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2007年2月28日(水)
子どもを見る

 風邪気味、調子がよくない。先月も調子がおかしい時があり、体調を崩しやすくなっている気がする。パブロン飲んで、学校へ行く。
 1年生のクラスは、落ち着いて、授業が出来る様になってきている。10ごとの数、5ごとの数、2ごとの数の勉強をしている。みんなで数えたり、グループで数えたりして練習していると、集中力が切れて、だらっとしてしまう子がいる。
 1年生の先生は、クラス全体を見て授業をするようになっているので、だらっとした子に気づくことが出来る。そして、だらっとした子に気づくと、数える練習の区切り目で、叱ることなく、よかった子を、「しっかり聞いていていい。」「正しく座れていていい。」と、褒める。それを聞いて、だらっとしていた子も、しゃきっとするようになる。
 だから、落ち着いた雰囲気で授業が出来ているし、子どもも先生の話しをよく聞く。
ピーターは、自分の番じゃない時も、口をもごもごさせて、数えようとしている。これを褒めてあげられれば、ピーターはもっとやる気が出て、他の子も、自分の番では無い時も練習しようとするようになる。だが、長く続かないピーターが、ちょっと集中力が切れた時に、先生の聞きなさいと言う声。
 先生、おしかった。でも、子どもをよく見られる様になってきている。

2007年2月27日(火)
へこんだパート2

 へこんだ事が1つ。また、マーシャル人の評価を下げてしまった。裏で文句を言われているだろう。
 3年生の先生は、子どもを見ながら授業が出来ていない。ほとんど、一番前の子達だけを見て話している。だから、後ろの子達が、聞いていなかったり、手遊びしたりしている事に気づいていない。だから、騒がしくなる前に、みんなを見るようにして、話しをするように言ってきた。
 今日は、しばらく様子を見ていた。だんだんと子どもがふざけたりして騒がしくなってきた。しかし、先生は、見ていないし注意もしないので、「先生が注意をしないから、子どもが遊んでしまっている。」と声をかけた。すると、先生は、子どもに対して、「遊んじゃ駄目。」と、子どもを叱るので、「子どもが悪いのではなくて、先生が注意をしないのがいけなかった。」という事をいった。
 しばらくして、練習問題をさせている時に、子どもが遊び出した。しかし、先生は、子どもを見ていないので、注意をしない。遊んでいる子をほっといたまま、答え合わせをしていた。だから、もう一度、「子どもが遊んでいる。先生は、すべての子ども達を見ていなければいけない。見ていないから子どもが遊んでしまう。」と言った。
 授業後、先生は、むすっとした顔をして、私の話に対して答えなくなった。だから、腹が立ち、「もう、授業には来ない。」と言って出てきてしまった。
 最初は、先生に私が話しをしているのに、それを無視する態度に腹が立った。でも、振り返ってみると、授業中の私の言い方がよくなかったので、先生は怒っていたのだろう。
 私としては、やんわりと、上の様な気持ちで言っているのだが、語威力がないので、私が言った言葉を直訳すると、「子どもが遊んでいる。あなたは注意をしていない。」「子どもは悪くない。先生が注意してない。先生がいけない。」「子どもが遊んでいる。あなたは、全ての子を見ていない。先生は、全ての子を見る。」となり、きつく言っているように聞こえるのだろう。全然成長してない。

2007年2月26日(月)
5号報告書

 最後の報告書を書いているのだけれど、なかなか進まない。書く気が起きない。2月中には完成させる予定だったが、無理。
 これまでの活動を思い出しながら、書いていると、話が、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、まとまりが無くなり、何を書いているのかさえ解らなくなってくる。
 という感じに、今日は過ぎて行った。

2007年2月25日(日)
コネ社会

 マーシャル人は、大家族で生活をしている。家族のうちの数人が、仕事をして給料をもらい、そのお金で、家族のすべてが生活をしている。
 そして、家族が稼いできたお金は、戸主が管理して、家族に生活費を渡した残りのお金は、戸主が、お酒や遊ぶために使っている。だから、戸主になると、仕事をやめる人もいるみたいだ。
 マーシャル人は、ほとんどの人がコネで仕事を見つけている。親が、子どもを働かせにいかせると、子どもの稼いだお金が自分のものになる。子どものためにコネで、仕事を見つけてあげるというより、自分のために、コネを使って、子どもを働かせに行かせている。自分の家族に、たくさんのお金を稼がせ、自分の懐を肥やしているのであれば、権力者のコネはなかなかなくならない。
 働いている人も、コネで雇ってもらったのだから、がんばろうと考える事にはならない。働かされていると考える方が強いのだろう。

2007年2月24日(土)
労働意欲

 マーシャル人は、仕事に対して、やる気が感じられないというのは、来た時から、ずっと思っていた事である。
 コネで、仕事について、がんばっても、がんばらなくても、お金はもらえる。職場に行ってさえすればいい。やる気のない事を責める人はなく、誰もが、だらだらと仕事をしている。
 そう考えれば、うちの校長は、休むことなく学校へ来て、休みが多い先生には、説教もしているので、まだましなのかも知れない。でも、その先生の勤務態度を改善させるほどのものではない。校長が、8年生の算数を教えているのだが、今週、校長が、算数の授業をしているのを見なかった。担任もいないので、その間、子どもは、ほっとかれている。そんな校長に、まじめに仕事をしろと、他の教師に言えるはずはない。
 ある資料に書いてあったのだが、マーシャル人は、戸主の権威が強く、家族が稼いだ給料は、戸主に渡し、戸主から、家族に、生活費が渡される。失業率8割の国で、だらだらしながらも生活できているのは、戸主がお金を握り、働いていない家族にも、生活費が入るからだろう。
 先生の話しを聞くと、もらった給料で、酒を買って飲むと言っている人もいるので、全ての家庭がそうだとは言えない。その先生は、マーシャル人なりに仕事をがんばっていたし、向上心もあった。給料が、自分のものになるから、やる気があったのだろう。
 しかし、給料が、戸主に取られてしまうので、働く事への意欲は無くなる。ある企業が潰れた時の失業になった人の調査を行った所、そのまま、仕事をしていない人がほとんどで、仕事がなくなった事を悲しむより、働く必要がなくなった事を喜んでいたらしい。
 マーシャル人の仕事に対するやる気の無さは、文化の問題も大きいのだろう。

2007年2月23日(金)
片付け

 雨の日が続いている。街に出る時に、空港を横切る。空港の敷地内は、水をためる場所にもなっている。広い空港に降った雨が、溜まる様になっていて、そこから水道で各家庭に送られているらしい。そこに水が無い日が多かったのだが、今日は、半分ほどの水がたまっていた。
 少しずつ部屋の片づけを始めた。持って帰る物と、置いていく物、捨てる物。
 1年半の生活で、物はそんなに増えてはいない。しかし、物を捨てられない性格なので、整理をしていると、手が止まり、捨てるかどうしようか、考えてしまう。

2007年2月22日(木)
猫ちゃん

洗った後、Tシャツの下で、ブルブル

見つめる2匹

 日本を出てきて600日目。そして、あと23日。
 家に、猫ちゃんが来ている。大家の弟につれて帰られてからも、何度か、遊びに来ている。毛の間に黒い小さな虫だらけにして戻ってくるので、その度に、体を洗っている。濡れるのをすごく嫌がるのだが、つかまえて、ごしごしと、犬用シャンプーで洗って上げる。
 洗われて嫌な思いをしたら、もう来なくなると思っていたのだが、やってくる。花子が同じ事をされたら、間違いなくよりつかなくなるだろう。
 そんな花子と、猫ちゃんの仲は悪くない。花子の餌を、猫ちゃんが食べていると、花子は、それを見ている。花子が見ていることに気づいた猫ちゃんも、食べるのを止めて花子を見つめ返す。餌を挟んで、2匹で見つめ合っているのは変な感じだ。
 花子が餌を食べないので、食べていいよと言ってあげると食べだした。猫ちゃんに遠慮をしているのだろうか。
 花子と、猫ちゃんの関係は、微妙だ。

2007年2月21日(水)
花子一匹旅

 放課後から、久しぶりに雨が続いている。
 学校で、雨が止むのを待っていたのだけれど、なかなか止む様子がないので、バスに自転車を乗せてもらって帰ってきた。花子も、バスに乗せようとしたのだけれど、バスに乗る事を警戒していたので、そのまま、学校にほってきた。
 学校に戻ってきたバスに私が乗っていないことが解ってから、びっくりしたのだろう。学校から家まで、どのようにして帰って来たのか、恐怖の館を超え、雨の中を、一匹で帰ってきたようだ。
家に入ってきた花子は、半泣き状態で、アフアフ言っていた。
 今日の雨は、よく降っている。これで、マーシャルの水不足が、少しは解消されるだろうか。

2007年2月20日(火)
ゆっくり

 1年生のジュナ3兄弟。入学してきた時は、数字を書く事が出来なかった。お兄ちゃんのマッセとマークは、すぐに、数字を書けるようになり、足し算、引き算も出来る様になった。しかし、弟のピーターは、数字を書く事、数える事も、なかなかできる様にならなかった。欠席も、お兄ちゃん2人より多かった。12月でも、数字をなぞりながら書いていた。
 それが、最近、20までの数字を、ていねいに書く事が出来る様になり、数える事も出来る様になってきた。授業中には、ぼーとしてお客さんだったのだが、かすかに口が動くようになっている。かなりゆっくりだけれども、成長してきている。
 1月から、デイビット兄弟が来ている。1,2学期は学校に来ていなかったので、数字を読めない書けない子が2人、3学期になってから、突然増えた。授業が、足し算、引き算の学習を終えている段階で、数字を読めない子が増えたので、先生と、大変だなあと話していた。
 でも、授業では特別な事をせず、いつもと同じように進めていった。その2人とピーターには、授業の合間、合間に、個別指導をする事を、先生にしてもらった。そして、先生に、課題をやらせっぱなしにならず、最後には、必ず、正しい答えを書けている様にさせる事を伝えていた。マーシャルの先生は、出来ない子をほったらかしにしてしまうので、課題を与えたら、必ず最後に確認をする事をさせている。だから、3人は、課題が授業中に終わらず、休み時間になってもやっていた。
 数字は、まだ、10までしか正確に書ける事は出来ない。でも、この頃、授業中にぼーとすることがなく、ほとんど理解出来ていないだろうけれど、やらないといけない事は聞いているので、授業中に、何とか課題は終わらせる事が出来る様になっている。
 目がクリクリバーニーは、2学期、途中から、まったく学校に来なくなった。学校に来ていれば、今頃、同じように成長しているのだろうけれど、入学当事と変わらないままだろう。それで、ほったらかしにしている親には腹が立ってしかたがない。

2007年2月19日(月)
授業

 1年生の先生は、子どもに、話の聞き方、いすの座り方の指導を、ほめながらする様になってきたので、子どもの態度が変わってきた。まだまだ、長続きはしないが、すべての子ども達が、正しくいすに座って授業を受けている。
 反対に、2年生の先生は、褒めるよりも、叱る事が多いので、子どもに落ち着きがない。今日も、もっと褒めるようにと言うと、褒めていたでしょというので、褒めていたけれども、まだまだ、少ないから、もっともっと褒めるようにと言った。その上、褒めていても、顔が怖い。写真を撮って見せようかなと思ったが止めておいた。
 今日から、3年生も、担任の先生に授業をしてもらうようにした。先週、フラッシュカードだけをしてもらうと、計算スピードは速く、かけ算九九も覚えているので、マーシャルの先生の中では、よく出来る方だと思われる。昨年、大学で勉強していて、今年は、大学教授が、週1回授業を見に来てくれていたので、知識もあると思われる。
 これから、3週間で授業の行い方を教えていく。今日のアドバイスは4点。
 授業中、2,3人の子だけ見て話しているので、全ての子を見ながら話すようにする事。
 例示問題のあと、すぐに練習問題をさせない。1問だけをノートにさせて、子どもの理解度を確かめる事。
 子どもが理解出来ていなければ、1問ずつ問題を出して答え合わせをする。多くの子どもが理解出来てから、練習問題に取り組ませる事。
 最後の答え合わせをした後、全ての子どもが正しい答えをノートに書けているのかを確認する事。
 以上の様に、算数の教え方より、授業の進め方を伝えていっている。

2007年2月18日(日)
水不足

 暑い、ほんとに暑い。陽射しが厳しくなった。マーシャルでは、2月になり、水不足が問題になっている。ダウンタウンでは、最近、節水のため、時々、水道が止められている。そして、この土日は、水が出なくなっている。
 離島の隊員も、雨が少ないため、水が足りなくなっているので、使い方を節約していると言っていた。
 マーシャルでは、どこの家庭でも、雨水をためて、それを生活用水として使っている。しかし、ダウンタウンでは、それだけでは足りないので、家庭でためている雨水と水道を使っている。それ以外の場所では、各家庭でためている雨水だけである。各家庭では、屋根の上に降った雨が集められる。だから、屋根の面積に対しての人口が多ければ、水はなくなりやすく、少なければなくなりにくい。
 わがウォジャも、水道ではなく、雨水で生活を強いている。しかし、水がなくなる心配はない。それは、ウォジャが、マジュロの過疎地帯だからである。人口密度が少ないので、いつも、たっぷり水がためられている。
 ダウンタウンの隊員には申し訳ないが、いつも、気兼ねなくシャワーを使っている。

2007年2月17日(土)
草の根協力事業

 マーシャルでの生活も、あと28日。6年生の担任だった時、クラスの人数と同じになった時から、卒業までのカウントダウンをしていた。その子達も、今は中学3年生だから、また、卒業までのカウントダウウンをしているのだろうか。
 
 日本の外務省が行っている「草の根協力事業」で、ウォジャ地区に、雨水をためる水桶が、昨年、作られていた。水曜日の放課後に、それが出来たお礼式が行われるということで、私は初めて知った。

 話しを聞くと、ウォジャ地区に水桶が18個作られた。マーシャル人が言うには、あの人の家と、あの人の家と、というように、選ばれた個人の家に作られたという言い方をしていた。そのお礼式に来ていた大使館職員に聞くと、20世帯辺りに1個という割合で作られたらしい。しかし、日本は、お金の援助をするだけなので、どこに作るかという事、どういう意味で作るかの説明は、マーシャル人に任されている。作られた水桶は、ウォジャ地区の支配階級の家に作られているようである。今回に式に参加している人も、実際に敷地内に、水桶を作ってもらえた人であり、水桶の使用に対して、日本とマーシャルの考えのずれがあるのかもしれない。
 「草の根協力事業」の行われ方は、まず、マーシャル人の議員などから、日本大使館に対して、ほしい物の依頼がある。今回は、ウォジャ地区の議員から、ウォジャに水桶を作ってほしいという依頼があった。それを、まずは、大使館で、その以来を採用するか判断する。次に、外務省で、判断して、最終決定がされる。「草の根協力事業」は、現地の人の生活改善のために行われているので、その視点で、採用の判断はするらしい。今回のような水桶を作ってほしいという依頼は、直接、生活改善につながるということで、採用されやすいということだった。車がほしいとか、建物を建ててほしいという依頼は、審査が厳しくなる。
 昨年、アジャルタケ地区には、公民館が出来た。これも、「草の根協力事業」であり、国ではなく、地域ごとに依頼を受けて、1000万円の範囲で出来る事をしている。ローラ地区にも、何かが作られたらしい。

2007年2月16日(金)
かけ算九九暗唱テスト
今日の夕日

 3年生のかけ算の学習では、授業の最後5分ほどで、かけ算九九暗唱チェックをしている。子ども達は、それぞれに練習をして、言えるようになった九九の段をテストしに来る。
 日本の子との違いは、日本の子どもは、自分で練習をしっかりして、言えるようになった段階でテストを受けに来る子が多い。そして、不合格の場合は、もう一度、しっかりと練習をする。マーシャルの子は、一か八かでテストを受けに来る子が多い。不合格でも、また、すぐにテストを受けに来る。
 その確認をするのは、私1人で行っていたので、テストを受けに来る子ども達に列が出来てしまう。これは何とかしたいなと思いながら、しかし、チェックを合格した子どもに任せると、適当に合格にしてしまいそうだし、子どもの間違いを指摘できるだけ、覚えている子はいなかったので、列が出来てしまう事はあきらめてやっていた。
 でも、最近、九九全てを覚えてしまった子が増えてきた。覚えた後も、友だち同士で、九九を言い合って確認をしていた。私が、チェックをしている横に来て、私よりも先に、子どもの間違えを指摘しているので、その子達に、チェック係を任せることにした。
 させてみると、よく聞いているし、友だち同士の馴れ合いは無く、厳しく指摘しているので、なかなかやるなと感心した。合格ラインがあまい子もいたので、2人組みで先生にして確認をさせると、列を作らず、確認が出来るようになった。また、その間に、私は、休みが多い子や、覚えていない子を指導できるようにもなった。

2007年2月15日(木)
安全連絡協議会

 年に2回行っている隊員総会があるため、授業を1人でやってもらうように先生に伝えて、学校を休んだ。
 隊員総会の前に、安全対策連絡協議会がある。私は、安全委員で、話し合う内容を考えなくてはならなかったのだが、話しのネタがないので、ちょっと困った。
 この半年に隊員があった被害は、家とドミトリーへの侵入事件が2件。大きな事件は無かったので、以前の隊員被害履歴の確認。
 この頃、マーシャルで増えているのは、レイプ事件と盗難事件である事。
 ダイビングをする人が増えているので、ダイビングにおける注意。
 そのような事で話し合いを行い、事件がない事に安心せず、注意して生活をしようということでまとめた。

2007年2月14日(水)
気持ち

 今日の2年生の先生は、授業の最初から、子どもを叱る事が多かった。いつもより、その叱り方が気になったので、授業の途中に、叱るのではなく、もっと褒めながら授業をするようにと言った。
 しかし、叱ってばかりで、子どもの間違えに対しても、強い口調で叱っている。褒める事ができない。
話しを聞いていない子を叱るだけなので、もう一度先生に、「叱っているだけでは、駄目です。この子は、今、話しをしっかり聞いている。だから、この子を褒めてあげる事が大切だ。」と言った。しかし、やっぱり、それを実行できなかった。
 2年生の先生には、褒める事の大切さと、叱る場合の事を、何度も話している。しかし、出来たり、出来なかったり。やり方ではなく、授業を行う上での先生が自分の意識を変えていく事は、難しいものである。
 授業の後、いつも話しをしているように、叱ってばかりだと、子どもは、ますます話しを聞かなくなる。先生が褒めるようになると、子どもの話の聞き方が変わると言った。すると先生は、「解っているのだけれど、朝から、子どもを叱ってばかりで、気持ちのコントロールが出来ない。」と言う。それに対して、「あなたは、先生なのだから、気持ちのコントロールが出来ないと言っていたらいけない。」と、答えた。
 と言いながらも、よく、そんなことが言えているものだと、自分の行動を振り返って、おかしくなった。正直に、私は気持ちが不安定だと言える先生は、自分を解っているのだろう。

2007年2月13日(火)
連続欠席問題

 いつものことながら、連続欠席をしている子の多さが気になる。1,,3年生で、欠席している子の多くは、勉強が出来ない子、出来なくなった子達である。
 勉強している事がわからないと思うと、それから逃げるように学校を休んでしまう。出来ないと思われることがいやなのだろう。
 間違える事は、悪いことではない。間違えを自分で理解して、直していくから、勉強ができるようになる。という事を伝えながら、間違えをごまかさずに認めるようにさせている。
 しかし、間違えはいけないことだという意識があるマーシャルでは、この考えが浸透していかないのを感じる。先生にも、正しく理解されていない。
 出来ない事が出来る様になったという事の喜びが解る子もいる。そのような子は、学校へ来ている。しかし、最初に出来なかった時に、もう駄目になってしまう子もいる。
 マーシャルの先生の授業方法では、ついていけない子に対する指導がないので、そのような子達も、なんとなく授業に参加できる。しかし、出来たという喜びを与える事は出来ていない。
 これらの事を解決しようと考えると、学校だけではなく、家庭も含めて多くの手立てが必要であり、数年で解決出来る事ではない。子どもの成長を考える時、文化の違いから、考えることが多く、考えに詰まってしまう。

2007年2月12日(月)
大臣の家

 最近、暑さを感じるようになり、風も生暖かかったりする。季節が変わったのだろうか。常夏の島マーシャルは、これまで、風が気持ちよく過ごし易く感じていたのだが、夏のバカンスを感じさせてくれる暑さになっている。
 ウォジャに帰ってきて子ども達を見ると、ジャルートの子達のほうが素朴な感じがする。ウォジャの子ども達も、マジュロのダウンタウンの子どもの比べると、素朴だと言われ、私もそう感じている。しかし、ジャルートの方が、さらに素朴に感じた。ここマーシャルでも、田舎と都会の差があるのだろうか。

 学校からの帰り、教育大臣の家(花子恐怖の館)の前でのんびりしていた大臣の息子の先生に、コーヒーでも飲んでいけと、呼び止められた。一緒についてきている花子は、私が、恐怖の館前で止まってしまったので、ビクビクしている。

 家に戻ってコーヒーを持ってくるといった先生は、家から戻ってくると、両親が、家の中で食事をしろと言っていると言って家の中に誘われた。家に行くと、花子は、私より早く家の中に飛び込んで行った。家の中に犬は入れないと言われたのだが、大臣が飼っている犬が怖くて、1匹で外にいることが出来ないと言うと、花子も家に入る事を許してもらえた。
 初めて大臣の家に入ったのだが、家具がそろっていてでかい。一般家庭の家とは違う。テレビは映らないのに、リビングに2台。他にもありそうだった。大臣の部屋には、入れなかったのだが、鏡に映っていたので少し見ると、鏡張りの衣裳部屋になっていてそこには、たくさんの靴と服が置かれていた。奥には、まだまだ服がありそうだった。マーシャルの大臣は、日本の芸能人と変わらない。アメリカからの援助資金が、こんな所に無駄に使われていると考えると、悲しくなってくる。
 魚のスープと魚のフライの夕食をごちそうになり、土産にバナナケーキをもらって帰って来た。花子は、テーブルの下で、ご飯の催促もせず固まっていた。

2007年2月11日(日)
JALが来る

 日本から直行便のJALの飛行機がやってきた。グアムを経由して、ミクロネシアの島々を経て2日かけてしか来る事ができなかったのだが、直行便だと5時間で着く。
 日本からたくさんの観光客が来ると言う事で、マーシャルでは、かなり話題になっていた。先週には、ラジオ放送で、日本からの観光客が来るので、街をきれいにしようと呼びかけ、ゴミを拾っている人たちが、たくさんいたらしい。金曜日、ジャルートから帰ってくると、道路を掃除している人たちがいて、珍しいと思っていたのだが、後から解った。マジュロの街は、今までに無いくらいきれいになって、ゴミが落ちていない。
 野次馬の隊員たちは、日本から来る観光客を見るために、空港へ行った。飛行機は到着しても、人はなかなか降りてこなかった。輸送手段が少ないので、少しずつ降ろしているのだろう。そして、降りてくると、人はバスでホテルへ送られていくのだが、空港にはたくさんのスーツケースがたまっていった。バスと言っても、20人乗りのワゴン車なので、人と荷物を一緒に運べない。マジュロの収容能力を超えている様に見えた。
 日本から来たお客さんが、不満に思わないかヒヤヒヤものだ。これからの4日間。日本と比べたら行き届かない事が多いだろう。不満をもって帰る人がいない事を思うのであった。

2007年2月10日(土)
マツリ

 朝は、環境隊員主催のマジュロ掃除に遅れて参加。日本人だけでなく、マーシャル人やアメリカ人の参加も増えてきている。今回は、日本のテレビ局から宇宙船地球号という番組の取材が来ていた。そのうち、マーシャルの環境への取り組みとして放映されるのだろう。
 夕方から、大使館主催の日本の文化を紹介するイベント『マツリ』が行われた。私は書道コーナー担当だった。筆の使い方を教えながら、子ども達にカタカナで名前を書いてもらった。学校でもそうだが、子ども達は、日本語で名前を書きたがる。他に、おもちゃの金魚すくい、浴衣体験、輪投げ、綿菓子のコーナーを開いていた。
 ステージでは、ダンス、歌、少林寺の紹介をした。昨年よりも子どもの参加が多い「マツリ」になった。

2007年2月9日(金)
さらばジャルート

ジャルート犬カイ

空港待合所

デカマ

 朝、今日から始まると言っていたジャポール小学校へ行く。しかし、職員室では、男の人がビデオを見ているだけ。教室に子どもの姿はなく、変わらず、おばちゃん達がいた。私立小学校の子ども達の学習態度がよかったので、公立小学校の子ども達の様子と先生の教え方を比べて、その違いを見たかったのだが出来なかった。どのような点から、子ども達の違いは出来るのだろうか。
 ジャルートのお土産であるアメダマを買うために、店を回ったのだが、最初の3軒では、アメダマは売り切れていた。何とか、最後の港の近くの店にあったので買えた。葬式に来ていた人たちに渡すために、買われてしまっていたのだろう。だから、空港には、おそらくプレゼントされたと思うアメダマを首にかけている人がいた。
 帰りの飛行機は、デカマだった。34ある座席は、親族の人たちでいっぱいになった。新しいイロジだと思われる人も乗っていた。帰りは、ドリンクサービスもあり、チビマと違って快適だった。

2007年2月8日(木)
ジャルート村へ

 ジャルート環礁は、マジュロ環礁と同じように、小さな島で出来ている。そのうち、1番大きな島の両端に、ジャポール村とジャルート村がある。2つの村の間は、自転車で1時間半ほどの距離がある。
 ジャポール小学校は、今日も休みなので、わずかな期待ながら、ジャルート小学校がやっている事を期待して、行ってみることにした。
 自転車で、ジャポール村を出発した。村から空港までの間に、ゴミ捨て場があり、大量のゴミが詰まれていた。だだっ広い空港を縦断すると、ヤシの木の間に、ずっと1本道が続いている。ジャルート村までの間に、家は3軒しかなかった。
 途中、バイクでジャルート村から来ていた人がいたので、ジャルート小学校がやっているか尋ねてみると、やっていないと言う答え。行くのを止めようかと考えた。でも、空港の向こうがどんな様子なのか興味もあり、行ってみることにした。
 走っていると、だんだんつらくなってきた。暑さと水を持ってくるのを忘れたため、もう帰ろうかと悩んでいると、自転車の4人組がやってきていた。ジャルート村まで、あと30分だと言う。かなりきつくなってきたけれど、後30分がんばってみる事にした。
 そして、30分後、家が見えた。ジャポール村に到着。これぞ南の島という雰囲気の村。
村の入り口からしばらく行くと、石碑があったので何かと思ってみてみると、第2次世界大戦でアメリカの砲撃で亡くなった戦没者の碑だった。日本人と共に、100人以上のマーシャル人が亡くなったと書いてあった。
 途中、大きな木の下で、休んでいると、子ども達が寄ってきた。小学校の場所を聞くと、あと少しだと言って教えてくれた。きれいな砂浜のそばに立った小学校だった。これぞ南の島。この小学校で働いていたら、毎日のように、放課後、海で泳いでいただろう。残念ながら、学校はお休みだった。
 村を進んでいくと、きれいな建物がある。何だろうと思ってみていると、子どもを抱いた女の人が来て、最近建った病院だと教えてくれた。医者はいないけれど、看護婦がいると言っていた。
 ついでなので、島の端っこまで行ってきた。ハンモックでのんびりしている子、お母さんと洗濯をしている子、掃除をしている子、妹や弟の面倒を見ている子、何処でも変わらないマーシャルの子ども達をみた。
 戻ってくると、病院を教えてくれた女の人が、ココナッツを飲んでいけと呼んでくれた。水を忘れてのどが渇いていたので、助かった。帰る途中に飲む分と帰ってから飲む分と言って、3個もくれた。
 ジャルート村の人たちは、他のところの人たちと違ってゴミを捨てない。たしかに、この村には、プラスチックや缶のゴミが落ちていない。だから、南の島の雰囲気がある。唯一の店には、米や肉しか売っていないので、ジュースやお菓子自体が無い。だから、ゴミがないのかもしれない。他の物を買う時は、ジャポールまで自転車で行くと言っていた。昔ながらの生活が残っているのだろう。マーシャル産アメダマもこの村で作られている。
 帰っていると、また、村の入り口近くの家から呼びとめられ、ココナッツを頂いた。この村にはコーラがないので、ココナッツがジャルートコーラだと言っていた。写真を撮ってほしいと言うので、海岸でポーズを決めて撮った。
 そして、来た一本道を帰っていく。だんだんけつが痛くなってきて、座っているのがつらくなってきた。風は向かい風。日陰で休みながら、何とか家にたどり着く。足が痛い。

 夕方に、最後のお別れのような式があった。墓の周りに、たくさんの人があつまっていた。全ての人に、タオルや
Tシャツが、冠や首飾りのようにして配られた。墓は、白い石や花飾りで装飾されていた。親族や大統領の話があり、今日も長い話しを聞いていた。親族の子ども達の歌があり、よく解らなかったが、次のイロジの紹介をしていた。最後に、墓の周りに、親族や偉い人たちが、白い石を広げていっていた。日本で、亡くなった人の周りに、花や品物を置いていくのと同じだろう。
 式が終わると、夕食のために村人は列を作り、親族は墓の前で写真撮影。私も、写真撮影をさせてもらってきた。その後、VIP待遇で、並ばずに食事をもらう。今日の食事の種類と量は、また半端なく多かった。港にいたブタたちが丸焼きになっていた。さすがにレロジの葬式の規模は、今までと比べられないくらいに大きかった。

2007年2月7日(水)
学校見学

1年生

3,4年生

7,8年生

 ジャルート環礁のジャポールには、公立小学校と、カトリック教会の私立小学校、高校がある。私立小学校と高校は今日から学校が、普段通り始まると聞いた。公立小学校は、マジュロから来ている人たちの宿泊場になっていて、学校を使うことが出来ない。
 朝、公立小学校は無いとは聞いていたが、行ってみた。教室は、おばちゃん、おじちゃんがいて、子どもの姿はなかった。学校はないのかと、念のため聞いてみると、先生がいて、金曜から始まると言っていた。
 そして、私立小学校へ向かった。最初に行った教室は1年生。入ってもいいかと聞くと、快く了解してくれた。まず、びっくりしたのは、子どもの様子が、マジュロの小学校とは、ぜんぜん違った。先生の指導が行き届いていて、子どもが話しをよく聞いている。ちゃんと、話しを聞く状態を作るように、子どもに指導している。私立の子ども達は、頭がいいと聞いていたのだけれども、それは先生の指導がいいためなのかと思った。
 しかし、次に2年生の教室に行って見ると、先生はいすに座ってぐったりしている。目も変な感じで、明らかに2日酔い状態。英語の文を読む時間だったのだが、子どもがただ読んでいるだけ。先生が、全てがよい訳ではないようだ。
 休み時間に話しを聞いてみると、1,2年生は、1クラスずつあるが、3,4年生で1クラス。5,6年で1クラス、7,8年で1クラスと、複式学級だった。算数の授業を見たいと言って、授業の仕方を聞いていると、3,4年生の先生が、算数は終わったけど、かけ算の練習をもう1度するから、見においでと言ってくれた。
 フラッシュカードで、12×12まで暗唱していた。子どもの声の出し方は、ウォジャの子どもよりよかった。それに、11,12の段も覚えていた。今は、割り算の学習をしていて、3年生は、1桁で割る計算、4年生は2桁で割る計算をしていると言う。ちゃんとレベルを分けて学習しているようだ。
 もう1度、1年生の教室に行き、算数の授業を見た。そして、またびっくり。繰り上がりの計算をしていた。ウォジャでは2年生のレベル。次の英語の読みの授業も見た。これは、クラスを2つに分けて、進度が違っていた。早い子たちは、文章を写し読んでいた。先生は、遅い子たちに対して、まず、フラッシュカードで、英語の読みと意味を確認する。読めていない子をしっかり見て、繰り返し練習させていた。そのフラッシュカードは、先生が作ったもので、その後に読んでいた教科書の文に出てくる単語になっていて、授業のつながりが出来ていた事に、またまたびっくり。フラッシュカードをすることさえ浸透しないウォジャの先生には考えられない。
 昼休みに、1年生の先生と話しをすると、アメリカ人のシスターが、授業の仕方を教えてくれているらしい。教え方には、特に工夫はなく、先生が解説をしてから練習問題をしているだけのようだ。まず、フラッシュカードをして、その後、テキストブックの解説をして、そのページの練習をするという流れらしい。算数には教科書が無く、教科書に付属している練習帳を使っていた。1人1冊あった。
 シスターが、授業のアドバイスをしているので、落ち着いた雰囲気で授業が出来ているのだろう。教え方が良い訳ではないのだが、子どもの授業態度は育っている。また、英語でも算数でも、フラッシュカードを行っている。私も、マーシャルに来て子ども達を見た時、フラッシュカードが効果的だと思った。それをどの学年でも続けているので、子どもの力がついているのではないかと思う。
 別に、1年生が、すでに繰り上がりの計算が出来ている事は、どういう理由があるのかを知りたいと思った。ウォジャの子ども達では、それをする事は、ほとんどの子は無理である。入学時の学力がすでに違うのか、家庭の教育力が違うのではないかと考えた。学費の高い私立に入学させているので、両親の教育への意識は高いことは間違いないだろう。やはり、そういうことが子どもの学力を伸ばすのだろうか。
 1年生の先生は、大学は出ていないが、シスターが、声をかけてくれたので、先生をしていると言っていた。教育への意識が高く、ウォジャの先生たちには完敗である。こういう先生が1人でもいれば、私の活動も楽しかっただろうなと思った。
 7,8年生の先生から、授業を見てほしいと言われたので、午後の授業にはいった。長方形と正方形の面積の公式を教えていた。しかし、先生が開けるように言ったテキストの場所は、外周の事が書かれてあった。子ども達は、テキストと黒板の内容が違うので、あれっという顔をしている。でも、違うとは言わない。このままではおかしな事になるので、先生に、黒板の内容とテキストの内容が違う事を伝えた。すると、「長方形の面積=縦×横」と書いていたのを、「長方形の外周=縦×横」というように書き換えた。
 ますます、おかしくなった。私が指摘したことで、やっと、子ども達も、違う、違うと言っている。しかし、先生は、よく解っていない様子。子どもに言われて、「長方形の外周=縦×2+横×2」と書き換えたが、先生は、どうしてこのような公式になるのかを解っていない。練習長に書いている内容をそのまま教えているだけ。そして、解ったかと聞いて、教科書の練習問題に取り組ませた。私のいままで見てきたマーシャルの先生と変わらない。
 しかし、この小学校の7,8年生のレベルは高かった。分数、小数の計算を難無く出来ている。なぜ、理解できているのだろうか。もっとしっかりと理由を確かめたいと思った。これを調べると、日本とは違ったマーシャルでの効果的な学習方法があるのかも知れない。
 
 小学校から高校へ行った。ジャルート隊員の授業を見学した。ここでも、また驚いた。子ども達の話しを聞く態度が違う。隊員の授業を食い入るように聞いている。だらっとしている子はいなかった。

 
 夕食は、ジャルート隊員のお母さん的存在の高校の先生のベコさんが、歓迎会をしてくれた。魚に、メー(パンの実)チップス、メーのココナッツまぶし団子と、マーシャル料理が並ぶ。そして、ウクレレ演奏。食いすぎた。

2007年2月6日(火)
レロジ葬式

 先週の金曜日のレロジの遺体がマジュロから送られてきた時、村の入り口から教会まで、道の両脇に村人が列をつくって、出迎えたらしい。それを見ていたジャルート隊員は、ジャルートで今まで見た事がない数の人たちと、予定より2時間遅れだったのだけれど、列を崩さずに並んでいたのに、驚いたと言っていた。今、マジュロから来た人たちと、ジャルートの各島から来ている人たちで、ジャポールは人で溢れている。
 大統領がやってきたので、葬式が行われた。教会に入れない人たちは、周りに座っていた。神父や親族、大統領などの話が終り、1人、1人、遺体の前にお金を置いて、親族と握手をしていく。レロジの葬式でも、11ドルを置いていく。大統領は、違うのかと思ってみていたが、大統領も1ドル。同じだった。
 その後、昼食。炊事をしている場所に、たくさんの人が並んで、食事を受け取っていく。私たちも、その列に並んでいると、大統領や、親族の人が食事をしている場所に呼ばれた。テーブルが置かれて、食材も他の人とは違うVIPルーム。こんな所で食べていいのかと恐縮しながら、隅で食事をしていた。すると、大統領に同じテーブルにきて食べなさいと声をかけられた。
 親族の中に、日本語ペラペラのおばあさんがいた。お父さんが日本人で、5年生まで日本の統治時代で、日本語で勉強していたらしい。実は、なくなったレロジの名前は、ニマタ・ナカムラ・カプアという。カプア家は、初代大統領の一族で、大きな酋長である。ジャルートは、日本統治時代、首都で、多くの日本人が住んでいた。だから、ジャルートの酋長だったカプア一族と、日本人のつながりも強いのだろう。そのため、日本人に対して友好的だと思われる。
 夕方の5時から、埋葬式があった。教会から海岸の近くの墓へ、棺を運んだ。そこでも、親族やえら人たちの話があり、それが、終わると夕食。炊事場は、どでかい鍋で鶏肉を煮ていた。別の場所では、魚を焼いていた。食事の量が半端ではない。マーシャルでは、イベントのメインは、食事である。それは、葬式でも変わらない。規模が大きくなっても変わらない。必ず、最後は、食事。その炊事場は、朝から晩まで、1日中、食事を作っていた。

2007年2月5日(月)
ジャルート到着

 朝、9時に飛行機は出る予定だったので、8時に空港へ向かう。空港には、何人かの人がいて、喪服を着ている人もいた。おそらく、レロジの親族だろう。手続きを済ませて、搭乗の連絡を待っていた。奇跡的に時間通り搭乗が始まった。
 マーシャル航空には、飛行機が2機ある。そのうち、大きい方の飛行機を、でかいマーシャル飛行機を、略して、デカマ。小さいマーシャル飛行機を、略して、チビマと呼ぶ。デカマだと、スチュワーデスがいて、ドリンクサービスもある。チビマは、飛ぶ事への不安を与えてくれる。
 今日も数便、飛行機が飛ぶと聞いていたので、デカマだと思っていたのだが、チビマだった。はずれくじを引いた気分。無事に到着する事を祈りながら飛行機は飛び立った。
 でも、安定したフライトで、ジャルートへ到着。ジャルート空港は、20M幅の環礁上にあり、海に挟まれ、やしの実もなく、何とも殺風景な所にある。そこから、トラックに乗せてもらって、ジャルートの村であるジャポールへ向かう。
 村の入り口には、レロジの葬式があるという看板が付けられていた。トラックに揺られて高校へ向かっている途中で、さわやかに歩いているジャルート高校の理数科教師であるジャルート隊員に出会った。今日の飛行機で、大統領がやってくるので、大統領が到着したら葬式が始まるから、みんなは、待っていると言う事だった。
 葬式まで時間があるので、村の散歩に出かける。
 村は、環礁の端っこにあり、村の面積は広くない。そこに、わりと多くの人が住んでいるので、狭苦しい感じがした。村には数軒の店があり、品揃えはなかなかいい。誰が買うのか知らないが、土産屋もあった。その他に、ガススタンド、銀行、発電所があり、なかなか発展している。
 ジャルートは、今、急激に発展している。銀行は、昨年できた。しかし、出来た時は、村人がお金をおろしに集まったので、お金がなくなり、すぐに閉店したという事があったらしい。高校は、新築に建て替えていて、きれいな校舎が建っていた。女子寮も、シャワーが付いているきれいな建物になっている。男子寮は、そのまま。しかし、女子が別の建物に移ったため、広々と使えるようになったらしい。隊員の家には、昨年、エアコンがついた。携帯電話も、昨年から使えるようになっている。
 日本統治時代は、マーシャルの首都だった場所で、戦争時代の壊れている建物が、いくつか残っていた。日本の基地があった別の島には、大きな建物や、大砲などが残っていると言う事だ。
 港には、バナナやブタが置かれていた。葬式の時のための食材が、他の島からたくさん運ばれている。
 結局、今日、大統領は来なかったので、葬式は明日へ延期になった。と言う事は、明日も学校は休みになる。ジャルート滞在中に、学校見学が出来るか不安になってきた。
 夕方、銛を持って、高校の裏の海へ。そこは、環礁の切れ目になっていて、魚や蛸がいる。晩飯のために、蛸を捕ろうとした。蛸は、珊瑚と砂の間に穴があると、そこの中にいるので、そこを銛でついて蛸漁をすると言う事だ。しかし、穴が見つからず捕獲できなかった。ジャルート隊員は、5Mほど、平気で潜っていた。さすがに海の男である。

2007年2月4日(日)
ドミ

ドミリビング

パソコンルーム

男子寝室

 明日からジャルート環礁に行ってくる。ジャルートの小学校を見てくるのが目的。
 ジャルートのレロジ、女酋長、が亡くなった。金曜日に、マジュロで大きな葬式が行われていた。そして、土曜日から、ジャルートに向けて、臨時便の飛行機が飛んでいる。ジャルートでも葬式が行われると言う事だ。
 そのため、もしかしたら小学校は休校かもしれない。どうなるのだろうか。
 明日の朝に飛行機が出るので、ドミトリーにいる。無事にジャルートに行く事は出来るのか。

2007年2月3日(土)
オープンクラスの後

 昨日、4年生の先生が、授業で使うための定規を借りに来た。授業を見に行くと、なんと教科書を使っていた。算数の授業をしている事も珍しい先生。今までは、計算問題をさせていた所しか見たことがなかった。グラフを書かせていたのだが、定規を使って書かせるなんて、今までだと考えられない事だ。
 オープンクラスをやって、少しはがんばろうと思ったのだろう。しかし、この先生、去年もオープンクラスの後、がんばるようになったけれど、1ヶ月続かなかった。今年も、少しの間の事だろう。

2007年2月2日(金)
ボールを捜しなさい

 昼休みに、子ども達が、グローブを借りに来た。昨日、ボールが1つなくなったので、貸す時に、ボールが遠くへ飛んでいったら、必ず探して持って来るように言ってから貸した。
 休み時間が終り、小さい子は、ボールとグローブを返しに来る。あまり遠くへ投げられないので、小さい子たちは2人組みでキャッチボールをしていた。しかし、大きい子たちは、グローブだけを返しに来る。最初は2人組みでキャッチボールをしているのだが、だんだん、数人で集まってボールの投げ合いになるので、ボールが、いたるところに飛んで行く。ボールはどうしたか聞いても、他の子が持ってくるとだけ言う。
 結局、3個ボールがなくなっていた。授業が始まっているので、放課後に、ボールを捜すように言って回っていると、先生の方が、ボールがなくなった事を心配して、捜すように言いだした。こういう時も、8年生は一切動かず、4年生の子達が、探していた。
 球技をしていると、大きい子が遊んでいても、ボールを捕りに行くのは小さい子に任せてしまう。大きい子は待っているだけ。
 3個のボールは見つかったので、だいたいボールが何処に飛んで行ったかは解っていたのだろう。しかし、必ず持って来いと言ったにもかかわらず、探しに行っていなかった。
物を借りた時の扱い方を、特に高学年の子に、考えさせないといけない。貸さないと言っても、特に何も思わずに借りに来なくなるだけで、必ず探すから貸してほしいとならないので、考えものだ。

2007年2月1日(木)
キャッチボール

 放課後、バス待ちをしている子ども達に、「野球やるかー。」と呼びかけると、数人集まってきた。
 広い場所がないので、学校の裏の広場で、キャッチボールをした。正確に、相手に投げるというよりも、高く投げ上げて、それを捕りあっているから、キャッチボールではないか。
 日本から送ってもらったグローブがある。これから、放課後にキャッチボールをしていこう。