「七・五・三」
 当教会は、11月第二日曜日に七・五・三の祝いを礼拝の中で致しますが、キリスト教の前身である、ユダヤ教に於いては古くから子供に対して七・五・三の祝いをしています。
ここに、西南学院大学名誉教授の関谷定夫先生の著「荒野を旅する」(梓書院)の中で書かれたものを紹介致します。

「七・五・三の祝いに寄せて」

 11月15日は、いわゆる、七・五・三の祝日である。
そのいわれについて、平凡社百科事典には「この日は五歳の男児と三歳・七歳の女児を神社(氏神)に連れて参拝する慣行で、子供の成長を承認し祝う通過儀礼である。今では大都会の商業政策によって、子供達にいろいろの趣向の晴れ着を着せ、いたずらに華美を競って宮参りするようになった」と説明されている。

伝承的習俗としては古くからあり、武家時代に、男児五歳の祝い(はかまぎ)を、女子七歳の祝い(おびとき)をし、長野県では今もこの日に三歳の子が新しい帯をしめて宮参りするならわしが伝わっているという。
また七歳を幼児期から少年少女期への折り目と考える観念はかなり古くからあったといわれる。

 ところで、同じ東洋の民族であるユダヤ人の間にも似たような習慣があり、それはユダヤ民族特有の教育観念と結びついていることが注目される。
旧約聖書の詩篇の中に、「見よ、子供たちは神から賜った嗣業であり、胎の実は報いの賜物である」(詩篇127篇3節)と言われている。
即ち、子供は神から与えられた民族の財産であり、宝であるというのである。
言い換えれば、ユダヤにおいて子供たちは、神の民としてのイスラエル民族の存続と繁栄の基礎であるとされ、子供はことのほか大切にされた。ユダヤの教育思想には幾つかの基礎パターンがあるが、その一つに、教育は「不断の過程」であり、「揺りかごから墓場まで」と言われている。そして教育を最も効果ならしめるためにできるだけ早期に開始さるべきであるとされた。

 古代ユダヤでは、子供は三歳まで哺乳期とされ、乳児(ティノーク)と呼ばれ、三歳をもって離乳期とされ、この年齢を以て人生の第二段階、即ち宗教教育の開始期とされた。
この時期から主として父親(ヘブル語ではアーヴといい、教師の意味である)によって初歩の宗教教育が始められ、読み書きの練習とともに、いろいろな宗教行事(祭り)への参加が行われた。
ユダヤには紀元前から三つの大きな巡礼祭(いずれも神の救いと律法を授かったことを記念する祭)というのがあるが、特に春の過越祭には、父親は子供を連れてエルサレムの神殿に参詣するなわらしになっていた。
イエスもこの慣例に従って毎年故郷のナザレから両親に伴われてエルサレムに上京して宮参りをした(ルカによる福音書2章41節)。現在は車で数時間だが、当時は途中一泊しなければならなかった。

しかして最初に神殿参詣に連れて行く子供の年齢についてミシュナー(注1)に二つの説がある。
シャンマイというラビによれば、父が肩にかついで参詣できる年齢に達した時とされ、ヒレルというラビは父の傍について参詣できる年齢に達してからでよいとされた。
そこには年齢は明示されていないが、前者では三歳、後者では五歳を意味したと考えられる。

 同じミシュナの「父祖たちの教え」(ピルケー・アボート)の中に「五歳でミクラ(聖書)を学び」という文言がある。
つまり、五歳で読み書きの練習が一応終えて、ヘブライ語聖書の本文を学習する時期に達したことを意味している。父親の宗教教育は、この時期から本格的に行われ、聖書の主要聖句、特にイスラエル民族の信仰の中心とされるシェマ(申命記6章4〜9節)その他が暗誦できるように教育された。
ユダヤでは家庭教育に最重点がおかれ、家庭は「最初の学校」と言われ、「人類の普遍的教育機関」とされた。

 それから、タルムード(注2)によると、六、七歳に達した子供は最寄りの会堂(シナゴーグ)附設の初等学校(聖書本文を教える学校、ベート・ハッセーフェルという)に通うことが義務づけられた。
この制度は教育史上、世界最古の義務教育といわれているものである。その起源については、タルムードによると紀元前70年頃とされ、イエスの時代にはこの制度はパレスチナ全土のユダヤ人の間にかなり普及していたと思われる。
つまり、ユダヤでは七歳が学齢期とされ、就学後の子供たちは毎日会堂学校で、夜明けから日没まで徹底的に聖書本文の学習訓練がなされた。
修業年限は、四年ないし五年だったといわれ、その間子供たちは旧約聖書全巻を暗記させられた。
当時の教育がいかに徹底したものであったかは、イエスが十二歳(これは初等学校終了の年齢)で、神殿の律法学者たちと対等に議論されたというルカによる福音書(2章41節〜)の記事によっても十分うなずける。

イエスが聖書全巻を暗記していたことはその公生涯におけるパリサイ派やサドカイ派の人々との対論、その他の説教に十分に反映されている。
イエスの宗教的人格形成は以上のような伝統的ユダヤ教育の成果であるといえる。
日本における七・五・三は宮参りという宗教行事と一応関わりはあるが、それが教育という営みにまでつながっているであろうか。
イスラエル(ユダヤ)における七・五・三は深く宗教的人間形成という国民教育に結びついていること、そして、それが今日まで彼らの「教育の民」としての伝統として継承され、それが民族の生き残りの秘訣でもあったことは驚くべき事である。(1993.11.11記)

 (注1)ミシュナーとは、紀元200年頃大成されたユダヤの口伝律法。
 (注2)タルムードとは、ミシュナーを補完したユダヤの口伝律法の集大成で紀元500年頃完成した。バビロニアで完成したものとパレスチナでできたものとある。

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