2005年7月12日(火)
日本発

 9時過ぎに家を出る。9時37分の戸塚発の電車に乗り、箱崎のエアーステーションへ向かう。おとうさんが見送りに着てくれた。箱崎に集合し、バスで空港へ向かう。空港では、荷物の重量オーバーのため、ダンボールにつめなおし一個増やす事になった。重さは要注意である。結局、空港で自由になった時間は30分だけだった。
 初グアムである。第一印象、ハワイと同じようなにおいだった。ついた時には、もう暗くなっていた。ホテルに行って、後は、飲みに行くだけだった。

2005年7月13日(水)
各駅停車飛行機

 朝、5時半おき。8時20分発の飛行機。6時半、空港入り。過密スケジュールである。荷物チェックの時、余剰荷物のお金が足りないと言われる。日本を出る時、マーシャルまでの値段をもう払っているから、グアムではそれを言えば払わなくていいと言われていたので言ったが、足りない分を払えと言われたので、渋々払う事にした。お金を払わされた人と払っていない人がいて、よく事情を解っている職員とそうでない職員がいるらしい。私が当たった職員ははずれだった。しかし、うまく言えないのが、また悔しい。
 飛行機は、ミクロネシアを経由しながら飛ぶが、どこも、空港には何も無く。とても暑かった。しかし、滑走路は綺麗だった。首都がある島でミクロネシア隊とお別れをした。
 マーシャルに着いたのは、7時過ぎ、あたりは暗くなり始めていた。降りたとたん、じめーとした空気が、肌にまとわりついた。やはり暑い。空港を出ると、真っ暗になっていたので、あたりの様子はよくわからないが、道の向こうが真っ暗なので、たぶん海なのだろうと思った。
 マーシャル隊の人たちがお迎えに来てくれていた。語学訓練まで寝泊りする場所になるドミトリーまで、荷物を運んでもらい、食事会と、生活の説明を受ける。
 マーシャルでの一日目、これからここでの生活が始まるのである。

2005年7月14日(木)
一日目の行動

  一日、省庁周り。日本大使館にも挨拶に行った。どこからも海が見えるが、真っ青な海で、近くを見ると透き通っている。マーシャルに来たと言う感じだ。
昼飯に入ったレストランで、照り焼きチキンを注文する。4ドル75セントだが、日本の倍ぐらいの量が出てきた。味は悪くない。
 今日の日程が終わってから、国際電話をかけるためのカードを買うために電話局に行った。日本人だと言うととてもフレンドリーだった。
スーパーは、ある程度のものはそろっていてびっくりした。品質は良くないが、数にびっくりした。首都は、思っていた以上に進んでいた。

2005年7月15日(金)
豪雨

 マーシャルは、突然雨が降る。それもかなりの勢いで降ってくる。夜に降った雨は、家が潰れるんじゃないかと思うほどの勢いだった。しかし、川の無いマーシャルでは、大切な飲み水を確保するための恵みの雨である。
 今日は、生活をする上での気をつけることを聞き、町案内、銀行口座作りだった。口座を作るのに待った時間も、なかなかすごいものだった。マーシャルは、子供の数が多い。車で移動している間、どこでもバスケットをして遊んでいる姿が見えた。
 昼飯は、マーシャルにはたくさんある店で注文した。昨日と同じぐらいの量で、1ドル75セントだった。チキンが1ドル50セントおにぎり25セントだった。夜は、歓迎会を開いてもらった。

2005年7月16日(土)
我が家

 9時から、これから2年間過ごす家を見に行った。市街地から車で30分。離れるほど、家の数が減り、これぞ南国という風景が広がってくる。案内された家は、大家さんの隣の2階建てのアパート、一階は倉庫みたいな感じだった。家の中は、想像よりきれいだった。しかし、蟻が歩いていて、ねずみの糞がたくさん落ちていた。引き出しを開けると、埃がたまっているような場所もあった。
 家に行くと大家さんは日陰で涼んでいた。車から降りると近づいてきたので、挨拶をした。明るい大家さんで、家の掃除を手伝ってくれ、帰りは、バスが来るのを一緒に待っていてくれた。
乗り合いバスに挑戦し、見事目的地までたどり着けた。降りる時は、ジャネ(ここです)という。
初泳ぎ。海岸から2メートルも行けば、すぐに魚が泳いでいて、30分ぐらい見ていた。海の青さはなんともいえない。透き通っていて、海底まで、ずっと見えている。しかし、落ちているごみが残念だった。

2005年7月17日(日)
海水浴

 一日フリー。昼ごろまで寝ていた。その後、またまた海へ。昼間は暑いので、日焼け止めをし、一回30分ぐらいで、2回入った。しかし、背中がまっかっかになった。ぷかぷか浮いていたためだろう

2005年7月18日(月)
熱中症

 マーシャル語学学習の説明を聞いた。サバイバルな予感がした。午後は、町探検もかねて歩きながら買い物をした。まず、水の配達が、自分住む場所まで運んでくれるか解らないと、調整員に言われたので、水屋に行った。聞いてみると、運んでいないと言われた。その地域に住んでいる人は、運んで持って帰ると言われたが、車が無いのでそれもできず、水の調達方法を考えなくてはいけなくなった。
 大きなスーパーは3つあり、雑貨屋みたいな店に、服屋、日本人の経営している店と、ある程度そろう。途中ボーリング場があり、覗くと誰もしていなくて、中から子供が出てきたので1ゲームいくらか聞いても教えてくれない怪しい場所だった。
 町を歩いていたので、どうも熱中症みたいになったらしく、頭痛がするようになり、おなかを下してしまった。そして、ドミトリーに戻って寝ていた。昼間の炎天下での行動には注意である。
 夜は、出発準備やらで、寝るのは遅くなってしまい、みんなに心配されてしまった。

通信へ戻る

<<次のページ>>