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2005年9月1日(木)
選挙

今日も朝7時にスクールバスが来るのを家の前で待っている。となりには、花子がいるが、車や人が来るとおびえて逃げる。車に乗る時は、逃げているので、私はそのまま乗って行ってしまう。
 昨日休んでいた先生は、今日も休んでいたが、校長が授業をしていた。午前の授業が終わってから、全校生徒でお葬式に行った。この前と同じように、一人ひとりが仏様の前に行きお金を置いていく。その後、食べものをもらう。子ども達一人ひとりにも配っていた。そして、午後の授業はなし。
私は、日本大使館に用事があったので、家に帰ってから、ダウンタウンに出て行った。明後日まで帰らない予定だが、花子は1匹で大丈夫だろうか。大使館では、在留日本人用の選挙が行なわれていた。海外でも選挙が出来る事に驚いた。しかし、3ヶ月すまないといけないようなので、まだ権利がなかったのでした。

2005年9月2日(金)
球場

 朝、買い物をしてから、マーシャルに1つしかないホテルにあるスポーツジムへ行く。昨日は、会員になった隊員と一緒に行った。1人が会員だと、もう1人ついていくことが出来るようになっている。しかし、今日は1人で入っていた。でも、何も言われなかった。特にチェックはしていないみたいで入りたい放題かもしれない。
 その後、車に乗って1時間。ローラにある、球場に行った。球場といっても、バックネットとベンチがあるだけで、今は、草が伸びてきてしまっている。だいたい400メートルぐらいのトラックもあった。昨日のラジオ放送で、明日、ローラ球場で、協力隊員がこれからやっていく野球の説明会をするという放送を流していて、10人ぐらいが集まってきていた。体育隊員が説明を行い、来週から金曜日に、野球をやっていく事になった。
 マーシャルでは、ヤキュウ(マーシャル語)と言ってソフトボールをしている。昔は、ベースボールをしていたけれど、場所がなくソフトボールをするようになったらしい。
 また、野球を始めていこうという試みである。私は、コーチとして参加する事になった。これから金曜日の楽しみが増えた。

2005年9月3日(土)
夕食

 夕方、ダウンタウンから家に戻ってきた。花子が飛びついてきました。心細かったのでしょう。しかし、こっちからよっていくとまだ逃げます。心を許してくれていません。
 鍋でご飯作り2回目の挑戦。今回は水の分量を間違わずに米の1.5倍の量をいれ、ふたがコトコト言いだすまで待つ。それから火を中火にして更に炊く。しばらくすると水の吹きこぼしがなくなるので、火を止め、少しの間待つ。見事出来上がり、こげる事もなく大成功。味は、やっぱり炊飯器で炊いたほうがおいしいけど、インスタント味噌汁とハムエッグで、まともな食事をしました。
 卵ですが、マーシャルでは新しくても2ヶ月前のものしか売っていません。下手すると、6ヶ月前のが売っていたりします。もちろんそれは食べれないので日付けを良く見て、2ヶ月前のを買わなくてはいけません。生は食べられませんね。
 野菜も高くキャベツ1玉10ドル(1000円)以上します。まだ、高くて手がだせません。 

2005年9月4日(日)
ランニング

 朝、と言っても9時半だが、久し振りに走った。訓練期間の駒ヶ根以来である。時間は16分ぐらいだから3キロをこえるくらいは走った。もちろん汗がだらだら。マーシャル人は走るという事をしない。ほんの少し移動するのにも、タクシーを使う。サンポ(日本語と同じ意味で使っている)と言って、夕方にふらふら歩くくらい。汗をかきながら走っている姿は、マーシャル人からすると変な日本人がいると言う感じに見えているだろう。
 でも、久し振りのランニングは気持ちが良かった。
 今日は、掃除をしていました。時間のある時に家の隅々を掃除して3週間。もうすぐ終わりそうです。

2005年9月5日(月)
授業について

 今、3年生には、足し算、引き算の練習。4年生には、概数を教えている。例えば、3年生には、今までに、10になる足し算。一桁の足し算引き算。繰り上がりの足し算などをやってきた。6年生でも足し算はすべて棒を書いて数えている子達である。繰り上がりの方法や、10になる足し算はとても大切なので、毎日、練習を行なっている。
 3年生では、3+□=7の計算の理解に時間がかかった。単純な計算は出来ても、このように少しひねった問題は、分けがわからなくなる。たぶんやりなれていない為だと思う。3時間行い習得率は50%ぐらいである。これも毎日、繰り返しながら覚えていくようにしている。
 4年生の概数は、今日、6日目。しかし、さっぱり理解していない。誰一人として自分では出来ない。一斉指導では、一つ一つ確かめながら進めるのでやっていけるのだが、練習問題をやらせると、まったくだめ。
 こういう結果を見せられて、練習問題が出来そうだという自分の見誤り。子供をまだまだ見れていないことに気付く。日本の感覚だと、十分なくらいやっている。しかし、日本の感覚でやっていてはだめで、マーシャルの子ども達を見ないといけないと思う。当たり前だが出来ていない。また、言葉の不自由さもあるので、どうすれば解りやすく教える事ができるのか毎日検討である。どのようにやっていっているかは、又、報告したい。

2005年9月6日(火)
家の掃除完了

朝窓から

寝室

いちおうリビング

 シャワー・トイレを掃除し、これで家の隅々まで掃除が出来た。トイレの悪臭が消え、掃除したての匂いになった。この家に来てから、ちょうど3週間である。いったい何匹のクモを殺したのだろう。家の中の家具の裏や天井の隅に巣をたくさん作っていたのである。と言っても、そんなボロ小屋に住んでいるわけではない。見た目は普通のちゃんとした部屋である。とことどころ建付けの悪いところがあるのだが、まあ、いいほうなのではないかと思う。
 もちろん、シャワーは水だけである。しかし、水浴びでないだけまし。
 ラブも自分が花子なのだと思いだしたのか、花子と呼ぶと反応するようになった。なかなかいい傾向である。

2005年9月7日(水)
概数を考えさせる

 「20より10大きい数は何ですか。」と言う言葉を英語にするとどうなるのか。イギリス人の英語を担当している先生に聞いたところ、こういう言い方は英語ではしなくて、日本語で言うと、「20と10を足すといくつか。」と言う表現になってしまう。10大きくなると言う事を強調したいと言ったのだが、そういう言い方はなと言われた。あくまでも、私のつたない英語での会話なので、どこまで理解してもらえたかは解らなし、本当はあるのかもしれない。What number is ten more than 20.と使える気もする。
 しかし、そういう言い方も必要なくなった。なぜなら、10ずつ数が増えると、どのようになるかを理解できていない。例えば、20に10足すと30。30に10足すと40。と言うような数の感覚がないことが解った。だから、「20より10大きい数は何。」と聞いても、おそらく理解してもらえないだろう。まずは、10ずつ増える数の規則性と数直線の見方を理解させる事が必要だった。
 今日の内容は、もう一つ意味が解らないかもしれないが、概数を4年生に教えていて、それを教える過程で、例えば23の概数を考えるのに、近い数の20か30かで考えさせる。しかし、子どもから20はすぐに出るのだが、30が、なかなか出てこない。そこで「20より10大きい数は何ですか。」と聞こうと思ったのでした。

2005年9月8日(木)
数量感覚

食い終わりバナナ

チビバナナ

女の子にあるまじき姿の花子

6年生の授業で、10+5=15、20+7=27などの計算は、数えたりしなくても見たまま、十の位と一の位をそのまま答えに持ってくれば出来る事を教えていた。初めての時はこれが出来なかったのである。今日、12+5や、34+3など、繰り上がりのない計算をやってみた。思ったとおりすぐには出来なかった。でたらめな答えを言ってくる。そして、一の位の足し算だけをして、十の位はそのまま答えに持ってくればいいことを教えると、簡単に答えを出す事ができた。
今までやってきていないか、もしくはやっていても、定着させる事をせず、説明して、問題を解かせて、出来ていても出来ていなくても答え合わせをして終わりと言う教え方だから。忘れてしまっているためなので、子ども達がかわいそうであるが、数の感覚が、まったく出来ていないと言ってもいい。この計算も操作を教えて出来る様になっているが、数としてイメージできていないと思う。繰り返しの練習をかなりつんでいかないといけないと思う。
 前もらったバナナが食べ終わった。一週間バナナで栄養補給が出来ました。
今日は、昼前から大雨でシャツ一枚では寒かった。常夏の島でも、寒くなることがあるのですね。

2005年9月9日(金)
彼女を待たせる大学生

 野球をする予定だったが、体育省で仕切っている人が葬式で来られないということでキャンセルになってしまった。楽しみに待っていたのに、がっかり。この調子だと、野球が出来るのは何時になるのか解らない。
 いつものように週末、ダウンタウンに買い物に出た。バスを待っている間に、サンポをしていた少年と、話をしていた。最初、高校生だと思って話をしていると、大学生だった。毎朝、スクールバスがダウンタウンまで行っているらしく、それに乗っていると言っていた。これから、彼女に会いに行くためにサンポをしていると言っていた。そしたら、こんな所で話をしていていいのかと思ったが、マーシャル人は、話好きで、時間にルーズなので問題ないのかなと思って、バスが来るまで話をしていた。

2005年9月10日(土)
ヒッチハイク

 ドミトリーで義経を見る。「壇ノ浦の戦い」である。
 その後、一旦、家に帰るためにバスを待っていた。しかし、30分後に来た1台目のバスはいっぱいで乗る事は出来なかった。1時間ほどして来た次のバスに合図をしていたら、教会のバスで違った。でも、そのバスが戻ってきてくれて、ローラ(ウォジャより遠い)まで行くのかと聞いてくれたので、ウォジャと言うと、乗せてくれた。いやー、ラッキーだった。いいマーシャル人である。
 家に着いて、花子に餌をやりドミトリーでする洗濯物を持ち、また、家を出たのが7時半。隣の大家の娘に会い、もうバスは来ないと言われた。しかし、少し待ってみると言って道にでて行った。そして、バスは来ないと言われたのでヒッチハイクをする事にした。1台、2台、3台…。車は止まってくれない。真っ暗な道の家の前の外灯の下。確かに怪しい人である。でも、10台目。とうとう止まってくれた。初ヒッチハイク成功である。乗せてくれたのは、家に帰っているというウイルセンさんの家族。その上、名前を忘れたが、マーシャルのくだものもくれた。初めて食べたがなかなかおいしかった。しかし、すじが歯にはさまって、これは大変だった。

2005年9月11日(日)
ヒッチハイク2

 日曜日の朝は、マーシャルに来ている日本人が集まってテニスをしている。始めて参加をした。気温が暑いせいなのか、だんだんとボールを追いかけるのがいやになって、ちょっとでも、端のほうにボールがいくと無理だとあきらめてしまうのであった。まあ、でも久しぶりにテニスをしてとても楽しかった。
 そして、夕方、家に帰るのだが、日曜日はバスがない。そして、タクシーを待っていた。しかし、タクシーも日曜のせいか、全然来ない。ここは、ヒッチハイクをする事にした。そして、何代目かの車が、ガソリンスタンド(ドミトリーの前にスタンドがある)に止まったので、出る時に、ウォジャまで行かないかたずねてみた。しかし、とても遠い。空港までしか行かない。と言うので、あきらめた。また。ヒッチハイクをしようとしていると、また戻ってきて、ウォジャまで連れて行ってやるといってくれた。むちゃくちゃラッキーである。その人は、ラジオ局で働いていると言うアンジリさんとポンダさんという人で、日本にも、1999年に来た事があると言っていた。すこんぶを持っていたのであげると、少し食べて止めていた。口に合わなかったらしい。

2005年9月12日(月)

 曜日に買った卵ができた日にちは、6月29日。2ヶ月以上前のものである。先週買った卵も、同じ日付だったので、先週のが、まだ残っていたのである。値段は、40セント安くなっていた。マーシャルに来て、生は無理だけれど、2ヶ月前の卵が食べられる事がわかった。今のところおなかは壊していない。
しかし、気をつけないと6ヶ月前の卵が売っていたりする。さすがにこれは食べられない。買った隊員がいて、割った瞬間、異様な匂いがしていた。それがトラウマになって今まで買えなかったのだが、輸入してくるので、新しくても2ヶ月前のしか売っていない。卵がないと料理が出来ないので、仕方なく買って食べました。
 校長の授業を見に行っていると、数の大きさで質問された。0.06と0.6は、どちらが大きいのか。0.6だと言うと、それはなぜかと聞かれた。英語では、小数点以下を0.06は、シックスハンドレッツ(six hundredth)、0.6は、シックステンス(six tenth)と言う。だから、校長は、0.06が大きいと思ったようだ。位取りで説明したら解ってくれた。

2005年9月13日(火)
授業

放課後

内海のそば

ウォジャ小学校

 学校の4年生のクラスで、これまでも何度も言ってきたし、今日も、何度も言ったのだが、黒板を見ないし、話しを聴かない子がいるので、強く叱った。すると、昼休みの時に、校長から、これからは、担任先生も授業に入ってもらい、マーシャル語で言ってもらうと言われた。授業の後、何かしら、子どもと担任で話しをしたのかもしれない。しかし、英語だけだと通じていないところもあるので、そうしてもらえるととてもいい。速く、マーシャル語でも話せるようにならないといけないと思うが、何時になるでしょう。

2005年9月14日(水)
天の川

 ここウォッジャの空も、天の川が見ることができた。外灯のないところに行くとほんとに真っ暗になるので、少々怖いが、星は奇麗に見える。毎日、見たい時に天の川が見られるって、とてもうれしいです。
 写真に撮れないのが残念。

2005年9月15日(木)
宿題

草のつるで縄跳び

家の庭から

 6年生の授業では掛け算九九の練習をしている。1日に一段ずつやっている。家で練習をしてくる事を宿題にして、次の日にテストをしている。だが、出来る子は4,5人なので、「次の日もテストをするので、今日は家で練習してくるのですよ。」と言っても、やっぱりやってこない。毎日、昨日練習してきた人と聞いているので、少しずつやってくる子は増えているが、やっていない子は、やってこなくても平気な顔をしている。このやろ。と思い。でも、プリントのように形にのこるものではないので、やってくるわけないかとも思い。少しは、やらなくてはと思ってくれるといいのになあ。と思いながら、繰り返し、テストを続けている。他の方法を考えなくてはいけないのだが、どちらに軍配が上がるのかちょっと試したくなっている。

2005年9月16日(金)
地球温暖化

 放課後、校長先生がダウンタウンに行くので、一緒に連れて行ってもらった。
 そして、水と食料を仕入れてきた。水は、ピュアウォーターという水を売っている会社で、5ガロン買った。1ガロン3.78 なので、およそ19 。これで5ドル。ボトルが10ドルなので、今回は15ドルかかったが、次からはボトルを持っていけば、5ガロン5ドルで買える。水は大切なので、できるだけ買うことにした。水道の水も、沸騰させれば飲めるらしいけれど、変な味がぬけないので飲まないようにしている。
 次に、ボトルから水を取るためのポンプを買いに行った。店で、ポンプの入った箱の中を見ていると、部品がそろっていないものも商品として並べられていた。日本の屋台のおもちゃと同じで、ある部品がなかったりする。マーシャルに来た時に、シュノーケリングセットを買ったのだが、その時、眼鏡と筒のジョイント部品が入っていなくて困ったので、その時の教訓で、今回はしっかり見た。やはり、そろっていないものも売られていた。中身をしっかり見てから買うようにしないと、発展途上国はだめです。
 校長は、教育省に用事があり行った。待っている間に、教育省の裏の海岸のほうに行くと、フェンスが倒れていた。マーシャルは、地球温暖化の影響を受けている国で、年々、海岸線が狭くなってきている。でも、今まで、そのようなところは見当たらなかったのだが、倒れたフェンスは、海面上昇により、海岸が浸食されたのが原因である。始めて、実際に影響を受けているところを見た。
 水であるが、マーシャルの地下水は、以前は飲めたようである。でも、今は、そのままでは飲めない。それも、海水面の上昇が影響している。地下水のたまっている場所がお椀みたいになっていて、海水と分かれていたのだけれど、今は、お椀の上まで海水が来てしまい、お椀の中に海水が入ってきている様になっているらしい。そのため、ピュアウォーターでは、海水を取り除く作業もしなくてはいけなくなったと聞いた。いろいろな所で、海水面上昇は、マーシャル人の生活に影響している。ある隊員の家の水道水も、地下水をくみ上げているのか塩っ辛いと聞いた。

2005年9月17日(土)
マーシャルの国

 朝、ランニングに行く。海岸線のココナッツの木が斜めに海に向かって生えているのは、趣きがあるなとか思っていたのだが、実は、これって海岸浸食の影響で、根元が削られて倒れていた。海岸に段差ができ、どんどん土の部分が削られているのが解る。これはマーシャルの海岸はどこでもそうで、今までも、浸食の影響を見ていたんだけれど気付かなかっただけだった。
 夜、日本大使館の職員の人と話をした。マーシャルの人々とアメリカ人の関係や、マーシャルの公務員の実態や、マーシャル人の生活環境などいろいろな話を聞けた。マーシャルは、国家予算の60%をアメリカから資金援助をしてもらっている国で、国家の産業収入はほとんどない。これは解っていたが、その国家予算の90%が、公務員の人件費で使われているらしい。公務員になるのは、試験とかではなく、酋長(イロジ)階級の人たちのコネの世界なので、一部の人にお金が入っている事になる。
 クワジェリンというアメリカ軍基地がある環礁の酋長(イロジ)は、毎年3億のお金をアメリカからもらっているらしい。マーシャルは、国の土地がなく土地はそれぞれの酋長のもので、国の施設も全て土地を借りている。だから、酋長の力がすごく強い国である。
 お金があるので、物はそろうが、それを修理したり管理したりする事ができないので、物はだめになる一方で、ごみは増えるという状況の中にいる。
 マーシャルとアメリカとの関係、先進国と発展途上国との関係という面からも、いろいろ調べて生きたいと思った。

2005年9月18日(日)
マーシャルの教育方針

 教育省の人と話をした。一番聞きたかったのは、これからの教育の方向性をどのように考えているのか。答えは、残念ながらそれがはっきりしていないという事だった。
 今、小学校ではアメリカの教科書を使っていて、そのレベルで授業のカリキュラムが組まれている。子どもと先生の実力を考えないで方針が出されている。やっていこうとしている事と実態がばらばらである。
 マーシャルの先生は、おそらくそういう事は解っていない。そして、教育省が言ったことを形はそのままやっている。例えば、カリキュラムはこれをすると言われれば、子どもが解る解らない関係なしにそれをする。これを宿題に出すのがいいと言われれば、子どもが理解していなくても、それをしてこいと宿題に出すだけで、解るようにはしてあげない、してあげる事ができない。してあげようとも思ってないんじゃないかとも思う。
 私の考えは、教科書にこだわらずに、子どもにあったレベルの内容を教える事なのだが、これは、今教育省から出されている方針とは反している。アメリカのレベルに追いつきたいのか、それとも子どもの実態を見て教える内容を考えていこうとしているのか、どちらなのかと聞くと、高校大学の方針がはっきりしていないので、解らないと言う事だった。じゃあ、今いったい小学校は、何を目標にしていけばいいのか。教育省が小学校に出している方針も、ある目標に向かってやっているわけではなく、行き当たりばったりという事である。これから、そういうところも、教育省に突っ込んでいけるだけいってみようと思う。

2005年9月18日(日)
帰りのタクシー運ちゃんとの会話

 乗る前に、いくらかかるか聞くと、15ドルだというので、だったら乗らないというと、10ドルにするというので乗せてもらった。20ドル札を出し10ドルお釣りをもらった。その途中で、今日の仕事の時間や、売り上げのうち自分の取り分がいくらあるかなどを聞いていた。その運ちゃんは、ガソリン代を引いて一日に30ドル儲かれば終わりらしい。そして、「今、7ドルあるから、お前の10ドルと交換してくれ。」と言ってきた。「それはできない。」と言うと、「俺とお前は友達だ。」とか言っているので、何を言っているんだこいつと思って聞いていた。
 家近くになって、「あの道を入ったところだな。」というので、「俺の家を知っているのか。」と聞くと、「知っている。」という。「あれ2回目だっけ。」と聞くと、8月21日に乗ったタクシーだった。街でも一回乗せてもらった事があり、その時も、家まで送っただろとか話していたので、これで3回目だった。だから、友達だとか言っていたのだった。話の途中で、聞いてもいないのに、日曜日にタクシーバスはないと言っていたのも、この前の会話があったからだと解った。
 降りる前にも、「だから友達だ。7ドルと10ドルを交換してくれ。」とまた言ってきたのだが、「それはできない。」と断り降ろしてもらったのであった。

2005年9月19日(月)
潮の満ち引き



教室へ帰る子ども達

 潮の満ち引きってあるけれど、けっこう高低差があります。どれぐらいの差があるかなんて気にもせずに、引いているな、満ちているなと思っていたのだけれど、1メートル以上の差がありますね。マーシャルの私が住んでいるウォジャは遠浅の海岸なので、引き潮になると、ずっと遠くまで海岸が下がります。昼休みにちょうど引き潮の時は、子ども達が海に行って、貝殻を集めたり、魚を採ったりしています。
 今日は、海にいる時にチャイムがなって、子ども達は、そこから50メートルぐらい向こうの海岸まで急いでということもなく、のんびり帰っていました。

2005年9月20日(火)
花子

どうにでもしての図

至福の花子

 久しぶりに花子の登場。その後、なかなか警戒心が強かった花子も、だんだんと打ち解けてきました。朝は、バスを待っている間、横で待っていて擦り寄ってくるし、バスを覚えているので、帰ってくると走ってきます。いけないことはしなくなるし、なかなか頭はよさそうです。弱虫なので番犬にはなりませんが。それでも大家の犬には慣れたみたいです。
 花子は、おなかをさすられるのが好きで、すぐにひっくり返ってさすってくれと催促をします。途中でやめると、体をくねらせて前足を伸ばしてくる動作をするのが、見ていて面白い。
 左前足の人差し指のつめが抜けそうになっていて、今までずっと片足で跳ねるように走っていたのだけど、この土曜日にやっと爪がとれて、その後も跳ねるように走っていたのだが、今日、普通に走れるようになってきていた。新しい爪も生えてきていた。なかなか、早く走る事ができていたので感心した。
 散歩の帰り、この前バス待ちをしている時に話をしていたリーボックにあった。彼女と会っていたのかと聞くとそうだといっていた。しかし、話をしていると、俺にはたくさんの彼女がいて、毎週末、違う彼女に会っているという。どこまで信じて、マーシャル人のこういう話を聞けばいいのだろうか。

2005年9月21日(水)
作業をさせる時

 3年生の授業で、教科書の問題を7番から11番まで写すように指示した。しかし、これが出来なかった。黒板には写し方の例として、7,,9番を書いていたのだが、そこだけを書いて持ってくるので、教科書を見て、10,11も写すように言った。マーシャル語でも言ってもらったのだが、それでも出来なかった。教科書の問題を写した経験がないのである。今までは黒板の問題をそのまま書いていただけなので、出来ないのである。これぐらい出来るだろうと思っていたことが、また、だめだった。これぐらい出来るだろうという考えがよくなかった。出来る事をもっと見ていかなくてはならない。
 夕方の散歩の時、花子のお腹が気になった。あきらかに膨らんでいる。おかしいなと思いながら、家に帰ってきてから、少なめに餌をやると、いつもは、ガツガツ食べるのに、半分ぐらい残した。お昼に何か拾って食べたのか、もらったのか。このままでは、デブ犬になってしまう。

2005年9月22日(木)
マーシャルの遠足

カヌーの模型


 7・8年生の遠足があった。遠足といっても1日かけてどこかへ行くのではない。午前中の授業が終わったお昼の時間から、スクールバスでダウンタウンにあるカヌー教室に行った。しかし、カヌーに乗るわけではなくカヌーの説明を聞いくだけだった。カヌーの歴史や、構造の工夫のような事を話してくれていたが、英語とマーシャル語で話をしているので、もちろんほとんど解らなかった。遠足というより校外学習だった。
 少しわかった内容は、カヌーの船体は、左右が同じではなくて、船体の曲面が外側の方が内側のほうに比べてまっすぐになっている。正面から見ると、外側に沿っている形になる。なぜそうなっているのかまでは解らなかったが、たぶん、その方が、カヌーの進み方が安定すると言うような事を言っている気がした。
 この校外学習でもマーシャルらしさが爆発。まず、話が終わっているのに、バスがどこかに行ってしまっていて1時間待たされた。みんなのんびり待っていて、誰も文句を言わない。次に、帰っている途中にバスが店で止まるのでなぜかと思ったら、子ども達はお昼を食べていなかった。そこで食べ物を買ってバスの中で遅いお昼だった。これも、誰も文句を言っていなかった。

2005年9月23日(金)
寿司ナイト

街へ向かうタクシーの中から


 学校が終わってからダウンタウンへ。銀行へ行きお金をおろしてくる。金曜日だけ、夕方6時までやっているので来月分の生活費をおろす。その後、協力隊事務所へ。日本からの荷物が届いていた。1週間前に送ったと聞いていたので、なかなか早く到着した。遅いと2ヶ月ぐらいかかったりする。
 そして、RREというホテルのレストランへ行く。金曜日は寿司ナイトといって、日本人の板前さんが握ってくれている。2年間は、握りずしは食べられないと思って、日本を出てくる前の日に、寿司を食べてきたのだが、マーシャルでも食べられてしまった。
 隊員5人で寿司を食べながら飲んでいた。そして、そのレストランでは、マーシャル人が相撲を見ながら、すごく盛り上がっている。特に、今日の大一番。朝青龍対琴欧州の盛り上がりはすごかった。朝青龍が勝った瞬間、オ〜、ウォーいう声。相撲はマーシャルでなかなか人気がある。それを見ていた一人のマーシャル人は、なんとRREホテル・スーパーのオーナーのお父さん。そして、建築会社社長のマーシャルでは一目置かれているおっちゃん。相撲が終わってから、その人が話しかけてきたので話をしていた。近くに大物がいるものである。

2005年9月24日(土)
自主ミーティング

 マジュロ環礁で、小学校の先生をしている同期隊員5人と高校数学隊員、体育教育隊員が集まり、第一回目の教育ミーティングを持った。これまでの活動での問題点や感じたことを出し合って、これからの活動を考えていこうというもの。それぞれでの学校での教育活動はもちろん、マーシャルの教育の方向性も提案していく必要性を感じるので、そこまで、考えていける会になるといいなと思っている。
 今回は、私がこれまでの単元の問題点や子ども達の様子、やってみて感じたことなどをレポートに作った。どの学校でも感じていることだけれど、基本の理解が出来ていないというのがみんなの感想だった。そして、私は、ウォームアップで、繰り返し出来て、子どもの足りない部分を補える事をいくつか作り。それをマーシャルの先生にも行なってもらい全校で取り組んでいく活動をしていくといいかなと思っている。
 その他には、教室でよく使うマーシャル語の用語集を作ると、これからの隊員にも役に立つだろうから作っていこうという事と、教育研修会の取り組み方を考えて行こうという事が決まった。月2回ペースでやっていく予定である。次回は、来週集まることになった。
 家に帰ってから、届いた荷物をあけた。夜はさっそく、インスタントカレーを食べた。味は、インスタントで美味しいわけではないが、久しぶりのカレーは懐かしい味でうれしかった。

2005年9月25日(日)
一日、日本食

 今日の朝ごはんは、永谷園のお茶漬け。お昼ごはんは、永谷園のチャーハン。夕ごはんは、そばを食べる予定だったが、そのそばを箱から取ろうとすると、インスタント焼きそばのカバーが破れて隙間があったらしく、そこに蟻が大量によってきていたので、蟻を追い払いインスタント焼きそばを食べる事にした。わずか1日で、蟻は小さな隙間を見つけよって来る。ほんとになんで解るのかが不思議だ。
 と言うわけで、今日は、日本から送られてきた食べ物を食べた。どれも、学生時代によく食べたものばかり。
 家の前の海で泳いだ。潮がひいている時間帯だったので、ずっと沖まで行っても、股下ぐらいの深さで、泳いでいると言うよりも歩いていた。花子は、散歩の時、波にびっくりしていたので泳げないかなと思っていたのだが、意外にも、泳ぐのが大好きだった。私の周りを、チャプチャプ犬かきしていた。
 この日記を書いている夜9時ごろいきなり電気が切れた。辺りいったい真っ暗。ほんとの闇。大家に聞くと、時々あることらしい。今日中には直るけれど、何時になるかは解らないと言うことだった。電気が直る時に、電圧が高くなるからコンセントは抜いて置くように言われてぬいた。水も出なくなりとりあえず何も出来ないので寝ることにした。懐中電灯かろうそくを用意しておく必要があった。そして、3時間後に復活をした。

2005年9月26日(月)
体調不良

 朝起きると、体の調子が悪く。のどが痛いので学校を休んだ。日本だと、休まずに無理をしていく程度なのだが、無理せず休む事にした。朝7時に道まで行き、やってきたスクールバスドライバーのスタンリーに、校長先生に休むと言う伝言を頼んだ。そして、朝飯を食べ、風邪薬を飲んで寝た。起きたのは、3時ごろ。かなりの時間寝ていた。腹がおかしく下痢になった。今までにない下痢で、滝のようなうんこしかでない。休んで正解だったなと思った。そして夜、3度目の薬を飲んで寝ます。明日は、よくなっているでしょうか。

2005年9月27日(火)
反省

 調子はいまひとつ、しかし、2日も休むのはよくないので学校に行った。学校ではアンというおばちゃん先生が、昨日はホームシックだったのかと言ってきた。この先生は、いつも、ホームシックになってないのかと笑いながら聞いてくる。
 授業も乗り切れずつかれた。3年生の授業で、黒板に書いたのと同じように問題を解かせて、書けているかチェックをしていると、ほとんどの子が、同じように書けていなかったので、もう一度、黒板に書いてあることを確認させてやらせたが、またまた、間違いだらけ、×をつけるたびに、子どもから、なぜなんだ、訳が解らんというのをひしひしと感じながらも、強引にやってしまった。
 日本では、今日の授業は強引すぎたと思うことがあっても、何とかなっていた。でも、それは子ども達のおかげだったと、今になって思う。マーシャルの子達は、積み上げがまったくないので、自分の強引さ、無理なやり方を、すごく感じさせられる。子ども達の目線で物事をとらえ、考えていく事がこんなに難しい事だったのかと思わされている。
 今日の授業は、問題を解かせる前のやり方がよくなかったのが原因で、ていねいさがなかった。

2005年9月28日(水)
花子のシャンプー

ドアの隙間から覗く花子

アップ

 3年生の授業で、もう一度、ノートの書き方を教えて問題を解かせた。昨日はできなかったけれど、今日は出来るかと聞くと、出来るという声。やらせてみると、7割の子がしっかりと出来ていた。出来ると子どもも授業にのってくるのでほっとする。
 2日ほど前から、花子から臭いにおいがしていた。そのうち取れるだろうと思っていたけれど、まだ匂っている。なんかの匂いをこすり付けてきたのだろう。なので、身体をシャンプーで洗う事にした。水をくんだバケツを近くに持っていくと逃げるので、捕まえて身体を洗った。いったん洗い始めると、怖がってしまって捕まえていなくても逃げなかった。そして、身体を洗い終わってから怖がってしまって家に入らなくなってしまった。入って来いといっても入ってこない。しばらくして、入ってこようとしたところを、面白いので脅かしたら、ますます入ってこなくなった。仕方ないので、玄関を開けておいて部屋にいると、入ってきてこっそり部屋を覗いている。中に入ってきたので、玄関を閉めようと台所へ行くと、また、逃げて外に出てしまう。
 玄関を閉め、しばらくほって置いてから、玄関を開けると、顔だけ中に入れて、でも、中に入ってこない。頭をなでてやると、やっと入ってきた。家に入る入らない騒動で2時間。しかし、匂いは、まだ取れていない。もっとごしごし洗わなくてはいけないようだ。今度はいつ洗ってあげようか考え中。

2005年9月29日(木)
軍配が上がる

 6年生の授業でやっていた掛け算九九7の段まで、今日休んでいた子1人を除いて全員達成。家で練習をしてきたのかは怪しい。
これまで、家で練習をしてこない数人が、何日も繰り返している状況だったので、7の段まででやめようと思っていた。でも、7の段が終わると、ヒルトンという男の子が8の段に挑戦したいと言うのでさせてあげた。その子は合格しなかったが、他の子も挑戦すると言って、8の段9の段を挑戦しだした。ヒルトンに、来週またやるかと聞くと、やると言っていた。なんかってもうれしかった。9月15日の軍配は、私に上がったことにしておこう。
 花子を、今日、また洗った。昨日赤いバケツに水をくんで洗ったのだが、今日は、赤いバケツを持っただけで逃げてしまった。赤いバケツははなこの天敵になっている。これから花子がうるさい時は、赤いバケツを持つ事にしよう。
餌で釣り、家の中にいれて洗った。洗われている間は、怯えてしまっておとなしくしているので、順調に終了。なかなかにおいは取れなかったが、なんとか奇麗になった。

2005年9月30日(金)
マニットデー

ウォジャ小テント

民族衣装で歌う子ども

ウクレレボーイズ

 今日は、マーシャルの祝日。マニットデー。街の広場で式典が行なわれた。歌やスピーチなどがあり、子どもが歌うグループや、ウクレレボーイズという大学生ぐらいのウクレレグループが出た時は、すごい盛り上がりだった。ウクレレボーイズというのは、愛知万博でも演奏をしたマーシャルのアイドルみたいなグループ。
 各小学校の展示と出し物もあった。ウォジャ小学校もココナッツの葉っぱで敷物などを作ってテントの中を飾り、ココナッツを売っていた。
 午後から急な大雨が降り出し、みんなテントの下に非難。しかし、横からの雨や会場が水溜りになり始め、服や靴はぐちょぐちょ、式典は中断してしまった。
 その後、会場から非難したので、どうなったのかは解らない。