シリーズ化について

1950年代後半、出版界では人気シリーズの主人公ジェームズ・ボンドの名前が日増しにたかまりつつあった。
映画プロデューサーのハリー・サルツマンは原作者イアン・フレミングから映画化権を獲得し、アルバート・R・ブロッコリーと手を組んで”007”シリーズの映画化に着手する。
二人は製作会社イオン・プロダクションを設立。ボンド役にはケイリー・グラントかジェームズ・メイソンが適役と考え出演を依頼する。両人ともボンド役には興味を示したが、いずれの場合も複数年契約を結べずお流れと成った。
61年にアメリカの雑誌「ライフ」が、イアン・フレミングの「ロシアから愛をこめて」をケネディ大統領の愛読書として紹介すると、イギリスの新聞「デイリー・エクスプレス」がボンド役にふさわしい俳優はだれかというアンケートを取った。この時、名前が挙がった俳優にはパトリック・マッグーハン、アルバート・フィニー、アンソニー・ホプキンス、そして3代目ボンドになるロジャー・ムーアらがいた。コネリーの名前も含まれていたが、原作者のフレミングは「ボンドらしさがまるでない」と最初から猛反対だった。フレミングは友人のデイヴィット・ニーヴンこそボンド役にふさわしいと考えていたようである。
ボンド役が難航を極めていた時、サルツマンは『ダイナミック作戦』のコネリーに注目し、時を同じくしてブロッコリーも『四つの願い』(ビデオ邦題名は『ダービーおじさんと不思議な小人たち』)を見てコネリーの存在を知った。自分たちが求めるボンドを発見したと感じた二人は、フレミングを説き伏せる。
ショーン・コネリーをボンド役に起用するというサルツマンとブロッコリの意見は、確かに常識を超えていた。あらゆる面から見て、コネリーはボンドらしくなかった。ボンドはエレガントだが、コネリーは武骨、ボンドは慇懃でスマートだが、コネリーは垢抜けなかった。上流階級出の英語を話すボンドに対し、コネリーはスコットランド訛りが強かった。
しかし、ブロッコリとサルツマンは、コネリーの生まれに関する、そういった細々した事はどうでも良かったのである。彼らが興味を持ったのは、コネリーの背の高さであり、頑強そうな肉体であり、恐れを知らない度胸、動物的な優雅さ、ヒョウのような歩き方、異性をひきつける色気、そして彼の演技だった。それらが調合されると、ボンド映画で輝くに違いないと直感したのである。
ブロッコリとサルツマンはフレミングを説得、コネリーをボンド役に第1作『007は殺しの番号』(後に『007/ドクター・ノー』に改題)の製作に着手する。