人 魚












僕には、腹違いの兄がいる。

信じられない事に、その兄の身体は下半分が宝石のように虹色に輝く青い鱗で覆われている。

 

兄は、人魚だった。

 

 


 

僕を産んだ母親は僕が幼い時に他界しており、僕は父の手ひとつで育てられた。しかしその父もまた、数年前に土に還った。その父が亡くなる直前、細い息の間途切れ途切れにした告白は、とてもシュールなものだった。

 

『お前には、母違いの兄がいる。その兄は、海に棲む人魚だ』

 

こん睡状態に入る間際に幻覚を見て、そんな突拍子もない事を言い出したのかと思ったが、その父の目にはしっかりとした意思の光が宿り、まっすぐに僕を見つめていた。

 

 

父が、今際の際に僕に残した言葉。それは僕への切実な要望だった。








 

海洋学者であった父は、海中の生態系が近年著しく崩壊していることを書籍や講演などで盛んに訴えていた。しかしその活動が実を結ぶことは一切なく、やがて事態は父がもっとも恐れていた段階にまで突入してしまう。人魚という種の絶滅だ。

 

 

 

 

兄は、父よりも母側の血を濃く受け継いでしまった為に、人として地上では生きられない身体だった。だから生まれたのも海の中なら、育った場所も海の中だ。

人魚と人間。その外見は一部酷似していても、生物学的には全く異なる別の種だ。にも拘わらず、何故その間で交配が可能だったのかは謎だが、両者は生態としてその特性の乖離が著しく、そもそも共生する事自体が不可能だった。

人魚の生態はほとんどが謎のベールに包まれたままで、その寿命さえも実は良く分かっていないのが現状だ。この世界に一体何体の人魚が生息しているのか、何を起源にどのような過程を経て今のような進化を遂げたのか、全てが謎のまま・・・・・ただ、父が唯一分かっていた事は、その数は近年恐るべき早さで減少しているという事だった。

『人間』がその生存を確認した最後の人魚。

それが、父が20年前に海辺で別れを告げた母とその腕に抱かれた兄だったのだ。

 

 

 

『お前の兄は・・・・エドワードはまだ生きている。この世界に生きる、最後の人魚がエドワードだ。もうこの地球にはどこにも人魚が生きて暮らせる海はない。私がこれまで培ってきた人魚の生態についてのデータを全てお前に託す。エドワードを迎えに行ってくれ。そして守ってやってくれ。行けば、あいつはそれだけでお前の許にやってくるだろう。逆にお前でない人間が行けば、海中深くに姿を隠して二度と浮かび上がってはこない。もう時間が無いのだ、頼む・・・・・・息子よ・・・』

 

そう言って、父は泣きながら逝った。

 

 

その後、僕の人生は大きく変わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぱしゃ・・・・・ん

 

 

仕事から帰ると、リビングから水音が響く。これは僕の帰宅をドアの振動で察知した兄が『おかえり』と言っている音だ。

 

部屋の明かりが青い色をしているのは、人魚の目にとって通常の明かりでは刺激が強すぎる為だ。15畳ほどもあるリビングは、その半分以上を天井まであるガラス張りのプールのような水槽が占めていて、さながら水族館のような趣だ。およそ普通の人間が住むような場所ではない。僕が暮らす家は、そんな要素でいっぱいだ。

 

 

餌を欲しがる金魚が人間の姿を認めると近づいてくるように、兄もまた、僕が部屋の中を移動するたびにその後を追って右へ左へと泳ぐ。

 

「ただいま兄さん」

 

水槽に額を付けて話しかけると、兄もガラスを隔てた向こう側で同じように額を寄せ、ほほ笑んだ。

金の長い髪が風をはらんで膨らむように、水の中で美しい曲線を描く。その隙間から時々覗く貝殻のような耳は人間と同じ形状をしていながら実は飾りのようなもので、決して音を拾うことはない。人魚の体温は魚と同じで水温によって自在に変化させる事ができるものの、水温は20度前後が適温のようだ。だから今の彼の体温も恐らくそれと同じくらいのはずだ。

 

 

 

共に暮らし始めて、1年。

 

彼を生かす為に、僕は全く手探りの状態から必死で父の残したデータを読みあさり、また彼を観察しては微細な変化も逃さず逐一記録し、すべてをその後の対応に生かした。

流石に1年も経てば随分と色々な事が分かってきて、最初は度々パニックに陥る事があったけれど、今では多少のトラブルにもかなり冷静に対処できるようになったと思う。

 

 

人魚は、上半身が人間で下半身が魚。それが世間一般での定説だ。しかしこうして共に暮らしてみて良く分かったのは、彼らは断じて人と同じ生態ではない、という事だった。

 

その上半身の形状は確かに人と非常に似通ってはいても、あくまでも擬態しているだけで、鼻も口も耳も、その腕の先にある指でさえ全てが飾りで、人本来が持つ用途としての機能を殆ど持っていなかった。

また、彼は匂いを感知できる器官を持っていない。音はほぼ全身の体表面で捉える。そして食物を口から摂取する事もない。背中側の、人間でいうなら丁度肩胛骨のあたりにある鰓から酸素と共にプランクトンを吸入して栄養にしているのだ。

しかしながら知能は人に匹敵する・・・・いや、むしろ人のそれよりよほど優秀だった。この家へとやってきた当時は言葉が分からず勿論字も読めなかった彼だが、(あたりまえの事だが、彼には元々そういう概念さえ存在しなかった)瞬く間に僕の言葉を理解するようになり、最近では僕がプラスチックの板に文字を焼き付けた『本』を読むことに熱中していて、それも実に信じられない事だが経済や最先端の医療についての論文、物理学、心理学、宗教学に至るまで、高度な内容のものを好んで読む。

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・」

 

「ん?どうかした?兄さん」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

「ああ、マズローを取ればいいの?今日は心理学を読むんだね」

 

 

口のきけない兄と僕との間には、とても便利で自在なコミュニケーションツールが存在した。それはテレパシーだ。彼が人魚だからなのか。それとも彼と僕が半分でも血を分けた関係だからなのかは分からない。けれど『ソレ』は確実に僕たちの間に存在していて、検証の結果、物理的に隔てられている事にも影響を受けずにほぼ4、5メートル程度の距離ならば、互いに意思の疎通が可能な事が分かった。

それでもこうして僕がわざわざ言葉を紡ぐのには理由がある。彼に『言葉』としての音を覚えさせる為だ。擬態しているだけとはいえ、彼には半分人間の血が流れている。つまり、純粋な人魚ではないのだ。だからその口や耳、鼻、指先なども訓練によっては人と同じように機能させることが期待できるのではと、僕と兄は考えたのだ。

 

可能な限り、人と同じような状態で生活できるように兄の身体を訓練し、環境に慣らしていく。


何故、人魚の彼を無理に人と同じように暮らせる身体に変えようとするのか。

 

それは、水槽のガラスに隔てられたまま暮らす事に耐えられないほど、僕と兄の心の距離があまりにも近くなりすぎてしまったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それを僕が知ったのは、兄との生活を始めて1カ月が過ぎた頃だった。

人魚には、人間の女性の月経周期と非常に似通ったスパンで定期的に発情期が訪れるのだという事を。

 

 

その兆候は、まず行動にあらわれる。泳ぎ方が忙しなくなったかと思うと、突然脱力して水中を漂ってみたりする。そのうちに目が焦点を結ばなくなり、普段はうっすら桜色をしている唇が、なお一層赤みを増す。そうなってくると、もう彼自身にもその衝動を抑える事がどうにも出来なくなってくるらしく、妖しく身をよじらせてはガラスに下腹部を押しつけて激しく尾びれを震わせるのだ。初めてその様を目の当たりにした僕は、僕に見られている事に気づかないで行為に耽る彼から目をそらす事も考えつかないまま、ただその一部始終を凝視していた。

 

人魚の男性器は、普段は畳まれるようにして鱗の窪みに入っていて目では確認できない。けれどその時期だけは鱗の隙間から初々しい雄芽が頭をもたげ、物欲しげに震える様を見る事が出来る。

 

そもそも人魚がそうなのか、それとも兄が半分は人間だからなのか。彼は、人間とほぼ変わらない羞恥心を持っていた。だからガラス張りの水槽の中で魚のような生活をしていながら、僕は一度も彼が排泄している場面を見た事がない。したがって、シーズンの最中にしていたその行為もまた、切羽詰まった彼が僕のいない間を見計らってしていた事だった。それを、たまたま運悪く忘れ物を取りに戻った僕が見てしまったのだ。

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・!!!」

 

兄の周囲には、幼さを残す雄芽の先端から吐き出された種が白い泡となって漂っていた。水の中だというのに、その目はまるで潤んでいるようで、普段透き通るように白い頬を赤く染め、赤く腫らせた唇は震えている。放出を終えた小さな性器はゆらりと水流にたゆたい、鱗に覆われた下半身はいまだ尾を引いているらしい余韻に痙攣を続けていた。それで自らを慰めるという習性は彼の遺伝子に組み込まれていないのだろう。細い両腕は、ただ力なく目の前のガラスに縋るように張り付いているだけだ。

 

やがてその目が焦点を結びはじめ、部屋の入口に茫然と立ち尽くす僕の姿を映した途端、彼は本当に可哀想になるほど動揺し、どこにも身を隠せる場所がないガラスの水槽の一番奥の隅で身をこれ以上ないほど丸めてしまった。

その一件があってから、僕はようやく水槽の中に彼が僕の目に触れないで過ごせるプライベートな空間を確保するため、2m四方程の箱状の仕切りを設けた。

 

 

けれど。

 

あの時の彼を見てしまってから、僕の中に生まれた想いはとどまる事を知らない。

 

彼に触れたい。あの冷たい身体を抱きしめたい。あのふっくらと赤い唇にくちづけたい。彼の全てをあばいてしまいたい。

 

 

そうして、僕と彼の関係は、その後急激に変質を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

まず僕がしたのは、少しずつ水温を上げることだった。徐々に彼の体温を上げ、可能な限り人のそれに近い状態にするのが目的だ。何故ならば、今のままの体温で僕と触れあえば、彼の皮膚が人肌の熱さに耐えられないからだった。

 

そして最初は一日にほんの数分。次の日はもう少し、またその次の日にはさらに長く。水槽から出て、空気中から口を通じて肺に酸素を取り入れる練習をした。やはり僕と兄が考えたとおり、兄の身体にはヒトとしての機能が備わっていたのだ。

 

はじめはただの飾りだと思っていた鼻や口や耳。そして指先もすべて、訓練次第で本来の機能を取り戻せる事が十分に見込めた。それを知って俄然やる気を出したのは、僕よりもむしろ兄の方だった。

 

 

 

その試みを始めてから半年が経過した今ではもう、兄はその可愛い唇から音を紡いで僕の名を呼ぶことまで出来るようになっていた。栄養の摂取も、鰓ではなく、経口ですることが殆どだ。指はぎこちないながらも日常生活で支障を来たさない程度には動かせるし、音は体表と耳の両方を使い分けて聞き取っている。

そして、僕が家にいる間は、殆ど水槽から出て生活をしていた。

 

 

 

 

「兄さん、無理をしないでもうそろそろ水槽に戻りなよ。ほらご覧、尾びれの先っぽが乾いちゃってるじゃないか。せっかく綺麗なのに・・・・」

 

床に敷いたラグの上。兄の体に関する研究データをまとめる僕の横に寝そべり、紙の本をむさぼるように夢中になって読みあさる兄に声をかける。水槽の中では一々僕に取ってもらわなくてはならなかった本も、外に出れば好きなものを好きなだけ読める事が余程嬉しいのか、兄はその乾きかけたシフォンのような尾びれをはたはたと振って僕の言葉をさり気なくかわした。

僕と同じ環境で生きられる訓練をし始めたそもそもの目的を失念したかのように、兄はすっかり本に夢中だ。当然僕は面白くない。

 

「ねぇ・・・・兄さんがそんなに本ばっかりに夢中になったら、僕寂しいんだけどな」

 

いつも睦み合いの時にしか出さない甘い声を使えば、途端に体を引きずって水槽の方へ逃げようとする兄を強引に引き戻し、組み敷いた。

 

「ア・・・・・ウア・ウ・・・・アル・・・・・」

 

彼がまともに発音できる唯一の言葉。それは僕の名前だ。可愛い声でそう呼ばれるたびに、僕は天にも昇りそうなほどの幸福感に包まれる。

 

時間をかけて根気強く人の体温に近づけたものの、やはり僕よりも2〜3度低い彼のひんやりと瑞々しい肌に掌を滑らせながら、淡い色の乳首に吸い付く。

 

「アッ・・・・・アル・・・・・アル・・・・・アル・・・・・!」

 

口では僕の名前だけを紡ぎつつ、テレパシーで制止の言葉を投げかけてくる彼を無視してその先を続ける。前の発情期が終わってまだ1週間と経っていないから、今、彼の性器は鱗の隙間に隠れている。けれど僕はもうその隠し場所を知り尽くしていたから、隙間に指を入れて引き出すと小さな柔らかいそれをじわじわと扱いてあげた。

 

「ハァ、ハァ・・・・・・・・アル・・・・ア、ル・・・・・アル・・・・ッ!」

 

ラグの上で魚のように跳ねる身体は、背中にある鰓を開いたり閉じたり忙しなく繰り返し、尾びれは小刻みに震えながら時折悩ましい動きで僕の体のあちこちを撫でる。

 

「ア・・・・・・ア・・・・・・・・アアアアッ!」

 

頬を真っ赤に染上げている彼は、発情期にする性交の時よりも酷く羞恥を覚えているらしく、僕の手管に溺れまいと必死に抵抗する。

 

「嫌なの・・・・・?そうじゃないよね?もっと・・・気持ちよくなりたいんでしょう?」

 

「・・・・アル・・・・アル・・・・アル・・・・・!!!」

 

首を嫌々と振るくせに、僕の脳にダイレクトに伝わってくるテレパシーは正直だ。僕は思わず意地悪く、唇の端を吊り上げた。

 

「可愛い・・・・・テレパシーがある限り、嘘を言っても通用しないんだよ?さあ、可愛いアナタにはご褒美をあげようね」

 

逃げを打つ身体を強引に抱え込むと、悲鳴を上げるのにも構わず鱗の間から突き出てヌラヌラといやらしく光るソレを口に含んだ。そのまま頭を上下に動かしてやりながら、僕の指先はまた別の場所を探り当てる。

 

男性器のある場所から数センチ下の鱗の隙間にある、開口部。総排泄口と呼ばれるものにあたる器官だ。彼の身体は、排泄する為の出口をひとつしか持たない。彼は雄だが、排泄口の点でいえば雌の人魚もおそらく同じ身体の構造をしているに違いないと僕は推測する。つまり人魚は、この部位で交尾を行うという事だ。

 

初めて彼と繋がった時は、彼を傷つけてしまわないかと相当恐る恐る行為に及んだものだが、やがてそこは人間と同じく性感帯らしきものが存在することが分かった。以来、回を重ねるごとに行為は激しさを増し、時には行為後に、青い宝石のように美しい鱗が2枚3枚と剥がれ落ちていることがある程だった。

 

 

 

発情期が訪れていてもいなくても関係なく、僕と兄は盛んに身体を繋げる事を繰り返した。その時期でないときは、互いの愛を確かめるようにじっくりと。そしてその時期が到来したときには、僕も兄も理性をかなぐり捨て、壊れてしまいそうなほど激しく・・・・・愛し合った。

 

 

 

 

 

そんなある日、彼の身体に異変が現れた。

下半身を覆う鱗が、少しずつ艶を無くしていったのだ。それに気づいた僕は、常に注意して観察を続け克明に記録を取った。

 

始めの内は、ただ単に鱗の色が何らかの原因により退色しているのかと考えていたが、それは鱗自体が徐々に薄くなっている所為である事が分かった。鱗は、水性生物である彼の身体を保護する上で欠かせないものだ。しかし最初の異変に気づいてから僅か一ヶ月が経過する頃には、あの七色に光る、青い水晶の欠片のように美しかった彼の鱗は見る影も失くしていた。磨りガラスのように曇り、乾燥し、ひび割れ、酷いものは剥がれ落ちて、所々鱗の下の表皮が無防備に露出した。

異常はそれだけに留まらなかった。背中にある鰓までもが周囲の皮膚ごと腫れ上がり、そしてそれは激しい痛みを伴い彼を苦しめた。

 

人魚だけが罹る感染症かと疑いもしたが、いくら調べてもそれらしい細菌もウィルスも微生物も見つからない。けれど状態は悪くなる一方で、何の手立ても無いまま、僕はただ日に日に弱っていく彼を見ていることしか出来なかった。

 

中途半端に空気中で生活することに慣れさせてしまった彼の体は、著しい衰弱の為、逆に水槽の中で生活することが出来なくなっていた。だから彼は水槽の横に急遽しつらえたベッドの上に身体を横たえ、僕はその彼の乾いた鱗に度々霧吹きを噴霧して水分を補ってやる。

 

「・・・・・・・・・・ア・・・・ル・・・・」

 

掠れた声で、けれど甘く僕の名を呼ぶ兄の唇は、紅をさしたように赤く色付いていた。こんな衰弱した状態だというのに、『その時期』は計ったようにやってきて、彼の身体をその衝動へと駆り立てた。

 

兄の手が力なく僕の方へと伸ばされ、引き寄せようと動く。この時期の彼の衝動は、行為によって治めない限り延々とその肉体と精神を責苛む。だから普段は恥らいながら控えめに僕の求愛に応える兄なのに、この時期だけは奔放に激しく自ら僕を求めてくる。

 

起ち上がって体液を滴らせている性器に口で愛撫を施せば、肉が落ちて骨が浮き出てしまった身体を折れそうな程反らして高い声で啼く。やがて僕の咥内で蜜を弾けさせてしまうと、今度は盛んに下腹を僕の身体に擦り寄せては尾びれを震わせる。その動きは、人魚としての遺伝子に組み込まれた繁殖行動の一つで、彼にも抑える事が出来ないのだろう。

 

「ア・・・・アア・・・ア!・・・アル!アア・・・ッ!」

 

こんな痩せ衰えた痛々しい身体で、僕の楔を打ち込んでほしいと切羽詰まったテレパシーが僕を責めた。今、こんな状態で抱いてしまえば、彼がどうなってしまうのかなんて考えるまでもなく分かった。ただでさえ、ようやっと息をして辛うじて命を繋いでいるのだ。

 

「兄さん・・・・出来ないよ・・・・・そんな事・・・出来ない・・・!」

 

唇を噛んで首を振る僕の頭の後ろに両腕が絡み付き、薄い胸板に引き寄せられた。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

「・・・・めて・・・止めてよ!最期だなんて言っちゃダメだ!僕が何としてでも兄さんを助けるから・・・だから、あきらめちゃだめだ!」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

僕の頬から滑り落ちた涙が、乾いてひび割れた血のように赤い兄の唇に落ちる。

 

兄はもう、覚悟を決めてしまった。このままただはかなくなるのならば、せめて最期に僕に抱かれて逝きたいと言うのだ。

 

「ア・・・・ル・・・・アル・・・・アル・・・・アル・・・フ・・・・お・・・」

 

一生懸命に不自由な舌と唇で僕の名前を紡ぐ兄を抱きしめた。

 

残される者と、愛する者を残して先に逝かなければならない者。はたしてどちらがより苦しいのだろうか。それは分からない。けれど今は、少しでも兄の悲しみを和らげ、幸せなまま逝かせてやることだけが唯一僕に出来る事だった。

 

「兄さん、愛してるよ。もう何も考えなくていい。僕だけ見て、僕だけを感じていて・・・・何も怖がらなくていい。辛いことも、悲しい事も何もないから・・・・」

 

「アル・・・・アル・・・・・アル・・・・アアアアッ!!」

 

粘液を滲ませるそこに熱い切っ先を押し当て、ゆっくりと身を沈めれば、待ち望んでいたものを漸く与えられた身体は一瞬で朱に染まり悦びに打ち震えた。文字通り、水を得た魚のように、愛しい兄の身体が僕の下で泳ぐ。

 

出来るだけ彼に負担を掛けないように、そして出来るだけ彼が苦痛ではなく快感のみを拾えるように、僕は全身全霊で細心の注意を払いながらその穴を穿った。

 

やがてそこが僕をきつく締め付け、波打つように内部が伸縮し始める。間もなく絶頂を迎える兆しだ。

その甘く喘ぐ唇にキスを贈りつつ、テレパシーで愛の言葉を繰り返す。そして僕も共に高みを迎えるべく、動きを早くより深くした。嗚咽を堪え、涙を流しながら。

 

愛してる。愛してる。愛してるよ。

 

「アアアアア・・・・・ッ!!」

 

ひと際高い声を上げた後、彼はもはや自力では動かす事の出来ない身体から力を抜き、濡れた金の睫毛の瞳で僕を見上げた。

僕はもう、これ以上紡げる言葉を持たなかったのだけれど・・・・。

 

「ア・・・ル・・・・・ア・・・ア・・イ・・・・シ、テ・・・・・ル・・・」

 

細く途切れ途切れの呼吸の合間で、彼は最期に初めて耳から聞く愛の言葉を僕にくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日から5年の月日が流れ、僕の生活もまた大きな変化を遂げた。

 

僕は父の遺したデータと自分で研究し取りまとめたデータを元に、ある論文を発表した。

生前父が成しえなかった、人魚という種の存続の為に海洋汚染が及ぼす恐るべき影響を世界中の人に知らしめる事。その遺志を、僕は引き継いだのだ。

勤めていた製薬会社を辞め、大学に入りなおし海洋学を学び、その後大学院に籍を置きながらそれまで殆ど謎に包まれていた人魚の生態に関する研究論文を書いた。

最初は博士号取得の為に書いた、掻い摘んだ要点のみに触れた、ごく短い論文だった。しかしそれが瞬く間に学会で議題として取り上げられるや、一気に海洋汚染というものが世間で多く注目を浴びるようになり、僕は博士号を取得した後、父の遺したデータを父の名で再び論文に起こし発表した。

数年前には全くとりあってもらえなかった父の研究の成果が、今になりようやく実を結んだのだ。しかし、それは遅すぎた。この地球にはもう、人魚という種は存在しないのだ。

 

 

 

 

ふと、キーを打つ手を止め、すっかり疲れてしまった眼を数回瞬きしてから部屋をぐるりと見渡す。論文の見直し作業を始めたのは確か昼過ぎだったが今はもう日が落ちかけて部屋の中は薄暗く、明かりなしには書面の文字を読みとれない程になっていた。余程没頭していたのか、気がつけばこんな時間だ。

やれやれと溜め息をつきながら立ち上がると、すっかり固まってしまった肩を回しながら部屋を出、隣の部屋のドアをノックする。

 

「兄さん、兄さん?開けるよ?」

 

返事が無いのは最初から分かっているから、僕は構わずドアを開ける。

案の定、明かりもつけない薄暗い部屋の隅に、大量の本に埋もれて僕の来訪に気付かないまま無心に頁を繰る人の姿を見つけた。

 

「に! い! さ! ん!!!」

 

「わ!ビックリしたッ!驚かすなよ馬鹿アル!!」

 

床に直接座って本を貪り読んでいた人が、全身で驚きを表現しながら僕を見上げた。

 

金の瞳に、やや色白ではあるが人と同じ色をした肌理の細やかな肌。濡れたようにしっとりと美しい艶を放つ金の髪を後ろで結い上げ、白いシャツと黒いコットンパンツの布地の上からでも分かるほっそりとした手足を持つ人。

 

「部屋に入る前に、いつもの約束通りノックはしました。気づいてもらえなかったんだから仕方ないでしょ?」

 

腕を組んで溜め息をつく僕に、その人は可愛らしい唇を尖らせながら立ち上がると、数冊の本を小脇に抱えて僕を促して部屋を出る。

 

「あ〜・・なんか、超ハラへった・・・・・たまには外に食いに出るか?無性にコッテリしたもんが食いたい気分だな」

 

「人魚が『コッテリしたもんが食いたい』って!それ、可笑しいよね?」

 

「アホウ!大体なぁ?プランクトンを鰓から取り入れて体内でエネルギーに変換させるなんて消極的な栄養摂取の習性なんぞ持ってたから人魚は絶滅したんだっての。やっぱりこの世の法則の王道は、弱肉強食!肉を食うものが生き残るんだぜ!・・・て訳で、焼き肉食いに行くぞアル!」

 

「えええ!?またぁ〜〜ッ!?」

 

 

兄は、あの日確かに身体の全ての生命活動を停止した。

 

けれどそれは一時的な事だった。彼を失い悲しみにくれる僕の目の前で繰り広げられたあの現象は、実際目の当たりにした僕でさえ、未だに夢の中での出来事だったような気がする程だ。

 

 

彼の身体に起きた突然の変調。結論から言えば、それは異常ともいえる猛烈な代謝によるものだった。

 

未だ本当には確信が持てないけれど、僕のこの推測はおよそ外れたものではないはずだ。

 

要因は3つある。

一つは、彼の身体に流れる血の半分が人間のものだったという事。

一つは、彼の身体を人と同じ環境で暮らせるように慣らしていた事。

最後の一つは、僕が彼の体内に幾度となく放った精子がその作用を引き出したらしいという事。

 

 

 

あの時、彼の体内でどんな現象が起こっていたのかは、実はまだ良く分からない。あくまでも推測の域を出ないが、人間の精子に含まれるたんぱく質が腸壁から吸収され、それが彼の体の中にある特殊な物質と結びつくことで何らかの変化が起こったのではないか・・・・と僕は仮定する。

 

つまり、諸々の要因が複合的に作用した事を発端として、彼の身体は通常では考えられない速度で代謝活動を始めていたのだった。人魚から、人間へと変化する為に。

 

その間、絶えず体内で行われる細胞の死滅と再生に、生身の身体が受けるダメージは計り知れない。今にして思えば、彼が無事生還できた確率は1パーセントにも満たないものだったのだ。

けれど、彼は今人間として、僕と共に生きている。

 

 

彼が最近すっかりお気に入りになっている近所の焼き肉店へと歩きながら、僕たちは手を繋ぐ。

 

人と同じ羞恥心を持っていると思いきや、どうやら彼は情緒的な教養度があまり高くないらしいのだ。

だから彼はこんな事をしても人目に触れて恥ずかしいとは思わないから、僕は思う存分いつでも彼を独り占めできるという訳だ。

 

 

いよいよ見慣れた焼肉屋の看板が目に入れば、彼は繋いだ手を大きく前後に振りながら大股で歩を進めた。

 

「そんなに引っ張らなくても焼き肉屋さんは逃げないから!ちょっと落ち着きなさい、兄さん!」

 

「駄目。俺って元人魚だったせいか、欲を抑える為の理性がちっとだけ足りてねぇらしい。肉!肉!肉食うぜ!オラ行くぞ弟!」

 

ガツガツと突進する愛しい人に引きずられながら、僕は笑って言った。言いながら、この後恋人がどんな顔で僕を振り返るのか・・・・そんな期待に胸を膨らませながら。

 

 

「それなら、是非ベッドでもその欲を遠慮なく発揮して欲しいな、兄さん」

 

 

 

 


先日『いろいろ』で突発的にぶちかましてしまった【ぱいんさん祭り】

殆どの人は気付かないかな・・・と発作的に始めてしまったのですが、非常に有難い事に多くの大物萌えクリエイター様がお出で下さり(><ヒイ!スイマセンごめんなさいありがとうございました!!!)

そこでみなもさんが描いて下さった素敵絵に触発され、ドリル放っぽって打ち始めちゃったwwwwww(≧▽≦)だははははwww
※このページの背景が、その絵ですwww

こんな出来でスイマセン。ほんの出来心ですから・・・・・・笑って許して〜!みなもさん!そしてみなもさんFANの皆さん!!><

*****でも、幸せでしたwwwみなもさん、どうもありがとうございましたwww(*^з゚)チュッwww








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