兄弟ガチンコ勝負ネタ














そもそもの発端は、かつての兄の恋人であり、現在は実の兄弟で結ばれてしまった僕達ふたりの良き理解者であり親友でもある、マイラー・フォーグル女史の一言だった。

 「アルフォンスは旦那持ちの身なのに、相変わらず言い寄られる事が多いよねぇ。旦那の方はそうでもないのにどうしてだろ?やっぱりアルフォンスはいかにも浮気しそうに見えるのかね?」



 マイラーも僕も兄も、三人ともがこの研究所内での勤務だとはいえ、所属している部署はそれぞれ違う。ところが今日は三人揃って休憩時間が同じだけ遅れ、ランチには遅くおやつの時間にはやや早い中途半端な時間の為に閑散としている研究所内の喫茶室で偶然行き会ったのだ。
 件のセリフが飛び出したのは、三人で窓際の大きなコーナーテーブルを貸し切り状態で陣取り、兄お気に入りのチーズハンバーグ&フィッシュフライ定食に取り掛かっている最中だった。

 「マイラー・・何?僕と兄さんの間に波風立てるような発言は止めて貰いたいな。君、もしかして恋人と上手くいってないとか?」

 「お生憎サマ、心配には及びません。彼とは至って順調。もう春まっただ中よ。これは単に、純粋な疑問ってやつよ。何故アルフォンスばかりに雌猫共が誘惑しようとこぞって群がるのか・・・?」

 手を止めずに黙々と食事を続けている兄を横目に見れば、眉間に皺が寄っている。これは良くない兆候だ。
 マイラーは兄にとっても僕にとっても大切な親友だし、心強い理解者であり頼りがいのある協力者だ。しかし恋人と喧嘩をすると、その憂さを、僕達をつつく事で晴らそうとするのが困りどころなのだった。

「マイラー。いい加減にしないと温厚な僕でも怒るよ?恋人と何かすれ違いがあって悩んでるならいくらだって相談に乗るし。だから、ヘンなちょっかい出すのは止めて欲しいな」

 少々きつい口調になってしまった僕に、マイラーは一瞬目を見開き、そして直ぐに肩をすくめて笑った。

 「・・・悪かったよ、アルフォンス。ちょっと虫の居所悪くてさ、君達があまりに幸せそうだから妬ましいんだわね、私は」

 あっさりと自分の非を認めてすんなりと詫びる潔さは彼女の美点だ。悪びれず笑顔を向けられて、僕も表情を緩めた。ところがだ。

 「そういや、マイラーの言う通りだ。なんでだ?オレだってこう言っちゃなんだがそれなりの筈じゃね?天才だし高収入だし、過去のものとはいえネームバリューだってある。それに見てくれだってきっとそんなには悪くねぇ・・・筈だ・・・多分。うぬう・・・何がいけないんだ・・・・?弟ばかりが何故モテる?」

ダイナミックにカットしたチーズハンバーグを頬張りながら兄が唸った。ああ、ワイシャツの胸元にソース垂らして!だから兄には白いシャツを着せたくないんだ僕は。

 「兄さんだって結構人気あるじゃないか。それに僕達は結ばれてるんだよ?そういう意味での人気があったってしょうがないでしょう?」

 兄の胸元をコップの水で濡らしたハンカチで拭っていると、その腕をガシリと掴まれた。
 
 「それはな、モテる奴だからこそ言えるセリフなんだぜ、アル。人気があったってしょうがないだと?おお、その通りよ。女に人気があったところでハラが膨れる訳じゃなし、何の足しにもならねぇけどな、これはある意味男っぷりを測るバロメーターって事じゃねえか?ああ?」

 「・・・・なんでいきなり喧嘩腰なんだよ。胸倉つかむのも止めない?食事中だし」

 どうやら兄は、僕が女性にちやほやされている事に妬いている訳ではなく、ただ単に幼い頃から未だに持ち続けている僕に対する対抗意識を燃やしているだけのようだった。
 言えばこの活火山がますます活性化してしまうだけだから口にはしないが、僕は日々あの手この手で言い寄ってくる女性達には心底辟易していた。
 兄弟でありながら夫婦のような関係であるという本来であれば隠匿すべきタブーな事情は、あり得ない事に広く知れ渡っていて、僕と兄の仲はこの職場でさえもいわば公認されているに等しい状況だ。それなのに、多くの女性達は懲りもせずに僕を振り向かせようと遠慮手加減なく纏わり付いて来る。だがしかし、それは僕に限った事ではないのだ。
兄も僕同様・・・・いや、それ以上に女性達から、そして男共からも絶大な人気があり、度々アプローチを受けている姿を目にする事がある。しかし兄は、素晴らしく天才的なまでに鈍感だった。
相当直接的な分かりやすいアプローチを受けておきながら、相手の意図に全く気付かないのだ。そして、自分はそれほどモテないのだ・・・などと本気で思っているのだった。
僕としては好都合だったから、あえて気付かせる必要もないし知らない振りを決め込んでいたのだけど・・・・。

 自分の皿を平らげ、ついでに伸ばしたフォークで僕の皿から一番大きなハンバーグの切れ端をかっさらって頬張ると、兄は咀嚼しながら立ちあがり、僕に指を突き付けた。

 「モゴ、ムググォンウ・・・・・ッ!」

 「待って待って!駄目だよ、まだ喋らないで。口に入れたものはちゃんと噛んで、全部飲みこんで・・・・そうそう。はい、お水。ほら、口もちゃんと拭いて」

 20代も後半のいい大人である兄をまるで三歳児並みに扱う僕と、そう扱われても当然のように面倒を見て貰う兄。そんな僕達を前にしても今更動じないマイラーに、「それで?」と先を促され、兄はいつもの如く仁王立ちで言い放った。

 「アルフォンスよ!これは男として・・・・兄として、まっこと由々しき事態である!兄たるもの、常に先に立ち、後に続く弟に然るべき道を示さねばならんのだ!」

 「・・・・なんだよその口調。いいから普通に喋りなよ、兄さん。それに兄さんが男気溢れるカッコイイ人だって事くらい僕は十分すぎるほど分かってるよ。昔も今もかわらず、いつだって兄さんは僕の羨望の対象で人生の道標だよ」

 興奮すると妙に演技掛かる兄の妙な癖を、僕はひそかに愛しているのだが、放っておくと際限なくエスカレートする傾向があるので、ここは場所柄も考え一応窘めてみる。しかし兄は、大抵周囲の提言に聞く耳を持たない。そのまま鼻息荒く「かくなる上は」と拳を振り上げた。
 
 「弟よ、コレは勝負だ!」

 「は?何?勝負なんて僕はしたくないよ。大体チームで取り組んでるプロジェクトだってやっと骨子が組み上がってきたかなぁって時なのに、今の僕にそんな余裕は無・・・」

 無駄だろうと思いつつも口にした言葉は予想通り無視された。

 「マイラー!丁度来月の14日にチャラチャラしたイベントがあったろう?バレテンだかハガレンだか・・・・なんつったか・・・えーと」
 
 「ああ。バレンタインデーね?」

 「ソレだ、ソレ!それで貰うパンケーキの数で勝敗を競うんだ!」

 「パンケーキじゃなくチョコレートだから、エド」

 「ええい!とにかくだ!その日に、より多くチョコレートを貰った者が王者だ!」

 「王者・・・・・エドワード、何か趣旨が微妙にずれてる気がするけど・・・・まぁいいか」

 僕の言葉などお構い無いしに兄とマイラーのやり取りが交わされ、勝負を辞退する機会を逸してしまった。

 「おっし。こうなったらオレは今まで以上にオトコを磨くぜ!勝利を手にした暁には、アルから羨望の眼差しをこれでもかと向けられるんだぜ・・・・フッフッフ。こうしちゃいられん!ごっそさん。俺、先に仕事に戻るな!」

 「私も、やらなきゃならん事が沢山できちゃったからコーヒーは後でにしよっと。また所長に袖の下握らせてトトカルチョ開催の公示も出さないと!今回もガッポリ儲かりそう・・・・ふふふ。アルフォンス、お先~」

 だだっ広いテーブルにひとり残された僕は、すっかり冷めてしまったハンバーグをモグモグとやり、まだ大半が残っている自分の皿を見下ろして溜め息をついた。
 
 「・・・・あのふたり、食事の間中あれだけ喋りまくっておきながら、どうして綺麗に平らげてるんだ・・・・?」









 その日の夜。
 主任を務める研究チームの作業が忙しくすっかり帰宅が遅くなってしまった僕を出迎えてくれた兄を見た途端、度肝を抜かれた。

 「お?中々いいリアクションじゃねぇか、アル。ふふ~ん。そーかそーか、兄ちゃんがあんまり男前なんで腰が抜けちまったのか?そんなトコにへたり込んでねぇで、早く飯食えー。時間遅いからリゾットにしてみたぜ」

 僕の反応にホクホクと上機嫌になった兄の後ろ姿が、足取り軽くキッチンへと消える。玄関に取り残された僕は不覚にも暫し茫然としてしまったが、ややして気を取り直すと、ここにはいない人間に恨み言を零した。

 「・・・・・マイラーか・・・・?マイラーの仕業だな?何てことしてくれてんだよ・・・・!」

 廊下をずんずん進みながらコートを脱ぎ、ジャケットから腕を抜き、ネクタイを緩め、袖のボタンを外した。兄の居るキッチンへ入るとそのまま真っ直ぐ水道へ行き、うがいをして手を洗い、振り向きざま僕の為に料理を温め直してくれている無防備な後ろ姿にむしゃぶりついた。

 「ウヒャ・・・!な、なにしやがる馬鹿野郎!あぶねぇだろ・・・・て、ウアッ!ちょ・・・・な・・・・・!?」

 「そんなに美味しそうな格好をしてる兄さんが悪い。忙しくてお茶を飲む時間もなくて、昼間喫茶室で食事をしてから何も口に入れてないから飢えて危険な状態なんだよ、僕」

 シャツの隙間から差し入れた掌で魅惑的なラインを持つ手触りの良い肌を辿り、腰を強く掴んでいたもう一方の手はそのまま下へと進み、タイトな黒いパンツの内腿のきわどい場所を陥落するべく容赦ない進撃を開始した。
 手にしたレードルと皿を置けばいいのにそんな事にも思い至れないらしい兄は、塞がった両手でロクな抵抗も出来ずただ腕の中で切なそうにその身を捩らせるから、僕の欲望の火に油を注いでしまう結果になった。
 
 「おま・・・・・ハラ減ってんじゃ、なかったのか・・・・・バカ!マジ止めろっ・・・ァ・・・ッ!」

 兄の『スイッチ』である項を甘噛みし、抵抗が弱まった隙をついて両手から邪魔な食器を取り上げてしまうと、そのまま力任せに抱きあげた。とりあえずの行き先は、リビングのソファだ。
 
 「減ってるよ・・・・・でも、ごめんね兄さん。知ってると思うけど、僕って食欲より性欲の方が強い人間なんだ。一週間位食べなくても全然平気だけど、三日間兄さんを抱けなかったらきっと倒れちゃう」

 「んな訳あるかボケッ!!ふざけてないで飯食ってとっとと寝ちまえ!」

 「それは無理。身体がその気になっちゃった。兄さんがそういうふうにしちゃったんだからしっかり責任とってよ、男でしょ?」

 「はぁ!?」

 分かっていない兄を少々乱暴にソファへと下ろして抑え込み、改めてその姿をまじまじと見下ろした僕は、マイラーの仕事ぶりに舌打ちした。
 クソ・・・・マイラー、なんて完璧ないい仕事をするんだ君って奴は!この世に、この人の魅力を知りつくしてそれを存分に発揮する見せ方を心得ている人間が僕以外にもいようとは・・・・!
 僕はたまらずまくし立てた。

 「あのねぇ・・・・まずは、その髪。わざと緩やかに編んだほどけそうな三つ編みは何?解れ毛が男の劣情を誘うんだよ!次にその白いシャツ。それ僕のだろ?どうしてわざわざ大きめのシャツを着てボタンを胸の下まで外してるの?猥褻にも程がある!細身の黒いパンツだって、腰回りのラインをやたら強調して危険だからわざわざクロゼットの一番奥にしまっておいたのに・・・・・もう、その細っこい腰を見てムラムラ来ない男なんていないんだからね!それに眉毛まで整えられちゃって、唇にも何かツヤツヤするの塗られたでしょう?・・・ああっ!?僕が折角三日に一度剃るのを楽しみにしている髭と呼ぶには可愛すぎる産毛まで綺麗さっぱり・・・!!なんなんだよもう!ただでさえ匂い立つような美貌なんだから、そんな手入れまでしなくていいんだよ!!そうでなくても性質の悪い害虫が群がってくるから僕が虫除けになるべくフェロモン全開で頑張ってるのに・・・・・・・あ」

 エキサイトし過ぎて、僕とした事が重大な失言をやらかしてしまった。途端に形勢は逆転。
 鈍感な兄は、殊僕に関する事にだけは異様に敏感で鋭いのだ。はたして、僕の言葉の意味するところを読みとった兄はガバリと身を起して掴みかかかってきた。そしておもむろに、静かな口調で僕を詰り始めた。

 「そうか・・・・良く分かった。俺がお前よりモテないのは、俺に寄ってくる女どもをお前が横から誘惑していたからだったんだな?・・・・弟よ、お前のモテモテウハウハアルフォンス王国建国の夢がまだ続いていたとは知らなかったぜ・・・」

 「・・・・・・・・ん?え、いや・・・・ちょ・・・・それ違・・・・ッ」

 兄がとんでもない勘違いをしていると知って慌てたが、暴走を始めてしまった兄を前に打てる手立ては残されていなかった。言い訳しようにもこの状態の兄に何を言っても聞き入れてくれないだろうから、今はただ理不尽な嵐に身を委ね、じっと過ぎ去るのを待つばかりだ。

 結局その日、臨戦態勢になってしまった身体を持て余した僕は、大人しく首を締めあげられながら、最愛の人の魅惑的な唇から紡がれる花のような罵詈雑言に耳を傾ける切ない夜を過ごしたのだった。


 

 翌朝になり、冷静さを取り戻した兄にようやく言い訳をし、僕がいつでもフェロモン全開にしているのは自分が女性からちやほやされたいが為ではなく兄の身の安全の為であるのだと理解してもらったのだが、『エルリック兄弟どちらが男前!?ガチンコ勝負(兄命名)』は当初の予定通り敢行されてしまうらしかった。

 兄は身だしなみに殆ど気を配らない人だ。放っておけば、口の周りにパン屑をつけたまま平気で出勤しようとする程、とにかく鏡で自分の顔を見る事をしないのだ。ところが、今朝はどうだろう。
 髭を剃る僕の隣で念入りに歯を磨き、仕上げにフロスまで使い、いつもは僕まかせの髪も自分で解かして緩目の三つ編みに結い、着ているシャツだって僕に言われてもいないのにちゃんと洗濯した綺麗なものだ。裾はきちんとズボンのウエストにおさまっているし、靴も汚れなどなくピカピカだ。どうしてこんなにヤル気満々なんだろうか。

 「兄さん、今日は研究室に来客の予定でもあるの?年中同じヨレヨレのジャケットで、たまにトイレスリッパのまま仕事に行っちゃう日だってあるくらいなのに、今日はネクタイまで締めちゃって・・・・・」

 「別に予定はいつもどおりだ、なんもねぇ。ただ、デキるカッコイイ男は身だしなみが大事だからな。どうよ、お前の兄ちゃんの男っぷりは?」

 「・・・・うん、カッコイイよ・・・・でも、薔薇を咥えるのはちょっとやり過ぎかな。『エドワァド様ぁぁぁぁ』ってハート付きで叫びたくなるから止めて」

 キラリと笑う兄の口から取り上げた薔薇の花を洗面台の一輪挿しに戻し、ガックリと肩を落とした。
 いくらなんでも悪乗りが過ぎやしないだろうか?お祭り好きなマイラーや研究所の職員達にすっかり感化されてしまった兄が楽しそうなのはいい事だが、こうして兄の魅力を余すところなく引き出して大衆の目前に晒す行為は危険な気がする。以前『エドワードエルリックの遺伝子を後世に残す会』という物騒なグループまで出現した事例もあるのだ。悪い事態を想定すれば枚挙に遑がないが、僕が一番懸念するのは、兄の人気が一挙に沸騰した結果『配偶者』の位置付けにある僕を排除しようとする人間が出てくるのでは・・・という事だ。僕に寄ってくるのは大抵女性ばかりだが、兄は老若男女問わず誰からも好かれる。つまり、敵となる恐れのある対象の幅が広すぎてやっかいなのだ。勿論そんな横やりに僕と兄の間が揺らぐ事は万が一にもありえないけれど、一日の時間の大半を過ごす職場でそんな面白くない事態に遭遇するのは極力避けたいところだ。
 とはいえ兄本人がこうして乗り気である以上、僕に出来る事は限られている。
 きっと周囲から今まで以上に人気を集めてしまうだろう兄に釣り合うだけの男として周囲を納得させる・・・・おそらくそれが一番いい方法だ。よって、僕もこの勝負に前向きに挑む決心をした。

 「でもね兄さん、僕だってそのカッコイイ兄さんの弟だって事を忘れてもらっちゃ困る」

 手櫛で髪を整えながらの僕の言葉に、兄は面白そうに目を向けてきた。

 「この勝負、全力で挑ませて貰うから、覚悟しておいてよね?」
 
 「こっちだって負けねぇぞ?俺様の魅力でお前もメロメロにしてやるぜ」
 
 その強気で妖艶な笑みに既にメロメロな僕だったが、余裕の表情を取り繕ってその場を離れざま兄のこめかみにチュっと派手な音を立ててキスしてあげた。






 
 その日から僕達二人は毎朝鏡の前で念入りに身支度をし、気合いの入った姿で職場へ出向くという些か滑稽で面倒な日常を送っていた。
 僕は元々あまり砕けた服装はしないのだけれど、それでもドレスコードに引っかかるような服しか持っていない兄と一緒に暮らしている所為か、最近身形に緩みが出ている気がしないでもない。きっちりプレスされた清潔なシャツとズボン、それにネクタイを締めた姿の兄に合わせて、僕も全身を隙なく固めて家を出る。

 周囲の態度は直ぐに変化した。但し、兄に対しての・・・・だ。
 繊細な容貌を台無しにするガサツでダイナミックな言動に、御世辞にも気を使っているとは言い難い身だしなみの兄は、それが逆に親しみやすさを抱かせるのか誰からも気軽に声をかけられる存在だった。ところがこうして髪のひと房や爪先にまで気を配った完璧な服装で、その物腰まで丁寧にしてしまうと、途端に周囲の態度が豹変するのだ。同性からはまるで高貴な人物を敬うような扱いを受け、女性からは見るからに熱のこもった熱い眼差しを注がれる。
 恐らく兄のバックにはマイラーと、そして過去『エドワードエルリックの遺伝子を後世に残す会』と名乗っていたが現在は改心して『エドワードエルリックの貞操を守る会』に生まれ変わったグループのメンバーが控えているに違いない。身だしなみに無頓着でセンスもいまいちな兄だが、強力な助っ人が付いた事で本来持っていた美しさを存分に発揮できるという訳だ。実際就業後に様々なレクチャーを受けて帰宅する兄の姿を見る度、惚れた欲目を差し引いても魅力的過ぎる彼に何度襲いかかりそうになった事か分からない。

 危険だ・・・・・危険過ぎる・・・・!これではいつ誰に襲われてもおかしくはない。勝負の日までは残すところ一週間だ。
 しかし、今更勝負を反故にする事など出来ないし・・・・。
 僕は、頭を抱えた。



 翌日の午後、休憩室でコーヒーを啜りながら、僕は再び作戦を練った。
 今のところ、勝負は互角よりやや僕の劣勢に寄っていると見る。あの窮屈な事が大嫌いな兄が、こんな生活を続けていられるのはまったく誤算だった。本人はストレスを感じるどころかこの状況を楽しんですらいる様子だから、恐らくリタイアせずに勝負の日まで『王子風エドワード様』でいつづけるに違いない。
 対して僕は、特にイメージチェンジをした訳ではない。元々の王子様キャラを少しグレードアップさせただけに過ぎず、見る者にとっては新鮮味に欠け兄と比べるまでもなくインパクトが決定的に足りない。
このまま行けば、勝負の行方は明らかだ。もし僕が負ける・・・・・それも大差で敗れる事になれば、兄に相応しい人間でないとみなされ、つまらない邪魔が入る可能性が出てくる。いや、もっと悪く考えるならば、このどこから見ても美しく魅力に溢れたフェロモン駄々漏れの兄を我がものにしようと不埒な行動に出る不届きな輩が現れる恐れも十分考えられる。このまま手をこまねいていれば、事態は良くない方向へと転がるばかりだ。僕は暫し思案した。
 そして浮かんだ、ひとつのアイディア。
 
 「・・・・・う~ん。ちょっとあまり気が乗らないけど・・・この手で行くか。これならもし僕が負けたとしても、兄さんに悪さしようとする人間は出ないだろうし」
 
 僕の目的は、勝負に勝つ事ではない。いかにして自分達の関係とそして兄の身の安全を守るか、これに尽きるのだ。多くの人間の心を掴まなくてはならない兄に対し、僕は目的が明確でシンプルな分だけ、多少捨て身になれるくらいには自由度が高いといえた。

 「そうと決まれば、色々調達しなきゃいけないものが沢山あるなぁ・・・・とりあえずあの人に相談してみようかな」

 まだ大分休憩時間を残していたけれど、旧知の仲であるヘビースモーカーの友人に電話をかける為、席を立った。




 






 兄の口から言うのもなんだが、俺の弟は大変出来がよろしい。
 頭脳明晰で錬金術の才能もさることながら人一倍の負けず嫌いだけに相当な努力家で、母譲りの優しげな容姿に精悍な大人の男の魅力も加わり言う事なしだから女からの誘いは引く手数多だ。体格にも恵まれ、体術のセンスに関しては俺の遥か上を行く。物腰は穏やかで品が良く、性格は細やかで優しく、よって人望も厚い。
 
 ・・・・やべぇ。カンペキ過ぎるぜ俺の弟・・・!

 いや、だがしかし、変態の域に達しそうな度の過ぎたブラコンという痛い欠点があるが、弟好きが高じた結果(かどうかは知らないが)兄弟で夫婦みたいな関係になっちまってるあたりで、俺も弟の事は言えないのだった。
 とにかく、殆ど非の打ちどころのない弟だが、この俺との関係が、それら全ての長所からかなりのポイントを減算されてしまうのが実に惜しいところだ。
 
 さて、ちょっとした話のきっかけで、俺と弟は現在勝負の真っただ中にある。その勝負とは名付けて『エルリック兄弟どちらが男前!?ガチンコ勝負』だ。
 要するに、弟と俺、どちらの男っぷりが上なのか?・・・・という勝負だ。ジャッジはバレンタインデーとかいう菓子屋の促販キャンペーンの日に、人から貰ったチョコレートの数の多さによって決まるという、実に明瞭で簡潔な方式だ。
 弟の方がはるかに優位だと誰もが・・・・実はこの俺も思っているのだが、俺はこの勝負に何としても勝ちたいと思っている。と言っても、別に弟のように女どもからちやほやされたい訳じゃない。
 思えば生れた時から今の今までずっと一緒に居る俺達だが、俺は錬金術以外で弟に勝てた事があまりなかった。体術然り、身長然り。洗練された物腰も俺にはとても真似できないし、異性からの人気ぶりなどはもういっそ笑ってしまう程に顕著な差だ。しかし、それも当然の事だ。
 弟は、実の兄貴であり男であるこの俺までが命を掛けて惚れてしまう程いい男なのだから。
 錬金術一辺倒で、やることなす事ガサツで雰囲気も読めない俺なんかを、それでも弟は「愛してる」と言ってくれる。嬉しいが、申し訳ない・・・・・兄として、恋人として、人生の伴侶として、もっとアルフォンスと対等な存在になれないものだろうか。俺は常々そう思っているのだ。

 例え弟よりもチョコを多く貰ったからといって、それで俺が本当に満足するかといえば、否だ。この勝負そのものが、刹那的で子供っぽい自己満足に過ぎないのだと俺は自覚している。だがしかし、俺の中で長年凝り固まってきた弟に対する劣等感みたいなものを一掃し、それによってもっと純粋な気持ちで高みを目指し、弟と肩を並べるに相応しい存在になりたい。今回の件はそのきっかけになれば・・・・と、そういう気持ちで勝負を挑んだのだ。
 勿論弟は、そんな俺の気持ちなど知る訳がない。せいぜい子供っぽい対抗心を再燃させた俺が、遊び半分に勝負を持ちかけた・・・・その程度に思っているに違いない。
 しかし、これでも一応兄貴として、そして良きライバルとしてのプライドを捨てることなど出来ない俺だ。奴と共に生きる事・・・・それはつまり、その位置に相応しい自分でいる為にいつでも油断なく己を鍛え続けなければいけないという事だからだ。
 そしてあわよくば、これまで弟を苦笑させてきた俺の残念なセンス(奴の言うところによれば)をレベルアップすることが出来れば・・・・・・!
 
 「フ・・・・フ・・・・フフフ・・・・アイツのハートをがっつり鷲掴んで、メロッメロにさせてやる・・・!そして更にカッコ良くグレードアップした俺に羨望の眼差しを向ける弟・・・・・あの愛くるしい目に涙を溜めて俺をじっと見上げ、あの可愛い声で惜しみない賛辞の言葉を・・・・・」

 「いい気分でトリップ中に悪いんだけどさエド、もうちょっと頭をこっち側にずらしてくんない?・・・・そうそう」

 金属製のツイーザーを手にしたマイラーの声で我に返った俺が横たわっているのは、研究所内にある医務室の片隅に据え付けられている診察用の固い簡易ベッドだ。
勝負に勝つ・・・・・すなわち女からの人気を得たいと思うならば、ただ筋肉的に男を磨くだけでは駄目だとマイラーから忠告を受け、それならば・・・と相談に乗って貰った結果、俺のFANクラブを名乗る女数人も加わり、こうして仕事の後に連日エステまがいなことをされたり、マナーレッスン、そして『洗練された物腰』とやらを叩きこまれているのだ。

 「つーか・・・・マイラーよ・・・・何もそんなご丁寧に目と眉の間のうぶ毛まで抜く事・・・・アダッ!」

 「いやいやいや。君はね、エドワード。そのままでもそこらの女の子達が地団太踏んで悔し涙を流しながら羨ましがるような美貌を持ってるんだけどね、だからこそ一度はこうして徹底的に磨き上げた自分の姿を見てその美しさを自覚する必要があると思うのよ。ねぇみんな?」

 同意を求められて、周囲に群がりヤスリで俺の手足の指の爪をちまちま磨いていた女数人が頷き、そうよそうよと声をあげた。
 
 「美しさとかゆーな、気持ちワリィな。俺はそんな軟弱なスキルをあげる為にお前に相談持ちかけた訳じゃねぇぞマイラー」

 「あらエドワードさん、それは違うわ」

 今度は小さなハサミで俺の枝毛を切っていたグロリアが熱弁を振るいだした。

 「美しさと強さは表裏一体なものよ。だから、強いものは皆美しいし、美しいものは必ずそれにふさわしい強さを秘めているものよ。ほ~ら、エドワードさんだって、この男らしい体つきが堪らなくセクシーで美しいわ。私達の手で磨きあげられる事で更に輝きを増したエドワードエルリックを見せつけてやりましょう!きっとアルフォンスも、これまで以上にあなたにメロメロになる事請け合いだわ。勝負の日まであとわずか。ガッツを見せるのよ皆―!」

 「おー!」「おー!」「おー!」「おー!」「おー!」

 何故か俺までが、つられて拳を突き上げていた。
 しかし、言われてみればグロリアの言う事も一理あるかも知れない。アルフォンスだって女っぽさや軟弱さとは無縁の男だが、ふとした瞬間に綺麗だと感じる時が確かにあるのだ。俺が今目指しているのはきっとそういう『美しさ』なのだろう。
 もしアルフォンスが俺を見て、俺が奴に感じているような魅力を少しでも感じてくれればいいと思う。
 そう考えれば、俺も俄然ヤル気が出てきた。

 「よっしょ!こうなったら徹底的にお前らの言う『王子風エドワード様』になりきって勝負に打ち勝ち、弟をメロメロにしてみせるぜ!」

 「おー!ビバアルエド!」「おー!ビバアルエド!」「おー!ビバアルエド!」
 
 俺の宣言に、女達は一斉に立ちあがって意味不明な掛け声とともに再び拳を振り上げる。俺もついつられて意味も分からぬまま声を合わせた。

 「お・・・・おー!ビバア・・・ル、エド(?)・・・!」

 医務室内は一種異様な熱気に包まれた。この医務室の主である医者だけが、妙に白けた様子で不味そうに茶を啜っていた。

 



 女達と妙な連帯感の中、意味不明な盛り上がりを見せた会合(?)を終え、ひとり家へと向かう道すがら、俺は勝負の行方に思いを馳せた。
 現在の戦況は五分五分・・・・・いや、僅かに弟の方が優勢といった見方が無難だろうか。普段の姿からは想像できない『王子様スタイル』で意表を突いてみたものの、俺のこの戦法は所詮付け焼刃だといわざるをえない。生れついてノーブルな雰囲気を纏っているアルフォンスに同じ路線で対抗するのは少々厳しいものがあるという自覚はあった。だがしかし、この俺でも時には弟を思わずウットリさせるような格好をして、あっと言わせてみたいという衝動がひとたび湧き出してしまえば、もうそれに抗う術がなかったのだ。
 そうなのだ。なんだかんだと大層な理由を後付けしてみたところで、結局俺は、弟が自分に夢中になってくれないか・・・・・と、ただその為だけに、こうしてあくせくしているに過ぎないのだ。
 
 「フ・・・・・俺も小せぇなぁ・・・・・・・」

 苦笑を洩らした一瞬後、自分の口から無意識に零れ出たセリフに自ら痛手を受けた俺は、ちょうど辿りついた自宅の玄関ドアの前でうずくまった。
 しかし、真の衝撃は、そのドアの向こう側にこそあったのだ。








 「あ、おかえり。今日もマイラー達と頑張ってたの?ふぅん・・・髪、トリートメントして貰ったんだ?艶々してる。綺麗だね、兄さん」

 「・・・・・・・・・・・・・」

 俺の手から、ブックバンドでまとめた本の束がドサリと落ちた。

 「お・・・・お・・・・お・・・・・お前・・・・ソレ・・・・ッ!」

 「そこまで驚かれると嬉しいを通り越してちょっと不安になっちゃうなぁ。やっぱりどこかおかしいかな?僕もこういう格好するのって初めてで・・・・」

 照れくさそうに笑いながら手をやった頭は濡れたようなツヤを持ち、重力に逆らって立ちあがり、あらゆる方向へと毛先を向けていた。

 「お前、そのアタマどーしたッ!?」

 「明日からのイメージチェンジに備えて予行演習。ワックスでちょっとセットしてみた。パンクな感じにし過ぎたかな?」

 鎧の頃からの癖である小首を傾げる仕草をすれば、その動きに首元で鈍く光るゴツいシルバーの鎖が小さな音を立てた。ぶら下がっているモチーフはスカルだ。思わず目が釘付けになる。

 「ああ、コレ?ふふ・・・兄さん好みだよね?14日の勝負が終わったら兄さんにあげるね。かなり重いから、少し錬成しなおして鎖を細くするけど。さて、夕食にしよう。手を洗っておいで、兄さん」

 そう言いながらキッチンへ向かう背中の後ろを、俺は夢遊病者のようにふらふらとついて行った。これは、弟の姿をもっとじっくり見たいという欲求からくる無意識の行動だった。

 今夜の献立を話す弟の全身を、手を洗いながらガン見する。
 なにしろアルフォンスのこんな姿なんて、滅多にお目にかかれるものではない。男の癖に肌を露出する事をあまり好まず、襟のない服を殆ど持っていない弟は、夏場でも長袖のワイシャツを着ている事さえある。家に居る時だって、タンクトップとハーフパンツ姿の俺の隣できっちり半袖のコットンシャツにチノパンなんぞ穿いているような堅苦しい男だ。
 それが、今の姿はどうだ。
 着ているのは、黒いタンクトップ・・・・・それも、襟ぐりの大きく開いたヤツだ。タイトなラインがアルフォンスの引き締まった程々にマッチョな身体をこれでもかと言わんばかりに見せつける。そしてボトムはこれまた弟のワードローブとしては見覚えのないアーミー調のフィールドパンツに黒革のコンバットブーツ。その出で立ちはまるで、良く見知った中央司令部所属の特殊部隊にいるヘビースモーカーを彷彿とさせた。
 
 「・・・・・あ。まさかお前、ハボックさんに応援要請したな!?」

 「あはははははは正解!やっぱり分かっちゃうよねぇ?いや、兄さんと違う路線で攻めてみようと思ったんだけどね、あまりこういう服って持ってないからハボックさんに相談したんだよ。そしたら丁度タイミング良く軍の放出品が出てるのを教えてくれてさ。色々見て貰って揃えてみたよ。似合うかな?」

 ・・・・・似合うも何も・・・・・・。
 俺はぐうの音も出ない。
 普段は隠されている肩や上腕や胸や背中の筋肉が、モリッと俺を誘惑するのだ。

 こいつ、ここまでいい体してたっけか・・・・?詐欺じゃね?

  風呂あがりでも必ず上着を羽織っているヤツだから、俺がこいつの裸(に近い姿)を目にするのは・・・・・その・・・・所謂夜の、アレの時くらいだ。でも大抵俺はいつでもいっぱいいっぱいで、その上明かりを落とした中でコイツの身体をじっくり検分なんてとてもじゃないがする余裕なんぞない。よって、子供の頃ならいざ知らず、大人になってからアルフォンスの身体を明るい場所でじっくり見るのは、俺にとってとても新鮮な事だった。
 顎が細く、ウエストや腰回りが引き締まっている所為か、アルフォンスはかなり着痩せするタイプだ。散々肌を触れ合わせている俺だから、それは十分知っていた筈なのに、実際に視覚としてとらえると、まるで小娘のように胸をドキドキさせてしまう。

 ・・・・俺、カッコ悪ぃ。

 こんな自分を悟られたくなくて、必死に平静を装いながらフライパンを覗きこみ、あとは皿に盛りつけるだけになっている旨そうなパエリアから海老を一匹失敬してみたりした。

 「コラ!もうお皿に入れるだけでしょう?行儀悪いなぁ・・・・・そんなにお腹すいた?ご飯にしよう。そこのグラス持ってきて?」

 当然弟から注意を受けた俺だが、フライパンを手にキッチンを出る弟の大きな手がすれ違いざまに俺の頬と耳と項に触れて一瞬で離れて行くのに、信じられない程身体を熱くしてしまった。

 なんというか・・・・・大人の男なんだな・・・・と、当たり前の事実を改めて認識させられた瞬間だった。
 コイツはいつも、こんな仕草をしただろうか?もう少し、繊細すぎるくらい細やかで優しい動きばかりをしていたように思うのに。
 ・・・・困る。これから夕食なのに。弟と明るいテーブルで向かい合って、俺は一体どんな顔をすればいいのだろうか?
 いつまでもキッチンでもたついてる俺に、弟からお呼びがかかる。仕方なしに覚悟を決めてテーブルまで行けば、頼まれていたグラスを持っていない事に気づいた。
 聡い弟は、俺の様子がおかしい事にとっくに気付いている筈なのに、静かに笑っているだけだ。

 「グラスは後でいいよ。座って?冷めちゃうから先に食べてしまおう?」

 湯気をたて、いい匂いのする皿を目の前に置かれ、言われるまま食べ始める。旨いのに・・・・・旨い筈なのに、味なんて全然分からなかった。
 向かい合って食事をするなんていつもの事なのに、何故か今はそれが妙に恥ずかしい。正面に居る弟の存在ばかりが気になって仕方ないのに、怖くて目をあげる事すら出来ない。気配を感じるだけで耳の後ろがゾワゾワして落ちつかない。
 いつもは下らない話題なんかで笑ったりしながら食事をするのに、何故か今日は弟までが寡黙で、結局静かに夕食を終えた俺達は、これまた儀式のような動きで食器を片付けた。

 全てが終わり、キッチンを出ようとした時だった。俺の後ろから、弟の声がした。
 
 「僕ね、今回の事で、兄さんとの関係性についてちょっと考えたよ」 








 ドキリとした。それが余程露骨に顔に出たのだろう。弟もギョッとした表情で、慌てて次の言葉を発した。

 「あ、違うんだ!誤解しないで。関係性って言い方が悪かったね。僕が言いたいのは兄弟でこういう関係になってしまったから云々とかではなくて、つまり・・・・もっと小さい頃からずっとずっと思ってきた事で・・・・」

 弟から差し出されたレモンの浮いたアイスティーのグラスを受け取りながら、黙って先を待つ。それでも目だけは貪欲に、弟の男らしい喉元から鎖骨、胸のライン・・・・そして・・・・全身をくまなく辿ってしまう。弟は俺のその目線に気付いている筈なのに全く顔色を変えず、穏やかに微笑むだけだ。

 「僕と兄さんって、年子でしょ。前にもこういう話した事あったけどさ、ほぼ同年代で同性の人間ふたり一緒にいれば当然ライバル意識が芽生えるものじゃない?でも、僕にとって兄さんはずっと・・・・・そうだな・・・・・神様みたいな存在でさ、ほんの些細な事なら子供っぽいライバル心を燃やしたとしても、本質的には同レベルのステージに立つ事なんて出来ない絶対的な存在というか・・・・。だけど、僕と兄さんの心は変化した。兄さんが僕を受け入れてくれた事で、絆の質が大きく変わったよね」

 穏やかだった弟の声が僅かに熱を帯び、弟の熱く大きな手が俺のグラスを持たない方の手に伸ばされ、重ねられた。そこでようやく弟の顔を見上げれば、思いがけず熱い瞳を向けられていて、更に胸が高なる。
 間を置いていた弟の声が再び続く。こいつの声は、こんなに低く響いて、こんなにまで甘い余韻を残すものだったろうか。

 「僕はね、兄さんと結ばれてから自分の中で兄さんに対するライバル心が大きくなってる事に気付いたんだ。・・・・これが良くない事だと、兄さんは思う?」

 声を出そうとしたけれど、乾いて張り付いたような喉の感覚に、咄嗟に首を振って応えた。
 
 「うん。僕も、これは良い変化だと思うんだよ。・・・・・あのね、兄さん。これはつい数日前に気付いた事なんだけど。これまで僕はね、兄さんを崇高な存在だと思うばかりに何かを競ったりするなんてとんでもない事だと、無意識に自分をセーブしたり、競合しなくて済むように自分を装っていた部分がどこかにあったみたいなんだ」

 そんなとんでもないセリフを聞いた今度こそは、俺も思わず声を発した。

 「馬鹿なこと言ってんじゃねぇぞアル!お前が・・・・・どうして俺なんかよりもずっとバランス良く優秀なお前が・・・・なんでそんな事言うんだよ?大体勝手に俺を偶像化して・・・・・お前・・・・お前、俺がそんな大層な人間じゃないって一番傍に居てとっくに分かってるはずじゃなかったのか?じゃあ、お前は自分の中で造り上げた俺に惚れてただけなのか?お前はそんな勘違いの所為で・・・だから、今まで俺に気を遣って本領を発揮できずにいたって事なのか?」

 不用意に発した自分の言葉に自ら傷つけられるのは今日二度目だとどこかで思いながら、自分の存在が弟の可能性を摘み取っていたのかと愕然とした。

 一気に奈落に落ちて行きそうになった俺を、弟の声が呼びとめた。

 「馬鹿兄!またヘンなこと考えてるんだろ?そうやって先走って曲解するのは兄さんの悪い癖!ヒトの話は最後まで聞きなさい。ほら、ちゃんとこっちを向いて続きを聞いて。」

 強引に両頬を掴まれて、無理矢理に弟と目を合わせれば、不意に落ちてきた唇が額に優しく触れた。

 「・・・・馬鹿・・・・ホントに馬鹿だ、兄さんは・・・・・!でも、そんな兄さんもひっくるめて、僕は全部愛してるんだよ。その僕の気持ちを勘違いだなんて言うなら、これからはセックスするのに手加減してあげない。いつもいつも、僕がどれだけ我慢して大事に抱いてるのか・・・・兄さんの身体に教えてやりたいよ」

 その言葉を受けて一気に頬に血を集めてしまった俺を見て、アルフォンスは困ったような笑みを浮かべる。

 「ごめんね。僕の言い方が遠まわしすぎだったね。だから、ぶっちゃけ言ってしまうと、僕の言葉遣いやアレコレがやたら丁寧で品格を重んじるのは、兄さんがそういうタイプじゃないから」

 「・・・・俺が、よっぽど品がねぇみたいじゃんか」

 「僕が有機物・・・・主に医療系の錬金術を研究しているのは、兄さんがその対極にある鉱物系の錬金術を得意としているから」

 「・・・・・・それは、何となくそんな気がしてた・・・・」

 「僕が自分を『僕』って言うのは、兄さんが自分を『俺』って言うから・・・・・・・・僕の言いたい事、分かる?」

 「俺とぶつからないように、わざと間逆をいってたってことか?」

 「これまで意識した事なかったけどね。僕が絵にかいたような王子様キャラだって言われる男になったのも、その所為なんじゃないかなって思うんだよ。ただね、兄さんは偶像化という言葉を使ったけど・・・・確かに昔は一時兄さんをそういう風に見ていた事があったのは認める。でも、人は生きていれば変わるものだ。僕の想いは、今もずっと変化し続けてる・・・・それにね、兄さん。これから先もずっとふたり同体で生きて行く事を前提にしてる僕達は、それぞれが出来るだけ被らない分野を攻略していく方が無駄がなくて実に合理的だともいえるよね」

 ・・・・そう。こいつはこういう抜け目のない部分もしっかり持った男だった。

 「んで?お前にしては要点があっちこっち行って分かりにくい話になってきたぜ?」

 話の核心が少々それた気がしていた俺が起動修正のつもりで言えば、弟もそれに気付いたのかニッコリ笑って頷いた。

 「でも、今回の事をきっかけにして、逆にこうも思ったんだ。僕と兄さんはまったく異なる個性を持った別箇の人間だ。だから例え同じものを目指したとしても、到達点は同じとは限らないんだって。だからね、兄さんが普段の僕のキャラと同じものを演じようとしたように、僕も兄さんのようなゴツゴツゴテゴテギラギラした男性的な路線に挑戦したらまた新たな魅力が生まれて兄さんを虜に出来るんじゃないか・・・・なんてね」

 俺は阿呆のように口をあけて弟の顔を凝視した。
 まさかこの弟までが、俺とまったく同じ事を考えていたなんて思いもよらなかったのだ。

 「・・・とはいえ、お前のその王子様キャラは、ガサツな兄を身近に見ていた反動って訳じゃなく、天然モノだと俺は思うんだがな・・・・・まぁ、でも、そのスタイルも悪かねぇんじゃね?」

 「そう?惚れ直してくれる?」
 
 まるでご褒美の飴玉を貰う前のガキんちょみたいに目をキラキラさせるから、俺はとうとう我慢できずに噴き出してしまった。

 「それは14日になってみねぇと分かんねぇな。とりあえずお前は、俺に勝つ事を怖がらずに本気で挑んで来いよ。俺も全力で受けて立ってやる」
 
 俺に出来る事は、こいつが『兄に勝ってしまう心配』なんてする必要のない程、強く逞しく賢く、そして美しい兄でいてやる事だ。
 俺のその想いを悟ったらしい弟は、まるで闘いに臨む戦士のような表情をし、不敵な笑みでちゃっかりおねだりしてきた。

 「勝負に勝ったら、一日中兄さんを抱かせて貰うからね。兄さんは?兄さんが勝ったら何が欲しい?」

 そんなの、タンクトップ姿の弟を見た時から決まってる。
 でも俺は少し考える振りをしてからゆっくりアイスティーを飲み干し、空のグラスを弟に手渡しながら言ってやった。

 「お前のカラダ」

 「・・・・・・・・・・・ッ!?」

 うろたえる色男を尻目にダッシュでキッチンを飛び出し、「但し、その時まで禁欲できたらの条件付きだ!」と叫びながら階段を駆け上った。

 兄貴でありながらいつもやられっぱなしの俺だ。これくらいの報復は勘弁してもらいたい。



 




 兄の俺とガチで勝負する事を無意識に避けていたと告白してからのアルフォンスは、変わった。
 来たる勝負の日の為に外見を大きくイメージチェンジしただけではない。なんというか・・・・まとう雰囲気そのものが、根底から変化したのだ。
 これまで常時変わる事のなかった、人に警戒心を抱かせない柔らかな物腰がどこか野生味を帯び、生身の男臭さに加えて油断ならない印象を受けるものになった。また、一人称は相変わらずでも、ふとした言葉尻にほんの僅かながら粗雑さが見え隠れするようにもなり、それがまた女達の心を鷲掴みにしたらしく、一時ほぼ互角かと思われていた情勢が一気に弟優位に傾いた。
 そして手に負えない事に、この俺までもがそんなアルフォンスのかつてない魅力に捕らわれてしまい、弟の前で平静を装うのがやっとで正直勝負どころではなくなっていた。
 しかし、本気で挑んで来いと大見得を切った手前、みっともない素振りだけは断じて見せられない。俺は、必死だった。
 それに、正真正銘本気の弟とやり合って負けるなどすれば、それは今までの弟が俺の所為で実力を発揮できずにきた事実を証明してしまう事になる。
 なんとしても、負ける訳にはいかなかった。

 

 「畜生、たかがチョコなんかの為に・・・誰だ言い出しっぺは!?・・・・・俺か・・・・・」

 いよいよ決戦の日を明日に控え、俺はいまいちモチベーションの上がらない心理状態でいた。仕事にも身が入らないから仕方なく作業を中断して、コーヒーでも飲んで気分転換をしようとぼやきながら足を向けた喫茶室で、その騒ぎに遭遇した。

 夕刻近い、いつもなら人もまばらな筈の喫茶室から、大勢の人間の声が聞こえてくるのに首を傾げた俺は、そこへ足を踏み入れた途端繰り広げられているお祭り騒ぎに目を瞬かせた。

 「アルフォンス!アルフォンス!アルフォンス!」

 「ミゲール!ミゲール!ミゲール!」

 「負けるなオラー!ミゲール踏ん張れ!それでベンチプレスのアメストリス代表選手か!?」

 「行け!アルフォンス!一気にたたみこんじまえー!」

 怒号を上げる研究所の職員達が取り囲む中心には小さな一人用の丸テーブルがあり、それを挟んで片側にタンクトップ姿の弟が、その向かい側に上背が2mはあろうかという恐ろしくガタイのいい赤毛の男がいた。周囲の人間の呼びかけで気付いたが、そいつはこの研究所の雑務員として最近入ってきた男で、ベンチプレスの世界大会ではアメストリス代表選手として出場する程の力自慢だ。
 弟はあろうことか、その筋肉馬鹿と腕を組み合い、アームレスリングをしているのだった。

 「あの馬鹿・・・・!いくらなんでもそりゃ無茶だろう!?」

 その体格差は、身長はともかく筋肉の厚さという点では歴然としていて、どう贔屓目に見ても弟に勝ち目はない。腕をへし折られるとまではいかずとも、身体のどこかしらが損傷を受けるのは易く想像がついた。
 人垣が邪魔で勝負の様子は分からないが、喫茶室はありえない程の熱気に包まれていた。俺は歓声を上げる男共を掻き分け、その中心へと急いだ。勿論、この馬鹿馬鹿しいゲームを中断させる為にだ。
 しかし、まさにその中心へと辿りついた瞬間、轟音と共に競技台となっていたテーブルがなぎ倒され、それと一緒に赤毛の男の巨体が床に転がったのだ。

 「・・・・・な・・・・・・ッ!?」

 振り向けば、汗だくながらも鋭い目をギラリとさせ、不敵な笑みを浮かべた弟が力強く腕を振り上げていて、それと同時に耳をつんざく様な歓声が沸き起こった。
 
 「あのミゲールを右腕一本で倒しやがった!お前はモンスターか!?」

 「ウオー!お前が代表替れ!アメストリスで一番強い男、それはお前だー!アルフォンス・エルリック!」

 「アルフォンス!アルフォンス!アルフォンス!」

 怒涛のようなアルフォンスコールの中、盛り上がる男共の中でひとしきりもみくちゃにされた弟だったが、やがてそこからさり気なく抜け出すと、隅のテーブルでコーヒーを啜る俺の隣にドサリと座った。

 「仕事サボって何やってんだお前?」

 「サボりじゃないよ。これはれっきとした業務の一環」

 「ああん?どこがだよ?」

 顔をしかめた俺のコーヒーを、それを持つ俺の手ごと握りこみ、遠慮なしに一口二口旨そうに飲んで弟が答えた。
 
 「庶務課の課長から頼まれたんだよ。所長の縁故で最近入ってきた若いのが、ベンチプレスの代表選手だって事でつけ上がって、上司の言う事を全然聞かないんだって。だからそいつを大人しくさせてくれないかってね」

 「どうしてお前だよ?そりゃ研究所にはノーミソばっかで腕っぷしの方はてんでお粗末な人間ばっかりだけどよ・・・・」

 「あれー?エドワードさん、知らなかったんですか?イメチェン後のこいつ、研究所内のあちこちで連日こんな事ばっかりやってるんですよ」

 「エイブ!余計なことを・・・・」

 いつの間にやらテーブルの横に来ていたエイブラハムという名のアルフォンスの友人のセリフに再び目を剥いた俺だ。

 「お前・・・・俺に隠れてせっせと点数稼ぎかよ?汚ぇぞ!こうなったら俺の挑戦も受けやがれ!」

 アルフォンスの見事な勝利に未だ興奮冷めやらぬといった状態の職員達は、俺の言葉を聞きつけて再び色めきたった。
 
 「お!?兄弟対決か!?いいぞ!」

 「いくらあの『鋼の』でも流石に15勝無敗の、しかもミゲールを倒したアルフォンスには勝てねぇだろ」

 「いやいや、俺はエドワードさんがスタートダッシュで一気に勝ちまで持ってくと見た」

 好き勝手に下馬評を語り盛り上がる面々に、アルフォンスがすげなく水をさした。

 「残念だけど、兄さんとなんて冗談じゃないね。僕はやらないよ」

 そっけない物言いにブーイングの嵐が巻き起こっても、アルフォンスは意に介さず続けた。

 「明日の勝負を前にして、せっかくの連勝記録に傷をつけたくないんでね。無敗というのはね、自分が勝てない相手とは戦わないって事だ。嘘だと思うなら兄さんに挑んでみるといい。彼の強さは半端ないから、試した後五体満足でいられる保証はしないけどね」

 その言葉に、その場に居合わせた全員の視線が俺に集中した。

 確かに俺は、かつて厳しい闘いの中に身を置いていた事もあり日々これでもかと身体を鍛えていた。今でも弟との組み手は日課だし、筋トレも暇を見つけてはやっている。・・・とはいえ、言いたくはないが体格の差というものはそういった努力だけでは到底補えるものでないという事も、多くの実戦の経験から俺は身を持って学んでいた。つまり、弟と俺の比べるまでもない体格の差はイコール力の差であり、特にアームレスリングのように技術よりも純粋にパワーを競うとなるとその差はより顕著に現れてしまうのだ。
 俺と共に数々の闘いをくぐりぬけてきた弟が、それを知らない訳がない。それでいて、なぜこんなはったりをきかせるのかが分からなかった。

 「おい、アル!何適当なコトぬかし・・・・・ぐは・・・・・!」

 弟の発言に、尾ヒレ背ビレがついて職場の人間達の間を駆け巡るなんてとんでもないと俺が打ち消そうとするのに、弟はすかさず俺の首にみっちりとした良い筋肉の腕を巻きつけてそれを阻止してしまった。

 「これにて課長から依頼された件は完遂って事で。皆さん証言宜しく。おいミゲール!しょげる必要はないよ。僕と兄さんに勝てなくてもそれはちっとも恥じゃない。何しろ僕達はブリッグズの熊とタイマン張って勝っちゃうような恐ろしい師匠に何年も鍛えられたんだから。次の大会ではきっといい成績を出してくれると期待してるよ」

 「アル!放せよ!俺、まだコーヒー・・・・・!」

 敗者を気遣う事も忘れない弟は、殆ど俺を小脇に抱えた状態で喫茶室から出ると、そのまま研究室のある棟へと続く渡り廊下を足早に進み、渡りきったところにある階段を登る。
 
 「おい!降ろせよ!俺の研究室は二階にあるんだぞ!登ってどうするつもりだお前!?」
 
 俺が喚く内に三階に辿りついてしまえば、ようやくそこで弟の腕から解放される。
 この三階は、文書の保管庫や仮眠室などがあるフロアの為、研究室がひしめき合う他の階より人目がなく静かな場所だ。
 俺達の他に人影のない薄暗い廊下で、弟は自分の身体と壁との間に俺を挟み込むような体勢で見下ろしてくる。すると、先程のアームレスリングの所為で、まだいつもより高い体温から熱気が伝わり、弟の汗の匂いが場違いな欲を刺激した。

 ありえねぇ・・・どうなってんだよ俺!?

 「兄さん・・・・・そんな顔しないで。そんなつもりでここに来た訳じゃないんだから、困るよ」

 「そんな顔ってどんなだ!?あいにく俺はいつもこんな顔だ!さっさと要件を言えよ!俺は仕事に戻りてぇんだ」

 「ふ・・・・駄目でしょ?いつもそんなもの欲しそうな顔されたらこっちは勃ちっぱなしだ」

 「~~~~っ!!・・・勝手におっ勃ててろ!用がないなら俺は行くぞ!」

 これ以上は付き合いきれんとばかりに弟を押しのけてすり抜けようとした俺の二の腕を掴んで引きとめた弟は、それまでのおちゃらけた表情を一瞬にして引っ込め、妙に真面目腐った顔で俺の目を見た。

 「な・・・・・ん、だよ・・・?」

 「兄さん、この間したご褒美の話だけど。あれ、約束を変えて欲しい」

 『ご褒美』とは、数日前交わした、弟が勝てば一日中俺を抱く・・・云々のことだが、弟は自棄に切羽詰まった表情で言った。

 「僕が勝ったら何もいらない。でもそのかわり、兄さんが勝ったら、兄さんには自分の魅力を今度こそ本当にしっかり自覚してもらう。いいね?」

 「んあ?なんだそりゃ?ご褒美でもなんでもねぇじゃん、ソレ?大体お前はいつもそればっかだな。兄さんはもっと自分の事を知るべきだ・・・って。あのなぁ、お前は心配性すぎ・・・・」

 何を言うかと思えばいつも散々言われているセリフを聞かされ、俺は半ば拍子抜けしてそこを立ち去ろうとしたのだが、俺の腕を掴んだ弟の手がそれを許さなかった。

 「何がなんでも約束して貰う。僕は心配なんだよ兄さん!この研究所だけじゃない、道すがらすれ違う男達が、兄さんをどんな目で見ているかなんて全然気付いていないんだろ?」

 「どんな目ってどんなだよ?別にフツーだろ・・・」

 「普通じゃない!!」

 俺の顔のすぐ脇で、弟の拳が壁に当たって鈍い音を立てた。アルフォンスらしからぬ荒っぽさにギョッとしてその表情を見れば、弟は今にも怒り出しそうに歯を食いしばっている。
 尋常ではないその様子に、思わず手が伸びた。
 
 「アル、・・・・・アル?どうしたお前?」

手の甲で頬を撫でてやると、直ぐにその手は捕えられ、腕を引かれて身体ごと抱きこまれた。

 「僕がおかしいんじゃない。兄さんが鈍感過ぎるんだ。あんなあからさまな欲を含んだ視線に、どうして気付かない?お願いだから、僕の言う事を信じて。毎日どんどん綺麗になっていくあなたを見て、こんなふうに惹きつけられてしまうのは僕だけじゃないんだよ。ああ・・・・もう・・・・こんな事ならこの勝負、最初に何としてでも辞退しておくべきだった」
 
 珍しく後ろ向きなセリフを吐く弟が流石に心配になって、子供を寝かしつける時にするようにポンポンと背を叩いてやれば、調子に乗った弟がゴリゴリと遠慮手加減なしに頬擦りをかましてきた。

 「痛・・・ッ!止め・・・馬鹿!分かったから放せよ、もう!ホレ、お前も仕事に戻れ」

 俺の頬と肩に勢いよく頭を擦りつけた所為でクシャクシャになってしまった髪を適当に直してやると、大人しくされるがままになっている。さっきまでの野性的で少し危険な匂いのする大人の男というキャラはどこへやら・・・・だ。こういう時のアルフォンスだけには、不思議と何の照れもなくすんなりと言える言葉を口にした。

 「可愛いな、お前。愛してるぜ弟よ」

 「ん、僕も。愛してる」

 軽く唇の先を触れ合わせてからようやく気が済んだらしい弟は、俺の身体を自由にしてくれた。しかし、しっかり釘を刺す事も忘れないのは流石だ。

 「今の兄さんはいつも以上に、誰の目から見てもとんでもなく美味しそうなんだから、誰彼構わず愛想を振りまかない事!帰りが定時を過ぎる時は、必ず僕に直接知らせに来る事!いいね!?」

 「りょ~かい!奥さん」

 予定外に時間を割いてしまったものの、これが気分転換になったらしく、いつも通りの集中力が戻ってその後の作業に没頭した俺は、喫茶室から強引に俺を連れ出した弟の行動の不自然さにまで思い至ることができなかった。











 明けていよいよ決戦の日。
 マイラーをはじめとする『なんたら会』の女連中に半ば強制的に買わされた、黒いスーツにシルクのシャツ、それに深紅のリボンタイという仮装大会のような出で立ちの俺の横には、金髪をツンツン立て、タンクトップに黒革のジャケットを羽織り、良い具合に古ぼけたダメージジーンズに俺好みのゴツいブーツを履いた弟が並んで歩いていた。

 俺達が勤務する錬金術研究所では特に服装などの規定は設けられていないものの、そこは流石に大の大人が仕事をする場所だけに、奇抜な格好をする人間はそうそう居ない。よって最近の俺達二人は周囲から浮きまくっていた訳だが、今日はまた格別だった。
 研究所のエントランスホールに足を踏み入れれば、既に会場は出来あがっていた。
 いつもは殺風景な壁や柱は、色とりどりの紙テープやなんかでゴテゴテと飾り立てられ、中心部にはこれまた花でデコレーションされた巨大な投票箱のようなものがふたつ据え付けられている。
 俺達の姿を見つけたマイラーがまるでブルジョワ御用達の宝石商みたいな揉み手で近寄って来て、ホクホク顔で嬉しそうに説明を始めた。

 「来たね、二人とも。これから夕方の終業時間までの間にこの箱にチョコレートが投げ込まれる。左側がエドワード、右がアルフォンスのだ。時間が来たところでこの二つの箱をひっくり返してチョコの数をカウントして、ひとつでも多く獲得した方が勝者ってわけ。これ以上なくシンプルでしょ?」

 「お前・・・・嬉しそうだなマイラー。掛け金の内、どれくらいが主催者の取り分なんだよ?俺達をエサにして儲けるんだ。少しくらいこっちにバックがあったっていいんじゃねえの?」

 「とんでもない!殆どが賞金で、あとは経費を差し引いたらトントンよ。私はね、地味~で退屈~な職場を少しでも楽しいものにしようという善意で貢献してるの!おっと、もう上司が来る頃だわ、私行かないと!じゃあねぇ~」

 そそくさと逃げる後ろ姿を目で追いながら、恐らく半分は収益として取りその内の8割程度はマイラーの懐に転がり込むに違いないと目算していれば、その俺の横でも同じ事を考えていたらしい弟が呟いた。

 「税法上はどうなるんだろう?あれ、ちゃんと所得として申告してるのかな?下手すると彼女の正規の給料より多いかも」

 「フン!あんな守銭奴、脱税で捕まっちまえ。じゃあな、今日は俺定時で帰れると思うから、晩メシ作っとく。お前はしっかり稼いでこいよ」

 自分の持ち場に向かう為、手を振りながら歩きだした俺の肩を、弟が捕まえた。

 「兄さん、約束、分かってるよね?」

 「んあ?」

 「兄さんが勝ったら、ちゃんと自分が周囲からどう思われてるのかを自覚してって言った僕の言葉は本気だよ。いいね?約束は守ってもらうからね!」

 弟の危機迫る様子に圧倒され掛けたところで、始業5分前を知らせる鐘がホールに鳴り響いた。

 「・・・分かった、分かったから・・・・オラ、お前ももう仕事してこい。じゃあな」

 肩にあった手をはずさせて歩きだしても、背中に弟の視線を感じた。
 何故そこまで弟は『自覚しろ』などと言うのだろうか。そもそも弟は、この勝負の勝者は俺だと信じて疑う事すらしていない様子だ。
 何が何でも勝負には勝つと一度は息巻いたものの、戦況は依然弟の圧倒的優位という雰囲気だ。この俺さえ、内心では弟の勝利を半ば確信していた。だから、何故弟が俺に軍配が上がる場合ばかりを想定してその後の約束を取り付けてくるのか、その真意が汲み取れなかった。

 「どうかしてるぜ」

 自分の研究室に向かう途中、何人もの職員や研究員達とすれ違う。最後の辛抱だとばかりにマイラー達に教え込まれた『王子様スマイル』でエレガントに挨拶をすれば、大抵の男達は何故か顔を赤らめながら俺に道を譲り、女達は耳が痛くなるような奇声を発して飛びあがった。

 「・・・・そんなに俺の格好は奇抜かよ?畜生。マイラーとあの女どもめ・・・・あいつら途中から俺をおもちゃにするのが楽しくなって、目的を忘れて遊び過ぎたんだ、絶対。・・・・しかし!これも今日の終業の鐘と同時に終わりだ。もう少しの辛抱だぜ頑張れ俺・・・・!」

 あれだけ勝つ事に必死だったというのに弟のあの男っぷりの良さを間近に見せつけられていた俺は、すっかり勝利への執念を萎ませていた。男ッぷり対決は弟に勝利を譲り、自分は他の分野で勝利をおさめればいいのだと、もはや勝敗の結果どうこうよりも一刻も早くこの状態から解放されることばかりを考えていたのだ。
 それでもなんとか自分に言い聞かせながらニッコリ笑顔で廊下を歩ききり、ようやっと鉱物錬成部門の一角にあるパーテーションの内側、自分用に与えられたテリトリーまで辿りついた。
 だがしかし、そこには予想だにしない光景が広がっていた。

 「なんじゃこりゃぁぁぁぁぁぁ!?」

 特別に入れて貰った俺仕様の大きな机とその脇にある引き出し付きの袖机、椅子の上、床の上、キャビネットの隙間等々、至る所に赤青紫緑黄金銀・・・・それはもう色とりどりの様々な形をした包みが積み上げられているのを見て飛びあがる。

 「これは一体なんのイタズラだ!?」

 一番手近にあった赤いリボンが付いた箱状のものを掴んで中身を確認しようと包装紙に手を掛けたところで、他部門勤務でここにはいない筈のマイラーの声が止めに入った。

 「は~いはいはいはい、それは公正なる集計の為に一時こちらで預かりますからねぇ~!まったくもう。あれだけ箱に入れるように言ってるのに、少しでも本人に自分の存在を主張しようとルール無視する輩の多い事!エドワード、いくらなんでもこれは予想外のモテっぷりよ?私、アルフォンスに恨まれそうだわ~アッハッハッハッハッハッハッハッハ!」

 愉快で仕方がないという様子で俺専用のブース内にうず高く積まれたもの達を台車に積みこみ、マイラーは笑い声と共に去って行った。
マイラーの言葉から察するに、どうやらたった今目前に積まれていたもの達は俺宛てに送られたチョコレートらしい。やはり周到なマイラーといえども、流石にこの短期間で研究所全てを巻き込んでのイベントとにくわえトトカルチョの開催までは厳しかったとみえる。エントランスホールに設置された箱に投入するというルールを通達するまにでは至らなかったのだろう。

 「まぁ・・・・今となっちゃあ俺にはどうでもいいコトだけどな。さて、これまで数日余計な時間を割いちまった分、今日はこの複数の構築式をひとつの式にまとめる理論を一気に組み立てちまうぞ」

 家を出る前に結んできたばかりのリボンタイをグイと解き無造作に投げ捨てると、俺はそれまでの全てを忘れて思考の世界へとダイブした。
 







 今までの人生の中で、僕の思惑は大抵外れた事がない。今回の件に関しても、然りだ。


 現在『エドワードエルリックの貞操を守る会』のリーダーであり、かつてほんの一時ながら僕と男女の関係にあった事もあるグロリアから、公示されたルールを無視してエントランスホールの箱ではなく直接兄の持ち場である専用ブースへチョコレートを忍ばせる人間が多数居るとの情報を得た。
 それみたことか。事態は僕の予想通りに展開しているではないか。
 大体、職場の建物内はもとより普段道を歩いている時でさえ、兄に対して注がれる視線のあのあからさまで生々しい事と言ったらないのに、どうして本人はそれに全く気付かないのだろうか?そしてその視線は日を追うごとに数と執拗さを増しているのだ。
 こうなってくると、自分が如何に正しく先を読んでいたのかが分かろうというものだ。

 決して女性的な要素を持っている訳ではなく、むしろ兄程男らしい人も居ないと思う位なのに、なぜ兄の美しさはあんなにも人の心を揺さぶり理性を危うくさせるのだろうか。それでいて、彼自身の纏う雰囲気はこれ以上なくストイックなのだから憎らしい。
 
 僕が兄を抱く時、ごく稀に暴走して無理をさせてしまったりするのも、思えば仕方のない事なのだ。
 彼とひとつの家で家族として暮らすということは、この無尽蔵ともいえるフェロモン駄々漏れの無防備な姿をしたご馳走をいつでも鼻先にぶら下げられている状況に常日頃身を置くことに他ならないのだ。 
 だから、胸を張って言おう。
 これでも、僕は十分耐えている。


 他部署に回していた分析結果のデータを休憩がてら取りに行き自分の研究室へと戻る廊下で、歩きながらそんなふうにつらつらと兄の事ばかりを考えていると、不意に後ろから声を掛けられた。

 「あ、・・・あの・・・・アルフォンスさん・・・・お忙しい所スミマセンが・・・・・」

 振り向くと、兄と同じくらいの背丈ながら横には無駄にサイズの大きな痘痕顔の不格好な男が額に汗を浮かべて立っていた。同じ有機系のセクションに所属しているけれど研究者ではなく、その周囲で資料やサンプルの整理など簡単な雑務をこなす係をしている男だ。手には一枚の紙が握られており、それはプルプルと震えていた。

 「・・・ああ、バートン君。お疲れ様、何か?」

 口調こそ柔らかくはあっても、わざと威圧的な視線で見下ろしてやる。
 僕は、この男が嫌いだった。何故なら、錬金術の学者である父親のコネを使ってようやっとこの研究所で雑用をこなすだけの職にありついている身を全く自覚せず、事あるごとに父親の雀の涙程度の『功績』をひけらかし自らの怠慢さを恥とも思わない人間だからだ。しかしそれでいながらも汚らわしい欲望だけは人一倍持ち合わせているらしく、兄と接触をしようと執拗に周囲をうろつくばかりか、僕は直接耳にした事はないけれど多くの友人やチームの後輩などから聞くところによれば、兄に対する邪で下種な願望を公然と口にしているらしいのだ。
 
 これまで僕は、腕っぷしが強く喧嘩っ早い兄とは対照的に、争いごとを好まず何事も穏便に済ませる温厚な人間として(表向きには)知られていた。しかし実のところ、僕は特別温厚な男という訳では決してない。むしろ僕ほど勝気で負けず嫌いな人間もなかなかいないだろうと自分で思う位だし、兄に関してはとんでもなく沸点が低いという自覚がある。ただ単に、穏便に済ませてしまった方が後々面倒事が少なくて済むという経験上、殺気を巧妙に隠す技に長けてしまっただけのことだ。
 しかし、愚鈍な人間はその僕の地雷を無神経に踏んで歩く。
 
 以前ならば、殺気を隠すフィルタリング機能をいつもより少しだけ弱くして相手に地雷の所在を匂わせる程度にしておくのだが、今回の件をきっかけに僕は主義を変えた。
 このフェロモン駄々漏れの魅力的過ぎる兄を数々の毒牙から守る為、『血の気の多い兄より温厚で人当たりの柔らかな、悪く言えばある意味チョロい弟』・・・・という認識を一掃するべく僕は周囲から恐れられる存在になる必要があったからだ。
 ・・・・といっても別段特に何か努力をした訳ではない。ただ今までとは違う路線の服を購入し、我慢するのを止めただけだ。
 『兄に邪な思いで近付く輩は、すべてこの世から抹殺してやりたい』という衝動を我慢する事を。

 以前は『チョロい弟』に対してヘラヘラと小馬鹿にしたような態度で接する事もあったのに、イメージチェンジをした途端バートンは僕の前で始終ビクビクし、冷や汗をかきながら媚びへつらうようになった。

 「あの・・・・分析班の担当から・・・・さっきおわ・・・・おわ・・・お渡しした資料の・・・」

 どもりながら消え入るような声で書類を一枚差し出してくるのに、嗜虐心が沸々と沸き上がる。けれど、こんなクズのような男をいたぶっても虚しいだけだから、事務的な笑顔を浮かべながら差し出された書面の端にペンを走らせてサインを書いた。

 「そういえば、書類だけもらって受領のサインを忘れていたね。お手数かけました。どうもありがとう」

 「いいいいいいえ・・・!じゃ、じゃ・・・・どうも・・・」

 役目を終え、ワタワタと背を向けて歩き出すバートンを呼びとめた。

 「あ、そうだ。バートン君」

 つまらない人間をいたぶるのは趣味ではないが、釘をさすことはしておかなければならない。
 
 「ハイッ!?な、な、なんでしょう・・・・?」
 
 声が裏返っていることからも、余程陰では聞くに堪えない低俗な願望を抱いて口にしているのだと窺えた。

 「誰とまでは聞いてないんだけどね、ウチの兄を夜のオカズにしてあまつさえその想像通りの行為を本人相手に実行するだなんて豪語してるツワモノがこの研究所の関係者の中にいるらしいんだけど、君・・・・・聞いたことある?」

 目の前の男の顔色がみるみる蒼白になる様を見ながら、さらに続けた。

 「その人、凄い怖いもの知らずだよねぇ。・・・・ふ・・・いや・・・・こんな事言うのも何だけどさ、ウチの兄、あれだけ綺麗で身体も小さいのに『タチ』なんだよね。しかも絶倫。昨日も僕、朝まで求められちゃって大変だったよ・・・・・・ああ、ゴメンね、こんな事・・・・」

 少し恥じらう素振りなんぞを見せつつ、わざとらしくタンクトップから露出した部分の筋肉を隆起させてみたりする。バートンの蒼白になった顔色が、今度はどす黒く変化する。

 ・・・・楽し過ぎる。

 「まぐれながらもベンチプレスの代表選手のミゲールを負かしたこの僕を組み敷くなんて、きっとアメストリス広しといえども兄くらいなものだよねぇ・・・・・だから、その噂を聞いて可笑しくてさ。もしその人が思い余って兄に襲いかかったりなんかしたら、きっと死んだ方がマシだと思えるような目にあわされるんじゃないかなぁってね。ちょっと心配になったりもして」

 すっかり固まっているバートンを見下ろしてすっかり満足した僕は、とっておきの爽やかスマイルを披露してあげた。

 「おっと・・・僕とした事がうっかりこんな話を・・・・バートン君、内緒だよ?ここだけのハナシってことで。じゃ、忙しいのに引きとめてすまなかったね」

 「・・・・・・・・・・・・・」

 あまりの衝撃に声も出ない様子のバートンを放置して、僕は自分の研究室へと足を向けた。
 

 口の軽い奴の事だ。今の話をさっそくあちこちで吹聴して回るに違いない。
 とりあえずこれで、兄をどうこうしようとする人間は激減するだろう。引き換えに僕は、『あの綺麗な人に夜な夜な求められて喘がされる力自慢の弟』という少々残念なレッテルを貼られてしまう事になるだろうが、それっぽっちの代価で兄の安全を手に入れられるのならば安いものだ。

 腕の時計を見れば、終業時刻の5時まであと30分を切っていた。
 僕と兄。勝利の女神がどちらに微笑むのかを既に確信していた僕は、ほくそ笑みながら辿りついた自分の研究室の扉を開けた。






 終業時刻をとうに過ぎたエントランスホールは、いつもであれば帰宅ラッシュも終えて人影まばらな筈なのだが、今日はマイラーが研究室の所長までも抱きこんでのイベントを開催している為にえらい賑わいだった。
 俺と弟は、そこらへんの研究室から借用してきたらしい固い木の椅子に座らされていて、その目前では弟の部下である研究員が二つ並んだ箱から同時のタイミングでチョコレートを取り出しあらかじめ設置されていた台の上に並べ、それをチェルニーが拡声器片手にウキウキとカウントしていた。お祭り好きのこの男は、マイラーに頼まれるでもなく自分からこの役を買って出たに違いない。ヤツが手にしている拡声器の持ち手部分からぶら下がるネームタグには、しっかり奴の名が記されているのを俺は知っていた。
 
 ほんの数日前までは勝つ事に躍起になっていたが、時間の経過とともに頭が冷えるにしたがい自分と弟の『モテ具合』には圧倒的な差がある事を悟り、それからは言い出した手前おつきあいのつもりで適当に『頑張っているポーズ』をとっていた俺だった。
 この妙に肌触りの良すぎるシルクのシャツや、無駄に光沢のある黒いズボンも。蹴りをかませばあっけなく脱げてスッ飛んでいってしまいそうなエナメルの靴も。首輪のように窮屈なリボンタイも。何が何でもこうしなければいけないとギャアギャア言われて渋々している弛めに編んだ三つ編みも―――――俺の性分には似つかわしくないあれやこれやから、このカウントが終われば晴れておさらば出来るのだ。
 あの洗いざらしのごわついたコットンのシャツと汚れが目立たなくて、丈夫で厚手な生地で仕立てたパンツに履き慣らした厚底(だとはパッと見悟られない)のショートブーツ。そんないつもの姿に戻れるのだ・・・!

 もとより勝つ成算もない勝負。負けると知っていて、もはやその獲得数の差などどうでも良いというスタンスにいた俺は、声高らかに続けられるカウントにまったく意識を向けていなかった。
 
 ・・・・・・早く終わんねぇかな・・・・腹も減ったし。そうだ、そういえば昨夜、弟が夕食の後片付けをしながら言っていた。『明日はシチューにしようか』って。今朝もまた慣れない身支度にかかりっきりで気付かなかったが、きっと弟はしっかりとシチューを仕込んできたに違いない。

 「・・・・早く喰いてぇ・・・・・・旨いんだよなぁ、アルのシチュー・・・・・」

 ともすれば滴り落ちてしまいそうな涎を拳で拭っていると、いきなりホールに居た人間達が歓声を上げた。方々でクラッカーが破裂し、紙吹雪が舞い、口笛と拍手と悲鳴と笑い声が交差する尋常でない盛り上がり様に、目を瞬く。何が起きているのか理解しかねて隣の弟に目を向けた。
 弟は、最初椅子に座った時に見た、イヤミな程長い足をゆったりと組んだ膝の上に合わせた両掌を置いて事態を静観する・・・という姿勢のまま顔だけを此方に向けて穏やかに微笑んだ。
 
 「兄さん、おめでとう。僕が貰ったチョコレートは32個、兄さんのは・・・・・・まだまだカウントは続きそうだね?」

 「はぁ!?」

 「ボヤっとしてないで皆からの祝福に応えないと、ホラ」

 未だ事態が飲みこめない俺の左手を掴み頭上に上げて、にこやかに観衆に手を振る弟の横顔は居たって晴れやかだ。まるで、自分が勝利したとでもいうような誇らしげな顔だ。

 「エドワード様ぁぁぁぁ!」
 「ステキ~ッ!またあのとっておきのエドワード様スマイルを見せて~!」
 「いやぁん!可愛い!綺麗!抱きしめたい!こっち向いてぇ~!」
 「エドワード様~!抱いてくれ~っ!」

 俺に向けられる黄色い歓声に満足げに頷きながらも、それに混じる野太い声を察知するなりギラリと殺気を放った弟はポケットから取り出した何かを野太い声の主に向かって投げつけた。
 それは太った背の低い男の眉間に命中した。と、その男の頭が周囲の人間に埋もれるように沈んで見えなくなった。

 「オイ何やってんだアル!?あいつにあたったぞ?何投げたんだお前!?眉間は急所だぞ!」

 「なぁに。れっきとした粛清行為さ。兄さん、今あの栗色の坊ちゃん刈りのデブを見たよね?今後、あいつが近付いて来るような事があっても絶対に相手にしちゃ駄目だよ?それはそれは性質の悪い害虫なんだから」

 「・・・・・・・・・お・・・おう」

 あまりに晴れやかに・・・・そしてどこか艶めかしさのただよう笑みを見せた弟の掌の中で、ゴリッと物騒な音を立てて砕けて落ちる胡桃の残骸を目にした俺は、大人しく頷くしかなかった。
  ・・・・・・だって、急所である眉間めがけて胡桃(殻付き)を全力で、それも笑顔のままぶち当てる悪魔に、一体どうあらがえというのか?


 勝敗の結果は・・・・・・・なんとしたことか。32個対120個で・・・・・・・。
・・・・・・俺の、圧勝だった。
 
 


 すっかり日の落ちた通い慣れた暗い道を、今日は車窓から眺めつつ帰路に着く。
 自力ではとても持ち帰れない量になるだろうチョコレートの為に、弟があらかじめ車を手配していたのだ。

 普段車の運転をする機会など無いはずなのに、まったく危なげない、むしろ手慣れたしぐさでハンドルを操る弟の横顔をぼんやりと眺めながら、車内に充満する甘ったるいチョコレートの香りに刺激されでもしたのか、妙に胸が落ちつかない。
 二人きりの家族で、二人きりで生活してきたというのに、この自動車の中という馴染みの薄く且つ狭い密閉空間の所為か、はたまたこのカカオの香りに含まれる(かも知れない)なにがしかの効能の所為か、先程から心臓がやたらめったら自己主張をしてくれるのだ。
 対して弟はまったくいつもと変わった様子などなく、それが余計に自分の常ならざる状態を自覚させられることになり、次第にいてもたっても居られなくなる。

 弟は先程と同じく始終微笑みの仮面を顔に張り付けているのだが、いかんせん。漂う雰囲気がとにかく危険な匂いを多分に孕んでいて、どうにもこうにも油断ならない。
 この言い表しようのない閉そく感とプレッシャーに『チョコの匂いで車酔いしそうだから』と、既に目と鼻の先である自宅まで徒歩で帰る申請をすれば、案の定笑顔で却下される。

 ・・・・・・・・何なんだよ今日のコイツ!?

 腿の上でさり気なく(みせかけて)握った拳の中は汗でグッショリだ。
 
 弟が、一体何を考えているのか分からない。
 表情も仕草も穏やか過ぎるのに、纏う雰囲気だけがデンジャラスなのだ。
 いかな天才錬金術師との呼び声高い俺だろうとも、この弟の前には時には無力なのだ。そう、まさにこういう事態に遭遇した時には・・・・・。







 弟に言われ先にシャワーを済ませると、思わず笑みが零れてしまうような良い匂いが家中に満ちていた。お陰で先程までの弟に対する得体の知れない恐怖をすっかり失念した俺は、匂いに誘われるままキッチンへと足を向けた。
 食事の支度で使う火にすっかり温められた美味しそうな空気がふわりと全身を包み込む感覚に、目を細めながらしみじみ思ってしまう。『ああ・・・・幸せだなぁ・・・』なんて。これはやはり歳のせいなんだろうか?
 仕事場から帰ったまま革ジャンを脱いだパンクな服の上からエプロンをつけただけの弟が、まったく無駄のない動きで食事の準備をしている。
 一応交代制で食事の支度するという取り決めがあるから、この俺だってそこそこ手際が良いと自負してはいるのだが、弟の場合はいっそ神がかり的と言っても過言でないレベルだ。
 
 「あ、兄さんシャワー済んだね?じゃあそこのワゴンの上にあるサラダのボウルをテーブルに運んでくれるかな」

 気配だけで俺がキッチンを覗いた事を察した弟は、振り向かずに俺に指示を飛ばしてきた。まるで後頭部に目が付いているのかと思える感覚の良さだ。

 「おー」

 ついでに取り皿とドレッシングなんかを載せたトレイを手にキッチンを出ようとしたところで、またしても此方を見ないまま弟が言った。

 「髪!雫が垂れてる。ちゃんと拭けよ。」

 「・・・・リョーカイ」

 いや、アレは絶対後頭部に眼球があるに違いない。今度奴がグッスリ寝静まった頃を見計らって、後ろ頭の髪を掻き分けて探してみる事にする。




 弟のシチューは予想通りの出来栄えで、俺は餓鬼のようにガツガツと夢中で喰った。二杯目のお替りを半分ほど食べたところでようやく余裕が出来た俺は、ふと自分の向かいで食事をする弟に目をやった。

 「・・・・・・・・・・・・」

 「・・・・・なに?じっと見て。玉葱の皮でも入ってた?」

 「そうじゃねぇ」

 「じゃあなんだよ?早く食べな、冷めるよ」

 「・・・・・・・・・」

 食事の先を促す弟の声も上の空に、ようやく思い至った俺はスプーンを握ったまま動きを止めた。
 先程から、どうも違和感があると思っていたのだ。
 俺と弟は、この数日間今日の勝負の為にそれぞれが今までの自分のイメージを覆すような服装や立ち居振る舞いをしてきた。だが、勝負はもう終わった。だから俺がもうあのキラキラした装飾過多な服に袖を通して、歯が浮くようなエレガントな挨拶で女どもに悲鳴をあげられる事は二度とない。それは弟だって同じはずだ。もう無理して趣味に合わないダメージジーンズを履く必要もなければ、わざわざ男臭い粗野な振る舞いをする事もないのだ。
 ところが、だ。
 弟はこれまでとまったく変わらず、言葉づかいも男らしくこざっぱりと素っ気なく、食事する仕草ひとつとってもこいつ本来のどこか貴族的であった雰囲気が大分払拭されていて、今だってグイとグラスを煽ったあとの口許を手の甲で拭ったりしている。その弟とまたしてもバッチリ視線があった俺は、すっかり忘れていた先程のヤツに対する得体の知れない畏怖の念を思いだした。

 「ふ・・・・なんだよその可愛い顔は?ん?もしかして怯えてるとか?」

 まるで小馬鹿にするように笑いを溢しながら言うのにカッとなる。

 「バッカヤロウ!この俺様がなんで怯えなきゃなんねんだよ!そっちこそガン飛ばしてねぇでさっさと喰いやがれ。俺が片付けすんだからよ」

 「そんなに心配しないでも大丈夫なのに。確かに溜まってるけど、流石にテーブルで押し倒したりする程、僕は野獣ではないからね」

 「な・・・・っな・・・・・った・・・・たま・・・・・っ!?」

 これまた弟らしからぬ明け透けなもの言いにうろたえる俺に、クックックッと喉で笑った弟は、いつの間にか綺麗に食べ終えた自分の食器を片手に席を立つと、俺の横を通り抜けざま人差し指でチョイと俺の項をひと撫でして行きやがった。
 
 「ぎゃ・・・・!」

 「さぁて・・・と、僕はシャワーを浴びてこよう。兄さんは今の内に僕との約束を果たす為の体力を温存しておくといい。下手に筋トレやストレッチなんかせずに・・・・ね?」

 その弟の残した不気味なセリフに冷や汗タラタラで、その後俺の食事が続けられる事はなかった。

 

 

 約束・・・・約束・・・・・なんだっけか?
 勝負自体どうでも良くなったついでに、弟と交わした約束さえも綺麗さっぱり忘れ去っていた俺は、食器を洗いつつ記憶を手繰る。

 「え~と・・・・確か、俺が勝った場合は・・・・・」
 弟のセリフを脳内で再生する。

 ――――――僕が勝ったら何もいらない。でもそのかわり、兄さんが勝ったら、兄さんには自分の魅力を今度こそ本当にしっかり自覚してもらう。いいね?

 そういえば、妙に切羽詰まった表情でそう言われたのはまだ数日前の事だった。
 しかし、思い出したところで具体的に何をどうこうする・・・というものでもないだろう。

 「う~む。ヤツのさっきの口ぶりでは、まるでこれからその約束を実行するって感じだったよな?何するんだ?俺に自分の魅力を自覚させる・・・?」

 まさか、パッツンパッツンの金色のビキニ姿で鏡の前で筋肉を隆起させたポーズをとって自分の男前っぷりを再認識させられるんだろうか?
 ナルシストの気のない俺には苦痛な作業だ。

 あれこれ思いめぐらせたところで結局見当すら付かなかったから、諦めて真面目に片付けをすると、のんびりとあくびをしながらさっさと寝室に引き上げた。
 
 その後、自分の身に降りかかるだろう災難なんぞ考えもせずに・・・・・。








 兄は天才だ。世間からはそう言われているし、彼自身もそう豪語しているし、僕だってそう思う。
 但しそれは錬金術師としての彼に対する評価であり、兄は日常的な事に関して時々呆れるほど鈍感でいい加減だったりする。
 例えば、その最たるもの。
 自分がどれほど周囲の人間を惑わせているのかという事にまったく気付いていない鈍さには、呆れを通り越して最近は腹立たしささえ覚える。
 天才的な頭脳にくわえ、あの美貌。粗雑ながらも弱い者には自然に手を差し伸べる優しさを持ち、男性的な強さを持ちながらもどこか中性的な色香を漂わせる人。彼が居るだけで、その場は陽の光が差し込んだように明るくなり、だからこそ誰もがそんな兄に惹きつけられる。
 断っておくが、これはブラコンである弟の欲目や、惚れてしまった故の盲目的な欲目などでは決してない。確かにこれまで兄に対する自分の評価を『もしかしたら過剰なのかも』と思わないではなかった。だからこそ、今回マイラーが僕達兄弟をダシに立ちあげたレクリエーションは、客観的にその是非を問うという意味で、僕にとってとても有益なものだと言えた。
 
 勝負を始めた当初の僕の予想は、兄と僕のチョコレートの獲得数がほぼならんで、拮抗した良い勝負になるのでは・・・というものだった。ところが、それから幾日もしないうちに、その考えを改めざるをえなくなった。なぜなら、兄の『エドワード様』っぷりにすっかり参ってしまった周囲の反応が、尋常ではなかったからだ。その様子に全く気付かない・・・・・もしくは、気づいていてもそれを好意的な意味でとらえないひねくれた兄を、何度どつきたくなったか知れない。
 本来、『女性』が意中の男性に親愛の気持ちをチョコレートに込めて贈るというのだから、対象は女性だけの筈だった。ところが、これこそが兄の魅力の恐るべき部分で、老若男女問わず・・・・・・つまり兄は、女性ばかりか男までもを虜にしてしまったのだ。
 これまでだって、道ですれ違う見知らぬ男が兄に意味深なねっとりとした視線を投げかけてくるなどという事は割と頻繁にあった。それがこうなってからは、研究所の至る所で兄に対して不届き至極な想いを抱く輩が続出し、物陰でヒソヒソと兄に対する不埒な想いを吐露しあう男共を目にする事が日常茶飯事となってしまった。
 このままでは兄の身が危険だと判断した僕は、作戦を替えた。
 目的はただひとつ。
 いくら色香を漂わせ、どんなに魅力的でも、組み敷くなど恐ろしくてとても出来ない屈強な男の中の男、エドワード・エルリック―――そんなイメージを周囲に植え付ける。それも徹底的に・・・・・だ。
 その為にはまず、この僕の印象を変える必要があった。
 僕はこれまで仕事でも人づきあいでも、この柔和な容貌を存分に活かし、相手にできるだけ優しい印象を与えて物事を丸く収め、荒立てずに上手に生きてきた。兄のように普段から強気の姿勢でガツガツするよりも、この方が消費するエネルギーを最小限に抑えられ、非常に合理的だからだ。
 あくまでも品良く、大きな声を出さず、優しい眼差しで、丁寧な言葉遣いで相手に不快感を与えない・・・僕が意図的に作り上げてきた自分のイメージはこんなところだろう。
 しかし、僕はこの機にそれを止めた。
 言いたい事を、無理に丁寧な言葉を使う事無く遠慮せず言い、努めて品良く振舞っていたのをわざと粗野な仕草に切り替え、これまで綺麗に隠していた若い生身の男であればだれでも持ち合わせているギラギラした部分を適度に滲ませ、身に降りかかる火の粉の元を見つければそれを徹底的に叩きのめす攻撃的な姿勢を前面に押し出し、そしてそれらをより分かりやすく演出する為に服装を変えた。さらに法に抵触するのを承知で筋弛緩剤と同じ効能をもつ物質をひそかに錬成し、それを混入したコーヒーを飲んだ筋肉馬鹿を公衆の面前で打ち負かすなどという不本意なデモンストレーションまでやった。
 プライド?道義?そんなちゃちなものが兄を守るのに一体何の役に立とうか。僕のモラルのボーダーラインは、兄を守る為ならば容易く底辺まで引き下げられる。
 
 とにかく、対象は女性だけではないという状況に、兄はまったく気付きもしなかった。この錬金術研究所に所属する関係者、研究員、職員、雑務に従事するアルバイト等々常時入れ替わるが、その総数はほぼ300名。その内男女比率はざっと見積もって1対5。周囲の反応から推測するに、女性票は僕と兄とで半々ずつ獲得するとして、問題は残る膨大な男性票だ。余程の『ホンモノ』でない限り、この男性票は全て兄に入ると考えていい。とすれば、勝敗の行方はおのずと分かろうというもの。ところが憎らしいほど鈍感で可愛い兄は、勝負の行方をすっかり読み違えていたのだ。
 
 これまで無防備な兄に散々ハラハラさせられてきた僕が、この機に乗じてちょっとくらいキレたところで、それを誰が責める事ができるだろう。
 この際、兄にはしっかりと周囲から自分に向けられている欲望の存在を、その身をもって自覚してもらう。そして兄の身を守る為、『壮絶な色香を漂わせる魅力的な、しかし組み敷くなど恐ろしくてとても出来ない屈強な男の中の男(でも小さい)エドワード・エルリックに、夜な夜な力ずくでベッドでアンアン言わされている弟』という嬉しくない肩書きを自ら広めなくてはならなかった可哀想な僕に、若干でもその代価を払って貰うのだ。
 そもそも、反故にしてしまったが最初の約束では兄が勝った場合の報酬は『僕のカラダ』だと兄本人の口から聞いているから、まさしくこれは一石三鳥という美味しい事態だ。

 湯を満たしたバスタブにゆったり浸かっていた身体を起こし、僕は目を細めてにんまりした。

 「最初の約束通り、兄さんにも報酬を支払ってあげようじゃないか・・・・・たっぷりとね」

 パイル地のバスローブを羽織って、バスルームを後にする。向かう先は、寝室。
 愛しい兄に、自分のカラダをプレゼントしてあげる為に・・・・・・。

 






 俺ピンチ!俺ピンチ!
 メーデー!メーデー!
 誰か・・・・・助けてくれ!!!!

 俺は今、あまりの事に笑うしかない窮地に追い込まれている。いや、笑うしかないというか・・・・笑えねえ。・・・・・・だって、弟が怖ぇ・・・・・・。
 何故こんな事になってしまったのかといえば、話は小一時間ほど前をさかのぼる。
 

 
 弟がシャワーを浴びている間に寝室へと引き上げた俺は、自分が言いだした事とはいえ、ようやっと窮屈な生活から抜け出せるという解放感に満たされ、明日からはもう自分好みの着心地の良い服で出勤できるのだとご満悦な気分でベッドに倒れ込んだ。
 弟との『エルリック兄弟どちらが男前!?ガチンコ勝負』に挑む俺の指南役を買って出たマイラー以下数名のオンナ共から、『男に二言はないだろう』とプライドに訴え掛けられることでせざるをえなかったあれやこれやが脳裡を掠めては消えていく。
 
 歯ぐきを見せて笑ってはいけない。
 眉間にクレバスのような皺を刻んではいけない。
 上目遣いでガンをくれてはいけない。
 女性の耳に入る場所で『クソ』『畜生』『・・・だぜ』等々、品の悪い男言葉を使ってはいけない。
 挨拶は『ごきげんよう』と、にっこりと。
 立ち居振る舞いは弟のアルフォンスを手本にして、常にエレガントに。
 エトセトラエトセトラ。

 自慢じゃないが、生まれてこの方『お上品』なんて言葉とはトンと無縁に生きてきた俺だ。この歳になっていきなりあーだこーだ言われたところで板につく訳もなく、ほとんど自棄っぱちにギャグのノリでやっていたのだ。

 「あー・・・・そうか。これまでの苦行は、この解放感を味わうがために与えられた試練だったのか・・・・」
 
 ついさっき弟が実行すると言っていた『何か』が気がかりではあったけれど、一度ベッドに横になってしまえば襲ってくる睡魔に勝てず、俺はいつしか眠りこんでしまった。




 目が覚めたのは、口内に異様な味の液体が流れ込んだ所為だった。

 「ん、ぐ・・・・ん、ケホ・・・ッんにすんだアル!?なんだよコレ?何飲ませやがった?」

 覚えのあるようなないような薬臭さが後をひく甘ったるい味が口の中にあり、半分寝ぼけた脳ミソの記憶中枢からこの味と匂いを持つ物質を必死で探るもコレといった物が見当たらない。
 バスローブ姿で覆いかぶさっていた弟を突き飛ばし、あわててサイドテーブルにあった水差しの水をがぶ飲みする。勝負の判定後から不穏な空気を纏っていたコイツの事だ。俺の想像の範囲を超えた、何かよからぬ薬物を飲まされたに違いないのだ。
 弟に止められる前に体内に入ってしまったコレを少しでも薄めなければと、立て続けに二杯三杯と勢いよく飲み干したのがいけなかったのか、水が気管に入ってしまい盛大に咽る。
 
 「ぐ・・・・っガホッ!ゲフッ!・・・・・てめ・・・・何飲ませ・・・・ゲホゲホッ」

 「馬鹿だな兄さん。慌ててそんなに一度に飲むから・・・・ほら、コップ置いて。溢してる」

 涙目で抗議する俺の背中を半ばあきれ顔でさすりつつ俺の手からコップを取り上げた弟の穏やかな表情と、それに反して不自然にギラリと光を放つ危険な目に気付けなかった事こそが、俺の最大の敗因だった。
 しかし、俺はまだ自分がまんまと用意した囲いに追い込まれる羊であるとは思い至らず、無意味な反撃をした。
 
 「言っておくが俺はな、パッツンパッツンの金ピカパンツはいて筋肉モリっとさせてポーズとるなんて絶対やらねぇからな!」

 「はぁ?何だよそれ?そんな奇抜な事をやりたいの?」

 「じゃなくて、やらねぇって言ってんだよ俺は!お前、じゃあ俺に何させるつもりだよ!?」

 弟が腰かけている場所から無意識に一番遠くのベッドの端まで尻でずり下がっていた俺に、なんとも優雅な笑みが向けられた。我が弟ながら、格好良すぎて憎らしい。

 「させるというか・・・・するというか・・・・いや、でもしてくれるというのならたまにはそんなシチュエーションもいいかもね?」
 
 「・・・・・・な・・・・なんのハナシだ!?」

 「え。だからナニの話でしょ?」

 項を伝う汗の感触に、冷や汗ってホントに冷たいんだな・・・なんてどうでも良い事を妙に冷静に考えたりする。

 「な・・・・ナニって・・・・・お前の言うところのナニって・・・何を意味すんの?」

 「さて、なんでしょう?ところで兄さん、まだ身体なんともない?」

 突然話の矛先を変えられて呆気にとられる俺の顔を、妙に注意深く窺い見る弟の目に嫌な予感が更に膨れ上がった。

 「な・・・・なに・・・・・が、だ・・・・・・?」

 「呼吸が少し早くなってるね。さっきより暑くなったりしてない?指先がピリピリしたりとかは?」

 具体的な『問診』に、俺は確信した。

 「お前・・・・マジで一服盛りやがったな・・・・・!?」






「どうかな。そう思う?自分の身体の状態でそうかそうじゃないのか、そろそろ分かるだろ?」

 普段見せる柔和で人畜無害風な表情が演技だったのかと思える程の悪人顔で、弟は笑った。
 言われてみればなんだか身体が火照っているような、手足の先が痺れているような・・・。
 
 「ぎゃ―――――――!!!」

 弟が俺に盛るならそれがどんな類の薬かなんて、考えなくたって分かる。恐怖にひきつる喉から悲鳴を上げた俺は一度テンパりかけたのだが、かろうじて残っていた冷静な部分がそれを止めた。

 ・・・・・いや、騙されるな俺。
 ありとあらゆる物質を生み出せてしまう錬金術には、そのはかり知れない汎用性ゆえに、法によって厳しく規制が敷かれている。特に医療錬金術法では、神経系に作用する薬物の錬成が闇ルートなどへの流出を防止するため固く禁じられている事くらい、医療錬金術とは関係のない部署にいるこの俺だって知っているのだ。ましてや医療連金術のスペシャリストである弟がそれを知らない筈はなく、研究チームまで任せられた社会的に責任ある立場にいる奴ならば、たかがこんな馬鹿げたお遊びの為に法を犯す事はしないはずだ・・・・・多分。
 そこまで考えてようやく自分を取り戻しかけたところで、またしても弟が此方の神経を逆なでするように小さく笑った。

 「な、なにが可笑しい!?テメェふざけた冗談も大概にしとけよ?マジで俺を怒らせたいのか?」

 「ふざけた冗談?それは心外だな。僕はいつだって本気だよ・・・・兄さんに対しては、いつだってね」

 得体の知れないオーラを背負った弟が柔らかな笑みを浮かべたまま、ベッドの隅っこに逃げていた俺の足首を思いがけない程の強い力で掴んで引き寄せた。そのまま再び覆いかぶさるようにされ、必死で腕をつっぱり抵抗するのだが・・・・・。

「止め・・・・・?な・・・・・なんでだ・・・・・力が入んねぇ・・・クソ!」

「やっと効いてきたねぇ。さぁ、これからたっぷりと時間をかけて、兄さんに『自分の魅力』ってやつを教え込んでやるよ。」

 効果が絶大過ぎて普段は使用を禁止している為に久々に聞かされた弟の必殺技『エロボイス』が、俺から最後の抵抗をする為の力をあっけなく奪った。

 ・・・・怖ぇ・・・・!!俺、一体どうなっちまうんだ・・・・・!?
 
 
 
 
 

 

 僕と身体の関係を持ってからもう5年以上経つというのに、兄は未だに行為の度に酷く恥じらう。それは彼の中で決して・・・恐らく生涯消える事がないだろう、血のつながった弟に肉欲を伴う愛を抱いてしまったという罪悪感とそして、性的な事柄に対して覚える羞恥心が人一倍大きいという彼の性格、さらには『生粋の男』である彼にとって男に抱かれるという行為が本能的な部分での抵抗を完全に払拭できずにいる所為だ。ただ、酒に酔った時だけは、そんな諸々から解き放たれ、自由奔放に僕を求めてくれるのだけれど。
 今夜は、全てを忘れて僕の腕の中で自由に、快感に溺れさせてあげたかった。そんな彼が、どれだけ僕を虜にして狂わせるのか。その僕と同じように、どれだけ多くの人間が兄に惹かれ心惑わされているのかを、彼にちゃんと理解して欲しかった。
 酒の力を借りて一時殻から解き放ってやることはできても、アルコールに弱い兄は翌日になればほぼ全てを忘れてしまう。それでは意味がない。だから、僕は不本意ながら『薬の力』を借りる事にしたのだ。





「アル・・・・アル・・・・あ、ヤダ・・・・・こんな・・・・」

「平気。僕しか見てない。大丈夫だから、怖がらないでいい」

 まだ本格的な愛撫を施してもいないのにすっかり息の上がってしまった兄が、ピンク色に染め上げてシーツに投げ出した身体を震わせている。その姿を見て理性を飛ばさないでいられる自分を褒め称えてやりたくなるような、壮絶な艶めかしさだ。

「兄さん・・・・綺麗だね。あなたは本当に綺麗な人だ。顔も、身体も、心も全て・・・・・僕が何度暴いて汚しても、絶対に穢れない。いつも光を放って、僕をあたためて、清めて、癒してくれる。僕にとってあなたは、唯一の神様だよ」

「馬鹿野郎・・・・!この世に、カミサマなんてもんは・・・いねぇ、ハ・・・・う・・・・・ましてや、オレ、は・・・・・・ハフ・・・ッそ・・・な・・・大層なモンじゃね・・・・」

 胸の先に、脇腹に、臍の下に、彼の象徴に・・・・・くすぐるように滑らせる僕の指先に過剰な反応を示して跳ねる身体をどうにも出来ずにいながら、息も絶え絶えに強気に答えるその声はかすれて、僕を更に煽りたてた。でも、まだ溺れる訳にはいかないと歯を食いしばる。思えば行為の度に、僕はこうして欲に溺れて兄を滅茶苦茶にしてしまわないようにと奥歯を噛みしめているのだった。
 今取りかかっているプロジェクトが終わったら、今度は錬金術で歯を再生する研究でもした方がよさそうだ。このままいけば、僕は兄のお陰で若い身空で総入れ歯なんて、笑えない事態になりそうだ。
 既にはちきれんばかりになっている兄の雄芽にようやく手を掛けてやれば、耳にするだけでイッてしまえそうな魅惑的な声で啼く。

「・・・・僕の言葉を、ちゃんと聞いて」

「無茶言うなバカ・・・・・・・!あ、触んな・・・・・・クゥ・・・・ッ!」

「そうだ。今日はまだキスしてなかったよね」

熱い息を吐く赤く熟れた唇に、ゆっくりとキスをしてあげながら、僕は言葉を紡ぎ続けた。

「最近は言わなくなったけど、今でも思ってるんでしょう兄さん?『お前をこんな道に引き摺りこんだのは自分の所為だ』って。今まで僕はそうじゃないと言ってきたけど・・・・」

「・・・・・・ハァ、ァ・・・・・ッアル・・・・・?」

 解いたキスの濡れた唇から、不安そうな声で僕の名が紡がれる様に、ほんの少しだけ嗜虐心が沸く。
 額同士を触れ合わせた距離で、言ってやった。


「そうだよ、兄さんの所為だ。兄さんがいけないんだ」

「・・・・・・・・・・ッ!?」

 驚愕に見開かれた目には、おかしなことにどこか安堵の色さえ混じっていた。
 なぜなら兄は、いつでも罰を欲しているから。
 血の繋がりを越え、兄弟で結ばれるという禁忌を犯した罪を勝手に自分一人の身に受けて、断罪されることを願っている馬鹿な兄。美しく愚かで優しく、愛しい兄。

 僕は、再び笑みを浮かべた。

「兄さんがあまりにも綺麗で、魅力的で、心が美しくて、強くて優しくて、自分以外の人間の痛みに敏感で、あたたかくて、一生懸命で、傷ついても平気そうな顔をして、いつでも自分じゃない誰かの心配ばかりしているような人で、小さくて・・・・・」

「・・・誰が三十路目前の手のひらサイズなイケメンだと~~~ッ!?」

 額に衝撃が走り、目の前に星が飛び交った。兄お得意の頭突きがさく裂したのだ。

「三十路目前は本当だからいいとして、自分で自分の事イケメンとか・・・・・だいたいてのひらサイズだなんて言ってないし。」

「・・・るせっコノヤロー!言うに事かいてち・・・・ち・・・ちい・・・」

「つまり僕が言いたいのは、」

 離してしまった手を再びそこにやり、少し乱暴に扱きあげてやれば、瞬く間に快楽の渦中へと身を躍らせる恋人の耳元に唇を寄せて言葉を吹き込む。
 
「良い?実の弟である僕が、血の繋がっている、それも同じ男であるあなたをこんなに求めてしまうのはね、あなたがその罪を犯してまで手に入れてしまいたくなるほどに魅力的な人だからなんだよ、分かる?」

「分かった・・・・分かった・・・・から・・・・手、やぁ・・・・ッ!」

 暴発するところを許さず根元を握りしめると、その僕の手の上から重ねた両手で強引に自らを解放しようと動かす。流石に可哀想になり、弛めたその手で一気に絶頂へと導いてやれば、兄はあまりにもあっけなく全身をわななかせ、随分と長い時間をかけて精を吐き出した。

 
放心状態でいても、僕の声はしっかりと届いているのを確信し、続ける。

「今まで何度も何度も僕は言ったよね。あなたの魅力は誰もを惑わせるんだって。いい加減、本当に自覚してくれなければ困る。これはあなたの為だけじゃない、あなたを心配する僕の気持ちを分かって欲しい。僕を愛しているというのなら、今ここで誓うんだ」

「・・・・・・・・・アル・・・・怒ってんのか・・・?」

 呂律の回らない舌足らずな口で言う兄にむしゃぶりつきたくなるのを堪えて、はっきりと頷いて見せた。

「そうだよ。いつまでも僕を不安にさせるあなたに、僕はずっと怒ってた。このままあなたが変わってくれなきゃ、いつか僕はあなたを鎖に繋いで部屋に閉じ込めるなんて事を言い出す歯目になる。お願いだから、僕を不安にさせないでよ、エドワード・・・・・・!」

 脅すつもりが、結局泣き落としになってしまう自分の不甲斐なさが情けない。しかし、兄にとっては逆にこれが効果絶大だったらしく、いままで適当に流していた態度とは一変して考え込む表情を見せた。

「・・・・そんなに、オレって・・・その・・・・・ヤバい訳・・・・?」

「ヤバいね。ヤバ過ぎる。もう卑猥が服着て歩いてるようなものだよ。」

「オイ、それは失礼にも程があるんじゃねぇ?それ言ったらお前なんかエロが服着て歩いてるようなもんじゃねぇか!この際だから言わせてもらうがな、こっちこそ、エロオーラまとってるお前に女が群がってるの見て気が気じゃねぇンだよ!!」

「・・・・・・にいさん・・・・・・・・・」

 思わず言葉を失う僕の表情を見て、自分の言ったセリフに改めて気付き衝撃を受けたらしい兄が真っ赤になって手足をジタバタさせる。
 
 もう幾度となく恋人としての濃密な時間を重ねてきたというのに、僕はこれまで、兄からここまではっきりとした嫉妬の存在を知らされる事無く過ごしてきた。
 もしかしたら兄が僕に与えてくれる愛はその殆どが兄弟としての情愛で、僕が兄へ向ける激しく生々しい感情とは少し質の違うものなのでは・・・・と、時々思い悩んでしまう程に、兄は独占欲を露わにする事がなかったのだ。

「兄さんも、ヤキモチなんて妬くの!?嘘・・・・・!」

 目を瞠る僕に、今度は兄が噛みついてきた。

「あたりまえだ馬鹿野郎!畜生・・・・・ああそうだよ!カッコ悪ぃから必死に知らねえってフリしてたよ俺は!でもいつだってお前の周りに居る人間に『ソレは俺だけのもんだ!』って言ってやりたくてイライラしてんだ、文句あっか!?」

 とうとうキレた兄が愛しくて愛しくて愛しくて・・・・・・・力の限り抱きしめた。

「ウギャ・・・!」

「兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん!!!!愛してる・・・・!嬉しい!僕だけの兄さん!」

 手加減なしに抱き締めた腕の中で苦しそうにもがく身体をそれでも離して上げられないでいると、とうとう諦めたらしい兄が今度は負けじと強い力で僕の身体を抱き締め返してきた。

「・・・・分かった、分かったよ、アル。可愛い弟を不安にさせて泣かせるんじゃあ、兄失格だよな。お前の言うことをちょっとは鵜呑みにして俺はうぬぼれてみる事にするよ。」

 一度口にした約束事は必ず守る兄だから、その言葉を聞いた僕は心の底から安堵した。
 いくら傍に居て守ろうとしたところで、その本人が危険を自覚しなければどうしようもない。でも、これで兄を危険な輩から守る事ができるのだ。

「うむ。さしあたって明日から俺は、外出時にはお気に入りの眉毛口髭鼻毛付き鼻眼鏡を着用してだな・・・・」

「効果絶大だろうけど、常識的な大人としてそれは却下」

「じゃあせめて禿げカツラを被っ・・・・」「黙れ」

 折角甘くなりかけていた雰囲気を台無しにするやんちゃな唇を食べるように塞いで、先程まで溺れかけていたあの感覚を再び引き出してあげるべく、僕は久しぶりに手加減という名のリミッターを外した。
 兄の弱い部分を唇で丹念に辿りながら、殆ど両腕に絡まっていただけのバスローブを余裕のない仕草ではぎ取り、自分のローブも一気に脱ぎ捨てる。触れる兄の素肌はいつも以上に熱を持ち、ほんの少しの刺激だけでビクビクと顕著な反応を見せてくれた。
 僕の手によって瞬く間に追い上げられていくいつもより敏感な身体をもてあまし、兄が切なそうに喘ぐ。
 
「ゴメン、そんな色っぽい顔を見せられたら、流石に今日は抑えが効かなくなりそう・・・・!」

 甘く零れ続ける吐息の合間合間に、兄の抗議の声が混ざる。

「おま、えが・・・・・薬なんて、盛るせいだろ・・・・・ッ!駄目だから、な!手加減しろ・・・!」

 過ぎた快感に無意識のうちに逃げをうつ身体を自分の下へと引き戻し、重ねた両掌同士をそれぞれシーツに縫いとめれば、どうにもできない歯がゆさに涙さえ滲ませ、勝気な金の瞳が僕を睨む。けれどそれも一瞬の事で、触れ合った身体のそこここから生まれる快感に眉根を寄せ、零れてしまう嬌声を堪える為に唇を噛む。
 その噛みしめた唇に、舌先で愛撫を与えながら、僕は目を細めた。

・・・・・・なんて可愛い人だろう、兄という人は。

 僕がさっき眠っていた兄に口移しで飲ませた物は、確かに薬ではあるけれど、兄が想像している類のものではない。

 シン国との国交が一層盛んになった近年、シン国に古くからあり独自の発展を遂げた医学を、この錬金術研究所の医療錬成部門の研究者達はこぞって学んでいて、アメストリスにはない薬草等の原料を頻繁に輸入している。僕のチームでも同じようにシン国から様々な試料や薬剤を取り寄せているのだが、これはそのついでに手に入れたものだった。シン国で広く使われている薬に、血流を良くして主に上半身の痛みに有効だといわれている物があると聞き、最近しきりに肩の凝りを訴える兄の為に僕がこっそり発注したのだ。
 大切な兄の身体に正体の知れない薬物を与えることなどできないから、事前に何度か自分でも服用して安全性は実証済みだ。その効き目は緩やかで、聞いていた通りの効能の有無をハッキリ確認する事はできなかったのだが、確かなのは、少なくとも著しい強精効果や、いわゆる催淫効果は一切認められないと言う事だ。
 そんな薬をあの状況で意味ありげに飲ませる・・・・・僕が狙ったのはつまり、プラシーボ効果だ。
 兄は努力という下地がある故に自信家で、基本的にあまり他人の言葉を鵜呑みにしない。ところが、僕の言葉だけは疑ったりする事をまったくせず、端から信じてしまうという可愛い性質を持っていた。
 その兄を騙すのに胸が痛まない訳ではかったけれど、妙な物を大事な兄の身体に入れる事はどうしても避けたかった。(ただ、言い訳がましいが、僕は多少意味深な態度はとったけれども、断じてこの薬が『催淫剤』だとは一言も言っていない。)
 ・・・・とはいえ、仕掛けた僕ですら、まさかここまで効果絶大だとはまったく想定外だ。
 今、僕の身体の下でしどけなく横たわる兄の、壮絶なまでに妖艶なことといったら筆舌に尽くしがたい。口では嫌だ止めろと言いながら、骨まで貪りつくしてくれと身体中で訴えているようだった。
 
「手加減・・・・出来るかどうかは分からない。でも、傷つける事は絶対にしないから、僕を信じて。全部僕に任せて・・・・愛してるよ、エドワード」

「ン・・・・ウア・・・・!」

 身体中の血が轟々と血管という血管を恐るべき勢いで巡り、それは一気に僕の中心へと向かう。猛り過ぎて痛みさえ覚え、眩暈に気が一瞬遠くなる。

 大事にしたいのに、本当に今日の僕は駄目だ。荒々しい所作で彼の身体のあちこちを侵略し、暴き、犯した。まるで生きながら食べられる動物のように、兄はもがき、もがいては悲鳴をあげた。

「この僕を、こんなに夢中にさせて・・・・・!なんて人だ、あなたは・・・・・!本当に、鎖で雁字搦めにして、誰の目も届かないどこかに一生閉じ込めてしまいたいよ・・・・」

「アアア、ン・・・・あ、イヤ・・・・・・・おかしくなる俺・・・・オレ、ダメに・・・なっちま・・・」

 激しく前を扱きながら、後ろに深く突き入れた指で容赦なく掻き回す。理性を手放す寸前の兄は、ぼろぼろと涙を溢して可愛い鳴き声を上げては身を捩らせ、ひたすら僕を煽る。あまりにも危険な行為だ。
 事前に一度抜いておかなかった自分の手落ちを後悔したが、こうなってしまえば後の祭りだ。
 仕方ない。兄には後で謝ろう。そしてうんと甘やかして大事にして、それでも駄目ならあまりに高価な為に禁じていた異国の古い書物の購入を許してやってもいい。
 
 最後の箍がはずれる音を聞いてしまえば、もう、僕に残された手だてはない。ただ、流されるだけだ。

「駄目になっていい。あなたなんて、僕の腕の中で全部とろとろに熔けてしまえばいいんだ・・・・!」

 下肢へと移動する僕の視界によぎった兄の表情が陶然と微笑みを浮かべていたように見えたのは、はたして僕の気の所為だったのか・・・・・それを確かめる余裕すらなかったことだけが、ただ悔やまれた。



 
 
 
 
 


「だから言っただろ!?兄さんの魅力は普通じゃないんだって!この僕さえも虜にしてメロメロにしちゃう程なんだって!」
 
「なんだよ、その俺を褒め称えてるんだか自画自賛してるんだか分からねえセリフは!責任転嫁するんじゃねえよ馬鹿弟が!もうマジで向こう三カ月はやらねえからな俺は!」

「悪いと思ってるからこそ、兄さんが前からどうしてもって欲しがってたドラクマの書物の購入を許したのに。一体いくらする思ってるんだよアレ!?僕と兄さんが10年は楽に遊んで暮らせる金額だよ?分かってるの?」

「そんなの当然だ!昨日のアレで、俺の寿命は10年は縮んだんだ!代価としては順当だろうがよ!」


 翌日案の定、目覚めるなりおかんむりな兄に錬金術で治療を施し、少し遅れて出勤する車の中で、僕と兄はまたしても堂々巡りの口論を繰り広げていた。
 
 研究所に着けば、きっとまたマイラーがこの喧嘩の勝敗についてトトカルチョを開くことだろう。何が悲しくて、恋人の元カノの懐を潤す為に自分のプライベートを暴露する苦痛を度々強いられなければならないのか。
 そう思った僕だけれど、一瞬後には考え直す。
 この人の一番近くに居られる位置に生を受け、彼を愛し、そしてその人から同じように愛されるという奇跡を手にした僕が払う代価としては、その程度のものなど取るに足らないのだ・・・と。
 
「な、なんだよ?急にひとりでニヤニヤするんじゃねぇよ、気持ち悪ぃな。今度は何企んでんだお前?」
 
 無意識に笑みを溢してしまった僕は、ハンドルを切りながら、今度は声を出して笑った。
 
「僕はね、兄さん。兄さんが思ってるよりもずっと兄さんを愛してるよ。兄さんは知らないと思うけどね」

 なんの脈絡のない告白に一瞬呆気にとられた顔を見せた兄だったが、直ぐにいつもの勝気な目をキラリとさせるとがつんとお返しをくれた。

「なに馬鹿言ってんだアル。俺の方がお前を愛してるに決まってるだろ」

「そっちこそ馬鹿いってんなよ。僕の方がずっとずっと兄さんを愛してるに決まってるだろ」

「あんな薬盛ったくせに!本当に愛してるなら、そんな大事な相手になんでそんなもん・・・」

「あー、あれね。兄さんが思ってるような薬じゃないから」

「なにぃ!?お前が錬成した怪しいクスリなんじゃ・・・・」

「違います。最近兄さん根詰め過ぎて肩凝ったって言ってたから、シンから薬草取り寄せるついでに頼んでおいたカッコントウだよ」

「な・・・・な・・・・・ん、だと・・・・・・?」

 瞬く間に真っ赤になる兄の表情を横目に、こんな時間に疼いてはいけない場所が疼く。
 昨夜の自分の痴態を思い出し、それが薬理作用によるものではないと知った兄のうろたえようといったら・・・・・色っぽ過ぎて見てるこちらがどうにかなりそうだった。

「提案があるんだけど」

「・・・・・・ナンデスカ、あるほんす君。」

 恥ずかしさのあまり普通に喋る事すらできない兄に、余裕のない僕が言った言葉は、我ながら思い切ったものだった。

「今日は仕事サボって、このままどこかに行かない?こんなんじゃ、僕も兄さんも職場で凡ミスやりそう・・・というか、絶対する。」

「・・・・う・・・・・さ・・・・・賛成・・・・・・」

 非常識なようで、実はとても常識人で生真面目な兄が消え入るような声で返してくるのと同時に、僕はハンドルを切った。

 さて、行き先はどうしよう?

 このまま家に戻ってしけ込むも良し。それとも郊外まで足を延ばして非日常的なシチュエーションで愛を語り合うも良し。

 ともあれ、僕達が今日も蜜月のような一日を過ごす事に間違いはない。













むうきさんから『兄弟ガチンコ勝負』というネタを頂き、書いたものです。思いのほか長くなってしまいましたが、最後まで楽しんで書きました。お付き合い下さった方、そしてむうきさん、どうもありがとうございましたm(_ _)m








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