原作終了後妄想捏造文1

 

 

 








それぞれがウィンリィに言付けた居所を、その時々に聞いて電話をかける。兄と僕はそうやって一ヶ月に1、2度の頻度で連絡をとりあっている。それは大抵宿泊先のホテルのフロントの脇―――人が入れ代わり立ち代わり行き来する慌しい中だったり、駅のホームの隅の人目も騒音もある場所だったりするから、いつでも会話は互いの近況を報告しあうだけの、ごく短くそっけないものだ。
けれど僕の胸には、兄と別れた時からずっと気になりながらも、聞けずにいる事がある。
それはもう三年近く前になる、あの日の出来事だ。別れ際の兄の、まるで僕に追いすがるように向けてきた目と、そして言葉。



「・・・・・・アル、お前の・・・・・・・・いや。いい。次に会った時、俺の気持ちが今と同じだったら、その時こそ言うよ。」

珍しく何かを言いかけてやめた兄は、僕を眩しそうに見て笑うと、そのまま背中越しに手を振りながら遠ざかっていった。見えなくなるまで一度も振り返らなかった背中を、僕はずっと見送った。

兄はあの日、僕に何を言おうとしていたのだろう。兄の頬が赤く染まって見えたのは、僕が背にしていた夕陽に照らされていた所為だけだったろうか。
いつもより熱を帯びた口調は言葉尻が掠れて、そんな兄の耳慣れない声を初めて聞いた僕は、無性にドキリとした。

いつも電話で話すたびに、今日こそ聞こう。今日こそは聞こう。そう思うのに、兄の殊更さばさばした口調と余計な間を置かない明瞭且つ簡潔な近況報告に、このもの慣れない感情を帯びた質問をする隙を見出せないまま会話を終えるのが常だった。

けれど、アメストリスから国外へと兄は西に僕は東へと世界中のまだ見ぬ知識を学ぶ為にはじめたこの長い旅も、ようやく終わるのだ。
故郷から遠く離れたこの異国の地で、今日、僕と兄は実に三年ぶりの再会を果たす。





兄が指定した待ち合わせ場所は、この駅のロータリーにある噴水の辺り・・・・・という事だったのだが・・・・。

「一体どの噴水なんだよ馬鹿兄」

別名『水の都』と呼ばれる都市の中心に位置するこの巨大な駅のロータリーは途轍もなく広く、そこここに堀が張り巡らされ、噴水はざっと見ただけで両手の指に余るほどの数があるのだった。
僕は途方に暮れた。
噴水はどれを見ても大きさも形も似通ったものばかりで、特徴的なものはないようだったから、これらの内どの噴水を兄が待ち合わせ場所に選ぶのか皆目見当のつけようもない。仕方がない。ここはエルリックテレパシーに頼るしかなさそうだ。
噴水から噴水へと気の向くままにぶらぶらと歩きながら、自動車や、沢山の花や果物を乗せた手押し車や、その合間を縫うように人々が行き交う雑踏に目をやる。

すると間もなくして、あるひとつの噴水の横に、懐かしい人影を見つけた。

真っ直ぐの長い金髪を後ろに括り、シルバーフレームの眼鏡をかけ、輪郭を覆うような顎鬚を蓄えたその人物を見た途端、僕の口から無意識に声が飛び出した。

「父さん・・・・・・・・・!?」

そんな馬鹿な。父は5年前のあの日、ひとり先にリゼンブールへと戻り、そして母の墓前で死んだのだ。では、目の前に居るこの人物は一体誰なんだ!?

茫然としながらも僕の足はその人のもとへと一歩一歩向かい続ける。やがて表情が判別出来る距離まで来たあたりで、その人物が僕を見た。
そして、眼鏡が反射して目の表情は伺えずとも、にんまりと悪戯っぽく笑っているのに気付く。
次の瞬間、僕は走り出した。


「よう、アル。元気そうじゃねぇか。畜生、デカくなりやがって。」

「・・・・・兄さんもね。・・・・・久しぶり・・・・」

僕は身体をとりもどしてからというもの、それまでの遅れを埋めるような勢いで身体が成長したのだが、兄と離れていたこの三年の間もその成長が止まることはなく正確に測定はしていないが恐らくさらに10センチ近く身長が伸びていた。また、兄は兄で、かつて小さい事を気にしていた昔が嘘のようにすらりと背を伸ばしていた。そしてなにより驚くべきはその相貌だ。

「その髭は何?父さんソックリじゃないか!驚かせないでよ、兄さん!」

「ハッハー!似合うか?実は大人になったら髭を生やすってのが、俺の子供の頃からのひそかな夢だったんだぜ。カッコ良いだろう?」

遠巻きに見た時は父と間違えたものの、そもそも兄は骨格そのものからしてがたいの良かった父とは全く似ていないのだ。顔の作りも男性にしては全体的に繊細過ぎた。加えて髪質の柔らかな兄は髭も同様にみるからに柔らかそうで、また毛の密度という点でもかなり心もとなかった。だから似合うか似合わないかで言えば、はっきり言ってしまうと似合わない。けれどそれを言っては兄の気分をたちまち害してしまうに違いない。折角の再会を台無しにしたくなかった僕は、曖昧に笑って誤魔化した。

「まぁね。・・・・父さんは如何にも剛毛って感じの髭だったから趣はかなり違うけど・・・・兄さんのそれはそれで、いいんじゃないの?」

「べ・・・・っ別に俺はオヤジに憧れて真似してる訳じゃねえぞ!キショい誤解すんじゃねえ!」

誰も父に憧れて・・・とか、真似をしている・・・などとは言っていないのに、兄は正直にも自分から暴露してくれた。そもそも兄がひたすら父に批判的で存在を拒絶していたのが猛烈な愛情の裏返しであるのだと、僕は幼い時から気付いていたけれど。

額に汗を浮かべて一生懸命弁明する兄に向かって、僕は両腕を広げた。

「兄さん、ハグしていい?兄さんに会えたんだって事を、身体全部で実感したい。」

「おう。俺もそうしたいと思ってたとこだ。」

雑踏の中、僕と兄は固く抱き合った。通り過ぎて行く人の中には時折いぶかしげに振り返って僕達を見る人もいたけれど、そんな事はまったく気にならなかった。
身長差故、顎の下に丁度兄の頭がくる形になり、懐かしい兄の香りが鼻腔に広がる。僕は思わずその髪に頬を擦り寄せた。

何故だろう。どうしてこんなに胸がドキドキするんだろうか。見た目以上に厚手の布で作られたコートを着ている所為で分からなかったが、こうして抱きしめてみると、意外に兄の身体が華奢である事を知る。
どうしよう。もっともっと強く抱きしめてしまいたい。全てをこの腕の中におさめて、直に体温を感じたい。

兄に対して初めて抱いたそんな乱暴とも言える衝動に戸惑う僕の耳に、兄の嬉しそうな声が聞こえる。

「・・・・・・ん、すげ、お前・・・・骨格もだけど、筋肉すげぇな!どんだけトレーニングしてんだよ?」

「昔と同じだよ。ただ、ジェルソさん達と二対一での組み手はほぼ日課だったからなぁ・・・その成果かもね?」

これ以上解放しなかったら兄がいぶかしむだろうかと少し腕の力を弛めたのだが、兄は僕の背に両腕を回したままじっとしていた。

「・・・・・兄さん・・・・?」

「アル、あのな・・・・」

声を出したのは同時だった。僕の声と重なってしまったことで兄が次の言葉を紡ぐのを躊躇したのが分かって、僕は先を促すつもりでもう一度兄を抱き締める腕に力を込めた。
きっとその僕の意図は兄に正しく伝わったのだろう。何かを決心するように、コクリと兄の喉が鳴る。それを合図に、僕の心臓がけたたましく騒ぎ出した。どうしてこんなにドキドキしているのかが、自分でも全く分からなかった。

兄が僕の腕から離れ、真正面から僕を見る。

「あのな・・・・・・あの時、俺が言うのを止めた事、お前覚えてるか?」

そのセリフだけで、兄があの日に一度言いかけて止めた言葉を、この三年の間ひとり胸の内であたため育ててきたのだろう事が伺えた。

「覚えてるよ。勿論。・・・・・実は言えずにいたけど、ずっと気になって・・・・・いつも聞きたいと思いながら聞けずにいたよ。今、それを言ってくれるの?」

「・・・・・言うよ。・・・・・・・あー・・・・・・・あの、な・・・・」

急に目のやり場に困ったように視線を泳がせる兄の頬が赤く染まる。ああ・・・・やっぱりだ。あの日の兄の頬も、きっとこんな風に染まっていたに違いない。

―――この感情は・・・・・・・・・・なんだ?

肉親に向けるにしては随分と激しすぎやしないだろうかと思える、この想いは一体なんだろう?

兄の金の目が、僕を見ている。綺麗だ。生れて初めて、この兄という人の美しさをそうと実感した僕は、いつしか惹きこまれるように兄に見惚れていた。


「あのな、俺の全部をお前にやる。だから・・・・・・・お前の・・・・・そうだな、お前はいきなり全部って言うのも無茶だろうから、とりあえず半分・・・・?いやいや三分の一くらいでどうだろうか・・・・俺にくれてやる気はねぇか?」

やっぱりまだエルリックテレパシーは健在だったらしい。兄が言う前に、僕は兄が何を言いたいのかがほぼ分かっていた気がする。その証拠にまったく驚きを覚えなかった。

「・・・・・・・・凄いカッコ悪いプロポーズだね、兄さん。うん。でも、兄さんらしいよ。」

笑いながら言う僕に、兄は苦虫を噛み潰したような顔を作った。

「プロポーズか・・・・・やっぱこれってそうなんのか?お前までウィンリィと同じ事言いやがる。参ったぜ。俺は変態かよ。」

「ふ・・・・悪くないね。いいよ。僕は兄さんと結婚したら、絶対幸せにしてもらえる自信があるよ。」

「ああそうかい・・・・・・・・・・って・・・!んなぁぁぁぁぁぁぁ!?おま・・・・・っちょ・・・・・何言って・・・・!」

僕の返事を一瞬聞き逃しかけた兄は、面白いようにうろたえて手足をバタバタさせた。

「僕と兄さんはさ、自分達以外の人間が入り込む余地がないほど精神も魂も癒着しちゃってるんだよね。うん・・・・だからさ、プロポーズって言葉が適当かどうかはこの際置いておいて、ふたり互いが唯一無二の存在と認めあって一緒に生きて行くって・・・・ありだと思うんだ。むしろ僕は、例えば兄さんが僕じゃなく、ウィンリィとか誰か他の人を伴侶に選ぶことを受け入れられる自信がない。」

これまでこんな事を明確に自覚して考えた事などなかったというのに、僕の口からはすんなりと言葉が流れ出た。けれどそれにも僕は驚かなかった。それはきっと、これが自分達にとって本来あるべき自然なことだからなのだろう。

「う〜むう〜む・・・・・・しかしだな、流石に二つ返事で頷かれると、俺としては何かを考えなくてはならないような気にさせられるというか・・・・・・」

「自分で言い出しといて今更なんだよ、馬鹿だなぁ兄さん。」

「んなっ!?馬鹿だとぅっ!?お前、偉大なお兄様に向かってなんつーこと言いやがる!?」

ガアっと拳を振り上げて威嚇する仕草は、子供のころと全く変わっていない。その腕を取りながら、兄の相変わらず細い腰に腕を回して引き寄せ、頬にキスをした。うわ、兄さんてば、そこらの女の人より肌理が細かいんだ。
うん。全く問題なさそうだ。

「ぎゃ・・・・ッ!!!何しやがる!?」

「ふうん。僕、男性相手にって今まで考えた事もなかったけど、兄さんだったら全く問題なく機能しそう。むしろ理性が崩壊する恐れすらあるかも。兄さんは僕相手で平気そう?だってさ、いくら精神的な繋がりが強固だとしてもだよ?生身の肉体を持つ以上セックスの相性ってとても重要だと思うんだ。」

「オマエ・・・・・オマエ・・・・・・三年間なんの勉強してたんだよ!?もう知らん!俺は宿に戻る!」

自分でプロポーズまがいな台詞を言い出した癖に、僕がYESと言った後の事を全く考えていなかったらしい兄はひどく取り乱し、真っ赤になって人混みの中を駆けだした。

元気よく撥ねる金のテールを追いながら、昔々の記憶を蘇らせる。

そうだ。僕たちは昔からずっと、何一つ変わっていないのだ。

僕が必ず後ろに居る事を確かめるまでもなく、信じ切って前だけを向いて走り続ける兄。そんな兄の背中を追いかけながら、決して追いつけやしないけれど同じ道を一緒に辿り、時には助け、時には助けられ、生きて行く。

きっと僕たちは、これからもそうやって変わらずに歩いて行くのだろう。

「アルー!オラ、ノロノロすんな!置いてくぞ!」

一瞬だけ僕を振り向き、微笑んだ兄はまるで向日葵のようだった。

「偉そうに!そっちこそ僕に追いつかれたらどんな目にあうか、知らないからね!」

笑い声を上げて駆けて行く背中を追いかけながら、僕は心に決めた。


部屋について二人きりになったら、兄に『愛してるよ』と言おう。
それから折角頑張って伸ばしただろう髭も、どうにかして貰おう・・・と。










兄が三年越しのプロポーズをして、僕がそれを受け入れて、それから僕達がどうしたかというと・・・・・。


「旨ェ・・・・!!俺はこの街に来てからすっかりイカの虜になったぜ。」

そこは元々、男同士の兄弟同士ということで、そう簡単に色っぽい展開になる筈もなく、2人で揚げたて熱々のシーフードのフリッターを頬張っていたりする。





街全体がそのまま海に張り出したような地形をしているこの都市は、街のあちこちに水路が網目のように張り巡らされていて、どこもかしこも潮の香りで満ちていた。
宿に戻ると言いながら兄が駆け込んだ場所はレストランというよりは居酒屋と呼んだほうが良さそうな店で、人と物でぎゅうぎゅうにごった返した店内の雰囲気はお世辞にも品が良いとは言えなかったが、人の良さそうな小太りの主人が作る素朴な料理が旨いと地元でも評判の店らしい。
満席かと思いきや、どうにかカウンターの隅に2人分のスペースを見つけた僕達は、早速安物のワインとシーフードのフリッターで再会の祝杯をあげたのだった。

狭いスペースに無理して収まった所為で、僕と兄の肩は密着し顔と顔を寄せ合うような格好だ。殆ど息がかかりそうな距離で、ひとつの皿から料理を口に運びつつ、合間にワインを喉に流し込む。こんな難民キャンプの食事風景のような状態だったけど、逆にこの否が応でも密着せざるをえない状況が、三年間離れていた所為で僅かながら生じてしまっていた目に見えない隙間のようなものを不自然なく埋めてくれた。

「兄さんこぼしてる。ホラ、髭にもフリッターの衣がついてるし。」

まるで子供のようにほお張る兄の顎鬚についたものを指先でつまみ、まあ兄の食べこぼしだし別に構わないかと自分の口に運ぶ。

「グボ・・・・・ッ!ゲホ、ゴホ・・・・・・・アル・・・・・!」

途端に横で激しくむせる兄に、カウンター越しに受け取った水のグラスを差し出した。

「行儀悪くほお張るから・・・・・ああもう、大人になってもこういうトコ全然変わってないんだか・・・・・・イダッ!」

小言を言い始めた僕の眉間に、兄の中指が炸裂した。ところがそれに文句を言おうと息を吸った僕は、そこで口を開けたまま動けなくなってしまった。なぜなら、それまで炭鉱の肉体労働者のように豪快に食べ散らかしていた兄が、頬を真っ赤にしていたからだ。

「馬鹿アルッ!当たり前のようにそういうコトすんな!新婚夫婦かっつの!」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

つい小一時間前に自分でプロポースをしておきながらそんな事を言う兄に、思わず僕の眉間に皺が寄る。一体この人の思考回路はどうなっているのだろうか?今の僕達は、新婚夫婦以外の何者でもないだろうに。



「ふう・・・・・狭いな。皿もカラになったし、上に行くか。」

ワインと料理が片付くと、ポケットから出した紙幣と数枚のコインをカウンターに置いた兄はさっさと席を立ち、店の奥へと向かった。いくら雑多な店でも兄が出口を間違える訳がないし・・・・と怪訝に思いながらも後を追う。突き当りの壁の脇にある小さな扉をくぐると、そこは階段だった。薄暗い石の階段を登りきったところで迷わず廊下を左に進み、さっき紙幣を取り出したのと同じポケットから鍵を出して扉を開ける。

「ホラ、昨日からココに泊まってるんだ。ワリと良い部屋だろ?」

薄暗い廊下から一気に明るく風通しの良い部屋へと足を踏み入れると、更に潮の香りが強く感じられた。部屋にある三つの窓全てが開け放してある所為だ。その窓からはコバルトブルーの海が臨める。
強い日差しとは裏腹にひんやりした風が気持ちよかったが、どうしても肌や髪がべたついてしまうのが気になった。

「あれ?そういえば兄さん、いくらズボンを穿いているからって、こんなに潮風にあたりっぱなしじゃ機械鎧に良くないんじゃないの?」

兄の左脚は機械鎧だ。幼馴染みの専任機械鎧技師から海に入ることは勿論、長時間潮風にあたる事を固く禁じられている筈の兄は、左のズボンの裾を引き上げて見せた。

「へーきへーき。もう一年くらいこっち、ずっとこんな海岸沿いの街ばっかで暮らしてたけど、ホレ、この通りピッカピカだぜ。」

久しぶりに目にした兄の機械鎧は以前とは違い、厳ついイメージが払拭された細身のフォルムのものに替わっていた。やはり当然のことながら、この旅の間も、兄は機械鎧のメンテナンスをきちんと受けていたのだ。
僕と離れていた三年の間、兄はウィンリィと定期的に顔を合わせていた。
それは分かっていたことだけれど、僕の知らないところで2人がどんな時間を過ごし、どんな言葉を交わしたのか。まったく気にならないといえば嘘になる。

「他の素材は殆どいつもと同じらしいんだけどな、錆び防止の為にクロムの比率だけ大幅に増やしてんだよ。そうすっとコイツが酸化して鉄の表面に酸化クロムの膜を作ってくれる。表面に多少の傷がついてもクロムと酸素が結合して勝手に膜が再生するっていうスグレモノだぜ。便利だろ?」

「へえ・・・成程ね!ウィンリィも随分と勉強してるんだ。でも、ジョイント部分の隙間は?可動部分はシーリングするにも限度があるでしょ?」

「それはマメに手入れするしかねぇ。二日にいっぺんは真水で洗浄して水滴を拭き取って・・・・ひたすらそれだな」

昔はそれこそ今と比べ物にならないほど劣悪な環境で暮らしていたのに、その時でさえ兄は機械鎧の手入れをサボりがちだった。ところがその兄が、几帳面に欠かさず手入れをしているという事実に、僕は驚きを隠せない。

「あの不精な兄さんがねぇ・・・!ウィンリィに相当脅された?」

冗談めかして言えば、兄は肩をすくめてさらりと返してきた。

「アイツを振ってアルと生きる事を選んだ俺が、これ以上無駄にアイツに甘えるわけにはいかねぇんだよ。俺は一生アイツ以外の機械鎧技師には世話になるつもりはねぇけど、せめて自分にできることだけはきっちりやって、アイツに必要以上の負担をかけたくないんだ。」

「兄さん・・・・!?それ、どういう・・・・・・そういえば、さっき言ってたよね?ウィンリィにもプロポーズだと言われたとかなんとか・・・」

とんでもない内容の話を、何の準備も出来ていない状態で聞かされた僕はただ驚くばかりだ。兄はバツが悪そうに唇を尖らせながらボソボソと続ける。

「・・・・互いの人生を半分づつでも交換しようとか、そういう類のセリフはプロポーズで使うべきだ・・・・って、スパナでしこたま殴られたんだよ。」

「な・・・っ!?兄さん、ウィンリィに一体何言ったのさ!?」

「だから!ウィンリィにとって機械鎧は、今はもうあいつの人生そのものだろうが。あいつが機械鎧技師の道を選んだきっかけは俺にある。それにこれがなければ俺の人生は半分とは言わずとも、まぁかなり可能性が目減りするわけで・・・・・じゃあ、きちんと前金で代価を払って予約しとこうかと思ったんだよ」

「それで自分の人生を半分あげるから半分寄越せって言い方したの?馬鹿じゃないの!?ウィンリィが兄さんを好きだって事、兄さんだって分かってるだろ?なんでも錬金術の等価交換に置き換えるからそういうコトになるんでしょう!」

憎からず思っている相手から、プロポーズまがいな台詞で機械鎧の整備の生涯保障の予約をされるウィンリィの気持ちを思うと、僕もこの男を一発くらい殴っておいた方がいいような気になった。
ところが兄は、窓際に置かれた藤の椅子に座った状態で頭を抱え込むと、搾り出すような声で言ったのだ。

「ああそうだよ!俺は馬鹿だ。でも俺は、自分の人生の半分をやってもいいくらいアイツが大事なんだよ。そのあいつが、あんな田舎に縛られる道を選ぶ事になったのは俺の所為だ。これはな、自惚れでもなんでもねえ。あいつはまだ同年代のオンナ達が能天気でメルヘンチックな夢を抱いてるような時にな、立ちあがって失ったものを掴み取る為の手足を俺に与える事と引き換えに、将来の可能性を・・・選択肢を全部捨てたんだ・・・!」

「兄さん・・・・」

その気持ちは、何も兄だけが持つものではない。僕もまた、兄と同じように彼女と共にかけがえのない時を過ごしてきたのだから。そして彼女が幼い時分に機械鎧技師の道に進むと決めてしまった事を負い目に思うのは、兄と共に過ちを犯してしまったこの僕だって同じなのだ。けれど兄がそれに殊更とらわれてしまうのは、機械鎧を身につける者とそれを作りだす者という第三者には分かりえない特殊な繋がりと、そして兄がほんのわずかな間とはいえウィンリィに恋愛がらみの感情を抱いてしまった時期があった為だ。
ウィンリィに向けた兄のその言葉は、ウィンリィに対する彼なりの最大の感謝と信頼のあらわれだったのだ。そしてウィンリィにもきっと、兄のその心は通じていたに違いない。
少し寂しいけれど、大好きで大切な幼馴染みと兄が紡ぐこの絆に、僕が入りこむ場所はない。いや、もしあったとしても立ち入ってはいけないのだ。

でも・・・・。

「ウィンリィとお前を比べるなんてできねぇ。どっちも俺にとっては居なきゃならない大事な存在だ。だけど・・・・だけどな、ウィンリィにやれるのは俺の人生の半分までなんだよ・・・・アル。あいつをどんなに大事に思っていようが、それ以上はやれねぇ。」

そこで漸く兄は、その横の窓枠に凭れるようにして立つ僕を見上げた。
兄は泣いてはいなかったが、どこかが酷く痛むような顔をしていた。

僕には、分かる。兄の言わんとしている事が。

「どっちがどれだけ大事とか、そんなんじゃないんだ。ただ、俺が自分の持ってるもの・・・・何をどれだけ、何もかも根こそぎやってもいいと思える相手は、アル・・・・・お前だけなんだよ。」

そう。そしてそれを正直に包み隠さずウィンリィに言ったのか・・・・・本当に、どこまでも誠実で情深く、残酷で、馬鹿な人だ。

「何をどれだけ、何もかも根こそぎ・・・・か。ふふっ・・・・凄い。これ以上の口説き文句ってないと思うよ、兄さん。」

いつしか傾きかけていた陽光は、全てのものを赤みがかった世界へと塗り変えていた。
窓から吹き込む風に頼りなく揺れる兄の顎鬚に指を伸ばし、触れる。思った通り、子猫のような柔らかさに、僕の頬が緩んだ。

「じゃあ言うけど、僕はね、兄さんが僕という存在をこの世に繋ぎとめてくれたあの日からずっと、自分の何もかも全てを兄さんと融合させてしまいたいと思う位には、兄さんを愛してるんだよ。ちなみにこれは、プロポーズに聞こえるかな?」

僕の問いかけに、兄はまた、向日葵のように笑った。









部屋に備え付けてある浴室は、最低限身体を清める為の機能を辛うじて備えているだけの狭く粗末なものだったが、僕は『兄の髭を剃る』という理由で兄が入浴しているところに強引に押し入った。

「・・・・・誰が俺の大事なタテガミを剃って良いと許可したんだよ?」

眉を寄せながらもバスタブに満たした湯に浸かっていた兄は、その横で椅子に座る僕の膝に大人しく頭を置いてくれた。
ふわふわに泡立てた石鹸を乗せ、そっと剃刀をあて、慎重に滑らせていく。

「いつから伸ばしてたの?これ。手入れもかなり面倒だったでしょう。」

「んー・・・・まあな。2年くらい前か、男は必ず髭を生やす風習がある国に入ってな、なんでも髭を生やしてない男は男として認識されないんだと。」

「ふうん。それで?」

ささやかながらそれなりに大切にされてきたらしい兄の『タテガミ』は、瞬く間に泡と一緒に削ぎ落とされてしまう。仕上げに蒸しタオルで優しく拭ってやると、気持ちよさそうに目を細める兄はまるで猫のようだった。
眼鏡を外して髭を剃った兄は、三年経ったというのに驚くほど変わっていない・・・・いや。程良く顎のラインがほっそりした所為で華奢な印象を強くし、かえって『繊細』とか『美麗』という賛辞がしっくりくるような容貌になっていた。
兄が目を閉じているのをいいことに、僕は遠慮なく彼の顔に魅入った。

「で、結構治安の良くないトコでよ。強盗とか強姦とか頻発するような地域が国の至る所にある訳だ。」

僕の手から新しいタオルを受け取りそれを湯に浸して絞り、もう一度自分の顔を拭う兄の口調は呑気だったが、その話の内容は只ならぬものだった。

「昼間でも、こう・・・・ちょっと人気のない裏路地何かを歩いてるとだな、俺を女とみなした馬鹿な男が集団で襲いかかってくるんだ。」

「ええッ!?兄さん・・・・・・!」

剃刀を使い終わっていて良かった。そうでなければ兄も僕も無事では済まなかっただろう。
思わず身を乗り出した僕の膝に頭を乗せたまま、兄は愉快そうに笑った。

「その度にひとり残らず叩きのめしてやるんだが、それがほぼ毎日となっちゃあこっちの身がもたねぇ。で、髭を伸ばしてみたってコト。」

「効果のほどは?」

「毎日が三日にいっぺん位に減っただけ。妙だろ?髭生やしてんのによ。で、どんどん髭の面積を拡大してみたら・・・・・」

「ハァ・・・・・立派なタテガミが出来あがりました・・・と。成程?」

やはりボディガードが必要だったのは僕ではなく兄の方だったらしい。




やがて兄と入れ違いにシャワーを浴びて浴室を出ると、下着一枚のままタオルを首にかけた兄が腕組みをしてベッドに腰掛け、何か考え込んでいた。
鞄から取り出した水の入った瓶に口をつけた時、その兄がボソリと呟いた。

「これって所謂、俗に言うところの『初夜』ってやつだよな?」

「ゴフ・・・・・・・ッ!!」

髭についた食べこぼしを僕に摘まんで食べられた位で真っ赤になるような人に、今度は僕が狼狽させられた。













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