ゴキちゃんクラブについて

 ゴキちゃんクラブは、昭和60年10月にできました。ランニングは、昭和57年ころからやっていましたが、ランナーズクラブに入会する時、クラブ名が必要になりました。一人だけでしたから、寂しいので奥さんと家にあったぬいぐるみを会員にしました。その年の夏、北海道で買ってきたごきげんザウルスのぬいぐるみがあったので、その名前から「ゴキちゃんクラブ」と命名しました。会員ナンバー001が私で、002が奥さん、そして、ゴキちゃんは、名誉会員となりました。

 その後、息子たちが産まれ、長男ケンシが会員ナンバー003次男キョンが004となりました。私が、膝の半月板を切ってしまい、手術してはちょっと走り、故障、ちょっと走り、故障と5.6年は、子どもたちが小学生の部で活躍したり、一緒に親子の部に出たりと子供中心で活動していました。

 なんとか、私の膝の調子が上向いてきたので、2000年3月からは本格的にレースに復帰しています。このごろは、ケンシもキョンも、中学生になりサッカーの部活中心でなかなか大会出場は難しくなりました。またキョンは、自分で「スターX」というチームを作り、友だちと駅伝に出ることもあります。でも、都合をつけながら、これからもゴキちゃんクラブとして大会に出場していきます。

 また、私の方も、膝の故障が治ったわけではないので、週2〜3回は、フィットネスクラブのトレッドミルで傾斜をつけたランニングと筋トレをして体作りをし、膝と相談しながら地面を走っています。でも、タイム的には、三十台半ばの記録で走れるようになりました。5キロのレースに絞り、自分の体の条件の許す限り練習内容や生活の仕方を工夫して自己ベストをねらいたいと思っています。(平成13年4月4日 記 平成14年5月4日 一部改)

 平成15年の7月〜12月まで、再び膝の痛みが出てしまい、練習内容や大会を調整しましたが、今は改善されています。ここ3年間は夏場はトラックの中距離、冬場はロード5キロのパターンが定着してきました。(平成18年1月5日記)

 50歳代も半ばに入り、膝の痛み以外に肉離れにも悩まされています。現在、3回経験しました。特に、平成27年の肉離れは今までのリハビリメニューでは対応できず、試行錯誤をしながら、本格的な練習復帰に向けて、取り組んでいるところです。故障から学ぶこと、得ることが多いことも分かってきました。60歳代に向けての準備期間として前向きに取り組んでいます。(平成27年12月31日記)

  

ちゃんクラブは、昭和60年10月にできました。ランニングは、昭和57年ころからやっていましたが、ランナーズクラブに入会する時、クラブ名が必要になりました。一人だけでしたから、寂しいので奥さんと家にあったぬいぐるみを会員にしました。その年の夏、北海道で買ってきたごきげんザウルスのぬいぐるみがあったので、その名前から「ゴキちゃんクラブ」と命名しました。会員ナンバー001が私で、002が奥さん、そして、ゴキちゃんは、名誉会員としてことになりました。

 その後、息子たちが産まれ、長男健史郎が会員ナンバー003、次男恭平が004となりました。私が、膝の半月板を切ってしまい、手術してはちょっと走り、故障、ちょっと走り、故障と5.6年は、子どもたちが小学生の部で活躍したり、一緒に親子の部に出たりと活動していました。

 このごろは、健史郎は、中学生になりサッカーの部活中心でなかなか大会出場は難しくなりました。恭平は、自分で「スターX」というチームを友だちと作り、独立してしまったので、息子たちの出場は、少なくなってしまいました。その分、私の膝の調子が上向いてきたので、2000年3月からは本格的にレースに復帰しています。

 まだ、膝の故障が治ったわけではないので、週三回は、フィットネスクラブのトレッドミルで傾斜をつけたランニングと筋トレ、週一回だけ地面を貼っています。でも、タイム的には、三十台半ばの記録で走れるようになりました。また、5キロの大会を走るのに必要なメニューだけなので、それ以上の距離はだめでしょうが、

 それぞれのメンバーが自分の好きな運動で体を動かしているのは、いいことです。でも、ときどきは、みんなで大会に行きたいと思っている今日この頃です。

 では、メンバーを紹介します。

ゴゴキちゃんクラブは、昭和60年10月にできました。ランニングは、昭和57年ころからやっていましたが、ランナーズクラブに入会する時、クラブ名が必要になりました。一人だけでしたから、寂しいので奥さんと家にあったぬいぐるみを会員にしました。その年の夏、北海道で買ってきたごきげんザウルスのぬいぐるみがあったので、その名前から「ゴキちゃんクラブ」と命名しました。会員ナンバー001が私で、002が奥さん、そして、ゴキちゃんは、名誉会員としてことになりました。キちゃんクラブは、昭和60年10月にできました。ランニングは、昭和57年ころからやっていましたが、ランナーズクラブに入会する時、クラブ名が必要になりました。一人だけでしたから、寂しいので奥さんと家にあったぬいぐるみを会員にしました。その年の夏、北海道で買ってきたごきげんザウルスのぬいぐるみがあったので、その名前から「ゴキちゃんクラブ」と命名しました。会員ナンバー001が私で、002が奥さん、そして、ゴキちゃんは、名誉会員としてことになりました。

 その後、息子たちが産まれ、長男健史郎が会員ナンバー003、次男恭平が004となりました。私が、膝の半月板を切ってしまい、手術してはちょっと走り、故障、ちょっと走り、故障と5.6年は、子どもたちが小学生の部で活躍したり、一緒に親子の部に出たりと活動していました。

 このごろは、健史郎は、中学生になりサッカーの部活中心でなかなか大会出場は難しくなりました。恭平は、自分で「スターX」というチームを友だちと作り、独立してしまったので、息子たちの出場は、少なくなってしまいました。その分、私の膝の調子が上向いてきたので、2000年3月からは本格的にレースに復帰しています。

 まだ、膝の故障が治ったわけではないので、週三回は、フィットネスクラブのトレッドミルで傾斜をつけたランニングと筋トレ、週一回だけ地面を貼っています。でも、タイム的には、三十台半ばの記録で走れるようになりました。また、5キロの大会を走るのに必要なメニューだけなので、それ以上の距離はだめでしょうが、

 それぞれのメンバーが自分の好きな運動で体を動かしているのは、いいことです。でも、ときどきは、みんなで大会に行きたいと思っている今日この頃です。

ゴキちゃんクラブは、昭和60年10月にできました。ランニングは、昭和57年ころからやっていましたが、ランナーズクラブに入会する時、クラブ名が必要になりました。一人だけでしたから、寂しいので奥さんと家にあったぬいぐるみを会員にしました。その年の夏、北海道で買ってきたごきげんザウルスのぬいぐるみがあったので、その名前から「ゴキちゃんクラブ」と命名しました。会員ナンバー001が私で、002が奥さん、そして、ゴキちゃんは、名誉会員としてことになりました。

 その後、息子たちが産まれ、長男健史郎が会員ナンバー003、次男恭平が004となりました。私が、膝の半月板を切ってしまい、手術してはちょっと走り、故障、ちょっと走り、故障と5.6年は、子どもたちが小学生の部で活躍したり、一緒に親子の部に出たりと活動していました。

 このごろは、健史郎は、中学生になりサッカーの部活中心でなかなか大会出場は難しくなりました。恭平は、自分で「スターX」というチームを友だちと作り、独立してしまったので、息子たちの出場は、少なくなってしまいました。その分、私の膝の調子が上向いてきたので、2000年3月からは本格的にレースに復帰しています。

 まだ、膝の故障が治ったわけではないので、週三回は、フィットネスクラブのトレッドミルで傾斜をつけたランニングと筋トレ、週一回だけ地面を貼っています。でも、タイム的には、三十台半ばの記録で走れるようになりました。また、5キロの大会を走るのに必要なメニューだけなので、それ以上の距離はだめでしょうが、

 それぞれのメンバーが自分の好きな運動で体を動かしているのは、いいことです。でも、ときどきは、みんなで大会に行きたいと思っている今日この頃です。