☆ 現在の慣習にそぐわない言葉が出てくることが有ります。
☆ 旧仮名使いはそのまま掲載します。
☆ 旧字体の漢字はなるべく現在のものに変えます。
☆ 判読できない文字については前後の文脈から想像して再現します。
☆ 上記の場合には色違いの文字で、
またどうしても判読不能の場合は「?」マークで代用します。
☆ 明らかな誤字であってもそのまま掲載します。
☆ 具体的な住所等、個人が特定できる記述は削除または仮名で代用します。
☆ 注釈は最低限必要と思われるもの以外は入れません。
入れるときは( )でくくり、文字の色を変えます。
☆ 発送日が特定できない手紙は、内容から類推して並べます。
☆ 元本は縦書きです。
毎週2〜3通の手紙を追加してゆくつもりです。
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掲載にあたって
これより先には、太平洋戦争ビルマ戦線で戦死した一青年兵士の私信を掲載しています。
この手紙は、彼が最初の赴任地、当時の満州国北東部に駐屯中、故郷の父、母宛に
送ったものです。総数143通。期間は昭和13年暮から16年初めの間。
当時は太平洋戦争突入前夜。
戦地に赴いた兵士達も“散る”事ではなく“凱旋”を信じていた時代です。
「いずれ生きて故郷へ帰る」それが前提の出兵です。だから彼は夢を語ります。
しかし、目の前には敵の陣地があり、次の瞬間にも命を懸けなければならない現実と対峙しています。
それゆえ父や母に語りかける彼の言葉は極限の本音といえます。
本人の思いを忠実にお伝えするため、できる限りオリジナルに近い形で掲載したいと思いますが、
完全に再現できない場合もありますので以下の点にご留意ください。
御親族ほか関係者の同意をいただき、愛媛新聞社出版部より出版化の企画が進行中です。
関係者のみなさまのご厚意により先だって当ホームページに掲載することになりましたが、
他ホームページ及びメディアの種類を問わず
無断転載は固くお断りいたします。
この手紙へのご感想、ご意見をどんどんお寄せください。
また読者の知り合いの方に「松山 歩兵第22連隊」「善通寺
第55師団」出身の方が
いらっしゃいましたら、このホームページの事をお知らせください。
当時の状況など教えていただければ幸いです。
ホームからリンクしている掲示板もありますので書き込みをお待ちしています。