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2006年5月31日(水)
発熱

 昨日、帰る予定だった隊員は、今日無事に飛び立っていった。
 3日間ドミトリーで、風邪を引いている体育隊員と過ごしていたため、見事にうつされてしまった。帰りのバスを待って、炎天下に2時間半いたのも良くなかったのか、家に帰ってくると、熱が出ていた。
 なぜ、2時間半もバスを待つことになったのかと言うと、午前中にドミトリーを出てバスを待っているところに、スクールバスがやってきて、今から街に出て、1時ごろに引き返してきて、またドミの前を通ると言うので、それに乗せてもらうことにして、1時まで、ドミの中で待ち、1時から、外で待っていた。1時間ぐらいは遅れると予想していたのだが、それが2時間半。途中、余計な約束はしなければよかったと後悔しつつ、待たされる事になってしまった。マーシャル人と時間の約束はしないに限るのは解っているが、また、やってしまった。

2006年5月30日(火)
飛ばなかった飛行機

 今日、日曜日に送別会をした隊員の帰国の予定だった。しかし、飛行機が飛ばなかった。国際線なのに飛行機が飛ばない。昨日、グアムからマーシャルを経由してハワイに飛んでいる飛行機が、何かのトラブルで、ミクロネシアで引き返してしまった。だから、みんなの予想では、今日は、グアムからハワイへの便と、ハワイからグアムへの便の2つ飛ぶものだと思っていた。しかし、今日飛んだ飛行機は、グアムからハワイへの便だけ。ハワイからグアムへの便は、明日ということだった。
 グアムを出て、ミクロネシア、マーシャルを経由して、ハワイまで飛んでいるアイランドホッピング号と呼ばれる飛行機は、毎日片道の一便で、同じ飛行機が往復している。だから、昨日、止まってしまった飛行機が、もう一度、ハワイまで飛ばないと、ハワイからグアムに飛ぶ飛行機がないのだろう。
 と言う事は、今週一週間、全ての便が1日遅れになり、そのために、1日のずれが出来てしまった乗客に対して、ホテル代と食事代を航空会社が出す事になっているから、かなりの額の損失が出る。飛行機の台数に余裕はないのだろうか。

2006年5月29日(月)
第9回小学校部会

 小学校部会を開き、来年度に向けて、夏休み中にやっていく事などを話し合った。教育相の話し合いでは、私たちが作ったカリキュラムに対して良い返事はくれていないが、各隊員のいる学校では、やる事に問題はないというので、そのための準備をしていく事になった。
 まず、新しく作ったカリキュラムでは、アメリカの教科書では示されていない指導段階をつけて教えていく単元があるので、そういう単元が、マーシャルの先生でも出来るように、指導案の作成をすること。次に、単元ごとの指導の成果と問題点が解るように、確認テストの作成をすることを、夏休みを通してやっていく事になった。
 そして、新しいカリキュラムで、教育省と協力してやっていけるわけではないので、新しいカリキュラムの学習の効果を報告する機会を持って行こう言うことになった。教育省や学校の先生に対して、指導をした事の振り返り方と、問題点の考え方を、伝えて行きたいと思っている。
 マーシャルでは、教育省も含めて、指導の振り返りが出来ていない。やらせっぱなしで、それを、どのようにより良くしていくのかと言う考え方が出来ていないので、そういう点を指摘していく予定でいる。

2006年5月28日(日)
日曜日の移動は大変

 昨日のピクニックで、学校での活動は終わり、夏休み突入。と言っても、決して遊んで過ごす訳ではない。今年1年を振り返り、来年度の活動のための準備をしていく予定でいる。
 
 日曜日はバスが動いていない。だから、今までは、日曜日にダウンタウンに出る事はしなかったのだが、今日は、ドミトリーで、帰国する隊員の送別会があるため、ヒッチハイクでダウンタウンに出ることにした。
 しかし、日曜日は、クリスチャンが多いマーシャル人にとって、完全休養の日。バスどころか、走っている車が、ほとんどない。歩きながらヒッチハイクをしていたのだが、30分を過ぎても、止まってくれる車はない。このまま歩いていても、出来るかどうか解らなく、もう引き返そうかと思っていた所に、ローラの台湾ファームの車が来て止まってくれた。マーシャルでは、日曜日は動くものではない。家でのんびりするか、教会に行くのが一番。

2006年5月27日(土)
やっとピクニック
  
ローラから。
向こうの一番左の島が
スモールアイランド

ボートは満員

島まで歩いてます

 今日は、7,8年生のピクニック。昨日の夜に、今日、ピクニックにいく事を言われ、「明日、スクールバスが迎えに行くから。」と言っていたのだが、これまでに、2度置いていかれているので、今回も、期待せずに待っていようと思っていた。
 すると、朝、寝ている時に、車のクラクションとヨシアキと呼ぶ声。寝過ごしたかなと思い時計を見てみると、まだ、7時半。今回は、むちゃくちゃ早い時間のお迎えだった。時間を聞いても意味がないので、聞かなかったのだが、今回の早さにはやられた。しかし、早くに来たからといって、早く始まるわけはなく。船着場で、それぞれの到着と、船の準備を待ち、ピクニックの場所に着いたのは、12時を過ぎていた。
 今日のピクニックの場所は、発上陸のスモールアイランド。ローラとロンロン島の間にある。ローラから船で、30分程度の距離。砂浜がずーと100メートルほど続いている島。船が着いたときには、引き潮だったので、船が海岸までいけず。ひざほどの深さを100メートル、歩いて島まで行った。
 子ども達は、浅い海なので遠くまで行って水遊びをしたり、釣りをしたりしている。その間、大人が、食事の準備をする。私は、早起きだったのでお昼寝をし、それから島散歩をしていた。服を着たまま海に入る事になれないので、海には、足をつけた程度。やっぱり、砂浜が続く海岸はとてもきれいだった。

2006年5月26日(金)
卒業パーティー

今日の食材

超デカケーキ。
手前は500mlペットボトル。

卒業生達

 教育省の前シニアとは、あれからもメールを行い話し合いでの事を確認していた。メールでは、なんとも進展はなかったのだが、他の隊員も、それぞれに前シニアと交渉をしていたので、もう一度、話し合いを持つ事になった。どういう心境の変化かは知らないが、もう一度話し合いをし、お互いの考えを言う場が持てたと言うことに意味があるので、そこにはこだわらない。
 話し合いでは、私たちが作ったカリキュラムを、どのように来年度行っていくかということ、その目的や方法などの話しをした。そして私達の意図しているところはわかったというのだが、前シニアが、最初からこだわっている年間時数に、なんだかんだで話が戻ってしまい。簡単に言うと、マーシャルの教育のためにどのように考えているかという視点で、私達は話しをしているのだが、前シニアは、細かい事から抜け出せず、話が進まないし、進んでも、結局後戻りしてしまうというように私は捉えている。教育省の考えから言うと、そこにこだわらなくてはいけないと言うのだが、その視点が私には解らないし、理由の説明をしてくれない。だから、細かい事に、なぜ、こだわっているのだろうという見方になってしまう。
 まあ、これからも、話し合いを持ちながら、考えていくというようになってきたので、お互いの考えを言い合える場があることで、今はいいと思う。

 夜は、8年生の卒業おめでとう&ワールドティーチありがとうパーティーがあった。英語を教えているワールドティーチのボランティアは1年間なので。これで終わりになる。7時開始予定が、今回は、マーシャルタイムをかなりオーバーの10時始まりだった。教育省での話し合いが、長くなったので、遅くなると思い電話を入れたのだが、まったく必要なし、学校に着いたときは、まだ、職員室のドアは開いてなかった。準備は、保護者の人たちがしていた。
 食事をしながら、迫力満点の女の先生ダンスに、子ども達の歌があり、ワールドティーチには、たくさんのプレゼントが贈られていた。



                                       
                                            踊る先生と歌う子ども

2006年5月25日(木)
ウォジャ小学校卒業式

1・2・3年生の壁を取り大広間に

証書をもらう

証書をもらった後、並んだ卒業生
首には、ガムのネックレスがたくさん

 3時開始予定だった卒業式。始まったのは4時過ぎ。1時間遅れ。マーシャルにしては、なかなかいい方である。
 式の流れは、国歌斉唱。お祈り。教育省の人など、2人からの話。それぞれ、8分程。各学年の成績優秀者の表彰。卒業証書授与。校長からの話。全員で歌。
 卒業生は、おそろいの服で式に登場。このアロハシャツは、私も特別にもらい。同じ格好で式にでた。

 約1時間で終わった。終わった後に校長が、ウォジャ小学校の式は、早く終わるようにしていると言っていた。長くだらだらやっていても疲れるだけだという。どのような式でも、1人ひとりの話が長くて、だらだらとやっているマーシャルでは、この考え方は、特別だと思う。卒業証書授与は、1人ひとりに証書を渡していくのだが、もらい方の形があるわけではなく、ほとんどの子が片手で受け取り、10秒間隔位で次の子が来るので、式のメインであるはずのところが、すぐに終わってしまった。
 
 成績優秀者は、1年、2年は2人だったが、上の学年は5,6人が表彰されていた。1年間の全教科の平均得点が、90点以上だと、ファーストオーナーになる。80点以上は、セカンドオーナー。70点以上は、サードオーナー。70点以上を取れば表彰されるわけである。ファーストオーナーになっていた子は、ほとんどいない。そして、50点だと思っていたのが、59点以下は、落第になり。成績がついた時点で、落第をする子は決まっているらしい。

2006年5月24日(水)
体育隊員ローラへ来る

ココナッツの葉で作ったバスケット

 昨日のローラ高校卒業式で、食べ物をもらって来た。焼き魚、干し魚、チキンの丸焼き、ココナッツ、パンダナス。一緒に見に行っていた体育隊員と2人で食べろと言われてもらって来たのだが、分ける事が出来ず、1人で持って帰ってきた。しかし、1人では食べきれない。
 今日、もう一度、もらった食べ物を持ってローラへ行き、ローラ小学校隊員も含めて、3人で食べた。もらった物を長く置いておく事ができないので、すぐに食べてしまわないといけない。

 体育隊員(野球隊員)が、昨日、ローラへ引っ越してきた。野球が出来るグラウンドがローラにしかなく、ローラに引っ越して、野球を普及したいと言っていた事が、約10ヶ月かかり、ようやく実現した。これで、マーシャルでも、野球ができる日が近づいてきた。

2006年5月23日(火)
ローラ高校卒業式

入場

空に上がっていく風船
卒業生一人ひとりを表している

メダルをお母さんがかけてあげる

 午後、3時開始予定の卒業式。4時に行ったが始まっていない。卒業式でもマーシャルタイム。卒業生も、まとまって4時過ぎに来ている。時間が遅れることは慣れたが、この感覚が、まだ、解らない。主役も4時過ぎに来るのに、なぜ、3時開始という発表をするのか。3時開始予定は、5時開始というように考えているのか、たんにグータラということではなく、そういう時間の計算をするのか。書いていることもよく解らないが、その2時間遅れを、どのようにマーシャル人たちが考えているのか。計算しているのか。
 
 場所は、スポーツ大会を行う広場。ナショナルバンドの演奏で、式は始まり、卒業生達が整然と入場してきた。偉い方たちの話に、子ども代表のスピーチ。卒業証書書授与。日本と変わらない。でも、成績優秀者の発表がたくさんある。科目ごとに行い、皆勤賞や、その他、よく解らないことまで、20人くらいは表彰されていた。そして、両親も壇上に上がり、子どもに、メダルを付けてあげていた。
 5時前に始まった式は、終わったのが、7時過ぎ。辺りは暗くなり、雨も降っていた。そして、卒業生が退場をし、それに続いて見に来た人たちも動いていく。その後、卒業生が一列に並び、その一人ひとりと握手をするために、見に来ている人たちが行列を作っていた。卒業生の首には、たくさんの一続きになったガムが掛けられていた。マーシャルでは、お祝いのとき、首にお金の首飾りや、ガムの首飾りをかけることが多い。
                  2年生の先生と娘(首にかかっているのがガム)→

2006年5月22日(月)
成績表を受け取る

成績表内側

成績表外側

 成績表をもらって、午前中で学校は終わり。もらった成績表を片手に、何かいつもと違う感じで、学校から家に帰っていく子ども達の様子は、日本とおんなじ感じがした。
 マーシャルの成績表は、日本の形式とよく似ている。おそらく、以前のボランティアが指導して作ったものだと思う。科目ごとの成績があり、生活態度の評価があり、先生のコメントと、出席日数。
 学期末の先生からのコメント欄には、進級おめでとうというようなことが書かれていた。成績表を見せてくれた子ども達は、そこを見せてくれながら、嬉しそうにしていた。マーシャルでは、成績表は100点満点で付けられ、それが50点をきると落第してしまう。と言う事は、来年進級できないという事が、すでに今の時点で伝えられてしまうのかと、気になったが、それは解らなかった。
 今日は、4学期の成績優秀者の表彰式をしていた。卒業式では、1年を通した成績優秀者の発表があるらしい。
 
 午後、ダウンタウンにスクールバスが出るというので、一緒に行きたいという事を運転手に伝え、自転車を家に置くために、ひとまず家に帰ってバスが来るのを待っていた。しかし、またまた、バスは来なかった。ほんとにどう言う事だ。

2006年5月21日(日)
頭グルグル

 グータラ日曜日なのだが、頭は、最近の話し合いでのことや、カリキュラムのことや、教育省とどう関わっていくのがよいかなど、いろいろな事を考えてしまう。もう、全部放り投げたい気持ちにもなり、落ち着かない。
 こんな時は、海に潜りたくなる。これは、海の民化?

2006年5月20日(土)
おいてきぼり2

 昨日のピクニックは、幼稚園、1・2・3年生が行っていた。今日は、4年生のピクニックがあった。タレントショーで会った先生に、なぜ来なかったのかといわれたので、バスが来なかったというと、明日は迎えに行くように言っておくと言ってくれていた。
 しかし、またしても、バスは来なかった。どういうことだ。

2006年5月19日(金)
ローラ小学校タレントショー

1年生の女の子ダンス。
左前で踊っている子は、
すでに、すばらしい腰使い。
大盛り上がり。

3年生。立派に踊っています。

ウォジャ小学校

 今日、学校は休みで、ピクニックに行く予定だった。が、バスが迎えに来ない。おいていかれた様だ。ピクニックがあると言われた時に、ああ解った。行くよ。という返事をしただけだったから良くなかったのだろう。しっかり、迎えに来てくれというべきだった。
 
 ピクニックに行くつもりで、待っていたので、お昼ご飯を食べたのは、6時になっていしまった。そのお昼ご飯で、環境教育隊員の両親がマーシャルに来られた時に頂いた、インスタントの味噌煮込みうどんを食べる事にした。環境教育隊員は、名古屋出身で、味噌煮込みうどんは名古屋名物である。その隊員曰く、「味噌煮込みに、卵は、絶対必要。玉がない味噌煮込みは、味噌煮込みではない。」だそうだ。
 だから、卵を落とす事にした。生産年月日は、3月2日。2ヶ月以上たっている。うどんの中に落とすので、完全な生ではないと思うが、黄身はどろっとしているままで食べた。そして、見事、私のお腹は打ち勝ち、下痢ピーピーには、ならなかった。2ヶ月以上経った卵も、半生で食べられます。しかし、うどんは、うまかったのだが、卵は、まずい。やはり新鮮なものがいい。

 そして、タレントショーの開始は、7時だと聞いていたので、7時にローラに向かった。けっこう早くヒッチハイクが出来、7時過ぎに学校へ到着した。始まったのは、7時半だったので、30分遅れ。マーシャルにしては、上出来である。1年生から、学年ごとに、歌や踊りを披露していき、保護者もダンスを披露。2週間かけて、練習してきたのだという。2年生は、「チューリップ(チューリップは解らないのでローズ)」と「大きな栗の木(栗は解らないのでニー[ココナッツ])」を、日本語の歌詞でふりをつけて歌っていた。ローラ隊員が教えたらしい。学年の出し物は、それぞれに工夫をしていて面白かった。そして、やはり、男のダンスは腰の動きの激しさで、女のダンスは、腰の動きのしなやかさで、みんなは、盛り上がっていた。
 終わったのは、11時過ぎ。小学校の学芸会でも、マーシャルは、夜に行う。1年生でも、遅くまで、見ている子もいる。

 そして、帰るための車をつかまえようとしたが、これが、つかまらなかった。ウォジャ方面に帰る車を探していると、「どこに帰るのだ。」と、声をかけてくれる人もいる。優しいマーシャル人である。結局、そういう人が、学校のバスが、ウォジャ方面に行ってくれると教えてくれ、ローラ校長に交渉し、しばらく待ってから、家に帰れることになった。12時頃にバスに乗っていたのだが、ローラは、マジュロ環礁の西端の人が多い土地で、店も多い。12時でも、開いている店があり、そこで、若者がたむろしているのを見かけた。店自体が少ないウォジャとは違う風景だ。

2006年5月18日(木)
ダンス練習

幼稚園はクーラーがあり
快適な場所。

カメラを貸すと、撮影会に
バッテリーが切れるまで
写し続けた。

 昨日から、7年生の女の子が、ダンスの練習をしている。
 授業がなかった今日と昨日は、子ども達は、午前中だけ学校へ来て、掃除をしたり、遊んでいたりした。しかし、幼稚園の建物から、大きな音で音楽が流れてくるので、のぞいてみると、ダンスの練習をしていた。10時頃から始まった練習は、みんなが帰ってからも続き、終わったのは、3時頃。
 しかし、5時間、気合の入った練習を、ぶっ続けでしていたのかというと、そこは、マーシャル。そうではなく、踊っているメンバーは、たえず変わっている。その子の気分で、踊りたい時に踊っているようだ。途中で、話しをしていたり、外に、バレーボールをしに行ったりしていた。
 マーシャルは、南国。踊っている子達は、アロハダンスのような、独特の腰の動かし方をする。それも、クイッ、クイッと、切れがよく、動きが早い。それが、なかなかすごい。腰の動きのいい子が、ダンスがうまい子なのだろう、そういう子が、一番前で踊っている。
 日本で、高学年でダンス指導をした時、「ダンスは、腰だ。」と言って、少し腰を動かして踊りを見せると、やだーと言われていたのとは違う。日本の子達に見せてあげたい。
 
 なぜ、練習をしているかと言うと、明日、ローラ小学校で、タレントショーという、学芸会のようなものがある。それに、ウォジャ小学校から、7年生の女の子達が参加するため。このタレントショーは、ウォジャ小学校では行われていないが、前に、アサンプション高校でやっていたし、他の小学校でも行っている所もあり、学年末のマーシャルのイベントみたいだ。
 
 ダンスの動きは、子ども達が考え作っていて、大人が指導しているわけではない。そして、誰が指導するわけでもなく、見ながら、覚えていっている。タレントショーに出ない子達も、見て踊って、覚えていっている。そして、おそらく、その子達が成長して、踊りを考え、それを、見ながら小さい子達が覚えていって、受け継がれているのかと思った。

2006年5月17日(水)
峠越え

授業が終わり大掃除。飲料水を受け取る屋根を特
にきれいにしている。汚れがけっこう落ちてきている。
これを、飲んでいるのだなあ。と、しみじみ思った。

卒業パンフレット用の撮影。
決めのポーズは、斜め向き。

 今日は、マーシャルに来て、310日目。活動日数が618日なので、活動の峠を越えた事になる。半分が終わってしまいました。1年を振り返り、来年度の活動の見通しも出てきて、来年度に向けてやっていこうと思っている事が、色々とあるのだが、カリキュラム改訂の話が、昨日の時点で、中断してしまった。他の隊員もそれぞれに話しをすると言っているので、壊れてしまった私としては、申し訳ないが、それによって、いい方向に行ってほしいと思っている。
 明るい気持ちで半分を終えられなかったが、それならそれで、やっていこうと思っている事を、やっていくしかない。

2006年5月16日(火)
教育省での話し合い、その後

2年生の子達。なぜか、返したテストを見せてます。

4年生の子達

 2,4年生のテストを返し、3年生のテストを行った。これで、1年間の学習はおしまい。足し算、引き算の同じ問題を、各学期繰り返してきた結果。点数は伸びてきた。
 この一年間、学校の先生に対する指導、子どもに対する指導を、中心に行ってきたが、先生の授業に対する取り組みは、私がいて、言ってくるからというのもあるかもしれないが、改善してきていると思う。子どもたちが、勉強楽しいと言ってくれるようには、もう少しがんばらないといけない。
 
 夏休みに来年度の準備が出来るように、そして、来年度の活動の方向性を決めるために、教育省と話し合いをして、その後の動き方も、ある程度決まったかと思っていたのだが、教育省の前シニアから、修正案は、言ったとおりにできていないから、やり直せと言うようなメールが来た。返事を出したのだが、また、やり直せと言うようなメールが来た上、今度は、話し合った事を勝手に変えてどういうことだ。付け足した単元を補助の形ではなく、年間指導に組み込めと、一方的な内容が帰ってきた。

 メールでのやり取りでは、拉致があかなそうだったので、電話をした。そして、お互いに、話し合いでの結果で、考えの違いが合ったようなので、もう一度話しあいをしましょうと言ったのだが、私の考えはもう伝えた、あなた達が、それを行うかどうかだと、話し合いを持って考えていくのではなく、言うとおりにしないと駄目だという事を言ってきたため、話は決裂。もっと色々、話しをしたのだが、日記では書けないので、簡単にまとめると、こういうことだった。最後には、あなたが、もう少し融通が聞く人だったらいいのにと言うので、それはあんただろと思い。俺も、あなたにそう思っていますと返事をしたところで、話が終わった。腹が立つというより、悲しくなった。
 他の事ではともかく、今回の事だけで言うと、言うとおりにしろと言って来る人間と、話し合いを持ちたいと言っている人間。どちらの融通が利かないのか、そんな事わかりきっていると思うが、違うのでしょうか。

2006年5月15日(月)
テスト期間

1年生テスト中

一年生テスト中

 学期末テストの日になった。今日は、1,2,4年生のテストを行う。自分の答えに自信がなくカンニングをして、間違えた答えでも写してしまう子達が多いので、それぞれの席を離してテストを行う。前学期は、順番を入れ替えた2種類のテストを作って、見てやっても出来ない事を教えていった。授業中にも、自分の答えに自信を持つことと、カンニングはいけない事だといっている。改善されてきているが、まだまだ、見てしまう子は多い。

 テストをしているのを見ていて思い出した。私は、高校の時に、学期末テストの国語で偏差値5をとったことがある。偏差値5を見たのは、その時が初めてで、そんな数値がつくのかと驚いたし、今までも、偏差値5は見た事がない。おそらくそんなに取れるものではない。
 そのテスト問題だが、森鴎外の舞姫が全文載っていて、そこから問題が出されていた。テスト時間50分では、問題を読んでいて終わってしまった。友達に、全文が載っていて、なぜ出来たのかと聞くと、問題なんか読んでいない、授業中でやっていた問題ばかりだと言う。授業を聞いていない私は、問題は、読まないと解らない。確かに、授業を聞いていない私は良くないが、問題を、ちゃんと読んで、50分で出来ないテストが、一番良くないと言っていた。
 あの時は、それを言っても、ああそうかと、取り合ってくれなかったが、先生になって確信した。50分と言う制限時間がある中で、舞姫全文を出すテストは、考えられたテストとは言えず、先生の手抜きでしかない。
 平均が70点で、得点分布が広がっているわけではなく、ほとんどの子が70点近辺だった中で、私だけが10点を取っていたらしい。テストに関しては、納得いかなかったが、みんなちゃんと授業を聞いているのだなあと、感心はした。

2006年5月14日(日)
日の入り

 いつもながら、引きこもりの日曜日。しかし、これではいけないと、夕方、海を眺めに出て行った。赤道に近いマーシャルも、日の入りの場所が、かなり動いている。
 3月頃までは、太陽は、海の中に落ちていっていたのだが、雲が邪魔をして、沈む夕日を見ることが出来なかった。今日は、見ることが出来るかなと、少し期待しながら、海岸に出ると、太陽が沈む位置が、海ではなく、私が見ている場所からは、陸に落ちていってしまい、海に沈む夕日が見られなくなってしまっていた。マジュロ環礁の私の家がある場所は、東西に細長くなっているので、今は、ちょうど、真西に落ちて行っている事になる。海に落ちる夕日を見ることが出来る場所を探さないといけない。

2006年5月13日(土)
賞金

 ここ一ヶ月かけて行われている、バスケットボール、バレーボール大会。小学校から大人まで、スポーツを行っていて、他には、サッカー大会、ソフトボール大会をやっている。
 ウォジャ小学校は、男子バスケットとバレーボール。女子バレーボールに参加していた。各小学校、高校で、参加している種目は、いろいろ。
 小学校大会の各競技の優勝賞金は、なんと500ドル。2位が400ドル。3位が300ドルらしい。マーシャルは、先生の初月給が600ドルだから、かなりの高額である。そして、ウォジャ小学校は、男子バスケットが3位。男子バレーボールは、今日、決勝戦があった。見に行けなかったので、結果は解らないが、2位でも400ドルだから、最低700ドルもらえる事になる。昨日、それだけもらえると、先生がうれしそうに話していたので、もらったお金はどうするのかと聞くと、ピクニックに行くための、食べ物と飲み物になるらしい。

2006年5月12日(金)
来年度のカリキュラムについての話し合い

 教育省の日本人と、来年度のカリキュラムの改定について話し合いを持った。最初の予定では、教育省の算数課にいる3人との話し合いだった。その3人と言うのは、現シニアボランティアと前シニアボランティア、マーシャル人で、日本人が2人にマーシャル人が1人と言う構成である。その内の2人は来られなくなったので、今回は、教育省への話し合いと言うわけではなく、前シニアボランティアの人に対しての話し合いになった。
 話し合いは、私達協力隊員が作ったカリキュラムの改訂版を、来年度、教育省で採用をしてもらうために、まず、私達の考えを聞いてもらい、現カリキュラムの問題点を提示して、新しく変えた事を伝えた。
 そして、現カリキュラムに問題点がある事は、前シニアの日本人も解っていると言っていたので、私達の作ったカリキュラムをよりよい形で、考えていこうと言うものだった。
 ほんとは、もっと早く話し合いを持ち、作っていく段階で、MOEとしての考えを聞きながらやっていきたかったのだが、出来ない出来ないと言う返事で時間が過ぎ、私達だけで作り上げた今の時期になって、やっと話し合いをもつ事ができた。
 だから、避けたかったのは、現カリキュラムを否定して、新しいカリキュラムを作っていると思われる事だった。一緒に作ってきた教育省配属のシニアボランティアの人がいるので、その人から、教育省のメンバーには、私達がどのような思いで作っているのかは伝わっていると思っていたけれども、それが、まったく伝わってないと解り、その上、前シニアの人が言っている事は、私達のやっている事に対してあまりいい思いを持っていないということだった。そのため、つまらない余計な心配をしなくてはいけなくなった。

 まず、前シニアの人が、カリキュラムを変える気があるのかどうかを確かめた。ここで、変える気がないのに、話し合いをしても仕方がないし、話し合った上で、後から変える事は出来ないと言われる事を、前もってなくしておくためである。
 話し合いは、やはり、変えると言うことまでは考えていないらしく、来年度は、カリキュラムの補助資料と言う事で提示していこうと言う事になってきた。それで、私達の学校で行う事ができ、MOEに反対してカリキュラムを使用しているわけではなくなるのだから、それでいくことで同意した。
 その上で、MOEの資料として出すために、改善して欲しいと言われた点を直して、改めて提出するということで話はまとまった。
 その改善点は、私達は、各学年、余裕をもたせ、130時間程度で作っているので、年間授業数が150時間あるので、時間が余りやる事が解らないと言う先生のために、150時間になるように単元を増やして欲しいと言う事だった。年間150時間しかない中で、150時間分の指導内容を入れることは、授業の余裕がなくなり、時間いっぱいの計画で提示するなんて事はありえないことで反対だったが、時間が余るという先生もいるとは思うので、そういう先生のために補助単元として付け足そうと言うことで、話は終わった。

2006年5月11日(木)
復習

 復習に入った。毎時間、教室で話した事は、
「今日は、復習をします。これをしっかりやれば、最終テストはいい点が取れるでしょう。学校で勉強をして、もう一度、家に帰ってから、見直して勉強しなさい。そうすれば、大丈夫です。」
「今、隣の子の答えを見ながらやったら、テストでいい点を取れません。自分でやるから、覚える事ができるし、テストでいい点が取れます。」
 これを言いながらやらせると、いつもは、ちらちら見ている子も、自分でやっていたし、いい子達は、大きくうなずいて聞いていた。
 これは、マーシャル語で話しをしている。と考えたら、この一年で、マーシャル語も、それなりに話せるようになっているのではないかと、自画自賛したりする。簡単な単語を並べているだけであるが、子どもが、解ってくれているから、エンマンだ。

 今日、男子バスケットの2試合目があった。対戦相手は、名門私立のアサンプション。1点差のシーソーゲームで息づまる試合展開。そして、一時は、5点差をつけ、ウォジャ有利だったのだが、最後に、気が抜けたのか、ミスをつかれて連続シュートを決められ。逆転負け。みんな悔しそうな顔をしていた。

2006年5月10日(水)
体が痛い

 体が痛い。1日走っただけで、全身筋肉痛。特に股関節の動きが鈍い。と言うわけで、朝、早く起きたのだが、ランニングに行かなかった。意思が弱い。
 
 今日で、今年度の授業は、全て終わり。明日からは、復習を行う。1年間で習った大事なところを、もう一度、やっておくのだが、おそらく、毎日繰り返しやっていないことは、ほとんどの子が、忘れていると思われる。

2006年5月9日(火)
早朝ランニング

 4月には、下痢になったり、長い間、体調が良くなかったりしていた。体調が良くなかったために、体を動かす事も少なく、体力の低下を感じる。そして、体がカチコチで、柔軟体操をするのが、一苦労だ。
 と言うわけで、朝のランニングをした。訓練所時代と同じく、6時30分に起きて、柔軟体操をしてから、走り出した。
 マーシャルに来た頃に走っていたよりも、体が重く感じる。花子もついてきた。でも、花子は、いつものように、途中から近所の犬が怖くて、ついてこなくなった。そして、1人で走っていると、道沿いの家から、犬たちがうるさいく吼えてくる。石を投げるまねをして、追い払いながら走っていると、真後ろから、犬が、すごい速さで走ってくる足音がしたので、やばいと思って、振り返り石を投げようとすると、花子だった。怖いのを我慢して、猛烈な勢いで追いかけてきたのだろう。
 しかし、犬に吼えられ、何度も石を投げるふりをしながら、走ってきたが、来た時より、タイムが落ちていた。体力作りの必要あり。

2006年5月8日(月)
最後の一週間

 今年度の授業も、今週1週間で終わり。来週は、最終テストを行い。その後の日は、掃除や卒業式の準備などを行うらしいが、それが、2週間あり。先生たちに何をするのか聞いても、よく解らないという。解っているのは、校長だけだそうだ。それで、問題なくこと運ぶのが、マーシャル。
 そして、卒業式が25日にあり。それが終わると、3ヶ月の長ーい夏休みに突入する。

2006年5月7日(日)
掃除

 最近、日曜日は、家にいる。今日も、ずっと家にいた。そして、掃除をした。
 この頃、軽く掃除するだけで、隅々までしていなかったので、いっぱいほこりが出てきた。砂粒がたくさん出てくるのは、毎日、サンダル生活のマーシャルだからでしょう。私の足は、サンダルの後がくっきりついている。

2006年5月6日(土)
第8回教員の会

 今日は、それぞれの学校で行っている授業方法の紹介を、中心に行った。
 デラップ小隊員からの紹介は、3年生、長さの学習で使った練習プリント。繰り返し練習して、定規の使い方を理解できるように考えて作っている。
 リタ小隊員からは、現地の先生にウォームアップの方法を紹介したワークショップのためのプリント。フラッシュカードで出来る指導の方法を考えていた。
 ウリガ隊員からは、4年生、分数の学習の時に行った最終テスト問題。
 私からは、2年生、4年生のノート紹介と、4年生の2桁×2桁のノートの書き方。
 これから、それぞれの学校で行っている事の意見交流を行っていこうと思っている。

2006年5月5日(金)
飲み会で

 日本では、ゴールデンウィークの真最中。しかし、当たり前だがマーシャルにゴールデンウィークはなく、昨年に引き続いて、ゴールデンウィークのない年を過ごしている。
 そして、しっかり一週間働いて、学校が終わってからダウンタウンに出てきた。今日は、調整員の方と飲む約束をしていた。マーシャルの教育の実状を聞いてもらい、来年度からの隊員としての活動の方向性を考えるために、意見をもらった。協力隊の活動として、これまでの隊員が積み重ねてきたものもあり、ある程度の方向性を持って、派遣方法などを考えてきている事もある。それは大事にしたいと思うが、しかし、それがうまく機能せず、現在置かれている立場では、そのために活動が窮屈に感じることがある。
 結論。今、いいと思う事を、余計な事は考えず、その通りやればいい。

2006年5月4日(木)
3年生のジョニアン

右の男の子が、ジョニアン

 11月18日の日記に書いた3年生の欠席児童、ジョニアン。新しい年になった3学期の最初の2週間は休んでいたが、来た時に、学校を休まないようにしろと、耳元で言った。その後は、3学期中は、欠席が2日だけだった。
 4学期にはいってからは、欠席なし。毎日ちゃんと来るようになった。特に欠席の多かった3年生。学校を休まないようにしなさいと言う事を、何度も言っているので、4学期、まったく来ていない2人を除いて、ほとんど休まなくなった。
 4年生は、毎日3,4人。2年生は、毎日4,5人。1年生は、毎日5,6人休んでいる。同じように、4年生には、休まないように言っているのだが、あまり効果なし。
 ジョニアンだが、ここ最近、学校を休まないようになったのと同時に、やる気もすごく出している。最初に学校へ来た時は、生意気そうにしていたのだが、話も良く聞くようになり、もともと理解力は良かったので、成績もぐんぐん上がってきている。
 そして、びっくりした事に、バスケット大会で、7,8年生に混じって、3年生ながら抜擢されて大会に出ていた。活躍は出来なかったが、ジョニアンが出てくると、7,8年生の子達が、ジョニアンにボールを回してあげ、まだ体が小さいので、ガードの役割をやらせていたのが、何とも言えずよかった。大きい子達の中で、負けずに試合をしていた。おそらく、4年後には、チームのリーダーになっているだろう。

 今日も、競技会があると聞いて、ローラグラウンドまで行ったのだが、4時には、またまた野球をしていた。その上、今日は中止と言って、大会は、明日に延期。グラウンドまで来た先生と子ども達はなんだったのだ。でも、別に、何でもなかったように帰って行く。2時間待たされて中止になって、怒りも沸かず、これが、普通に感じるようになってきた。

2006年5月3日(水)
徒競争大会

100メートル走

観客

1500メートル走

 やっと徒競争大会が行われた。4時開始のはずが、4時前に行くと、ヤキュウをやっている。4時半になってもヤキュウは終わらない。そして、5時になってやっと、会場準備らしきものが始まった。でも、行われただけましである。と言える競技会だった。
 6年までの競技が急に中止になる、大会日程が決まらないなど、企画段階から、適当であることがわかる大会運営。当日も、子どもを招集するところから、超適当。競技が始まってからも、選手がそろわなかったり、2人だけで走らせてしまったり、選手がいないから、どう考えても学年が合わない子を走らせたり。この大会運営の適当さは、マーシャルのいいところでは、絶対ない。
 スムーズに行われる大会のほうがいいのは、マーシャル人も解っている。出来ないのは仕方ない。しかし、このような大会の運営を、外国人に任せきっていたから、今回外国人が関わっていないとハチャメチャになる。外国人にやってもらいながら、自分達は休もうとする考え方の悪さ、出来る様になろうとしないことが駄目だ。働かない人たちの集まりと言われる、国の体育教育課の人たちの駄目さが、思いっきり出ていた。

2006年5月2日(火)
バスケット大会

 昨日、校長が言っていたように、午前中で授業が終わった。午前中の最後の授業が終わり、1年生の担任の先生に、
「これで、今日は終わりだよね。」と聞いたが、
「午後もある。」と言う。
 少しして、子ども達が、バスに乗るように言われているので、
「やっぱり、午前中で終わりだ。」と言う。
 それぞれの先生に、連絡がまったく回っていない。しかし、特に問題にならない。みんなそれで納得する。
 午後の動き方がわからなかったので、バスドライバーに聞いてみると、
「2時から、ダウンタウンに行って、7,8年生が、バスケットの試合をする。」と言う。
「それじゃあ、ローラで行われる徒競争は、どうなるのだ。」と聞くと、

「4時にローラに行く。」と言う。
 それは、どう考えても、無理な計画だった。3時から、バスケットの試合が始まり、多少の遅れも入れて、1時間行ったとして、4時になってしまう。そこから、バスをとばして、ローラに行っても、5時になってしまう。ほんとに、徒競争大会にいけるのか不安になったが、校長も、バスケットの試合に行くと言うので、それについていく事にした。
 バスケットの試合は、各小中学校対抗で、トーナメント戦で行われている。場所は、ECCの体育館。日本の援助で、8年ほど前に作られている。マーシャルでは、かなり立派な建物である。しかし、管理が悪いので、床や観客席は、ガムがへばりついて汚れ、トイレは、壊われいる。
開始時間は、3時15分。終わったのが、4時15分。試合は、快勝だった。ウォジャ小学校のバスケットチーム、実は強かった。昨年も2位だったというし、児童数が少ないわりに、メンバーはそろっている。
しかし、心配なのが、徒競争大会がどうなっているのか。校長に、
「これから行くのか。」と聞くと、
「明日になった。」と言う。そして、
「明日、4時開始で、7,8年生が走る。」と言っている。
「1から6年生は、どうなったのだ。選手を決めていたじゃないか。」と言うと、
「なくなった。」
「なぜ。」と聞くと、
「予算がなくて、賞金が出ないからだ。」と言う。
 何だそれと思った。選手に選ばれ、行進の練習もしていた子ども達は、いったいなんだったのだろう。それでも、校長や先生たちは、何も言わない。マーシャル人が文句を言うはずはない。しかし、それじゃあ、子どもがあんまりだと思ったが、もしかしたら、子ども達は、賞金が出ないのなら、走らないと言うかもしれないと思った。
 日本のように、早くても遅くても、走る事に意義を求めて、とりあえず、最後まで、がんばって走るということは、マーシャルでは通用しない。でも、これは、日本のほうが変なのかもしれない。賞金目指して走る。金が出ないなら走らない。単純明快である。
 しかし、マーシャルにも、選手に選ばれた事を喜び、お金がなくても、走る事をがんばる子もいる…と思う。お金がないから中止と言う考え方は、すごく残念に感じる。これは、日本人だからという事なのだろうか。
 この意識改革は、必要なのだろうか、必要ないのだろうか。

2006年5月1日(月)
メイデー

行進

えらい人たち

台湾ダンス

 マーシャルの祝日。そして、お祭りの日。朝、9時開始予定で、ダウンタウンのメイン通りの体育館からニチジェラ(国会)までパレードがある。マ−シャル音楽隊を先頭に、小学校から高校までの生徒が、学校ごとに行進をしていく。ウォジャ小学校の7・8年生が、それに出るために、朝9時前に体育館に来た。すばらしい事に時間通り、びっくりである。始まるのも遅くなるだろうから、コーヒーでも飲んでゆっくりしていようと思っていたのだが、それは出来なかった。
 そして、パレード開始は1時間の遅れの10時。マーシャルにしては、これもかなり優秀である。まあ、11時ごろ始まるのだろうと思っていた予想は、はずされた。
 ニチジェラでメイデーの開会式が行われ、恒例の偉い方達の長い話があり、音楽隊の合奏、台湾の民族ダンスが行われた。台湾の民族ダンスを、始めて見た。開会式に来ていた台湾人の知り合いに話しを聞くと、開会式でダンスを披露するため、台湾から来ているらしく、その団長は、夜に、大統領の船で釣りに行くと言っていた。
 今、台湾からマーシャルに来ている人は、100人以上いるらしい。
 そうして出し物も終わり、午後からは、徒競争大会が行われる予定だった。そのために、ウォジャ小学校でも、選手を決めて、行進の練習もしていた。しかし、突然、明日へ延期したという。その連絡がいつ入ったのか解らないが、金曜日の時点では、今日行うと言っていた。
 各小学校が集まって行う大会が、急にどこの都合かは解らないが、変更されてしまう。それで、問題ないのだから、これも、驚きである。校長も、今日はなくなった。明日するから、午後の授業はなしと、何でもない様に言っている。