眼鏡萌え









遺伝というのは実に妙で、不条理で、厄介で、そして不公平なものだと思う。選べるものではないが、両親のどちらに似たかったかと問われれば俺は迷わず母を選ぶ。しかし現実は悲しいかな。俺の顔だちは放蕩親父に似てしまい、それでいながら体格は華奢で小柄な母親の遺伝を色濃く受け継いでしまったらしい。さらに良くないことに、どうやら俺の視力の悪さは親父の血に由来しているようだった。
対する弟は、柔和な容貌は母譲りで、がっちりとした逞しい骨格と見事な筋肉は父親似。その上5メートル先の人間の顔を識別するにも不自由している俺とほとんど同じような生活を送ってきたはずなのに、まるで猛禽類のような視力を誇っているのだ。コレを不公平といわずして何と言おうか。
・・・・・・しかし。
職業柄年中細かい文字や数字の羅列を目で追う作業に携わりその上暇さえあれば本を読み耽るような生活を続けているのだから、個人差はあれど所詮生身の人間である以上視力の低下は免れないのだ。つい先日、「僕もとうとう眼鏡を作っちゃったよ」と苦笑しながら弟が言ったのだ。ただ、弟がその眼鏡をかけている姿をまだ見たことはないけれど。









就業時間が過ぎた研究所の廊下は、業務を終え緊張感のない顔をした研究員達で混み合っていた。いつもであればこの帰宅ラッシュをやり過ごしてから空いた頃を見計らってエントランスに向かう俺だが、今日は下手に長居をしていると自業自得の残業に追われている同僚から厄介事を押し付けられそうだった為に早々に研究室を後にしたのだ。
俺は人ごみが好きではない。人間がひしめき合って揺られる満員のバスや、引っ切り無しに他人とぶつかり合わなくてはならない休日のバザールなんて、最悪だ。そしてこの研究所の帰宅ラッシュ時の廊下からエントランスへと続く人の波もまた然り。

常時300人の人間がいるような馬鹿デカイ施設なのに、エントランスが一つしかないというのがこの混雑の最大の原因だ。大体錬金術研究所なんだから、この人ごみの中にだって錬金術師がうじゃうじゃいるだろう。その内の誰かが廊下の壁の一部に扉を錬成したって良さそうなものなのに、そこはやはり良識も分別もある大人だということか。事実俺だってよっぽどしたいが我慢しているのだ。

じりじりしながら人の波に押されるまますり足で進む俺の背中に、むにっと柔らかくて温かいものが体重を乗せてきた。

「きゃ・・・・・ご、ゴメンなさい・・・!」

「あ、いや・・・・」

肩越しに振り返ると、ちょうど目線の高さに艶やかな淡いピンクの唇があって俺はギョっとした。
やべぇ・・・・!この背中に当たってんの、胸じゃん!?
慌てふためいたところで俺にもそして波に押されて身動き取れずにいるその女にも成す術はなく、気まずいままこの混雑が少しでも早く解消されることをただ願うばかりだった。

そうこうしている内に、ますます背中の重みは増し、さらに位置が悪く女の唇が丁度俺の耳の後ろにあって・・・・・・その・・・・・息が・・・・・・息がかかってるんだけど!!!

「ん・・・・・・・・ッ!く・・・・・・・」

ワリぃけどあんた、息しないでくんねぇ?

そんな無体な要望を突きつけるわけにもいかず、ゾワゾワと何かが背筋を這い登る感覚に俺は歯を食いしばった。

誰でもいいから、この状況をどうにかしてくれ!









参ったな・・・・・。

僕は人で溢れかえった大渋滞のど真ん中にいた。
資料室にファイルを戻しに行き、そこでうっかり目を引く文献を見つけてしまったのがまずかった。資料を返してそのまま素直に戻っていれば、今頃自分の研究室で紅茶片手にのんびりと帰り支度をしていられたのに。帰宅する人の波は当然の如くエントランスへと流れていて、けれど僕の進みたい方向は全くの逆方向なのだ。大人気なく周囲の人を力ずくで掻き分ければ進めないこともないが、流石にそれは気がひける。よって結局ど真ん中でこの濁流が静まるのを待っているという次第だ。やれやれとため息を吐き、何気なく周囲に目をやる。

「・・・・・・あれ?」

平均以上に身長のある僕は、周囲の人々より余裕で頭一つ分くらい上からこの状況を見下ろしていた。だから、すぐにそれに気がついたのだ。

見慣れた色合いの金の頭が、人波に埋もれるように見え隠れしている。見紛うはずもない、愛しい人のアンテナが頼りなげに揺れている様子に、僕の頬は緩んだ。いつもならこのラッシュをやり過ごしてのんびりと研究室を後にするはずなのに、さては僕と同じヘマでもやらかしたのかと、ちょっと強引に周囲の流れに逆らいながらゆっくりとそちらへ近づいて行く。しかし兄との距離が縮まる内に、違和感を抱いた。いくら混雑しているとはいえ、兄の背後にいるブルネットの緩いウェーブがかかった髪をした女性が妙に密着しすぎているのだ。・・・・と、その女性をよくよく見れば見覚えがあった僕は思わず舌打ちをした。
その女性の名はグロリア。抜群のスタイルと男好きする容貌や仕草で、気に入った男に片っ端から色仕掛けで近づいてはつまみ食いを繰り返す、あまり性質の良くないタイプの女性だ。かく言う僕も、以前彼女と『お付き合い』した経験があったが、その派手好きで情に欠けた押しの強い性格がどうにも好きになれなかった覚えがある。
どうやら今の彼女のターゲットは兄らしい。どうせこの混雑のどさくさに乗じて何かしらのきっかけを作り、それを足がかりに一気に攻め込もうという稚拙なことでも企んでいるに違いない。兄はといえば、後ろから胸でも押し付けられているんだろう。可哀想なくらいに頬を真っ赤にして大汗をかき、目を周囲に走らせて助けを求めていた。その様子はまるで満員のバスで痴漢にあっている純情可憐な少女のようだ。
いつも隙をみせるなとあれだけ口を酸っぱくして言い聞かせているというのに、言わんこっちゃない。まったく何されてんだこの人は・・・・!
僕はもうなりふり構わず力任せに周囲の人間を掻き分け押しのけ(しかしながら爽やかな笑顔で『失礼』と愛想を振りまくことは怠らなかったが)、兄の元へと一直線に最短距離を急いだ。

 

 








 

それは突然のことだった。

それまで目の前にあった人の壁が急に消え去ったと思った瞬間それと入れ替わるように真っ白な張りのある布地が現れ、上体が傾いだところでつま先を何かにとられて、そのまま目前の木綿と思しき布にタックルをかましていた。強かに鼻を打った痛みに顔をしかめつつも、お陰で背後の強烈な責苦から解放された俺は、その白い布地を纏った人間に向かって無意識に詫びの言葉を口に上らせながら、感謝の意を込めてそいつを見上げた。

「大丈夫?何だってこんな大渋滞にはまりこんでいるの?」

落ちてくる柔らかく暖かな、それでいてどこか腰に響くその声。昼夜問わずいつでも耳にする慣れ親しんだ、その声。

「・・・・ア・・・・・・・ル・・・・?」

俺は嫌というほど見慣れているはずの男を見上げたまま、まるで金縛りにあったように全身を硬直させていた。何故なら弟の顔に、見慣れないものを見つけてしまったから。

「うん。今帰り?こんなラッシュ時に帰宅するなんて珍しいね?折角会えたんだから、このまま僕の研究室に荷物取りに行くのに付き合ってよ、兄さん」

そう言いながら俺の腰に回した手に力を入れて引き寄せる弟の今日の出で立ちは、白いコットンシャツにコーデュロイの黒いスラックスだ。隙なく身だしなみを整えたその長身は、ブラコンの自覚が十二分にある身内の欲目を差し引いても釣りが札束で返ってくる程ケチのつけようがないイイ男っぷりだ。だが問題はそこではなかった。『ソレ』の所為で、いつも通りの弟のはずなのにその弟に対して俺の心臓が常になくその存在を主張し、目は弟の顔に釘付けになり逸らすことすらできないのだった。


何て事だ。

こんな場所で。こんな時に。

何故だ。

信じられない。

・・・・俺の身体はあろうことか、しっかりと反応していた!
俺を正面からピッタリと抱き寄せているんだから弟にも当然俺のソンナ状態が知られてしまっているだろうに、弟はと言えば涼しげな表情でそれまで俺の後ろで身動きが取れなくなっていた気の毒な女に優しく声を掛けていた。「いつもの事ながら酷い混み様ですね。後ろから随分と押されていたようですが大丈夫でした?」なんて具合に・・・だ。
ただ、弟が話している間、周囲の人間たちのざわめきが途切れた事が少々気になったが、弟の腕に抱きこまれその胸に顔を押しつけるようにしていた俺にはソレ以上周囲の様子を窺い知る事は出来なかった。

 

 

 







 

彼女に背を向けている兄には分からなくても、斜め前方やや上の位置から見下ろすとその状況は一目瞭然だった。いたいけな兄は、今まさにとって食われようとしているところだった。混雑しているとはいえ、兄に覆いかぶさるように密着するほど人間の密度が高いわけではないのだ。それをグロリアはわざとらしく胸をせり出し押し付けた上、兄の弱点である耳の後ろに唇を寄せているではないか。フェミニストであるこの僕が女性に殺意を抱くなんて、そうそうあるものではない。グロリアが男だったら肋骨の4〜5本は貰うところだが、ここは周囲の目もあることだしと眼力で心理攻撃するだけにとどめた自分はなんという大人だろうか。

「・・・・・・・・・・・・・・・!?」

しかし、ここで痴女から救出するべく抱き寄せた兄の身体の異変に気付いた瞬間、嫉妬心に火がついてしまった。

性的な嗜好がいたってノーマルな兄は、僕と濃密な肉体関係にある今でさえ女性という存在に度々心惹かれることがあるらしい。健康な若い生身の身体を持つ男の生理から言えば当然のことだというのは、理屈では理解できる。だがしかし、感情の部分で激しく拒絶反応が起きてしまうのもまた致し方ないのだ。だって僕はこれ以上ない程彼だけを愛していて、愛しすぎるあまり、今では例え相手が女性だろうと兄でなければ男として機能しない自分を自覚しているのだから。

兄を小脇に抱えると、抵抗をものともせずに人の濁流から離れ、大股で廊下を移動し階段を一段飛ばしでズンズン上がる。

「オイ待て!荷物取りに行くんじゃなかったのかお前!?ドコ行くつもりだよ!」

 

 






取りに行くはずの荷物が置いてある僕の研究室は4階にある。でも今足早に歩を進めているここは3階の廊下で、兄は行き先が分からず不安になったらしく、抱えられたまま足をばたつかせて可愛い抵抗をしてみせた。

目的の部屋の前まで来ると念のためプレートで未使用なのを確認してからドアを開け、兄を抱えたままするりと中に入る。こっそりとだが、入る際にプレートを『使用中』の面に返しておくのも、そして締めたドアにすかさず鍵をかけるのも僕は忘れなかった。
カビ臭い湿気を帯びたリネン類の匂いに満たされた室内は前の利用者が開け忘れたのかカーテンが引かれたままで薄暗く、遠くの方で人々のざわめきがかすかに聞こえてはくるものの、先ほどの喧騒からすれば同じ建物内とは思えないほどウソのように静かな空間だった。そこでようやっと僕の腕から開放された兄は、目をしばたかせながら首を傾げた。

「え・・・・帰るんじゃねえの、お前?もしかして今日泊まりこみ?」

ここは研究所に設置されている仮眠室だった。この3階は、閲覧頻度の少ない資料の保管庫や研究所に勤務する関係者の為の医局、そして宿泊の為の簡易施設などがあり、あまり多くの人間が立ち入らないフロアだ。築年数はそれなりとはいえ、元々この建物は絶大な権力と潤沢な資金を保有していたかつての軍が建設したものだけあって、こうした仮眠室一つをとってみても、割と大きめの2段ベッドが左右の壁に2台ずつ据え付けられた各部屋には個別にシャワーまでついているなど設備が充実している。

「ううん、帰るけど。ちょっと休憩しようかなぁ・・・と、ね」

にこりと笑いながらまだ状況を掴めていないらしい兄をもう一度抱き寄せる。あわてて腰を引くのも許さずに壁際に追い詰めると、膝を割りながら熱っぽく恋人を見つめた。いくら鈍い兄とはいえ、ここまですれば僕の意図が伝わったのだろう。頬を染め、潤んだ目で酔ったように僕を見返してきて・・・・・・ああ、本当になんて僕の恋人は色っぽいんだろう!
それなのに往生際悪く首をそらして仕掛けようとしたキスから逃れると、腕の中で身を捩っては抵抗をする兄。じらしているとしか思えない。

「アル・・・・・止せ。家、帰ってからにしろってば・・・・!」

「駄目。分かってる?これはお仕置きなんだよ、兄さん。あんな場所で前を元気にしちゃって・・・・・ねぇ?一体何を考えてたの?白状するまで許してあげないから覚悟して」

いや、本当は白状したって許してあげるつもりなど最初からない。グロリアの身体に欲情したことを不可抗力とは思いつつも、そんな理由だけで綺麗に済ませるほど僕は寛容なオトコではないのだ。

「な・・・・にも、考えてねぇ・・・・ッ!ひ、ヤメ・・・・耳・・・・・や・・・!!」

さっき散々痴女から息を吹きかけられて必要以上に敏感になっているだろうウィークポイントに唇でやさしく噛み付くと、膝から力が抜けた身体が壁伝いにずり下がり僕の膝の上に腰掛けるような形になる。細いウエスト部分からシャツを引き抜いて手を差し入れれば、たったそれだけで全身をゾクリと振るわせる様子に、さらに僕は煽られた。壁に押し付けた左ひざの上に乗った兄の腰を強引に引き寄せると、わざとやんわりと服の上からソコに触れながら上を向かせた顔を間近から観察するように見た。

「あ・・・・ヤダ・・・・・見んな・・・!見んじゃねえコンニャロ!」

僕にまじまじと見られている事に気付いた兄は、僕の胸に顔をうずめて小さな身体をさらに丸めて縮こまってしまう。なんて考えなしで可愛らしい反応だろうか。こんな仕草をしたら逆に僕を喜ばせてしまうなんて、この人はこれっぽっちだって考えもしないのだ。


 

 



 

 

俺としたことが、ここが職場だというただそれだけの理由ですっかり油断していた。そうだ。ウチの弟は職場だろうが屋外だろうが関係なく盛るケダモノだということを以前学習したはずなのに、俺ってヤツは・・・・!!!
と、自分を責めてみたところでこの状況がどうにかなる訳でもなく、俺は壁に退路を阻まれたうえに膝に力が入らない為ほぼ弟に身体を預ける状態でいたから、逃げるどころの話じゃなかった。きっとタコみたいに真っ赤になっているだろう顔をまじまじと見られた俺は、恥ずかしくてどうにかなりそうだった。自分のみっともない表情を見られていることは勿論だが、なにより今日は弟の顔を見ていると自分の中の何かが暴走してしまいそうで本気で怖い。かといってひとたびソノ気になった弟の手から逃れることなど到底できるはずもなく、どうせ逃げようったって逃げられねぇんだからと半ば自棄になって弟の胸に額を押し付け思いっきり全身を丸めて最後の抵抗をしてみるだけの自身の非力っぷりには、情けなくて涙がちょちょぎれそうだ。

普段は猫を何枚も被っているけれど実はかなりサディズムな性向を持つ弟は、当然そんな俺に同情して手を緩めたりなんかすることはなく逆に嬉々として意地悪をするのが常で、今回も例に漏れず俺の苦手なアノ声でたたみかけてくる。

「ね、どうして勃っちゃったの?僕に言えない訳でもあるの?素直に白状できないなら、口で言えないくらい恥ずかしいことしちゃおうかなぁ」

「・・・・ッ!!これでも十分恥ずかしいわボケ〜〜〜ッ!!!!」

弟のふざけたセリフに思わずカッとなり弟の胸から顔を上げて叫んだ顎をガッチリ捕らえられた俺は、目を閉じるとか逸らすとかいう選択肢も思い浮かばず馬鹿正直にも弟の顔を間近で凝視してしまった。短く整えられた金の髪と身に纏った白いシャツは清潔そのもので、整った眉の線は顔全体の精悍さをさらに引き立てている。その一方、薄く形のいい唇には堪らない色気があると思う。さらに、いつも優しげな雰囲気をまとう目が、今は獰猛な光を宿して俺に向けられていて、けれどこんな時だというのに今日は知的で怜悧な印象をかもし出している。

 

要するに・・・・・だ。

 

初めて目にするシルバーフレームの眼鏡をかけた弟の姿に、俺は不覚にもすっかり参ってしまったのだ。

「うあ・・・・・・・」

一気に血液が上り、心拍数は異常に上昇し、顔は火を吹きそうに熱く、腰から力が抜けた。それから・・・・・。

「あ、また大きくなった。なんで?」

そんなの知るか!こっちが聞きてぇよ!!

「さっきの胸の感触でも思い出しちゃったのかな・・・・浮気性な兄さんに意地悪してもいい?」

「は?胸・・・・?なんでここで胸の話になるんだよ?」

「だって、グロリアに胸を押し付けられて勃っちゃったんでしょう」

「グロリアっていうのか、さっきの女・・・・・・・じゃなくて!お前ぜってー誤解してる!俺がこうなったのはおっぱいの所為じゃねえ!これはだな・・・」

弟の凶行の原因に思い至った俺は誤解を解くべく声をあげたものの、ハタと口を閉じた。だって一体何と言えばいいんだ?お前の眼鏡かけた顔があまりにもカッコ良くて兄ちゃん思わず勃っちゃいましたとでも?

「・・・そんなサルみたいなコト・・・・・・言えねぇ・・・・」

「ふぅん。言えないんだ?お仕置き決定だね」

「待て待て待て待て〜!はやまるな!違うんだって!あのオンナの所為でこうなったんじゃないことだけは確かなんだよ!」

「じゃあどのオンナの所為でこうなったのか言ってみな!」

もの凄い剣幕の弟にさらに強く顎をつかまれた俺は、たじたじとなりながら何とか言い訳が出来ないものかと口ごもる。

「だから、オンナじゃ・・・ねぇって・・・」

しどろもどろの俺の言葉に、弟の眉尻が釣りあがる。


「オトコか!?クソッ!!なお悪い!!」

アル・・・・・アル・・・・・アルフォンス・・・・・すでに口調がいつもと違うぞ。内心では妙に冷静なツッコミを入れていても実際の俺はといえば、まるで人形のように弟のなすがままだった。

 

 








 

後から思えば、その時の僕は自分が思っていた以上に頭に血が上って我を失っていたようだ。
ここが鍵を掛けた仮眠室だとはいえ、職場の建物の中だということ。そしてこの建物全ての壁が砲弾の直撃を踏まえて頑丈に作られているのに反し建具の造りはあきれるほど適当な為、まるでオルゴールのように室内で反響した音が外部に筒抜けだという事も全て・・・・・思考から、キレイさっぱり飛んでいた。常々自分は嫉妬深い性格だと自覚してはいたが、流石にここまでとは知らなかった。

「待て」とか「誤解だ」とか、しまいには「いい加減にしねぇと家出してやる」なんて子供じみた叫び声を上げる兄を肩に担ぎあげると、ベッドへ向かいながら通りすがりの窓のカーテンを開けていく。勿論、兄が恥ずかしがる様を堪能するために、だ。

他のベッドにあった枕をいくつか取り、それをベッドの周囲の露出した支柱周辺に適当に投げておいてから、最後に兄を投げ下ろす。沢山の枕に埋もれて態勢を上手く直せないでいるところにすかさず覆いかぶさり、まずは存分に甘ったるいキスをした。始めの内は良かったが、次第に激しく深いキスになるにしたがって外し忘れていた眼鏡が邪魔になった僕は、一度唇を離してフレームに手を掛けたのだが・・・・・。

「・・・・・兄さん、この手は一体何?」

「う・・・・あ・・・・その・・・・いや、だから・・・」

僕の下で居心地悪そうに視線をオロオロと泳がせながらもがっちりと僕の手を掴んで離してくれない兄を不思議な気持ちで見下ろした。

「まあ、どうでもいいからとにかくこの手を離してくれないかな?メガネ外したいんだけ・・・・」

「外すな!いいからかけとけ!そのままでいろ!いや、いてくれ頼むから・・・・!!!」

「はぁ?」

ついさっきまで抵抗していた兄が今度はその態度をガラリと豹変させ、僕の顔を熱っぽく潤んだ目で見上げてくる。いつもの事ながら、この人の行動は理解に苦しむ。兄の意味不明な行動に気が削がれたせいで怒りのボルテージがかなり下降していた僕は、兄の両脇に肘をつくと改めて至近距離からその表情を覗き見た。

「あ・・・・・・うあ・・・・・アルゥ・・・・ッ!」

何もしていないのに、この恍惚とした表情はなんなのだろう。そして僕の下腹部にあたっている恋人のアノ部分が異常なほど自己主張をしている。さては、さっきの混乱でグロリアに妙な薬でも仕込まれたのだろうか?身体全体で押さえつけられている兄は涙目で、もじもじと僕の下で身じろぎをしながらしきりに首を振っていた。

「兄さん?ホント、今日はどうしたの?もしかして具合が悪かったりする?」

「・・・・・・・・アル・・・・・アッ・・・・く・・・・ウ・・・!」

汗だくになった額に張り付く乱れた前髪をかきあげてやりながら掌で体温をみると、大げさに全身を震わせて悲鳴を噛み殺しているようだ。その姿があまりにも扇情的で思わず行儀悪くも生唾を飲み込んでいると、吐息交じりの甘く掠れた声がうわ言のように何事かを呟いていた。

「・・・・・・・・・・・・?」

「アル、アル・・・・・・・お前、ヤバすぎ・・・・マジカッコ良すぎ・・・」

「・・・・・・・え?」

「・・・見てるだけで、腰・・・抜けちまう・・・・・・俺の弟ヤベェ・・・・こんなカッコ良くてどうしよう。にいちゃん・・・・もう、メロメロだ・・・・!」

「・・・・・・って・・・・・え?兄さん?」

「・・・・ん!!動くな・・・・イ・・・・アアアアッ・・・・・!!」

常軌を逸した様子に慌てた僕が身を起こした瞬間、信じられない事が起こった。僕の身体の下で兄の熱を持った身体が陸に打ち揚げられた魚のように跳ねた後、やがて弛緩した。


「・・・・・ウソ。もしかして・・・イっちゃった?」

 

どうやら僕が身を起こして動いた際のわずかな刺激だけで達してしまったようで、ぐったりと目を閉じた兄からは返事がない。

なんということだ。まだ何もさせてもらえない内に、恋人はひとり勝手に昇天して夢の中へと逃げ込んでしまったのだ。

「つまり兄さんにとって眼鏡をかけた僕は、『猫にマタタビ』とか、そういう効果があるって事?」

これまでは念を入れたキスや愛撫を散々駆使してようやく得る事ができたあの表情を、よもやこんな簡単な方法でしかも一瞬にして手に入れられるなんてと、僕の心境は複雑だった。が、やはり素直に喜びの方が格段に大きい。女性ではなく、ましてや他のオトコでもなく、他でもない僕という存在に腰が抜けてしまうほど魅了されていたなんて、これを喜ばずにいられようか。先ほどまでの嫉妬に怒り狂っていた自分など彼方遠くの記憶へと追いやり、自分が可愛く思えてしまうほどゲンキンに僕の心は虹色の幸福感で満ち溢れていた。


穏やかな表情で眠る兄を大事にそっと背に担ぎ仮眠室のドアを開けると、すっかり静まり返った廊下に足を踏み出す。帰って目覚めたら、兄はきっと今日の自分を恥ずかしがって家のどこかに逃げ込んでしまおうとするに違いない。だから僕は彼をからかったりせずに掴まえて、兄の為にとしまっておいたとっておきのバスキューブを入れたお風呂に二人でゆっくり入って、兄の大好きなシチューを作ってあげよう。そんな計画をたてながら、のんびりと家路を辿った。

 

 









そして

この下にもの凄い展示物が・・・・・!!!!








突然なんの前触れもなくやって来た怒涛の眼鏡萌えw
ひとりで盛りあがっていたら、なんと染さんが絵を描いて下さいました。
ガ━━ΣΣ(゚Д゚;)━━ン
しかもただの絵じゃないんだ。漫画なんだ!!!このアルのカッコよさったらないですよね!そして兄さんも何て可愛いんでしょうか。幸せ過ぎるゥゥゥ・・・・(*´д`*)ハァハァも・・・・悶えるw
染さんありがとうございました<(_ _)>






サークルにくきゅうぽむさんの絵師さんとしても活躍中の染様の素敵なイラストや漫画を楽しめるサイト
Hakka Sherbetさんへ是非行ってみてください〜wホント悶えて狂います。


(ちなみに漫画の中のアルのセリフは染さんのオリジナルなんですが、
とってもこのシーンにピッタリだったので文中で使わせて頂きましたw)



 ≪おまけ≫








「兄さん、目が覚めた?」

 

「んあ・・・?」

 

旨そうな匂いに鼻腔を刺激されて目を開けると、目に入ったのは見慣れたリビングのローテーブルだった。帰宅してそのままソファで寝入ってしまったのかと考えたところで、自分がどのようにして帰ってきたのか記憶がないことに気付いた。

 

「俺、どうやって帰ってきたんだっけか・・・・・あれ?」

 

何故だか頭がぼんやりとして記憶を辿ろうにも集中できない。この倦怠感は一体どうしたことかと身体を横たえたまま呆けている俺の目の前に、弟の白いシャツの胸元が現れる。さっきは一番上だけだったのが今は半分ほどまでボタンが外されていて、大きくはだけたシャツの隙間から男らしく引き締まった胸や腹の筋肉が見え隠れしている・・・・・・ん?さっき?そこにきて漸く俺の脳みそは起動した。

 

「うわッうわッうわぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」

 

鮮明に蘇る先ほどの恥ずかしい自分の失態に、俺は頭を抱えて悲鳴を上げた。俺のコレまでの人生で、ここまで恥ずかしい経験があっただろうか。いや、あろう筈がない。恥ずかしくて恥ずかしくて、恥ずかしさのあまり今にも死んでしまいそうだ。

 

「にいさんにいさん、そんなに掻き毟ったら髪が痛むからやめて。ほら、ひとまずお風呂に入ろうか?チェルニーからエクサンドル土産に貰った王室御用達のブランドのバスキューブを入れてみたんだよ。にいさん、ずっと使いたがってたでしょ」

 

そんな甘ったるい弟の囁き声も、ただ俺の耳朶をかすめていくだけだ。両腕で頭を抱え込みアルマジロのように身体を丸くして、俺は自分が貝になったと思い込むことにした。それ以外にこの恥ずかしさをやり過ごす方法を思いつかなかったのだ。

 

「ねえ、顔をあげてコッチ見て。そんなに恥ずかしがらなくてもいいよ。だって考えてもみてよ。僕なんて、一時自分の記憶のほとんどが兄さんに流れ込んじゃってたんだよ?お陰で本来隠しておきたい何もかも全てが兄さんに筒抜け。ね?これだって相当恥ずかしいことだと思わない?」

 

そういえば、そんなこともあったのだった。確かに弟の言うとおり、自分の記憶が他人の中に入ってしまう現象だって、かなり恥ずかしいことだ。それでも弟は、こうして平然と俺と共に暮らしている。・・・・・・・なんて面の皮の厚いヤツだろう。俺なら絶対耐えられん。

 

「お墓まで持っていくはずの秘密だったのに、兄さんでこっそり抜いてたのがバレちゃった。ああ恥ずかしい」

 

「黙れ〜〜〜ッ!!この破廉恥野郎!!」

 

しゃあしゃあととんでもないセリフを言うから、懸命に貝になりきろうとしていたことなどすっかり忘れた俺は、固めた拳を闇雲に振り回した。弟は涼しい顔で俺の手を捕まえると、してやったりと白い歯を見せてそれはそれは嬉しそうに笑う。しまった、弟の作戦勝ちだ。

 

「さ、お風呂に入ってサッパリしたら、シチューが出来てるよ。早く入っておいで」

 

爽やかでどこから見ても清潔そうな笑顔を向けられてしまえば、これ以上ウジウジ気にしている方が余程恥ずかしい。俺の気分を強制的に切り替える為に爆弾発言をかましてくれた弟に感謝しつつ、言われるまま素直にバスルームへと足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

バスルームへと消えた兄を見送った僕は、シチューの味見をしながらコッソリ微笑んだ。本当は一緒に入るつもりだったけれど、兄を下手に警戒させたくなかったから予定を変更したのだ。

 

「本当のお楽しみは、最後にとっておかなくてはね」

 

テーブルの上に食器を並べながら、胸のポケットにかけていた眼鏡を指先で取り上げた。今夜は、兄が目を覚ましている間はずっと眼鏡をかけているつもりだ。まずは、バスルームから戻ってきた兄がどんな反応を示してくれるのかが楽しみだ。ワインでも飲みながら、ゆっくり待つことにしようかな。

 









こんどこそ(笑)終わり

 

 

 
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