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2005年8月14日(日)
買出し

 明日からのウォジャでの生活に備え、食糧、生活用品を買い込んでおく。ウォジャには小さい店しかなく、ダウンタウンに出ないといろいろなものを買えない。ウォジャは、首都からつながっている離島といわれている。車で30分ほどだけれど、移動手段がないので、これからは休みの日に出てきて、食料を買って帰ることになりそうである。

2005年8月15日(月)
校長に会う

 初めて校長と話をした。隊員が派遣されるそれぞれの学校の校長と、お昼に食事会があった。本当は、マーシャルに来る時、校長は日本から帰ってきていて同じ飛行機に乗っていたのだけれど、話しかけることが出来なかった。マーシャルでは何年かに一度、選ばれた学生が、日本へ研修旅行に行っているらしい。校長はその引率だった。
 さすがに校長だけあって英語がペラペラである。しかし、私の英語力のために、なかなか会話がかみ合わない。そんな中、野球を、放課後にやりたいと言う事は承諾してもらえた。でも、運動場はとても狭く、バスケットコート1つ分しかない様である。
 運ぶための荷物がたくさんあったので、隣の小学校の校長が送ってくれるといってくれて助かった。

2005年8月16日(火)
初出勤

 朝8時、学校に行くため歩いていると、校長が乗った車が来た。そして、そこで車に乗せてくれて学校まで送ってくれた。学校につたが他には誰もいなくて、その校長と一緒に待っていた。それから、来る先生達に、「始めまして。」と挨拶をしていると、ある先生に、昨日会いましたと言われた。そこで気付いたのだが、それが校長先生だった。思いっきり粗相をしてしまった。
 送ってくれた校長は、昨日車で送ってくれた隣の学校の校長だった。昨日の車の中で、明日学校に8時に行かなくてはいけないと話していたので迎えに来てくれたのだろう。
 この日は、朝、校長から受け持つ学年を言われ。最初3,4,6,7年生だったのだが、もう少し話せるようになってからということで、3,4,6年生に減らしてもらった。それが終わったのが、9時半ごろ。その後は、何をすることもなく、他の先生と話しているだけ。校長からは待っていろと言われ、待っていたが特に何もなし。
 一緒に話していた先生に、することがないのなら帰ることはできないのか。と聞いても、終わるのは4時だと言う答え。でも、我慢が出来ず、2時半頃に、校長に帰っていいかと聞くといいよという返事、もっと早く聞いておけば良かった。
 そして、それから、昨日いけなかったので、ダウンタウンに買い物と、電話を開設するための手続きに出かけた。そのためのバス待ちに30分。電話局で受付の人を待って50分。回線がおかしいので修理をしてほしいと伝えると、明日行くというので、修理してもらうのには、時間がかかると聞かされていたが、結構速くできそうで安心した。
 しかし、無駄な時間が多い一日だった。

2005年8月17日(水)
街に出る

 朝、スクールバスが来ないので歩いていた。すると、アメリカ人の車が止まってくれて乗せてくれた。名前は忘れた。話すので必死になってしまい名前を覚えることにまで行かないのが難点だ。
 朝、学校に着くと、昨日、話していた先生が、スクールバスがダウンタウンに行くので乗っていけと言ってくれた。昨日、買い物をしたいとその先生に言っていたので、気を利かせてくれたみたいだった。と言う事で、昨日行ったのだけれど、また、街に出た。ガスボンベにガスを入れて、水を買って、米を買って、昨日買えなかった重いものを買うことが出来た。一緒に行ってくれたおかげで、ガスもすんなり入れることが出来ラッキーだった。1人だと困ってしまっていただろう。
 帰ってきてからの学校では昨日と同様、特にする事はなし。先生達は話をしたり、ビデオを見たりしている。校長だけが何かしらしている。マーシャルでは、校長が、始業準備などをするらしい。各学年の時間割も校長がひとりで作っていた。
 電話と言うと、昨日来るといっておきながら来なかった。なかなかつながらないと言うのはこういうことなのかと思った。

2005年8月18日(木)
電話局への苦情

 朝、学校から電話局に電話をかける。
「修理の事だけれど、昨日来るって言ったのに来ないのはどういうことだ。」
「電話番後を教えてください。」「・・・−・・・・。」
「今どこからかけていますか。」「小学校です。」
「ローラですか。」「ウオッジャです。」
「では、明日の午後、行きます。」「明日は、ダウンタウンにいるからこっちにいない。」
「でも、明日が、そっち方面に行く日なのです。」
「わかったじゃあ朝、電話局に行くから、一緒に行っていいか。」
「それはできない。」「わかったじゃあ、午後に戻るから、必ず来てください。」
「はい。」
と、言うような会話。なんかしっくりこないので、校長に、必ず来るのかと聞いていたら、解らないと言う答え、やはり怪しい。いろいろ聞いていたら、どう思ったのか、明日は学校来なくていいから家で待っていろと言われた。明日、隊員で私立の学校を見に行く予定があり、学校を休んでいいか聞こうと思っていたので、ちょうど良かったが、電話は怪しいけれど待つしかない。
 午後5時ごろ、ダウンタウンに行くためのバスを待つ。40分待ってようやく来る。新記録更新。今日は、ドミトリー(隊員寮)に泊まった。

2005年8月19日(金)
マーシャルの私立小学校

 朝、アメリカの先生が多い、私立小学校の授業を見せてもらいに行った。突然行ったのだが、どうぞと丁寧な対応をしてくれた。そして、6年生と3年生の算数の授業を見せてもらったが、アメリカンスタイル。先生が課題を出し、その問題を子どもは、2人組みで解いていく、わからないところは質問し先生はそれに答える。これでは、出来ない子は、ますます解らなくなるなと思った。たぶん2人組みが、出来る子とできない子で組んでいて、出来ない子は答えを写しているだけだった。フォローが大切な所を先生は怠けている感じがした。はっきり言って、見る価値はなかった。
 学校を見終わった後、電話局へ行く、受付で、今日本当に来るのか心配だったので確認をする。すると、今ローラにいるので午後行きますという答え。まだ、不安ではあるが、家に帰ることにした。そして、待っていたがやはり来なかった。
 修理を待つために家に戻ったのに、またまたやられた。
 また、ダウンタウンに戻るため家から出ると、目の前をバスが通り過ぎた。又、長く待つのかと思ったが、バス待ち10分。今回は、早く来た。

2005年8月20日(土)
甲子園

 町へ出て、必要なものを買う。マーシャルでは、家庭用品をほとんど買うことが出来る。
 そして、電話局へ苦情を言いに行く。受付ではわからないと言われ、修理担当の建物へ行く。しかし、そこでも、今日、修理をする人は休みで、私は電話番だから解らないと言われる。ここで引き下がってはいけないと思い。水曜日も金曜日も来ると言ったので待っていたのに来なかった。2度も待たされた。なぜだ。と詰め寄ると、月曜日に来てくれ、そしたらすぐに行くという。しかし、月曜日は仕事があるから来られない電話をすればくるかというと、来ると言うので、名前を聞き、呼び出せばいいということを確認して。とりあえず引き下がった。ほんとに来るかは怪しいが、ひとまず止めておいた。
 なんと、マーシャルでは、衛星放送でNHKが見られる。そして、昨日と今日。甲子園の準決勝、決勝をやっている。録画で少し短縮されているが、マーシャルで甲子園を見れた事がうれしかった。
 夜、隊員が集まり料理を作る。久しぶりに家庭的な日本の食事をする。うまい。やっぱり日本食はいい。

2005年8月21日(日)
マーシャル人とは

2階が我が家

隣が大家

家から近くの内海

 3時ごろにドミ(ドミトリー)を出発し、タクシーで、家に向かう。乗る前に料金を聞くと10ドルと言うので乗った。タクシーの中で話をしていて、タクシーやバスの料金や運転している日のことになった。バスは、日曜日も動いているのかと聞くと、最初は動いていると言っていたのだが、後から動いていないと変わった。これはうまく伝わっていないのかもしれないので、また、しっかり調べようと思う。そして、日曜日、動いていて、バスは2ドルだったら、タクシーに乗ったのは失敗だと言ったら、「本当は、タクシーは20ドルかかる。しかし、あなたはいいやつそうだから10ドルにしてあげた。」と言われた。これもあやしい。10ドルか15ドルと聞いていたので、20ドルは無いはず。まだ着たばかりの日本人だから、うまいこと言っているのだろうか、マーシャル人の性質をもうし解らないとこれは解らない。
 家に帰ってきてから、2時間ほど掃除。ここのところ家では掃除ばかり。やっと半分ぐらい終わった。明日の授業案出来てない。

2005年8月22日(月)
雨が降ったらお休み

 今日は、朝から雨が降っていた。昨日、傘を買い忘れていたのは解っていたが、雨は降らないだろうと思い、また、街へ出て買いに行くことなく家に帰ってきた。しかし、見事にうらぎられ、雨。
雨のため道路に出る事ができないので、どうしようと思いながら、家の軒下でスクールバスが来るのを待っていた。道をスクールバスらしきものは走っているが、軒下からでて行く事ができず。始業時間も過ぎてしまった。そして、隣に住んでいる小学生は出てこない。
どうしたのか聞くためと電話を借りようと思い、ノックすると、その小学生が出てきたので聞いてみた。
「今日は雨だから学校はお休み、でも、先生は学校に行かないといけない。」
とのこと。 
 南のー島の大王は・・・雨が降ったらお休みよ。カメハメハー・・・
 南の島では、本当に雨が降ったらお休みでした。
 バスに来てもらい学校へ行くと、学校では、先生たちは来ているけど、何もすることなく、話をしていた。しかし、私は授業案を考える事ができ、ラッキーと言う事で、初日は一日延びました。
 タクシーの値段を聞くと、やはり、10ドルだった。
 朝、電話局に電話をする。ドタバタしていたので土曜日に話をした人は、いないと言われてしまった。仕方なく電話に出た人に、「修理に何時来てくれるか。」と聞くと、金曜日だと言うので、「それは、だめだ。先週、2回も待っていて来なかった、はやくしてくれ。」と言うと、問い合わせてみると言う事で、しばらくして今日行くという返事をもらった。怪しいと思いながら電話を切った。
 帰りのバスが出る帰る時間になったけれど電話が来ない。電話がないので、5時まで待っていると言うと、ある先生が、ちょっと聞いてみるといって電話をしてくれた。その先生は、電話局に知り合いがいるみたいで、「今日来ると言っていたのにどうなっているのだ。」と言ってくれた。すると、今日はいけないけど、明日行くという返事。また、明日かと思っていると、その先生が、明日は必ずつながる心配するなといってくれた。まあ、信用は出来ないけど、それで納得することにした。

2005年8月23日(火)
学校始業日

 学校初日。朝8時に始まる。この日は、朝、校長先生からの話があり、授業は午前中で終わりだった。ごみの多いマーシャルだが、小学校では、子ども達が簡単な掃除をしている。アバウトなマーシャル人なので、拾い残しはある。でも、周りに比べたら綺麗である。
 初日は、3年生と4年生で、自己紹介と日本の紹介。そして、足し算のゲームをした。足し算を黒板に書いて、答えの数だけの子どもが集まって手をつないで座るというものです。最初は、1+1。しかし、子ども達は自分の席から動かない。英語で説明をするが動かない。何をすればいいのか解っていない感じである。先生がマーシャル語で説明をしてくれて意味が解ったようで、数人の子は、近くの子と手をつないで座る。だが、やはり、大半の子は動かない。席から動いて残っている友達の所に行く様に行っても動かない。英語がうまく伝わっていない為でもあるが、マーシャルの子ども達は、自分の席から動くと言う事をしていないみたいで、あそこの子の所に行こうと言って手をとってあげてやっと動く。3年生と4年生でやったが、3年生の方が、飲み込みが早く、楽しんでくれた。4年生は、最後まで、自分の席から動く子は少なかった。
 今日、やっと電話回線がつながった。午後、まだつながっていなかったので、知り合いのいる先生が電話をしてくれると、今日、修理は済んだ、後は電話局で調整するだけなので今日中につながると言うことだった。今まで、なかなか来なかったのが、その先生が言ってくれたおかげでつながった、マーシャルでは知り合いの力は強い。感謝感謝である、これで電話騒動は終わり。

2005年8月24日(水)
マーシャルの6年生

 6年生の授業が始まった。3,4年生とは違い、態度がでかい。
 3,4年生でもやった数を1から10まで数えるゲームをした。一人ひとりが順々に、12,23,34,45や、123,234,345など、規則性を持たせて数えていく。マーシャル語の子ども達が英語で授業を受けているので、数えにくいことはあるが、6年生でも、スムーズに数えることができた子は少なかった。また、3,4年は、真剣にやっているが、6年生は、出来ない事をふざけてごまかしてしまう。良くない傾向である。これぐらい出来るかなと思ったのだが、難しかったようだ。また、簡単だと、すぐに飽きてしまう。なかなかレベルの探りどころが難しい。これから探していかなくてはいけない所である。
 ライロック小学校の先生の家族の葬式があった。マーシャルでは、学校関係で葬式があると、すべての小学校の先生や教育関係者が集まってくるみたいである。親族の挨拶があり、その後、みんなで歌を歌い。それが終わると、1人ひとり、1ドルずつお金を置いて親族と握手をしてくる。これも、男の人から順番だった。終わると簡単な食事をもらい帰って来た。

2005年8月25日(木)
ウオジャでニー

 放課後、子ども達と話していた。マーシャル語と英語を混ぜながら、「何を言っている。」「そうじゃない。」とか言いながら、ほとんど会話は出来ていない。でも、ニー(ココナッツ)は好きかと言うので、好きだと言うと、とって来てあげると、木からとり、皮を自分でむいてきてくれた。なかなかいい子である。ウォジャに来て、初ニーを飲むことが出来た。味は、ウォッジェで飲んだほうがおいしかったかな。

2005年8月26日(金)
ある男の子

 6年生の子達には、数のカウントのゲームが人気である。リズムに乗って数えていくのが楽しいみたいで、やりたいと言う声が上がった。授業の終わりに1回やったのだけれど、もう一回やりたいと言う声が上がった。でも、授業の終了時間だったので、それで終わりにしたが、繰り返しやっていると、上手になり楽しくなっていくみたいで、出来ないからとあきらめてしまう子は減っていた。この国の子ども達も、日本の子と同じように、少々、難しくても、繰り返し取り組ませていく事で、あきらめてしまうのではなく力になっていくことが解った。
 休み時間になると、言葉は通じてないけれど私のそばに来て、座っている6年生の男の子がいる。話をしようとするも、うまくいかず、お互いにやけ顔になってしまう。その子が、授業中にがんばって発言しようとしている。これはうれしかった。

2005年8月27日(土)
マーシャル人対アメリカ人

 昨日の夜は、さすがにぐったりしてしまった。晩御飯もろくに食べる事ができず。9時頃に寝た。言葉が不十分な事と子ども達の状況がわからない手探り状態で、日本の小学校の時と比べると2倍疲れる。まあ、慣れてくれば変わるのだろうけれど。
 今日は、休日なので、またまた、ダウンタウンに出て買い物。生活雑貨、食料を買った。今、アメリカ海軍の空母が港に来ている。初めて近くで見たけれど、すごく大きい。マーシャルのどの建物よりも高い。そのアメリカ人が街に出てきて、マーシャル人と、バスケットをしたり、サッカーをしたりしている。
 聞いた話だが、昨日の夜7時から、マーシャル人対アメリカ海軍のバスケットの試合が企画されていたらしい。7時前に海軍の人たちは来て練習を行なっていたが、マーシャル人は1人も来ていない。7時を過ぎても来なかったので、とうとう海軍の監督は、マーシャルの責任者は誰だと怒ってしまい、責任者の人は、こそこそ隠れてしまったらしい。そして、7時30分ぐらいに少しずつ集まり始め、試合は行なわれた。結果は、マーシャルチームの勝ち。アメリカ海軍相手でも、マーシャルタイムは変わらなかった。

2005年8月28日(日)
新しい家族

 この30日に、調整員(隊員の生活面、現地での活動をサポートしてくれる人)が、任期終了で日本に帰る。そのため、飼っていた犬をもらう事になった。名前は、ラブ(花子に改名予定)。
 午後に元飼い主と車で我が家に来る事になった。姉妹のチョコともお別れになる。最初、車に乗せる時、ただならぬ気配を察したのか逃げ回っていた。やっと捕獲し車に乗せる。家について、元飼い主と最後のお別れをして、車が去っていくのを見送る、そして、家の前まで連れて行き、縄を話してあげると勢いよく車が走っていったほうに走っていった。しかし、私が見えている範囲で止まり戻ってくる。後は、残っている匂いがある場所を行ったり来たり、私が近づいても逃げてある一定の距離を保っている。散歩に行くとついてくるので、新しい飼い主っぽいと感じているのだろうか。
 夜は、家の台所の土間のところで寝ていた。さすってやると気持ちよさそうにしていた。少しは心を開いたのだろうか。

2005年8月29日(月)
花子の行動

 朝、学校に行かないといけないので、家から出す。バスを待つところまでついて来て、そこら辺をうろうろしていた。バスに乗る時には近くにいなかったので、いきなり私がいなくなったと思ったに違いない。
 学校から帰ってくると、玄関のところで寝ていた。ずっと待っていたのか?しかし、へんな臭いがしている。いったい何の臭いなのか解らない。餌を上げると、昨日はあまり食べなかったのに、すごい勢いで食べていた。私が家に入っている間も、玄関でずっと待っていた。散歩に行くとついてくる。でも、やはり、頭をなでてあげようとすると、飛びのいたりする。まだまだ警戒はしているようだ。
 散歩中に、生徒に会った。7年生で教えてはいない。話を少しして、ニーはすきかと聞くので好きだと言うと、また、とって家に持っていってあげると言う。少し散歩をして戻ってくると、その子は、ピナーナ(バナナ)を一房もって、ニーがなかったから、バナナをあげるといってくれた。まだ食べられないから4日待つという事を、何とか聞くことが出来た。マーシャルの子どもは気前がいい。
 ラブ(花子)はと言うと、家まで戻って来た時、餌を手からあげようとしても、まだ食べない。その後、外にいたのだが、夜くんくん鳴くので、家に入れてあげた。

2005年8月30日(火)
ご飯作り

内海

外海

たそがれ場所

 鍋でご飯を炊く事にチャレンジした。小学校では5年生の家庭科でご飯を炊くので、その時には、子ども達と本を見ながらやっていたが、自分でするのは初めて。まず、米をとぎ、水を適当に入れて火を弱火につける。始めチョロチョロ中パッパ。グツグツいい出したので、火を中火にする。しばらくすると、少し焦げ臭いにおいがしたので、火を止めふたを取ると、もわっと湯気が上がり、ご飯ぽくなっている。少しとって食べてみた。カリッ。芯が残っていた。水が少なかったよう。
 仕方なく、もう一度水を足し、弱火にする。こんなんでご飯が出来るのかなという不安はあったが、無駄にするわけにはいかないのでやってみた。また、グツグツいい出したので、中火に。しばらくすると、焦げ臭いにおいがしたので火を止め、今度は、すぐにふたを開けるのは良くなかった気がしたので、しばらく待ってからふたを開ける。少しとって食べてみると、おいしく出来たとはいえないが、食べる事はできた。まあ、初めてにしては合格印だろう。チャーハンを作り、この家に来てから始めてまともなご飯を食べた。今までは、サッポロ一番インスタントラーメンか、コーンフレークか、パンだった。
 ラブ(花子)は、学校に行っている間、海岸で待っていたらしい。帰ってくると海のほうから走ってきて身体を砂だらけにしていた。散歩の時、座っている場所にいたのだろうか。でも、こっちから寄っていくと、飛びのいて逃げる。犬の気持ちはよくわからない。隣にいる大家の犬を怖がっていて、俺が学校に行った後、家にも帰ることが出来なかったのかもしれない。

2005年8月31日(水)
先生がいないとお休み

前の道

算数の授業をするために3年生の教室に行ったら誰もいない。あれっと思い、バスドライバー兼技術員のようなに聞くと、先生が今日は休みだから子どもは、朝家に帰ったと言うことだった。先生が来なかったら、子どもも休みになるのかと聞くと、マーシャルではノープロブレムだと言う事だ。すごいなーと思いながら、校長に休んでいるわけを聞くと、お姉さんが亡くなったと言うことだった。
 花子は本当に臆病で、俺が帰ってくるとうれしそうにするくせに、こっちから近づくと逃げる。大家の家に2匹犬がいてうるさく吠えるわけではないが、そのために家に帰ることができない。えさも、家の外であげると、周りを気にして食べる事ができない。どうしたものだろう。今日はよっぽど疲れたのか、帰ってきてからはずっと寝ていた。