孤独と自己愛
    生きるというたたかい
 /げん


高野悦子「二十歳の原点」


  
1969年(昭和44年)6月24日未明、立命館大学生の高野悦子は20歳で自殺した。彼女は大学ノートに10数冊の横書きの日記を残していた。
それが父・高野三郎氏の編集によって「二十歳の原点.」「二十歳の原点序章」「二十歳の原点ノート」として出版された。その中で、彼女が1月に20歳になってから6月24日に自殺するまでのほぼ半年間の手記をまとめたものが「二十歳の原点」である。
 20歳になった悦子は、自分自身を見据えて生きようとする。「私は幼すぎるのかも知れぬ。世間を知らぬバカなのかもしれぬ。しかし「世間を知る」と言う言葉のなかには、その体制に順応してヌクヌクと生きていくという意味が、一面だがある」「なにも卑下することはないのだ。自分を大切にせよ。お前は不器用だが、物事をまじめに真剣に取り組む。他人をいとおしむ気持ちは一番強いのではないか。けれどもおまえにも悪いところはある。自己主張が強い、というよりわがままだ。他人の心情を察することをしない、己を律することが出来ない、自尊心が強すぎる、恥かしがり屋だ」
 「未熟であること。人間の存在価値は完全であることにあるのではなく、不完全でありその不完全さを克服しようとするところにあるのだ」
 彼女が今の時代に生きていたら・・極めてまじめに授業にも欠かさず出席するようなタイプの学生であったかもしれない。彼女は自分自身が「生きる」という価値を不完全でも大勢(世間)に流されず、自己を確立していくことにもとめようとした。学生運動はその中でもっとも身近に問題意識をもって望む事が出来る分野だったとおもう。1月、東大に機動隊導入。17日には立命館大学でも立命全共闘が中川会館をバリケードで封鎖。しかしそのとき彼女の中には「東大の機動隊要請を当然だと認める一面」がまだ存在していた。
 「独りであること」「未熟であること」これが私の二十歳の原点である・・・「いい子」「素直な子」「優しい子」という役割を与えられつづけてきた悦子は、激しいクラス討論、大衆団交などを通じて「自分の弱さ」を痛感するとともに、「自分は演技者であった」という意識が起こる。

    
私の世界が私の知らぬままに存在している
    なんだかわからぬものによって
    私は動かされている


 模索の中で太宰や詩を貪り読み、眼鏡をかけ、煙草を吸い、「父と母の面前で煙草を吸って、両親と対決することができるだろうか。」「独り」であることに「絶望感」を持ちながらも、反権力のたたかいのなかに自分自身を置こうとする。それはやがて自分自身の「生きる」という価値観そのものの肯定と否定にストレートに繋がっていくことになる。
 2月20日、立命館大学に機動隊導入
 悦子は「私は大学について、学生であることについて、自分自身について考え始めた」そして私は怒りを込めて「機動隊帰れ!」のシュプレヒコールを青ヘルにジュラルミン盾の機動隊にぶちまけ、政府に、国家権力に、また自らのブルジョア性にむけて、叫ぶ。
  だが、彼女の孤独感はたたかいの中でかえって深まっていった。自分を理解してくれるものは学友や友人ではなくノートのなかの自己になっていく。
 そういうなかで悦子は詩を書く。
  3月8日
   
誰もいない
   誰もいない 長い孤独の夜よ

   恋人がほしいと思う
   彼は山や海が好きで
   気が向くとザックをかついでヒョットと出かける
   そして彼は詩が好き
   臆病なくせに大胆で 繊細で横暴
   子供のように.純真で可愛らしいと思うと.
   大方の男がそうなように タイラントのようで
   そして彼は革命を夢見るロマンティスト
   行動力 戦闘力は抜群
   彼は自分のことを気ちがいピエロという
   気ちがいピエロはいつも笑っている
   世界を笑い 己を笑い 笑い殺している
   恋人がほしい

  
  男性コンプレックスをもちながら、恋愛にも自分を投影できず、「授業料を払うことによって商品として己を身売りすることの拒否」といってみる。しかしその言葉はもうすでに自分自身からさえ離れていってしまっている。人生を生きていく.という価値感を「大学解体」という混とんと、たぶんにアジテーションの色合いが濃い価値観にのめりこんでいく。死の誘惑はもうすぐそばまでやってきていた。

   6月19日
   
暗闇の中で 静かに立っている私
   今日はじめて 夜の暗さをいとおしく感じる
   暗い夜は わたしのただひとりの友になりました
   あたたかくわたしを
   つつんでくれます
   夜は

   己のエゴを鮮烈に燃やすこと!
   己のエゴの岩漿を人間どもにたたきつけ
   彼らを焼き殺せ!
   彼らの嘲笑に沈黙を与えよ!

   ちっぽけなつまらぬ人間が たった独りでいる


彼女は激しい生への希求とその裏返しとしての自己否定を繰り返した。それは痛ましいほど誠実なたたかいだった。
彼女はさいごまで、自分自身の中にある嘘をあいまいにしようとはしなかった。
  「独りである」とあらためて書くまでもなく、私は独りである。
  「詩よ、どうか私を何とかしてくれ!?アハハ」

   
生きている 生きている 生きている
   バリケードという腹の中で 友と語るという清涼飲料水を飲み
   デモとアジ アジビラ 路上に散乱するアジビラの中で
   独り 冷たいアスファルトにすわり
   煙草のくゆない煙をながめ
   生きている イキテイル


  「わたし」自身を切り刻むように自分に対して嘲笑のことばを浴びせる。それはもっとも激しい生の希求の「もう一つの形」.だったといま、高野悦子というひとりの20歳の手記を読んで思うのである。
  生きることの価値は、生きる時間の長さだけに比例はしない、ということも・・・

※ なお、ご遺族で著作権継承者の高野アイさんのご好意によりまして、「二十歳の原点」からの引用および直筆ノート(部分)を公開させていただきました。ありがとうございます。
 
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