「北満からの手紙」第五集 昭和14年9月〜10月

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053 H−7
昭和14年9月初(または8月終) お母さんへ
お母さん。
二十日、二十一日、日付の手紙も 小包も 確かに受
取りました。有難う。安心して下さい。
おしるこ を戦友達が『うまいうまい』と云って
たべてくれました。しかし無駄なお金を沢山
費はせて申訳なく思ひます。

藤ちゃんが大分 快方とのことなので ホッ!!と
しましたが、どうぞ自分の娘のつもりで精一杯
優しく親切に看護してやって下さい。
お母さんが日頃の恩の萬分の一でも かへされる
のはこんな時だと思ひます。

お金がとどいたのですネ。わづかで済みません。

貯金などに入れなひで僕の願っている通り
藤ちゃん共々に滋養になるものでも買ってた
べて下さい。
お金を ためることよりも体を元気づけて いつも
丈夫な体でいることがお互いに一番大切です。

写真を有難う。みどり君の方が 入れてな
いのですが、忘れたのですか。

僕は胸に時々しみて来る昔のことを、この
北満の地でみんな忘れてしまひたいと思ひます。
男のくせに 無意味なことで苦しんだり、同
じ石に再び躓づくような この上なく おろか
なことをくりかへしたくないのです。

北満への出征は僕を更生へ導ひて呉れる第一
歩だと信じています。僕は 生まれ変わった男に成る
べく毎日勉強しています。

僕はともすると昔のことが 心懐しく蘇って来
てたまらなく人恋しい気持ちに成る時もあるの
ですよ。けれども僕は そうした気持ちに敗けません。
 『敗けるものか、どうしても敗けられるものか』
一途にそう思って 一層強くお母さんのことを
心に思ひつめ乍ら頑張っているのです。

僕の純情をふみつけた人達を決して うらみ
ません。自分にも罪があるのですから。
人を憎む前に 自分のやったことを ふりかへ

ってみるなら別に自分が無理なことをジッと
たへて我慢しているのだとは思ひません。
頭をたれて来る人があったなら お母さんは
お母さんの立場で優しく いたわってやるのがよ
いでしょう。僕には僕の立場があって自分の
考へ通りに生きてゆきます。
もうこんな話しは止めて置きます。

北満に秋の訪れがほのかに感じられます。
朝夕の冷たさは全くの秋と云ってもよいでしょう。
夜間など夏衣では薄寒く思ひます。

演習へいっても秋草が一面に咲き乱れていて
昼日中雑然と湧上がって来る蟲の啼声に

も故郷のことがしのばれます。
一昨日、芙美子君から手紙を貰ひました。
あの人はどんな人だと思ひますか。美しい人ですか。
兄さんが出征されたそうですから お母さんか
らも お喜びのお手紙でもあげたらよいと思ひ
ます。
昨日、山下軍曹(山下の勝チャン)が面会に来
てくれました。病気上がりとは思へぬ程元気な顔
をしていました。近々東安の方へ来ると云って
いましたが、自分は衛兵だったので、二十分
程で別れました。思ひがけぬ懐しい人との
対面だったので心の中で熱いものを覚えまし
た。あそこの小母さんに元気でやっておら
れることを 伝へて下さい。

お父さんの顔面のできもの は よくなったでしょう
か。さぞ困っておひでに成るでしょうネ。
笑ひ事ではない、と僕はしんみり思ひました。
気をつけてあげて下さい。
冬物は十月に成る迄に ジバンだけは欲しいと
思ひますが急ぐことはありません。
ではくれぐれもお体を大切に。皆に四六四九。
                   忠勝
お母さんへ。



054 H−1
昭和14年9月9日 お母さんへ 

お母さん。外は一面の霧です。
一週間余りも断続して降りそそぐ秋雨のため兵舎の中が
いやにジメジメして陰気です。
僕は毎朝起床時間(六時)の三十分前にはこうして眼をさます
のです。それから一日のモツトー(標語)を決めて それに合致
するようにつとめるのです。
自分の意志どうり有意義な一日が終ったら 手帳の裏
の向上表に○がつきます。軽率なことをしたり脱線したら
残念乍ら△がつくのです。ハッハーーーーーーーーー。
僕は殆んど○がつかなひので晩眠る前 床の中で、朝起
きた時床の中で、断々呼たる決心を幾度も幾度もくりかへし
て心の中に持ちます。

僕は必ず自分を一日々々精神的に向上させて行く覚
悟です。将来のことは家にかへってから その方針を決め
ることにしました。現在は現在の境隅の中で しなければな
らぬことが 幾等でもありますから。
家へ通っている女の人達(僕の隠れた妹達)以外の
女性と文通交際することは出来るだけ 止めようと
考へています。何故なら実際時間を空費するだけで
無駄ですから。四季の見舞状程度に とどめることに
しました。
御近所のお世話に成っている処は 氏名を書ひて
知らせて下さい。昨日、北條、芝、宮本、松岡、善家、佐野
等へお礼のお手紙を出して置きました。

越智、前田、丸木は名前が解らぬので手紙が出せません。
暇の時 お知らせして下さい。ヨシエ君にも出して置きました。

もう後一週間もすると又演習の方で急がしく成る
ので呑気にお手紙が暫く かけなひかも知れません。
御無沙汰しても どうぞ御心配なく。

慰問の小包は 沢山お金が かかっている割に 品をと
とのへるのが下手ですネ、お母さんは。
今度小包を送る時は お菓子ばかり送って下さい。
金高の大きな名物品や 高級な ものでなくてもよい
のですよ。起床ラッパです。一時中止します。

点呼が終って馬の手入れに行っていたのです。
始めは馬が恐ろしかったけれど、この頃では馬も仲のよ
い友達否戦友の一人に成りました。
初年兵さんが朝飯の支度をしています。
今朝も ホコホコゆげのたっている麦飯に おみおつけ
です。ハーーーーーーー。もやしとがんもどきのような油あげがと
てもうまひです。
近頃麦飯がたべなれた故か 白米ばかりの食事を戴ひ
ても おいしく思はなひように成りました。軍隊の麦飯は
とても おいしひです。それに天高く馬肥ゆるの秋が来
たからでしょうか 食事も進みがとてもよいの
ですよ。今から食事です。

今日は土曜日で何かと急がしいので食事は終っ
たのですがこれで止めて置きます。
欧州も騒然と成って来ましたネ。
(※)パリーは爆撃さ
れたし、ワールツーは大騒ぎ出し、面白く成って来ました。
お母さん達も ラジオニュースで毎日聞ひておひで
に成るでしょうネ。よく聞えますか。
暫く外出が無ひので写真を うつして送って
あげることが出来ません。
時節柄 お体を大切にして下さい。
皆によろしくサヨウナラ。      忠勝
お母さんへ


(※)
昭和14年9月1日 ドイツ軍のポーランド侵攻により第二次世界大戦勃発
9月3日イギリス・フランスがドイツに対し宣戦布告。
これに対し、日本政府は9月4日不介入を声明。




055 H−3
昭和14年9月中旬 お母さんへ

お母さん。
軍務多忙で四、五日 お手紙をしなかったことを
許して下さいネ。
昨日は第二期の検閲だったのですよ。
一日中歩き廻って晩の十時頃やっと隊へ かへり
ました。僕は精一杯奮闘しました。
背丈の二倍もある褐色にみのった高染畑の中や、
とうもろこし、大豆畑の中と処きらはず かけ廻っ
たのですが元気な調子で かへることが出来ました。
演習が終った直後 丘の上へ部隊が集結して
いると急に一片の雲もない大空が曇って、物凄
い くもの巣のような雷鳴がとどろき始めたので

す。疲れ切って汗にまみれた体に夕立は気持ちが
よいぞと思っていると大変です。
こや豆程の ヒョウ が降って来たのです。鉄悍に
ヒョウがあたって カン!!カン!!音がするし、まとも
に脊へでもあたったらはれ上がるぞ!!と思はれる
程のいきおひでした。
戦友達と天幕を かむって ヒョウの攻撃をさ
けたのですが五分程で止みました。
ヒリヒリ熱く如くにかわひていた喉を このヒョウを
ひろって食べたおかげで 大分我慢することが出
来たのですが困ったのは半截河までかへる三里
余の道です。

満州には石が殆どなくて土ばかりです。それも
ネン土のように きめの こまかい土なのです。
それで一度雨が降ったとなると すぐ ぬかるみ
に成って膝を没すと云った有様です。
実際 てきめんに道が悪くなりました。
足首あたりまでズブリ!!ズブリ!!とぬめりこ
むのです。そしてツルツルすべるので その歩
行の苦しいことと云ったら とうてい内地の
どんな悪路を通った者だって その苦しさを知
ることは出来ないと思ひます。
ひどい所では馬の足なぞ腹まで うずまっ
てしまって 馬が可哀そうでみておれない

のですよ。
半截河の部落の真中を通っている三間、四
間はばの大道だってみんな同じことです。
 ぬかるみ!!
お母さん達が流行歌でよく聞かれるあの
言葉は内地の人達には、わからぬことでしょう。
兵隊は、軍馬は、ぬかるみを征服することだ
けで命がけの死ぬ以上の苦痛をなめて
いるのですよ。
高梁の大きく生長しきって、褐色の穂をピン
と青空にはねづった様、北満の秋はこっから
来るのだ としみじみ感じました。

ぬかるみ 以上にもっと ひどい所が この辺には沢
山あります。沼です。底無し沼です。
あしや雑草がはえているから と云って呑気
に はいりこんで行くと馬も人も ゴボゴボゴボと
のみこまれてしまひます。
勿論普通にこんな処へは近づかないから心配無
用です。ハーーーーーーーー。
満州に高染と赤い夕日はつきものと云はれて
いるだけに心うたれる詩的な美しさを お母
さんにもみせてあげられたらと思ひます。
今夜は何を書ひたのかわからぬけれどおそ
ひからこの辺で止めます。
嬉しかったことは越智が手紙をくれたことです。
小父さんに逢ったら四六四九。
お体大切に。サヨウナラ。
                     忠勝
お母さんへ
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056 H−2
昭和14年9月20日頃 お母さんへ


お母さん。
人間の死は定々と云ひ乍ら、信敏叔父さんの死は僕
の心にたまらない気持ちをあたへます。こんな北満の国
境であの優しい叔父さんの悲報を手にしようとは
今の今まで夢想だにしていませんでした。
出発の前夜なにくれとなく甥の僕に、叔父らしい思ひ
やりの心をつかって戴ひた信敏叔父さんの熱い情けが
しみじみと身にしみて思ひ出されます。
お母さんも血肉を分けた たった一人の弟に先だたれて
定めし力を落されたことでしょう。僕にはお母さんの心
の奥底のあきらめに にた悲しさが よくよく解ります。
せめて僕が元気な姿で凱旋する日まで達者で

生きていて貰ったらーーーーーーーーーーーーーーーーー。
くやまれます。ほんとうに くやまれます。
思ひやりの深い優しい僕にとってたった一人の叔父らしい
叔父さんだったのに。

お母さん。僕は正直叔父さんの病気を知らなかったの
です。お手紙もろくろくあげなひで呑気にかまへて
いた僕が悪かったのです。どうぞ許して下さい。
お母さんの口に出して云へない せつない心の悲しみを
考へていると、僕は時折叔母さんや叔父さんだけで
なくて お母さんにも申訳ない気持ちが胸一杯に成って
来て涙ぐんでしまひます。

お母さん。くやみきれない心残りな肉親の愛情が、お母
さんの心の中に うずまひていて悲しい心から脱する
ことがなかなか出来なひでしょう。無理の無いことです。
しかし かへらぬことを くよくよいつまでも考へて体
を悪くしなひようにして下さい。
お母さんが体を悪くされると、北満の果で僕がとて
も不安な心配な毎日を送らなければならぬでしょう。
自分勝手な考へをおこさなひで僕のためにも、自
重して体を大切にして下さい。
お母さんには僕がつひていることを どうぞどうぞ忘れ
なひで下さい。そして力をおとさなひで下さい。
僕が お母さんを石に かじりつひても幸福にします。

その時を信じて待っていて下さい。

叔父さんは貴賎貧富の差別なひ 人間のたれも
が最後には行かなければならぬ安住の地へかへって
行かれたのです。
お母さんだって、僕だって、お父さんだって刻一刻そ
の地を求めて歩んでいるのです。
僕達だけでなくて人間はみんなそうした道條を
辿っているのです。僕達の食事をくりかへす如くに
死は人間から人間の間を かけめぐっているのです。
さとりきれるものなら
すべての現世の事柄に執着せず、人間の黄泉(ヨミ)の

国へ召される事が神の意志であるとわかったら、死に
対して必要以上に悲しんだり、泣ひたりすることを謹み
たいものだと思ひます。
人間の微弱な力では、どんなにもがひても、わめひても
偉大なる神の意志に反向することは出来ないひのですから。
僕は心から叔父さんの冥福を祈って筆を置き
ます。もう十二時近ひから止めます。
どうぞお体に注意して下さい。
ジハンは今暫くかまひません。こちらが要求するまで
そのままにして置ひて下さい。  サヨウナラ。忠勝
お母さんへ



057 B−7
昭和14年9月20日頃 お父さんへ


お父さん。
昨日のお母さんのお手紙で信敏叔父さんの急変を知りました。
突然だったので僕も相当深刻に驚きましたが、生ある人間の
たれにとっても死はさけることの出来ぬ定です。
僕は信敏叔父さんの冥福を心から祈ると共に、お母さんのこ
とを思ひました。
神のお召しで黄泉の人と成った信敏叔父さんのことを心配して
お母さんが体を悪くされはしなひだろうか?と。

血肉を分けた天にも地にも たった一人しかない弟であってみれば
お母さんにとって信敏叔父さんは精神的に色々と世話をかけさせられ
て心配された反面やはり なにかと心のなぐさめを受けておひでたこ
とと思ひます。

僕のような やくざな子供を お父さんやお母さんが いとしく思って
戴くその気持ちと少しもかわる心はないと思ひます。
どうぞお母さんを優しくいたわってあげて下さい。

厳格で几帳面なことの徹底的に好きなお父さんの性格として、
仕事に遂れて家事に うとんじ勝ちの お母さんの一事々々の
されかたが気に入らぬことも さぞ多いだろーとは思ひますが、
体の弱いお母さんが 一生懸命働かれている いじらしい心を
くんで どうぞどうぞお母さんを大切にしてあげて下さい。

北満の国境で銃とる身の自分には、お父さんや お母さんに
色々 してあげたいことはあっても 御奉公にあがっている以上
どうすることも出来ません。何かにつけてお父さんや お母さん

のことを思ひます。
特に、お父さんは考へておひでに成るから僕が気をもまなくても
大丈夫だ!!と確真して安心しているのですが、体の弱ひくせに
何かと無鉄砲な お母さんのことは たへず頭から離れません。

お母さんと完全に結ばれてお互いの心の中に お互いを眺めてい
るには手紙の交換以外にないのです。
僕はそうした意味に於いて、たのたれに対する手紙に対してもお母
さんへお手紙かく上には犠牲にしているのです。

お母さんに くよくよさせることが一番体の毒です。
出来るだけのんびりした朝夕を送らせてあげたいと思ひます。
お母さんのため ラジオをとりつけて貰ったことを 心の底から

お礼を云ひます。
墓はどこへ つくったのですか。
出来るかぎり くわしく様子を知らせて下さい。
漠としてその後の様子が判明しなひので なっとく出来ない
気持ちです。
それから お父さんも時節柄 次第に寒くなる事だし、
時候のかわりめだから注意して下さい。
今日これで、サヨウナラ。          忠勝
お父さんへ



058 H−4
昭和14年9月22日 お母さんへ


お母さん。
今日のお手紙によると僕が体を悪くして内地帰
還に成り、善通寺陸軍病院へ入院しているのでは
ないかと伝ふ疑ひをもっておいでに成る様子ですが
そんなことは絶対にありません。
僕は風邪一ツひかないで目下週番に服務して懸
命に働いております。どうぞ安心して下さい。

こうした勘違ひは、重川隊に 善家軍曹殿がお
られて、先に胸の病気とかで内地の病院へ還送に
成られました。そのための誤事だと思ひます。
市長よりの宛名は錦州の村治部隊本部宛に

成っているので、平陽鎮の部隊本部へいったのです。
重川隊に善家と伝ふ姓の者二人あることを知ら
なひで、僕への手紙を善家軍曹殿宛ての
ものと早考点したものと思ひます。
僕達の隊は武田部隊(元の中村部隊)のいる半截河
に いるので小松崎部隊(元の村治部隊)の本部の人
達は重川隊の こまごましい内情を知らなひのです。
それでこうした結果に成ったのです。

消燈ラッパが鳴っています。九時です。
全員床の中へもぐりこんで寝ているか、いないか、
掃除は出来ているかどうか、今から各班を巡察に

行って来ます。週番上ト兵は 手紙を分けてやる時
以外は にくまれ役に近ひのですよ。ハッハーーーーーーーーー。
 『各兵舎異状無シ!!』
今から落ち着ひて手紙をかきましょう。
外は雨が寒むざむと降っていて軒の雨雫がポツン、
ポツン、物淋しい音をたてています。
偖て、今日の重要報告の嬉しい お知らせは、
軍平小父さん のことを書きませう。軍平小父さん
と云ってもお母さんには わからぬでしょう。軍平小父
さんは越中富山(エッチュウトヤマ)の人で半截河部隊の お菓子の
御用商人です。
軍平小父さんは、この半截河部隊の沢山の兵隊

の中で僕を一番可愛がってくれます。
日曜日なぞ遊びに行くと葡萄酒だの、ビールだの
果実等を僕のために のけて置ひてくれるのです。
そして おいしい菓子や珍しいものが出来ると隊へ
もって来て とどけてくれます。
『窪(クボ)野軍平』これが小父さんの氏名です。明後日
の日曜日には 西瓜と おすし を用意しておく
からと云って伝言がありました。
勿論軍平小父さんのお嫁さんは、お母さんより一寸
若い程ですが小父さん以上に優しく親切にして
くれるのですよ。どんなことだって僕の伝ふことだと
『うん、うん』と云って承知して くれます。そして名前

は『いと』と云ふのです。不思議でしょう。お母さんの
名前とよく似ているのが。
この家は菓子、と云っても アンマキ が専門で
時々餅ち だの饅頭だの を作るのです。
戦友達は一様に アンマキ屋 と呼んでいます。別に
アンマキ屋の軍平小父さんところには満人の職人
が四、五人と、千代子と伝ふ十八に成る女の子がいます。
この千代子と伝ふ女の子は、チー坊と伝ふのですが、
あまり僕が そこの小父さん、小母さんに親身に成
って かあいがられるので戦友達は僕がチー坊に
ほれているとか、チー坊が僕をすひているとか
申します。ほんとうは喧嘩相手くらひでなんでも

ないのですが。無邪気で、おてんばで、一寸可愛いい
顔をしていますが、小父さんは時々 僕と チー坊
を色々とひやかすのですよ。
僕は『初恋なぞ とうの昔に終って、なにもかも知
っているから、小父さんのひやかしぐらひ平気の平
左衛門だ』と云ってやるのです。ハーーーーーーーーー。
軍平小父さんの御恩は満期してかへっても一生忘れまい
と僕は決心しています。
戦友達が うらやむ程 自分の子供のように僕の
ことを心配してくれたり、優しくしてくれます。
早く知らせよう知らせようと思ひ乍らつひつひ のびてい
たのですが、お母さんからも、お父さんからも是非

お礼のお手紙を上げて下さい。
『善家さんがたべるぐらひ しれたものだよ』そう云
ってお金をろくろくとって貰へません。
小母さんはながく無沙汰していると隊の戦友に色
々と僕のことを心配して聞かれるとのことです。
どうぞ忘れず お手紙あげて下さい。
時節柄お体大切に。サヨウナラ。
                    忠勝
お母さんへ

  北満東安省密山県半截河
   陸軍御用達商 窪野 軍平
             いと



059 H−5
昭和14年9月25日 お母さんへ


お母さん。
写真を送ります。とても肥えているでしょう。
十六貫を越しています。どうぞ安心して下さい。
眼が山猫のように ピカリ!!と光っているけれど実際はこん
なに凄いことはないのですよ。ハッハーーーーーーーーー。
国境の小さい部落に申訳のように ある品素な写真
屋でとったのですから これ程に とれているのは偉作と
思はねばなりません。
今日、日曜日で週番も終ったので外出しました。
久保本班長殿と一緒に写真屋へ行って 共に並んで
うつしましたから一週間後には出来て来るはづです。
後日送りますから楽しみにして待っていて下さい。
それからかへりに班長殿と別れて一人窪野の軍平

小父さんの家へ寄りました。
西瓜とうまい物を食べさせて貰ふことに成っていたの
ですが、急がしい仕事が出来ていたらしいのでそこを出
て戦友達とカフエー国境へ入りました。
半截河へ来てからお酒を呑みに カフエーへ行ったのはこ
れが二度目です。
 お酒一本四十銭、ビール七十五銭
それから田舎家へ おすし をたべに行きました。一皿金
五十銭也です。
田舎家を出て軍平小父さんの家へいってみたら
善家さんは かへってしまったのか、と思って西瓜を
今たべ終った処だよ、といったところでした。
菓子を貰ってたべて時間近くに成ったのでかへろー

とすると小父さんが、
 『善家君、これを進上進上!!』
と云ってアルバムを下さいました。この辺では尋ねても
求められない立派なものです。
さっそく帰って、今日西条の敦子君から送って来た
写真や、三日程前 若松の春乃小母さんが送って戴
ひた歌江君の写真等をハリツケました。
小父さんはビールを呑め呑めとすすめてくれたけれど、そ
の時は少し呑んでいたのでひかえて止めて置きました。
隊へかへって週番につひておられる教官殿と曹長殿
に色々と いじられて困りました。ハーーーーーーーー。
お母さんは昨日の手紙に僕が黒人のように
真っ黒い顔をしている夢をみたと云はれましたネ。

残念僕はお父さんに似て一寸も色が黒く成りません。
黒く成っても三日勤務につひて演習に出なひと又元の
白さにかへります。体質だから仕方ありません。
お母さんに日焼けした顔をみせる事が出来そうにも
ないので残念です。しかし写真のように元気に肥えて
いるのですから心配無用でしょう。
写真の顔より もっとズーと男前のつもりでいるの
ですがどうでしょうかネ。ハーーーーーー。
側で将ギをしている進藤古兵が物凄い音の空砲
を中田二等兵と対向で盛んに爆発させるので僕
は がす攻めに逢って気絶しそうです。
この場を速に退散しようと決心をしましたので
今日の手紙はこの辺でワンラ(終り)です。

時節の変わり目ですから くれぐれもたべもの其の他に
気をつけて下さいネ。
お世話に成る村上さんにどうぞ四六四九、後日お手紙
でお礼を伝ふつもりです。
では皆に四六四九、           サヨナラ。
                      忠勝
優しいお母さんへ

(腕章は週番上ト兵のしるしです。過日写真屋へ
 立ち寄って用をたつした時 一寸うつして置ひたのが
 今日出来て来たのです。)
九月二十五日



060 H−6
昭和14年9月27日 お母さんへ


お母さん。
今日の演習はとても疲れました。
国境線側の山岳地ばかりでやったのでアゴが二、三
尺飛び出す程の思ひがしました。もう少しで へたば
る処だったのですが、分隊長の久保本班長殿が
色々と手加減して貰ったのでやっと落伍せず帰
って来たのですよ。ハッハーーーーーーーー。
お腹を こわしていて今朝から食欲がなくて
ろくろく食事をしていなかったので一寸まいったの
ですよ。しかし一日たてば腹工合の悪ひのは大抵
なほるのが前例ですから別に心配はいりません。
上品な話しではないけれど たべ過ぎかもしれません。
                ハーーーーーーー。

こちらの山岳地は内地の山岳地とは全く趣を異
にしています。
まるで丘の様に傾シャが緩くて、殆ど一本の樹木
らしい樹木もなく、潅木や雑草で一面に覆はれて
います。それから岩石などは平地、山地をとはずめ
ったにみかけません。
だから山岳地と云っても、高原と云った処でしょう
ネ。廣々とした この丘様の山裾を上へ上へと草
をかきわけて辿っていると いつのまにか驚く程
高い所へ来ています。
この辺の山では かなり高処な この位置からは
半截河の町はマッチ箱の様に小さく 目下に俯カン

されます。それはまるで眼界にひろがっている大
平原の中の 一点のしみの如くにしか思へません。
高染や とうもろこし、きび、大豆等の かり入れが
終ったこれらの作地(平原)は地平線の遥か彼方
まで褐色の地肌を 秋のサンサンたる光りの中に
荒々しくむき出しています。
半截河の町から国境線側に向かって望む連山
を越えると幾ツも幾ツもの坊主頭が高原の
中に ニョッキニョッキと頭をもたげています。
こうした雄大な景色は国境を越えた 彼の地にま
でも続ひています。
こんな美しい自然美の中の どんな所にぬぐっ

てもぬぐってもぬぐえぬ暗雲が低迷しているのだろー。
僕は不思議な興奮に胸をはずませつつ、しみじみ
とそんなことを思ひました。
足下の雑草の中には『月よりの使者』で富士見
高原に咲ひているとかの、あの薄紫の 輪ド
ウの花や 紅色の ナデシコや 名も知らぬ無数の花
が咲き乱れていてそれはそれは可憐な感傷を
兵隊さんの胸に なげかけて来るのですよ。
特に すすきは奇麗ですネー。
 『こんな静かな、清浄な、そして雄大極りない
  大自然の美を お父さんや お母さんに
  一目みせてあげることが出来るのだったら!!』

本気でそんなことを考へました。ハーーーーーーーー。
しかしほんとうは この高原の中に ポツンポツンと
突出でた小山の一ツ一ツは友軍の陣地なのですから
これ以上のことはかけません。
この山の演習を終ってかへったのが 七時頃でした。
黄昏の中に丸い大きなお月様の姿をみて
お母さんのことを色々と思ってみました。
『今夜は八月十五日で月見だぞ!!
 内地にいたのだったらナー』
戦友のたれかがそんなことをつぶやいていました。
僕は幼ひ頃 よくお母さんが お月見の晩つくっ
て戴ひた月見だんごの味を考へてみました。

大急ぎで入浴だの、夕食だのを終って、久保本班
長殿の室へいってみたら、お母さんから手紙が来
たのだと云って 手紙を読んでおられました。
八時の点呼まで曹長殿の所から レコードをか
って来て班長殿と聞くことにしたので 蓄音機
をかってかへってみると班長殿が、
『今日は善家と二人でのもうネ』
そう云ってビールをかって来て用意をされていました。
僕は班長殿と二人でビールを飲む分囲気に
心懐しくひたり乍ら、点呼時限まで色々と面
白い話しをしました。
 『満期したらお前と小母さんと、三人で牛鍋で

  もつつこうかナ』
班長殿が楽しい空想を 語られます。

点呼は仲田班長殿が不在なので班長代理で僕
が異状の有無を報告しているのです。
(先任の山平が週番なのです)
点呼後戦友達は昼るの疲れが出たのか ごそごそ
床の中にもぐり込みました。
僕はお母さんに今日の報告をこれで終るので
今から床の中へもぐります。
  おやすみなさい         忠勝
優しいおかあさんへ



061 H−8 
昭和14年9月29日(午前2時) お母さんへ


お母さん。
一昨日までの ほの暖かさにくらべて、昨日、今日の朝夕の薄寒さ
はまあどうしたと伝ふのでしょう。
お月様の美しい八月十六日の夜(二十八日)衛兵に行ったのです。
その夜の一番寒かった時刻は明方の 四時から五時頃で零上
十三度ぐらいの温度でした。
今までの衛兵で一番温度の下ったのは 八度の時です。だから
あの日は夜るは比較的 暖かかった訳です。
(内地の一番冬の寒い時が普通で昼るが十一、二度、夜間が
 零上八、九度)
処が夜が明けて急に風が出て気温が グーと下がって日中
だと伝ふのに七度までに成ってしまひました。
前日までは大抵二十度程だったのです。だから寒くて寒くて

一日ブルブルふるへていました。ハッハーーーーーーーー。
二十九日の夕方六時に衛兵を交替してかへって来たのですが、
昨夜は零上二度の処まで寒暖計が下がったそうです。
今朝(三十日)起きてみると初霜が屋根の上一面に降っ
ていました。そして馬屋の水桶に氷のはっているのを今年
に成って始めてみました。
今日は、満州晴れの空に雲一ツありません。
ポカポカ暖かくて小春日和の なごやかさです。

昨日は つばめ が 何処かへ渡って行くのか 無数に飛廻
っていましたが、今日は一匹もみかけません。
それから一昨日から驚く程沢山の雁が西の方から北へ北へ
と飛んで行きます。

晴渡った大陸の秋空に『クワッ!!クワッ!!』と雁が鳴き
乍ら絹ずれの如き シューシューシューと伝ふ羽音をたて
てかぎに成り さをに成り 飛び去って行くのは ほんとう
に 美しい詩のような眺めです。
衛兵所で 眠気予防に作った詩を入れて置きます。

九月の月は今日一日で終りです。
後四日すると十月五日、思ひ出の 出征の当日ですネ。
満一ヶ年の 年月が とうとう巡って来た訳です。
思ひ出すでしょう。
新玉小学校での お別れを。駅でのお別れを。

十月二十日は僕の誕生日ですネ。

冬物の下着を送って戴くように云っていたでしょう。あれはあって
も なくてもよいのです。毛糸のジハン腰下から防寒具はみんな
隊から寒くなれば貰へるのですから。
靴下の保護上 足袋を一足 送って下さい。それからスコツチ
のジハンはいりませんから真綿の チョッキは必ず送って下さい。

この頃お母さんの手紙以外に めったに手紙が来ないので
しゃくにさわっていけません。ハーーーーーー。
今日はこれでサヨウナラ。皆に四六四九。
昨日 佐野の小父さんからハガキを貰ひました。
時節柄 お体大切に。          忠勝
お母さんへ


一、深海(フカウミ)の底に静座するが如く、
  シンシンたる夜半のしじま
  吾が足下より迫る
  ゆらぐランプの焔影に
  つどう三ツの人影

二、野犬の遠ボエ微かに聞きて
  サンサンたる月光のもとに出づれば
  えも云はれぬ十六夜月の美しさよ、
  寒さ身にしみ入りて
  忍び寄りし北満の晩秋を覚ゆ

三、ほの白き土壌のかたへによって
  カツカツたる歩哨(トモ)が靴音聞けば
  迫り来し千々なる無量の思ひ
  銃剣の光り冷たく キラメキて
  月影一際 濃し、

  月下に輝く さみし国境
  の連山を詩することあたわ
  ず心疲れて止む

九月二十九日
   午前二時



062 B−10
昭和14年9月28(29)日 お父さんへ


お父さん。
連日の雨が上がって今日は驚く程の上天気です。
秋日に晒された畑一面の ねぶか が微風にユラユラとゆれています。
処何からかとても長閑な鶏の ときをつくる声が聞こえて来て
まるで故郷の田舎にでも滞在しているような気持ちです。それに暫く
耳にしなかった雀の啼声も窓越しに盛んに湧き上がっているのですよ。
 『秋来ぬと目には さやかにみえねども 
          風の音にぞ驚かれける』
実際、風の音と感触にしみじみとした北満の秋を覚えます。
国を出てから後一週間すると満一年です。
もう三ヶ月もすると 三年兵で軍隊では最古参者の部類
に入ります。早いものです。
しかし、他の古兵殿にくらべるとまだまだわづかな御奉公です。

お父さんと牛鍋をつつき乍ら、お酒でも呑んで、北満の土産話し
に花を咲せるのは今から一年半か二年程後のことでしょう。
長いようでも短い今日までの年月をふりかへってみても、一年や
二年の月日位すぐたちますよ。
それまでは随分骨がおれる事でしょうが、我慢してたへて
いて下さいネ。僕が家へ帰ったらお父さんが驚かれる程親孝
行をしてあげますよ。ハッハーーーーーーーーー。
後三ヶ月もすると二十五才の春を向へえるのだと考へると、自然と
体が ひきしまって緊張した気持ちが湧上がって来ます。
 『我既二十有余歳、人生之須半過』
正に人生五十年の半に達した今 ボンヤリとした朝夕を送
っていては大変ですネ。
僕は心に固く決する処あるを お父さんに断言します。

お互いに心からなる感謝と、喜びにひたる 楽しいその時を心にえ
がひて、現在の一ツ一ツの試練にあくまで堪えしのんで頑張って
行きませう。
古来、幸福への前提は必ず苦痛な試練の道程であったこ
とをお父さんも僕も知り過る程知っているし、実際に体験
も重ねて来たのですから、覚悟を決めて断々固として
奮闘努力しませう。
こうした生意気な言葉の 一回々々が 単なる ヘ理屈で終わら
ぬように一生懸命つとめます。
何はさて置ひても お父さん達は充二分 体に気をつけて
病気なぞにかからぬようにして下さい。
軍隊にいる者は、弾でも飛んで来て あたらぬかぎり病気
のため寝こむ程の大病はめったに やらぬものです。

少し位の無茶に近い無理を重ねても『やれば必ずやれる
もの』と云ふ確信がつひているからだと思ひます。
実際相当の無理なことであっても、軍隊では日常の茶飯
事の如くやってのけるのですから、人間もその精神のもちよ
うで驚く程の力を発揮するものです。
軍隊だって地方だって 何も かわりはないのですから、やる気
でやれば 年寄りのお父さんだってまだまだ相当なことはや
って行けます。
国民総動員の言葉が叫ばれている現在一層お父さんの
奮闘をいのります。ながくなるので今日はこの辺で止めて
又次にしましょう。サヨウナラ。       忠勝
お父さんへ



063 H−9
昭和14年10月1日 お父さんへ


今日は十月一日です。
日朝点呼の時零上二度、日中が五、六度でこの二、三日間、気
温はグングン寒さに向かって急激に下がっています。
日曜日なのですが、馬屋当番兼不寝番につひて今朝から
服務しているのですが、風がピューンピューン吹荒れて首が亀の
ようにちじまります。ハッハーーーーーーーー。
今夜は三人交替で撤夜して馬屋の不寝番に 立つのです。
衛兵や馬屋不寝番は手落ちがあると 処断されるので
営倉へ片足かけているようなものですよ。
(※ 1)
週番士官殿の巡察が いつあるか わからぬのですが、そんな
時定位置に いなかったり、眠っていたりしたら大変なこと
に成るのです。
軍隊生活に油断は禁物です。

不寝番も夏の暑い時だと いいけれど、酷寒時に成って
零下幾十度と伝ふ寒さになるとなかなか骨に こたへますよ。
僕達二年兵は試練ずみで平気だけれど、初年兵さん
は零下三、四十度の酷寒地生活は体験がないから そうとう
色々と鍛練されるでしょう。ハーーーーーー。
次々の申送り事項ですから仕方がありません、
国境の山の監視所はもう零下三、四度も下るそうです。
豆腐の角で頭をうつと云った珍事件がもちあがってくるわけ
です。
炊事の糧米使役に本部の経理部へ行くと面白いですよ。
じゃがいもだの 大根だのが カチカチに成って どんなに力一杯編上靴
でふみつけても われません。
根深は ペキン!!とおれるのです。

アンペラに包んで送って来た牛肉を ガン、ガン 釜でたたき割
って各隊に分配して貰ふのです。ハーーーーーーーー。
冬期の副食は殆んど全部のものが汁にされます。毎食 汁
ばかり続くのが通例です。
僕は牛肉が嫌ひですが、もっと困るのは豚肉です。あぶらが
どろどろ ういている豚汁や豚肉のはいっている副食は どんなに
観念してものどを通りません。戦友の中には うまいうまいと云
ってたべる者もあるのですが。
このごろ魚を油で あげた フライものが度々あがるので
僕は大喜びです。ならづけ、みそづけ、おこんこ、ラッキョ、菜葉
梅干等 つけもの類も色々とかわったものが あります。
班にはゴマ塩が そなへつけてあります。
軍隊の麦飯だけは食馴れた故か おいしいと思ひます。

時々たべる白米が喉へひつかかるように思へて うまくありません。

毎日十一時から十二時の間を待ちごがれます。
戦友のたれもが。
何故って!! 手紙を週番上等兵が 本部から貰って来て
分配する時間だからです。
 あった時の嬉しさ、 なかった時の淋しいような腹立しさ、
兵隊さんは無邪気で天真爛漫です。

隊にいる者は みんな赤裸々です。社会人の如く 色々の事柄
に拘泥する必要が全くないからです。それだけ単純だけれ
ど真実があります。荒々しい云葉の裏に流れる 情愛を
直に心に受けることの出来るのも軍隊生活に かぎります。

稚さんは手紙を全く くれませんネ。元気なのですか。
菊地の千鶴子君は今も家へ来ているのですか。
常盤ちゃんは フィアンセと結婚するのではありませんか。
もうそろそろお嫁入りの頃だから。ハッハーーーーーーーー。
星子君も来ているのですか。お茶ピーさん お手紙を
くれないので又たれかと恋をしているのではないかと思って
いるのですが。清江君は相変らず来ていますか。あの人も
自覚してもっと多くの心の糧を自分の血とし、肉とすれば
幸福に成られるでしょう。
自分を中心として考へる やりかたわ 何かにつけて大き
な誤解を人からされたり、白眼でみられたりして、一生の幸福
を とりにがすことが度々です。
人も傷つけず、自分をも 傷つけぬ ことが大切です。

このごろ 二年兵以上は満期だ!!内地帰還だ!!なぞと
皆がさわぐので かへる事は目下の処絶対にない ことが訳
っていても免角色々と故郷のことや原隊
(※ 2)の ことを思ひます。
こうした云葉の実現は時と共に刻々近づきつつあることは
間違いないのだけれど。ハーーーーーー。
まあ二冬越せばネ。きっと逢へるでしょう。
体を大切にして下さいよ。寒さの折だから。
  では今日はこれで サヨウナラ。
                       忠勝
十月一日



(※ 1)「兵士は赤紙一枚で招集できるが、馬は金を出して買わなければならない」と言われ、人間より馬が大切にされていた。
(忠勝の同級生・柔道仲間のM氏談)

(※ 2)
忠勝の原隊は松山歩兵第二十二連隊。
満州に派兵後、関東軍に編入。



第5集 終わり              TOPへ戻る