There goes rhymin' myself(ひ・と・り・ご・と)
思いついたときに、思いついたままに書く独り言コーナーです(テーマは、特に大村さんには関係ありません)
なおこのタイトルは、Paul SimonのCBS時代S&G後のソロアルバム・タイトルから。

松原 正樹氏
この人が参加された楽曲は10000曲を超えるらしい。超テクはもちろん、テクに溺れない、また独りよがりにならない、職人的でありながら豊かな「歌心」を感じさせる素晴らしいフレーズの数々。それと、この人のソロ・リードの時には、リードと共にハーモニーが一緒に鳴っているような豊かなアンサンブル感さえ覚えます(注:エフェクターの話じゃないです〜、感覚的なお話(^^))。多くの人の楽曲に参加を請われたのは、当然と言えばあまりに当然。でも私はそれだけではないと思った・・・。
先日、遅ればせながら松原さんのデビュー25周年記念ライブ(at スィートベイジル/六本木)でのライブ映像を見たが、その時のこの方の表情がとても素晴らしかった。なんか、ギター少年のままのような邪心のない笑顔やプレイ。多くの人に愛されている理由は実はこれもだな、と思った。(もちろん、私は松原さんとは全然面識も何もないのであくまで個人的な印象の話であるが)人の良さや優しさみたいなものを醸し出しているのである。伝わってくるのである。そう、「テクニック」があって「人柄」もよければ人間、無敵ではないだろうか?
万一私が曲を録音するときには(*)、勝手ながら、ギターのファースト・コールは松原さんしかいないと思った。この人の音を絶対自分のレコードに入れたい!なんかそう思わせる方である。
(*ちなみに私、大昔、YAMAHAの「ライト・ミュージック」誌の作詞・作曲コーナーに載った事があるんです・・・(^^) )
04/11/13

「HUMARHYTHM-III」 最新CD「HUMARHYTHM-III」2004.10.20発売〜これは超お勧めです。僕の中では、早速松原さんのCDでの一番のお気に入りになりました。今まで一番聴きたかったタイプの松原さんのギターが、最新の録音で聴けました)。
※(試聴するならココです→  http://www.tahara-inc.co.jp/disc_rev/matsubara.files/disco.html  )
萩田 光雄(光男)氏
天才。重要人物。氏がいなかったら日本のPOP MUSICの質は陳腐・稚拙なまま推移していたと断言できる。ルーツであるクラシカルな要素、上質なアメリカンPOPS、ヨーロッパ的な情緒感他氏の多彩な音楽知識と天賦の才能を活かして、独自の日本のPOPSを紡いできたのである。この功績は誰も否定できない。不思議なことに、活字メディアを中心に、「はっぴいえんど」やら「大滝詠一」やらいつも同じ様なネームの資料が溢れているのに対して、氏に関するアーカイブ・データはほんの数えるほどしかない・・・。メディア関係者は本当に「音楽を評価する耳」を持ち合わせているのでしょうか?私には、みんな「Rock・POP=Beatles、Eagles,Beach Boys,etc」のような特定の「刷り込み」に侵されているようにしか考えられない。きっと元Rock Musicianような人が多く、「Rock」に対するコンプレックスが強いのでしょうか?メジャーな活字メディアの軽薄さ、底の浅さも物語っている。更に言えば、ビジネスに結びつかない人物は扱わないという、業界的な「裏」が透けて見える気がします(つまり、大半が「パブリシティ」系の記事ばかりだと言うこと・・・?)。
正直申し上げれば、氏の膨大な作品の中には「お手本」が透けて見えるものも少なくない。でもそれらを差し引いても全く問題ないほどの、またはそれさえも結果的に日本のPOPSを進化させてきた功績の中では小さな問題だと十分に言える。またそれ以前に、独自の「創作」が感じられる名作品の方が圧倒的に多い。駄作は殆どないところもスゴイ。
萩田氏、船山基紀氏、そしてもちろん大村雅朗氏、あるいは瀬尾一三氏等他の多くのアレンジャーの方々ももきちんと評価され、アーカイブされなければならないと思う。
04/10/30
JOHN DENVER
私はJOHN DENVERのファンである。70年代、あれほどの人気を博したこの人が未だかつて再評価されていないのが不思議でならない・・・。レコードセールスは確かRIAA公認の記録保持者のはずである。推測であるが、どんどんブラック系の音楽が勢力を強めてきたアメリカで、権利を持っているレコード会社の扱いそのものが冷たいのだろう。でも私は絶対この人の再ブームが来るとずっと信じている。それはこの人の歌の世界が、単なる消耗品音楽ではないから。単なる「カントリー・ミュージック」では決してないから。最近の世界の世相からからしても、そろそろ「来る」予感がしている。この人を求める時代環境になってきていると思う。(ちなみに「耳をすませば」の日本語カバー「カントリーロード」はちょっとなぁ・・・。 私的には止めて欲しかった。原曲をしている身には、譜割りが・・・で、ほぼ別の曲になっているし・(汗)
04/10/25
音楽は「理不尽」なもの
誰かが言ってました。「音楽は理不尽なもの」だと。本当にそう思う。
歌唱力がある人、演奏が上手い人、良い作品、質が高い作品が必ずしもそれなりの評価や名声を得らているわけではない・・・と言うか逆の方が圧倒的に多いと思う。クラシックならコンクールなどの評価でまだ客観的評価も得られるが、ことPOP MUSICでは全然そんな「法則」が通用しない。「努力」も「誠実」さも必ずしもそれらに関係しない。売るための/ビジネスとしての音楽の評価の中では、本当に「理不尽」さばかりだと思う。でも、この「理不尽さの法則」を解く方程式の因数の中にこそ、「大衆音楽のマジック」があるのだと思う。
04/10/24
アイドル歌謡とは言うけれど・・・
結構「アイドル歌謡」を見下している人が多い。逆に、クラシックやJAZZがメインで聴いている人が、何故か「アイドル歌謡」に惹かれる自分に戸惑ったりする人もいたりする。その反動か、変に「理論武装」して「アイドル論」を語る偉い人もいたりする(笑)。でも70−80年代、特に80年代のアイドル系の楽曲は、アイドル本人以外のスタッフは皆「プロの大人」の作品だった。だからレベルがそれなりに高いものが多いのは当然なのだ。
文学の要素を持った作詞家、高度な音楽理論も持ち合わせた作曲家、超一流のスタジオ・ミュージシャン(例えば、百恵さんの「紅桜(コスモス)」でも有名なPIANOの羽田健太郎さんなんて桐朋を主席でご卒業された方。家庭の事情でスタジオ・ワークに入られた経緯がある)。アレンジャーの方々も、YAMAHAなどで楽典の基礎をお持ちの方が多い。つまり「アイドル」本人だけが?アマチュア系であとは錚々たる「プロ」の集団だったのだ。もちろん、プロデューサーやディレクター達も。
現代の「アーティスト」を名乗るミュージシャン達の貧相な楽曲に比べたら、よほどレベルが高い。だからこれらの楽曲に惹かれるのは、本当の音楽ファンならばしごく当然の帰結だと私は思っている。
もっとも、私の場合はそもそも、他人が「アイドル歌謡」を聴く私をどう見ようが「お好きにどうぞ」、ではあるが(笑)。
04/10/24
パクリ問題
アイドル歌謡を語るときに避けて通れないのが「パクリ」問題である。元々洋楽をはじめ音楽雑食の私は「元ネタ」がわかるものが少なくなかった・・・(^^;。今でも自分の中でなんとなくもやもやしたものがあるのは事実。それでも言えるのは、元ネタをどう料理するかに「プロ」の力量を感じたりしたりする、と言うことかな。なんか後に軽いあざとさの印象をもたらすものと、なんとなく許してあげようとする思わせるものや元ネタ以上の完成度のものと大きく分かれる。
あとアイドル歌謡は割と元ネタが分かりやすいが、ニューミュージックやロック系でアーティストを気取る人/グループで巧妙にパクッているものも少なくない。特に、アイドルなんて見下して「自分はミュージシャン」を気取っている人を見ると、本当に怒りが湧いたものである。後で追究されると、人よっては「オマージュ」とか「トリビュート」とかの便利な横文字で弁明したりする。こういう人/グループの方があざとい。許せないな。
04/10/24

セルフ・プロデュースに名盤無し
最近は特に、デジタル機材の進化と共に、プロデュース・作詞・作曲・演奏他全て自分で賄ってしまうミュージシャン/グループが目立つ。でも私が長年POP MUSICを聴いてきた経験から断言できるが、そんな作品に「名盤」はまず出会った事がない。きっと、こういう作品は他の人の「智慧(ちえ)」が混じらないからだと思う。POP MUSICは、その作品に関わる人の数が多いほど不思議に質が高くなる傾向があると、長年の経験から言える。その方がきっといろんな要素が混じり、成熟、昇華されるからだと思う。逆にセルフ作品は「エゴ」の要素が強く、音がどんなに複雑でも、聞こえてくる音楽はどこまで言っても「同質」の「モノトーン」にしか聞こえない。私は「殆どセルフ作業で満足した作品が出来ました」、という人/グループの作品はまず聴く気がしません・・・(でも本人達は「自己満足」に浸っている場合が多い。困ったモンです(^^; )
04/10/24
同じ「作詞家」だけど・・・
曲に詞があれば「作詞家」と呼ばれる。でもその質は随分異なると思う。80年代、某女子高生グループで随分お金を儲けた某「作詞家」は私から見れば「コピーライター」だと思う。「歌詞」は、その時代の空気を読み、大衆を扇動させる言葉を散りばめた「散文」のような感じ。最初から、根っこには「創作lというモチべーションはない。「消費」が前提だ。だから時代が過ぎると、「読み捨てられた雑誌」又は「冷えたピザ」のようにだれも近寄らなくなる・・・
一方、本物の「作詞家」はどこか文学に通じていて、大衆歌謡であれ、根っこには「創作」が原動力になっていると感じる。そんな作品は、いつまで経ってもちゃんと評価する人が存在する。「消費」に耐える力がある。そんな違いがあるように思う。
04/10/24
ユーミンと中島みゆき
私は両者とも好きである。お二人とも最初から殆どの作品を聴いている。お二人、別に比較する必要もないのだけれど、つい比較したくなるから不思議(笑)。
最近みゆきさんの作品が大きく採り上げられる事が多くなり、今は「糸」や、あ・の・「僕たちの将来」までカバーされている。反対にユーミンの出番が往年に比べて淋しい位少なくなった。でもこれはお二人のタイプの違いが時代にシンクロしているからだと思う。
みゆきさんの作品はいわば「哲学書」である。「芯」がある。自分の独自のフィルターを通して、時代や社会を描いている。特に時代に表立って媚びたりはしてこなかった。「消費」される事は二次的な要素だった。その分「暗い」というレッテルで苦しんだ時期も長かったが・・・。
一方のユーミンは、正確には旦那の正隆さんを両輪にした「ユーミン・プロジェクト」であるが、楽曲は「感性」の作品だ。どこか時代を窺いながら、その上で、一定の距離感で時代の空気を掬ってきたと思う。それは素晴らしい事であるが、でも必然的に「消費」の要素を含む。だから、スポットが当たると華やかだが、肝心の「感性」が時代とシンクロしなくなってくると、途端に「消費」されることもなくなって来る。最近は迷走状態でチト淋しいな・・・(^^;
どちらの作品も大好きなので、ユーミンもみゆきさんもずっと頑張って欲しいと本当に願っています。
04/10/24
SONY RECORDSの質の低下、VICTORの底力
その昔、CBS/SONYは素晴らしかった。60年代後期の創立当時より、アイドル路線でも、あっと言う間にフォーリーブス、天地真理、郷ひろみ、松田聖子、他錚々たる歌手を輩出していた。独壇場だった。他のメーカーはそのサクセス・モデルを追随する格好だった。でも90年代以降、この会社の音楽の質は悲惨になる一方だ。
最初に「異変」に気づいたのは、変な、ダサいベスト盤を頻発した時(90年代半ば?)。「ヒーリング」ベストとか行って、元々そんな音源が乏しい(この当時です、今は違いますが)なけなしの音源DEEP FORESTとかSTONE AGEなどの音源をむりやり集めたコンピを出した時。こんなものを平気で「ヒーリング」とか言って、どうしようもないジャケットで出した時は、この会社の非常事態と感じた。
次は、とうに旬が過ぎた小室氏をレーベル・プロデューサーに招いた90年代後期。確かこの前に、会社のハウス・プロデューサーは殆ど解雇されていて外部プロデューサー制を導入していた時期だと思う。この頃はSONY本体も、あのアメリカかぶれの出井社長がアメリカ型経営を「世界標準」だと盲信し、単年度決算で利益を出す方針を打ち出していた。つまり、音楽でもオーディオ機器でも、1年以内で開発、市場に投入して、更に利益をださなければならないと言う事である。音楽で言えば「新人の育成」なんかせずオーディションでそこそこのアーティストをひっぱってきて、即リリースして適当に売り逃げするしかないと言うことである。これは、今のSONY全体の商品開発力を衰えさせ、面白い製品が出なくなった事と共通する同じ要因だと思う。こんな調子だから、今のSONY系のアーティストの作品のレベルはとても質が低い。あと3年後にカタログとして残る作品はとても少ない。まるでAVEXと同じである。今の「山口百恵」さんのような資産価値のある音源が殆どないと断言できる。新人は「使い捨て」前提であろう。育成というような「愛情」は微塵も感じない。実際、そんな歌手は殆ど出ていない。
一方のVICTORのリリースを見ると質の高い人/作品が多い。夏川りみさんもちゃんと数年かけてブレイクまで導いていた。ロック系の新人でも、GOING UNDERGROUNDという素敵なバンドもブレイクを控えている。やることはきちんとやって来た印象がある(実態は知らない。リリースから感じるだけ)。今やAVEXの追随しているような感があるSONY RECORDSに、未来はあるのだろうか?
04/10/24
Burnie Grundman Mastering
ユーミン(or正隆氏)をはじめあの音に猛烈にうるさいリチャード・カーペンター他プロが信奉するマスタリング・エンジニアBurnie Grundman氏であるが、意外にも、演歌系でも作品があります。それは石川さゆりさんの「行」という再録音3枚組ベスト盤です。ちなみにこのジャケットの題字・筆は、先般亡くなられた水上勉氏です。さゆりさんはNY録音盤であの喜多嶋修氏等ともやっているし、昔は作家さんも含めていろいろ進取のチャレンジを結構されていましたね。(今はすっかり普通の「演歌系」になってちょっと淋しいです・・・(^^; )
04/10/24