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説教題:「主のご復活」

聖 書:コロサイ人への手紙3章1〜11節

今日は、イエス様が復活された日を記念しての礼拝です。

 3章1節に「あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。」と記されています。

 1節を解釈すると「あなたは、今まで、悪魔の奴隷となっていたがイエスを神の子として告白し、父と子と聖霊のバプテスマを受けたことにより、新しい命を与えられたのだから、今は神様の右に座しておられるイエス様と再臨の後会うことが出来るように、キリスト者として神様の御旨に沿う歩みが出来るように求めて行きなさい」となります。

 大切な事は、2節に「あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。」と記されている事です。

 信仰者として歩んで行く中で、この世において心引かれることが数多く存在し、それらは自分にとっては大切なものなのですが、自分にとって大切なものを第一とするのではなく、神様をないがしろにしてはならないと主は言われているのです。

 3節4節を解釈すると「主イエス・キリストを信じた者は、全身を水に沈めたことで今までの自分が死に、新しい命が与えられたのだから、イエス様の再臨の日に義とされた信仰者は御国に凱旋し、永遠の命を与えられる」となります。

 5節を解釈すると「だから、この世に生きている間、神様によって作られているあなた自身を、神様が忌みきらうようなさまざまな欲を取り入れないようにしなさい」と言っているのです。

 神様が創造した人間は、アダムとイヴに入り込んだ悪魔により、素直さを失い悪魔は人に、不品行、汚れ、情欲、悪欲、貪欲、嘘つき、怒り、憤り、悪意、口からでる恥ずべき言葉を出すようにそそのかされるのです。

 パウロ先生は、コロサイ教会の信徒たちが、お互い疑心暗鬼になり、教会に一致がないことを嘆いているので、12節で「あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着けなさい。」と言っているのです。

 このコロサイ教会は、現在のキリスト教会にも当てはまっているのではないでしょうか。

 教会において悪魔のターゲットは、頭なるイエス様に仕えている牧師なのです。

悪魔は、直接牧師に攻撃を仕掛けてこず、教会員を通し、教会員の口から牧師批判、説教批判をさせてくるのです。

 私は、59年前北海道にある、北栄キリスト教会でバプテスマを受けましたが、バプテスマを受けた直後、教会の一人の信徒が牧師批判をしたことから大きな渦となり、結局教会が分列してしてしまったことがあります。

洗礼を受けたばかりの私は、牧師が北栄教会を離れ、札幌から野幌での開拓伝道に出て行った牧師についていった経験があります。

野幌での開拓伝道は、その後北海道でも大きな教会三番通り福音教会になっています。

 この世における信仰者の歩みは、平坦な道ではなく、むしろデコボコ道、山あり谷ありの人生ですが、それらもろもろこの世における不安を取り除いて下さり、15節で「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい」と言われているのです。

 イエス様が復活されたことで、悪魔によって人間に持ち込まされた死を克服し、永遠の命を与えられるという、神様の大いなるご計画なのです。

イエス様のご復活こそ、私たち信仰者の喜びでもあり、主からの祝福でもあることを感謝いたしましょう。    

 

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