マジックの旅紀行

GO SHIBUYA


1.再訪
成田空港
エアランカカウンター前の私たちの荷物

 ふたたびスリランカを訪れることに決めたのは、1999年の4月ごろであった。1997年の 「マジックの旅」の強い感動が結晶化して「思い出」に変わり、時間が止まって過去へ過去へと追 いやられようとしている。再びの機会があれば訪ねてみたい所が二カ所ほどあった。ひとつは、今も なお苛酷な自然の懐に抱かれた生活を続けているシーギリヤである。 2年前の真夏の夜のマジックショー、遙か遠い東、日本からマジックを見せに来た酔狂な連中のステージを 見つめる真剣なあの眼を忘れない。そして、その時参加した幼稚園の地鎮祭、シーギリヤの幼稚園も 訪れたい。そしてもう一カ所はホラナのシッダールタ幼稚園だ。私たちのマジックを見るために炎天下で 待ち続けた園児と村人たちにもう一度会いたいと思っていた。
 「シーギリヤの幼稚園は今年の4月7日、私の師ラビシャンカールの誕生日に合わせてオープンしました」 とプレーマダサ・ヘーゴダ先生から連絡が入った。祖国を救うのは教育、という先生の強い信念が願いを 現実のものにする。「よくもそのように大きな活動が出来ますね」と、今回も私たちは旅の途中で何回も ヘーゴダ先生に訊ねた。「いや、気持ちがあれば何とかなるの」と先生はいつもこう答える。あの熱帯林の まっただ中、雨もろくに降らないシーギリヤの村の中にオープンした幼稚園を実際にこの眼で確かめようと いう気持ちは次第に大きくなっていった。
 「気持ちがあれば何とかなる」というヘーゴダ先生の行動哲学は、私の中の「今の私に出来ること」と いう考えと重なってくる。「いつかやろう」と思ったことはこれまでの私の人生を見渡せば死屍累々、 もう日の目を見ることはないものが沢山ある。思い立ったがなんとやら、その気持ちを柏マジッククラブの 会長平井さんに伝える。「それはぜひ行きましょう」と平井さんの答え、思い返せばこの問いかけは無謀す ぎた。平井さんは昨年末ぎりぎりまで手術入院していた人、退院してまだ半年も経っていなかったことは 全く念頭になかった。一度決めたら脇見をしないのは、今まで気付かなかった私の最大の欠点であった。 また、スリランカ再訪について即答した平井会長の中にも病後を顧みさせぬ何かが渦巻いていたのかもしれ ない。
    「大きなショーは無理ですよ」と初めから私はヘーゴダ先生に言った。多分の旅は今回は多くても十数名、 二年前のB.M.I.C.H(国際会議場ホール)のような大舞台はきびしいだろう。しかし、4、5人の メンバーがいれば1時間程度のショーなら難なくこなせる。スリランカと日本の間を今回のショーの計画の ために何回も往復したヘーゴダ先生からの話によれば、できればもう一度B.M.I.C.Hレベルのショー をと現地では考えていたようだ。
出発までの準備で不安材料はなにもなかった。前回の経験がすべて生きてくる。イリュージョン関係の 箱を二つ特注した。この箱は非常に重宝した。余裕を持たせて大きく作ったので会員のテーブルなどの保 管や移動に役立った。成田までの輸送の手配はまた平井さんにお願いした。成田で計測したときには箱は9 7sと142sになっていた。こんなばかデカイ箱を飛ばすにはかなりの費用がかかる。


この続き「2 セネビナ裁判官」へ


Report Contents