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2005年10月1日(土)
車から眺める星空

星が写ってない

 ドミトリーで、洗濯をして、大河ドラマ「義経」を見て6時頃に家に帰るため、バス待ちを始める。しかし、バスがなかなか来ない。そして、来たバスは満員で乗れず。ヒッチハイクをしようと合図をしてみるが止まってくれない。あたりはだんだん暗くなってくる。この頃、日の入りが早くなってきている。マーシャルに来た頃は、7時過ぎまで明るかったのだが、最近は、6時半ぐらいで暗くなっている。赤道近くなので、日本と比べるとわずかだが、日が出ている時間は変わっている。
 ヒッチハイクをするのも暗い中でやっていると、ますます怪しいやつになってくる。しかし、待つこと一時間。止まってくれた車があった。「荷台に荷物を載せなさい。」と、助手席のおばちゃんが言ってくれたので、荷台で揺られながら帰ることに。あたりは真っ暗。空は星空。車で走りながらヤシの木の間から見える天の川は、とても良く、得した気分になった。

2005年10月2日(日)
コーヒーメーカー

 週末に、街に行ったときに、コーヒーメーカーを買ってきた。田舎もんが都会生活に憧れ電化製品を買い求めたのであった。粉コーヒーは、369グラム、3ドルちょっとの安もんだが、コーヒーメーカーで作ったコーヒーを飲んでいるのがうれしかったりする。味もそんな悪くなかった。
 後、田舎もんが欲しくて憧れているのは、炊飯器、電子レンジ、CDラジカセなのであった。テレビはちょっと手が出ない。それに、テレビ回線が住んでいる所は通っていないから見ることはできない。

2005年10月3日(月)
1年生で授業

 1年生の教室で授業をした。先週から、1・2年生の授業を見に行っていて、1年生が、まだ、1から10までの数字の読み方、書き方、いくつを表しているのか具体物から考える事をしていた。これは教科書のいちばん最初に乗っている、子どもが解っているか確認するための内容で、まだ、一年生の授業に入っていない。1年生の最初の単元は、たし算。
 なので、担任の先生に、新学期が始まってから1ヶ月経っているけど、まだここをしているのと聞くと、困った顔をして、教えるのが上手じゃないからと言う。じゃあ来週、1日10分間時間をもらって授業をするから、見ていてくれと言うと、解ったということで、授業をする事になった。
 実際には、1ヶ月のうちで授業を、どの程度やっているのか解らない。もしかしたら、ほとんどやっていなかったかもしれない。私が見に行くと言ったので、いきなり始めた事も考えられる。教えられない事はやらないのがマーシャルの先生である。
 そして、授業をした。先生に、フラッシュカードと空書きを見てもらい、教え方を知ってもらおうと思っている。まず、フラッシュカードを使って、数の読み方を練習する。マーシャル語ではなく英語で数を読むので、子ども達にとっては大変である。でも、1から10の順唱は普通に出来ていた。10から1へ逆唱をすると、少し言えなくなった。次に、ばらばらに数を出すと、サッと言える子は、2,3人になってしまった。次に、空書きをして、1から10まで確認をしていった。想像していた通りできなかった。1は、問題なく出来た。2から、もう怪しくなった。2の最後の横棒の方向がばらばら。何度も、横に書く事を練習させる。何とか揃うようになる。こういう状況なので、全ての字にまとまりがなかった。これを続けていって、みんなが揃うようになると子どもも先生も満足してくれるのではないかと思う。日本だと、1年生を持った事がないので解らないが、1週間かからないのではと思う。でも、マーシャルでは何日かかるのだろう。4,5,8,9は、どうしょうもない状態だった。
 ここまでやって、30分。予定時間を20分も過ぎてしまった。先生に、長くなってしまってすみませんと言うと、今週は、ヨシアキがすることにしているからと、4時間目、ヨシアキと書かれた予定表を見せてくれた。10分と言ったのに、ちゃっかりしているなあと思ったが、まあいいことにした。時間が出来たので、その後、ノートに数字を書かせてみた。もちろん、それぞれの子どもなりの個性が出ていた。
 学校が終わってから、街に来ているサーカスを見に行った。サーカスに行くのは、たぶん小学校の時以来だと思う。サモアのサーカス団で、今週水曜日までなので、他の隊員と行くことにした。最初の頃は、10ドルだったのが、4ドルになっていた。客が入らないためだろうか。それでも、小さいサーカス団なので迫力はなかったが、まあまあ面白かった。

2005年10月4日(火)
遅刻

ピエロ

マッチョ縄跳び

クネクネ人間

 昨日は、夜10時までサーカスだったので、リタ(ダウンタウン)に住んでいる体育隊員の家に泊めてもらった。そして、朝6時半から学校に行く方向のバスを待っていた。マジュロは環礁なので、道は一本道である。そして、端っこのローラという所から端っこのリタまで、片道約1時間を往復している。私が住んでいるウォジャは、ローラに近くリタから1時間近くかかる。朝6時に、最初のバスがローラを出発すると聞いていたので、7時ごろには、ダウンタウンに来て、それに乗れば8時までに学校に着くと思っていた。
 しかし、バスが来ない。1時間待っても来ない。もう、遅れるので学校に電話をするが、話し中。8時過ぎになって、ようやく電話がつながり、遅れることを伝える。そして、8時15分、ようやく来たバスに乗る。
 学校に着いたのは9時過ぎ、校長に、遅れてすみませんと言うと、あれ、今来たのかと言う返事。そして、エンマン、エンマン。大丈夫、大丈夫と言う意味。思っていたと通りの答えだった。日本ではせめられるような事でも、マーシャルでは、たいていエンマンである。これを、いい所と言ってしまえばいい所だが、こういう所が、電話の手続きや配達のルーズさなど、他にも色々な所に言える事であり駄目な所でもある。まあ、今回は、そのエンマンですんだ。担任の先生にも謝りに行くと、やはり、エンマン。ノープロブレムだったのである。

2005年10月5日(水)
さぼり

海岸ぞいの木

倒れてる木

木の上で昼寝

 朝、雨が降っていた。雨の時は、家にいていいと言われていたので、家でバスが来るのを待っていた。しかし、バスは来ない。電話しようかと思ったが、でも、雨で学校は休みだから、まあいいかと思ってほっておいた。そして、さらに待ってもバスが来ない。ほんとに休みになっているのか、ちょっと心配にもなったが、やっぱりほっておいた。
 お昼ごろ、雨が止んでいたので散歩に出る。近所の子どもがいて、今日は、学校休みなのか聞くと休みだと言う。その子は双子だったので、もう一人はどうしていると聞くと、学校に行っているという。もう一度、学校休みじゃないのかと聞くと、休みじゃないと言い、その子は、病気で休んでいると言う。
 どうも、学校は、今日やっているらしい。と言う事は、学校をサボってしまったらしい。昨日の遅刻に続いて、今日はサボってしまった。雨の日は、いつも休みというわけではないのか、雨の強さに関係があるのか。よく解らない。

2005年10月6日(木)
サーカスを見に行く

これで、まだ半分

スパイダーマン

サモアのマッチョ組体操
クリックすると大きくなる

 朝、学校に行くと、やっぱり、昨日どうしたのか聞かれた。雨が降っていたから、家でバスを待っていたけど来なかったので、学校はないだろうと思って家にいたと言うと、電話はしたのかと聞かれたので、しなかったと言うと、電話をするように言われた。私の家の電話番号が解らなかったみたいで、電話をしようといたのかもしれない。まあ、電話をするのが、社会人として当たり前でした。
 今日は、全校生徒170人ほどで、サーカスを見に行った。授業は、朝の2時間だけ。しかし、18人乗りのスクールバスは2台しかないので、それに子どもをつめて乗せて、何度も往復をする。最初に、6・7・8年生が、出発した。これが朝の10時。その間、他の学年は、バスが戻ってくるのを何もしないで待っている。先生も、待っている時間にしている。バスで、街までを往復すると、1時間半はかかる。その間、何もしないで子どもを待たせているのである。先生としては、サーカスに行くための時間だから、授業をしなくていいや。子どもを待たせていようというところである。すごく授業を軽く考えている感じがする。
 3時間目は4年生。4時間目は1年生だったので、そのクラスに行って授業をさせてもらった。ただ、待っているだけでは、時間がもったいなかったからなんだけど、これは、日本人的考えで、マーシャル人は、そこのところは気楽なのでしょう。
 4時間目の途中で1台バスが戻ってきて、そのバスに、3・2・1・幼稚園の子ども、総勢40人以上と先生6人が乗り込んだ。乗れるものであるというより、よくそんな状態で行くなと思った、そのバスに揺られながら片道1時間の旅をした。
 会場に着いたのは、12時過ぎ。なんと2往復で、全校生徒を運んだ。そして、サーカスが始まったのが、1時。バスでの移動を開始してから、開園まで3時間。移動と待っている時間である。気が長いと言うか、よくそんな計画でやれるなと思う。その上、今回も、お昼の時間を挟んでいるので、昼飯ぬきである。子ども達は、会場で売っているポップコーンを食べたりしていた。
 サーカスは、子ども達が観客なので、この前の時よりすごくのりがよく、手拍子、歓声、笑い声のうずだった。腰を振る動作が、子ども達は大好きなようで、腰さえ振っていれば、大爆笑、間違いなしだった。
 そして、帰りも、同じ状態。更にひどい事に、途中、雨が降ってきたので窓を閉め、工事車両が前を走り、ちんたら運転。バスの中は、なんとも言えない状態になっていた。考えていた事は、早く着け、早く着けということだけ。

2005年10月7日(金)
1年生で授業2

 今日で4日目。1週間の約束なので今日で最後。みんなで読んだり、書いたりする授業にも慣れてきた。まだまだ、みんなが数字を読めるわけではない。まだ半分以上の子は、間違えたり考えたりしている。でも、やり方が解ってくると、子ども達は乗ってくるようになった。練習した後、ノートに書かせてみると、8割の子が正しく書く事が出来ていた。1日目に比べたら、かなり上達している。
 数直線を使って数を数えさせた。数直線で考える事は、たぶん始めてである。最初に、数直線と数字を書き、1つずつ増えていくことを確認させる。そして次に、1,2と書き、3をとばして、4,5・・・と書く。ここに入る数字は何でしょう。
 ???。
 3と言う答えはすぐには出なかった。でも、最初はこんなもの。これも、何度も練習して、数量的感覚をつけていこうと考えている。上の学年が、数直線を使ったこのような問題をほとんどすることができない。1年生からの積み重ねは大切である。
 これからは、担任の先生に、数字の練習をやってもらうように言っていこうと思っている。

2005年10月8日(土)
第2回教育の会

 2回目の教育の会を開いた。今回は、カリキュラムについて話し合った。今あるカリキュラムは、アメリカの教科書の内容に合わせたもので、マーシャルの子ども達にあったものではないという意見で一致した。実際、私も、カリキュラムの半分も進んでいない。だから、今あるカリキュラムを変える方向で、教育省にいるシニア隊員(40歳以上の隊員)と話をしようということになった。
 他には、子ども達の使っている鉛筆やノートなど、いい質のものでないので。どうにかして、日本からいい教材を送ってもらう方法はないかを、考えていく事。子どもの授業態度に対しての、指導の仕方、対応方法などのこと、効果的な授業の方法をお互いに紹介していこうということを話し合った。
 今回、私は、この一年間でやる予定でいる、子ども達につけたい力、授業態度の改善、教師に対する指導の方針を、レポートにして出した。
 次回までに、各学校の方針を作ってくる事、今解っているマーシャル語の用語をまとめてくる事をすることになった。それと、教育省とは、今月中に話し合いを持とうと言う事になった。
 2回目で、授業の取り組み方から、マーシャルの教育の方向性まで、いい見通しが出てきたと思う。隊員が集まって話をすると、それぞれで考えている事を、まとめる事ができ、新しい見方も出来る。それぞれ意見があるが、プラス方面に考えていけるのでとても楽しい。
 今日も、家に帰るためにヒッチハイク成功。ペレさんという夫婦で、途中、ラジオを聞く方法がわからないというので、調べてあげたりしていた。結果、アンテナがなくて音をひろえていなかった。ペレさんは、ロングアイランド(ドミがある場所)に住んでいて、ローラまで、サンポに行くと言っていた。マーシャル語では、ドライブの事も、サンポと言うみたいである。

2005年10月9日(日)
親戚の集まりに参加

 大家の旦那の命日らしく、大家の家に親戚が集まってきた。今、大家の家に住んでいて大家の代わりをしているのは、大家の弟になる。
 3時過ぎ、今週するためのテストを作ろうと思っていたら、大家の弟にあたる人が、一緒に飲もうと言って誘ってきたので行った。そして話を聞いていると、大家の旦那さんが亡くなったのは1986年で、大家にあたる奥さんは、病院通いをしているらしい。そして、その一家は、マーシャルのほかに、アメリカ、台湾、フィジー、ニュージーランド、オーストラリアに住んでいて。先祖に日本人もいる。そして、親戚の韓国の人も来ていた。とても国際的な一家である。日本が、大洋州を治めていた第2次世界大戦前は、マーシャル、ミクロネシア、パラオは1つの政府だったので、その国のこともよく知っていた。マーシャルの政府や、アメリカ政府関係の人もいて、ビップな一家である。1人のおじさんはミュージシャンだと言っていて、CDを出していた。
 日本では、命日の1年目、3年目、7年目に集まる事を知っていた。マーシャルはどうなのかと聞くと、そんな文化はないけれど、自分達は、色々な所に住んでいるので、こうして、毎年集まっていると言っていた。
 日本の事では、バブルが崩壊して就職難になった事や、皇室のごたごたなどを話していた。よく知っている。
 おかしな話が一つ、1970年代、名前は言っていたが忘れた、日本人が切腹するのが、ニュースで流れ、介錯が下手で、5回繰り返していたと言っていた。本当かと聞くと、本当だと言っていたが、そんなものがニュースで、本当に流れたのだろうか。なんかの映画と一緒になっているのだろうか。
 他には、政府関係者情報で、来年、皇太子がくると言っていた。
 6時ごろ食事の準備が出来たので食べた。マーシャルに来てからいちばん豪勢でおいしかった。魚やチキンがいろいろな方法で調理がされていて、サラダも3種類あった。9時におひらきになったので、結局、今週の授業準備は出来なかった。

2005年10月10日(月)
今週で1学期が終わり

 マーシャルは4学期制。そして、今週で、第1クウォーターが終わり。今週は、試験週間になっている。月曜日と火曜日が、テスト範囲の復習。水曜日にテストを行い、木曜日に採点。その日の子ども達と金曜日はいったい何をしているのでしょう。それは、まだ解らない。
 来週から、第2クウォーターが始まるので、第2クウォーターから、1・2年生も見たいということを校長に伝えると、もちろん快諾。1,,,4年生と5・6年生のオレンジクラスといって、学力別編成の下の方のクラスを見ることになる。
 そして、今は私が、授業開始の10分から15分間で、基本的な内容を繰り返し行なっている。それを、第2クウォーターの途中からは担任の先生にしてもらいたい事。そのために、先生達にやり方を教えるので、必ず授業を見に来る事の2つを伝えると、これも快諾。
 子どもの学力を伸ばすことと共に、先生のスキルアップも隊員要請内容にあるので、それもしていこうと思っている。今までの様子では、担任の先生は、私が算数を持っている間は、休み時間のような感覚でいるので、そこを変えて行きたい。

2005年10月11日(火)
1年生で授業3

 昨日、今日と、担任の先生に授業をしてもらった。1週間見てもらっていたフラッシュカードを使った授業をやってもらった。今までは、そんな事をやったことがないので、見よう見まねでやっているのがよく解る。
 こっちの方をちらちら見ながら、私がやったことを、そのままやられるので、少し恥ずかしくもあり、うれしかったりする。もっともっと練習して、うまくならないとと思う。しかし、授業を見てもらって、そしてそれをやってもらって、勉強になることは多い。自分の方法のいけないところ、もっと変えていかないといけないところが見えてくる。
 日の入りが早くなって7時過ぎはもう暗くなっているので、その頃に、散歩に行っている。少し涼しく感じるようになったが、走ると汗がだらだら出てくる。最近は、半月で、その時間帯は、潮が少しひているので、砂浜で、ボーとしていると気持ちがいい。半月だけれど、あたりがほんのり明るく見えて、夜の雲や波が奇麗である。写真に撮ろうとしたが、やっぱり写らなかった。

2005年10月12日(水)
学期末テスト

 今日と明日で、学期末テスト期間。今日、受け持っているクラスはテストを行った。カンニングはしないように言うと、いつもとは違って見ないでやっている。学期末テストなので、子ども達も特別に感じているのだろう。40分間で行ったのだが、けっこう集中してやっていた。結果は、まあまあって所でしょう。日本と比べてしまったら全然もの足りないけど。

2005年10月13日(木)
ちょっとブルー

 昨日の夜、3時間をかけて、校長先生に話した内容、2学期にやりたいことと、今年の目標を、英語の文章にした。そして、今日、イギリスから来ている英語の先生であるベンに、文法のチェックをしてもらい、書きなおして校長先生に見せた。
 作った資料はこれ
 しかし、ちょっとばかり読んで、わかったと一言。おいおい全然読んでないだろと思ったので、少し説明をして、子ども達に言ってくれないかと言うと、担任の先生に言ってくれという返事。なんか、もうちょっと反応はないのかと思った。
 それから、紙をコピーして、各担任のところへ行き紙を見せながら説明をする。2学期からは、担任にも授業をしてもらう事、外に行ってしまわないで、必ず、授業中は教室にいることを伝えた。これも、どの先生もよく読みもしないで、解ったの返事。ほんとに、やってくれるのかすごく不安な感じだ。まあ、聞いている話だと、授業を見るように言った所で、授業を聞く事はしないらしいので、これから、どうするかだとは思うのだが、もう少し、なんか反応があってもいいだろうと思ってしまう。
 俺は、出来ない英語で、作ったんだぞと言いたい。

2005年10月14日(金)
1学期終了

 今日で、一学期が終了。と言っても休みがあるわけではなく。来週から2学期が始まる。今日の夜。先生達が踊りに行くと話をしていたような気もするが、よく解らないまま家に帰ってきた。仲間はずれ?言葉が出来ないって、こういう時つらいです。流されるまま、踊りに行くぞと言われれば、オッケーと言い。家に帰るのかと聞かれれば、帰ると言う。いったい今日の夜の話は、何だったのだろう。
 水曜日から始まったテスト週間。水曜日にテストをしてしまえば、後は。普通に授業をしていました。いつしてもいいよと言うことだったみたいで、他の先生達は、水曜日もテストのための勉強をしてから、木曜日や金曜日にテストをしていました。
 家に帰ってきてから、ホームページに写真集を作っていました。慣れない作業は時間がかかる。それにしても、写真を見ていたら、本当にきれいだなと思う。でも、実際に見たのとは比べ物にならないけれど。現在、アップしていますが、時間がかかる。写真が大きかったのかも。
 学校が始まってからのこの2ヶ月。とても早く感じた。ホームスティしていた1ヶ月とは、まったく違う。子どもがいると、やっぱり違うなと改めて思うのであった。

2005年10月15日(土)
帰国

 同期隊員の一人が、日本に帰国する事を決めたことを聞いた。今までも、悩んでいる事など、話は聞いていたが、あまりに突然の事でびっくりした。これからいろいろと行っていこうとし、これからの事について話をしていた。マーシャルの教育について、いろいろな角度から深く考えていた仲間である。相談相手でもあり、一緒に行動して行くであろう予定だった一人がいなくなるのは、残念と言う言葉だけでは言いきれない。
 駒ヶ根訓練所から今までで6ヶ月、訓練所では、同じ国に派遣される目標を持って話をし、マーシャルに来てからは、多くの時間、一緒にマーシャルの事について考え行動してきた。それを考えると、仲間一人ひとりの存在はすごく大きいなと感じる。
 これからのマーシャルの教育を考えていくことの大きな戦力ダウンになるだろう。来週末行う教育省との話し合いにむけても、考えている事をレポートに書いて来てくれていた。それを、来週一緒に話し合えたら、どんなによかっただろうかと思う。

2005年10月16日(日)
決断

 帰国する隊員を見ていると、帰国を決断すると言うのは、すごく大きな勇気だったのだろうなと思う。2年という期限で日本の教育現場から離れてきている。2年間、マーシャルのためにという思いがあったに違いない。それを途中でやめるということ、自分の身を削るような思いだったと思う。
 もし、協力活動がうまくいかない場合、隊員はそこから離れ、帰国するしかないのだろうか。思い悩んでしまった場合、結論を出すように考えないといけないのだろうか。文化や環境の違う国に来ているのである。すぐに答えを出す事なんて簡単に出来ないように感じる。活動から離れ、少し時間をもらって、ゆっくり考える事は出来ないのだろうか。活動は停滞するかもしれないが、それでも、その隊員や派遣国にとって何かしらの意味はあるように思う。
 こんな事を書いていても、何も解っていないのに何を言っているのだと言われるかもしれない。まったく、関係ない事を書いているのかもしれない。もう決定している事なのが悔しいし、残念でしかたがない、何とも言えない気持ちである。

2005年10月17日(月)
最後の夜

夕暮れ

 学校が終わってから、ドミトリーに向かう。帰国が決まったのが金曜日で、明日、日本に帰る。たった4日の急な出発である。そして、今日は最後の夜なので、夕ご飯を集まって食べた。特別な話をすることはなく、これからの活動の事や、いつもと同じような話をしていた。
 学校で、1年生の先生が、私のフラッシュカードをめくるのを見ながら、めくる練習をしていた。そして、指書きをしていると、書き方が間違っている子がいると指摘していた。やろうとしていることに、とても答えてくれているのでうれしかった。と思うと、4年生の先生は、授業を、10分ぐらいしか見ていなかったので、「授業を見てください。」と言いに行くと、「今日は、よかったでしょ。」と言う答えだった。はっきりと、「だめ、もっと見て下さい。」と言ってあげた。

2005年10月18日(火)
帰国

 10時50分発の飛行機で、日本に帰っていった。時刻通りきっちりの出発だった。帰国する隊員は、朝8時に空港に向かった。私達、同期隊員は9時に空港に向かい、話をし、そして、出発ロビーに見送った。出発までの時間、話をしたりしていたが、誰にもやるせない感じがしていた。
 出発前になると、飛行機に乗る所が見える場所へ行き、最後の見送りをした。そして、飛行機が回りながら空に上がっていくのを見ていた。
 今日は、見送りのために学校を休んだ。

2005年10月19日(水)
100日目
大雨も気にせず遊び子ども達

 今日で、この日記を始めて100日目。日本を出発してから100日という事になる。子ども達に日記を書かせている時は、100日続ける事を目標にしてやっていたけれど、とうとう100日を達成しました。
 今日、朝学校で5,6年生のオレンジクラスを教えていると、校長が入ってきて、「授業をしているのか?」と言うので、「はい、やっています。」と答えて、何を言っているんだろうと思っていた。授業が終わってから校長と話をすると、学力別のクラス編成はやめるので、5,6年生は教えなくていいと言う。
 これで、セカンドクォーターになってから、学力別にするかしないかと言う事で、3回目の変更だった。それも、授業が始まってから変わったからと言いに来る。子どもには、次にすることを伝えているので、今回も、明日は、割り算するからといって授業を終わったのに、明日は授業をしない事になった。計画を作ってやっているので、そういうことはして欲しくないのだが、その日暮らしで、次のことを前もって考えることをしないマーシャル人には無理だろうなと思ってあきらめた。でも、それなりに、言いたい事は言っておいた。どこまで伝わっているかは解らないが。

2005年10月20日(木)
マーシャル式算数授業

時々でる昼食。ご飯にサッポロ一番

 2学期から、担任の先生にも授業をしてもらうと提案すると、一日交代にしようと、一番授業をしようとした先生である3年生の先生のマーシャルの算数授業をみた。以前も、校長の算数授業を見たが、同じような感じで、まず、一斉指導がある。その指導は、順を追って解き方や考え方を答えさせていく。ついて来ているのは、出来る子達だけである。解らない子達は、ボーとして聞いているか、遊んでしまう。その次に練習問題をさせる。子どもが練習問題を解いている時間は、先生は、何の指導もしない。ひどい時は、外に行ってしまう。でも、外にいって話をしていたり、パソコンのゲームをしたりしているのが普通な様子。そして、時間内に終わらないので、後は宿題。宿題の答え合わせはしているのかどうか?
 練習問題が始まると、先生が授業はどうだと聞いてきた。正直に答えた。子どもにとっては内容が難しすぎる、半分以上の子は解っていない。授業をしている時には、ノートに書かせるとかして、子どもが出来ているかどうかを先生がチェックしないといけない。どうだと聞いてきた時から、ガクッと表情が崩れてしまった。
 そして、練習問題をしているから、ヨシアキは休憩してくれと言う。子どもが問題を解いている間は、休憩時間という認識のようだ。子供のノートを見ていると言って、それを断った。どう思っただろう。
他の先生もそうなのだが、ノートを見るポイントを教え、子どもが問題を解いている時に、一緒に見てチェックしてくれと言うと、問題をし始めた時に、私が言ったポイントを子どもにマーシャル語で伝えて、それでおしまい。ノートを見ているのは私だけ。ノートをチェックする事が、解っていないのかなと感じる。それとも、自分の役目は、マーシャル語で訳す事だと思っているんだろうか。まあ、まだ、初めて一週間なので、徐々に伝えていこうと思う。
4年生の先生には、warm up といって、授業開始10分ほどで行うフラッシュカードをやってもらった。今までやってきていたのをまねしてやっていた。でも、時間は、25分かけていた。それが終わった時に。「コンモール(ありがとう)。」と言うと、「ヨシアキは、エナーナ(よくない)だ。」と言う、意味が解らなかった。どういうことだろう。

2005年10月21日(金)
6年生の子

 昨日から、6年生の授業は、時間割の変更で担任の先生がすることになった。セカンドクォーターの最初、5,6年編成の学力別ではなく、6学年を教える事になると言った時。やったーと言う反応をしてくれた子達なので、もちろん全員ではない、教えたかったのだが、担任の先生もそれでいいと言っているので、その先生は何を言われてもいいと言うのだが、任せることにした。
 今日の放課後、一人の6年生の子が来て、もう授業はしないのかと言う。これからは担任の先生がすることになったと言うと、ヨシアキの授業はよかったと言ってくれる。とてもうれしかった。そして、掛け算の宿題をしてくると言って、プリントを2枚持って帰っていった。そのうち、また、6年生も教えたいなと思う。
 4時から、ローラで、待ちに待った、野球の練習を行なった。前にやると言ってから一ヶ月以上が経っている。最初は、5人でやっていたのだが、だんだん人数が増え、最終的には15人ぐらいが集まってきた。簡単な守備練習と、バッティング練習をした。守備練習では、勝手にダブルプレーの練習をしだすし、バッティング練習では、順番を考えずに同じ人が何度も打ち、外野までボールが飛ぶと、ホームラーンといって喜んでいる。終わった時には、ボールを拾いに行かないので、ボールが2個なくなっていた。
 野球が終わってから、ローラの協力隊員の家でホームパーティーがあった。協力隊員と、ワールドティーチャー(アメリカからの英語教育のボランティア)と、ローラの先生、台湾ファームの人が来ていた。外人がいっぱいいるパーティーに行くと、まだまだ、なんか場違いな場所にきている感じがする。

2005年10月22日(土)
17年度第1回小学校部会

 教育省の人との話し合いを持った。と言っても、教育省配属のシニア隊員と、小学校配属の協力隊員で集まった。前年までの15年度1次隊の人たちが行ってきた活動報告を聞き、それに対しての質問をした。2年前までは、指導内容の量を考えることなくやっていたので、指導内容を減らしたカリキュラムを作ったと言う事だった。しかし、まだ、内容が多く、今の実態では1年で教えきる事ができず、現状とあっていないので、来年度から新しいカリキュラムを作って行く事になった。作成方法については、考え方が違ったので、これから話しあっていくことになった。そのほか、オープンスクール(公開授業)の行い方、学期末テストのことなどについて話し合いをした。
 今回行なわれた学期末テストは、現カリキュラムで行っているもので、その目的は、マーシャルの先生が教える事ができているかをみるためと、カリキュラムの見直しをする為ということだった。それなら、結果を見なくても、教える事は出来ていないし、子どもが出来ない事は解っている。子どもが出来ないテストをさせることがいやだったので、次回からは、したくないと言うのが私の意見だった。しかし、結果をみて、これから、考えると言う。なぜ、そんなにテストをしたいのか、そこにしっくりしないものを感じたが、それは次回と言う事にした。
 夜、台湾ファームの人からもらった、なすびとピーマンを炒めて食べた。マーシャルの畑で育った新鮮な野菜。マーシャルに来て初めて食べた。やっぱり、新鮮な野菜は味が違う。

2005年10月23日(日)
日曜日のヒッチハイク

 昨日はドミトリーに泊まり、4時頃、家に帰るためにヒッチハイクを始めた。日曜日は、タクシーバスが動いてないので、ヒッチハイクで帰るかタクシーで10から15ドルだして帰るしかない。だから、タクシーが止まってくれても断り、ヒッチハイクで帰る。先週は、1時間やっていたが止まってくれなくて、それを見かねた前のガソリンスタンドのおっちゃんが、スタンドでガソリンを入れていた車に乗せてあげてくれと言ってくれ、帰る事が出来た。
 今日は、何時間かかるだろうと思いながらヒッチハイクを始めた。結果は40分。無口な男の人が乗せてくれた。なんか見た事がある感じがして、2回目のような気もしたが、聞くことが出来なかった。機動力のない生活は不便です。

2005年10月24日(月)
突撃モード

 協力隊派遣要請書に、現地の子ども達への教育と共に、現地の先生に対して、教育に対する助言、研修会を実施すると言うことが書かれている。学校教育では、何をするにしても、言うにしても、子どもの変化が、一番説得力がある。だから、マーシャルへ来る前には、子ども達の変化を作っていく事によって、子どもの成長や教育に無関心だった先生が、関心を持って来ることを待とうと思っていた。マーシャルでも、日本と同じように、子ども達が変わると、先生達は、その方法を知りたいと思うのではないか。そのために、まずは、子ども達の変化が作れるように努力をしていこうと思っていた。
 しかし、来てみて感じたのは、先生が子どもを見ていない。授業も聞いていない。部屋にいればいい方。関心を持つようになるのを待っていたら、2年が終わってしまうのではないかと言う事。
 まだまだ、子どもの変化を作れていないが、ノートの書き方や、発表の仕方、授業の聞き方はよくなってきていると思っている。しかし、マーシャルの授業を見ていると、一方的に指示をして、子ども達との関わりが極端に少ない。そして、子ども達は基本的に、大人の言う事は聞くので、それらが子ども達に出来なくても、マーシャルの先生の授業に支障はない。その上、教える事よりも、出来るだけ休憩を取ろうとする。
 ということで、待っていたらだめだと思ったので、ぶつかっていく事にした。まずは、教室から出て行かないで、私の授業を聞き、子ども達のノートチェックをする事と、授業開始の10分をしてもらう事を、やってもらえるようにしていく。
 もしかしたら、打ち崩され、教員の中でハブになってしまうかもしれない。しかし、出来るだけうまく攻めて行こうと思っている。先週一週間の成果は、書いてきた通りです。

2005年10月25日(火)
少しの変化
3年生のクラス(クリック)

 3年生の先生が、練習問題をさせている時、子どものノートを見ていた。この前、口で言うだけで終わってしまったので、その後、ノートをみて、子どもが出来ているのかを確認する事をお願いしたのでやっていた。1年生の先生も、子供のノートを見てくれるようになり、算数の授業の前の英語の授業をやっている時に教室に行くと、英語の授業でも、机間指導をしていた。伝えている事をやってくれているのでうれしくなった。2年生の先生には、今日始めて、机間指導をすることを伝えると、私が子供のノートを見るの?と、少し驚いていたが、解ったと言ってくれた。日本では当たり前にノートを見て指導をしているが、ノートを見ると言う行動がマーシャルの先生にとっては、驚く事なのである。だから、「チェックをしてくれ。」と言っても、ノートを見ることをせず、言うだけになってしまっていた。
 そして、今日は、赤鉛筆を使い、まる付けを子ども達にさせた。調整員が、日本に帰っていたので、赤鉛筆を買ってきてもらった。マーシャルには、赤鉛筆が売っていない。今まで、答え合わせも鉛筆でさせていたので、合っているのか間違っているのかよく解らなかったのだけれど、赤鉛筆を使うとよく解るようになり、子ども達も喜んで丸をつけていた。

2005年10月26日(水)
授業づくり

 昨日は、ノートを見ていた3年生の先生、今日は、練習問題をさせている時間。最初は見ていたが、途中から、外に行ってしまって、授業の終わりの時間まで帰ってこなかった。この繰り返しなんだろうなと思う。2年生、4年生の先生も、授業は聞いていないで、自分の仕事、たぶん週案を作っている。子供のノートを見る事はほとんどしない。そんな中、1年生の先生は、授業を聞いてくれるし言った事をやってくれるので、他の先生とは違う。
 そのうち、授業中には先生のための休憩時間はない事、教室の外に行くのはよくない事、授業中は、子どもの活動を確認し指導していく時間である事を伝え、ティームティーチングを教えていこうと思う。
今、3年生の授業で、2桁の足し算をしている。始めの頃は、テキストを見ることもできず、計算ミスも多かったので、全体指導で1問解いて、その練習1問をして、答え合わせ。また、全体指導で1問解いて、その練習1問をして、答え合わせ。ということを繰り返した授業をしていたので、1日に2問出来ればいいほうだった。
 でも、今週になって、初めに全体指導で解き方の練習を2問行ない。そして、テキストの問題番号を言って練習問題4問をさせ、そして、全員での答え合わせをするという、授業の流れが出来るようになってきた。1日に出来る問題の数も増えた。子どもに力がついてきている様に思いうれしい。

2005年10月27日(木)
子どもの誕生パーティー

 1年生の子で誕生日の子がいた。放課後に、「1年生の教室で誕生パーティーしているから行きなさい。」と言われて行ってみると、1年生の教室の周りに人だかりがしている。そして、中を覗くと、一年生の子達が、ケーキとアイスを食べている。そのお菓子は、誕生日の子の家族が持ってきていた。家族の人が、誕生日を祝うため、お菓子を持って学校に来て誕生パーティーを開いていたのだ。ケーキの大きさは、縦50センチ、横80センチくらいの大きなものだった。行った時には、もう半分になっていたので、最初、どのようなケーキだったのかは解らない。しかし、そのケーキの上面に何か色クリームで絵が書いてあったみたいで、食べたケーキは人の顔の部分だった。最初を見られなかったのが残念だった。
 ちなみに、マーシャルの全ての家が、そういうことをしている訳ではない。今回が初めてだった。

2005年10月28日(金)
6年生の男の子2

 先週、掛け算のプリントを持って帰った6年生の男の子が、今日、プリントが出来たと言って持ってきた。しかし、持ってきたプリントは、渡してあげたのとは、種類の違う掛け算プリントで、一枚だけだった。おそらく、あげたプリントを失くしてしまい、どこかにないかと、一週間、何とか探し出したものを持ってきたのだろう。そして、今回も、2枚プリントをくれと言うのであげると、月曜日に持ってくるといって帰っていった。
 学校が終わってから銀行にいくためにバスを待っていた。いつものようにバスはなかなか来ず、そして、いつものように彼女がいっぱいいる大学生が通りかかり話をしていた。バスが着て乗るが、銀行は6時まで、間に合うかどうかのぎりぎりだった。チンタラ運転で焦っていたが、何とか3分前に到着。しかし、銀行にいくと、CIOSEの看板が掛かり、鍵が閉まっていた。中では、まだ、何人かが受付待ちをしていた。
 少しして、出てくる客がいてドアが開いたので、開けていた職員に、中に入れないかとお願いをした。でも、だめだと言う。俺の時計は6時になってないと言うと、店内の時計で判断していると言う、まあ当然だ。ちなみに、私の時計の時刻は正確である。しかし、諦めず、お金がないから困っていて、電話局にお金を払いに行かないといけないと言うと、仕方ないなあと言う顔で中に入れてくれた。いやー、いい人でよかった。

2005年10月29日(土)
ニューマシン

ジャイアントバーバー号と花子

 昨日はドミ泊まり、いつものように、「義経」を見てから家に帰った。5時過ぎ雨上がりで割りと涼しかったので、今回は、ドミで2週間おきっぱなしだった、帰国した隊員からもらった自転車で帰ることにした。
 ドミを出発してから10分、気候は涼しい方だが、汗がだらだら。そして、30分後、けつが痛くなってきた。40分後、ドミからウォジャの間にあるアジャルタケに住んでいる隊員の家で休憩させてもらおうと思ったが留守。仕方なく、そのまま家に向かう。そこからしばらくして、犬の襲撃にあう。2匹の犬が吼えながら追ってきた。反対に向かっていくと逃げていき、何とか撃退。
 6時過ぎから、暗くなり始め、家の近くになってくると、電気もなくなってくるので、6時半頃には、辺りは真っ暗になった。時々外灯があって明るくなるとほっとする。ここで、2度目の犬の襲撃、もう疲れ果てていたので、反対に追いかける元気はなく、近づいてきたところで、けりを食らわし撃退。2匹目は、ブレーキをかけただけで逃げた。
 マーシャルの犬は、車のタイヤにも向かっていく犬がいる。回転するものを追いかけるようだ。逃げていくものを追いかけていくので、逃げずに、石を投げるふりや止まると、びっくりして犬の方が逃げる感じがするが、噛まれて狂犬病になると怖いので。噛まれないように注意しないといけない。
家に着くのに、1時間30分かかった。汗だらだら、股関節だるだるだった。そして、家間近で雨が降り始めてきた。我が家に機動力ができた。命名「ジャイアントバーバー号」

2005年10月30日(日)
花子とダニ

シャンプー中

土間の隅へ(クリック)

 日曜日の午前中、マーシャル人の多くは教会に行く。ウォジャでは、今まで行ったことがなかったので行ってみる事にした。ウオッジェでは、教会に行くとき、長ズボンをはいていけばよかったので、Tシャツに長ズボンで行った。
 歩いて20分のところにある教会に行くと、キリスト教徒ではないので、後ろの方の席に座って聞いていようと思っていたのだが、後ろの席は空いてなく、前の真ん中の方が開いている。そして、来ている人たちは、Tシャツではなく襟付きシャツで正装している。臆病者の私は、さすがに、Tシャツ姿で、堂々と真ん中の席に行く事ができず。外から覗いていた。20分ほど聞いていたが、ハレルーヤ、ハレルーヤと、ほとんど歌を歌っていた。隣の家では、子ども達だけで歌を歌い、そこの教会では、子どもと大人は、分けられているようだった。
 ここ最近、家の中、特に玄関を入った土間で、ダニが大発生している。いつも花子がそこで寝ていて、繁殖してしまったのだろう。花子にも、ダニがいっぱいついていた。そして、日曜日の今日。花子をシャンプーする事にした。家の土間や土間の壁にも水をかけ、かなりの数のダニを退治した。ダニはいったいどうやって繁殖するのだろうか。
 一ヶ月ぶりのシャンプー、赤いバケツを持っていくと逃げようとする。しかし、ドアはしまっているので逃げられない。ごしごし洗っていると、ダニをいっぱい発見。とりながらシャンプーをしていたので、気持ちがいいのかこの前ほど嫌がらなかった。しかし、終わってから、玄関を開けてやると、一目散に外に出て行き、草の上に体をこすり付けていた。

2005年10月31日(月)
花子負傷

 いつもなら、家に戻ってくるスクールバスを道の側で待っている花子がいない。家に近づくと、花子が足を引きずりながら出てきた。左足に大きな切り傷を作っていた。びっくりして、家に戻って消毒をして包帯を巻いてやっていると、太もものところと、内側の後ろ足の付け根のところも大怪我をしていた。これはやばいと思ったが、マーシャルには獣医はいない。消毒をして包帯をしてやるだけだった。
 朝、バスに乗り遅れたので、歩いて学校に向かっていた。当然、花子もついてきた。その途中の家から犬が3匹出てくると、臆病者の花子は、一目散に海のほうに逃げ出した。逃げると追いかけてくるもので、その3匹にやられていたので、その後を追いかけていったが、見当たらなくなってしまった。しばらく待っていると、家のほうの道から出てきたので、逃げ切れたんだと思ってそのまま学校に向かった。しかし、その時にどうもやられてしまっていたらしい。いつもならピョンピョン飛び跳ねているのだが、一日ぐったりしていた。憎きあの3匹、今度飛び出して来たらやっつけてやる。
 夜、巻いてあげた包帯は取ってしまい、まったく意味がなかった。