2月2日  2月9日  2月16日  2月23日 

説教題:「主に選ばれし者」

聖 書:イザヤ書49章1〜6節

 今朝は、旧約聖書の中でも大預言者と言われているイザヤから御言葉を聞いて参ります。

 イザヤはヘブル語で「神の救い」という意味を持っており、紀元前8世紀後半の頃に活躍した人物です。

そのことが、イザヤ書1章1節に「アモツの子イザヤがユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの世にユダとエルサレムについて見た幻。」と記されています。

イザヤの父親はアモツという人ですが、アモツという人がどのような人物であったかは記されていないので分かりません。

イザヤの活躍した時期が、南ユダ王国の第十代ウジヤ、11代ヨタム、12代アモツ、13代ヒゼキヤ王の時代と記されている事から、四代の王様の有様を見ていたことがわかるのです。

 1節に「幻」という言葉がありますが、ヘブル語では「ハゾン」といい「黙示・預言」という意味もあるのです。

イザヤ書のヘブル語聖書では「セフェル・イシャヤフ」なので「イザヤの書物」「イザヤの黙示録」と言ってもいいかもしれませんね。

 新約聖書の最後にあるヨハネの黙示録も、1章1節に「イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである。」との記述の中で、ヨハネが御使によって知らされた黙示という事からヨハネの黙示録と言われているのです。

 イザヤ書は、南ユダ王国と北イスラエル王国の状況が記され、両国がこれから起ろうとすることが預言されているのです。

 ヨハネの黙示録は、イエス・キリストの再臨を中心に預言されており、どちらも異なる時代背景と目的をもってはいますが、共通して主なる神様の計画を伝えているのです。

 今朝の49節の1節に「海沿いの国々よ、わたしに聞け。遠いところのもろもろの民よ、耳を傾けよ。主はわたしを生れ出た時から召し、母の胎を出た時からわが名を語り告げられた。」とイザヤが記しているのです。

 「わたしに聞け」とは、シェマーという神様からの絶対命令であるヘブル語が使われており、このシェマーは旧約聖書中1174回も登場する言葉であり、主なる神様の御言葉を聞けという絶対命令が聖書の中心をなしていることが分かります。

 このシェマーは、主イエス・キリストを信じる信仰者にも、主なる神様の御言葉を聞けと言われていることを忘れてはならないのです。

 イザヤ書6章には、ウジヤ王が死んだ年に、イザヤが不思議な光景を見たとあるのです。

 イザヤ書6章8節に、イザヤは「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか」と主なる神様の声を聞き「ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください」と、主なる神様のみ声を聞いて、主なる神様が「行け」といわれたのをイザヤが実行に移していったことが分かります。

 当時、中近東は騒然としており、南ユダ王国も北イスラエル王国も近隣諸国に脅かされつねに緊張状態にあったことから、小さな国である歴代の王様たちはなんとか近隣大国に侵略されないよう、賄を送ったりしながら、ご機嫌を伺い外交政策をしていたのです。

 しかし、その下手からの外交政策は大国としては大国側に有利な条件を押しつけ、南ユダ王国、北イスラエル王国を疲弊させていったのです。

6章11節から13節に「町々は荒れすたれて、住む者もなく、家には人かげもなく、国は全く荒れ地となり、人々は主によって遠くへ移され、荒れはてた所が国の中に多くなる時まで、こうなっている。その中に十分の一の残る者があっても、これもまた焼き滅ぼされる。」と記されているように、すっかり荒れ果ててしまっていたのです。

 余談ですが、2023年10月7日(土)ユダヤ教の三大祭りの仮庵の祭りの最終日で、安息日に突然ハマスの兵士数千人がガザ地区とイスラエル地区の壁を破壊し、多くのユダヤ人を殺害し、捕虜にしガザ地区の地下壕に連れていったという事件が起ったのです。

 ハマスはイラン、中国、ロシア、北朝鮮などから武器を手に入れ、2年をかけて改革を練り上げ、ユダヤ教の祭りである仮庵の祭りであり、シャバット安息日を狙い、数千人の戦闘員が壁を破りイスラエルに侵入し、イスラエルの人たちが音楽祭をしていたところの五箇所のキブツや周辺の町々、道路を走っていた車を襲撃し、女性を暴行したり、妊婦の腹を割き、赤ちゃんを取り出したり、合計1,200人を殺害し250名を連れ去った蛮行を働いたのです。  エステル記に登場する、ペルシャ帝国のハマンという宰相も、ユダヤ人を根絶やしにしようと画策したことが聖書に詳しく記されており、第二次世界大戦中ドイツのヒトラーにより、ユダヤ人絶滅作戦が実行され六百万人ものユダヤ人がガス室で殺害されたことは記憶に新しいことです。

 イザヤ書13章21節に「野の獣がそこに伏し、ほえる獣がその家に満ち、だちょうがそこに住み、鬼神がそこに踊る。」

 イランは昔バビロニア帝国がペルシャ帝国だった国のながれで、現在でもイランはイスラエルを国家として認めていないことをみても、イスラエルを取り巻く状況は昔から少しも変わっていないことが分かります。

 今朝の49章1節で、イザヤは海沿いの国々といい、遠いところのものもろの民に対して聞けと呼びかけていますが、その呼びかけは3節で「あなたはわがしもべ、わが栄光をあらわすべきイスラエルである」と言っているのです。

 5節をみると「ヤコブをおのれに帰らせ、イスラエルをおのれのもとに集めるために、わたしを腹の中からつくって、そのしもべとされた主は言われる。」と記されているのです。

 北イスラエル王国も南ユダ王国もアッシリアに滅ぼされ、南ユダ王国もバビロニアに滅ぼされ、イスラエル12部族は世界中に散らされましたが、1948年5月14日に独立を宣言しましたが、正確には独立ではなく復興することができ、それを国連の総会で認められましたが、アラブ諸国は認めずエジプト、夜産、シリア、レバノン、イラク、サウジアラビア、イエメンなどのアラブ諸国がイスラエル独立宣言をした翌日に、イスラエルを攻撃し第一次中東戦争が勃発したのです。

 つまり、主なる神様によって選ばれたイスラエルは、主なる神様の栄光を現すための僕であると言い6節で「もろもろの国びとの光となして、わが救を地の果にまでいたらせよう」と言われてはいましたが、イスラエルという国復興した途端、嵐のような苦難が待ち受けていたことで、49章14節で「主はわたしを捨て、主はわたしを忘れられた」と、イスラエルの民が、主なる神様は私たちを捨てられ、忘れられたしまったと嘆いているのです。

 しかし、主なる神様は15節で「女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、あわれまないようなことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしは、あなたを忘れることはない。」と、主なる神様が「あなたが私を忘れても、私はあなたを決して忘れない」と言って下さっているのです。

 世界の中で、イスラエルという国は日本の四国ほどの小さな国ですが、主なる神様によって選ばれた人々なので、預言者イザヤが預言しているように、イスラエルの情勢をしっかりと見ていなければならないことと、イスラエルを通して、主なる神様のご計画が分かってくるのです。

 偏った報道に惑わされることなく、冷静に状況を判断し、ただただ主なる神様を中心にして惑わされないようにすることが信仰者としては大切なことなのです。

 全ての人間は、主に選ばれてこの世に生きるものとなっていますが、その人の生涯が主イエス・キリストを信じ信仰の道を歩むか、悪魔の手先になり、主なる神様に逆らい、主なる神様を困らせる者となっているか二つに一つの道しか選ぶことができないのです。    

最初に戻る1月の説教集 12月の説教集 3月の説教集