私のこと

誕生
1938年 北区王子 7月誕生 子供の頃は8月が誕生月と聞かされていましたが、
免許証を取った時に戸籍上は7月生まれと知りました。
両親が第一子を3か月で亡くしたことから、6月に生まれたのに、育つ様子を見てからと3ヶ月遅れで
8月に届を出したそうですが、他人頼みだったので間違いで、7月に届けたらしいです。
当時は出生届も案外いい加減でまかり通ってたようです。
5歳になるころから、敗戦が色濃くなって、連日防空壕で過ごすことが多くなって
東京大空襲の日、防空壕から出た時の焼け野原の景色は瞼に焼き付いて消えません。

学生時代
小学校時代は焼け残った校舎で午前、午後と二部授業。栄養失調の子供の集まりで昼ごはんも食べられない子の記憶もあって
持たせてもらったお弁当は、見えないように隠すように食べました。
学校全体で毛虱退治にDDT振りかけられて、頭真っ白になってた記憶も消えません。
中学時代は学区外に入学したこともあって、寄り集まりで友達の記憶はほとんどありません。
高校時代、どうしてバスケット部に入ったのか分からないけど、バスケの天才が居て
全国大会まで出て、他校の部員の恵まれた選手に驚きました。
全国3位になって、小さく新聞にも載ったらしいです
友達と三つ峠山に登って山に嵌りましたが、高校卒業した頃から
入退院を繰り返すようになって、結婚後も入退院を繰り返していました。
成長期の食料不足の影響が響いていたのかもしれません。

成人後
健康の為にもと、歩け歩けに入って、数年後はだんだん山歩きが増えて、山歩きの仲間も増え
何時の間にか、百名山達成も分けなく出来ると思い始めた
1999年のGWに奈良の山に登ろうと仲間と車で出掛けた夜、見誤って2メートルくらいの高い処から落ちて骨折
奈良から車で戻って、家の近くの消防署の救急車で病院へ運んでもらって、大腿骨骨頭骨折と知りました。
術後暫くの間歩けなくて、このまま歩けなくなった時のことを考えて
思い付いたのが、外に出られなくなっても世間と通じる方法はパソコンだって、すぐにパソコンを買いに行ったけど
私のパソコンの知識のなさ見抜いた店員さんから「きっとパソコンの箱を開けただけで使わないで終わりますよ」って言われて
私の闘争心に火が付きました。
暫くの間、電源入れたらマウスで絵を描くのが日課になって、キーボードが使えるようになってからは
毎日、天声人語を入力してました。この努力を学生時代にしていたら、優等生になれたのになって思ったりして~。
パソコンの所為ではないけれど、白内障にもなって、2週間入院して両目の手術もしましたが、又見え辛くなってます。
HP開設
パソコン購入して2000年には自己流でお粗末だけど、自己流なりにHP開設したのだから、障害者にはなったけど
何事も無く過ごしていたら、パソコンのパの字も知らずにいたのだろうから、良いこともあったと考えています。
お粗末なHP直したいと思いつつ、以前のような努力が出来ません。
禁じられた山登りは、以前のような山登りは出来なくても、
少しづつl距離を伸ばして自分なりに歩ける距離も分かるようになってきて、山に行く回数も増えました。

これから
75歳を過ぎてきたころから登る山の距離が減ってきて、一歩一歩って言いながら登るようになったけど
去年の暮、左足の膝を故障してから、座ったら立ち上がるのが大変になって、早く左膝治ると良いと願ってるけど
膝の所為ばかりではないかとも考えるようになりました。
体力の低下は致し方ないから、今出来ること考えて、ポジティブに生きようと思っていますが
人工骨はすり減るそうで平均使用期限は20年らしいですが
きっと使用期限切れになったら、何かの知らせが体に起きるだろうから、それまで嫌なことは考えないのが一番。
再手術になったらその時はその時。
山には登れなくても、野鳥さんには会いに行けるし、テレビ見て一日過ごさなくてもパソコンも何とかなる。
良いこと一杯ありそうって、明るく元気に過ごしたいです。