インド編



私はスキー業界人として一時行方不明の時がある。
別に犯罪を犯して、海外逃亡をした訳ではない。
スキーメーカー・サービスマンの世界から180度の方向転換し
友人と貿易会社を設立。(雪から椰子の木の環境へ、サラリーマンから経営サイドへ)
全てに刺激的で新鮮だった南インドの港町マドラスでの2年間。
取引先である社長の豪邸で王様のように酒池肉林の日々も体験
よく、インドを旅すと人生観が変わると言われる
物質、拝金主義の日本から精神的な世界に触れ、
昭和20〜30年代にタイムスリップした錯覚に陥る
私の様に堕落した人間でも神様・仏様・キリスト様かマザーテレサに
近づけそうな心境になれたから不思議な国だ。
滞在ビザと気候の関係で1度の滞在期間は3ヶ月未満。
6回程度の渡印で得た体験談である。
経由上、シンガポールで順応の為に2日間くらい立ち寄り、
感性をアジアモードに切替て順応させる。
また、帰りは日本社会の復帰のリハビリと言う名目で
国際交流?に尽力した・・・。
旅には出会いのロマンスもつきもの。
”旅の恥は書き捨て”と団体バスで乗り付ける○協ではありません!

インド共和国のまめ知識
人口6億?、元イギリス植民地。1947年独立
核兵器やパソコン技術で世界のトップ水準。香辛料、紅茶が有名。
しかし、カースト身分制度がいまだに継続し富裕層と貧富差が激しい。
イギリスの伝統。午前、午後のTeaタイムは習慣で全ての階級の人も取る
自転車で売り来るこの紅茶、庶民価格で5円前後なのだが実に美味い
物価の比較目安として日本の10〜20倍前後で計算すると想像しやすいかな。
ウ〜ント当時の大卒基本給が13万として・・・インドは5千〜1万
輸入品を買うとすると テレビ100万、外車5000万・・・・夢のまた夢世界



1981年1月。深夜にマドラス空港に到着。
重い空気、匂いの付いた空気。
遅々として進まない税関通過とトラブル。
もっとも、トラブルの原因はこちら側にもある
トランクの中身はクリスタルグラス、ノリタケの食器等などで旅行者の荷物とは思えない・・
インドの食器は厚いビン並みのグラス、安い瀬戸物レベルの皿なので、お土産として持ち込む。
インドの金持ちでも、外国から知人が来る際にこうして揃えるしかない。
毎回、¥100ライターやらチョロQのおもちゃ賄賂で誤魔化し難を逃れる。
テレビを持ち込んだ時などは翌日も1日の取り調べとトランク一杯のルピー通貨
を関税として払い釈放された。
やっと、インドの大地に足を踏み入れる
裸足、黒い肌に真っ赤な口、異様にギラギラした目、白い腰巻すがたの男。
セクシーな露出度が多いサリーを身につけた女が危険なニオイを感じさせる
1度、中東の空港では兵士の銃に恐怖を感じた経験があるが、
明らかに欧米の空港とは違う異様な雰囲気である。
出迎えには私の専属のドライバーがフォードの外車で待つている
当時、インドでの外車は日本で言えば、ロールスロイスかベンツのリムジン並みの値段。
ホームステイ先?となる第2婦人宅に向かう
モスレム教は確か3人か4人までワイフを持つ事ができる・・・羨ましい!
道路には牛、山羊と人間がゴロゴロしている。
道端で路上生活者する者。
電気も無い小屋なみの家で雑魚寝状態なので
暑くて寝れない連中達である。
ドライバーは偉そうにクラクションを鳴らしながらスラーロム運転で飛ばす
もし人間の1人くらい轢いても金持ちに雇われたドライバーは大丈夫みたいに感じる

ホームステイ先のMrダイアンについて
日本企業に例えるならば1部上場の旅行・海運・たばこ・製造会社などの大社長。
平気で飛行機を1機くらいチャーターする実業家。
若い頃はバイクレーサーで中古のヤマハでマカオ、スリランカレース等にも優勝
バイク連盟のおえらさん、TVで解説もしていた
趣味はテニス、犬。ケンネル倶楽部の審判員としてインド代表として来日
金も無い我々を信頼だけでビジネスパート―ナーに迎えてくれた変なモスレム教徒


インドの金持ち宅の豪邸に無事到着
運転手がクラクションを鳴らす。
数多く居る召使の一人”ウオッチマン”が門のゲートを開ける
彼は門の開閉と守衛の仕事を得る為にネパールから出稼ぎに来た。
イギリスの傭兵として勇猛果敢なグルカ人である。
彼の寝床は邸の軒先か木の下である。
庭にはいる。広い
”お犬様”用に冷房完備の犬舎。テニスコートが十分作れる広さのグラウンド。
突然、10数匹の犬がこちらに飛びかかってくる
ドーベルマン、シェパード、ラブラドールレトリバー、アフガンファウンド、サルキー・・・
どいつも、世界チャンピオンクラスの子を直接輸入した本物の血統書つきばかり
貧しい国でありながら金塊が庭に転がっているようである。
もちろん外貨不足の国、お礼に我々が世界から集めた犬をインドに仲買・輸出した。
家の内・外装とも大理石やら青、緑の綺麗な石で建てられてる。
50畳はあろうか役員会議室のようなリビング、2階には卓球部屋・・・
朝、庭のラタンの椅子に腰掛ける
直ぐに使用人が”ティー or コーヒーand ニュースペーパー?と聞きに現れる
まるで社長のゲストに対して失礼が無いよう監視されてるようだ。
特別な洋食で朝食を摂る。夕食は家族と一緒にインドの家庭料理に舌鼓。
もちろん、インド人式にヨーグルトも全て、指を上手に使い手で食べる
食後、ソファーでくつろぎながらスコッチウィスキー片手にイギリスの衛星テレビ。
時々、社長宅にゲストが訪ねてくる。
サウジ航空、シンガポール航空の社長クラスで一緒に2階で卓球もする
政治家も多い。早い話が政治献金と言う賄賂のおねだりである
ランチは毎日出来たてのスペシャルを使用人(料理担当)が作り。
1時間くらいの距離を運び専門の使用人が届けにくる。
味はスパシーでカレー味風なのだが本当に美味い。
太る心配はあっても、痩せる心配はない



8時きっかりに専属のドライバーが来る
日本時間を採用、インド時間は許さなかった。
短パン、Tシャツ、サンダルでビシッと決める??
仕事場の工場はベンガル湾と直面している
トイレはここの砂浜にしゃがんで用をたす
もちろん、インド式にひしゃくに1杯の水を持参してである
最初、なぜインド人が草むらにしゃがんでいるのか理解できなかったが・・・
工場には10人ほど新しく雇ったメンバーがいた
話す言語が5つ位存在した?・・ヒンズー・モスレム・タミル・ウルドー・
とへんなインド英語である
”Yes”は日本式で顔を横に振る チンプンカンプン?
インドの公用語として20以上あると聞いた
労働者は皆学校には行ってない
行ける身分、家に生まれなかったから
金持ち以外の小学生は立派な労働者なのだ
そんな彼らにも身分制度の上下があるようで良く口論している
ゼスチャーと怒る、笑うの表現で仕事の信頼関係は良好であつた。
電力事情が悪く、仕事がストップする事が多々ある
いきなり命令する
「明日から全員勤務時間を深夜0:00から朝8:00まで!
不満なやつはクビ!」と宣言
”虎の威をかる狐”の若造日本人の命令に従い働いた
(労働者は権力者Mrダイアンを恐れてた)
個人的にボーナスとして日本からのお土産も時々彼らにプレゼントした
とんでもない悪例と知りながら人間みな平等精神からである(金満日本人のおごり・・だ)
英国スタイルのTeaタイムがくる。
「ナカさん『お茶』タイム」と仕事を中断。この習慣には口出しできなかった。
40cmの大トカゲが潜む丸太の上で一緒に腰掛け写真も撮った
皆、電気が通じてない家に住んでいる
だから・・貧乏人の子沢山なのか
政治と宗教の話はタブーであるが、男と女の話は万国共通であった(笑)
週末の夜はみんなが集まって空き地で映画かテレビを観るのが最高の娯楽
人間の心が未だ汚染されて無い
文明のモノが氾濫して無いので朴訥。天真爛漫で明るく人なっこい性格だ
なかなかいい国に思えてきたし好きになった。

驚いた休日の遊び
○ 休日の朝マドラスでテニスをしようと出かけた。着いた場所は植民地時代の元英国将校倶楽部。
芝のテニスコート・ポロ、クリケットグラウンド・ビリヤード・洒落たバー・・・・ETC。名士だけの社交場。
Mrダイアンの知人宅にテニスに行った事もある。デビスカップ代表のクリシュナンの家であった。
我々のヘボテニスに6人のボールボーイがついた。 さすが元英国、ウインブルドンにも負けてない・・・。
○ ハイデラバードの元王様の家に行く。庭でハンティングができるらしい。  そこの息子が言った。
”祖父の頃は馬も召使いも100か200以上居た” 確かに家はまるで宮殿だ。
遥か遠くまで霞んだ所まで敷地だと・・・トラがいたのも分る。
○ 日本に戻ったら、”世話になった元ヤマハ監督と若いレーサー・チームを招待したい。 そしてレースを
インドで開催したい” マドラスとカルカッタで開催の運びとなり、レース会場に着くと当日はVIP席へ・・・。
などなど日本では経験出来ないような驚きの連続


1982年 
突然の悲劇が襲った
マドラス市があるアンドラプラデシュ州の法律が突然変わった
我々の扱う商品が輸出禁止になつた
1980年に州に現地生産すればOKと法律が変わったばかり・・・なのに
政党が変わる度に起こりえる事態だった
要は州の担当大臣に政治献金?すれば解除される国

機内アナウンスが間もなく成田到着を知らせた
日本の生活に出来れば戻りたくなかった
言葉で言い現せない寂しさが襲う。
さらば!桃源郷、インド・・・
その時、まさに而立の年齢であった
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ジ END