お前は俺のヒーロー1
「キャ―――――ッ!助けて―――!誰かぁぁぁぁぁ!」 ゴミゴミした繁華街の通りに、女の悲鳴が響き渡った。 しかし、その声を聞いても、道往く人間の誰もが足を止めることなく通り過ぎていく。 政治の腐敗がとことんまで進んだこの国は、今ではもう警察すらまともに機能していない。お陰でこんな光景は日常茶飯事で、いちいち助けに入っていたら自分の身が危うくなるばかりで何一つ得な事などないと、誰もが傍観者を決め込むのが常識になっていた。 女の悲鳴に混じって数人の男達の下卑た笑い声が聞こえて、これから何が始まるのかがうかがえ、俺はため息をついた。 腹の虫を黙らせる為に、ワンコインで買えるという触れ込みのクソ不味いハンバーガーを食いながら帰宅途中だった俺は、残りをまとめて口に放り込むと、声のする方へと足を向けた。 ションベン臭い薄暗い路地裏を覗けば、チャラチャラした趣味の悪い服装の男が三人、此方に背を向けて立っていた。どうやらさっき悲鳴を上げた女は奥の壁際に追い詰められているらしく、俺の位置からは男達の影になっていて見えない。 しかし、俺が声をかけようと口を開いた時だ。 「・・・・や・・・・やめましょうよ・・・・!この女性、怯えているじゃないですか・・・・」 聞きなれた、品が良く耳に心地良い、しかし気弱な男の声がした。精一杯毅然とした態度を取ろうとしているものの、その語尾はいささか震えている。 どうやら女と男達の間に『そいつ』は立ちはだかっているらしい。女のピンチを放っておけず助けに入ったはいいが、今度は自分の身が危うくなっている様子だ。 「まったく・・・・しょうがねぇヤツだなぁ」 俺は口の中のものを大急ぎで咀嚼し、ペットボトルのジュースをぐいと煽った。 「おう、ナヨっちい兄ちゃんよぉ?弱っちろい癖して女の前ではエエカッコしたいんか?なんなら兄ちゃんがサンドバッグになって、俺らの欲求不満を解消してくれるんでもいいんだぜ?おお?」 「そ、そ、そんな・・・・ッ!乱暴は止めてくださ・・・・ッ」 その正義感あふれる軟弱君の胸倉を男の一人が掴んだ瞬間、俺は地面を蹴って飛び上がり、その男の頭を回し蹴りで吹き飛ばしてやった。 さすが俺。男は一発でダウンした。 「な・・・・・何しやがるテメェ・・・・ッ!」 今時リーゼントなんていう時代錯誤な髪型の男が唾を飛ばしてがなりたて、もう一人のスキンヘッドが脇にあったビール瓶を割り、それを振りかぶって襲いかかってくる。 なんてベタな展開だと、俺はそれを鼻で嗤ってやった。 瓶の切っ先をわざとスレスレで軽くいなし、ブヨブヨの腹に拳をめり込ませてもう一丁あがり。そのまま間髪いれずにリーゼントの顎にハイキックを決めれば、面白味もないままあっけなく終了だ。 「あ・・・・あ・・・・ありがとう・・・・ッ!ありがとうございました!あの、お名前を・・・・!」 胸の前で指を組んで、目をキラキラさせた女が俺に詰め寄ってきた。 俺は咄嗟に半歩後ろに下がり、怖々と女から目を逸らした。何故ならその女は、俺の苦手なものリストの筆頭に鎮座する牛乳のすぐ下にランクされる・・・・・・巨乳だったからだ。俺は極度の牛乳アレルギーで、『乳』とつくものはとにかく理屈抜きで苦手なのだ。 「き、気にすんな。別にこんなのどうってことねーよ。それより、暗くなる前にとっとと帰った方がいいぜ。じゃあな」 頬を赤くしてジリジリと胸からにじり寄ってくる女に背を向けた俺は、ダッシュでそこから立ち去った。 「兄さーん!待って・・・・待ってよ・・・・!」 三ブロックほど行ったあたりで、さっきの上品で優しげな声が俺に追いついてきた。 足を止めて振り向けば、俺よりも頭一つ分以上も上背がある、詰襟の学生服をきっちり着こなした美男子が、肩で大きく息をしながら走り寄ってくるところだった。 それを見た俺の顔が一瞬だけふにゃんと緩み、その後眉間に皺を作る。 「アル・・・・またお前は・・・・喧嘩はからっきしな癖にいつもいつも余計なおせっかい焼きやがって!偶々俺が通りかかったから良かったものの、そうじゃなければどうなってたと思うんだ!?」 けんけんと言う俺にしおらしく肩を落としつつ、俺の言葉に素直に頷きながら器用にも上から上目遣いで視線を寄こすそのクソッ可愛らしい様子に、毎度の如く俺は負けた。 「ああもう畜生ッ!可愛いなお前は~ッ!」 着痩せする上、スッキリとしたシルエットの黒い学生服の所為でさらに華奢に見える身体に飛びつき、そのスベスベの頬に頬擦りしながらデレデレとなる俺。周囲を通り過ぎる人間達が怪訝な視線を向けてくるのにも、いい加減慣れっこだ。 だって、仕方がないのだ。 俺の弟のアルフォンスは、俺達がまだほんの小さい頃に死んでしまった美人の母さんに生き写しで、柔らかな物腰に天使のような穢れの無い心を持ち、兄の俺とは比べ物にならない程品が良く、頭も優秀で、誰にも何に対しても平等に優しく、それでいていつでもどこでも『兄さん、兄さん』と俺に懐いてくる愛くるしい奴なのだから。 ただアルフォンスは、あまりにも外見内面共に完璧過ぎるが故に周囲から妬まれ、更に気が優しすぎる所為で人に対して下手に出過ぎてしまうきらいがあり、結果多くの人間から距離を置かれ、不憫にもいつも一人ぼっちという哀れな状況に追いやられている。 名門と謳われるセントラル高校の三年に在籍する俺の一学年下にいるのだが、度々お約束のように人気の無い体育館の裏などに呼び出されてはあわや集団リンチという危機に直面し、何故か運良く居合わせた俺が助け出す・・・・というのがまるで日課のようになっていた。 「だからいつも言ってるだろ?お前みたいな可愛いツラしていつでもホワンとして、あまつさえ手芸部なんか入って女達と一緒にレース編みとか可愛い事やってる奴なんてなぁ、ああいうロクでもない連中の餌食になっちまうんだよ!お前が正義感溢れる優しい奴だってのは俺が知ってる。もう金輪際、二度とこんな無茶なんかすんな!お前の代わりに兄ちゃんがやってやるから!分かったな?」 俺の言葉に『ウン』とこれまた可愛く頷く弟の頬に、とうとう感極まってチューをした。本当は吸いつくだけじゃなく、歯を立ててマグマグしたいところだが、それは流石に往来では不味かろうと頑張って耐えた。 俺の家は、俺と一つ年下の弟のアルフォンスと警備会社を経営するオヤジの三人家族だ。母さんは、俺とアルがまだ小さい頃に死んでしまった。出掛けた先の銀行に運悪く強盗が押し入り、マシンガンで撃たれたのだ。 オヤジはそれをきっかけに、長年していた板前を辞め、一念発起で今の警備会社を立ち上げた。 警察が当てにならない今、あのような忌まわしい事件で母のような犠牲者を出さない為には、自分が動かなければならないという想いを募らせた結果だ。 そのオヤジの帰宅は、大抵いつも夜中だ。それも、顧客からのエマージェンシーコールが入れば、たとえ真夜中だろうと関係なく会社に行く。だからオヤジが家に居る事は殆どなく、三人家族とはいえ、実際は俺とアルの二人で暮らしているようなものだ。 家事の分担は、料理がアルで、洗濯が俺。掃除は出来る方が出来る時にやる決まりだ。アルの料理は旨い。アルは俺の嗜好を知りつくしていて、どんな食材でも俺好みの料理に仕立て上げてしまう天才だった。牛乳アレルギーの俺の為に作ってくれるクリームシチューなんかは、俺のお気に入りメニューの一つだ。 ・・・・・なんか、思い出したら無性に食いたくなっちまった。と思っていると、奇跡のようなタイミングでアルが言った。 「兄さん、ゴハン出来たよ。今日は兄さんの大好きなシチューにしてみた」 「アル・・・・ッ!お前って天才過ぎる。俺はお前を嫁に欲しい!」 可愛いエプロン姿で困ったように照れ笑いなんかする弟に辛抱堪らずむしゃぶりき、人目がないのを良い事に、上までウンウンよじ登って今度こそ頬に歯を立てながら吸いついた。 アル、アル、アル・・・・・・!こいつは絶対俺のモンだ!誰にもやらねぇ。やるもんか。 「に、兄さん、くすぐったいよ!アハハハハッ、もう、兄さんたら・・・・ホントに可愛い・・・・じゃなくて、カッコいいんだから」 ほら、シチューが冷めちゃうよ・・・と、実はかなりの筋肉質な逞しい腕にヒョイと抱きかかえられ、丁寧な仕草で椅子に降ろされる。アルフォンスは特に鍛えている様子もないのに、ガタイの良いオヤジに似たらしく脱ぐと凄い身体をしているのだ。それなのに何故か身体が弱く、度々体調を崩しては学校を早退する事がある。兄としては、非常に心配だ。 「こんなにイイ身体してんのになぁ・・・・・なんで虐められキャラなんだよ、勿体ねぇ・・・」 薄手のパーカー越しでさえ分かる筋肉の隆起にウットリと見惚れながら箸を咥えていると、目の前に茶碗が差し出された。 「?どうしたの、そんなもの欲しそうな顔して。ほら、ゴハン」 「おう、あんがと」 いつものようにテーブルで向かい合って夕飯を食いながら、音を絞ってつけていたTVのニュース番組にふと目をやる。途端、俺の目はキラキラと輝いた。最近マスコミで度々取り上げられ話題を呼んでいる、正体不明の正義の味方『赤い薔薇の騎士』の特集が組まれていたからだ。 羽で飾られたつば広帽をかぶり、マスクオブゾロような黒い装束にこれまた黒いマントをはためかせ、手には剣を持ち、その胸にはいつでも深紅の薔薇を挿している。目許はマスクで覆われていて、その顔は見えない。しかし、通った鼻筋やスッキリとした輪郭、時折白い歯をのぞかせて笑う口許は同じ男の俺さえもドキドキさせる、かなりの美形だというのが伺える。 あちこちで頻発する強盗事件や爆破予告騒ぎ、それにハイジャック事件など、いつも必ずではないがそこに颯爽と現れては犯人たちをちぎっては投げ、瞬く間に事件を解決してしまうという、今や誰もが知るスーパーヒーロー。 事件が片付くとみるや、現れた時同様どこへともなく去ってしまうのだが、毎回まるで名刺のように赤い薔薇を残していくことから、いつしか『赤い薔薇の騎士』と呼ばれるようになった。 「オオオオッ!赤い薔薇の騎士だ!かっけぇー!オイ、アルッ見てみろよ!」 「・・・・兄さん、行儀悪いよ。ちゃんと座って」 一気にテンションを上げる俺とは反対に、弟はさっきまでのニコニコ顔を引っ込めてつまらなさそうだ。漫画も小説も音楽も映画もゲームも、俺が夢中になる事には必ず賛同して会話の相手をしてくれる弟なのに、何故だかこの『赤い薔薇の騎士』にだけは食い付いてこない。 「なんだよ、アル。こんなに強くて正義感溢れてカッコ良くて、強盗でもテロリストでも殺人犯でも何でもバッタバッタやっつけちまうんだぞ?めちゃめちゃカッコいいじゃんか。なのになんでそんな冷めた顔すんだよ?」 「別に、そんな事無いけど」 明らかにいつもよりトーンの低い声で言いながら、気に入らないとばかりにテレビから顔を背ける。ほら、これだ。 俺はそんな弟に構わず、テレビ画面に首ったけになる。 画面では丁度、赤い薔薇の騎士が剣の切っ先で強盗が手にした銃を真っ二つに切り裂くシーンが映し出されていた。 赤い薔薇の騎士は衣装の小道具のように剣を手にはしているが、時には小型の銃から馬鹿デカいロケットランチャーまで使いこなす。半年くらい前に起きた、カルト教団が軍施設を乗っ取って国を根こそぎ滅ぼしてやるとワーワー騒いでいた事件では、戦車まで自在に乗りこなしていた。 また、赤い薔薇の騎士の凄さは、全く武器のない丸腰状態でもその強さが変わらないという事だ。貴族的な立ち居振る舞いを決して崩さずも、時に野獣のような猛々しさで悪人をバッタバッタとねじ伏せていく様子は圧巻にして爽快で、俺のハートをがっつり掴んで放さない。 ・・・・ヤベぇ・・・・カッコイイ・・・・余りにもカッコ良すぎる!相手がどんな重装備でも、大人数でも、まったくひるむことなく、あくまでもエレガントに時にワイルドに立ち向かうその雄姿・・・・・! 俺も、こんな風に強くなりたい。強くなって、悪い奴らの手から母さんのように善良で罪のない人を一人でも多く助ける事ができたらいいのに―――――。 右手に箸、左手にスプーンを握ったまま胸を熱くしていた俺は、弟がもそもそと飯を口に運びながら溢したぼやきに気付かなかった。 |
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