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2007年3月20日(火)
帰国報告

 帰ってきてから唇が乾く。顔がかさかさする。背中がかゆい。日本の空気は乾燥しているのがわかる。肌をいっきにやられた。ホテルの暖房も体に合わない。
 9時から、健康診断を行う。結果は2週間後にでるのでまだ解らないが、果たしてどうだろうか。1時間ほどで終り、マーシャル大使館へ行った。
 マーシャル大使館は、信濃町駅から歩いて15分ほどのマンションの一室だった。部屋番号は101号室。ここが大使館だと思って行かないと、おそらく誰も気づかないくらいに小さい。大使と公使、2人と話しをしてくる。大使は、マーシャルのおっさんと言う感じだったが、公使は、マーシャル人とは、雰囲気の違う落ち着いた人だった。
 昼飯は、日本料理やで、海鮮丼。うまい。
 午後から、JOCVのマーシャル担当の方と教育関係の方2人に、帰国報告を行う。マーシャルで感じた事、教育問題の事などを話した。20分の予定だったが、30分を超えて話してしまった。
 これで、私の隊員活動は、終了と言う事になる。一緒に帰って来た教師隊員とも、しばしのお別れ。日本で、それぞれの職場に戻る。日本出発から626日目。ほんとに短い時間だった。日本に帰ってから、電車に乗って、見慣れた風景を見ると、それは、2年前だったのだけれど、ついこの前に、見たような感じがする。

2007年3月19日(月)
研修

 日本に帰って来たから、鼻水が止まらない。朝、鼻をかむと、鼻血が出た。寒さで、鼻の中が弱まっているのだろうか。鼻血を出したのは、ほんとに久しぶりだ。
 広尾の研修へ、電車に乗って向かう。朝は、これまた寒い。日本人がいっぱい。日本語で話している。なんだか嬉しくなってきた。地下鉄の使える様になったスイカカードを、いきなり使った。
 外務省から、表彰を受け、メダルをもらう。その後、帰国後の手続きについて説明を受ける。昼食を挟んで、帰国後のOBOG隊員の日本での活動、開発教育についての話し。最後に、帰ってきてからの日本経済に対応できるようにと、日本経済の簡単な説明。終わったのは5時。
 夕飯は、またまた、もと体育隊員と一緒に6人で飲みに行く。今日のビールもうまい。サラダがうまい。今日も、だし巻き卵を食べた。うまい。明日は、それぞれ実家に帰るので、こうして集まって飲むのは今日が最後になる。また会うための再会の場を作る事を約束する。
 私達、マーシャル17年度1次隊は、それぞれがそれぞれのやり方や考え方があり、周りから見ると、仲が悪そうに見えるのかもしれない。でも、馴れ合いでだらだらとすることなく、それぞれが思うようにしながらも、一緒にいると楽しいというのが、私たちの仲のよさなんじゃないだろうかと言うような事を話していた。

2007年3月18日(日)
到着

 朝、10時前にホテルを出て空港へ行く。空港は空いていた。あまり待たずに出国手続きが終わる。そこでも、アジャルタケ隊員は、持ち物の中に、不審物があるといわれて、荷物検査をされる。プリンターを包んでいたのが、何かわからなかったのが原因だった。
 グアムでは、予定通り飛行機は飛び立つ。グアムから日本へは、3時間半かかるのだが、マジュロ−グアム間では、2時間程度で次の島についていたので、長く飛行機に乗っているのが変な感じだった。
 飛行機が、日本に近づいてきた。飛行機は、千葉の九十九里の方から飛んで行き、大きな大陸が見えてきた。そして、田んぼの中に家がある景色が見える。あの細いマーシャルから帰って来たのだなあと実感する。
 飛行機から降りると、寒かった。久しぶりに冷たい空気を感じた。半袖の人は、ほとんどいない。しょう油のにおいはしなかった。帰国手続きをし、荷物を受け取り、空港ゲートをくぐると、そこは日本。帰ってきました。
 空港の外に出ると、雪国のにおいがした。成田なのに、スキー場のにおいがしたことにびっくり。そして、久しぶりの冬空。寒い。バスの中で、缶ビールを飲む。うまい。
 今日と明日は、新宿のホテルに泊まり、帰国研修、健康診断と、帰国報告を行う。ホテルに着くと、さっそく、湯船をはり風呂に入る。気持ちいい。隊員から帰ってくると、湯船が真っ黒になると聞いていたのだが、そんな事は無かった。
 夕飯は、元体育隊員と会い居酒屋へ行く。久しぶりの生ビールがうまい。卵が新鮮でうまい。サラダがピキピキしていてうまい。日本の飯はうまかった。

2007年3月17日(土)
帰国

 とうとう、この日がやってきた。いつかは帰る日が来ることを考えていたけれど、帰ることになった今日は、嬉しいわけでもなく、悲しいわけでもなく、ただ、終わったんだなと言う感じだ。
 ずっと協力隊員になって海外で働きたいと思ってきていた。それがかない隊員になってマーシャルへ来た。マーシャルでの活動は、隊員活動に対して、いい事だけでなく、悪いことも思う事があった。隊員活動は、ずっと思ってきた私の1つの夢だった。それが終わった。
 朝、ドミトリーから空港に向かう。空港で手続きをして、隊員たちとのお別れをする。花子ともお別れをする。空港ゲートをくぐると、そこは、マーシャルでは無くなる。すこし遅れて飛行機は到着した。飛行機に向かう途中で、アジャルタケ隊員は、金網越しに見ていた人たちに近づいて行き、警備員につかまる。そして、もう一度、危険物を手渡しされた可能性があるということで、金属検査を受ける。マジュロ空港は、飛行機へ向かう通路と、見送りの人との距離が近い。
 そして、クワジェリン、コスラエ、ポナペイ、チュークと、経由しながらグアムへ向かう。ずっといい天気で、飛行機から下を眺める事ができた。コスラエで、名物コスラエみかんを買って食べる。ポナペイでは、研修へ行く隊員たちと、偶然の再会をする。
 グアムに着いたのは、クワジェリンで、なぜか停車時間が長く、1時間遅れだった。ポナペイ隊員は、この後、ヤップへ向かうのだが、グアム空港での乗り継ぎ時間は、1時間だけだった。だから、飛行機が遅れたため、ヤップへ向かう飛行機に乗れるかどうかぎりぎりだった。こういう時、どうなるのか。飛行機は、乗り継ぎをする人たちのために待っていてくれた。
 ホテルへ行ってから、ホテルにあるレストランで食事をして、買い物をしに行く。グアムは、やっぱり日本人が多い。そして、買い物も日本語で話しかけられる。日本へ近づいてきた。

2007年3月16日(金)
送別会

 朝、ドミからバスで、学校へ行く。学校で送別会があり、バーベキューをすると聞いていたので、朝早く行っても始まらないだろうと思って、10時ごろに学校へ着く。
 海岸で、数人の先生がバーベキューを作っていた。そして、送別会だと聞いていたのだが、いつやる事になったのか、スポーツ大会をしていた。着いた時は、徒競争をしていた。
 その後は、いすとりゲーム。日本との違いは、いすが内側を向いている事。いすの外を回りながら、音楽が止まると、内側に回っていすに座る。最後の一人が勝ち。
 次にボール送り。子供が一列に並び、股の下と頭の上からボールをまわしていく。日本でも運動会でやったりしている。マーシャルでは、ボールではなく、ヤシのみでやっている。
 次は、綱引き。最初の縄は、子ども達が縄を引っ張ったとたん、真ん中でぷっつりと切れる。縄が細すぎたと、太い縄をもってきて、これで再開。しかし、これまた、子ども達が引っ張ってしばらくすると、ぷっつりと切れる。みんな大笑い。もう縄がないと言って、綱引き終了。
 その時に雨が降ってきていたので、スポーツ大会も中断。子ども達は、青組みと白組に分かれて、勝負をしていた。この組分けは、前日に先生が適当に分けただけ。そして、今日、子ども達は、自分のチームの色の服を着て来ている。でも、チームワークは抜群で、自分のチームが勝つと大喜びをして、歌にあわせて歌いだす。8年生の女の子は、低学年の子の面倒をよく見る。先生がゲームの説明をすると、子供を動かして、ゲームが出来るようにしてあげるのは、8年生の子達。そういう大きい子が小さい子の面倒を見るところは、ウォジャ小学校のいいところだ。
 しばらくすると、バーベキューが出来て食事が始まったので、勝敗は、告げられることも無く、スポーツ大会は、そのまま終了。でも、特に気にしないのがマーシャル人。
 食事の後、雨が降っているので、8年生の教室に全校生徒を詰め込み、送別会をしてくれる。子ども達が歌を歌ってくれて、一人ひとりと握手をしていく。先生、子ども達から、アミモノなどをもらう。数人の女の子からは、キスをされる。お別れ会では、親しい人に対して、ほっぺにキスをしている。見ているマーシャル人は大喜びする。それをしてもらえたのは、うれしいことだ。日本で、子供が先生にキスする事なんてないから、マーシャルならではである。差後に、あいさつを、簡単にして、送別会は終わった。その後、エデュケーションウィークの閉会式があり、リタに向かうので、最後は、バタバタした感じだった。
 
 その後、スクールバスで、ドミまで送ってもらった。ゆっくりする間もなく、街に行く。航空会社で、座席指定をしてもらう。最後の飛行機からは、島を眺めたいので、後ろの窓側にしてもらう。次に、アミモノ屋で買い物をし、電話局に行って電話を止め、事務所へ行く。最後の日までする事があった。

 花子を、ウォジャに置いてきたままなので、調整員に花子を連れてくるために、ウォジャに行ってくれるという言葉に甘え、花子を迎えに行く。どうしようかと思っていたので、迎えに行くことができ、調整員に感謝。
 そして、家に着くと、花子が、オウオウ言いながらよって来た。大家がいたので、あいさつをする。大家からも、ほっぺにキスをされた。突然の事にびっくり。そして、花子をどうするのかと聞かれ、どうしようか考えていると言っていると、見てあげてもいいと言ってくれた。だから、残していってもいいと思った。
 着いてくるか残るかは、花子の判断に任せようと思い、車のドアを開けて花子がどうするかみていると、車の中に飛び乗ってきた。だから、連れて行くことにした。
 帰りにアジャルタケ隊員宅により、花子とチョコ姉妹の再会をするが、まったく互いに覚えていなかった。犬はそんなものなのか。チョコは、おびえ。花子は無関心だった。アジャルタケ隊員宅は、明日帰国にも関わらず、片付いていなかった。大丈夫だろうか。
 
 ドミに戻り、最後の晩餐。しかし、荷物整理もしなくてはならない。こうして、マーシャルのドミトリーで飲むのも、これが最後になってしまったなあと、ふと思った。集まってくれた人たち、ありがとう。

2007年3月15日(木)
表敬訪問

 帰国前表敬訪問の日。朝から、外務省、教育省、日本大使館。昼食は、調整員のお宅でごちそうになり、午後に、内務省へ行く。省庁では、次官と話しをする。今回帰国するのは、みんな現職教員なので、それぞれの隊員の思うところは、教育省で話してきた。
 昼食は、調整員の奥さんの手料理。はじめて頂いたが、噂どおりのおいしい料理だった。
 その後、ラジオ局で、帰国のあいさつの収録。今日の6時と10時の2回、流された。事務所で聞いていたが、恥ずかしいものである。ちなみに原稿は、マーシャル語がペラペラのリキエップ隊員に、マーシャル語に訳してもらった。だから、放送は、がんばって読んでいるなと思われるだろうものだった。
 最後に、新聞の取材。これは、数日後の新聞に掲載される事になる。帰国した後なので、どのような記事になるのかは、まだ解らない。
 いつもとは違う疲れを感じた日だった。最後まで、英語やマーシャル語で、話しをしたり聞いたりするだけで、変に疲れるのだった。

2007年3月14日(水)
引越し

 7時に起きて、引越し準備再会。
 調整員が車をだして、荷物をドミまで運んでくれた。朝、10時過ぎにきてくれたのだが、部屋の片付けは、後少しだけ、終わっていなかった。
 荷物を運び、台所と冷蔵庫を拭いて、部屋の片付けが終わる。調整員には、少しだけ、待ってもらっていた。しかし、この後が、さらに大変だった。
 出発をしようとすると、花子がまったく寄って来なくなった。一旦、私が家に入って、ついてきた花子を、家の中で捕まえようとしても、階段を上がってくる事もなかった。そして、車に乗って出発すると、いつものように車を追いかけてくると思ったが、追いかけても来ず、やっと行ってくれたと安心したように、家の陰に隠れてしまった。
 その後、餌をあげてみたり、海岸の黄昏ポイントまで行ったりしたが、一切手が届く範囲に鉢被いてこなかった。海岸をいきなり走り出すと、いつもなら、焦ったように追いかけてくるのだが、走る事もせず、座ったまま眺めている。
 20分ほど、がんばったがつかまえる事が出来ず、仕方がないので置いていく事にした。そんなに残っていたいのなら、残す方がいいのかなとも思った。次に、アジャルタケに行くので、久しぶりに姉妹のチョコとの再会が出来ると思っていたのだが、それもかなわなかった。
 
 荷物を、ドミに置いた後、リタ小学校のオープンクラスへ行く。リタ隊員は、マーシャル人の先生の授業は、ひどいから、ミーティングで色々言ってと言っていたのだが、マーシャル人だけで、オープンクラスを行ったらしい。授業はひどかったかも知れないが、マーシャル人が、中心になって自分達で、オープンクラスを行えたのなら、それは、いい方向で、活動の最後を締めくくったと思う。

 
 夜には、
JOCVの送別会を開いてくれた。マーシャルアイランドリゾートホテルの屋外。なかなかいい雰囲気の場所で、波の音を聞きながらの食事は、やっぱりいい。ビデオレターで、一人ひとりからのメッセージがあり、忙しい中、大変だっただろうと思う。その最中、任期中には諦めていた39枚目のクォーターを手に入れる。後は、残る隊員に託す。

2007年3月13日(火)
最後の登校

 朝、自転車で学校へ向かうのも、今日が最後。のんびり自転車をこいで、景色をみる。と言っても、やしの木と海だけ。
 学校では、いつもどおりの授業をしていた。11時からアレレミュージアムから人が来て話しをしてくれるのだが、来るのが遅れている。11時からは算数の時間である2年生の教室に行くと、「待っている間、フラッシュカードをして待っている。」と言って、授業を始める。その後、2桁の計算の練習をしていると、ミュージアムの職員が、20分遅れで来たので、算数を止めて、外に話しを聞きに行った。
 待っている間、子供を、ただ待たせているのではなく、授業をするのは、私がいるからではなく、これからも同じようにやってほしいと思う。
 エデュケーションウィークのイベントであるアレレミュージアム職員の人の話し。最初は、幼稚園から3年生まで、マーシャルの民話について話しを聞く。昼休みを挟んで、午後は、4年生から8年生まで、マーシャルの歴史について話しを聞いた。
 その後、スポーツ大会の選手選考会。男の子は、丸い石で砲丸投げ。女の子は、平らな石で、円盤投げをしていた。石を使っているのだが、投げ方は、両方、陸上競技と同じような投げ方を校長が教えていた。子のような競技があることに、始めて見て驚いた。
 
 家に帰っている途中に、花子恐怖の館の犬が吼えてくる。花子はびびっているので、にらみを利かし、反対に追い払う。恐怖の館で吼えられるのもこれが最後だ。その時に、調整員が車で現れ、引越し前の家を見ていく。荷物が片付いてない事に、明日の引越しを心配された。
 そして、片付け開始。荷物をまとめ、部屋、洗面所、台所の掃除。花子は、何をしているのだと言う感じで、時々、家の中をみに来ていた。夜4時。まだ終わっていないのだが、睡魔に負ける。

2007年3月12日(月)
ラストダイビング

アルノアルノ

アルノイリアム

アルノドッグ

 ダイビングへ向かう。マーシャルでのダイビングはこれが最後。ダイビングをするのもこれが最後かもしれない。
 ダイビングショップへ行くと、昨日から、波が低く、私が、これが最後だと伝えていたので、アルノへつれて行ってくれると言う。アルノの海は、海の透明度が、マジュロとは格段に違う。もう行く事はないと思っていたのだが、最後に、また行ける事になり、ダイビングショップの方々に感謝。
 ボートをとばし、アルノへ。今日の海も最高。マジュロの海もきれいだが、海の青さが、全然違う。潜ると、海とは思えない視界のよさ。ずっと向こうまで見え、深い方へ行くと、濃い青になっていく。マーシャルにしかいない魚を見るために、少し深くまで行こうと言ってくれていた。結局、深くまでいかなくても、その魚がいたのだが、その様にしてくれることに、また感謝。
 アルノアルノ、アルノイリアム、アルノドッグ。3つのポイントを潜る。3つ目のアルノドッグは、透明度が40m。これまでにない、視界のよさ。まさしく竜宮城。
 最後のダイビングは、最高だった。
 
 夜、家に帰るため、ドミの前で、ヒッチハイクをしていると、空港側から、歌を歌いながら歩いてくる団体があり、車の流れをさえぎっていた。何があるのかと思ってみていると、アサンプション教会の行列だった。キリストの写真とトーチを持った、子ども達に続いて、たくさんの人が続いている。アサンプション高校理数科隊員も歩いていた。

 そのため、家に帰ることが出来ず。やっとこさ、ヒッチハイクで車をつかまえて家に着いたのは10時。そのまま、就寝。

2007年3月11日(日)
エジット島へ

 午前中に、MJCCの佐藤家と一緒に、マーシャルで最後のテニスをする。相変わらず暑い。しかし、気持ちがいい。
 その後、エジット島へ向かう。エジットは、ウォジャとは逆の、リタのその先にある島。ビキニ環礁の人たちが住んでいる島。アメリカからの被災金をもらって生活をしている。住む家も、アメリカが建ててくれて、電気コンロ、クーラー、冷蔵庫が完備。海から、見ると、いい家が立っているので、1度行ってみたいと思っていた。
 リタの端から、引き潮の時に、歩いて移動する。およそ、20分。エジット小学校隊員の家は、エジット島の人たちと同じように、電化製品がそろい、その上、新築。シャワーもお湯が出てホテルのような設備。何とも快適な環境だった。隠れ家リゾート。
 日曜の昼間だったためか、島民の姿は少なく、静かな島だった。アメリカからの援助で生活して、働かずにいる人たちは、いったいどのように思って生活しているのだろうか。
 そこから少し歩くと、エジットの人たちがピクニックをする場所があり、島と島の間になり、珊瑚と魚をみることができる。エジット小学校隊員が、お昼ご飯を作って待っていてくれたので、そこへ行ってお弁当を食べ、シュノーケリングをする。
 その後は、エジット隊員宅でのんびり。あまりの気持ちのよさに、数人寝てしまう。
 夕方帰るときには、潮が満ちているので、ボートで送ってもらう。船着場の前の教会からは歌が聞こえてきていた。
 エジット隊員に花子を引き取ってもらうので、花子はこの島で暮らす事になる。数匹犬がいて騒いでいるので、少々心配になる。花子がこの島になれるのは時間がかかるだろうが、快適に過ごしてほしいと思う。

2007年3月10日(土)
息抜き

 朝、起きてから台所の片づけをする。台やコンロを、少しの時間、拭いているだけで、汗がだらだらとでてくる。
 午後は、ドミに行って、大河ドラマ「風林火山」をみる。今回の大河ドラマも、面白い。マーシャルでは、NHKだけが映るので、隊員の中に大河ファンも増えてきている。うれしいことだ。

2007年3月9日(金)
報告書完成

 午後に、1,2年生の先生と、成績をつける約束をしていたので、午前中は、またまた報告書の作成。報告書に、すごい時間をかけている感じだが、気分が乗らず、だらだらとやっているだけである。
 今日は、テスト日で半日。午後、学校へ行くと、1,2年生の先生はいない。ご飯を食べに言っているのかもしれないと思い。しばらく待ってみたが帰ってこない。まあ、こんなもんだ。
 1年生の先生は、学校の前の家に住んでいるので、行く。すると、外でのんびりおしゃべりしていた。私が来るのを見つけて、来ていたのかとびっくりしていた。約束していたのだから来るよと思いながらも、そんな事は、通用しない。2年生の先生は、病院へ行ってしまっていた。
 1年生の先生に成績の付け方を教えながら、一緒に成績をつけた。2年生の先生には、1年生の先生から教えてもらう様にしてもらった。2学期も一緒に、成績をつけたのだが、覚えていなかった。今回で、覚えてくれたのだろうか。解った、解った。と言っていたが、それは、何とも言えない。そして、4学期の時計の学習と、長さの学習の教え方について話しをする。来週は、ほとんど学校へ行かないので、1年生の先生に、最後のお礼と挨拶をしようとした。ちゃんとあいさつをしたかったのだが、なぜか、落ち着き無く聞いていて、しっかりあいさつは出来なかった。
 
 その後、バスドライバーと話しをしていて、驚くことがあった。12月の2学期最後の宴会での事。私が家に帰った後、学校に残っていた4年生の先生と5年生の先生が殴り合いの喧嘩をしていたと言う。バスドライバーと校長で止めたらしい。原因は、7年生の先生。2人が自分の彼女だと言って喧嘩になったらしい。マーシャル人は酔っ払ったらたちが悪い。私が飲んでいるときから、2人の様子はおかしいなと思っていた。

 これだけだと、まあ、あってもおかしくない話なのだが、7年生の先生には、旦那がいて、昨年、子供が生まれている。4年生の先生は独身だが、5年生の先生は結婚していて、2人の子どもがいるのである。マーシャル人の不思議なところだ。7年生の先生の旦那が聞くと、どのように思うのだろう。
 
 家に帰ってから、花子のシャンプー。ついでに、猫ちゃんもシャンプー。花子を洗うのは、おそらくこれが最後。シャンプーのあと、ダニ捕り液を付けてあげて完了。

 現在、3時前。ついに、報告書が完成。長い道のりだった。

2007年3月8日(木)
驚きの事実

 ココナッツ工場へ行って、ココナッツ石鹸と、ココナッツオイルを仕入れてくる。両親が来た時に、工場案内をしてくれたフィリピン人のところへ行く。一緒に撮った写真がほしいと言われていたので、プレゼントした。
 何と、ココナッツ石鹸の値段が上がっていた。ココナッツの原料代が高くなったからなのだそうだ。
 ココナッツ工場で作っているココナッツオイルは、3種類の香りがある。今日、始めて知った。全てのかおりを嗅がせてもらった。あまーい香りと、普通の香りと、ちょっとくさい香り。
 その後、銀行で、通帳の解約を済ませ。家に帰ってくる。早速、報告書を作りだす。
 
 夕方、あと少ししか行けなくなった、黄昏ポイントへ行く。今日の夕日は、微妙に海に沈んでいった。

 帰ってくると、大家がいたので、引越しをする日と、昼間、大家はいないので、鍵の受け渡し方を話した。その時、大家の弟の事を聞くと、肉だけの食べすぎで、腰と膝の関節痛になってしまったらしい。今は、ダウンタウンの親戚の家にいて、病院に通っているらしい。大家姉は、「私より若いのに、働かないから病気になってしまうのよ。私より老けて見えるし。」と、ちょっと冷たく言っていた。大家姉は77歳。大家弟は61歳だそうだ。大家姉の息子に、高校2年生16歳の男の子がいるのだが、と言う事は、大家姉は61歳で出産したことになる。それは元気だ。
 大家弟がいないので、猫ちゃんは、毎日、私の家に来て寝ている。おそらく、自分の家を間違えている。
 夜、思いのほか、報告書がはかどり、3時までやっていた。

2007年3月7日(水)
あと10日(マッタンジョンゴール)

 1,2年生は、復習を行った。授業は、これで最後。明日は、両学年ともテストをするので、帰る準備をするため、休ませてもらう。
 午後は、授業がないので、早く帰ってきて、英文報告書の作成。思うように進まず、現実逃避で、ドミトリーに行く事にした。それだけではなく、洗濯物も溜まっていた。
 6時からバス待ち。風が吹いて気持ちのいい夏の夕暮れ。ボケーと、待っている。だんだん、日が沈み、辺りが暗くなってきた。今日は、もうバスは来ないのかも知れないと思っているところへ、バスがやってくる。
 ドミでも、報告書を書こうと思って、パソコンを持ってきたけれど、テレビを見てしまった。そして、今日も終わっていく。

2007年3月6日(火)
ミーティング

校長授業

8年生

8年生の先生

 放課後にミーティングがあった。ミーティングの連絡があったのは、今日の朝。そして、話し合った事は、今日から始まる教育週間について。今日から教育週間が始まる事を、今日、始めて聞かされてびっくり。何と急な話だとは思わない。いつも通りの事。
 予定表では、来週に、学校対抗の体育大会があり、毎日3時から、2種目ずつ、4日間かけて行われる。その選手を今週決めると言う事だった。その他の学校で行うことについては、予定の中に書かれてなく、まだ決まっていない。何を行うのだろう。
 最後に校長の話で、勤務時間の事と、印刷を授業中に行わない事を言っていた。勤務中、授業中は、子ども達のための授業をしなさいと言うことだろう。どこまで、徹底されるのかは解らないが、勤務態度を改善していく方向で動いているのは、いいことだと思った。
 
 最後の報告書は昨日完成し、英語の報告書の作成に入った。しかし、これはなかなか進まない。家に帰ってきてからは、報告書に手がつかず、部屋の片づけを始める。部屋は、帰国へ向けて、徐々に片付けられている。

2007年3月5日(月)
CDのデータ

 3学期最後の週になった。この週は、復習と学期末テストを行う。CDにテストのデータを入れて、先生に渡しているので、放課後に、そのテストのデータをパソコンから出す方法を教えた。
 1年生の先生は、パソコンの使い方を知らない。だから、どうやってCDを入れたらいいのかも解らなかった。そして、カーソルを動かして、データをクリックしていくのだが、マウスを動かすのも初めてなので、うまく動いて行かない。
 何とかかんとか、テストをコピーできたが、データをCDで渡すのは、無理があったのかもと思った。でも、紙で渡していても、失くしてしまうだろうし、CDで、何とかやってもらえるようにと、お願いするしかなかった。

2007年3月4日(日)
ソフトボール大会

 見事な快晴のもと、ローラグラウンドで、隊員ソフトボール大会が行われた。これまで、やりたいと思いながら、なかなか実行にまで移せなかったのだが、大学までバリバリの野球部、ウリガ小学校隊員が、小学校現職隊員の帰国だということでやってくれた。
 朝10時過ぎにグランドへ着き、軽くキャッチボールをしたのだが、体力の衰えか、キャッチボールだけで,けっこう疲れた。
 見事な快晴だけに、とにかく暑い。2回が終わった時点で、お昼休憩。そして、5回までやって、試合終了。我がチームの逆転勝利。その後、引退ノック。10球を過ぎる頃から、足が動かなくなる。そして、暑い。本当に、体力が落ちている。20球で限界。
 やっぱり野球は気持ちがいい。

2007年3月3日(土)
高校タレントショー

マーシャルダンス

マーシャルダンス

美人コンテスト

 本日、我が家へ、お客さんが3人。マジュロの過疎地ウォジャには、なかなか人が来てくれない。遊びに来てと、声をかけても来てくれない、寂しい場所。確かに、来た所で、特に何も無いので、静かな環境を提供できるだけだから仕方がないのだが。
 3人は、私より1年後に来た隊員たち。帰る前に来てくれるなんて、嬉しいじゃありませんか。
 
 夜は、ローラ高校のイベントがあったので、それに行く。夕方雨が降ったので、遅れて、夜の9時から始まった。各クラスからの踊りや歌の出し物。それに、小学校も参加していた。メインイベントは、美人コンテストな感じ。6人の女生徒が、モデルのように登場し、ポーズを決める。ポーズを決めた時には、会場から、マーシャル人特有のウヒャヒャヒャと言う歓声が起こっていた。

 このイベント、高校の資金集めになっていて、入場券兼抽選券が1枚1ドル。だから、1人で、何枚も買う人もいる。そして、入場券に書いてあったのだが、優秀チームは、750ドル貰えるらしい。他に、抽選の賞金や、美人コンテストの賞金もあるだろうから、本当に、資金は集まっているのだろうか。
 最後まではいなかったのだが、20以上の出し物があり、一つ一つが、さっさと行かないので、終わったのは1時過ぎだったようだ。

2007年3月2日(金)
6人だけ

 2年生の出席が6人。休日の間の日だから、少なくはなるだろうが、他の学年に比べても極端に少ない。
 水曜日に、算数で、テキストの残った問題を、先生は宿題にした。2年生は、グラフの読み取りをしている。授業後、「宿題にしたのはよくない。今日、教える事なのだから、子どもが自分で出来るはずがない。」と言うと、「親に教えてもらってやれる。」と言う。
 今日、先生が教えなければならない事を、親に任せていいわけがない。それに、先生が、正しく理解できない事を、親が、正しく教えられるとは思わない。だから、宿題は、子どもが1人でも出来る事をだして、新しく教える事は、宿題にしない事を説明した。先生は、解ったと言っていた。付け加えて、「算数の宿題が無いからだしてほしいという親がいたから、悩んだけど、宿題にしたの。」と言う。
 あやしい言い訳だ。そんなこと言う親が、果たしているのか。いたとしても、1人か2人だろう。それに、宿題をしてないから、学校を休む子がいるので、算数は、宿題をしなくてもいいようにしているのである。
 それにしても、6人しか来ていないとは、ひど過ぎる。宿題をやってきた子を聞いたら1人だけ。「宿題ができなかったから来なかったんじゃないの?」と聞くと、「そうかも。」と言っていた。

2007年3月1日(木)
休日

 Nuclear Victim Day、核被害書の日で祝日。でも、特にイベントがあるわけではない。マジュロ環礁の1つの島に、エジット島がある。このエジット島には、ビキニ環礁の人たちが住んでいる。小学校が1校あり、昨年の8月から、エジット小学校隊員が1人働いている。
 その隊員が言うには、4日の日曜日に、エジット島の教会で、大統領、ビキニ市長が来て式典のようなものを行なうらしい。でも、大きな式典は、ビキニ環礁の人たちがたくさん移り住んでいるキリ島で行なわれるという事だ。