を媒介に、「マインドコントロール」という言葉が洪水の如くメディア上に溢れ、カルトといえば「マインドコントロールを駆使する団体」と考えられるようになった。そして、次のような言説によって”保護説得”は大義名分 を獲得し、救出カウンセラーを名乗るキリスト教の牧師が、信者家族にとっては救世主となったのである。
<信者は自らの意志ではなく、マインドコントロールによって入信した。それを解くには、教団の影響下から隔離して洗脳を解かなければならない>
 いかにも説得力がありそうな言説だが、現実にはアカデミズムの分野ではすでに「マインドコントロール論」の有効性を否定する流れが主流となりつつある。私も”作られた言説”として批判(拙著『教祖逮捕』参照)したが、否定されるべき理由を2点に絞って、ごく簡単に説明しておく。
 マインドコントロール論を日本に普及させた社会心理学社の西田公昭(静岡県立大学看護学部助教授)によれば、「マインドコントロールとは、他者が本人に知覚されないままに個人の『意思決定過程』に心理的に影響を及ぼすことと同義語である」という(西田著・ 『マインド・コントロールとは何か』)。
 しかし、よく考えてみればわかることだが、そもそも「人が他者の影響を受けずに(つまり、マインドをコントロールされることなく)、商品を購入したり、政治的見解を述べたりなどと、何かを決定する」ことは、テレビのCMや流行を見れば明らかなように、本来、行り得ないことなのである。必要以上にマインドコントロール論が絶対化され、濫用されてきた、とも言えるだろう。
 もう1点、ぜひとも挙げておきたいのが、「マインドコントロールを使用している」とされる宗教団体の、実際の入信率の低さである。この点については統一教会も例外ではない。イギリスの著名な宗教学者、アイリーン・パーカーの調査によれば、「セミナーを受講した統一教会信者のうち、2年後も信者として残っている者」は、全体の4%に過ぎないという。さらに日本統一教会の元伝道部長、横山修が行った調査でも、「2日間合宿」を受講した者のうち、そのまま信者になった人問はわずか2%だ。仮に統一教会が何らかの”特殊な心理操作”を行っていたとしても、ひっかかるのは2〜4%。有効性があるとは言い難いのだ。
 だが、反統一教会陣営にとっては、いまだに「マインドコントロール論」は有効なようだ。今年3月に「統一協会問題キリスト教連絡会」が出版した小冊子『これが素顔!』では、<あなたもかかるマインドコントロール>と注意を促し、次のように記している。<彼は自分は自由意思で入信したと思っているのです。しかし彼の『選択』は、あらかじめ組織が道筋をつけていた道を、操り人形のように進んできたに過ぎませんでした>
 昨年から今年にかけて統一教会・大宮教会に所属する2人の女性信者、そして新宿教会に所属する1人の女性信者が相次いで行方不明になった。3人とも「突然姿を消す理由」はまったくなかったし、うち1人は、仲間の信者の目の前で、工事作業員を装ったとみ られる数人の男性によって強引に車に引きずり込まれている。いまだ、犯人や背後関係は不明である。

変調

 96年7月―。麻子は、黒鳥が用意した戸塚教会近くの古びたアパートに引っ越していた。あの忌まわしい「拉致事件」から8ヵ月、アパートの窓の外には緑が生い茂り、蝉が鳴いていた。
 清水に脱会の意思を伝えた後の麻子は、太田八幡教会に通いながら、今度は「脱会者」として別の監禁現場に説得に出向いたりもした。横浜に引っ越してからは、弁護士を通じて統一教会への献金の返還、婚約破棄の交渉手続きを行いながら、週に2度、両親と一緒に戸塚教会に通った。
 教会では何をするのか、両親が教えてくれた。
「教会との関係は謝礼金を払い献金して終わり(両親は2人の牧師に合計で100万円以上を支払っている)ではなくさらに”お礼奉公”というのがありまして、勉強会で成功者として自らの体験を喋ったり、保護に協力したり……。小林(宗一郎=前出)君を北千住の路 上で拉致したときは私たちも手伝い、マンションに運んだんです。今では悪いことをしたと心から思います」
 教会に通う一方、麻子の精神・肉体は徐々に変調をきたしはじめる。鬱々とした気分が続き、ときおり「何に怒っているのかわからないのに」激情にかられる。その辛さをアルコールで紛らわせるようになる。子どもの頃に罹ったことのあるアトピーも再発した。
 アトピーはひどくなる一方で、治療に使うステロイド剤の副作用のために身体が浮腫み、1年あまりも外出がままならたかった時さえあった。監禁を解かれ、自由な空間を得たはずなのに、毎晩追いかけられる悪夢にうなされ、やがて「身体」が家族を拒絶するようになった。みんなで食事した後に吐き気を催したり、妹や両親がアパートに来るたびに身体が硬直してしまい、帰った後、トイレに駆け込んでしまう。
 「監禁の記憶がフラッシュバックのように甦ってくるんです。あの時は、みんなで仲良く”家族ごっこ”をやっていた。その記憶が甦ると鬱々とした惨めな気分になってしまう」
 冒頭で登場した麻子の友人、高須美佐と中島裕美も、ともに黒鳥のもとで監禁説得を受け(美佐は麻子と同じように黒鳥の後で清水が説得)、脱会後に戸塚教会に通っていた。
 美佐の場合、それまでは軽かった鬱状態が、新潟の少女監禁事件が発覚した頃から一気に症状が悪化したという。電車に乗ると雑誌の吊り広告に大書された「監禁」の2文字が目に飛び込んでくる。それだけで辛い監禁の記憶が生々しく脳裏に甦った。美佐がそ のときの思いを振り返る。
 「監禁された少女の事件を知って羨ましくて涙が出た。あの子は、いつか両親が助けてくれるという希望があったわけでしょ。そして現実に救い出された。私は実の両親に監禁された。親にレイプされたような気がするんです」

最後の話し合い

 麻子と美佐は戸塚教会の勉強会で、統一教会の問題点を話しながら、「でも保護説得だけはやめて欲しい」と、機会あるごとに訴えた。黒鳥は暖簾に腕押しの態度だったが、それでも「麻子さんのような路上保護はやめたほうがいい」と話していた。麻子らの真撃な願いが通じたかに見えた。
 教会の空気が一変したのは、99年のはじめに黒鳥・清水が今利理絵から訴えられてからである。前述したように「路上での拉致」「監禁下での棄教強要」を理由に損害賠償請求訴訟を起こされたのだ。戸塚教会は「お世話になった黒鳥先生を守れ!」「裁判に勝利しよう」と団結し、2人が所属する日基督教団も支援態勢を組み、カンパ活動を開始する。
 麻子は「理絵さんの苦しみを知りたい」との思いから裁判を傍聴した。そして裁判後に催された支援者集会で「統一教会は問題だが、監禁は本当に苦しかった。少なくとも強引な”路上保護”だけは絶対に止めてほしい」と訴えた。すると、脱会者の父兄から罵声が飛んだのだった。
「なんてことを言うんだ!おまえは統一教会と黒鳥先生のどっちの味方なんだ!」
 以来、黒鳥は麻子たちと距離を置くようになる。麻子が電話をしても黒鳥は電話を切りたがった。それまで両親のところに頻繁にかかってきていた勉強会仲間からの電話も途絶えた。
 ―2年後の01年12月、麻子たちと黒鳥は麻子のアバートで”最後の話し合い”を行う。当初は「みんなのことを心配していたのよ」と話していた黒鳥だが、拉致監禁に話が及ぶと「私がなんで重荷を背負わされるのっ!」と怒り出した。同席した裕美が、「麻子さんたちがこんなに苦しい思いをしてきたのがわからないのですか」と、懇々と諭すと、長い沈黙が続いたあと、黒鳥は突然泣き出したのだった。「申し訳ないことをしました……。じゃ、失礼します」
 その後、現在に至るまで音沙汰はない。「最後まで責任を持つ」と麻子に約束していたにもかかわらず、だ。
 麻子の複雑性PTSD発症の原因を担当医は次のように見ている。
「本人の意志に反し拉致監禁されるという身体的自由の拘束とともに、信仰の自由を強制的に、昼夜を間わず奪われ続けたこと、さらにはもっとも近しい肉親に監禁されたという、信頼感の崩壊、裏切られた体験も加わっていると考えます」
 監禁された信者の中には、脱出を試みて洗剤を飲んだ者(京都)、同じくトイレで消毒液を飲んだ者(東京)、逃亡のため高層階のベランダから飛び降り、今なお後遺症に苦しむ者(兵庫)、そして監禁中に自殺した者(京都)もいる。刑法に反する危険な行為であることを知りながら、保護説得の必要性を信者家族に説き、拉致監禁へと誘導する。そして脱会後は元信者の苦しみに向かい合わず、知らん顔を決め込む……。聖職者である彼らに罪の意識はないのだろうか。
 黒鳥、清水の両牧師また高澤牧師は、自らが関わったこの間題をどのように考えているのか。何度か取材を申し込んだが、今日に至るまで一切口を閉じたままである。彼らを支援する、反カルトで名を売った弁護士の一人は、黒鳥、清水も会員である「日本脱カルト協会」の会合で、「(米本から)取材申し込みがあるかもしれないが、十分に注意するように」などと呼びかける始末である。
 10時問間以上にわたるインタビューは、母親の涙でしばしば中断された。「結局のところ、私たちは黒鳥先生のマインドコントロールによって、脱会には保護説得しかないと思い込まされてしまったんです。その結果、麻子を深く傷つけてしまった。姉を監禁したことで妹も傷ついている。後悔しても後悔しきれません」
 うなだれる両親。脱会して9年が経つというのに、依然、社会に戻れないままの麻子。
 突然、「宗教戦争の犠牲者」という言葉が思い浮かんだ。それも、誰からも顧みられることのない……。

(文中敬称略)

よねもと・かずひろ1950年島根県生まれ。
企業、教育問題から新興宗教まで、幅広く執筆活動を行う。
著書に『カルトの子』(文藝春秋)ほか

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