2011年、世田谷にて創業29年!チューン専門店『Grande』・・・一旦閉幕!

スキー産業へのレクイエム

2009‐10年シーズン、東京、神奈川主催の技術選予選会、国体予選会参加者数を
前年比較して突然20%以上激減した事実に接すと嘆息するしかない。
過去30数年間スキーヤーから”お金を貰う”側であったコーチ業、メーカー勤務、チューン屋開業の
経験則で語れば、2回くらい大きなスキー不況に遭遇した。
94年のスキーバブル終焉と2000年のIT崩壊の年。
しかし、其れまでの好調な業績で潤沢な資産? がありこの危機は難なく乗り越えられた。
本来ならスキー業界一番の書き入れ時の11、12月の週末。
スキー商戦最前線の神田に立つ関係者から漏れ伝わるのは”客がいない、売れないの一言”。
奇しくも1月7日付けの朝日新聞の紙面半分の大きさでスキー王国オーストリアのスキー離れの深刻な現状が掲載された。                                                この先数年でメーカー、専門店、スキー場、宿等の大多数スキー関連会社は”撤退、廃業”が口の端にのぼる時勢になった。
既に個人経営のスキー専門店は淘汰が進み、生き残れるのは一般スポーツ量販店のAかXグループ以外は退場せざる流れである。
確かに同業他社の情報でも”店から依頼される下請けチューンナップ台数が大幅減”
異口同音の異常事態発生の悲鳴である。
遂にNewモデル購入断念傾向から旧モデルにも波及。チューン代も節約する時代に突入か?
と言うより「40歳前後の確実なコア層のスキーヤー」が大量にスキーから離れ始めた結果でしょう。

『新生Grande』へ再び

■回想
最後のサラリーマン生活は1980年スキーメーカーに在職した販売促進課である。
離職後に20代半ばで貿易会社を同世代の仲間と起業し、年の半分をインドに駐在しながら瞑想に耽る脱線人生を歩み始める。
1983年1月乾坤一擲の勝負。「東日本で最初の『スキーチューン専門店』」開業に挑戦。
当時、各種書類に記入する際、”剣呑な職業、得体のしれない業種か半社会的職業従事者”扱い。
開業後、順風満帆でバブリーな12年。可も不可も無い6年。下り坂で苦悩、不遇の10年・・・。
しかし、一国1城の主もあまたの僥倖に恵まれ、借金、夜逃げもせず29年の歳月が流れる。
■定年、諦念
社会人デビュー当時の定年は55歳。それが社会、時代の変化で58歳、60歳・・・と変遷
気が付けば、グランデオーナーもそうした年齢でした。
個人的には子の自立、自活。住宅ローン完済。最低限の責任、義務は果たしたようだ。
未来なきスキー界への閉塞観、諦念、達観しながら・・潔く良く、老兵は去るべしと思いつつ・・
■財産、再生
今までグランデを支えて下さった『グランデ会員:登録者数=2250個人、家族名義』は財産です。
そして、何よりも嬉しいのは移転後も利用を約束、支援してくれる暖かく篤きスキーヤーのことば・・
シニアーワークとして自分の仕事が顧客の為になるならと・・・「新生Grande」の再スタートを決意。
たまたま、今度の移転先となる現役スキーヤー&都連役員&会社代表者と縁あって事務所をシェアしながら再スタート出来る幸運にも恵まれる。
今後は、本業として何が何でもの企業継続、利益確保!に奔走する苦悩と決別。
重圧から解放されたシニアーライフワークとしてボチボチ仕事を目指したい。

今後とも宜しくお願い申し上げます。




『オッサンGrande』はボチボチ経営

こだわり・・を捨てず・・オッサンらしく・・できる分だけ・・のんびり・・営業方針

● 三軒茶屋でのTUNE受付最終=2月20日で終了  2月27日に完全閉店


●  移転先住所   川崎市高津区下作延5丁目3−3 電話=044−866−3714                現在の「三陽機工株式会社」内に移転
   徒歩:最寄駅 東急田園都市線「溝の口駅」10分 JR南武線「津田山駅」6分今より便利
   車:今の三軒茶屋より9km移動。国道246より”スノ‐ヴァ溝の口”の近く

●  開店時期  4月初旬から正式に営業再開  (3月緊急の方のみ対応しようと思ってる)

□ 定休日   春〜秋は週休2〜3日 繁忙期は週休1日・・・仕事量に合わせフレックス対応
□ 営業時間  春〜秋はPM12:30〜PM6:00 秋、冬はPM7:00で閉店で検討中
□ 働き方   個人のスキーを1日数台ペースで磨く。シーズン前もう少し頑張る
□ 夏季休暇 8月の暑い季節は北海道の田舎へ疎開。Golf&釣り三昧

詳細はボチボチ決めましょう・・・・・・・・・ジ・END


2011年1月吉日  店主より