11月3日  11月10日  11月17日  11月24日 

説教題:「十字架につけられままのイエス・キリスト」大野裕昭先生

聖 書:ガラテヤ人への手紙3章1〜6節

「十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に描き出されたの に」(3:1)とあります。

 パウロは「描き出された」とあるように、彼自身の説教を通してイエス・キリスト が示されたはずではないかと言うのです。

 実際パウロは他の箇所でも「しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを 宣べ伝える」(Tコリ1:23)と語っています。

また「わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心したからである」(同2:2)と記されている箇所もあります。十字架につけられたキリストを語り伝える、それがパウルの使命であり、説教でした。

 私たちも「十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に描き出された」礼拝を捧げたいと、心から願います。この言葉は、ギリシァ語聖書の本文を見ると「あなたがたに対し、眼の前にイエス・キリストがはっきり示された。十字架につけられたままで」と訳すことができます。

「十字架につかられたまま」という言葉は、受動相(態)完了形が使われ、文節の最後に置かれることでかえって強調されています。ですから、文語訳の聖書では「十字架につけられ給ひしままなるイエス・キリスト」と訳されています。

「十字架につけられたイエス・キリスト」というのは、心理的な同情を誘うために強調された文章ではありません。それは「イエス・キリストが十字架につけられた」ことが過去の出来事として過ぎ去ったのでなく、その出来事が現在も持続的な意味と力を持っているということです。  

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