あるひあるとき
牛鳴日記のひとこま


赤い万年筆
万年筆は黒いものと決まっていたが、赤インクをいれるために赤っぽい色で区別し二本持つことになる。
前はインクの色は青と赤しかなかった。
だから赤い万年筆は女の持ち物ではなかった。
今は綺麗な万年筆がいっぱいある。
赤いから女性が好むとはいえないようだ。
女性はむしろ青い色、と言っても緑色や空色のことだけれど。
赤い万年筆は男が好むのではなかろうか。
そういえば近頃は銀か赤を選んでいる。

日本人は赤を好むのか、イタリヤのデルタなんかわざわざ日本限定で赤い万年筆を発売している。
日本イタリヤ以外には赤い万年筆がすくない。
赤くてもくすんでいたり、朱色に近い。
好みというものは不思議な現象である。

赤い万年筆にはどうしても赤いインクを入れるようになる。
ところが赤インクほど万年筆の中をはげしく汚すようだ。
赤インクをいれた万年筆を洗うと何回もピストンを動かしてもいつまでも赤い色が出てくる。
透明軸でやるとよくわかるけれど、染料の強さが強いということだろうか。
紫や青紫色のインクも赤い染料が混ざっているのだろう、いつまでも赤いよごれが残る。
そんなわけで赤い万年筆は多いけれど赤インクは滅多に入れないようにしている。

赤ん坊は赤いだろうか
黒ん坊の赤ん坊は赤ん坊でも黒ん坊だ
なんて誰かが言ってたれど赤ん坊は赤くはない
もっとも真っ赤になって泣いているときもあるけれど。
赤い万年筆といってもおなじ赤はない。
似ていても比べてみると違っている。
サラセン人は1000種類の赤が見分けられるのだそうだけれど、どうやら私は一色胆の赤のようだ。

赤という字は大と火の会意文字という。
南方は暖かく陽気盛ん也と、したがって赤を意味する。
というのは漢字の出来たころの話。
因みに北は黒、東は青、西は白を意味する。
ま、どうでもいいことだけどね。


万年筆の付録


万年筆とは不思議な商品である。
百円均一の店に並んでいるものから、宝石が嵌め込まれていて、物を書く道具なのか見せびらかすものなのかわからないようなものまである。
百円の万年筆でも字はちゃんと書ける。 それなのに高級な万年筆は何故あるのだろうか。
宝石があしらわれているようなものは私には用がないけれど
それなりに高級な部類の万年筆は豪華なパッケージに収められていてその箱を捨てるのが憚られる。
箱は書き終えた万年筆を休めるには大げさすぎる。
しかし、いくら箱が豪華だからと言ってその万年筆を収めること以外には使い道はないのだから、
恰もこの万年筆は使わないでいただきたいとおっしゃっているような気がしてしまうのである。
ま、万年筆は焼芋一本を新聞紙の袋に入れてもらうといった商品ではないことだけは確かである。
買うためのこころいきや買った時の気持ちをずっと後まで残すような仕掛けをしないと買ってもらえないのであろう。
前置きはこのくらいにして、万年筆は地味なものというのは既成概念かもしれない。
まれに黄色い万年筆がある。
黄色い万年筆などよほどのことがないとまず買ってはもらえないと作る側もかんがえているのではないか。
丸善の140周年記念に販売された檸檬という万年筆がある。
2009年6月17日1400本限定で販売された。
檸檬色の万年筆だけれどこの万年筆には梶井基次郎の小説「檸檬」新潮文庫がおまけでついている。
三万九千九百円、たちまち売り切れたそうである。
小説は、憂鬱だった主人公が丸善の裏で檸檬を一つ買った。
すると憂鬱は去った。その足で丸善に入り画集を棚から出した戻したりしているとまた憂鬱になってしまう。
画集を積み上げて城に見立てその上に檸檬を置いたまま店を立ち去る。
檸檬は実は爆弾で十分後に爆発すると想像する。

丸善は文具屋であり本屋でもあるのだからセットで両方売れれば万々歳であるし店の宣伝にもなる。
うまいことを考えたものだ。
実はこの檸檬、丸善の130周年にも出ていた。
その後、2005年ラピタという小学館の雑誌の十一月号付録にその万年筆檸檬を縮小したミニ檸檬がついて980円。
大ヒットしたのである。

また、ブングボックスという店がオリジナルの万年筆を販売した。
その名も「幸せの黄色い万年筆」
実はセーラーのプロフィットなのだがミニ絵本「ブングボックス物語」がセットになっている。
亡き母に贈りたいと願い2010年に作ったという。
売れたかどうかは知らない。
ブングボックス物語もしらない。

さて、ウォールエバーシャープというアメリカのメーカーがある。
1955年限定販売のスカイラインという万年筆でイエローキャブという黄色い万年筆がある。
イエローキャブはタクシーが目立つように黄色にしたのが始まりで今もアメリカのほとんどのタクシーは黄色だそうだ。
そのタクシーの黄色と格子の模様が万年筆にあしらってある。
この万年筆にはなんとイエローキャブのミニカーがおまけについている。
1936年のフォードV8である。
ミニカーはブームになった。
イエローキャブのミニカーが欲しくて万年筆を買った人もいるのだとか。
今や雑誌の付録に万年筆が付いてくる時代、万年筆の付録にミニカーとは・・・
万年筆にインク瓶を付けるなどという単純な発想では黄色の万年筆には当てはまらないようだ。

そういえば万年筆に本物の葉巻が付いたチャーチルとか、名前は忘れたがビールが付いたものまであった。


モンブランの蜘蛛

蜘蛛は好きではない。
かと言って嫌いかというとそうでもない。
中庭の柿の木に夕方になると大きな蜘蛛が巣をこしらえていた。
何故かその巣を壊したくなる衝動に駆られて棒で払うと蜘蛛は地面に落ちて死んだように動かない。
死んだふりをしているのだ。
いつになったら動き出すのかずっと待っていたことがある。
何時も蜘蛛の方が辛抱強い。
蜘蛛はなかなか頭が良くて壊されそうな場所には巣は作らないものだ。
そうなのだが、写真の撮影などで特に広角を多く使う私は場所を選ぶので動き回ることがおおい。
うっかり藪の中に入って蜘蛛の巣をべったりと顔に被ることがある。
あれには閉口する。
どうも私が写真を撮ろうとする場所にはジョロウグモ多いのである。
あの蜘蛛は妙に腹がでかくて嫌な赤い色をしている。
あの蜘蛛は嫌いである。
我が家には蜘蛛がいる。
トイレの隅や箪笥の下に決まって小さな虫の死骸が落ちていて、あぁ、蜘蛛がいるのだとわかる。
きっと小さな蜘蛛で網を張るようなことも少ないのかもしれない。
もとより掃除などしない方だから猶更なのだが、偶に掃除機を掛ける時もできるだけ蜘蛛まで吸い込まない様にしている。
この蜘蛛が居なければ散らばっている小さな虫がわが物顔で部屋に同居することになるからねぇ
しかし、そう良質な餌ではなさそうだけれどこんな場所で暮らしていていいんだろうかと同情したりする。
ま、我が家がそうなんだから、相憐れむというところか。
どうやら体がでかくなればもっと餌の多い場所に引っ越してゆくのだろう。
先般一匹の蜘蛛を手に入れた。
といっても、それは万年筆に刻まれたものだけれど。
モンブランの万年筆は蛇のクリップが伝統なのだが、そのシリーズに蜘蛛が加わったからである。
赤いモンブランの雪のマークの下に金属の蜘蛛があしらってある。