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2007年1月31日(水)
学校に来ない子

 3年生のかけ算が9の段まで終わった。九九の暗唱をしていたのだが、3人の子が、9の段まで読むことが出来ている。5の段まで終わっている子も、半分いる。昨年度は、九九を覚えさせようとして、ガシガシ指導しすぎて、失敗した。だから、今年は、去年の反省もあり、無理に覚えさせる事をしないように意識しながら、練習を繰り返して、家で練習をするようになるといいと話している。覚えようとする子は、休み時間とかに練習をしていて、楽しくやってくれているのだが、3の段辺りで、欠席が増えだした子も、4人いた。
 強制するしないにかかわらず、覚えなさいということが、子どもの中で出来ないと判断されると、逃げる原因になってしまうのだろうか。だとすると、覚えなさいと言うことが、駄目なのだろうか。
 結局、昨日、叱った子も来なかった。じいちゃんはいたので、約束したのに来てないぞと言うと、下痢だったと、また言い訳をするので、勝手に転んだだけなのだが、怪我までして学校に来させようとしたのに、何だ、このじじーと腹が立ち、じいちゃんに怒った。そんなことしても意味はないとは思うのだが、何もしないよりいいだろうと言うより、単純に腹が立った。

2007年1月30日(火)
へこんだ

 2週間ぶりに学校に来ているのに、算数の授業に出なかった子が、放課後にいたので、呼ぶと逃げようとする。だから、追いかけて行って、授業に出なかったわけを聞いた。子どもを叱っていると、他の子ども達は寄って来る。しかし、先生や大人は去って行く。どちらかと言えば、子どもは寄ってきてほしくなく、先生には、一緒に話しをしてもらいたい。
 マーシャル語で、子どもにうまく伝わるように話せないので、先生には、手助けをしてもらいたいのだが、マーシャル人は、面倒な事からは逃げていく。今回も、欠席が多い事を話しているので、先生にも、駄目だと言うだけではなく、子どもに、親身になって話しをしてもらいたい。
 私もうまくは話せないので、怒っているように見える。実際叱っているので、強めに言っている。しかし、マーシャル人は知らんぷりだから、言っていて虚しくなってくる。
 でも、このまま、何もしなければ、この子は、必ず明日も学校を休み、また来るまでに時間がかかる。だから、学校に来ると約束させなくてはいけないと思った。それと、外で話していたので、子どもが寄って来ていた。職員室に行こうと言っても動かないので、背中を押した。すると、私の後ろへ逃げた。そして、私が振り返って追いかけようとした瞬間、じゃりのために滑った。これは、かっこ悪い。しかし、逃げた子どももほっておけないので、追いかけて行った。
 その子は、送迎バスの運転手のおじいちゃんのところへ逃げた。このじいちゃんが甘く、叱っている子は、孫達のなかで、唯一、学校へ来ていた1人だった。先生から聞いた話だと、このじいちゃんの子ども達は、11人いるのだが、学校に来ていたのは1人だけらしい。そんなじいちゃんなので、私が叱っている事に、何しているんだと言うような感じで言ってきたので、これには腹が立ち、じいちゃんには怒った。
そして、子どもに学校に来ると言わせて、じいちゃんも、学校の来るようにさせると言うので、終りにしたが、全てがすっきりしなかった。
 また、転んで、腕と足とあごをすりむいたので、かなりへこんだ。そんな、私の傷口を舐めて慰めてくれたのは、花子だけだった。

2007年1月29日(月)
何がエンマンだ?

 オープンクラスが終わってから1日目。特に変化なく、普段と同じように授業は行われていた。放課後、5年生の先生が来て、「オープンクラスはエンマンだった。」と言う。でも、その先生の授業を見ていると、エンマンではなく、助言をしなければいけない所の方が多いので、エンマンな訳はないと思いながら、話しを聞くと、教育省の人に、授業がよかったと言われたらしい。だから、喜んでいたのだった。
 オープンクラスは、普段の授業をよくしていくために行う事を、マーシャル人に伝えていこうと言う話し合いをしているのに、教育省にいる人が、オープンクラスの授業がよかったと先生を褒めている事が、聞いていてすっきりしなかった。私たちが意図している事を、何も解っていないのだろう。
 最低でも、普段の授業でも同じように教えているのかを聞いた上で、同じだと言うのなら、エンマンだという言い方をしてほしかった。そうすれば、先生に、少しは普段の授業が大事なのだという意識が生まれるのである。誰でも出来るような、授業はよかったと言うような褒め方は、無意味なだけでなく、害の方が大きい。

2007年1月28日(日)
切手がない

 マーシャルの郵便局は、平日しかやっていないので、街にいる隊員に、買う事を頼んでいたのだが、切手を切らしているらしい。
 マーシャルの国内で、おそらく郵便を使って、手紙を出したりはしていない。だから、切手を使うのは、海外へ手紙を出すときである。その切手がないと言うのはどういうことなのでしょう。しかし、マーシャルだけに、それもありえる。
 だから、まだ、年賀状が出せずに手元にある。本当に、年賀状が届くよりも、私が日本に着く方が早いかもしれない。

2007年1月27日(土)
オープンクラスについて

 マーシャル人は、基本的性格としてかっこつけである。オープンクラス、そうでなくても誰かに見られる時には、かっこいいところを見せようとする。普段の授業が、よくない事は、マーシャル人も解っている。しかし、よくないとは思われたくないから、見られる時には、かっこをつけようとする。これは、日本人も同じで、普段の授業を、怠けている先生ほど、見られる時には、かっこをつけようとする。ものだと、私は思っている。
 だから、そこに規制をかけないと、オープンクラスでは、かっこよさを求めるため、普段の授業と関係なく、別の物になってしまう。これは、子どものために行うものではなく、先生の見得のために行われるだけになる。
 オープンクラスが、授業は子どものために行う事を伝え、普段の授業を高めていくためのものになるように、日本人は支援していかなければならない。
 そういうことも含め、授業より、授業後のミーティングの方に重点を置いていくべきである。そのために、テーマを作り、テーマを考えた授業作りをすることが、先生の力をつけていく事になる。しかし、今回は、教育省でのテーマが決まってから、2ヶ月もなく、教育省のテーマがウォジャの先生に伝えら、ウォジャのテーマが決まったのが、1月なので、テーマについて考える事はできなかった。他の学校先生も、まだまだ、テーマがある事も浸透していないので、この話し合いは、不完全燃焼であった。
 しかし、今日の様子を見ると、オープンクラスの意図を汲み、話し合いをリードしていける人、次のシニアボランティアの人にそれを期待しているのだが、そういう人が現れない事には、ミーティングで、テーマをもとに、マーシャルの先生が話し合えるようになるのは、まだまだ、先の事になるだろう。

2007年1月26日(金)
オープンクラス

 ウォジャ小学校でのオープンクラス当日。算数の授業は、全学年、午後1時30分から行われる。そのため、午前中は、算数の授業がなかったので、いつもよりのんびりと学校へ行く。すると同じ頃に、4年生の先生も学校に車で送ってもらっていた。
 先生の中で、一番心配な4年生の先生は、おそらく、オープンクラスから逃げようとしたのだろう。しかし、朝、来てない事に気づいた校長に呼ばれて、仕方なく登校してきたのだと思われる。
 今回、私は、特別に、オープンクラスために何かを準備したわけではない。私がした事は、授業後のミーティング用紙を作っただけ。その他の、教育省への連絡、本当なら教育省がするはずだった他の学校への連絡、学校見取り図とタイムテーブルの作成、全て校長が行い、私は、助言をしただけだった。
 マーシャル人だけで、オープンクラスを開催できるようにという目的に向けて、一歩前進できた。
授業に関しては、オープンクラスは特別な授業を見せるのではなく、普段通りに授業をして、それを見てもらう事を言っていたので、特に何もしなかった。どの学年も、いつもの授業の続きで、普段どおりの授業をした。4年生の先生だけは、いつもは、まともな授業をしていないので、オープンクラスのための授業を行うしかなかった。
 決して良い授業とは言えなかったのかも知れないが、今は、それが実状だから仕方がない。普段の授業から、マーシャル人の先生が、授業の行い方を考えてくれるようになると、オープンクラスでやっている事が、普段の授業に生きてくると考えている。特別な事をすると、特別な物でしかなくなってしまう。
そういう意味で、今回、普段の授業を見てもらい、普段の授業をするという意識付けが出来た事は、よかったと思う。
 そして、マーシャルでの生活も後50日になった。

2007年1月25日(木)
三島由紀夫

 以前、大家の家の飲み会で、マーシャル人が日本人の切腹をテレビで見たと言っていたと、日記で書いた。切腹の場面などニュースでするわけがないだろうと思っていたのだが、三島由紀夫という作家だった。私が生まれる前の出来事だったのだが、本当にニュースで放映されていたらしい。マーシャルでも、それを見ていたのだから、30年以上前に、マーシャルでも、日本の放送がされていたという事に驚かされる。
 日記を読んでいた母親が、そんなことも知らないのかと、三島由紀夫の本を2冊、年末に、マーシャルに来た時に置いていった。「金閣寺」と「仮面の告白」で、「金閣寺」を読み終わった。文章表現が難しく、読み進めるのが困難だった。「仮面の告白」も少し読んだが、こちらも、なかなか苦労しそうだ。

2007年1月24日(水)
先生の変化

 1,2年の先生、時々、強く言ってしまったり、指導案を読むのを怠けていたりするけれど、私が言うのもなんだが、授業のやり方は、大分よくなってきている。
 この頃は、授業中に、子どもが話しを聞かない理由、理解がよくなかった理由を考えてもらうようにしたりしている。マーシャルの先生は、ほとんどが、話が聞かないのは子どもが悪い。理解が出来ていないのは、子どもが悪いというように答える。
 それが、私が、「どうして今日、子どもが話しを聞かなかったと思う。」と聞くと、1,2年生の先生は、「私の教え方がよくなかったからかな?」と、考えてくれるようになった。
 最初の頃、私がアドバイスしていた事は、先生にとって、その時その時のことでしかなく、おそらく、方法のようにしか考えてくれていなかった。でも、何度も同じような事を言っていたので、一つ一つが別々ではなく、全体的な授業を行う時の考え方のような物を、解ってくれだしている感じがする。
 昨日、授業中に、先生は、友達の発表を聞きなさいと何度も言っていた。でも、聞いている子どもは、すぐに気が散ってしまっていた。これは、子どもに集中力がないからではなくて、気が散ってしまうような発表のさせ方をしていたたためで、そのさせ方に問題があった事と、どのようにすればいいかを伝えた。最初の頃は、これを、方法としてしか聞いてくれていなかったのだが、今は、理由を含めて、納得しながら聞いてくれている。
 だから、今日の授業では、昨日伝えた事を、しっかりと授業の中で行い、子どもは集中した状態で、発表を聞くことが出来ていた。それを、授業後に先生に言うと、先生は、「でも、ちょっと、怒ってしまったからよくなかったでしょう。」と、反省していた。

2007年1月23日(火)
読む練習

 子ども達に、足し算、引き算では、計算手順を読ませて覚えさせている。かけ算では、九九のように読んで覚えさせている。
 マーシャルには、もともと文字はなかった。アルファベットを使うようになったのは、おそらくアメリカの統治下になった戦後からである。物語とか知識は、語り継がれてきていた。文字に残ってないので、マーシャルのカヌーは、世界で最も優れていたと言われるが、その造船方法も航海方法も、話すことによって受け継がれてきていたので、今では、その技術は失われてしまっている。
 だからかどうかは、確かではないが、文字を書いて覚えるよりも、言いながら覚えるほうが、子ども達は解りやすいようだ。また、家に帰ってから、ノートや紙に書いて勉強をする習慣はない。でも、計算方法や、かけ算を言う事はいつでも出来る。だから、家に帰ってからも、読みながらの練習はしやすいようだ。子ども達数人が集まって、言っていたりもしている。
 この計算手順と英語版九九は、去年から教えていた事なので、去年教えた子と、今年教えた子は、同じように習っている。だから、家で言いながら練習をしていると、去年習ったお兄ちゃん、お姉ちゃんが、それを聞いて、家でも教えてもらっているのもあるようで、去年と比べると、今年の子達のほうが、覚えがいい。また、それを聞いている、弟、妹もいるので、毎年繰り返し、同じように練習をしていれば、大家族のマーシャルでは、大きな効果があるのではないかと思う。
 このような事から、マーシャルでは、読む、声に出すという練習方法が、よりいっそう効果的なのではないかと思うのだが、2年の隊員活動では、主観的な感想だけでしか言えず、それを立証する事はできない。立証できなくても、それがいいと思ったら、続けていくことなのだが、私は、同じように練習をしていけるようにしてほしいと思うだけで、やっていくのは、教えているマーシャルの先生と、次の隊員次第でしかない。

2007年1月22日(月)
すんなりやりたいものだ

 朝、学校へ行くと、校長が、オープンスクールの事で、問題が起きたと言ってきた。また、教育省から何か言われたのかと思って身構えたが、そうではなく、同じ日に、中学校でワークショップをするから、どうしようと言う事だった。マーシャルでは、町中の学校だけは、田舎の学校とは違い、小学校が6年間、中学校が2年間と別れている。
 校長は、日を変えたほうがいいのかと聞いてくるので、ウォジャ小学校のオープンスクールと、中学校のワークショップは、どちらの方が、先に予定を決めていたのか聞くと、ウォジャ小学校のほうが先だったと言うので、それなら、日にちを変えるべきなのは、中学校の方で、ウォジャ小学校ではないという事を言った。
 校長が言うには、中学校の校長が、ウォジャでオープンスクールがあるという事を聞いても、日にちを変えないと言ったらしい。だから、教育省から、こっちに、中学校と日にちが重なっていると連絡があったらしい。
 だからと言って、教育省に、予定を先に連絡していて、各学校にも、すでに連絡をしているのに、こちらが変える事はないと校長には言った。
 教育省も、校長も、おろおろせずに、筋を通してほしいと思うのだった。もしかして、校長は、期日が近づくにつれてナーバスになり、延期するための理由が出来た事に、少しばかり期待していたのかもと、後からちょっと思った。

2007年1月21日(日)
シュークリーム食べたい

 不二家の商品が、管理問題で店からなくなっているのを、ニュースで見た。シュークリームを作っていた卵の賞味期限が1日過ぎていたという。たった1日。だったら、マーシャルに送ってくれと思った。
 生まれてから3ヶ月過ぎた卵でも食べられるのだから、間違いなく、そのシュークリームも食べる事ができるはず。管理責任を守らなかった不二家は問題だが、店頭から除けられているお菓子は、捨てられるのだろうから、出来れば、送ってほしいなあと思うのであった。
 と、そんな事を思っていると、シュークリームを食べたくなった。マーシャルに来てから食べていない。後2ヶ月して日本に帰ったら、シュークリームを食べよう。

2007年1月20日(土)
新年会

 またまた、やってしまった。解ってはいるけどやってしまった。待つのには慣れたけど、待ってしまう事をしてしまったのが、敗北を感じる。
 今日は、教会で、7時から新年会があると聞いていた。この前のクリスマスパーティーは、時間通り始まっていたので、今回は遅れないようにしようと、考えたのが失敗だった。少し遅らせて7時半に行ったのだが、教会には、料理は並んでいるのだが、おじさんが1人、掃き掃除をしているだけだった。しばらくして、おじさんの掃除も終わり、人が集まるのを待つだけ。
 パーティーやピクニックなど、マーシャルの集会は必ず食事が出る。その食事は、それぞれの家庭で作った料理を持ち寄ってくる。8時ごろから、人が料理を持って集まりだした。料理を作っているので、時間がかかり、集まってくるのが遅くなる。だから、食事があるという時は、2時間遅れていったほうがよいということだ。この前のクリスマスパーティーは、パーティーの最後に料理が出た。パーティーの最中に作っている人がいたから、パーティーは時間通り始まったのだろう。
 と言う訳で、今回も2時間半遅れの9時半頃に始まった。最初にあった食事は、教会が準備していた食事で、その後に、持ち寄ってきた食事が増え、かなり豪勢で大量の食事になった。
 新年会は、特にイベントがあるわけではなく、みんなが持ち寄った食事を、みんなで食べる。まず、神父さんの話があって、話が終わると、早速、食事を取り出す。最初は、神父さんなどのお偉い方や先生。私も、最初に取りに行かせてもらえる。そして、子どもは、小さい子から。大人は年配の女性から。だから、男の若者、高校生が最後。時間差があるだけで、無くなる事はないくらい十分な食事がある。あまった食事は、いつものように、それぞれに盛り付けて持って帰る。
 食事が終わった後は、教会関係者からの新年のあいさつ。しかし、あいさつが始まったら、人がだんだんと減っていく。会場には、数人の大人の人だけになる。それでも、あいさつを続けている。長い話を聞くのがいやなのはよく解る。でも、マーシャルでは、話は長ければ長いほどいいと考えられている。聞く事を強制しなければ、話す人は話しを短くするわけでもない。
 5人で、30分ぐらいの話の後、11時過ぎ、新年会は終わった。

2007年1月19日(金)
嬉しかった言葉

 1年間の指導案が完成したので、1年生と2年生の先生に、ファイルを渡した。その時、2年生の先生から、「これまでは、ボランティアが授業をしていただけで、私達が授業を出来るようにならなかったけれど、ヨシアキは、私が授業を出来るようにしてくれて、指導案を作ってくれたので、これからも授業が出来るようにしてくれた。ありがとう。」と言ってもらえた。
 今までのボランティアは、ボランティアが授業をして、子どもの指導をしていくことが中心だった。しかし、それでは子どもの力がついて行く事はなく、先生を変えていくために、先生の指導が必要だという事に、やり方が変わってきている。だから、ボランティアの方向性が変わってきているのであって、前のボランティアのやり方が、どうこうと言うわけではない。
 これまで、うるさく言ったりしながら、指導案を読むことや、怠けない事、授業の仕方を伝えてきた。マーシャルの先生が、それを望んでいるわけではなく、私が押し付けているだけだと思っていたけれど、授業の仕方を教えてくれたと言う事を、喜んでくれていた。マーシャルのエンマン文化は、人をけなす事はなく、良い、良いと言ってくれる文化だという事を考慮に入れても、今日の言葉は嬉しかった。

2007年1月18日(木)
出産

 3年生の先生が、新学期からずっと休んでいる。最初の頃は、調子でも崩したのかと思っていたけれど、2週間もたつので、どうしたのかと聞いてみた。すると、子どもが生まれるので、休んでいると言う。いつ生まれるのかと聞くと、明日だと言う。
 あるはずのない答えだったので、「あしたー?」と、聞き返したが、そうだと言う。その先生は、12月までは働いていた。明日生まれるのなら、その時には、お腹の中の赤ちゃんも、ずいぶん大きくなっていたはずだ。しかし、思い返してみると、以前にも、ある先生が、学校を休みだしてから、1ヶ月経たないうちに出産した事があった。その時も、学校に来ている間、お腹が大きい事に気づかなかった。
 マーシャル人の体型では、お腹の中に赤ちゃんがいるかどうか、判断しにくいのか、それとも、私が鈍感なだけなのか。
 マーシャル人は、子どもが生まれる、1ヶ月前ぐらいから仕事を休み、出産後は2週間ぐらいしたら、仕事に戻る。産休の制度がないためだと思うのだが、マーシャル人の女性のタフさは、感心させられる。
3年生の先生が、学校に来ていた前学期に、その先生は、すぐに座ろうとして動こうとしないので、授業中は、座ってしまわないようにして、動いて子どもを見るように、言っていた。その先生は、私から言われると、だるそうに動き出すので、怠け癖がついているのかなどと思っていたのだが、身重だったのなら、悪い事をしてしまった。

2007年1月17日(水)
無駄使い

 学校に、新しいタイムスタンプ機が購入された。前からタイムスタンプ機はあったのに、なぜ、新しい機械が必要なのだろうか。毎日、きっちりと、時間を正しく記録しているのならまだしも、ほとんど毎日、最後に帰る先生が、みんなの分のタイムカードを記録しているし、それなら機械を使わずに、手で書いていても何の問題もない。
 値札がついていたので見ると、395ドルもしている。マーシャルの学校には、割りと多くの予算がある。しかし、与えられた予算で何を買えばいいのか解らないので、どこの学校でも、どうしてこんなものを買うのかという物が増えていく。
 授業で必要なものや、備品としてあればいいのにと思うものは、色々とある。買ってほしいということも伝えるのだが、買ってくれたことはない。授業や子供のための物より、先生のための物のほうがほしい様子。
 今回の、タイムスタンプ機も、あきらかに無駄使い。前の機械は、アジャルタケの校長が、今日、持って行った。まだまだ、使えるのである。アジャルタケの校長は賢い。

2007年1月16日(火)
学習習慣

 2年生は、ノート1ページに、計算問題を6問書いている。縦と横をそろえて書かせる事に、昨年は大変苦労したのだが、今年は、書きなさいというだけの指導で、数字を書く位置が縦と横にそろっているか、自分で確かめて書ける子が多い。
 昨年は、黒板に、ノートと同じマス目を書いて、黒板と同じように書くように言っていた。今年は、そんな事をしなくても、計算と計算の間を1行開けるようにして書きなさいと言うだけで出来た。
 この子達は、1年生の時から、マス目ノートを使っているので、使い方になれているのが大きいと思う。そして、数字と数字の間を空けるということも言い続けているので、抵抗なくできるのだろう。また、先生がマーシャル語で説明してくれているのも、やっぱり解りやすいのだろう。
 1年生は、まる付けが、最初から正しく出来ている。2年生以上は、いくら言っても、間違えを消して、答えを書き直して丸を付ける子がいる。間違う事を極端に嫌うマーシャル人だから、そうなってしまうのは仕方がない。
 しかし、1年生には、初めてまる付けをする時から、先生に、間違えを消さないで、ばつをして正しい答えを赤鉛筆で書くように言ってもらった。間違える事は駄目なことではなく、間違えを消したり書き直したりする事の方が、駄目なことで、間違えを残すから覚えることが出来る事も言ってもらった。
 そうしたら、1年生は、全員、間違えを消さずに赤鉛筆で直している。マーシャル人でも出来る。そうするものだと覚えたのだろう。低学年の時から学習習慣を教えていく事は、本当に大事だ。

2007年1月15日(月)
お別れ会

ウクレレに合わせて歌う

テレまくってズボンめくり上げ

 オープンクラスのためのテーマを決めたのが、先週の月曜日。あれから1週間たっている。しかし、先生たちに、テーマの内容が知らされていない。校長に、テーマを先生に伝えなければいけないと言うと、他の学校の先生にか?と言う。校長は、この1週間は、オープンクラスの連絡をするための手紙を作っていた。
 テーマを決めるように言われたので決めただけで、テーマを、どのように扱うかは、当然ながら、解っていない。テーマを考えて、それを達成するために授業を変えて行く事をしなければいけないと言っていたのだが、それでは、どういうことなのか伝わっていない。
 どうやって先生にテーマを知らせるのか相談すると、校長が、今週中に伝えるようにするという。今週中だったら、オープンクラスまで、残り1週間になってしまう。早ければ早いほうがいいと言って、明日連絡してもらうことになったが、先生たちのほうでも、テーマを、どのように扱っていいのか解らないし、考えようともしないだろう。
 夏休み前に作るように、あれだけ急かしていたのに、教育省にだらだらされたのが腹立たしい。もっと時間があれば、テーマを作ることについて考えたり、テーマにそくした授業を行うようにしたり、先生に指導が出来たのだが、今となっては仕方がない。

 学校から帰るのが、8時前になった。学校で仕事をしている時に子どもが来て、教会で、離島に帰る子がいるから、パーティーがあると聞いていた。
 ちょうど、教会ではパーティーが始まろうとしていたので、飛び入り参加させてもらった。子ども達ばかり、サンデースクールの集まりだった。サンデースクールは、子ども達のための日曜教会の事。今日の主役は、クリスマスバケーションの間、ウォジャの親戚の家、おそらく神父の家、に来ていた子。明日、ナムラック環礁に帰る。1ヶ月の間、ウォジャにいて、クリスマスパーティーでも一緒に踊っていた。学校が始まってから2週間、帰るのがちょっと遅くないかとも思いながら、そんな事を気にしてはいけない。
 お別れパーティーは、歌がメイン。子ども達が、色々なお別れの時の歌を歌う。そして、食事。お決まりバーベキュー。その後、一人ひとりと握手をしながら、みんなからプレゼントをもらう。お菓子だったり、日用雑貨だったり、1ドルだったり。お別れ会の流れは、いつも、だいたいこのように同じ感じ。プレゼントをもらった後、神父からあいさつをするように言われて前にたった。しかし、マーシャル人は、かなりの照れ屋。その子も、とても照れていて、なかなか言葉が出ない。そして、やっと出た言葉が、「メリークリスマス。」みんな爆笑。最後に神父さんが話しをして終わった。

2007年1月14日(日)
報告書作成

 隊員は、任期中に報告書を5回作る。4号報告書が、18ヶ月目。そして5号報告書が、任期終了時。普通は24ヶ月目。しかし、私達、現職教師隊員は、後2ヵ月後には、5号報告書を書かないといけない。だから、4号報告書を、急いで出さなくては、5号の時期に、すぐになってしまう。
 というわけで、今日は、報告書を作っていました。あと、遅くなっていますが、年賀状を作っていました。さて、日本には、いつ届くのでしょうか。私が日本に帰るのが早いか、年賀状が届くのが早いか。

2007年1月13日(土)
さようなら猫

 街で、買い物をして帰ってきた。子猫は、家の中に居座ってしまい、家から出て行かない。昨日、学校へ行く時も、街へ出ていく時も、一緒に外に出てこないので、家の中に入れたまま出てきた。
家に帰ってくると、よって来て、足をすりすりしながらついてくる。相手にしないと、そばで寝て、じゃまはしてこない。かわいい猫だ。
 台所に猫用トイレを作っているので、砂が散らかっていた。そして、台所は土間なので、猫がいても汚れないように、床掃除をした。台所の物も移動して、すっきりとさせて。これで、猫も快適に過ごせると思って、最後の拭き掃除をしていると、大家の弟、ベンが来て、俺の猫を探していたんだ。ここに居たのかと言う。そして、こいつはねずみを取ってくれていいだろう。取ってくれたかと言って、猫をつれて行ってしまった。
 大家(姉)は、隣のレンガで造られた大きな家に住んでいる。弟は、隣の板で造られた小さな家に住んでいる。マーシャルは女系社会で、財産は女に相続されていくので、弟は、姉が所有している土地に、家を建てて住まわせてもらっている事になる。だから、大家の孫は、猫の事を知らなかったのだろう。
 部屋に、おしっこの臭いを残して子猫は去っていった。トイレを作っていたのに、おしっこは、部屋の隅に置いてあった本やビニールの上でしていた。部屋の隅だったので、そこがトイレだと思ったのだろうか。
街から、猫用に、魚とツナの缶詰も買って来ていたのだが、私用になってしまった。

2007年1月12日(金)
成績わたし

 ねこは早起きだ。朝5時ごろから、家の中で、ごそごそ、がさがさ動いているので、起こされてしまった。そして、猫の事はよく知らなかったので、インターネットで、猫について調べてみた。
 猫は、朝と夕方に、活動時間が来るらしい。その時間に、餌を探していた習慣が残っている。だから、今日も朝から激しく動いていた。昨日も、夕方頃に、激しく動いていた。猫が体をこすり付けてくるのは、匂いをつけているためで、愛情表現らしい。足元に来て、すりすりしてくる。
 
 今日は、成績表を渡す日。マーシャルでは、学期の最後にテストをするので、その成績処理のため、次の学期が始まってから一週間後に成績を渡す。親は成績を受け取り、見たら、また学校に持ってくる。親の関心があるのは成績の点数だけ。点数が気に入らないと、その理由を聞いてくる親もいる。結果だけを気にするので、成績を渡すのが、休み前でなくても問題はない。

 日本だと、休み前に成績をもらって、休み中に苦手なところを復習するというように考える。こうした考えが普通なところに、学力をあげてきた原因があるのだろう。
 子どもは帰して、午後から、親が学校に来て成績表を渡すのだが、学校は静かである。1年生の親は3人。2年生の親は5人しか成績を取りに来なかったらしい。

2007年1月11日(木)
居候

 学校から帰ってくると、家の下に子猫がいた。花子と遊んでいると、よって来た。犬も人間も怖がっていない。よって来たのでなでてやると、体を寄せてくる。これだけ人間に懐いているので、だれかの飼い猫だろうか。大家の孫のトニーが来たので聞いてみると、大家の家の猫ではないらしい。だとしたら、どこから来たのだろうか。
 花子と大家の犬たちにやるドックフードを、食べるかどうか、試しにやってみた。1個目は、ガジガジかじりながら食べた。でも、2個目は食べなかった。やっぱり猫にドックフードは駄目なのか。
 家に戻ると、子猫もついてきた。この時も、何の警戒もなしに家に入ってくる。そして、なぜだか解らないが、流し台の下に潜り込んでいた。ドアは開けていたのだが、外に出る事はなく、ちょっと花子に吼えられたら、外ではなく流し台の下に隠れていた。
 私は猫に対してアレルギーがある。猫のいる家に居ると、目がかゆくなり鼻水が出てくる。だから、あまり好きではないのだが、この猫は、かわいい。
 外にいた猫が、花子も入らない部屋に入って来ようとするので、犬用シャンプーで洗うことにした。しかし、シャンプーをつけて水をかけたとたん、嫌だったのだろう暴れだした。シャンプーをつけたまま止められないので、逃げようとするのを押さえて洗った。終わったとたん、流し台の下に隠れてしまった。しばらくして、連れ出すと、よっては来るのだが、警戒していて、最初のような、なつっこさはなくなった。嫌な思いをさせてしまったようだ夕飯を食べていると、ほしそうに鳴くので、ご飯をあげた。でも、食べない。猫はやっぱり猫舌だった。
 洗った後、部屋に入ってこようとはせず、今は台所で寝ている。

2007年1月10日(水)
授業の準備をするべし

 昨日に引き続き1年生の先生。昨日教えなかった辺と角の説明をした。そして、子どもが覚えているかの確認も行なっていた。しかし、子どもに渡したテキストのコピーが、すでに終わっているページで、前時で使ったあまりのコピーだから、当然、数も足りない。そして、コピーが足りないよと私に言ってくる。
 指導案を見る時に、使うテキストの内容も確認するようにという事は、以前から言っている事。また、昨日、学習する内容を調べるようにも言った後だったので、先生に対する言い方が強くなった。
 授業の前に、準備をし、教える事の確認をするのは、日本では、当たり前のことで、それをしないで授業をする事は出来ない。しかし、マーシャルには、そのような意識はない。それでも、何とか、今まで言い続けて、準備をして、指導案は見るようになってきている。
 指導案を作って教え方を示し、私がプリントの準備をしていたので、プリントがなかったのは、もうすでにコピーしておいたと思っていた私の勘違いのせいで、そのため、今回の事は起きてしまった。マーシャル人の実態を考えれば、前もって確認して気づけというほうが無理なことだ。まずは、マーシャル人の先生が、自分で確認するようにさせなくてはいけない。怒るのはそれが出来なかった時なのだが、今日は、先走ってしまった。
 3学期からは、私が何もしなくても授業が出来るように、指導案を見てプリントの準備もしてもらおうと思っていたので、これから、これをしていってもらう事にした。
今日の言い方はひどく、先生と気まずい関係になってしまった。私が帰った後も、先生だけで授業が出来るようにしようと思っているのに、こんなやり方だと、やらされているように感じて、私が言うようにすることがいやになるだろう。これではいかん。

2007年1月9日(火)
先生も日々勉強すべし

 1年生は、平面図形の勉強をしている。今日は、初めて、辺と角の勉強をした。しかし、先生は、いきなり三角形を見せて、「辺はいくつですか。」と聞いた。次の質問は、「角はいくつですか。」
 1年生には、昨年留年をした子が、2,3人いる。その子達が中心になって答えを言っている。ほとんどの子は、おそらく、何を聞かれているのかも解らず、それでも、何とか答えようと答えを言っていた。正方形、長方形、円、三角の、辺と角の数を聞くだけで授業は終わった。ほとんどの子は、何をしていたのか、解っていなかっただろう。
 授業後、先生に、初めて辺と角の勉強をするのに、その説明をしなかった事を、指導案を見せながら伝えた。指導案には、辺と角の事を教えると書いてある。先生は、辺と角が何か解っているのかと聞くと、解らないと言う。
 だから、解らないのだったら、教科書を見て調べるとかしないと、先生が解らない事を、子どもに教えて解らせる事ができる訳がない。先生も、子どもと同じように、解らない事は調べるようにして勉強しないと駄目だと伝えた。
 今までは、解らない事は教えていたのだが、自分で勉強をして調べるように、今回は、子どもと同じように先生にも言った。

2007年1月8日(月)
オープンクラスのテーマ

 学校は、先週から始まっているが、私の活動は、今週から、いよいよ最終段階に入り、マーシャルでの最後の学期が始まった。3月9日までの2ヶ月間で終わる。
 4日の話し合いで、1月26日にオープンスクールをすることが決まった。それで、校長が、ウォジャ小学校のテーマを何にするのかと聞いてきたので、それは、先生たちで決めるのがいいと言ったのだが、校長は、2人で決めるようと言う。みんなで話し合っても、テーマを考えられないと思ったのだろう。確かに、校長もテーマを考える事は出来ないので、仕方のない事だ。教育省で決めたテーマから、学校でのテーマを決めようとしたのだが、校長からの考えはなかった。結局、私が、いくつかテーマを例示した。
 テーマは決めればいいだけではない、テーマを決めたら、先生達が、そのテーマに向けて授業の方法を変えていかなくてはいけない。それを考えて、どのテーマなら出来るかを決めるように言うと、悩んでばかりで考えられなかった。マーシャルでも、他の学校の話し合いでは、先生からテーマに対して意見が出ると聞くのに、ウォジャの先生は、自分達で考えるということが出来ない。校長は、悩んだ末に、私が例示したテーマを全て含んで、ウォジャ小学校のテーマを作ろうとしたので、全てが、あと3週間で出来るわけがないから、ひとつに絞るように言わなければいけなかった。テーマを考える前に、テーマとは何かが、いまひとつ解っていないようだ。
 最終的に、「子どもの手助け」に決まった。マーシャルの先生は、子どもに練習問題をさせている時に、子どもを見ないで、別の事をしている。ずっと、子どもを見るように言い続けているのだが、変わらない。だから、「授業中の先生の子どもへの対応の仕方」をテーマにする事になった。具体的にいうと、「練習問題をさせている時に子どもを見る」と言うことだけでいいと思っている。
 それで、ワールールドティーチに、文章を作るのを校長が頼んだのだが、ワールドティーチは、それを、子供同士の手助けと思ったらしく、グループ学習や宿題をするという内容でテーマを長々と作った。アメリカの教育に考え方なのだろうか、ワールドティーチだけではなく、アメリカ人の話では、グループ学習や宿題の事が多く、先生の指導の仕方と言う視点が少ない。
 それを、私のつたない英語で説明しなくてはいけない。ほんとにこういう時は、日本語で話したくなる。それで、何とか、先生から子どもへの手助けと、子ども間での手助けという2つの視点でテーマが作られた。グループ学習、宿題の文字も入っている。
 子ども間での手助けをワールドティーチは譲らなかった。確かに、子ども間の手助けは大切だけれども、普段の授業でそういう学習をしていないので、オープンスクールで、それを行うことが出来る先生はいないと思う。そういう内容をテーマに入れていると、テーマと行われる事に差が出来てしまい、好ましくない。ここまで、はっきりと言えなかった。
 テーマがどのような形だとしても、決まったテーマを、先生達が理解し、それに取り組んでいく事が大切なのだが、そのような意識を持つ事を、校長が先生達に伝えるとは思えない。それ以前に、3週間前にテーマを決めている事自体おかしいのだが、これは、教育省がテーマをなかなか決めなかったから仕方がない。私は様子を見ていく事にしよう。

2007年1月7日(日)
お金持ち

 久しぶりにテニスをした。汗をかくのはいいけど、今日は、暑すぎた。長時間動けない。帰りのヒッチハイクで乗せてくれたトニーさん。警察官のキャプテンだというだけあって、いい車に乗っている。そして、アイ・ポットをステレオにつないで音楽を聴いている。
 マーシャルで、お金を持っている人は、別にお高くとまっている訳ではなく、気さくな人が多い。これはマーシャルの文化だろうか。

2007年1月6日(土)
嫁さん帰国

 嫁さんが日本に帰っていく。花子との別れを惜しんだ。花子は、4日に学校へついて来て、その時に、学校にいる犬とけんかをした。大逃げをせずに立ち向かっていたので、なかなか勇敢になっている。しかし、敗北。右足が怪我ではれてしまっている。
 嫁さんが帰った後、夕方に、大使館主催の「祭り」の打ち合わせがあった。これは、毎年行われている行事。去年も参加してわたアメを作っていた。今年は、書写ブースになった。書道6級の腕が試される。
 その後は、カラオケに行く。以前行った時と違って、機械が新しくなって、新しい曲が入っていた。2月に、JAL直行便が来るので、そのための用意だろうか。

2007年1月5日(金)
アメダマ探し

 今日も、嫁さんが来ているということで休みをもらった。天気がよかったので、ダイビングに行こうとしたが、バスが来なくて諦める。
 昼ごはんは、ちょっとリッチにマーシャルアイランドリゾートホテルのビュッフェに行く。食事後のデザートにケーキ。数種類あるケーキの中から選んだのは、以前に嫁さんと行った時に選んだケーキと同じだった。嫁さんに、「また同じケーキを持ってきた。」と言われるまで気づかなかった。そして、思い返してみると、このケーキは、不味くて失敗したと思ったケーキだった。見た目の好みは変わらないものだ。だけれども、今回食べてみると、そんなに不味いと思わなかった。嫁さんにも食べさせると、「変わってないよ。」と言う。味覚がマーシャル的になってしまったのだろうか。
 嫁さんが、お土産に、マーシャル産「アメダマ」が欲しいと言うので、それをさがす事になった。「アメダマ」は、ココナッツから作る飴で、ジャルート環礁で作られているから、マジュロには、売っているかどうかも解らない。ちなみに、マーシャルでは、普通の飴の事は、キャンディーと言い、マーシャルで作られるココナッツの飴だけをアメダマと言う。
 事務所でえた情報では、大学のそばの店に売っているというので、その店に行ってみる。しかし、置いてなかった。その店で売っているところを聞くと、フォルモサの横の店だという。念のため、近くの売店でも聞いてみたが、どこにもなく、隣の店だとか、アレレミュージアムだとか言う人もいた。
 そして、次に訪れたのは、クレイジープライス。マーシャル1の安売り雑貨屋さん。嫁さんは行ったことがないので行く事にした。この店の品揃えは、なかなかであるが、品質の保証はない。アルノの旅でサングラスが壊れたので、サングラスを買うことにした。値段、何と4ドル。しかし、前のサングラスとは、やっぱりかけ心地が違う。店を出ると、校長がいたので、アメダマを売っている場所を聞く。校長が言うには、フォルモサの隣の店と、目の前にある売店。フォルモサの隣という情報は、3人目で、なかなか確かな情報になってきた。
 まずは、目の前にある売店に行ってみる。この店、入った事がなかったのだが、アミモノを売っているし、マーシャル料理も売っていて、中はレストランになっている。マーシャル料理を食べたいという人には、いい感じの店である。しかし、アメダマはなかった。しかし、嫁さんが食べたいと言っていた「ブゥイロー」を発見。この「ブゥイロー」も、「アメダマ」と同じく、日本語が語源。これもココナッツから作られるのだが、食感は日本のウイローと同じで、私は、マーシャル料理の中で1番好きな食べ物。
 次に向かったのは、アレレミュージアムの売店。しかし、なかった。でも、この店でも、フォルモサの隣にあるという。ますます、確かな情報。ついでに、アルルミュージアムとその隣の図書館に、初めて行ってきた。アレレミュージアムには、マーシャルの文化や、ビキニの水爆実験についての事が展示させている。
 そして、最終目的地、フォルモサの隣の店。店をぐるっと見回して、ここにもないかと思っていると、柱の影に、アメダマを発見。あてにならないマーシャル人の情報も、たくさんの人に聞くと、それなりに確かな情報になることが解った。
 この後のバス待ちで、今日も、3時間待たされた。

2007年1月4日(木)
授業初め

 今日も、日の出を見るために早起き。天気もがよく、雲も少なかったので、なんだか見られそうな予感。初めは内海側に行くが、日の出の方向は、木に隠れていたので、外海側に行く。すると、ついに昇ってくる太陽が見えた。嫁さんと二人でお祈り。おばあちゃんが、無事に天国に行けます様に。
 本当は昨日から学校が始まっていたのだけれど、アルノの行くために休みをもらっていた。だから、今日が初出勤。2時間目の授業が始まる少し前に学校へ行くと、子ども達は、勉強をしていない。どうしたのだろうと思っていると、先生たちはミーティングをしていて、ちょうど終わった所だった。
 なんと、新年初めのミーティングに遅れてしまった。しかし、授業中に子どもを待たせて話し合いをしているのは、どうにかならないものだろうか。
 昨日はスクールバスが故障して、学校はなかったそうなので、子ども達は、今日が新年始めての授業だった。1年生の先生は、いつにも増して、のんびりした授業で、予定の指導が出来なかった。クリスマスバケーションぼけだろうか。一つ一つの指導に無駄な時間を作らない事を伝えた。2年生の先生は、にこやかな笑顔で授業をしていた。今日の授業は、怒る事がなく、子どもをほめながら授業をしていてよかったと伝えると、クリスマスバケーションで、気分を新たにしたと言っていた。
 約1年ぶりに学校に来た嫁さん。1年生から2年生になったアトネジを見て、すごく落ち着いて授業を受けられるようになっていたと言っていた。1年の成長は大きい。
 叔母が子ども達のために鉛筆と折り紙を持ってきてくれた。鉛筆は高学年の子達に配った。ニューイヤープレゼントと言って、日本の鉛筆をとても喜んでくれた。2年生のクラスでは、折り紙で花をつくった。作るのは難しかったようだけれども、アミモノの花と同じように、耳につけて喜んでいた。
 今日は、半日で、午後の私の授業はなかった。

2007年1月3日(水)
アルノの散歩2

 今日も日の出を見ようと早起き。しかし、雲がかかって見られず。
 朝食後、昨日とは、島の反対側へ散歩に行く。特に変わった風景はなく、ぽつんぽつんと家がたっている。そして、所々で子ども達が遊んでいる。マーシャルの学校は、1月3日から始まる予定だから、学校へ行っているはずなのだが、まあ、離島で、予定通りに学校が始まるはずはないか。
 島の端まで行き引き返してくる。そして、学校へ行って見るが、まだ始まってはいなかった。人がいたので、先生かと思って話しかけてみたが違った。でも、色々と聞いてみると、生徒は70人で、先生は4人しかいないらしい。8学年あるので、複式学級にして教えているのかどうか、どのようにして授業をしているのかとても興味がある。次の月曜日に学校は始まると言っていた。
 アルノ環礁は、海がマジュロ以上にきれいで、島の雰囲気がのんびりしている。ロッジは、2泊朝食付きで50ドル。ボートの往復賃が20ドルなので、2泊3日ののんびり生活が、70ドルで出来る。とてもお得。この場所をもっと早く知っていれば、1人でも、ぼけーとしに行っていたと思う。
 帰りのボートは、波が後ろから来るので、行く時とは違ってずぶ濡れにならずにすんだ。船着場の近くのローカルマーケットで、アミモノ屋をしていた。値段は、親が来た時に行ったアミモノ屋より安い。アミモノを買うなら、このローカルマーケットがお得。でも、毎日やっているわけではない。
 今日は、ここからが大変だった。家に帰るためにバス待ちをしていたのだが、来るバスがすでにいっぱいだったり、後から来た人に先に乗られてしまったりして、3時前から待ち、乗ったのは8時前。バス待ち5時間。新記録達成。
 
 家に帰ると、実家からメールが届いていた。今日、祖母が亡くなったという内容だった。葬式は5日に行われると言う。明日の飛行機で帰って、ギリギリ間に合うかどうか。それよりも、明日の飛行機を、これから取る事は無理だった。隊員は、父母子どもが亡くなった時にしか日本に帰れないという規定があるので、連絡をギリギリまでしなかったらしいのだが、もっと早く連絡が来ていても、年始で、グアムからの飛行機に乗れるか解らないので、日本に帰れたかどうかは解らない。祖母が亡くなるのが、今日ではなく違う日だったら、日本に帰っていたと思う。

 日本に帰らず残りの活動期間をしっかりやって来いと言う祖母のメッセージだと思って、マーシャルから、祖母の冥福を祈る事にする。

2007年1月2日(火)
アルノの散歩

 朝、6時過ぎに起きて、昨日、見られなかった日の出を見ようとしたが、今日も日の出の方向に雲がかかっていて見られず。朝食を食べてから、本を読んだり、横になったり、のんびりと過ごす。
 11時ごろになり、泳ぎに行くことにした。内海側は、広い砂浜になっている。誰もいないので、1キロ以上続く砂浜は、プライベートビーチ状態。これで、風がなければ、すごくきもちいいのだろう。しかし、強風が吹いているため、ビーチにいると風が痛い。そして、波が高く、バッチャン、バッチャン音がなっている。それでも、ここまで来て珊瑚を見なければ、来た意味がない。30Mぐらい先に見える珊瑚の所まで泳いで行って みようとチャレンジしたが、あえなく断念。波が高くて進めない。
 内海で泳ぐのはあきらめ、外海側に行った。外海側は珊瑚の岩がごつごつしている。ここも、珊瑚の所までは、30Mぐらい泳がないといけない。風向きが逆なので、内海側よりは穏やかだが、それでも、白波が立ち、日本だと遊泳禁止になるだろう。今度は、嫁さんも一緒にチャレンジした。足元が岩なので、怪我をしないように気をつけながら進んでいくが、波が高くて進めず、またしても断念。
 結局、珊瑚を見る事は出来ずにロッジに戻ることになった。すると、水着のポケットに入れていた鍵がなくなっている。泳いでいる間に落としたのだが、この波ではさがす事はできない。どうしようか考えていると、岩に白いものがはさまっているのが見えた。もしかして、鍵のストラップが浮き輪になって流れてきているのではと期待し、そこへ行って見ると、見事に鍵発見。これはうれしい。
 泳ぐ事をあきらめ、また、ロッジでのんびりする。夕方になり、涼しくなってきたので島探検に出る。アルノは、道がきれいに整備されている。マジュロの道路と同じ位の広さの道が続いている。その横には、四角く垂直に掘った穴があり、ゴミ捨てになっている感じだった。穴の彫り方も道の整備のされ方も、どのようにしているのか知りたくなった。
 ずっと歩いて、船着場を過ぎると、島が細くなり、海の間に道だけがある場所が続く。砂に埋もれているけれど側道のようなものがあり、おそらく、埋め立てて作ったのだろう。帰ってくる時は、砂浜をずっと歩いてくる。ほんとにきれいな砂浜だ。そして、ロッジを過ぎ、島の反対側に行ってみる。一応、島の中心部になる。しばらく歩くと、教会と小学校があり、そのそばでバスケットをしている人と、それを見ている人たちがいた。そこで、店はあるのかと聞いてみると、店の場所までつれて行ってくれた。ロッジの方に戻っていく途中に2軒あった。来る時には、店だと気づかなかった店。一軒は、入り口をのぞきこまないと店だと解らない。もう一軒は、ロッジの2軒隣だった。コーヒーを飲んでいるおっちゃん達がいる。だから、私たちも一杯50セントのコーヒーを飲む。
 夕食は、バーベキューをするつもりが、風が強くて出来ない。仕方なく、ロッジの中で焼いて食べた。

2007年1月1日(月)
アルノ環礁上陸

 朝5時半に起きて、初日の出を見に行く。しかし、嫁さんは睡眠中。
 ウリガ隊員の家からリタの端まで歩いていく。初日の出を見るために、昨年ウリガの辺りをうろついたのだが、ウリガでは海岸に出るための場所がなかった。そのため、リタに向かったのだが、リタの端では、海岸が北に向いている(地図参照)ため、日の出の方向とずれてしまっていた。そして、リタの海岸伝いの道を引き返し、朝の散歩1時間の末、ようやく、日の出が見えそうな海岸にたどり着く。しかし、あいにく、海岸線には雲がかかっていて、日は昇って雲の奥の空は明るいのだが、お日さまは見えなかった。そして、その雲は、こちらに近づいてきていた。
 日の出を見るのは断念して家に戻ってしばらくすると、雨が降り出した。家に戻ってから、年を越してしまっているので、遅いけれど年越しそばを食べ。親が持ってきてくれたもちを食べた。
 今日から、アルノ環礁にあるRREホテルのロッジに泊まる。ボートは、月水金に出ているので、水曜までの2泊。
 10時にウリガドックに行く。ボートは11時過ぎに出た。マーシャルのこの時期は、波が高いので、アルノへ向かうボートは、激しく揺れて水を浴び続けた。1時間半ぐらいでアルノに到着。そこから車に乗り、ロッジへ。ロッジは広々として、風が通り抜けて気持ちがよい。電気は通ってないので、クーラーボックスに氷をつめ、そこに食材を入れて保存する。
 このロッジは朝食付きなので、もらった食材は、2日2人分で、卵24個。ベーコン一箱。パン2袋。ピーナッツバター。バター。水2ガロン(約7リットル)。りんごとオレンジ4個ずつ。けっこうな量。これで3食でもいける。
 ロッジに着いてから一眠り。クーラーはないが、ほんとによく風が通るので苦にならない。夕方、近所の散歩に行く。アルノのロッジの管理人の家を横切り、外海にいって戻ってくる。管理人の家には大きな畑があり、とうもろこし、ピーマン、サツマイモなどの野菜を作っていた。他にも、畑を作っている家が多くあった。隣の家は、庭に堀を作っていた。掘った土を積み上げているので、日本の城の外堀のようになっている。でも、庭で何か作っているわけではなく、何をしているのかは解らなかった。
 ロッジに戻る頃に日が沈み、ソーラーパワーの電気だけなので、薄暗い。夕食はカレーを作ったのだが、暗いために作るのに苦労した。今日は、ほぼ満月で、期待していた満天の星空は見られなかったが、月明かりがとても明るく、外に出ても困らない。ヤシの木の陰ができている。すぐそばの内海に行った。月明かりだけの外もまたいい。