9月1日  9月8日  9月15日  9月22日  9月29日 

説教題:「とりなし」

聖 書:ネヘミヤ記1章1〜11節

今朝は、預言者ネヘミヤから御言葉を与えられましたので、ここから御言葉を取りつぎます。

 私が、福生教会に赴任してきてから、ネヘミヤ記から説教をしたのは、今日で三度目なので与えられた箇所としては珍しいことになります。

 このネヘミヤ記が記された状況を知る事により、より深く御言葉が聞こえて来ると思いますので、この時ネヘミヤの回りがどのような状況であったかを見てみます。

紀元前587年にバビロニア帝国により南ユダ王国が滅ぼされ、多くのユダヤ人がバビロニアに連行されたことで、ユダヤ人達は失意のどん底にいたのです。

イスラエルの歴史は、絶えず隣国の脅威にさらされてきましたが、特にアッシリア帝国、そしてエジプト国、バビロニア帝国でした。

そのバビロニア帝国をペルシャ帝国により滅ぼされたことで、ユダヤ人たちはペルシャ帝国の支配下におかれたのです。

歴代志下36章23節に「ペルシャの王クロスはこう言う、『天の神、主は地上の国々をことごとくわたしに賜わって、主の宮をユダにあるエルサレムに建てることをわたしに命じられた。あなたがたのうち、その民である者は皆、その神、主の助けを得て上って行きなさい』」と記されているように、異邦人であるペルシャ王クロスを神様がユダヤ人たちに対してエルサレム神殿を再建することを言わせたのです。

ユダヤ人たちは神殿を再建するために奔走したが、クロス王が死んだことで後継者たちの権力争い、資金、資材の調達が出来ず、一事中断せざるを得ないと完成まで19年の年月が経ち、紀元前516年に第二神殿が建設されたのでした。

 そのような激動の背景の時にネヘミヤが神様によって預言者として召しい出されたのです。

 先ず、ネヘミヤという名前は「神は慰める」という意味があることから、ネヘミヤ自身が神様によって慰められていることを実感していたのではないでしょうか。

 1章1節に「ハカリヤの子ネヘミヤの言葉。第二十年のキスレウの月に、わたしが首都スサにいた時」と記されていることから、ネヘミヤはハカリヤという人の子供だったことが分かります。

 ハカリヤ(ハカルヤ)という人物については聖書の記述がネヘミヤ記10章2節と二箇所のみなので、分かってはいませんが「神を待つ」という意味から、信仰的にも神様を真っ直ぐに見ていた人だと推測できるのです。

 そしてネヘミヤには2節「わたしの兄弟のひとりハナニ」と記されているように、ハナニ「情け深いの意」という弟がおり、ネヘミヤ記7章2節に「わたしは、わたしの兄弟ハナニと、城のつかさハナニヤに命じて、エルサレムを治めさせた。彼は多くの者にまさって忠信な、神を恐れる者であったからである。」と、ハカリヤ一家は神様を崇拝し神様を恐れる人たちであったと思われるのです。

 このハカリヤ一家は、どんな困難な時代であっても、神を恐れる信仰者として生きていなければならないことを、現代のわたしたちにもその信仰姿勢を見せているのではないかと思うのです。

 2節の後半で「捕囚の免れて生き残ったユダヤ人の事およびエルサレムの事を尋ねた」と記されている事は、バビロニア帝国に奴隷として連れて行かれる事を逃れ、エルサレムにとどまっていた人々の様子や破壊されてエルサレム神殿が神殿再建にむかって進捗状況を聞いているのです。

その理由は、第二神殿建設に向かってエズラ記4章2節にサマリヤ人たちが「ゼルバベルと氏族の長たちのもとに来て言った、『われわれも、あなたがたと一緒にこれを建てさせてください。われわれはあなたがたと同じく、あなたがたの神を礼拝します。アッスリヤの王エサル・ハドンがわれわれをここにつれて来た日からこのかた、われわれは彼に犠牲をささげてきました』」と要請してきたが、4章3節で「あなたがたは、われわれの神に宮を建てることにあずかってはなりません。ペルシャの王クロス王がわれわれに命じたように、われわれだけで、イスラエルの神、主のために建てるのです」ときっぱりと断ってことで、徹底的に妨害工作をしてきたのです。

エズラ記4章24節「エルサレムにある神の宮の工事は中止された。すなわちペルシャ王ダリヨスの治世の二年まで中止された。」と記されているように、バビロニア帝国により南ユダ王国が滅び、今度は第二神殿建設に困難を窮めたのでした。

イスラエルは1948年5月14日に独立しましたが、独立した途端エジプト、ヨルダン、シリア、レバノン、イラク、サウジアラビア、イエメンが戦争を仕掛けてきたのです。

第一次中東戦争が勃発しイスラエルの独立は守られましたが、日本の四国程の広さしかないイスラエルという国は、昔から今に至るまで、近隣諸国に翻弄されているのです。

ネヘミヤは、弟たちの1章3節「かの州で捕囚を免れて生き残った者は大いなる悩みと、はずかしめのうちにあり、エルサレムの城壁はくずされ、その門は火で焼かれたままであります」との報告を聞き、第二神殿建が思い通り進んでいないことを嘆いたのです。

ネヘミヤの嘆きは4節に「すわって泣き、数日のあいだ嘆き悲しみ、断食して天の神の前に祈って」と、数日間座ったまま、なぎながら断食し神様に祈ったのです。

その祈りの内容が5節からフランシスコ訳聖書で見ると「ああ、天の神、主よ、偉大なる畏るべき神よ、あなたを愛し、あなたの命令を守る者に対しては契約を守り、慈しみ深い神よ。どうか耳を傾け、目を開いて、あなたの僕の祈りを聞いてください。わたしは今、昼も夜もあなたの僕イスラエルの子らのために、あなたに祈り、イスラエルの子らの罪を告白します。わたしたちはあなたに対して罪を犯しました。わたしもわたしの父の家も罪を犯しました。」と、ネヘミヤは自分の事だけではなく、イスラエル民族のとりなしをしているのです。

列王記上11章6節に「ソロモンは主の目の前に悪を行い、父ダビデのように全くは主に従わなかった。」とソロモン王から神様の御教えから離れ、列王記上14章22節には「ユダの人々はその先祖の行ったすべての事にまさって、主の目の前に悪を行い、その犯した罪によって主の怒りを引き起した。」と、神様によって選ばれたイスラエル民族は王様だけではなく一般の人々も神様の教えから離れ罪を犯し続けたのです。

 イスラエル民族の罪とは、神様により選ばれ神様がイスラエル民族との契約を交わしていたにも関わらず、契約を反古にすることを何百年も続けていたのです。

 わたしたち異邦人も、主イエス・キリストを信じ神様に義とされることが許されており、神様のとの契約のしるしであるバプテスマを受ける事で、神様に選ばれた人になりますが、神様により選ばれた選人という意識が大切であることを肝にめいじておかなければならないのです。

 7節で「わたしたちはあなたに対し、はなはだしい悪を行い、あなたの僕モーセに命じられた命令も掟も法も守りませんでした。」という言葉は、イスラエル民族そして異邦人信仰者のことでもあるのです。

 ネヘミヤは真剣に8節9節「どうかあなたの僕モーセに告げられたお言葉を思い起こしてください、『もしお前たちが逆らうなら、お前たちを諸国の間に散らす。だが、もしわたしに立ち返り、わたしの命令を守り、これを行うなら、たとえお前たちが天の果てに散らされたとしても、そこから集め、わたしの名の住まいとして選んだ所へ連れてくる』。」と、神様の前に悔い改めたならば、神様は許して下さると言われていることを思い出し、わたしたちを救って下さいと祈っているのです。

 10節「彼らはあなたの僕、あなたの民です。あなたは彼らを大いなる力と強い手で贖われました。」と、イスラエルの民が神様の前に罪をおこなっても選民として救って下さったのです。

 更にネヘミヤは11節で「ああ、主よ。あなたの僕の祈りと、あなたの名を喜んで畏れ敬う、あなたの僕たちの祈りにあなたの耳を傾け、どうか今日、あなたの僕の願いをかなえて、この方の憐れみを得させてください」と祈り願っているのです。

 「憐れみを得させてください」との祈りは「神様の懐に入れて下さい」つまり、神様の見守りの内に平安にさせてくださいという願いなのです。   

最初に戻る5月の説教集 6月の説教集 7月の説教集 8月の説教集 10月の説教集