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2006年6月30日(金)
カヌー講座 その3

 どのようにして、昔の人々は、太平洋の中を小さいカヌーで進み、迷うことなく航海をする事ができたのか。
 それは、星の動きや太陽の動きによって、自分の位置を知るための方法を知っていたからである。
出発地点の島から、新しい島を探すために、カヌーを走らせ、見つけられなければ、そこで死んでしまっていたのではなく、往復出来る日数を計算して、進んだ方向を間違わず、逆に進んで戻ってきていたらしい。それを繰り返しながら、新しい島を見つけると、そこを拠点にして、また、新しい島を探しに出ていたと言う事である。
 また、島の周りの潮の動きが、島の形によって、どのように変わるのかも知っていたので、転覆することなく、島に近づくことができた。
 こうして、長い年月をかけて、太平洋にある小さい島々に、人々は移り住んでいったということでした。

2006年6月29日(木)
カヌー講座 その2

 マーシャルのカヌーには、帆にも船体にも工夫がある。
 帆は、飛行機の翼と同じ形にカーブが出来るようになっていて、飛行機の翼が、正面から来る風に対して上に上がる力を生み出すように、カヌーの場合は、正面から来る風を横へ動く力に変える様になっている。
 船体は、船の先端からのふくらみが、右側と左側で変わっていて、ふくらみが大きい方が、潮の流れを妨げ、膨らみの大きい側へ、船が進むようになっている。そのために、船が横倒れしてしまわないように、一艘のカヌーではなく、船の横に補助をつけるようになっている。
 このようにして、正面からの風邪や潮の流れを、横にそらすようにして、スピードのある動きができるようになっている。
 しかし、今は、船体左右の微妙なバランスの違いの作り方が途絶えてしまっているので、昔のマーシャルで作られていたカヌーと同じものは、作れなくなっている。

2006年6月28日(水)
カヌー講座 その1

 大洋州には、たくさんの島がある。世界地図で見るとわかるが、小さい島が、本当にたくさんあり、太平洋全体に広がっている。
 どのようにして、大洋州の島々に人々が移り住んできたのかと言うと、大洋州の人々の先祖は、東南アジアからカヌーで移動してきたらしい。カヌーは大きなものではなく、多くても5人乗ったらいっぱいになる大きさだ。そんなカヌーで、太平洋を渡ってきたことになる。
 最初に人々が、カヌーで移動しだしたのは、今から6000年前になり、インドネシアのあたりから移動をはじめ、フィジーやトンガの辺りまで来たらしい。その後も移動を繰り返し、マーシャルやミクロネシアへは、フィジーから移動してきている。それが、およそ2000年前。また、フィジーから別ルートで、タヒチに行ったグループもあり、そこからさらに、ハワイやラパヌイ、ニュージーランドに移動している。
 この様な事は、大洋州の島々の言葉や、カヌーの形から推測されるらしい。
 例えば、カヌーだと、インドネシアのカヌーは、一艘で帆はついていない。それが、フィジーやマーシャルのあたりになると、帆がつき、船体に補助のようなものがつくようになる。さらに進んでタヒチに行くと、2艘をつなげた形になり、パパヌイ、ハワイになると、2艘で、帆も2つ付けられるようになっている。
 大洋州のカヌーを表す言葉は似ていて、マーシャル語では「ワ」という。キリバス語は「ワー」。ハワイ語は「ワッア」。サモア語は「ヴッア」となる。

2006年6月27日(火)
ビックバス

 いつものように、朝、道に出て、バスが来るのを待っていた。すると、マーシャルには珍しい、40人乗りぐらいの大型バスが目の前を過ぎて言った。それも新車。そのバスが、少し過ぎてから、バックして戻ってきた。中には先生達が乗っていて、新しいバスが来たと喜んでいた。
 このバス、日本からの援助で送られてきたらしい。席にはビニールカバーがされたまま、マーシャル人は、ビニールカバーをはずさず、そのうち破れるのを待っている。破れたビニールを捨てる事もしない。飲み物がこぼれても拭かない。座席の裏には、かんだガムがひっつけられる。すぐにバスは、汚くなるだろう。
 しばらく走っていると、空港辺りで警察官に止められ、運転していたアジャルタケ校長が、後ろのパトカーの中へつれて行かれた。止められた原因は、ナンバープレートをつけずに走っていたという事だった。
 そんな事をしっかりと見ていて、そして、しっかりと交通の取締りをやっている警察官に驚いた。その後、運転は、警察官に代わり、校長は、パトカーで移動。警察署の前で降ろされ、別のバスに移って、ミドルスクールへ行った。
 しかし、特に罰金や免許取り消しと言うようなこともなく、いつものようにエンマンで解決して、帰りには、ナンバーのないまま、また、校長が運転していた。

2006年6月26日(月)
カヌー

 今週から、英語講習3週目。クラブ活動は、カヌーについて教えてもらうことにした。マーシャルのカヌーは、世界で、最も性能がよかったと言われている。船体の形や帆に工夫があり、ほとんど逆風の数に対しても進むことが出来たらしい。その上、天体観測にも優れていたので、目的地へ的確に行くことができたと言う事だ。
 しかし、ここ数十年、日本から支配、アメリカから支配されることで、船やボートでの移動が主流になり、そのカヌーの技術が、今現在は正確に伝わっていない。数人の人が、その技術を調べて、よみがえらせようとしている。

2006年6月25日(日)
早朝ランニング

 早朝ランニングと言っても、朝8時だから、早朝と言うほどでもなかった。8時ごろなら、まだ気温も上がってないので走りやすい。
 今、ドミトリーには、2匹の犬がいる。夏休みで首都にあがって来ている隊員と一緒に来ている。ロンロン島から来ているロンと、ジャルート島から来ているカイ。その一匹カイと一緒にランニングに出た。ロンは、まだ子犬なので、ドミの柵の外に出すとどこに行ってしまうか解らないので置いていく。
 空港までの往復の間、何匹かの犬に吼えられたが、花子と違ってカイは、吼えられた犬に向かって蹴散らしていった。でも、カイと呼ぶと追うのを止めて戻ってくる。なかなか賢い奴だった。弱虫花子も、このように育って欲しい。

2006年6月24日(土)
第11回小学校部会

 夏休みは、2週間おきに小学校部会が開かれている。それぞれの担当学年の補助指導案やプリント、小テストを作成してきている。
 検討を行いながら、それぞれの学年で作ってきているものを見て、それぞれに、考えのずれが出てきている事を感じた。小テストでは、どのような事を目的に行い、どのような問題を作っていくのか。指導案やプリントでは、子どもの何に配慮をして作っていくのか。これは、今、指導教材を作る事だけに考えが行ってしまい、来年度、どのような方向性を持って、それぞれが指導に当たるか、それをどのような形で作り上げるのかと言う事が、明確になっていないためだと思う。
 それぞれにお互いの考えを出して、まずは、来年度の活動を、それぞれが明確に持つことが、必要だと感じる。

2006年6月23日(金)
マーシャル体操

 マーシャルには、保健隊員がいる。簡単に言うと、マーシャル人の健康面のサポートをしている。他にも色々しているのだが、詳しくは知らない。
 その隊員は、あと3週間で2年の任期が終わり、日本へ帰国をする。今は活動の総仕上げをしているところで、帰国直前に、ワークショップ(勉強会)を開くための準備に大忙し。
 そして、今日、保健隊員が作っていたマーシャル体操の紹介があった。マーシャルののんびりした音楽に合わせて、ゆっくりと体を動かす、まさに、マーシャルと言う感じの体操。朝の運動で、マーシャル体操を小学校でも広めていって欲しいと言う事だが、朝の時間に体操の時間が出来ると、朝は、先生も子どもも、心なしか元気のないマーシャルでは、学校の雰囲気も変わり、一日が気持ちよく始まる気がする。

2006年6月22日(木)
任国外旅行

 今日も、英語をお休みして、算数のまとめをしていた。そして、昼過ぎに学校へ行き、校長に任国外旅行のレターをもらって来た。
 協力隊員は、2年の任期中に、20日しか任国外に出る事ができない。その上、行く事ができる国も、任国外の近くの国に決まっている。はっきり言うが、なぜ、こんな決まりがあるのか解らない。任国でしっかりと活動するということで、20日は、まだいいとしても、行ける場所が決まっている事に何の意味があるのか、まったく解らない。
 他の国のボランティアから、夏休みに、日本へ帰るのかと聞かれたときに、協力隊員は帰る事が出来ないと答えると、必ず、なぜだと聞かれる。それが、JOCVの決まりだというと、何でそんな決まりがあるのだと、また聞かれる。そんな事解らないので、解らんとそのまま言っている。
 まあ、日本に帰れないのもいいとして、20日という期間があるのなら、行ける場所ぐらい自由にしてくれと思う。マーシャルの場合、行ける所は、ハワイ、グアム、フィジー、パプアニューギニアしかない。その上、今は、マーシャルからフィジーへ飛んでいた航空会社が潰れたため、ハワイかグアムへしかいけない。島にいるから、島から出たいが、島にしかいけない任国外旅行ってなんだ。
 と言う訳で、夏休みは、ミクロネシアで途中下車しながらグアム旅行へ行くことにしたので、行ってもいいよという手紙を校長からもらわないと、これまた、JOCVが良いとは言ってくれない。校長もこんなの書かなくてもいいだろと言いながら書いている。そんなことをJOCVは規則だからと言ってさせている。古い体質だ。
 何かと、つまらない規則がうるさいJOCVに愚痴ってみました。

2006年6月21日(水)
数字の理解

 英語はお休みして、家で、昨年度の授業をまとめていた。そして、考えた事。
マーシャルの子達にとって、数字は、数ではなく、記号としか認識が出来ていないという事。例えば、私の場合、七番目の数はいくつと聞かれると、7とすぐに答えが出る。しかし、7番目のアルファベットは何と聞かれると、Aから指を使いながらアルファベットを言わないと何か解らない。マーシャルの子達にとって、数は、このような感覚なのではないかと思う。だから、2+5はいくつと聞かれた場合、指で2と3を作り、1から数えないと答えの5にはたどり着かない。日本では、2・3歳の子のレベルである。日本でも、2・3歳の子に1年生の学習内容を教えることは無理である。それをマーシャルではやろうとしているのだから、無理があるのは仕方がない。

 話が外れるが、このような事を理解したうえで、カリキュラムや、学習計画は立てられるべきであるのに、そのような事は行われず、先進国のレベルに追いつかせるという考えだけで、無理な学習を子ども達に強いている現在のマーシャル教育に問題があるように感じる。

 先進国が進めている国際協力が、全ての子達の教育水準を上げる事を目標にしているので、発展途上国の教育の実情を考えずに、先進国の教材を与え、これをやれるように努力しなさいと言っていることが多いように感じる。私としては、おかしな方向で考えているとしか思えない。
 しかし、今の問題を、そこへ持ってきても仕方がないので、来年度、マーシャルの子達が、理解できる範囲を見極めながら、学習計画を立て、教えるべき事を選んでいく必要がある。

2006年6月20日(火)
もてあそばれる

 またまた、先生から、あなたは静かだと言われてしまった。その上、マーシャル人のおばちゃん先生たちも、「ヨシアキ話せ。」と、質問があるとふってくる。黙っていると、話せ話せと、目とジェスチャーで合図を送ってくる。なんか、遊ばれてしまっている感じがする。
 しかし、そんなこと言われても、話せないものは話せない。ぼちぼちがんばろう。

2006年6月19日(月)
映画の歴史クラブ

 4時間目に行われているクラブ活動は、1週間で変わっていく。今週は、映画の歴史というクラブに入った。今日は、初日で、最初に、映画の説明があってから、ドキュメンタリー映画を見た。
 アメリカで起こった事件の事実解明をしていくような映画なのだが、インタビュー形式で、次から次へと人が話している。何を言っているのかは、さっぱり解らない。そして、もちろん睡魔に襲われ、睡眠にはいる。1時間では終わらず、マーシャル人の1人が続きを見たいと言ったので、明日も見る事になった。マーシャルの先生は理解できているようだ。
 終わってから、あなた寝ていたでしょうと、マーシャルの先生につっこまれてしまった。難しすぎる。

2006年6月18日(日)
灼熱テニス

日中テニス、4時間。朝11時から3時まで、マーシャル人が動かなくなる、一番暑い時間帯。軽く日射病。
 テニスから帰ってきて、シャワーを浴びようとしたら、水が、プスンプスンいいながらチョロチョロと出て、止まってしまった。なんと、ドミトリーが、水切れ。雨が少なく、水がなくなってしまった。
 こうなると、トイレは、もちろん流れない。ドミトリーにいるメンバーで、海水を風呂桶にため、トイレ用の水の確保。そして、夕食が作れないので、缶詰と水の買出し。体は、気持ち悪いままだが、がまん。

2006年6月17日(土)
勉強したー

1週間の英語講習で、頭がくらくら。本を読みながら、しばし休憩。

2006年6月16日(金)
英語訳

 英語講習1週目が終了。スピーキングとリーディングを行っているクラスで、マーシャル語から英語への翻訳を行っている。昨日は、2人組みで訳をしていたので、パートナーになったマーシャル人に単語の説明をしてもらいながら訳をしたのだが、今日は、1人で訳をする事になった。
 もちろん、すべてが解るわけがない。がんばって読もうとしていたが、徐々に睡魔に襲われはじめ、ついに睡眠にはいる。その後、訳した文を、マーシャルの先生が英語で言ってくれるのだが、その英語が、また、よく解らない。話し方は、ぼにょぼにょと言って、文法はおそらく正確ではないので、アメリカ人の先生は何とか聞けているようだが、私には、理解できるわけがない。と言う訳で、よく解らないまま時間が過ぎていった。

2006年6月15日(木)
もっと話せ

 英語講習を受けに来ている先生が、だんだんと増えてきている。今日は、1クラス8人。スピーキングの先生に、駒ヶ根の時に言われた事と同じ事を言われた。
 「もっと、話しをしなさい。」

2006年6月14日(水)
英語講習2日目

 今日は、昨日より早く、7時20分に家を出て待っていた。しかし、40分を過ぎてもバスは来ない。今日も、出るのが遅かったのかなと思っていると、バスが来た。
 昨日、バスが来なかった理由を聞くと、校長の寝坊。私の家の前は、9時頃に通ったらしい。だから、みんなで遅刻したと言っていた。
 60人ぐらいを14クラスに分けていたので、1クラス4人で月曜日は授業をしていた。その後、離島から送れて来て参加した先生もいるので、今日は、1クラス6人になっていた。それでも、1対6で、ネイティブスピーカーの先生に、1日4時間教えてもらえるので、日本で考えたらかなりお得である。
 今日も、何を言っているのか、ほとんど解らなかった。英語の道は険しい。

2006年6月13日(火)
タクシー料金値上げ

 朝、英語講習会に行くためのスクールバスを待っていた。家から講習会が行われている。ミドルスクール(中学校)まで行くのには、1時間ほどかかる。7時半に家を出て、道で待っていたのだが、8時を過ぎても来ない。私が家を出るのが遅かったのか、それとも、バスが、何かの理由で動かなくなっているのか。理由は解らないが、家に帰って、今日は行くのを諦めた。2日目にして欠席。

 今日から、タクシーの運賃が上がった。このマーシャルの経済状況を、リアルタイムに伝えているホームページは、ここぐらいだろう。だからなんだという内容だが、これはすごいんではないでしょうか。
 初乗りが50セントだったのが75セントになった。そして、ドミトリーから、ダウンタウンまでの1ドル50セントだった区間は2ドルになった。日本に比べれば、上がった値段も安いのだが、移動手段がタクシーしかない私達ボランティアにとって、これは痛い。日本でも、最近大幅に上がっているガソリンの値段の影響である。

2006年6月12日(月)
英語講習会開始

 本日から、英語講習会が始まった。14クラスに分けられ、私は、そのうちの7クラス。14クラスから、成績順で分けられているらしいので、真ん中のクラスになる。まあまあかな。
 授業は、朝9時から始まり、1時間20分が3コマある。その後、クラブ活動のようなものがある。音楽、ゲーム、文化など、それぞれの先生の得意分野をやっているのだろう。それが終わるのが3時半。最後に教室の掃除をして終了。
 授業は、書き取りと文法、会話と聞き取り、読み取りの3種類。しかし、やっぱり、先生が何言っているか解らない。マーシャルの先生たちは、理解出来ている。思ったのだけれども、マーシャルの人の方が、理解している単語の量が多い。私は、聞いていても解らない単語が多いのだが、マーシャルの先生は理解出来ている。語学は、文法を理解する事よりも単語量を増やす事が大事だなあと思ったのだった。
 クラブ活動は、アメリカンフットボールを選択した。アメフトのルールを知りたいと思っていたので、この機会に教えてもらおうと思う。アメフトには、攻撃を担当するグループと守りを担当するグループ、それに、スペシャルと呼ばれる3つのグループが、1つのチームの中にある。攻撃と守りは、何をするのか知っていたのだが、スペシャルチームが、何をするのかを知りたかった。本日の収穫はそれが解った事。

2006年6月11日(日)
回復

 体調が、大分よくなってきた。テニスをして体を動かし、ドミトリーでのんびりしていた。

2006年6月10日(土)
字幕なし映画

 今日行われた小学校部会では、来年度に向け、学年分担にして、カリキュラムに沿って授業を行うための補助資料と、単元確認テストを作ってきた。その作ってきたものの検討を行った。

 終わった後、映画を見に行った。MI・Vと、XMENV。この2つは日本でも上映されているのだろうか。それともマーシャルのほうが早いのだろうか。
 もちろん字幕はない。MI・Vは、まったく意味が解らなかった。やっている事は解るが、なぜ、それをやっているのか、やっている事にどういう意味があるのか、チンプンカンプン。それに比べ、XMENVは、よく解った。英語で見る映画は、単純アクション物がいい。ストーリーが、ごちゃごちゃしていないから解りやすい。
 でも、私の場合、おそらくMI・Vは、字幕ありで見ても、1回見ただけでは意味を理解できないのではないかと思う。

2006年6月9日(金)
英語講習会テスト

 夏休み中に、マーシャルの先生の語学力アップのために、英語の講習会が開かれる。先生は、ワールドティーチャーやダートマスなどのボランティアと、マーシャル在住のアメリカ人など14人いる。ウォジャ小学校のワールドティーチャーだったベンも、そのうちの1人。来週から4週間、英語の勉強が始まる。マーシャルの先生対象なので、日本人ボランティアは含まれていないのだが、英語の勉強をしたい場合は、一緒に受けても良いという事なので、受講する事にした。
 昨年行われた英語講習は、絶対参加で、300人ぐらいいたらしい。しかし、途中で、来なくなる先生がいて、最終的には200人ぐらいになっていたということだった。
 今年は、必修というわけではなく、自由参加ということになっていた。そして、今日はクラス分けのためのテストが行われた。昨年同様300人を予定していたらしいのだが、集まった人数は、わずか70人。
 9時試験開始という連絡だった。さすがにテストの時にマーシャルタイムはないと思っていたのだが、甘かった。しっかり、1時間半遅れで、テスト説明が始まった。人数がそろわないので遅くなったのもあるが、そんな中、ウォジャ小学校の先生たちは、1時間遅れの到着。それで、間に合っているから恐ろしい。

2006年6月8日(木)
あれ?

 家で勉強中。英語の勉強が、面白く感じるようになってきた。気がつくと、2時間ぐらいが過ぎている。

2006年6月7日(水)
食事会

 夏休みに入ったというのに、体調はすっきりしない。昨日の夜は寝付けず、今日の朝の寝起きも悪い。
お昼ごはんは、教育省のマーシャル人を含めた4人と、小学校協力隊員6人で、マーシャル唯一のエンマンレストランで食べる予定があった。だから、ダウンタウンに出て行かなくてはならないので、午前中に、デラップ小学校で行われているサマースクールを見に行こうと思っていた。
しかし、朝の動きが鈍く、ダウンタウンに出る準備が出来たのは、11時になってしまっていた。結局、サマースクールには行けなかった。
 初めて教育省の算数部のマーシャル人と話しが出来た。細かい話はせず、お互いの顔見せという感じで、食事をした。教育省のマーシャル人は、レドニンという。うどん好きで、おはしを使いうどんを食べていた。土曜日から、2ヶ月間、日本へ研修に行く事になっている。

 昨日の夜から、久しぶりに、電話の調子がおかしくインターネットがつながらない。だから、昼食後、電話局へ調べてもらいに行く。今までの経験から、窓口には行かず、直接、修理担当部のところへ。問題は、簡単に解決。ローラで、電話線の工事をしていて、そのため、ローラ方面一帯は、調子がおかしくなっているらしい。夜には、直るということだった。しかし、その言葉を、そのまま信用はしなかったのだが、家に帰ってみると直っていたので、一件落着。

2006年6月6日(火)
特になし

ローラ小学校2年生のダンス

 体調は、いまいち。だから、家にいて、特に何もなし。
 夕方、外海に行くと、引き潮になっていたので、沖の方まで、てくてく歩いて行く。

2006年6月5日(月)
サマースクール

 家にかえるバスで、学校の先生に会った。
 その先生は、デラップ小学校のサマースクールに教えに行った帰りだといっていた。ウォジャ小学校には、サマースクールがないので、その先生は、デラップに行っているらしい。マジュロに7校ある小学校のうち、5校でサマースクールをしていると、その先生は言っていた。なんか、ウォジャで、やらないのが不満そうだったが、校長が決める事だから、何とも言えないのだろう。
 行っていない学校は、首都のはずれにある、同じような環境のウォジャ小学校とアジャルタケ小学校の2校で、ダウンタウンにある学校と違って、全校生徒がバス通学なので、サマースクールをする事の問題もあるのだろう。

2006年6月4日(日)
食事

 風邪の具合が万全ではないので、ドミトリーでの1日生活。夏休み期間中なので、ドミトリーには、離島から帰ってきている隊員が数人、生活をしている。だから、ドミでは、食事を一緒に食べることが多い。
 ドミには、各島から持って帰ってこられた、海の幸がある。今日の食事は、ジャルートという島から帰ってきている隊員が、持って帰ってきた魚を刺身にし、サラダに味噌汁。

2006年6月3日(土)
帰国ラッシュ

 風邪もなんとなく落ち着いてきたので、夕方から、またまた、行われる隊員送別会に行った。学校隊員が多いマーシャルは、学年末の今の時期に、任期を終えて帰る人が多い。

2006年6月2日(金)

 家で、風邪療養。
 マーシャルの雨季の雨は、日本の梅雨のように、しとしと雨が続くのではなくて、滝のような雨が、時々降る。晴天の日でも、突然その雨は来る。夕方、海岸にボケッとしに行くと、海岸は晴れているのだが、海の向こうでは、厚い雲がかかり、そこから黒い筋が出ているから、土砂降りなのがわかる。今日は、海の向こうで関係ないが、これが、道の向こうから来ていると、けっこう恐怖である。
写真の向こう側で、縦に黒くなっているのが雨。

2006年6月1日(木)
1日停電

 風邪が治らず、今日は停電。朝の9時から夕方5時まで。前もって情報は入っていたので、朝のうちに、停電対策はしておいたのだが、暑かった。朝は、まだよかったが、お昼過ぎから、動かなくても汗が出てくる。窓を全開にしているのだが、風は、ほとんど通らない。
 マーシャルには、雨季と乾季がある。その変わり目はよく解らないのだが、日本の冬の時期が乾季で、夏の時期が雨季。そして、乾季の時は、強い風が吹き、海が荒れている。反対に、雨季の時は、風邪が弱まり、海も穏やかになる。今は、雨季になっているのだろう。3月頃までは、窓を開けていれば風が吹き抜けて、気持ちよかったのだが、その風が、ほとんど入ってこない。
 でも、風邪は悪化することなく、何とか現状維持の感じなので、まあ、よかったとしておこう。