チューン専門店の誕生



1982年11月に再び人生の転機にぶつかった。
インドからの商品が州の法律で突然輸出禁止の措置が取られた
そんな時、2年ぶりにスキーの街ー神田をぶらついた
かなり驚かされる出来事を目撃してしまった
スキーショップ横で、アルバイトらしき素人がサンディングマシーンなるもので、
火花を散らしながらスキーをゴシゴシ削っているではないか!
”チューンアップ”だと聞いて驚いた
早速、マーケティング、情報収集・・・・

1981年、名古屋にチューン専門店をオープンさせたパイオニアを発見
第1号はスノウプラウの村上毅氏
元SAJのデモンストレーターである
メーカーサービスマン時代に良く大会、デモ合宿で一緒した旧知の間柄
私のカミさんも、昔名古屋に人口スキー場があった頃
夏にコーチとして一緒に働いた仲である

第2号はリッドの阿部芳明氏
元全日本の競技選手である
引退後、ヤマハSKIのテスターとして商品開発に活躍していた
やはり、メーカー時代彼はニュースキーの耐久テスター、
私はニューバインディングの実走テスターとして月山で朝から夕方まで
ロボットの様にひたすら滑っていた仲間であった。



当時、チューンアップはレーサーや上級者がするものと思われていた。
一般スキーヤーはベランダに置いたスキーが錆び付けばサビ取りに店に頼む
滑走面がボロボロになって仕方なく傷を直すのに店に頼む
決して今のように、滑り良くする、エッジを切れる様にする、フラットにする、
操作性を良くする。なん〜て考えは極一部のマニアだけだった。
つまり、チューンアップもメンテナンスも一緒な感覚。
当時のひどいスキーを思い出すとぞ〜っとする
看板を掲げる店の意識もチューンアップとメンテナンスを混同。
サビを取り除き光る事、穴が埋まる事が必須条件なのです。
信じて疑わないユーザーは”専用チューンアップマシーン”と称するグラインダーで
削ってもらい\7,000くらい支払っていた。

レーサー、デモ達のスキーばかり見てきた経験上、
私も前者の2人もチューンアップの定義?理想理念、企業ポリシーとして
”基本は最終仕上げに手仕上げを施す” でまったく同一見解であった
あの程度でお金になるなら・・・
再びスキー業界に復帰する千載一遇のチャンスが巡ってきた
マシーンは作業効率を上げる為の手段、方法であり、
ただ便利な電動道具の一つでしかない。
とは言っても、
チューンするスキーが自体がボロボロだからマシーンは必需品
購入するサンディングマシーンそのものも輸入品で結構な値段がした。



調査結果、中部以外にチューン専門店は存在しない
更に、国産サンディングマシーンを開発・販売ですれば・・・
ビジネスとして成功する戦略プランは完璧にできあがった。
何処にもミスは無いように思われた
順風満帆の船出の先にはバラ色のジパングに辿り着く筈・・・。

1983年の春、東京にチューンアップ専門店の看板を掲げた
その名は”グランデ・スキーサービス”
一般スキーショップとは明らかにテイストが違うと自信満々。
が・・・・
開店当初、チューンアップ客は思うように伸びず・・・
思惑は外れ 暇 ヒマ! すっかり意気消沈
一方、マシーン販売は延べ数百台と宝くじに当ったよう。
1年目に迎えた冬のシーズン
再び、ロシニョールのサービスマンとして30〜40日前後
学生大会中心にアテンドした。
ロシチームとの10年近く、現場主義で培った経験は自信に変わる
忘れていた昔の感覚、感性が蘇り、ネットワークも復活
2年目になるとゲレンデで蒔いた種が、
鮭が生まれた川に戻る帰巣本能ような効果が出始めた
個人客と共に店からの依頼も増大
10年、20年先が安泰のものとなる確信が芽生えた。
折りしも、スキー業界も5年前の不況を脱して上昇気流で舞い上がろうと
していた矢先であった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ジ END