西国三十三所巡礼の起源
この巡礼は、長谷寺の開基徳道上人によって、養老2年(718)に創められたといわれます。
伝説によれば、病気になり仮死状態にあった上人は、夢の中で閻魔大王に会い、大王から悩める人々を救うために霊場を開くようにとのお告げを受けて、33個の宝印を授かりました。
夢から醒めると病気はたちまち回復しましたので上人は近畿地方の寺々の中に33箇所の霊場を設けましたが、なかなか人々の信頼を得ることができず、次第にさびれましたので上人はやむを得ず、宝印をあつめて中山寺の「石の唐戸」の中に埋めました。
それから270年の後、永延2年(988) 花山法皇は仏眼・性空両上人のすすめによりこの宝印を掘り出して、性空上人を共にして西国三十三ヶ所巡礼を定められて、この巡礼が盛んになりました。
初めの頃は巡拝の順序もまちまちで、長谷寺からはじまって三室戸寺で終わったり、六角堂からはじまって三十三番を欠いたりしていました。のちに関東の坂東地方に「坂東三十三ヶ所」秩父地方に「秩父三十四か所」ができ、西国と合わせて百観音霊場巡礼が一般に普及され、江戸時代になって関東の人々の巡礼が多くなりましたので、その便宜が図られ、まず関東から上がってお伊勢参りを済ました後、熊野路を経て那智に入り、青岸渡寺を1番札所として紀伊(和歌山県)・和泉、河内(大阪府)・大和(奈良県)・山城、丹波(京都府)・攝津(大阪府)播磨(兵庫県)・丹後(京都府)・近江(滋賀県)をめぐって美濃(岐阜県)の谷汲山華厳寺満願となる順序が定まり、その名も関東に対して「西国三十三ヶ所」と呼ぶようになったといわれます。
| 和歌山・・・・・3 | 天台宗・・14 | 如意輪観音・・・・・・・6 |
| 大阪府・・・・・4 | 真言宗・・17 | 十一面観音・・・・・・・9 |
| 奈良県・・・・・5 | 法相宗・・2 | 千手観音・・・・・・・・・4 |
| 京都府・・・・・12 | その他・・3 | 千手千眼観音・・・・・7 |
| 兵庫県・・・・・5 | 十一面千手千眼・・・4 | |
| 滋賀県・・・・・6 | 不空羂索観音・・・・・1 | |
| 岐阜県・・・・・1 | 准胝観音・・・・・・・・・1 | |
| 聖観音・・・・・・・・・・・4 | ||
| 馬頭観音・・・・・・・・・1 | ||
| その他・・・・・・・・・・・1 |